カテゴリ:北海道地方( 4 )

根室本線・滝川~新得

 根室本線は、滝川から根室までの幹線であり、滝川はその起点である。しかし、石勝線開通後の今日、新得~釧路間のみが幹線らしい姿で残り、滝川~新得間はすっかりローカル線になってしまった。それでも石勝線開通からしばらくは、札幌から滝川回りの急行「狩勝」が残っていたように記憶しているが、それがなくなって、もうどのぐらい経つのであろう。とにかく現在、滝川~新得間は実質ローカル線である。その区間を走破する普通列車に乗ってみた。滝川15時22分発の新得行である。滝川駅は改札のすぐ横、1番線から発車する。

 列車はキハ40型で、たった1輛であった。昔ながらの気動車列車ではあるが、1輛というのが寂しい。起点の滝川では座席が半分弱の埋まり具合であろうか。ざっと30名程度の乗客数だ。時間帯からして高校生がどっと乗っていてもおかしくないが、殆どおらず、中高年の一般客が多い。

 この旅の前半区間は空知地方を走る。空知といえば、かつて炭鉱で栄えた地域として名高い。だから、炭鉱が閉山された今は寂れているという見方が一般的だ。しかしそれにも地域差がある。起点の滝川は、函館本線の特急停車駅でもあり、空知の中ではまだ活気がある。とはいえ、大きな街ではない。根室本線がローカル然としてしまったのも、起点の街の規模による面もある。せめて滝川が旭川ぐらいの規模の都市であったなら、なんて考えても仕方ないのだが、とにかく、乗客が少ない時間帯ではないのに1輛の気動車で座席が半分も埋まらないあたりに、今の根室本線のローカル線ぶりが出ていると思う。写真右下は、滝川発車後の車内。


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 最初の駅が、東滝川。こういう駅名は内地だったら滝川から近いのが普通だが、北海道はその点が違い、7.2キロもある。しかし乗降客はいない。次が赤平で、ここはかつて炭鉱で栄えた赤平市の玄関口だ。斜陽の街に似合わず、と言っては失礼かもしれないが、立派な新築の駅舎がある。しかし駅の裏には石炭積込み施設跡が生々しく残っている(写真左下)。ここは流石に市の中心駅だけあって、数名が下車し、乗車もある。その次の茂尻も炭鉱のあった所で5人下車、平岸はおばさんが1名だけ下車という感じで、どこも駅付近にはそれなりの集落が見られる。茂尻には新しい炭住と思われる建物すらあった。


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 段々と雪が深くなってきて、次が芦別(写真右上)。芦別市の中心で、赤平より一回り大きく、滝川~富良野間では最大の街だ。やはり炭鉱で栄えたので今は人口も随分減ったが、ここはまだ、炭鉱以外の産業もあるからなのか、寂れ方が小さい気がする。利用者も多く、大半の客が下車し、乗車もある。1輛のローカル線の中では十分活気のある中核駅と言える。駅員は女性で、列車に向かっておじぎをする。

e0028292_230133.jpg 炭鉱地帯なので、炭鉱も住宅も一ヶ所に固まることはなく、あちこちに散らばって存在していたはずである。そのため次の上芦別なども、かつてはそれなりの住宅地であったと思われる。しかしこの列車の乗降客はなかった。ただ、跨線橋で上り列車を待っているらしい客が2名いる。というように、このあたりはまだ無人地帯にはなっていない。人の気配、生活の匂いが十分感じられる。そして次の野花南で上り列車と行き違う(写真左)。炭鉱の香りが薄れ、山が迫ってきた。ここも駅前商店がある。

 野花南の次は、かつては滝里という駅があったが、ダム湖に水没してしまい、廃駅となり、線路は長い隧道に付け替えられた。そのため、野花南から島ノ下までは13.9キロもあり、15分ほどかかる。滝川からほぼ1時間の島ノ下は、山峡の寂しい駅で、ここは乗降客はなかった。

 次が富良野である。富良野線が合流する鉄道の要衝なので、近づくと貨物線や引込み線が増えて構内が広がり、コンテナが積んである所もあり、大きな駅に近づいたという印象を与えてくれる。人口もこの沿線では多い。といっても2万4千人程度だそうである。ただ、赤平や芦別と大きく違うのは、観光都市のイメージが強い点だ。ラベンダー畑、スキー、ワインなど、富良野の一般的なイメージは良い。しかしそういった富良野観光の中心地、特にラベンダー畑などで有名なのは、ここ富良野駅よりは、富良野線の美瑛から中富良野の方面であり、それらへの輸送は旭川とここを結ぶ富良野線の役割となる。実際、富良野線は、北側は北海道第二の都市旭川の近郊輸送でそこそこ栄えているし、南側はそういった観光路線のイメージが強く、要するに明るい感じがする。それに比べると、私が今回乗っている根室本線は、ひたすら渋く、枯れた味わいがある。その渋さこそが根室本線の魅力だと思うし、私はこちらの方が好きだが、一般の観光客に乗ってもらうには、もっと具体的な何かが必要なのだろう。


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 16分停車の富良野では、私と一人の男性客を除き、全員が下車した。代わって同数ぐらいの客が乗り込む。停車時間が長いのでホームに下りてみる。観光客がホームの置き人形をバックに記念写真を撮り合っていたが、後で車内で会話を聞いて、中国人とわかる。多分台湾人であろう。滝川から富良野までは、車中にも車窓にも、およそ観光といったイメージが全く存在しなかったのだが、富良野に来てそれが変わった。とはいえ、列車が観光客で溢れたわけではなく、富良野から帰宅の途につく高校生も十数名という感じで、やはり生活列車には違いない。

 16時44分、定刻に富良野を発車。一瞬華やいだかと思ったが、動き出せば渋い根室本線の旅が再開され、今度は富良野盆地を南へ、引き続き空知川を遡りながら進んでいく。富良野発車時点での乗客は、今までで一番多い。それが、布部3名、山部7名、下金山2名、金山1名と、駅ごとに下車していき、空いてきた。時間的にも帰宅列車なのである。金山では二度目の列車交換がある(写真左下)。野花南同様、上下のホームが互い違いになっており、停車中に相手の列車が横に見えない構造だ。


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 金山を過ぎると金山湖が広がる。4月なのにまだ結氷しており、中国人観光客が珍しそうに眺め、カメラを向ける。この区間の車窓は景色が良く、変化に富んでいる。そんな景色をのんびり眺めていると、突然警笛がなり急ブレーキがかかる。何かと思えば、鹿が列車の直前を横切ったのだ。その鹿が3頭、振り返って列車を眺めている。彼らもやはり冷や汗をかくのだろうか。そして金山湖が目の前に広がる東鹿越。左手の車窓は景色が良く、観光客に降りてもらっても良さそうな立地だが、右手の駅裏が荒々しい採石場なので、無理かもしれない。ここは民家は殆どなく、乗降客もいない。ホームに石灰石の見本が置いてある(写真右上)。駅裏で採れる石なのだろう。


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 次が南富良野町の中心駅、幾寅で、かつては急行停車駅であった。しかし、幾寅のはずなのに、一段低い所にある駅舎にかかっている駅名標は「ほろまい」であり、「ようこそ幌舞駅へ」という大きな看板が掲げてある。これは映画「鉄道員」のロケのためらしいが、ロケが終わった後も、観光用に名前を残してあるらしい。浅田次郎作のそのオリジナルの小説は、私も読んだが、イメージとしては、炭鉱地帯の行き止まりの盲腸線で、廃止になった幌内線、万字線か歌志内線あたりがモデルかと思われる。幾寅はどう考えても結びつかないのだが、現存している駅を使う以上は、まあ仕方ないだろう。その幾寅では6名下車し、乗車も2名あった。富良野からの女子高生も一人下車、所要50分と、結構な長距離通学だ。夕暮れのホームにポツンと降り立った所は絵になる。


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 幾寅を過ぎるとだいぶ山も深くなり、人家もめっきりと減る。そしていよいよ狩勝峠越えの手前最後の駅、落合に着いた。ここでは男子高校生が3名下車し、跨線橋があるのに渡らずに、列車の後ろの線路を横断している。運転手もいつものことなのか、いちいち咎めないようである。狩勝峠を控えた落合は、かつては補機の増解結などで忙しい駅だったはずである。そんな時代はとうに過ぎて、今は山峡の無人駅になっている。ここ落合と次の新得との間は、28.1キロもあり、長いこと、在来線の最長駅間距離として、鉄道豆知識などに登場していたものだった。

 落合発車時点での乗客は、私を除き6名で、そのうち3名が富良野から乗った中国人旅行者、2名は幾寅から乗ってきた女性で、あと1名は、多分富良野から乗っている中年男性である。というわけで、滝川からの全区間を通じて最少の乗客数となり、最長の駅間距離に挑むわけだ。とは言っても、数分走って隧道に入ると、早くも右側から石勝線が合流してくる。そこが隧道内にある上落合信号場である。この信号場は、石勝線開通以前から存在しており、後から石勝線が開通し、合流地点に選ばれたというわけである。従って、ここから先は、札幌からの特急でも通る区間であり、単線の線路は根室本線と石勝線の二重戸籍になる。二重戸籍区間の距離は24.1キロにも及ぶ。これは日本一の長さであろう。

e0028292_2325679.jpg 根室本線に石勝線が合流してきたとは言っても、実質は石勝線の方が幹線である。高速運転に完璧に対応している石勝線は、線形も良く、最高速度の設定も高いのであろう。今や老兵とも言ってよいキハ40型気動車も、ここからスピードが上がる。右へ左へと大きくカーヴを繰り返しながら峠道を行く。遠くに見える新得の町の夕景が、徐々に近づき、そして夜景へと変わりつつある薄暮の中を、1輛の気動車は快調に飛ばし、定刻18時08分に終着新得に到着した。落合から新得までの所要時間は24分なので、この区間の表定速度は70キロに及ぶ。かつて日本一の駅間距離だったということもあり、長いぞ長いぞと思って乗っただけに、むしろあっという間であっけなく着いてしまった感じがする。新得での下り列車接続は18時25分発、始発の帯広行で、中国人の3人連れが乗り換えていた。私は乗車の目的を終えたので特急で札幌へ向かうのだが、そういう乗換客はいなかったようである。
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by railwaytrip | 2009-04-08 15:22 | 北海道地方

石北本線・白滝~上白滝

 上白滝は、一日に1往復しか列車が停車しない駅として有名になってしまった。それは列車本数の削減と、周囲の駅の廃止などによって結果的に生じたに過ぎないのであるが、廃止されてもおかしくない駅が、あえて残ったとも言えるのかもしれない。何はともあれ、興味をそそられる駅ではある。

 春休みもほぼ終わった4月上旬の夕方、白滝駅にやってきた。ここは旧・白滝村の中心駅で、一応の集落であるし、特急も停車する。もとより活気はないが、生活の香りは十分ある。しかし今や特急停車駅といえども無人駅が珍しくない時代になった。駅舎こそ立派だが、駅員はおらず、切符も売っていない。なので勝手にホームに入り、列車を待つ。他に列車を待つ客は誰もいない。ほどなく遠軽方面から列車がやってきた。ディーゼルカーの2輛編成、ワンマン列車である。17時02分発普通列車旭川行。


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 無人駅なので、降りる客は一番前の運転手のいるドアから降りてくる。数えてみると4名。意外にも殆ど若い人であった。遠軽にでも遊びにいった帰りであろうか。それを見届けてから1輛目に乗り込み、整理券を取る。そしてデッキから客室に入って愕然とした。客が全然いないではないか。念の為、1輛目を前から後ろまで歩いてみたが、正真正銘、他に乗客はゼロであった。ここから先は一日1本だけの普通列車である。これでは列車自体の存続すら危うい。

 白滝から上白滝までは、3.3キロと、近い。長閑な北海道の田舎を3分も走ると、すぐに列車は減速し、テープの女声のアナウンスが、上白滝到着を告げる。すると、2輛目から若い女の子が一人、移動してきた。上白滝で降りるらしい。白滝で降りた若者同様で、遠軽あたりに出かけた帰りだろうか。しかし白滝なら何本かの列車があるが、上白滝からだと、朝は07時04分発の1本だけしかない。ということは、朝はその列車で出かけたのだろうか、それとも行きは親に白滝まで車で送ってもらったのであろうか?できれば話を聞いてみたいところだが、上白滝に着くと、当然ではあるが、さっさと行ってしまった。こちらは列車の発車を見届けたいのでホームにとどまる。


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 運転手は、私とその女の子から「ありがとうございました」と丁寧に挨拶しながら運賃を収受し、それを終えると、2輛の車内を巡回していた。ダイヤに余裕があるようで、時計を見ると、17時08分の発車時刻までまだ2分ぐらいある。列車はここ上白滝を出ると、次の上川までは実に1時間8分もかかるのである。その間、人家もない山の中を孤独に耐えながらひたすら運転するのだから、何人の客が、そしてどんな客が乗っているのか、確認したい気持ちはわかる。乗客ゼロの日も珍しくないのかもしれない。ナイフを持った客が一人だけなんてことがあったら、と、飛んでもない発想も湧いてくるが、1時間も駅も人家もない所を走るのだから、考えようによっては恐ろしいことである。今はまだ良いが、冬だと全区間が日没後だ。

 駅の先にある踏切が鳴り始めた。そして時間になり、ドアが閉まり、発車。列車はゆっくりと動き出した。2輛目に客がいたかどうか、確認できなかったが、いずれにしても、殆ど客もいない状態で、相当な燃料を消費しながら、長い山越えに挑むのである。ゆっくりと走り去る気動車の後ろ姿は、この上なく侘しげであった。


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 さて、列車を見送った後、上白滝駅周辺を観察する。駅舎は古い木造の好ましいものだ。奥白滝など他の駅が廃駅になった中で、ここだけは生き残った。それにはちゃんと理由があって、駅周辺にそこそこの人家があるのだ。駅のすぐ横には工場もあり、駅前の国道の向かいには商店もある。廃屋かなという家も見られるが、住人も結構いるようである。農業か林業で暮らしている人もいるだろうし、車で白滝や丸瀬布、遠軽などに通勤している人もいるのかもしれない。

 このように、一日1往復しか停車しないとはいえ、それなりの人家があるので、普通列車がある限り、この駅も廃止にはならないであろう。しかし、こうしてみる限り、廃止の危惧が高いのは、上白滝駅そのものよりも、この区間(上川~白滝)の普通列車である。ここは険しい峠越えなので、かなりの燃油を消費する筈である。そこをかくも空気輸送の列車を走らせることは、大変な無駄であろう。特急以外というと、あと1往復、特快きたみというのもあるが、それでもこの有様では近い将来、石勝線の新夕張~新得と同様、特急列車のみの区間になりはしないかと心配である。
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by railwaytrip | 2009-04-07 17:02 | 北海道地方

函館本線/宗谷本線・札幌~天塩中川

 日本の最北端を目指す宗谷本線。今日、本線とはいえ、実態はすっかりローカル線になってしまっている。今日は札幌から、その半ばにある天塩中川まで、特急スーパー宗谷の旅を楽しむことにした。


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 宗谷の発車時刻である8時30分は、札幌駅の朝ラッシュのピークだ。東京ほどではないというものの、札幌駅には各方面からひっきりなしに通勤列車が到着し、大勢の人を吐き出している。大都会の通勤風景がすっかり定着している。その人混みの激しいホームから、僅か4輛の特急が発車する。とはいえ、旭川までは30分間隔の都市間特急列車の役割も担うため、このスーパー宗谷は日によっては大変混雑する。今日はそれほどでもなく、普通車指定席は8割の乗りであった。早めに押さえてあった私の指定席は進行右側の窓側。隣の席にはおばさんが座った。手に滝川までの切符を持っているのが見えた。稚内行といえども、短距離利用者の方が多いのかもしれない。

 江別までの沿線は、すっかり住宅に埋め尽くされてしまった。江別を過ぎて、夕張川の鉄橋が近づくあたりで、ようやく北海道らしい広々とした風景に出会う。しかしその次の豊幌は、昔は小さな無人駅だったのに、今は駅周辺に新しい住宅がかなりできている。日本の大都市近郊では、まだまだ鉄道沿線から開けていくケースも多いようだ。幌向、上幌向も、昔は札幌近郊であることを忘れるような田舎の集落だったが、今は新しい住宅が見られ、新興住宅地らしくなりつつある。けれどもそれも岩見沢までだ。

 岩見沢を出れば流石に札幌郊外の雰囲気は消えうせ、広々とした空知の田園地帯を列車は快走する。検札に来た初老の車掌が、隣のおばさんの切符を一旦見た後、もう一度戻ってきて「すみません、滝川でしたか。失礼しました。滝川、深川、旭川と、川が続くので、最近はぼけてきて混乱してしまって」と、ユーモアたっぷりに詫びている。旅を楽しくさせてくれそうな車掌に出会えて嬉しい。その滝川でおばさんを含め、この車輛からも5人ほどが下車、続く深川は下車が少なかったが、旭川ではかなり下車し、代わって乗車する人もいるが、下車よりは少なく、車内は6割ぐらいの乗車率になった。旭川の高架化工事はまだこれからのようで、昔からの駅が健在であった。

 旭川を出るといよいよ宗谷本線に入る。比布までは旭川郊外で、住宅も散見されるが、その先は田舎の色が濃くなっていく。交換設備もある蘭留は、塩狩峠の手前にあり、平地の果てる所にある、雰囲気の良い駅であった。蘭留を出ると一気に峠道に入り、三浦綾子の小説でも知られる塩狩峠越えに臨む。新型の特急気動車は、急勾配をさして速度も落とさずに上っていく。その塩狩は、サミットにあり、温泉旅館があるものの、人家も稀な駅である。今度は峠を一気に下り、平地に降りて少し走るとやがて和寒。旭川を出て最初の停車駅である。下車したのは1人だけのようであった。和寒とはいかにも北海道らしい味のある駅名である。

 和寒から名寄までは、概ね平地で、水田が多い。その中を小さな乗降場があるかと思えば、時にちょっとした集落の駅を通過する。剣淵や風連など、町の中心であり、人家もそれなりに多いので、加減速性能も増した新型特急列車を停車させて利用増を図れないのかと思ったが、和寒の乗降客が1名だけという現状を見てしまうと、あまり意味がないのであろう。それに対して士別はかなりまとまった人数の下車客がある。やはり町と市の差は大きいようだ。駅自体も、本線の主要駅らしい風格が感じられた。

e0028292_1271257.jpg 名寄着10時44分、札幌から2時間余り。ここはかつて、名寄本線と深名線の分岐した道北の主要駅だが、今はただの途中駅だ。それでもかなりの乗客が下車する。スーツにネクタイ姿のビジネスマンもいる。逆に言うと、名寄から先は稚内まで、途中に市もなく、ローカル色が濃くなるのだ。近年、高速化改良工事が行われたのもここまでである。

 名寄の街を出て次の日進まで来ると、左から天塩川が近づいてくる。ここから先の宗谷本線は、川原も作らずにひたすら滔々と流れる水量豊富な天塩川に沿って下っていく。人家はいよいよ見られなくなり、スピードも落ちた。日進の次に最近まで智東という駅があったが、乗降客がなくなったため最近廃止された。貨車を改造した駅舎はまだ残っていた。

 美幸線が分岐していた美深は、名寄以北では大きな町だが、さほどの下車客はない。やはりこのあたりの中小の町は一昔前から比べても活気を失っているのだろうか。行き違う列車もなく、これが本線かというほどに交換駅も少ない。かつての交換駅の多くも単線化されてしまっており、使われなくなったホーム跡が草に覆われて朽ちかけているのも、各地のローカル線に共通の風景となった。美深の次の交換駅は豊清水で、駅は健在なものの、駅前に一つ廃牧場が見られる以外に人家は見当たらなかった。

e0028292_1282056.jpg そして音威子府。かつて天北線が分岐していたため、名寄以北では一つの鉄道の要衝で、村の規模に比して大きな駅があり、名物の駅そばがあり、鉄道員住宅もある。普通列車はこの駅止りや長時間停車も多く、駅名も実に北海道らしく、そのため、特に観光名所がある所ではないが、立ち寄る旅行者も多いようだ。しかしここは沿線唯一の村である。それに対して、これから行く天塩中川は、村ではなく、中川町という町なのだが、駅名も平凡な単なる途中駅という感じが濃く、宗谷本線の特急停車駅の中で、一番話題に上ることの少ない駅ではないかと思う。

 音威子府から天塩中川の間、特にその中間の、筬島と佐久の間は、天塩川にひたすら沿ってカーヴを繰り返しながら進む、この線の一つのハイライトだと思う。かつて途中に神路という駅があったが、利用者皆無となり廃止された。今、注意深く見ていると、駅舎があったと思われる土台だけが残っているが、あとはもう自然に帰してしまっている。

 さて、定刻12時01分着、天塩中川に着いた。札幌から3時間半かかった。降りたのは私の他に3、4名であった。特急停車駅なのに無人駅で、車掌が切符を回収している。時代もここまで変わってしまったかと思う。


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 閑散とした町だが、町を貫く国道沿いが一応の中心街となっていて、お店もいくつもあり、スーパーもある。その先には役場などがあり、その向こうが天塩川である。ここで見る天塩川は護岸工事も行われていて、途中区間で見たような原始のままの天塩川とは違う。特にこれといって素晴らしい景色ではない。


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 廃集落の多い北海道の田舎にあって、中川はまだかろうじて、町としての体裁を保っているようであった。町を歩いている人は少なく、いても年寄りが多いが、入ったスーパーでは若い男女の店員が何人も働いていた。モダンな建物も多いが、開拓時代の面影を残すような木造家屋もまだ多く健在なのが嬉しい。


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それに、内地は梅雨の季節だが、爽やかな夏晴れの日に当たったのも嬉しく、ちょっとした中川歩きは、思ったより面白かった。しかしやはり、寂れゆく町の一つには違いなく、一抹の寂しさも感ぜずにはいられなかった。
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by railwaytrip | 2006-06-15 08:30 | 北海道地方

ふるさと銀河線・大誉地駅

 元国鉄池北線。北海道で唯一、第三セクターで残ったふるさと銀河線だが、その後も沿線の過疎化が進み、ついに2006年4月、廃線となることが決まってしまった。


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 大誉地(およち)はそのふるさと銀河線全線140キロのうち、ほぼ半ば、足寄町内にある駅である。かつてはそれなりに大きな集落で、乗降客も多かった。今もある程度の住人はいるが、鉄道利用者としては微々たるもの。駅前集落もわびしさが漂っていた。


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 大誉地は昔からの味のある駅舎も残り、この線内の駅でも比較的話題になることが多い。現に私がここで列車を待っている間も、札幌ナンバーの車がやってきて、駅の写真を何枚も撮って去っていった。その昔はちゃんと駅員がいて、小荷物の扱いもあり、それなりの利用者がいた時代があったことは、当時からの駅舎が物語っている。そして冬は北海道でも特に寒いこの地域、吹雪の中を歩いて駅にたどりついた時、待合室にはストーヴの火が入っていた。そんな時代がそれなりに長く続いたが、やがて無人駅となり、それすら維持できない時代になってしまった。


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 今、あちこちの痛んだ古い駅舎を見ても、現代から取り残されたの感は否めないが、それにしても何という味のある駅だろうか。ホームの電燈一つからも、そこはかとない懐かしさが感じられてしまう。


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 駅周辺を歩いてみる。ここはまだゴーストタウンにはなっていない。ある程度、生活のにおいがする。十勝平野の北端、農業も盛んな地域だ。紅葉が綺麗な季節。秋の爽やかな風の中、しかしやはり何となく寂しさを感じてしまった。ほどなく厳しい冬がやってくるのだ。


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 少ない乗客を乗せて、単行の列車がやってきた。残念ながらこの大誉地での乗降客は私の他にいなかった。廃線まであと半年。

※ これは2005年11月1日の訪問記録です。その後、ふるさと銀河線は、予定通り2006年4月20日をもって全線廃線となってしまいました。
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by railwaytrip | 2005-11-01 09:00 | 北海道地方