カテゴリ:中国・四国地方( 5 )

木次線・芸備線・宍道~新見

 所用で松江に1泊した翌日は、予定を入れず、その日のうちに東京へ戻れば良いようにした。忙しい人なら朝一番の飛行機で東京へ戻るのだろうが。

 それで今回は、木次線から芸備線を抜けるルートを選んだ。このルートのうち、木次線の出雲横田~備後落合と、芸備線の備後落合~東城は、乗客減と減便のいたちごっこで、今や1輛の気動車列車が一日3往復するだけの、究極のローカル区間になっている。それも、その昔あった日中線のような短い盲腸線の3往復と違い、かつてはグリーン車付の急行列車が行き交った、準幹線とも言えるような区間である。中長距離輸送が完全に自動車と高速バスにシフトした結果、急行が廃止されて久しい。もうどのぐらいになるのだろう。私もその昔、1980年代に、この地域の急行列車に乗ったことがある。ローカルな急行だなとは思ったものの、乗客もそれなりにいて、まだ鉄道が鉄道としての役割を果たしていた時代だった。

 最初に乗るのは、宍道11時21分発の備後落合行。というよりも、一日3往復の両線をうまくつなぎ、今日中に東京へ戻るには、この列車以外に選択肢はない。山陰本線が強風で遅れた影響で、この列車も5分ほど遅れての発車となった。宍道は小さな町なので、松江や出雲市などの山陰本線からの乗り継ぎ客がなければ、木次線も機能しないであろう。車輛はキハ120という小型のディーゼルカー2輛だが、後ろの車輛は回送車で乗車できないとのこと。乗客はざっと見渡したところ、15名ぐらいである。この人数なら1輛でも余裕である。やはりお年寄りが多いが、スーツ姿のビジネスマンも数名いる。出張に木次線を使うように命じられている沿線自治体の公務員かもしれない。


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 山陰本線は、本線としては十分に鄙びているが、それでもここ、米子~出雲市間は、電化もされており、それなりに開けた印象もある。それとの比較で言うと、木次線に入った途端に風景が鄙びる。特に最初の南宍道の前後は、日本の原風景とでもいうべき農山村の眺めが続く。最初からこんな素晴らしい風景が出現すると、この奥は一体どんな所だろうと期待が湧くが、次の加茂中は、モダンな建物も見られる普通の田舎の景色になった。後で地図を見てわかったのだが、南宍道前後は主要道路が全く並行していない。だから昔のままの風景が残っているのだろう。今は鉄道ではなく道路がある所から開ける時代なのだと、改めて思う。

 加茂中の先は、南宍道ほどの原風景ではないものの、長閑な農村地帯を走り、幡屋という小駅に停まり、その次は大東町の中心、出雲大東である。ここはモダンな建物もあり、まあまあ開けている。ここで意外にも、10名あまりの乗車があった。以前の三江線などでも同じ経験があるが、今やこのタイプのローカル線は、沿線から主要都市への足というよりも、線内ローカル輸送の比率の方が高いのかもしれない。

 南大東に停まり、次が線名にもなっている木次。下車する人が多いが、まだ結構残っている。それなりの町で、駅舎も大きい。多分このあたりまでは、松江や出雲への通勤通学も可能なエリアであろう。

 木次を出ると、右に古びたたどん工場がある。たどんとは何だったかな、などと考えているうちに、次第に山間部に入り、レンガ造りの古びた隧道などもある。車輛は新しく、ロングシートも多くて雰囲気が今一つだが、やはりローカル線の旅はいいなあと思えるひとときである。日登、下久野と、乗降客もない小駅に停まった後、次の出雲三成は、結構な下車客がある。異彩を放っていたスーツ姿のビジネスマン3名も、ここで下車。木次や横田に比べて影が薄い主要駅で、こんなに降りるのかと思うが、駅舎もモダンで近代的な建築である。後で調べれば奥出雲町の町役場所在地である。もともとは仁多町の役場がある駅だったが、横田町と合併した結果、こちらが役場所在駅になり、横田は役場所在駅の地位を失ったのであった。であるから、スーツ姿のビジネスマンは、役場関係者ではないかと思う。

 ここでの乗車客はなく、だいぶ客が減って寂しくなった列車は、さらに奥出雲の山に分け入る感じで進む。次の亀嵩は、松本清張の「砂の器」の舞台の一つであり、駅舎に蕎麦屋が入っていることでも知られているが、乗降ゼロ。そしてその次が出雲横田。ここで残っていた数名が下車し、車内はすっかり寂しくなった。そして後ろについていた回送車がここで切り離される。その作業もあり、停車時間がかなりあるので、駅前に出てみる。小綺麗な駅前ではあるが、人の気配は乏しい。雑貨屋は開いており、ここで昼食のパンを仕入れておく。


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 出雲横田発車時点での乗客は、私の他、2名だけであった。いずれも中年男性で、一人はさっきから車内で本を読んでいたし、旅行者風でもなく、地元の利用者なのかなと思う。もう一人はおとなしく座っているだけで、カメラを出すでもないので、地元客か旅行者か不明であったが、どうやら旅行者のようである。いずれにしても、ここから先は一日3往復だというのに、この乗客数では、もはや大量輸送機関としての使命は完全に失っていると言って過言ではないだろう。寂しいが仕方ない。乗客3名に対して、運転手の他、ワンマン運転ではあるが、車掌とおぼしきJR職員も乗っている。

 出雲横田から先、備後落合までは、途中4駅。最初が八川という影の薄い駅で、その次が三段スイッチバックと延命水で有名な、出雲坂根である。八川方面からの列車は、まっすぐそのまま出雲坂根駅に突っ込んで停車する。この駅が近づくと、驚いたことに、車掌のような社員が、マイクで車内に向かって出雲坂根駅の解説を始めた。といっても乗客は私を含め僅か3名である。この駅に着くと、鉄道マニアっぽく見えなかった他の2名の乗客も、ホームに降りてきた。まあ何というか、積極的な鉄道マニアではなく、移動のついでに興味半分でこのルートを選んでみたという程度の人達だろうか。私もそうだといえばそうなのであるが。


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 数分の停車時間を、駅前に出たり、駅構内の写真を撮ったり、延命水(写真左下)を飲んだりして過ごす。発車時刻となり、運転手はこれまでの後部に移動している。発車すると、これまで走ってきた線路を進行左下に見ながら、山を登っていく。


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 つい今しがた走ってきた八川方面の線路が、左下すぐそばに見える。大した距離ではなく、道さえあれば、普通に歩けそうである。鉄道が勾配に弱いことを如実に知らされるところではある。こんなローカル線ではあるが、冬季は雪も結構降るのであろう、ポイントの部分はシェルターで覆われている。


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 行き止まって、運転手が再度移動し、また逆方向に走り出す。さらに勾配を登っていく。しばらくの間、進行右側に、これまで通ってきた2本の線路が両方見える(写真右上)。そして出雲坂根駅をはるか下方に見下ろすのであるが、間には木々が深く生い茂っており、ずっと眺望良好というわけではない。それもしばらくすると見えなくなり、列車は隧道に入る。出ると、今度の見ものは、国道のループ、通称おろちループである。鉄道より道路の方が設備も規模も大きいから、正直、鉄道のループより見ごたえがある(写真左下)。もう一つ隧道があり、ぐるりと回ると、中国地方で一番標高の高い駅、三井野原に着く。出雲坂根からの営業キロは、6.4キロだが、直線距離なら2キロちょっとと思われる。鉄道がそれだけスウィッチバックと遠回りで山を上ってきたのである。


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 三井野原を出るとほどなく県境を越え、島根県から広島県に入り、斐伊川水系から江の川水系へと移る。県境に隧道はなく、あとは山を徐々に下る感じで、もう一つ、油木という小さな駅に停まると、その次が終着の備後落合である。出雲横田から備後落合までは、途中駅での乗降客もなく、私を含め3人の乗客と2人のJR社員を運んできたことになる。その社員の方と少し話をしたが、今はこの区間は定期利用者もなく、何とか観光客誘致でつないでいるとのことであった。

 右手に広島方面からの芸備線が合流してくると、列車はゆっくりと終着の備後落合の構内へと入っていく。かつて急行列車が行き交った頃は、駅は山峡なりに活気があり、そば屋などもあったという。その頃にも私は通っているのだが、格別の記憶がない。しかし今の備後落合は、分岐駅なのに無人駅で、駅前もすっかり寂れてしまい、むしろ特徴的であり、印象的である。この時間は3方向から列車が着き、相互に接続をして3方向に発車していくという、この駅が一日で一番賑わう時間であるが、この列車にしても乗客はこの通り3名だけだし、他も似たようなものであろう。だから、殆ど人のいないひっそりとした終着駅を期待していたのだが、何とホームが人でそれなりに賑わっている。殆ど年寄りの中に、制服のようなものを着た女性が立っているのを見て、わかった。団体客なのである。こんな観光地でもない所で列車を使っての団体とは、期待していた雰囲気を味わうには興ざめだが、ローカル線の活性化に多少でも役に立っていると思えば、悪くは言えない。


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 備後落合では、三次からの列車が一番最初に着いており、次がこの木次線、そして新見からの列車が最後に着く。私は駅を出て駅付近をしばらく散歩してみた。かつては駅前旅館などもあったらしいが、今はひっそりとした山間の集落である。しかし駅からすぐ国道に出られ、そこは車もそこそこ通るし、バス停もある。特に秘境というわけではなく、普通にどこにでもある日本の山間集落と言ってしまえばそれまでだ。しかし、それがかつての急行停車駅であり、鉄道路線のジャンクションの駅前だということは、やはり特筆すべきことであろう。


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 駅に戻る。さきほどの年寄りの団体は、何と私の乗る新見行に乗っていた。十数名であろうか。その大半が、前方に4区画あるボックスシートとその回りに座っている。女性のガイドが「この線は1日3本しかないので、乗り遅れたら大変ですよ~」などと解説している。悪いが近くには行きたくないので、私は一番後ろのロングシートの端に座る。向かいには一人、お婆さんが座っている。それ以外には乗客がいない。木次線から乗り継いだ男性2名は、どちらも三次行に乗ったようで、その他、三次行には、新見から乗り継ぎの客もいたのか、数名の客がいる。絶対数ではこちらが多いが、団体を除くと、私と目の前のお婆さんの2人だけみたいである。


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 発車してほどなく、その目の前のお婆さんの所にガイドがやってきて、何やら話しかけた。何とこのお婆さんも団体客の一人だったのである。つまり、この団体客がいなければ、この列車の客は私だけだったのだ。ということは、乗客ゼロで走る日も珍しくないに違いない。これには改めて愕然としてしまった。

 一日3往復にまで減らされて、もはや鉄道としての存在意義を失ったかのような、元準幹線とも言うべき芸備線の枯れた雰囲気は、団体客が乗っていても、侘しい。線路の保守整備にも金がかけられないからであろう、あちこちに超徐行区間がある。景色は素晴らしいが、列車本数の少なさに比例して他線区よりも素晴らしいというわけではなく、基本的には地味な中国山地の中を、左右にカーヴを繰り返しながら、小型1輛のディーゼルカーは、淡々と進む。最初の停車駅道後山は、スキー場で知られ、かつては広島から臨時列車も走ったぐらいだが、今は廃墟ばかりが目立つ寂しい集落である。その次の小奴可は、それよりは大きな集落があり、ここでおばさんが一人乗ってきた。そして、人家も殆ど見られない内名、少し里に下りた感じで古い駅舎も残る備後八幡(写真右上)と停まり、その次が東城。ここから先は本数が倍増するので、備後落合からここ東城までが、一日3往復という究極のローカル区間であった。その間の乗降客は、小奴可で乗ってきたおばさん1名だけであった。

 東城は、帝釈峡という観光地の最寄り駅である。お年寄りの団体は、ここで下車した。駅前に迎えのマイクロバスが停まっていたから、これで帝釈峡に向かうに違いない。東城から新見までは、一日6往復と、本数が倍増する。東城はそういう意味があるぐらいの、中規模な町である。しかし、その東城からも乗車はおばあさん1名だけであった。そもそも東城は県境の町であり、ここは広島県、しかし列車はこの先で岡山県に入る。列車の本数からしても、沿線風景からしても、県境は東城と備後落合の間にあった方が実感があるのだが、そうではない点にも、この芸備線というローカル線の利用者減の原因があるかもしれない。

 東城を出ると、これまでに比べれば風景もだいぶ開け、長閑な山里という感じになる。その次の野馳では、小奴可からのおばさんが下車。一日3往復の芸備線を使いこなしている数少ない沿線住民のようだ。その次の矢神で、東城からのおばあさんが下車し、私一人になるかと思ったら、若い女性が一人乗ってきた。その後は、モダンな駅舎のある市岡も、新しい簡易待合室がある坂根も乗降客はない。左から幹線である伯備線が合流してきて、乗換駅の備中神代、ここも乗降ゼロ。備中神代を出ると、再び山峡に入り、蒸気機関車時代の末期に三重連の撮影地として知られた布原に停まる。この布原は、昔は時刻表にない駅というか、信号場だったのだが、今も伯備線の駅でありながら、伯備線の電車は停まらず、芸備線の気動車だけが停車する、ホームの短い駅である。しかし乗降客はいない。そして最後の疾走という感じで、伯備線を快走して、人家が増えてくると、終着駅、新見である。


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 かつては鉄道の要衝として栄えた新見も、今はひっそりとしており、実質的には伯備線の途中駅と言っても過言ではない程度になってしまった。それでも山間を走る芸備線から着いてみれば、それなりの町であり、駅前にビルもある。けれども人の姿は少ない。鉄道が寂れてしまった典型例をいやというほど見せつけられた旅ではあったが、楽しかった。けれども今後のこれらの路線の存続については、予断を許さないのではないかと強く感じた旅でもあった。
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by railwaytrip | 2009-04-21 11:21 | 中国・四国地方

スカイレール・みどり口~みどり中央

 山陽本線の瀬野駅は、かつては機関区を有する構内の広い駅であった。ここと次の八本松の間は「セノハチ」として知られる急勾配区間で、貨物列車などは補機をつけなければ上ることができなかったからである。明治以来、東海道・山陽本線全線で屈指の難所だったのだ。しかしここは広島に近く、今はベッドタウンとして人口が増加している。今の広島の人にとって、瀬野はそういう郊外の住宅地駅というイメージが強いと思われる。

 いつの頃からか、大型時刻表の巻頭にある路線地図に、この瀬野から短い私鉄の路線が描かれているのに気づいていた。調べてみると、広島短距離交通瀬野線という路線で、通称スカイレールで通っている。開業は1998年で、路線長は僅か1.3km、途中に1駅がある。運賃は150円均一。JRの駅と住宅地を結ぶ新交通システムらしいということはわかったが、それにしてもたった1.3kmでは、普通なら歩いてしまう距離だ。果たして鉄道路線として経営が成り立つのだろうか。

 広島から山陽本線の上り列車に乗り、瀬野駅で降りてみる。その昔、広い構内と機関区を有したこの駅も、だいぶ整理されたようで、ごく普通の小綺麗な途中駅になってしまっていて、かつての面影は殆ど消えている。駅もモダンな橋上駅で、東京でも都市郊外にはこんな駅が沢山ある。しかしここは地形的には山が迫っており、平地が少ない。


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 スカイレールのみどり口駅は、JRの橋上駅の改札を出て右(山側)へ行くと、そのままつながっている。雨の日も傘無しで乗り換えのできる、実質的な同一駅である。みどり口などという駅にするよりも、同じ瀬野にした方が、すんなり乗り換えられる印象を与えて良いと思うのだが、住宅開発会社側は、それよりも住宅地への入口という意味合いを強調したかったのだろうか。

 僅か1.3kmに、こういう路線が何故必要か、それは来てみてわかった。駅からいきなり、かなりの急勾配なのである。1.3kmは、平地なら歩いても知れている。しかし、急坂の1.3kmとなると話は別だ。奈良県の生駒には、0.9kmの距離を走るケーブルカーがあって、通勤通学客を運んでいる。

 構造を見ると、千葉や湘南のような、懸垂式モノレールのようである。しかし実際の車輛を見て驚いた。これはモノレールというよりは、スキー場にあるゴンドラではないか。ここまで行くと、これを鉄道と呼んでいいものかどうか、と思ってしまうが、日本の鉄道全線乗車を目指す人は、やはりこれにも乗らないといけないのであろう。実際、駅にはちゃんと時刻表があり、切符の自動販売機があり、150円を投じて切符を買うと、今度は自動改札がある。これはスキー場のゴンドラではなく、鉄道である。その自動改札に切符を入れると、回収されてしまった。全線2駅で均一運賃なので、乗車時に切符を回収して終わりらしい。

 そのゴンドラのような車輛は、座席定員8名。ベンチのような椅子が、ゴンドラの中に向かい合わせにあり、4人ずつ座れる。立客用に吊革もある。平日の朝、通勤時間が終わる頃だったので、住宅地に向かうゴンドラに乗る人は少なく、私の他に若い女性が1人だけであった。この狭いゴンドラで、若い女性が見知らぬ人と二人だけで乗り合わせるのは、特に夜など、不安ではないだろうか。

 発車すると、すぐ急勾配を上りはじめる。眺望そのものは素晴らしいが、眺められるのは山の中の新興住宅地である。そして2分ほどすると、唯一の中間駅、みどり中街駅である。おりからみどり中央からの列車(鉄道的には上り列車になるのだろうが、坂を下る列車)もやってきた。日中は15分間隔で、両方の駅を同時発車なので、この中間駅あたりですれ違うことになる。ちなみに全区間複線である。ケーブルカーのように単線にして、中間駅で行き違いの交換にしても十分なような気もするが、複線にしておけば、この小さな車輛でも、続行運転によりかなりの人を運べるので、片輸送になりがちなこういう路線では、通勤通学時間には必要なのかもしれない。みどり中街では、みどり口行きの列車には4名ほど乗車していた。こちらは乗っていた若い女性はここで降りてしまい、私一人になった。

 その先もさらに山を上ってゆき、下に瀬野駅を中心とした風景がパノラマで広がる。ケーブルカーと違うのは結構カーヴがあることで、このカーブは勾配緩和の役割もあるのかもしれない。そしてほどなく終点のみどり中央に着いた。所要時間は5分。


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 みどり中央というからには、大規模な住宅団地の中心地として、駅の周りに商店とか郵便局ぐらいはあってもよさそうだし、何となくそんな所を想像していた。東京郊外の何とか団地というバスターミナルは、団地用の商店が集まっているような所も多い。しかしここは、普通の住宅地の中にポツンと駅施設が存在するだけで、店一軒となかった。写真左下はこの駅の下からの眺めである。帰りは下り坂なので歩いて戻っても知れているだろうと思ったが、ただの新興住宅ばかりの中を歩くのはあまり面白くないので、また乗って戻った。戻る列車は、みどり中央から男性が1名だけで、途中のみどり中街では乗降客はなかった。そのみどり中街付近ですれちがった列車(写真右下)は乗客ゼロであった。

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 朝夕の通勤通学時間帯は活況を呈しているのかもしれない。しかし、純然たる住宅地への足ということで、日中は座席8人の小型車輛ですら空気輸送の状態である。何となく、2006年に廃止された桃花台新交通を思い出さずにはいられなかった。そして最後に、車輛とか列車と記述したものの、実際にはそういった用語を使うにも違和感があることを付け加えておく。
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by railwaytrip | 2008-11-19 10:30 | 中国・四国地方

徳島線・学駅

 徳島からは、高徳本線、徳島本線という2つの本線が出ている。但し現在、JR四国は本線と呼ぶことを廃止して名称を変えてしまった。いずれにしても、元・本線はこの2線である。一般的に考えると、県庁所在地間を結ぶ高徳線の方が幹線らしい幹線で、県内の阿波池田とを結ぶ徳島線の方はローカル線ではないかと思える。確かに特急の運転本数を見るとそうなのだが、ローカル列車に関しては逆で、県境を越える高徳本線は、途中で本数が激減するし、実際乗ってみると県境付近はかなり寂しい。それに対して徳島線は、吉野川沿いの開けた所を走るので、どこまで行っても結構人家も目立ち、普通列車の利用者がそれなりに多い。これもひとえに大河である吉野川のおかげであろう。

 徳島から普通列車で40分ほどの所に、学(がく)という漢字一文字の駅がある。特急の停まらない小駅であるが、駅舎もあり、交換設備もある、ローカル幹線の中級クラスの駅である。いつの頃からか、受験生のお守りとしてこの駅の入場券が売れ始めたため、結構良く知られている。もっとも受験生がわざわざこの駅まで入場券を買いにくるわけではなく、郵送での注文が殆どらしい。ともあれ話題性のある駅、ちょっと下車してみた。


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 相対ホームの交換駅で、構内は結構広い。長大編成の列車同士が十分行き違いできるが、今は3輛ぐらいまでであろう。駅舎は木造で、上に櫓がついているのがユニークだ。この地方の標準建築というわけでもなく、このあたりでも学駅だけらしい。とにかく思ったよりは立派な駅らしい駅で、駅前には「学タクシー」もある。但し商店はない。待合室には、列車を待っているのかどうか、地元の人が2人ほどいる。切符売場の窓口もあるが、閉まっている。

 駅前に車が停まり、おばさんが降りてきた。駅舎に入ってきて、「あら、閉まっているのね」という。待合室にいた人が「午前中だけですよ」と答える。「あらそうなの、残念ね。車で通りかかって、ああ、ここかあ、と思って寄ってみたんですよ」とのこと。もとより鉄道マニアでも切符収集家でもない普通のおばさんと思われるが、そういう人がこんな風に立ち寄ってくれる程度に知名度も上がっているようだ。


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 阿波池田行の列車がやってきた。平日の昼下がりで乗客は少ないが、地元の人が数名下車した。駅名以外にこれといったことのない平凡な所であるが、地元の利用者がしっかりいる。こういう輸送機関としての鉄道本来の姿がまだしっかり見られるのは嬉しい。
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by railwaytrip | 2008-07-02 13:49 | 中国・四国地方

三江線・江津~粕淵

e0028292_1302841.jpg 江津15時07分発の三次行は、長大ローカル線・三江線でも数少ない全線走破列車の一本だ。もっとも全線走破しようがしまいが、今の三江線は、一部の鉄道ファン以外、全線乗車などしない、細々とした地域輸送に徹したローカル線である。山陰線の普通列車と同じく小さな1輛の気動車だが、山陰線はまだそれなりに客が乗っていた。乗り換えてみると、乗客は全部で10名。山陰線からの乗り換え客は3名ぐらいいたようである。全線走破列車、それも夏至に近いこの季節、終点三次まで明るいうちに着ける唯一の列車だから、鉄道マニアの一人ぐらいいるかと思ったが、6月の平日とあっては、それっぽい乗客も見かけない。地元のローカル利用者ばかりである。

e0028292_1305894.jpg 江津を出ると山陰線とあっさり分かれて内陸に向かい、すぐに江の川が寄り添ってくると、すぐ最初の駅、江津本町に停車する。駅名からすれば、ここが江津の市街地に近く、ここでかなりの乗客を乗せて、となりそうだが、乗降ゼロ。駅周辺は人家もまばらで閑散としており、始発駅近くからしてこれでは、この先線路は一体どんな所へつながっているのだろうと思ってしまう。

 今日乗車するこの三江線の北側区間は、全線開通するまで、三江北線と呼んでいた区間だ。江津側から徐々に延伸され、浜原まで開通したのが戦前の1937年と、古い。そのためか、軽便鉄道規格に近いようである。ひたすら江の川に沿って走る眺めの良い線区であるが、スピードは遅く、今日、完全に時代遅れの交通機関となっているようである。しかもやたらと30キロ程度の速度制限区間がある。「偉大なるローカル線」と呼ばれる山陰本線の単行気動車から乗り継いでも、遅さが際立っていると感じる、そんな遅さである。

e0028292_1321044.jpg 江津本町に続く千金も乗降はなし。その次の川平は、交換設備が撤去されて単線の停留所になった駅で、ここで1名下車、続く川戸(写真左)はもう少し大きなまとまった集落があり、やはり元交換駅。木造の駅舎が残っている。ここで4名が下車し、江津発車時の乗客の半分が既に降りてしまった。これは思った以上に寂れたローカル線である。けれども沿線の眺めは素晴らしい。江の川は下流でも川原を作らず、水量豊かに滔々と流れている、日本では珍しい川だ。古い線路だけに、その川の流れに忠実に沿って走っているのだが、それが裏目に出て今日では時代遅れの乗り物になってしまっているのだ。もっともトンネルと鉄橋で短絡して高速で走ったとして、この沿線人口の少なさでは、やはり需要は知れているだろうが。

e0028292_1334976.jpg この先どうなるかと思っていると、次の田津では男子中学生が4名乗ってきた。そのうち1名は、次の石見川越で降り、残る3名はその次の鹿賀で降りた。その次の因原(写真左)はちょっと大きな集落で、古い木造の駅舎も残る立派な駅だが、乗降はない。その次の石見川本(写真左下)は、江津から1時間も乗ってやっと最初の交換駅である。かつてはもっと多くの駅に交換設備があったが、極限までの合理化の結果、こうなってしまったのだ。跨線橋もある立派な駅らしい駅で、乗っていた客は、ここで私ともう一人を除き全員が下車した。駅舎は反対ホーム側だが、降りた客は跨線橋を渡らずに線路を平気で横切っているあたり、やはりかなりのローカル線である。けれどもここでは下車より乗車の方が多く、高校生など10名ほどが乗ってきて、少し活気が出てきた。三江線の北半分は、江津や山陰線と内陸を結ぶ足というよりは、内陸の相互でのローカル利用がかろうじて残っている線なのかもしれない。

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 線路は相変わらずカーヴが多く、極端な速度制限区間も多い。なのでスピードも出ず、遡ってもさほど細くならない雄大な江の川を堪能しながら、小さな駅に停車していく。木路原、竹、乙原、石見簗瀬と、いずれも単線に簡易なホームだけの無人駅で、各駅とも1名下車、乗車なしで、石見簗瀬発車時点では乗客は6名。写真右上は、木路原~竹間である。写真左下は、石見簗瀬駅で、小さな停留所だが、ここも木造駅舎が残る。


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 次の明塚は水田の中にある駅で、ここは乗降ゼロ。だいぶ遡ったようでも、まだまだ川幅も広く滔々と流れる江の川を左手に眺めながら列車はゆっくりと行く。写真右上は、明塚~粕淵間から見る江の川。そして粕淵の手前で初めて鉄橋で江の川を渡る。対岸に小さな町が見えてきた。

e0028292_1412182.jpg 渡り終わった所にある、それなりにまとまった集落は、合併前は邑智町、現在は美郷町の中心地・役場所在地で、粕淵駅はそこにある。三江線の中では主要駅だ。ただ、ここと2キロしか離れていない次の浜原が、三江北線時代の終着駅であり、運転上の拠点駅となっている。そのためか、ここ粕淵は運転上は単なる停留所の扱いだ。それでも新しくて立派な駅舎がある点、これまでの駅とは違っている。ここでは数名が下車するのと引き換えに、大勢の高校生が乗車。これまでで一番多い乗客数となり、発車していった。

 三江線は、JRで残され、廃止を免れた地方交通線の中でも屈指のローカル線である。加えて島根県というのは、いわば「過疎先進県」とでもいおうか、最も早い時代から過疎化が進んだ県である。そんな中で、新たな少子化・高齢化社会を迎え、この先どうなっていくのか。JR西日本も、当面廃止予定はないと言っているらしいが、しかしこの実情を見るに、不安で仕方がないというのが偽らざる感想である。粕淵の駅にしても、モダンな駅舎こそ立派だが、駅前も閑散としており、やはり基本的に人口希薄な地域なのが実感できる。交通需要は皆無ではないものの、三江線の古さが災いしてか、時代離れしたような遅さは現代において致命的だ。ローカル線の情緒を味わいにくる観光客や鉄道マニアには受けるかもしれないが、それだけで鉄道経営が成り立つような場所ではない。地元の日常利用を確保することが第一で、それにしてはこのスピードでは、他の交通機関に歯が立たないのではないか。しかも起点の江津は、浜田や大田といった山陰線沿いの都市と比べても規模が小さい。そういった多くの要因で、三江線の将来は、やはり不安に満ちていると実感した次第である。せめて、ある意味、日本離れしたこの江の川の雄大な流れが、観光需要を生み出してくれないものか。これといってとらえどころのない風景ではあるが、都会の人が時にのんびりするには、こういった風景をゆったり眺められる三江線ローカル列車の旅など、最適だと思う。

※ この旅行からほどなくして、三江線は水害のため長期に渡り全線不通になってしまいました。

※ 三江線に関しては、石見川本鉄道研究会という素晴らしいサイトがありますので、ご一読をお勧めします。
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by railwaytrip | 2006-06-27 15:07 | 中国・四国地方

福塩線・中畑駅

 広島県東部を南北に縦断する福塩線(JR西日本)は、地味ながら味わい深いローカル線である。格別の印象に残るものもなく、廃止が危惧されるほどの超ローカル線でもない。ならば中途半端で面白くないか、これは感じ方に個人差があると思うが、私は個人的にとても好きな線なのだ。

 もっとも、福山~府中間は都市近郊鉄道のようで、最近は沿線に近代的な建物も増えたし、車輛も通勤型ロングシートが主流ということもあり、実はあまり頻繁に乗りたくない区間である。山陽新幹線で移動中に時間が少し余った時、ちょっと乗ってみたいと思っても、府中より先まで行かないとこの線の魅力が味わえず、その福山~府中間の往復の時間がちょっとネックなのである。

 この日は岡山での用事までの間に、この線の途中まで足を伸ばすことができた。府中から乗った三次行が、上り列車と交換するのが備後矢野であるから、その一つ手前の備後三川まで行くこともできたが、私は中畑を選んで降りてみた。中畑は府中から僅か2駅、府中市郊外に属するので、普通ならあまり面白そうな所ではないと想像するであろう。

 しかしこの中畑は、福塩線全駅の中でも一番、寂しい駅ではないかと思う。もとより全く人家がないような場所ではない。けれども府中の街を過ぎて、狭くなった芦田川が線路に寄り添い、そのほとりにポツンと存在する、単線の小さな無人駅は、ここを通るたびに気になっていた。

 ちなみに、もし中畑を下車駅に選ばなかったら、その次の河佐か、備後三川を選んだことになる。これら2駅の駅周辺は、福塩線の中でもそれなりの集落を形成している、一応の町である。そういった山峡の町を訪問するのもそれはそれで面白かろうと思ったのだが、今回は、自然溢れる中畑に軍配を上げた。実はもう一つ、昔は河佐と備後三川の間に八田原という駅があった。残念ながらここはダムに沈んでしまい、駅は廃止となり、線路も付け替えられて長い隧道で抜けてしまっているのである。八田原が健在であったならば、恐らくこちらを選んで降りていたと思う。


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 下り三次行で中畑で降りたのは、私の他に一人のおばさん、上り府中行に中畑で乗車したのは、私の他に一人のおばさんと、あと土曜にもかかわらず、きちんとスーツにネクタイ姿の中年のおじさんも一人。という具合に、利用者が皆無に近い駅ではない。確かに少ないものの、駅周辺にも住宅は散在しており、さらに山の中腹にもまとまった集落が見られる。駅を降りてすぐ、芦田川を渡る橋があり、国道に通じている。そう、この駅は川を隔てて国道の対岸にあるのが良く、それゆえの静寂感がある。国道側にも同じ「中畑」という名のバス停があったが、あちらも本数が少ないようであった。


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 もう一つ印象的だったのが、草に埋もれた廃便所(写真右上)。かつてはもう少しきちんとした駅前があり、これが駅のトイレだったのだろうか。今はホームの少し下の方で草に埋もれており、無理して行こうと思えば行けないこともないが、とても使用する気にならないであろう。恐らくもう使われなくなってかなりの年月が経っているものと思われた。
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by railwaytrip | 2005-06-25 08:30 | 中国・四国地方