Divača ~ Koper

 スロヴェニアは、旧ユーゴスラヴィアが分裂してできた国の一つである。その中で一番に安定・発展し、いちはやくEU入りを果たした。小さくて地味な国だとは思うが、意外と面白い。

 スロヴェニアに詳しい方はそんなに多くないと思うので、改めてこの国の地図を眺めていただきたいのだが、そもそも地図を見る以前に、スロヴェニアには海があるかどうか、という質問に即座に答えられるであろうか。地図を見れば、一応あることがわかる。しかし海岸線の距離は極めて短い。イタリアとクロアチアが海岸線を沢山取ってしまって、スロヴェニアは僅かしかもらえなかった、とでも言いたくなるような恰好になっている。

 その貴重なスロヴェニアの海岸線沿いには、町が3つほどある。中でも一番大きく、唯一鉄道もあるのが、Coper(コペル)で、スロヴェニアにとっての重要な貿易港になっている。EUになってEU内の物の移動には通関も必要なくなったのだから、自国に海がなければ隣のイタリアの港でも借りれば特に支障ないのでは、なんて考えたくなるが、無論そう単純には行かないだろう。スロヴェニアにとってコペルへの陸路は、道路であれ鉄道であれ、物資の輸送路として重要な生命線なのではないだろうか。

 というのは、実は私も後から気づいたことで、私がCoperに行きたいと思った理由は、もっとずっと単純である。それは、途中区間の細かな鉄道路線図を見たからである。そこには行って戻るようにぐるりと大回りする大カーヴがある。地図で見つけた時は、釜石線の陸中大橋をさらに大規模にしたような感じだなと思った。こういう線路の敷き方は、決して稀とは言えないし、勾配緩和目的であることも想像はつく。だが例えば磐越西線にしても狩勝峠にしても、もっと左へ右へとカーヴを何度も繰り返しながら標高差を稼いでいっている。その点ここは、まっすぐ行って、まっすぐ戻る、それだけである。地図以外の情報もほとんどなく、絶景路線を紹介するような書物にも出てこない。そうなると、どんな所か想像がつかないので、余計に行きたくなる。

 首都Ljubljana(リュブリアーナ)から南西へ、イタリアへとつながる幹線を104キロほど行くと、Divača(ディヴァーチャ)という駅がある。そのまままっすぐ行くと、スロヴェニアの最後の駅はSežana(セジャーナ)で、Sežanaを出ると線路はすぐイタリアに入り、トリエステ方面へと至る。Divačaから南へ分岐する支線は、さらに少し先で二つにわかれ、一つは南へ、国境を越えてクロアチアのPula(プラ)まで行く。もう一つは西へ分かれる。これがCoperへ行く線である。この分岐点とCoperの間に「スロヴェニアの陸中大橋」の大カーヴがある。

 先にSežanaを訪問してから、戻りのLjubljana行きに乗り、Divačaで下車した。Divačaは大きな駅舎を持った駅だ(写真左下)。その割と町は小さそうである。それでも一応の町であり、ちょっと高台にある駅前から眺めると、そこそこ住宅がある。駅前には保存蒸気機関車が展示してあるので、鉄道の町だったのかもしれない。


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 少し待った後、Ljubljana方面からやってきたIC503列車は、日本の旧国鉄なら急行ぐらいに相当するインターシティーの長距離列車で、嬉しいことに、機関車が牽く5輛編成の客車列車であった(写真右上)。一等車はもちろん、食堂車までついている。二等車は普通の座席車とコンパートメントが混在している。空いたコンパートメントもいくつかあったので、その一つに入り、座った。

 この列車は、オーストリア国境に近いMaribor(マリボール)を朝の6時50分に出て、首都Ljubljanaを通ってさらに南下してきたという、国内南北貫通列車である。Ljubljanaで運転系統を分けず、所要5時間の直通列車として運転されている。Divača発は11時01分で、終着Coperまで49キロを49分で走るから、表定速度60キロで、わかりやすい。途中停車駅1つ、通過駅4つ。

 Divačaを出ると、Sežanaを経てイタリアへと西へ向かう本線と分かれ。ほぼ90度のカーヴを描き、南へと針路を取る。電化はされているが、単線になった。するとこれまでより景色が荒涼としてきた。小駅を1つ通過し、次に停まるのが、Hrpelje-Kozinaという駅で、大きな駅舎があり、駅員がいる(写真左下)。しかし、下車した人は僅かのようであった。


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 Hrpelje-Kozinaの次が、Prešnicaという駅で、ここが、このまま南下してクロアチアへと向かう線と、西へ分かれてKoperへ向かう線との分岐駅である。しかしここは小さな単線の無人駅で、この列車も停車しない。駅周辺も人家は散在しているものの、まとまった町など無さそうな所であった。

 分岐後も、カーヴを繰り返しながら荒涼とした山の中を走る。ブドウ畑が多い。スロヴェニアのこのあたりは隠れたワインの産地だそうだ。次のCrnotičeは、交換設備はあるが、小さなホームと待合所があるだけの駅であった(写真右下)。通過駅だが停車して貨物列車と行き違う。時刻表によれば、この駅に停車する列車は、下りKoper行きは、朝6時41分の1本だけで、上りは14時02分と19時39分の2本だけである。その14時02分の方は、私がこれから帰りに乗る予定の列車である。こんな駅の乗降客がいるのだろうか。そんなことが今から楽しみになってくる。


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 Crnotičeを出ると、いよいよ大迂回区間に入る。地図によれば、CrnotičeからRižaraという信号場と思われる所まで、直線距離では3キロぐらいしかない。そこを鉄道は、約17キロほど大迂回して走るのである。

 まずはぐるりと左へほぼ180度、向きを変える。すると右手に谷の風景が広がる。その向こうに、これから先に通る線路だろうと思われるものが見える。そこまでの高低差もなく、そんなに大迂回しないといけないほどの地形とも思えないが、線路はその昔、蒸気機関車が難なく登れるようにと考えて敷かれたのであろう。


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 そんな所を時に森の中を、時に荒地を、時に小さな集落を、そして時にブドウ畑を見ながら快適に進む。勾配はゆるいが、それでも徐々に下っていっているのがわかる。Hrastovljeの手前では、この後通過する線路が本当にすぐ真下に見える所がある。それを過ぎるとまた少し下の線路が離れていき、向こうに小さな駅が見える(写真左下)。Hrastovljeである。その先で線路はぐるりと180度回り、列車はHrastovljeを通過、ここもCrnotičeと同様、下り1本、上り2本しか停車しない駅である。

 今度は右手上方に、今通ってきたばかりの線路を見ながら、列車はさらに高度を下げていく。そしてようやく左へゆるやかなカーヴを描き、通ってきた線路が見える風景も終わる。その先に信号場があり、列車は停まった。反対には貨物列車が停車している。ここがRižaraであろう。来る前にグーグルマップで調べてきたところ、ここも駅として描かれているが、現地の駅でもらった列車時刻表には掲載されていないし、実際に来てみると、ホームもないので、列車行き違いのための信号場に違いない。


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 貨物列車とすれ違うだけですぐ発車するのかと思ったら、機関士が降りてきて、客車の下を点検している。ブレーキの具合でも悪いのだろうか。それで5分ほど停まった。このまま動かなくなったら困るなと思っていたが、何とかなったらしく、発車。そこから先は徐々に平地が広がり、いかにも山から町に下りてきたという風景になり、人家も増えてきて、終着Koperに定刻より5分ほど遅れて到着した。


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 Koperは、ホーム2面の行き止まりの終着駅であった。空いているとは思っていたが、5輛の列車からはそれなりの数の乗客が降りてきた。大きな荷物を持った人も多い。建設中なのか、ガラス張りのモダンな新駅舎が一部だけで営業中で、駅周辺も新開発地のような雰囲気で、格別の風情はない。


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 ここはスロヴェニア唯一の、海に面した駅である。駅自体から海は見えないが、西へ歩けばすぐ港で、その雰囲気が駅付近でも感じられる。はるばるたどりついた終着駅、という感慨もあるが、実はイタリアのトリエステまで、直線距離では12キロしかない。旧市街は駅から北へ数分歩いたあたりから始まる。大きな道路を1本渡って旧市街へ入ると、それまでと雰囲気は一変した。

 イタリアっぽいと言えばそんな感じの、細い路地の続く古い家並み。教会があり、小さな広場があり、昔から営業していると思われる小さな家族経営のお店が並んでいる。特に著名な観光施設はなさそうだが、旧市街全体がいい雰囲気で歩き回れる。列車に乗っている間は今ひとつパッとしないどんよりした天候だったが、歩いているうちに薄日が差してきて暖かくなってきた。春が来た、そんな言葉がピッタリのひとときであった。1時間半という滞在時間も、長すぎず短すぎず、ちょうど良かった。


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 駅へ戻り、13時29分発Divača行きの客となる。さきほど降りた時に、隣のホームに2輛の古びた気動車が停まっていたのを確認しているが、やはりその列車であった。行きと帰りで全く違う雰囲気の車輛に乗れるのが、これまた嬉しい。このDivača行きは、Divačaまでの途中5駅の全てに停車する。中途半端な時間帯の鈍行だからか、乗客は少ないが、Divačaで、Sežana始発のLjubljana行きに接続しているので、大きな荷物を持った長距離客っぽい人も多少乗っている。発車時に数えてみると、乗客は私を含め8名で、全員が1人客であった。意外にも若い人が多い。


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 気動車らしい重々しい唸りをあげて定刻に発車。今通ってきた所をエンジンをふかして上っていく。坂を下る往路が客車で、坂を上る復路が気動車というのも、鉄道らしい旅を味わうのに最高の組み合わせだったなと思う。偶然組めたスケジュールだが、良かったと思わずにいられない。

 町並みが途絶え、山へと分け入っていき、左手奥にこれから上って行く線路らしいものが見えてくると、最初の停車駅、Hrastovljeである。案の定、誰も乗降しない。もはや駅としての機能は終えているとしか思えないが、朝夕は利用者がいるのだろうか。この駅を定期的に使う人がいるとすれば、朝は6時49分発でKoperへ行き、帰りはKoper発19時12分発で帰ってくる。たまに早く帰れる日はこの列車で帰る。そんな風になるわけだが、普通の通勤通学の時間帯としてはKoperでの滞在時間が長すぎるように思う。恐らく定期的な利用者はおらず、たまにHrastovljeの住人が思いついたように利用する程度なのではないか。信号場としての機能は必要だから、信号場に降格させるほどのこともなく、何となく温存している、そんな気がする。駅間距離も長いので、一部が不通になった時のバス代行機能のためにも、駅として残す必要があるのかもしれない。


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 そんな事を考えながら発車を待っていると、谷の向こうの線路に機関車の警笛が聞こえ、何と赤い電気機関車の三重連がこちらへ向かって下ってくるではないか。貨車はつながっておらず、機関車だけの回送列車である。臨時なのか、遅れているのか、それとの行き違いを待って発車したので、こちらの発車も時刻表より3分ほど遅れた。

 そしてぐるりとカーヴを回り、Hrastovljeの駅を左下へ見下ろしながら、気動車はエンジン全開で、今通ってきた線路を左へと見ながら坂を登っていく。次のCrnotičeも乗降ゼロ。ここでもKoper行きの三重連機関車に牽かれた貨物列車と交換する。Koperへのこの路線が貨物のためにあることは、乗ってみて良くわかったし、だからこそ勾配緩和が優先で、線路がここまで大回りして敷かれているというのも、納得はできた。しかしそれも蒸気機関車時代の設計には違いなく、今なら強力な電気機関車があるから、もう少し路線を短縮したいところではないか、なんて思える。無論、今さらお金をかけて線路を敷き直してまで短縮する必要もないのだろう。この路線はこれからも、スロヴェニアの貨物の動脈として、旅客列車ともども、生き残っていくであろうと思われる。
 
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# by railwaytrip | 2011-03-18 11:01 | スロヴェニア

Bréauté-Beuzeville ~ Fécamp

 フランスは日本より面積が広い国だが、細長い日本と違って、割と丸いので、日本ほど南北の長さは感じない。それでも北と南、東と西では、気候風土も気質も違いが大きいとは感ずる。それでいてどこに行っても、いかにもフランス。このフランスならではのアイデンティティーは、言葉では説明できない独特の雰囲気を持っている。少なくとも私はフランスに行くたびに、強く感じる。

 今回行ったのは、ノルマンディー地方である。パリの西北西にあたり、パリを流れるセーヌ川の下流地域である。また、海を隔てているが、ロンドンのほぼ真南にあたる。

 前の晩にパリからの列車で Rouen(ルーアン)に着き1泊した私は、この朝、Rouen からさらに西へ、Le Havre(ル・アーブル)行きの列車に乗った。パリから Rouen までは、ノンストップで1時間10分である。Rouen はセーヌ川下流域にある、大聖堂が有名な古都で、Le Havre は、セーヌ川河口に開けた港町である。少しフランスに詳しい人なら、多分これらの街は知っているだろう。

 私はその途中、Bréauté-Beuzeville(ブレオテ・ビューズヴィル)という駅で降りた。ここで分岐する Fécamp(フェカン)行きの支線に乗り換え、Fécamp という所に行ってみることにしたからである。理由は特にない。Le Havre も行ったことはないので行きたいが、それよりは、この支線が何となく気になった。


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 Le Havre 行きの列車はパリからの直通で、編成も長く乗客も多い。Bréauté-Beuzeville は分岐点にあるというだけの小さな駅だが、下車客は結構多かった。Fécamp への乗り換え以外には特に何もない。このあたりはセーヌ川とも離れており、駅は平凡な田園地帯にポツンとあって、大きな特徴もない。Fécamp への支線は、ここからひたすら北へと走り、イギリス海峡に面した北海岸の町Fécamp で終着となる。Fécamp はそこそこの規模の港町らしいので、鉄道が残っているのは何となくわかる。ただ、その起点の Bréauté-Beuzeville は、何故ここが分岐点になっているのだろう、と思わせるような所にある。


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 Le Havre 行きで下車した人の多くは、駅前から徒歩、バス、迎えの車などで散ってしまったようだ。Fécamp 行きを待つらしき人もいるが、多くはない。10分ほどの接続で悪くないのだが、ホームに列車は入っていない。と思ったら、ここ始発ではなく、Le Havre からやってくるのだった。何と1輛の新型ディーゼルカーであった。ガラガラでやってきて、ここで10名弱が乗り込むが、それでも空いている。

e0028292_445939.jpg 発車するとあっさりと本線と分かれてカーヴをし、北へと進路を取る。あとはもう、黙々と淡々と、ひたすら田園地帯を走る。特に目を惹くような車窓ポイントもない。しかもこの季節の北ヨーロッパらしいどんよりとした天候のため、風景に陰影も乏しい。Fécamp まで19.7キロあり、途中駅はない。所要22分。もっともかつては途中駅があったようで、今その廃駅らしき所は廃車輛の墓場のようになっていた。

 スピードは速くもないが、のろのろでもない。本線のような快適さはないが、乗り心地も悪くない。しかしフランスはこういった支線はどんどんバスへと置き換えているようで、先行き心配である。


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 終着 Fécamp は、ホーム1面だけだが、錆びた引込み線が何本もあり、かつては活況を呈した終着駅だったと思われる。今の駅舎は小さい。ホームは長く、そこにポツンと1輛の新型気動車が停車した風情は何となく寂しい。


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 駅から錆びた線路に沿って先へ行ってみる。すぐ先が港であり、恐らくかつては貨物が港まで来ていて、ここから船積みもしていたのではないだろうか。そして坂道を丘の上に進めば市街地がある。思ったより大きな街である。


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 街を歩いてみた。ノルマンディーの港町、と思えばそんな気がするし、他のフランスとは違うような気はする。折から街の広場では、小さな音楽隊が演奏をしていた。小さなお祭りという感じであった。スコットランドのバグパイプ楽団とはまた少し違うのだが、いくぶん近い雰囲気であり、音楽もケルト系のようであった。詳しいことはわからないが、そちら方面とのつながりを感じる雰囲気の音楽に、ノルマンディーにいることを実感した次第であった。
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# by railwaytrip | 2011-02-05 10:47 | フランス

Perl ~ Thionville

 EU内の国境審査を廃止して人の流れを円滑にするための協定により、世界的に名が知られるに至った、ルクセンブルク南東端の村、Schengen(シェンゲン)。ここは首都ルクセンブルク市から見ると、はずれのはずれである。と言っても、もともと小さな国の中での話。直線距離では23キロ程度である。鉄道はなく、ルクセンブルク市から行くには、バスを2本乗り継いで行かなければならない。

 Schengen は、ライン川の支流、モーゼル川沿いの長閑で小さな村である。モーゼル川流域は良質な白ワインの産地として知られる。Schengen もその一つで、周囲のなだらかな丘の多くがブドウ畑になっている。


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 この村はモーゼル川の左岸にある。村の中心に橋があり、渡るとドイツの Perl(ペルル)である。そしてここからモーゼル川をちょっと遡ると、そこはもうフランスである。Schengen は、これら3つの国の境界にある村であるゆえに、協定の締結地に選ばれた。実際の調印は、モーゼル川に浮かぶ船上でなされたというから、象徴的である。

 Schengen には鉄道はない。けれども対岸のドイツ・ペルルには、ペルル駅がある。Schengen の村の中心から5分も歩けばたどりつける。こことTrier(トリアー)の間に、ドイツ国鉄DBが平日日中は1時間に1本の普通列車を走らせている。モーゼル川右岸をゆく長閑な路線で、モーゼル川の風情を楽しませてくれる、地味ながら好ましい路線である。

 線路は Perl から南へも続いている。ほどなくフランスに入り、入って間もなく、Apach(アパック)という駅がある。Perl から2キロ弱で、並行道路もあるので、歩いても30分弱という近さである。そのApachからはフランス国鉄が、モーゼル川上流のThionville(ティオンヴィル)まで、ローカル列車を一日数本、走らせている。

 つまりこの路線は、ドイツの Trier とフランスの Thionville を結ぶ、2ヶ国にまたがる国際路線である。にもかかわらず、国境の僅か2キロの区間、Perl~Apach 間の一駅だけは、列車がほとんど走っていない。ほとんど走っていないが、皆無ではない。それが面白いというか不思議である。

 具体的に言うと、平日は国境を越える旅客列車は1本もない。しかし土日のみ、Trier~Perl~Thionville~Metz という快速列車が1日2往復、走っている。Perl から Thionville の間には、駅が5つあるが、この国際快速は1つを除いて通過する。フランスの国境駅 Apach にも停まらない。

 この不思議な列車に乗るため、前日からルクセンブルクに泊まっていた私は、土曜の朝、ルクセンブルク駅前9時10分発のバスに乗った。約25分、Mondolf(モンドルフ)という所で別のローカルバスに乗り換える。そして約20分、Schengen にやってきた。10年ほど前にも来たことはあるが、今回もまた時間が止まったようなのんびりした田舎の静かな村である。変わったと言えば、前回は無かった高速道路が山の上のはるか高い所でモーゼル川を跨いでいる。

 モーゼルの河畔に、Schengen 協定締結の記念碑があり、ドイツ語、フランス語、英語で解説がある。上にはEUの旗がたなびいている(写真左下)。対岸はドイツの Perl の村である。そのすぐ脇に、ドイツへ渡る国境の橋がある。橋の手前に、フランス2キロ、ドイツ1キロ、という道路標識がある(写真右下)。最近、大雨が続いていたので、モーゼル川は氾濫寸前というまでに水かさが増していた。


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 冬の土曜の朝だからか、車は結構通るが、歩行者は全く見かけない。ましてや観光客など皆無である。歩いて橋を渡り、ルクセンブルクからドイツへ入る。橋から見下ろせる位置に Perl 駅がある。以前と特に変わった様子はないが、駅前は何やら工事をしている。駅へ行くなら、橋を渡り終わったところで歩行者専用の階段を下りていくのが早い。


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 ドイツ側の終着駅で、Trier からのほぼ全ての列車がここで折り返す。折り返し前提の駅だからか、複線だが、ホームは片面しかない。古いながらも立派な堂々たる駅舎だが、今は無人化されており、駅舎の一部はパブになっている。切符はホームに自動券売機がある。

 ドイツという国は無賃乗車に厳しいというか、容赦ない国で、切符を持たずに乗ると理由を問わず、否応なしに高額の罰金を取られるという。全ての駅に自動券売機があるので、無人駅から乗ったというのは理由にならないそうだ。

 私はルクセンブルク国内限定の乗り放題切符を買ってあるので、ここドイツの Perl からフランスの Thionville を経由して、ルクセンブルクに入った最初の駅 Bettemburg(ベッタンブール)までは、別途切符を買わなければならない。自動券売機の表示を英語に変えて、あれやこれやと試してみたが、Bettemburg までの切符は買えない。それどころか、乗換えなしの Thionville すら買えない。壊れているのかと思って、試しに Trier を入力してみると、すぐに切符の種類や値段が出てきたので、壊れているわけではない。ドイツ国内専用なのかと思って、ルクセンブルクと入れてみると、これも値段が出てきた。しかし、私の乗るルートではなく、何と遠回りの Trier 経由での運賃が出てきた。ここからルクセンブルクへ、わざわざ Trier 経由の列車で大回りして行く人がいるとは思えないが、とにかくそういうことになっている。結局、土日に2本しか運行されないこのルートを通る切符は、データが入っていないため、買えないということのようである。


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 そうこうするうちに発車時刻が近付いてきたのだが、列車は現れないし、人の姿も全くない。本当に列車が来るのだろうかと心配になったが、3分遅れで、トリアー方面から赤い車輛の列車が見えてきた。

 それはフランス国鉄の車輛であった。僅か1輛だが、真新しい車輛である。Perl では2人の下車客があった。Trier から Perl までの区間は日常的な利用者がいるので、たまたまこの列車があったから乗ったという人だろう。乗車は私だけで、車内に入ると、空いてはいるが、一応席の半分弱が埋まるぐらいの客は乗っていて、大きな荷物を持った人も多い。観光客でもなさそうで、用事があってある程度の距離を移動する人が、たまたまこの列車があるから利用したという感じに思われる。

 Perl を発車し、今渡って来た道路橋の下をくぐる。どこが国境かは定かではないが、すぐに国境を越えてドイツからフランスへ入った筈である。そのあたりはゆっくりと走る。やがて右手、モーゼル川との間に沢山の線路が広がってくる。国境駅独特の風景で、貨車がいくらかは停まっていたが、広大な敷地のほとんどはガランとしている。そんな所にある国境駅 Apach を通過。ここから先は、フランス国鉄の区間列車が平日4往復、休日2往復ある。この運転本数は究極のローカル線である。だがとにかく、毎日列車が走っている区間に入ったからか、新型気動車はスピードを上げた。

 乗客は中高年のお客が多く、新聞を読んだりおしゃべりしたりしている。景色を眺める人はほとんどいない。土日に2往復しかない列車だから、たまたま乗り合わせたというよりは、この列車に合わせて乗っている人であろうが、この列車が無ければ別のルートで移動するのであろう。私のように、こんな珍しい不思議な列車があるからと意識して乗っている人は誰もいないようであった(写真左下)。


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 Apach の次が、停車駅の Sierck-les-Bains(シエルク・レ・バン)で、古いが立派な駅舎がある(写真右上)。下車はなく、おばさんが一人だけ乗ってきた。切符を買っていないので心配という風情で右往左往している。ホームに降り立った車掌が、いいから乗れ、と合図をしている。

 発車後、その車掌が回ってきて、まずそのおばさんに切符を売る。次いで私の前にもやってきた。私が Perl で乗ったのもお見通しのようである。フランスの車掌で、言葉もフランス語であった。恐らくドイツ語もできるのであろうが、既にフランスに入っているし、ルクセンブルクでもそうだが、一般に仏独両国圏の人は、外国人に対してはフランス語を使う。実際、ドイツ語よりフランス語の方が国際語としては上であろうが、こちらはフランス語もカタコトしか理解できない。

 その車掌が携帯発券機で、Bettembourg までの切符を出そうとするのだが、いくらやっても出てこないようである。Perl の自動券売機同様なのか、困ったものである。そしてしまいには何やらフランス語で長々と説明をしつつ、切符を売って料金を徴収した。あまり理解できなかったのだが、切符を見ると、この列車の終着、Metz までとなっている。どうやら同じ料金だからこの切符でBettembourg まで乗っていい、と言っていたようである。しかし次の列車で検札が来たら、すんなりと通るのであろうか。ちょっと不安ではある。

 列車は相変わらず右手にモーゼル川のおっとりした流れを見ながら、流れに沿ってカーヴを繰り返しながら走る。それでも Thionville が近づいてくると人家が増えてくる。さらにはモーゼル川の対岸に大規模な施設が見えてくる。火力発電所かと思ったが、後で調べると原子力発電所であった。フランス第三の規模で、相当なものらしい。

 そうしているうちに、モーゼル川とも離れ、列車は Thionville 駅に滑り込んだ。Thionville は中規模の街で、ルクセンブルクに近いので、ルクセンブルクへ通勤する人も多いらしい。ロレーヌ北部の代表的な都市はこの列車の終点 Metz だが、ここもそれに次ぐぐらいの規模がある。


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 Thionville では乗っていた客の3割ぐらいが下車した。代わりに乗り込む人が何倍も多く、僅か1輛の列車はほぼ満席になったようである。ここから先は1時間に1本以上の列車が走る高頻度区間である。そういう区間だけ利用する人は、たまたまこの列車が来たから乗っただけであって、この列車が土日しか走らない Trier からの珍しい列車であることなど、意識にもないであろう。

※ この区間は、ドイツとフランスとにまたがりますが、フランス側の方が距離が圧倒的に長いため、便宜上、フランスのカテゴリーに分類しました。
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# by railwaytrip | 2011-01-08 10:42 | フランス

日南線・伊比井駅

 新婚旅行で海外に行くのが当たり前ではなかった時代、宮崎の青島・日南地区は、新婚旅行の行先としてトップクラスの人気を誇っていたという。

 今やその面影を見出すのも困難ではあるが、それでも県庁宮崎市の市街や宮崎空港からさほど遠くないという立地条件や温暖な気候により、根強い人気はあるようである。プロ野球のキャンプ地としても知られている。

 しかし、そこを走る日南線は、もう昔のような活気は見出せない。青島なども駅は無人化されており、利用者も少ない。宮崎に近い所はバスや車も便利だからであろうか、少し離れた飫肥、日南、油津あたりに、途中区間で乗降客が多い駅が固まっているようである。

 その青島の先、飫肥の手前の地味な区間の一つ、伊比井という駅に、ぶらりと降り立ってみた。正直、そこまで大きな期待はなく、ちょっと海でも散歩して戻ろうかという程度だったのだが、何とも表現し難い、不思議な情緒を感じたひとときであった。

 時は晩秋、北国はもうすっかり冬支度が終わっている時期だが、ここ南国、宮崎はまだポカポカ陽気である。それでも風はちょっと冷たい。


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 快速とは名ばかりのたった1輛の志布志行き気動車から降り立ったのは、私の他におばさん一人だけ。ちょっとした高台にある駅で、狭い島式ホームの交換駅である。南九州に多い、ガラス張りの待合室を兼ねた簡易駅舎だったら面白くないなと思って降りたのだが、ここは昔ながらの駅舎が健在であった。小さい駅舎だが、かつては駅員がいたのであろう。そしてホームの一部を切り欠いて設けられた階段を降り、線路を横断する構内踏切を渡って駅舎へ出るという、このスタイルが何とも言えない。

 駅が高台にあるので、駅舎を出たら階段を降りなければならない。降りた所は国道。車はそれなりに通る。沿道は古い木造の家屋が並び、ちょこっと店もあるといった、街道筋の小集落である。


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 その国道を横断して狭い道を集落に入ってみる。陽光を浴びて明るい雰囲気だが、ひっそりと静まり返っている。平日日中だから当然だろうが、それでも空き家は少ないようで、生活の息吹を感じる集落であった。

 抜けると海辺に出た。青い綺麗な砂浜である。年頃の女の子が二人、海辺で遊んでいた。それ以外には人影がない。夏は海水浴客で賑わいそうな感じであるが、壁に大きく「水泳禁止」と書いてある。


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 雄大な青い海も、そこで遊ぶ現代っ子の女の子も、ありふれた現代の風景である。しかしこの古びた、しかし落ち着いた静かな集落と、そこに立地する駅は、一瞬、現代であることを忘れそうな光景ではないか。寒くも暑くもない快適な気候だし、このままいつまでもぼっと海を眺めていたくなる。

 そんな、自分にとって贅沢な一瞬の時間を過ごし、やってきた上り南宮崎行きの列車で引き返した。2輛編成だが、今度もガラガラに空いていた。正直、日南線の将来が心配である。
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# by railwaytrip | 2010-11-17 13:06 | 九州・沖縄地方

十和田観光電鉄・三沢~十和田市

 青森からの特急が三沢に着いた時は、あいにく雨が降り始めていた。しかし予定通り、まだ乗ったことのない地方私鉄、十和田観光電鉄に乗って十和田市まで行ってみようと思う。

 十和田観光電鉄といえば、その昔は地方私鉄の優等生で、乗客も多く、例えば津軽鉄道あたりと比べてもずっと活況を呈していたという。それというのも終点の十和田市がそこそこ大きな街だからであろう。十和田といえば十和田湖、そして観光、という文字が路線名に入れば、十和田湖へ行く観光路線のような印象を与えるが、実際にこの電車とバスを乗り継いで十和田湖へ観光へ行く人は、昔から少なかった。それよりは圧倒的に地元の生活密着路線としての性格が強い。


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 リニューアルされて都会風の橋上駅になったJR三沢駅の西口を出て、十和田観光電鉄の駅へ行く。そこはうって変わって古色蒼然としたモルタル造りの渋い駅がある。とりたてて味わい深い建築ではないが、今見ると、昭和に時代が逆戻りしたような味わいがある。

 駅舎の中に入ると、その感じは一層強まった。平日の日中のお客が少ない時間帯で、しかも雨である。だから余計に寂しく感じたのかもしれないが、それでも駅員がいて切符売場もある。自動券売機もあるので、私はそこで十和田市まで570円の切符を買ってしまったが、後で知ったのだが窓口で硬券も買えたらしい。どちらにしても、改札口で鋏を入れてもらう。昔ながらの鉄道の姿がここでは健在である。


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 電車は東急のお古で、東急時代の面影が良く残っていて何となく懐かしい。12時35分発、2輛に10人ほどの客を乗せて発車した。もちろんワンマン運転である。

 三沢を出るとすぐ、古牧温泉の中を通る。温泉地と言うよりも、ホテルの中を横切るような感じである。その後は林の中を走ったと思えば田園地帯を走る。人家は少ない。最初の大曲駅も次の柳沢駅(写真右上)も、単線の無人駅で反対側は見事な水田であった。乗降客もいない。

 3つ目の七百という面白い名前の駅は、途中唯一の交換駅である。駅に小さな車輛基地が併設されている。


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 次の古里は、駅前に道路が走り、駅付近にも人家が見られるなど、これまでより少し賑やかになった。ここまで4駅で8.4キロあり、ここから十和田市まではまだ6駅もあるのに、6.3キロしかない。十和田市側の方がずっと駅間距離が短いのである。三沢も大きな街だが、駅のあたりは市街地と離れているので、三沢側の風景は概して寂しい。ローカル盲腸線の多くは、先へ行くに連れて寂しくなっていくが、この線は逆である。しかしこのことが、十和田市のためにこの路線が残っていられる理由の一つであろう。

 古里の次が三農校前という駅で、駅名の通り、駅前に県立三本木農業高校がある。そして一つ飛んで北里大学前があり、その次が工業高校前と続く。今の時代なら学園都市線というニックネームをつけてもおかしくない。通学時間帯はそれなりに賑わっているに違いない。

 その次がひがし野団地前という、これまた東京近郊にありそうな駅名だが、駅周辺は団地ではなく、東京よりずっとゆったりとした一戸建ての住宅が並んでいる。そして最後はそれまでより少し寂しくなって、十和田市に着いた。途中多少の乗降客があったが、大半は全線乗車の客のようであった。

 十和田市駅は、駅ビル併設の橋上駅だが、駅ビルにあったスーパーが色々な事情から撤退してしまい、もぬけの殻である。有人駅で、駅員が集札しているが、それでもどことなく寂しく寒々しい感じがするのは、天候と、この無機質な駅ビルのせいだろうか。こんな場合は昔ながらの木造駅舎の方が温かみを感じるものである。ちなみに市街地は駅から先へ少し歩く必要がある。


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 雨の中、線路に沿って少し戻り、途中の駅から乗って三沢へ戻った。帰りも乗客は10人前後であった。三沢に戻り、駅構内の老舗の蕎麦屋で昼食をし、それから駅の先の古牧温泉の入口にある踏切で、次の列車の発車を見送ってみた(写真右上)。

※ 乗車当時のこの線には具体的な廃止の話はありませんでしたが、その後、新幹線延伸や震災の影響もあり、急に廃止の話が浮上し、結局2012年3月31日をもって廃線になってしまいました。
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# by railwaytrip | 2010-05-28 12:35 | 東北地方