今の時代、一つの列車に5時間も10時間も乗る行為自体、尋常とは思われていない。そういうことをするのは鉄道マニアぐらいで、用事があって移動の手段として鉄道を利用する場合、3~4時間が限度で、それ以上だと飛行機が使われる。数少ない夜行列車を除くと、特急列車といえども、全国的に、4時間以上に渡って走行する列車そのものが数少なくなった。新幹線ができる前は、首都圏と東北地方の間など、東京~青森を始めとして数多くの長時間運転列車が当たり前のように走っていたが、時代はあっという間に変わってしまった。新幹線のない北陸~羽越ルートでも、少し前まであった大阪~青森の白鳥が廃止されたかと思うと、続いて大阪~新潟間でさえ、夜行以外は直通列車がなくなってしまった。大阪からは富山あたりが限度で、新潟行は金沢始発というように、運転区間が分断されてしまった。そうなると、例えば福井から直江津へ行く場合は、乗換えを余儀なくされるなどの弊害もあるが、そういう客自体が少ないのであろう。
そういう全国的な流れの中で、最近、運転区間が延びた珍しい例がある。別府~人吉間を走る「九州横断特急」である。別府~熊本間は、その昔は「急行火の山」が、その後、格上げで「特急あそ」が、毎日数往復走っていた。そして熊本と人吉の間は、「急行くまがわ」が、最後まで急行の貫禄を保って走っていた。人吉は、熊本県南西部の地方都市であり、県庁との間もそれなりの距離があるため、ビジネス、用務、観光など様々な需要にこたえるべく、急行として長く生き残ることができた。勿論、熊本乗換えで博多へ、さらに新幹線で本州方面へと乗り継ぐ人もある程度はいたと思われる。しかし、急行廃止の流れはここにも及び、特急格上げとなるにあたり、別府~熊本の特急と直通化され、その名も「九州横断特急」として生まれ変わったのである。別府~人吉の全区間を乗り通すと、所要時間は4時間半余り。この程度でも、今の時代、相当長時間を走る列車の部類なのである。 というわけで、別府14時43分発の「九州横断特急5号」に、人吉までの全区間を乗ってみることにした。勿論、熊本で殆どの客が入れ替わるであろうことなどは承知の上である。それでも私自身、一つの列車に4時間半も乗り続けること自体、最近は殆どなくなってしまったなあと、改めて思うのである。 別府は言うまでもなく、日本有数の温泉地である。その割と駅は昔から素っ気ない高架駅で、格別の情緒も感じられない。しかも別府は県庁大分と近く、ベッドタウンとしての役割もある。しかしいずれにしても、需要の大きい駅なので、大分から先、この豊肥本線だけでなく、久大本線や日豊本線に行く列車も、優等列車は大分ではなく別府始発というのが昔からのパターンだ。 あいにくの天気だが、連休ということもあるのか、駅は活気に満ちていた。3輛編成の「九州横断特急」も、そこそこの乗車率である。しかも、短編成ローカル特急にもかかわらず、車内販売がある。JR九州が新生の特急に力を入れていることの証である。下は別府発車時の車内。 別府から大分までは、複線電化の日豊本線を走る。都市近郊ではあるが、左手は別府湾が広がり、景色は良い。しかもこの列車の全区間を通して海が見えるのは、ここが最初で最後である。 大分は、別府より人口も断然多く、県庁所在地でもある。けれども乗ってくる客は案外少なく、始発の別府からの客がはるかに多かった。ここは古くからの地平駅だが、今、高架化工事が始まっている。やがて個性のない平凡な駅になってしまうのであろう。 大分から豊肥本線に入る。しばらく市街地を、そして田畑が混じる郊外の住宅地へと進むが、ほどなく中判田に停車する。この駅、昔は急行ですら停まらなかったと思う。大分に近すぎて下車客はないが、2名の乗車があった。大分行普通列車と交換する。次の通過駅の竹中でも大分行普通列車と行き違う。このあたりはローカル線とはいえ、大分のベッドタウンなので、普通列車の本数が多い。これだけ普通列車があるのだから、2名乗車のために特急を中判田なぞに停めるのもどうかと思うのだが、一度だけの体験ではわからない理由があるのかもしれない。 菅尾通過、また大分行の1輛の普通列車と交換、このあたりの車窓は田園地帯で、格別ではない。それにしても、この列車は中年男性の車掌の他に、若い女性の販売員が2名も乗っていて、別府や大分ではドアの前に立って乗客を迎えるし、販売物もただのワゴンだけでなく、阿蘇のどこかの牧場のアイスクリームなどの特産品も売りにくる。いかにも観光特急として力を入れているさまが窺えるのだが、たった3輛の特急で、アイスクリームだけを売り歩いて、どれだけ売れるのだろうと心配してしまう。実際、冷房が十分効いているので、私はアイスクリームよりは温かいコーヒーが欲しい。 昔からの急行停車駅、三重町を発車。乗降は殆どない。次は豊後竹田かと思ったら緒方に停まるそうだ。ここも昔の急行は停まらなかった気がする。右手に水量豊かな川が沿っている。台風でだいぶ降ったし、今日もさっきまでにわか雨が凄かったので、とうとうと流れている。ここまで来ると、人家も途切れて深い山に入っていくような風景になりつつある。超古い民家もあり、日本の田舎が健在だ。そして上り勾配が感じられる。 駅前の総合病院が目立ち、人家も多い緒方に停車し、だいぶ山峡らしくなってくると、やがて豊後竹田到着のアナウンスが入る。滝廉太郎の出身地で、昔から、列車が着くと荒城の月のメロディーが流れた駅だ。主要駅だからそれなりの乗降客があるだろうと期待する。この駅は竹田の町はずれにあり、右手は岩山という険しい地形にある。町は駅の左手に広がる。ここが意外なことに、乗降客が殆どなかった。荒城の月の音楽も、少なくとも車内には聞こえてこない。豊後竹田も寂れてしまったのか、たまたまなのか。 豊後竹田を出ると、鉄橋で川を渡る。水量多し。またしてもぐんぐんと勾配を上る感じがわかる。いよいよ阿蘇へ向かって、と思ったら、妙に開けた場所に出た。国道沿いに色々な店もある。ドコモショップとかもあり、新しい家も多い。竹田とはこんなところか、と、これだけを見て思ってはいけないだろうが、車時代の新市街地だろう。玉来通過。単線の無人駅で、駅前に鳥居があった。玉来を過ぎると竹田の町も果て、いよいよ阿蘇へ向けてという感じになり、上り勾配もきつくなるが、車窓は両側とも森ばかりで、格別の風景ではない。車内は静かで、寝ている人が多い。これでは車内販売の商売も大変だろう。 駅間が長く、4分停車の豊後荻に着く。構内踏切のある昔ながらの駅で、紫陽花が咲いている。大分行のホームでおじさんが2人、列車を待っている。駅裏は倉庫。ここから阿蘇の外輪山を越えて、阿蘇に入るのだが、あいにくのどんよりとした天候で、あまり強い印象が残らないのが残念だ。しかも眠くなってきた。外輪山を隧道で越えた次の波野が、九州で一番標高の高い駅である。 ぼんやりと過ごすうちに、阿蘇観光の拠点駅の一つ、宮地に着く。観光客とおぼしき人が多少乗ってくる。続く阿蘇も同じで、他方、大分方面からの客は殆ど降りない。別府・大分からの客は殆ど熊本まで乗り通すのだろうか。このあたり、阿蘇外輪山の内側は、思いのほか広々とした田園地帯で、険しさはない。遠くに山が見えるものの、線路の周囲は平坦な盆地という感じがする。続いて停車した赤水も、駅の右手は広々とした田園が広がっている。それが変わってくるのは立野で、ここは有名なスウィッチバック駅だ。何もない所で停車し、後退してホームに入る。ここも多少の乗車客がある。再び前進して発車。 立野からぐんぐんと勾配を下って、次の停車駅は肥後大津。ここは熊本の通勤通学圏の限界点にあたる駅だ。熊本空港にも近い。ここから電化区間となり、熊本との間は列車本数も多い。にわかに都市圏に入った感じとなり、阿蘇の田舎の風情も消えうせた。しかもこの区間には、武蔵塚とか、さらには光の森などという新しい変な名前の駅があり、新しい駅のくせに、昔からの駅を差し置いて特急が停車する。さらに、熊本市街に近い水前寺、そこから僅かの距離の新水前寺と、特急ともあろうもの、連続停車する。多少の下車客があったが、殆どはそのままで、次が熊本である。それぞれの駅に特急が停まるべき理由があるのはわからぬでもないが、全体として停車駅が多すぎると思う。 熊本では流石に殆ど全てといっていいほどの客が降りた。この列車に限って言えば、別府か大分から熊本までの通し利用者はかなり多かったことになるが、熊本をまたいで先へ行く客は殆どいない。夕方でもあり、代わって熊本から人吉へ帰る客がどっと乗ってくるのかと思ったが、僅かしか乗ってこなかった。よってガラガラとなった特急は、夕方の気配が漂い始めた鹿児島本線を南下する。同じ車輛だが、複線電化の幹線だけあって、スピードも出る。けれどもこの列車は松橋に停まる。それなりに利用者もある熊本郊外の駅だが、一昔前の常識では、特急が停まるような駅ではない。現に乗降客は殆どなかった。そして次は新八代。昔は熊本と八代は特急なら一駅ノンストップだが、色々な事情で今は違う。この新八代は、新幹線への乗り継ぎ駅だが、この列車から降りる人は殆どない。それも当然で、この列車が熊本で5分停車している間に、博多からのリレーつばめが先に発車しており、この列車のすぐ前を走っているのである。この列車で大分方面から鹿児島方面へ行く場合、この列車を熊本で降り、急いでリレーつばめに乗り換え、新八代でもう一度乗り換えるのが一番早い。それをせず、新八代までこの列車で来てしまうと、新幹線が1本後になる上、新八代では同じホームでの乗り換えもできず、何もない退屈な新八代で待たなければならない。ともあれ、新幹線の開通によって、大分~鹿児島の鉄道での最短時間ルートは、熊本経由になった。日豊本線宮崎経由と所要時間を比べると、随分と差が大きい。今さらながら、新幹線とは凄いものだと思う。 新八代を出ると、すぐ八代。新幹線ができたがためにローカル駅に成り下がった駅は多く、ここもその一つだろう。それでも肥薩線のおかげで、こうしてまだ特急が発着しているのがせめてもの救いかもしれない。若干の乗降客がある。 八代から人吉までの最後の区間は、ひたすら球磨川に沿う景色の良い区間だ。球磨川は、日本三大急流の一つとして知られ、沿線の中上流地域は球磨焼酎の産地としても名高い。けれども、山と急流に挟まれ、耕地も少なく、人口も稀薄なエリアである。特急は、坂本、一勝地、渡と3つ停車するが、どこも乗降客は少ない。それ以外の普通列車しか停まらない駅はさらに利用者が少ないことだろう。 そんな区間を、夕闇迫るガラガラの特急列車でゆったりと景色を眺めながら行くのは、汽車旅の醍醐味とも言うべきであるが、列車が空いており、沿線も思いのほか寂しいのが気になる。折角できた九州横断特急も、人吉の経済次第では、先行きどうなるかわからないのではないか、と思うと、暗澹たる気分になった。 定刻19時28分に人吉着、それでも3輌の車内からはそれなりの客が降りてきたので、とりあえずはホッとする。ここは人口3万7千、駅付近に温泉も湧く、古くからの盆地であり、球磨焼酎生産地の中心都市でもある。夏至に近い夏の九州、この時間でもまだ明るさが残っているのも嬉しかった。
by railwaytrip
| 2007-07-16 14:43
| 九州・沖縄地方
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