参宮線・二見浦駅

 その昔、今のように気軽に旅行できない時代、お伊勢参りは一生に一度は行きたい庶民の夢であったという。日本最初の鉄道が明治5年に東京~横浜間に開通してからわずか17年後には、早くも参宮鉄道という会社が設立され、明治27年には津から宮川までの鉄道が開通、翌年には山田(今の伊勢市)まで延長された。この鉄道の主たる目的は、伊勢神宮への参拝客輸送であり、ゆえに参宮鉄道という社名だったのである。庶民のお伊勢参りの夢は、この鉄道によってだいぶ現実的になったことであろう。明治40年には、鉄道国有法により国鉄となる。そして今、戦後60年が経過した。そして国鉄からJRになった。そんな長い歴史を経て今日まで、伊勢線でも鳥羽線でもなく、参宮線という線名のまま残っている。

 しかし今や、参宮線に乗ってお伊勢参りに行く人などほんの僅かである。今の参宮線の役割は、この地域のローカル輸送であるが、このあたりは近鉄がかなりの路線網を張り巡らしているため、参宮線の重要度はお世辞にも高くない。それでもJR東海になってから、名古屋から鳥羽まで、「快速みえ」という料金不要の優等列車を作り、近鉄特急に対抗しだした。けれども、名古屋から、津、松阪、伊勢市、そして鳥羽へ、近鉄ではなくJRの快速みえを利用する人の比率はかなり低いらしい。何しろ2輛編成が1時間に1本なのだ。近鉄特急と比べてみれば、その差は歴然としている。

 今回、二見浦という駅を訪問したのは、この駅こそ、参宮線の役割が今なお重要な駅の筆頭ではないかと思ったからである。最近の市町村合併で伊勢市に編入されたが、もともとここは二見町という町であり、二見浦駅はその玄関口である。このあたりは近鉄の線路ははるかに離れた山の中を走っており、旧・二見町地域では、参宮線が唯一の鉄道になる。

 二見浦といえば、夫婦岩という有名な岩が海中より突き出ており、古来より参拝の対象となるなど、観光地としても知られる。旅館も多く、温泉も湧いている。観光地として栄えていそうだが、実際は昔と比べるとかなり寂れているらしい情報も得た上での訪問であった。


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 駅舎は、夫婦岩を模してデザインした、ガラス張りのモダンなものであった。駅員がいて切符を売っているが、委託職員のようである。そして駅前に鳥居がある。しかし駅付近は見事にガランとしている。人通りは時折あるが、とにかく静かだ。伊勢といえば、折から赤福の偽装問題でゆれており、この時も赤福の各店は営業停止中。二見浦の駅前通りを行くと、古風な和菓子屋「酒素饅頭」の木造の立派な店があった。赤福とは関係ないだろうが、ここもしっかり閉まっていた。


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 駅に戻る。とにかくホームが長い。10輛編成ぐらいの列車は問題なく停まれそうである。その昔は長い客車を連ねた列車が発着したのであろう。屋根のある中央部は、決して長くないが、堂々たる鉄骨に支えられた立派な屋根を持つ、風格のある駅である。ホームと改札口の間は地下道で結ばれているが、このクラスのローカル線では比較的珍しい。


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 その長いホームに、鳥羽行き2輛編成の普通列車がやってきた。乗降客は少ないが、多少ある。続いて反対側の松下寄りの隧道から、快速みえが出てきた。やはり2輛編成だ。戦前の参宮線は複線だったというが、今は単線なので、この駅で行き違うのだ。これほど長いホームに僅か2輛の列車同士の交換では、貫禄負けするが、今や全国至るところで、こうした風景は見られる時代だ。小型1輛のローカル線に比べれば、まだ風格ある二見浦にどうにか釣り合っているような気さえした。
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by railwaytrip | 2007-11-26 11:50 | 中部地方


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