カテゴリ:中部地方( 13 )

北陸鉄道石川線・加賀一の宮駅

 北陸鉄道が石川線の末端2駅間の廃止を発表した時、正直あまりピンと来なかった。距離にしてわずか2.1キロ。末端だから当然、乗客は少ないだろうが、この程度の距離だから、部分廃止しても残しても、全体への影響は知れているのでは、と思ったからだ。私はその昔、乗りに行ったことがあるが、その時はこの区間を片道は歩いてみた。線路に並行する道路も概ねあって、問題なく30分弱で歩き通したように記憶している。そんな短い区間だけを廃止しても、全体の収支への影響がどれだけあるのだろうと思ったのだが、とにかく、廃止間際の「特需」で賑わう前の、普段着の姿を見ておくべく、ある平日の朝、加賀一の宮行の列車に乗ってみた。2輛編成のワンマンカーというのが、今のこの私鉄の日常の姿である。電車は東急のお古かと思われる、ステンレス車である。

 鶴来までの沿線は、宅地化も結構進み、金沢への通勤通学路線としての需要もあるようである。鶴来はこのあたりの中核をなす古い町だ。その鶴来で殆どの客が降りてしまうと、残った乗客は私の他に2人だけになった。なるほど、と思う。

 鶴来を出ると、途端に乗り心地が変わり、揺れが激しくなった。なるほど、もう軌道もまともに整備しておらず、北陸鉄道も廃止前提で見捨てていたのだな、と思う。次の中鶴来は、まだ鶴来の町はずれという感じで、駅周辺に住宅も多く、これまでと大差ない風景であるが、中鶴来を出て最後の一駅だけが、これまでと違う山岳路線っぽい風景を見せてくれる。つまり、手取川が近づいてきて、川に沿って勾配を上る感じが出てくるのだ。そして、この先は山だから、線路はここまでです、という感じに思える終着駅が、加賀一の宮なのであるが、実はその昔はこれより先も、かなり奥まで線路は続いていたのだ。私は残念ながら、その区間には乗ったことがない。加賀一の宮は、そういう平地と山地の境目のような駅で、この先があるならば、ここからいよいよ山岳路線に入るという期待を持たせてくれるような駅である。


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 単線の小さな駅で、ホームの先端は狭い。恐らく昔はもっと長い編成の列車が行き交ったのではと思うと意外である。そして線路はホーム端から数百メートル先で途切れている。かつては先があったのだと思うと悲しいが、この終着の車止めが今秋にはさらに2.1キロ、金沢寄りに移動してしまうことになる。


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 門前町らしく、古風な木造の駅舎がある。それほど大きくはないが、立派な駅舎で、北陸鉄道随一の逸品ではないか。そう思うと廃止は残念だ。駅名からもわかるように、ここは加賀国の一宮である白山比咩神社の最寄り駅で、初詣の時だけはこの駅も大賑わいだという。逆に言うと、普段の地元住人の利用は少ないということであろう。

 駅舎の中は、小綺麗に整っている。切符売場の窓口もあるが、今は完全な無人駅で、閉鎖されている。善意の貸し傘が置いてある。今も小雨が降っているが、傘の在庫は沢山ある。それだけ利用者が少ないということか。東京近郊だと、ちょっと雨が降るとたちまちなくなるものだが。


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 駅前はしっとりと古く落ち着いている。雨だから一層そう感じる。しかし活気があるとは言えない。ほんの数キロ金沢寄りは、新興住宅も増えて、若い人も乗り降りしていたのだが、ここは別世界に思える。中鶴来方向に少し歩くと踏切があり、渡るとその先に手取川の豊かな流れが見える。線路がその川に沿ってカーヴしながら上ってきている様子がわかる。鶴来方向の平野部を見ると、住宅が多く、ビルも見える。しかしあのあたりはこの駅の駅勢圏ではない。そういった、ほんの僅かな立地の差で、加賀一の宮の利用者は、誠に少ない。


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 駅へ戻る。ワンマンの運転士がホームで手持ち無沙汰に発車を待っている。誠に静かな駅である。時間が来て発車。乗客は私の他に1名だけであった。
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by railwaytrip | 2009-04-15 09:49 | 中部地方

三岐鉄道北勢線・西桑名~阿下喜 sanpo

 近鉄が赤字で手放した路線を、三岐鉄道という中小私鉄が引き取って廃線を免れた北勢線。西桑名~阿下喜間20.4kmの単線電化路線だ。この路線の大きな特色は、ナローゲージ、つまり線路の幅が狭い、軽便鉄道規格なのである。

 趣味的には面白いが、線路の幅が狭いということは、当然ながら速度制限も低いことになる。これは、基本的に車社会の地域では、スピードの点で命取りであろう。改軌してスピードアップするほどの投資効果も見込めず、よって近鉄は廃止の意向を示したのであった。三岐鉄道への移籍は2003年のことである。

 というわけで、かねがね一度乗ってみたいとは思っていたが、中途半端に便利な名古屋近郊なので、いつでも行けると思っているうちに機会を逸し、今日に至ってしまった。

e0028292_2334939.jpg まずは起点の桑名にやってきた。桑名は三重県だが、三重県で一番名古屋に近い市だ。名古屋への通勤通学客の乗降客数は多分三重県一であろう。そういう大都市圏にかかっていることで、どうにか廃止を免れることができたとも言えよう。但し、北勢線の起点は厳密には桑名ではなく、西桑名という別駅である。桑名駅自体はJRと近鉄、それに最近これも近鉄から経営された養老鉄道(元近鉄養老線)が、全て同じ駅に発着する。これらは別会社であっても中間改札すらなく、一体となっている。しかし元近鉄であっても北勢線だけは仲間はずれで、この西桑名駅へ行くには桑名駅の改札を出てちょっと歩かないといけない。駅名が違ってもほぼ同一駅という例も多いが(例・新王寺)、それに比べてもちょっと距離がある。私のように一生にせいぜい数回しか乗らない人間にとっては、それも面白さのうちだが、通勤通学で毎日乗り換える人は、やはりもっと近くあって欲しいと思うであろうし、場合によってはそこが車通勤にするかどうかの分かれ目になるかもしれない。と、そんな事まで心配しないといけないぐらいに、現代人は車の便利さに染まっている。実際、この西桑名駅は、桑名駅にもっと近い位置まで移設する計画があるらしい。

 何はともあれ西桑名。ローカル私鉄の起点にふさわしく、小ぢんまりした駅だが、自動改札機があるのにまず驚く。当然、切符も自動券売機で磁気券を購入する。時刻表を見ると、次の列車まで20分ほどある。終点の阿下喜まで行くのは日中は1時間に1本と、少ない。その間に途中の楚原までの列車がある。

 駅周辺をぶらぶらして時間をつぶし、発車時刻近くに駅へ戻り、自動改札を通って列車に乗り込む。一番後ろの車輛の後部に乗ってみた。ワンマンなので車掌はいない。空いているので特に感じないが、満席だと前の人の足がぶつかりそうなぐらいに狭い。やはりナローゲージである。11時20分発、定刻に発車。

 近鉄名古屋線と関西本線をぐるりと跨いでほどなく、最初の馬道。そして1キロ毎ぐらいにちょこちょこと駅があり、どこも多少の乗降客がある。西桑名だけかと思ったら、各駅に自動改札があるのに驚いた。駅はどこも綺麗で、規模が小さいことを除けば大都市近郊私鉄のようである。沿線は住宅が結構建て込んでいる。左下は2つ目の西別所。


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 4つ目の在良(写真右上)で最初の列車交換。時間的にあちらの方が乗客が多い。こちらは少しずつ乗客を減らしていく。左下は西桑名から6駅目の七和に停車中の車内。そして8つ目の東員(写真右下)まで来た。ここまでで24分。まずまずと言える。


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 ここで二度目の列車交換があり、今度はしばらく停車するのでホームに出てみる。まだ真新しい感じの島式ホームの駅で、駅周辺は 農地と住宅などが交じり合う、典型的な都市郊外の風情である。4分ほどの停車だっただろうか、上り西桑名行がやってきて、数名の客を乗せて先に発車、こちらも続いて発車する。

 駅間距離がだいぶ長くなって、車窓風景も長閑になり、東員から2つ目の楚原。終点の阿下喜まであと2駅だが、日中は半数の列車がここで折り返す。ここで実に9分も停車する。このダイヤには少々驚いたが、これでも以前より改良されたのだそうだ。朝夕はダイヤが違い、このような長時間停車はなく、最速列車は西桑名~阿下喜間46分だそうだが、日中の下り列車はちょうど1時間かかる。乗客が少ない時間帯だし、利用者の大半は西桑名~東員間あたりであろうから、全体への影響は小さいのかもしれないが、何とも歯がゆいダイヤである。ここ楚原は昔からの軽便鉄道の駅の面影がいくぶん残る風情の駅で、初めての私は9分停車も退屈しなかったが、しょっちゅう乗る人にはまだるっこしいダイヤに違いない。先頭車まで行ってみると、1輛目だけがクロスシート車であった。この車輛だけは、ある程度の客がいるが、残りはガラガラである。


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 ようやくやってきた阿下喜からの上りを待って、こちらも発車。すっかり客が少なくなり、次の麻生田までは、この線最長の3.7キロあり、時間も9分かかる。しかも麻生田も単線で交換できない。麻生田はこの線で一番田舎の風情を持つ駅で、乗降客もゼロであった。そしてあと5分走り、終着阿下喜に12時20分、定刻に着いた。


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 後で調べてみると、東員は2005年に前後の駅を統合してできたばかりの新しい駅であるとか、その他にも駅の統合や廃止が色々と行われたことなどがわかった。何かで読んだ記憶はあったが、しっかり認識しないで乗りにきてしまった。そういった事をちゃんと調べて知ってから乗れば、それはそれで別種の感想を持てたかもしれないが、知らずに一度乗ってみた勝手な感想としては、古き良き時代の軽便鉄道を味わうにしては、自動改札などを含め、近代的すぎて、面白くない。沿線風景も、悪くはないが、格別ではない。モダンな通勤通学の鉄道としては、これでも以前より改善されたのだそうだが、最速46分と謳っているところに60分を要する交換待ちの多いダイヤなど、車社会の現代人が日常的に頻繁に利用するには、まだまだ難がある。30分間隔の等時隔ダイヤにこだわらず、各列車の所要時間を最短にするようなうまいダイヤができないものかと、素人ながらに思ってしまった。

 阿下喜は長閑な所であったが、駅はリニューアルされていて綺麗で、ローカル線の終着駅といった味わいは稀薄である。それを残した所で外部から大勢の客を呼べるわけでもないので、むしろそういった田舎臭さを払拭して、日常利用を定着させようとしたのだとも思う。駅前も広々としている。私は勝手に、何となく狭い路地の古びた町並みがあるような所かと思っていたが、全く違っていた。
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by railwaytrip | 2009-04-11 11:20 | 中部地方

名鉄モノレール線・犬山遊園~動物園

 たまたま用事があって岐阜に宿泊したのが11月22日(土)の晩で、翌朝は自由時間であった。秋の行楽シーズンの三連休で、天気も良い。よりによってこんな日に、気が進まないなあと思いながらも、やはり向かうことにした。あと1ヶ月あまりで廃止の運命にある名鉄の犬山モノレール、まだ乗ったことがない。今日乗らないと、乗らずに終わることは確実である。

 これは、営業キロ1.2km、途中駅1駅という、観光用モノレールである。とはいえ、日本で最初の跨座式モノレールである。1962年開業と、東京モノレールより古く、ここの技術と経験がその後の東京モノレールなどに活かされたそうで、そういう意味では歴史的意義の深い交通機関である。


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 犬山遊園は、名鉄犬山線の途中駅で、ここがモノレール線の乗り換え駅である。そのモノレールのホームは名鉄の地平駅に対して、高架上にあり、一旦改札を出て乗り換えなければならない。運賃も別建てで、自動改札にも対応していない。一昔前のままで、名鉄としても、早くから廃止の可能性を見込んで近代化投資を控えてきたのではないかと思われた。「電車・モノレールのりば」と大書きした駅舎の雰囲気も、一昔前の行楽路線を彷彿とさせるレトロ感がある。また一つ、昭和の面影を残すものが消える、と言ってもいいかもしれない。


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 自動改札は無く、切符も窓口で購入し、駅員に切符を見せて入場するのだが、切符自体は自動改札対応の軟券である。ホームは単線で、さほど広くないので、今日は大賑わいだ。整理のロープが張られ、拡声器を持った駅員が何人もいる。ホームの入口には、モノレールの歴史などを解説する展示パネルが設けられている。

 動物園からモノレールが到着すると、これから乗る客、降りた客が、次々とカメラを向ける。降りた客が早く引き上げないと、列を作っている客が乗車できない仕組みである。「撮影が済みましたら出口にお進み下さい」と、駅員がマイクで呼びかける。行楽用の乗り物でもあるし、半ばこれを目当てという観光客も多いであろう。名鉄としても、「撮影などしないで出口に」とは言えないので、「撮影はすみやかに」という現実的な対応をしている。しかしそのためか、時刻表より2分ぐらい発車が遅れた。無論、通勤通学列車ではないので、その程度はどうということはない。


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 大入り満員で立ち客も乗せて発車。普段は30分に1本らしいが、今日は15分毎に運転しているようだ。いつもこれぐらい乗ってくれれば廃止にならないのだろうが、廃止と決まると人が増えるのは仕方ないし、私も他人のことを言えない。沿線でも撮影をしている人を何人も見かけた。モノレールだけに急勾配も急カーヴもあって起伏に富んでおり、僅かな乗車時間だが、思ったより面白かった。途中駅の成田山も、ある程度の乗降客があった。

 終点の動物園駅は、遊園地と隣接しており、ホームの向こうはもう遊園地の遊戯施設である。まさに観光用のモノレールである。周囲には普通の住宅もあるようだが、この僅か1.2kmの路線では、そういった住人の利用を前提に、例えば東急こどもの国線に倣って早朝から深夜まで走らせても、まず採算は取れないだろう。今日は大賑わいだが、昨今の少子化とレジャーの多様化、そして施設の老朽化と名鉄という会社自体の合理化、色々考えれば、廃止は致し方ないと思う。生活路線でもないので、反対運動も起こらなかったようである。


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 この三連休は、廃止の最終日などを除けば、多分モノレールにとって最後の晴れ舞台なのではないか。来る前は気が進まなかったが、たまにはそういう日に乗ってみるのも悪くない。ただ、やはり普通の平日は超閑散としていたそうで、それがこのモノレール晩年の日常だったようだ。そういう日にも乗ってみたかった気はする。
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by railwaytrip | 2008-11-23 11:14 | 中部地方

北陸本線・福井~粟津

 北陸地方の普通列車には、まだ国鉄型車輛が多い。オーソドックスな急行型や近郊型に混じって、寝台特急電車改造の不思議な車輛もあって、なかなか面白い。しかしこれらも敦賀の方から順次新型車輛への置き換えが始まっているので、余命も長くないかもしれない。そう思って、国鉄時代の旅を彷彿とさせるような、北陸本線鈍行旅行をしばし味わおうと福井へやってきた。


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 土曜の朝、8時41分発の金沢行に乗る。411系という国鉄時代の近郊型車輛で、当時の面影が良く残っている。平日なら通勤通学時間帯だが、それでも福井から金沢方面の下りに乗る通勤客は多分少ないだろう。6輛編成と、それなりの長さなので、空いているが、客層はというと、家族連れや若い女性のグループなどが結構多い。

e0028292_4321752.jpg 福井の近郊区間は4つ目の芦原温泉までである。最初の駅、森田も、改札のある右手こそそれなりに開けており、マンションなどが建っているが、左手は一面の田園だ。そんな所を一駅ずつ停まりながら行くのだが、各駅とも下車よりは乗車の方が多い。芦原温泉(写真左)でも結構乗ってきた。一般的に言うと、ここから峠を越えて県が変わるのだから、芦原温泉までで一旦ガラガラになって、峠を越えた大聖寺ぐらいから、金沢へ向けて段々と客が増える、という感じなのが、県境越え区間のパターンである。しかしここはそうではない。きっと週末は福井県側の人達も、遊びや買い物の目的地は、県都福井市よりは、金沢なのであろう。北陸三県における金沢の求心力はかなり強いようである。


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 芦原温泉を過ぎると谷が迫ってきて、細呂木、牛ノ谷という2つの小駅を過ぎる。細呂木(写真左上)はまだ駅前に人家も多いが、牛ノ谷(写真右上)はこの区間で一番閑散とした、山の中の駅で、駅周辺に建物もあまり見られない。そんな駅でも若干の乗車客がある。牛ノ谷を発車するとすぐ、県境の牛ノ谷隧道に入り、出ると石川県になる。峠越えといえば、富山県との境にも、倶利伽羅峠という山越えがあり、倶利伽羅駅というひっそりした小駅がある。加賀の国(石川県)は、北陸本線以外に県境を越える鉄道がなく、その鉄道も両県境ともしっかりした峠越え区間で、国境越えの雰囲気がある。加賀に独自の文化が育った背景には、そういった地形的要素もあろう。しかし現代の人々はそんな意識もなく、気軽に県境を越えて金沢へ遊びに行く。

e0028292_4335989.jpg 牛ノ谷隧道は、1キロもなく、長い隧道の増えた今日ではものの数にも入らない。出るとゆるいカーヴを平野へとゆっくり降りていき、住宅が増えてくると、石川県最初の駅、大聖寺(写真左)に着く。もともと大聖寺はこのあたりではちょっとした主要駅で、駅周辺にもそれなりの集落があり、かつては山中温泉へ行く北陸鉄道も出ていた。その跡地はホームや線路こそ撤去されているが、今も空き地として残っており、ここだなとわかる。実は私も小学生の頃、家族旅行でこれに乗って山中温泉へ行った。駅自体もそれなりに立派で風格がある。特急こそ殆ど通過するが、主要駅の風格を今も保つこの駅からは、大勢の客が乗ってきた。

 大聖寺の次は、元は作見(さくみ)という小駅であったが、今は加賀温泉といい、特急停車駅である。このあたり一帯は加賀温泉郷で、海側、山側それぞれに、大小いくつもの温泉地があり、特に関西の奥座敷としても発展してきた。かつては大聖寺、動橋(いぶりはし)、粟津、小松と、作見を除くと各駅が急行停車駅クラスの駅であり、私鉄やバスで温泉地と連絡していた。そのうち大聖寺、動橋、粟津の3駅の機能を集約すべく、作見を加賀温泉と改め特急停車駅にしたわけだが、それから既に38年が経つ。今は作見駅時代を知らない人が多数派であろう。優等列車通過駅に降格された、大聖寺、動橋、粟津の3駅は、いずれもそういう意味では寂れてしまった。その加賀温泉は、特急が停まり便利な駅だが、特急券のいらない普通列車もそれなりに人気があり、ここでも乗車が結構いる。

 その次が難読駅の動橋で、駅の手前、田んぼの向こうにぼんやりとビル街が見えるのが片山津温泉である。加賀温泉郷を代表する温泉街の一つで、動橋が最寄り駅だったが、歩けるほど近いわけでもなく、バスやタクシーなら加賀温泉からでも大差ない。そのため、片山津温泉へ行く人が動橋駅を利用しなくなって久しい。動橋駅衰退の理由の一つであろう。それでもここからも金沢へ行くらしい地元の若い人が賑やかに乗ってきた。既にボックス席は殆ど埋まってしまい、デッキに立つ人もいる。

 次が粟津である。私はここで降りる。どこもそうだが降りる客は僅かで、乗る人が断然多い。ここにも粟津温泉という温泉地があるが、山中・山代・片山津に比べると知名度も低い。明らかにこの駅が最寄なのだが、バスも小松からしか出ていないらしい。かつてはここも北陸鉄道で結ばれていたそうだが、ここは廃止が1962年と古く、流石にもう何の面影もないようである。駅周辺は住宅と工場が多く、その工場の多くが小松製作所関連らしい。というわけで、観光客の利用は殆どない、日常的な駅である。特急が停まらないからそうなったとも言えよう。しかしホームが2つあり、駅舎とは地下道で結ばれている。その地下道は古くて薄暗いものの、風格がある。元急行停車駅の貫禄は十分である。駅舎も昔からの木造のようだが、だいぶリニューアルされているのか、ぱっと見た感じは古びていない。

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 地方の鈍行列車といえども、6輛編成と長く、駅ごとに賑やかにお客が乗ってくる様子は、一昔前の鉄道の活気を今に伝えてくれた。この先、小松から金沢へ向けて、さらに賑わうのであろう。このまま金沢まで行きたかったが、時間の都合でここまでしか乗れないのがちょっと残念であった。

※ 一部の写真は、戻る時の上り列車から撮影していますので、実際この列車から見られる風景とは若干異なります。
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by railwaytrip | 2008-07-05 08:41 | 中部地方

特急しなの・長野~名古屋

 東京から名古屋へ行く。珍しくも何ともない。毎日大勢の人が利用している。ここは鉄道斜陽の時代といえども、鉄道のシェアが非常に高い区間であろう。もとよりその殆どが東海道新幹線利用である。

 私は夕方までに名古屋に着けばよかったので、東京11時16分発の長野新幹線あさま519号に乗った。長野着12時49分。11分の連絡で、13時ちょうど発の特急しなの14号名古屋行がある。名古屋着15時59分。最新のN700系のぞみ号なら1時間41分のところ、所要時間は乗り継ぎを含め4時間43分。およそ鉄道を移動の手段としか考えられない人からみれば、狂気の沙汰だろうが、移動を楽しむと考えれば、東海道新幹線の何倍も楽しい。難しい議論はさておいて、とにかく旅をした気分になれるのは間違いない。それに、碓氷峠の機関車付け替え時代を知る者としては、この所要時間にも隔世の感がある。

e0028292_19483439.jpg 長野は小雨だった。日曜だが、観光シーズンでもなく、聖火リレー騒ぎから一段落して静かに落ち着いていた。特急しなのは383系というステンレス車体の6輛編成。乗車率は全体では半分以下かと思われる。

 定刻に発車。まずは信越本線を東京方面へ逆戻りし、郊外の篠ノ井に停車する。ここで東京方面へ向かう信越本線と分岐し、と書きたいところだが、今はあちらは軽井沢までの第三セクター、しなの鉄道だ。だが、往年の鉄道網では、そういうことになる。このルートは、篠ノ井~松本間、塩尻~名古屋間とも、東京を中心に考えると、三角形の底辺に当たる。つまり、東京に住んでいるとあまり乗る機会がない区間である。しかもその両区間とも景色が素晴らしい。

e0028292_19491661.jpg 篠ノ井を出た篠ノ井線は、早速勾配を上り始める。最初の通過駅、稲荷山は、まだ盆地の中という感じではあるが、長野市郊外の住宅地駅という感じではなく、早くも田舎の駅らしい雰囲気だ。そしてここからぐんぐんと上るにつれ、左に千曲川沿岸に開けた善光寺平の眺めが広がってくる。下界はそれなりに建物も目立つ。昔より増えたような気もする。長野新幹線ができて東京が近くなったせいかもしれない。そしてスウィッチバックの姨捨駅は通過なので、右手にあるはずのホームなどは見えないが、ポイントをがたがたと渡る音でそれとわかる。このあたりからの眺めが特に素晴らしく、日本三大車窓の一つとされている。それも姨捨から1分ほどで、やがて長い冠着隧道に入る。

e0028292_19495914.jpg 出るともはや善光寺平の眺めはなく、寂しい山の中の駅、冠着を通過し、続いて聖高原に運転停車する。ここはその昔、麻績(おみ)という実に味のある難読駅であったし、今も所在地は麻績村である。左手に長野高速道の麻績インターチェンジが見える。新しくできたインターチェンジ名の方に昔ながらの村名が使われているのは皮肉だ。あちらは観光改名をして客寄せをする必要がないからだろうが、願わくばJRの駅も麻績に戻してもらいたいものだ。

 坂北村を抜け、また長い隧道で目まぐるしく複雑な地形を抜けると人家が増えて明科を通過する。松本まであと2駅で、完全に松本圏に入ったが、駅間距離は長い。大糸線が右から寄り添ってきて、大糸線だけにホームのある北松本をかすめて松本。長野県の二大都市で、仲が悪いことでも知られる両都市であるが、この区間だけ特急に乗る県内利用者は結構多く、乗客がある程度入れ替わる。

e0028292_19502454.jpg 松本から塩尻までは、一転して建物の目立つ松本盆地の複線区間となる。線名は篠ノ井線ではあるが、実態は中央東線と中央西線が線路を共用していると言った方いい区間だ。そこを塩尻まで、特急しなのは僅か9分で快走する。かつてスウィッチバックを要した塩尻だが、今は駅の移転によりその必要もない。昔の塩尻駅は、駅全体も駅前も汽車駅そのままであった。そんな面影もどこへやら、今の塩尻駅(写真左)はモダンな都会の郊外駅と変わらない。それでも既に移転してだいぶ日が経ち、年季も出て来たようである。ここは何とホームに葡萄の木が植わっている。

 塩尻で中央東線が左へ分かれ、今は恐らく貨物や回送のための短絡線(かつては本線だった)が合流してくると、今度は木曽谷へ入る。篠ノ井線とは違った意味での山岳路線であり、中仙道に沿った歴史のある道でもある。その宿場の殆どに駅があるが、特急は停車しない。奈良井など、駅のすぐそばに古くからの宿場の街並みが時代を超えて残っているが、高速の特急列車からでは観察する間もない。木曾漆器の看板がやたら目立つぐらいで、ひたすら渋いを木曽谷を、木曽川に沿って高速で下っていく。私の席は進行左側なので、残念ながら、寝覚ノ床を含む木曽谷の渓谷は見えない。姨捨の絶景を見た代償と思って諦める。

e0028292_19505588.jpg 木曽谷の停車駅は木曽福島と南木曽の2つだが、乗降客はさほど多くない。南木曽(写真左)は駅の横が木材の集散地となっていた。南木曽を出ると木曽路も終わりをつげ、木曽川の幅もだいぶ広くなり、ほどなく岐阜県に入る。そのあたりから雨がひどくなってきた。大雨なので木曽川の流れにも迫力がある。不通にならないかと心配になるぐらいの降り方だと心配しているうちに、久しぶりに平地が広がり、家が増えると中津川に着く。名古屋都市圏の終点のような駅だが、大都市郊外というより地方都市である。

e0028292_19511634.jpg 中津川からは木曽川と離れ、東濃の盆地の渋い風景の中をスピードを上げて走る。多治見まで来ても土砂降りの雨は勢い衰えないが、列車は僅かな停車時間で定刻に発車した。多治見を出ると、名古屋が近いのに、再び今度は土岐川の渓谷に沿った眺めの良い区間になる。今度は川が左手なので、豪雨に煙った川の眺めが満喫できるが、隧道が多い。古虎渓、定光寺という2つの寂しい無人駅を過ぎ、少しすると急に景色が変わり、住宅が激増し、完全に名古屋のベッドタウンという感じの高蔵寺を通過。今しがたまで木曽谷の寂しい風景の中にいたのが嘘のような変わりようで、都市近郊の平野の風景となる。そういう地形の変化とも関係あるのか、雨も小降りになってきた。副都心の千種で多少の客を降ろし、名古屋市街の東部をぐるりと半周するような形で東海道本線と合流する金山を過ぎ、定刻15時59分、名古屋駅に滑り込んだ。雨はすっかり小降りになっていた。

 後で知ったのだが、この特急が通過した直後、中央西線は雨量が規定値を上回り、不通になったらしい。この1本後の特急は、名古屋に相当遅れて着いた筈である。危ないところであった。
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by railwaytrip | 2008-06-29 13:00 | 中部地方

羽越本線・勝木駅

 新潟県は細長くて広い。糸魚川地方だと北陸という雰囲気が濃いが、村上あたりまでくると東北のようだ。羽越本線を新潟からだいぶ走ったあたりで、まだ東北地方ではないのか、と海を見ながら思った人もいるだろう。国境は、奥州三大関所の一つ、念珠(ねず)の関所、鼠ヶ関である。この駅からが山形県だが、駅は構内南端の一部が新潟県にかかっているという国境駅でもある。

 その鼠ヶ関の2つ手前に、勝木(がつぎ)という小駅がある。勝という字を「がつ」と読ませる名前の不思議さもあり、また海の景色が素晴らしい笹川流れも終わったあたりの地味な立地ということもあり、ちょっとどんな所だろうかと降りてみた。夜行の「ムーンライト越後」から2本乗り継いで、到着はまだ早朝5時台である。

e0028292_5174869.jpg 羽越本線の村上より北は、海の眺めが素晴らしい区間で、各駅とも海辺にあるが、ここ勝木だけは、駅から海が見えない。それどころか、駅の海側に大きな病院がでんと構えており、それより先の風景を見せてくれない。改札口と駅舎を兼ねた1番ホームは山側だが、この病院のためであろう、海側にも簡易な駅への出入口がある。駅員のいた国鉄時代には作れなかった出口かもしれないが、何はともあれ、ローカル線の利用者は高校生か病院通いのお年寄りというのが定番みたいだから、その病院が駅前にあることは、多少の鉄道利用者増に結びついているには違いない。羽越本線は勿論、ローカル線ではなく、廃止の心配はないが、それでもこういう小駅に降りると、ついついそういう方向に発想が行ってしまう。

 駅の構造は、上下の相対ホームの二面二線というやつだ。間は跨線橋で結ばれている。もともとは二面三線の、国鉄の幹線標準型だったようだが、海側の待避線は使われておらず、線路も大体撤去されているようで、そこに直接外へ出られる病院側の出口が作られているというわけだ。羽越本線のこのあたりは部分的に複線化がなされており、勝木の場合、越後寒川側は複線で、府屋側は単線である。だから、交換駅というわけでもないし、普通の複線区間の途中駅とも違い、列車交換待ち合わせの停車もある。幹線だからホームは長く、長距離普通列車が行き交った時代の面影は今も十分だ。


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 駅前は静かだが、旅館が1軒ある(写真左上)。立派な店構えで、タバコ屋・雑貨屋を兼ねている。それ以外には特に店もなく、静かな集落である。そんな所にある駅前旅館とは、一体どういう人が泊まるのだろう。駅前にあっても今は車での利用者が殆どかもしれない。駅のすぐそばには切り出した材木を積んである所がある(写真右上)。海が近くても山も近く、林業も産業として活きているようだ。

 そんな観察をしながらホームへ戻り、上り新津行を待っていると、駅前に車が停まり、お母さんが高校生の息子を降ろした。続いて病院の前を女子高生が歩いてきて、下りホームに入り、跨線橋を渡って上りホームへとやってきた。その後は、高校生が、まさに続々という感じでどんどんとやってきた。車での送迎、自転車、徒歩、色々である。思ったより多い。村上への通学列車なのであろう。ここは新潟県最北端の地、山形県への越境通学が駄目となると、通う高校は必然的に村上市の高校になるのであろう。

e0028292_520184.jpg 定刻に列車がやってきた。鼠ヶ関始発で勝木6時58分発新津行、3輛編成の国鉄型ディーゼルカーである。この区間ではこれが始発列車だ。この区間は電化されているが、交直流の切り替えがあるのに、普通列車用には高価な交直両用の電車が導入されておらず、気動車でつないでいるのである。しかも多くが古い国鉄型であり、それも魅力の一つでここを訪れた。確かに昔懐かしい気動車のキハ40ではあったが、中はロングシート化されていた。しかも、勝木に着く前に既に座席の大半は埋まっていた。殆どが高校生である。先客の彼らは鼠ヶ関か府屋から乗ったのであろう。勝木での乗車も最終的には20名以上はいたか、思ったより多い。少子高齢化が進む中でも、まだこれだけの高校生が早朝から列車通学をしているわけだが、それでも昔はもっとずっと多かったのかもしれない。村上着は7時36分で、始業には少し早すぎるのだろうが、この後の普通列車は約2時間後になってしまう。やはり閑散区間ではある。だからこそ気動車で賄っているのでもあろう。
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by railwaytrip | 2008-06-27 06:58 | 中部地方

小海線・小淵沢~佐久平

 中央本線小淵沢駅。今でこそ市町村合併で、北杜市とかいう意味不明な名前の市になってしまったが、市ではなく町がふさわしい、高原の駅である。軽井沢のような華やかさもなく、かといって徹底的に観光化を嫌っているわけでもない、そのさりげなさが好ましい。

e0028292_6505532.jpg 鉄道マニアでなくても、小海線を、そして清里や野辺山を知っている人は多い。そういう人は、新宿から中央線でここまで来て、清里か野辺山あたりまで利用する。近年は甲斐大泉あたりも隠れた別荘地として知られているらしい。

 6月の平日なので客は少なく、発車10分前に小海線ホームに行ったらまだ2人向かい合わせのボックスが空いていた。そこへ座る。キハ110という新しい気動車の2輛編成だ。最近の傾向で座席が少なくなっているのはいただけないが、ロングシートよりはマシと思って諦めねばならない。窓が開かないのも、自然の中を走るローカル線としてはどうかと思う。乗客はというと、一見して地元の人とわかる人は少数派のようで、旅行者っぽい中高年の人が多い。ワンマン列車で、車掌はいない。

 小淵沢9時50分、定刻に発車。ほどなく中央本線と分かれて右へカーヴする。このカーヴは、いきなり現れる小海線の名所の一つで、小淵沢の大カーヴとか呼ばれているようだ。昔から殆ど変わっておらず、築堤を大きなカーヴを描きながら進む。カーヴの内側は田畑が広がっている。バックは南アルプスの山々。それを過ぎると、いかにも高原という感じで、時に畑の中を走り、森を抜ける。最初の停車駅は甲斐小泉。続いて甲斐大泉。駅間距離も長く、結構時間がかかる。近くに座っていた二人組のおばさんの一人が携帯電話で話し始めた。誰々さんが駅まで迎えにくるのかとか、そういうことを大声でしきりとやっている。友達か親戚の別荘にでもお世話になるらしい。勿論、ローカル線でもルールは全国共通で、車内での通話は遠慮しなければならないのだが、お構いなしだ。そして甲斐大泉に着くと、二輛目の前ドアから降りようとして、ドアが開かないので焦っている。ワンマンだから、1輛目の前ドアしか開かないのだが、そんな事は都会の人はわからない。放送も、携帯電話に夢中で気づかなかったのだろう。しかしここは列車交換で停車時間が長く、やがて気づいて駆け足で前の車輛に移っていって事なきを得ていた。


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 もともと空いていたが、小淵沢からの客の何人かがここで降りて、さらに空いた。右上は甲斐大泉停車中の1輛目車内。ところが次の清里では、ワッペンをつけた団体がどっと乗ってきて、満席に近くなった。殆どが中高年で、女性が多い。それにしてもこの清里という所は、自然豊かな小海線の中で、突然変異のようなけばけばしい景観を見せてくれる場所で、個人的には好きになれない。もっとも、かつては若者で大賑わいだったこの地も、今はブームが去って、だいぶ寂れたらしい。車内から駅前の様子を見るだけでも、それが感じられた。

 こういう団体、私の肌には全く合わないが、そこまで騒々しいわけでもマナーが悪いわけでもなく、ローカル線振興のためにはこれも仕方ないのかなとも思う。そのおばさんたちの会話の中に、この先で長野新幹線がどうのこうのいう言葉も出てくる。まさか皆、佐久平まで一緒なのだろうか。山梨県から長野県に入り、JR最高地点の踏切を過ぎ、気動車のエンジン音からも、下り勾配に変わったことがわかると、間もなく野辺山である。言うまでもなく、JRで最も標高の高い駅として、昔から良く知られている。清里とともに、このあたりの高原の観光地として知られているが、昔から清里よりはずっと鄙びている。その分、観光ブームが去ってもみじめにならない良さがあるように思う。そして、清里からの団体は、ここで降りてしまった。やはり、最高地点を走る鉄道への1駅だけの乗車体験だったようだ。団体のみならず、他の客もここまででかなり降り、車内は再び空いてしまった。

 小海線というと、最高地点のこともあって、小淵沢からここまでが、こうして観光客にも人気がある区間だが、私は個人的に、小海線の一番の良さは、ここから小海までの間ではないかと思っている。要するに、観光地色が薄まり、より鄙びてくるからなのだが、経営的には一番の赤字区間かもしれない。小海線はここから終点小諸まで、概ね千曲川に沿ってひたすら下っていくことになる。このあたりはその源流に近い。次の信濃川上は、川上村の中心駅で、小さいながら一応の集落である。清里や野辺山のような観光色は殆どない。次の佐久広瀬は周囲に人家もまばらな、単線の無人駅で、ここで一人、地元の女性が乗ってきた。その次の佐久海ノ口も地元の人が何人か乗車し、乗客の構成が段々と観光客から地元客へと変化していく。

e0028292_655237.jpg 千曲川に沿ってカーヴを繰り返しながら、海尻、松原湖と、単線の小さな無人駅を過ぎ、次が線名にもなっている小海である。立派な駅舎があるが、町は小さいようで、乗降客もさほど多くないが、運転上も一つの要衝である。

 小海を出ると、佐久鉄道という私鉄が開業させた区間になるため、駅間距離が短くなる。そして沿線の人口密度も徐々に高くなっていくのだが、小海に近い側はそれほどでもない。次の馬流と、その次の高岩の間、右手には、大きな岩がそびえており、線路はその下を通る。この岩は、高岩駅の駅名の由来らしい。交換駅の八千穂は、木造駅舎が残るいい感じの駅で、また乗客が少し乗ってきた。1~2駅ごとに単線の無人駅と駅舎のある交換駅が繰り返される。そのうち青沼駅は昔は田んぼの中の閑散とした無人駅だった筈だが、今はだいぶ人家が増えたような気がする。とはいえ、そこまで賑やかにならず、農村地帯を少しずつ乗客を拾いながら、列車は佐久市の中心駅である中込に着いた。小海線の車輛基地もある要衝で、乗客もある程度入れ替わった。

e0028292_6565413.jpg とはいえ中込も、今は寂れ気味らしい。もともと佐久市にはもう一つ、岩村田というそれなりの集落があり、そこへきて今は新幹線の佐久平が発展しているので、中込の求心力が失われているようだ。小海線は、ここと小諸の間が一番輸送量が多いらしく、ここでワンマン運転は終わりとなり、車掌が乗ってくる。バスさながらのテープの放送が増えた今日、車掌の肉声が妙に新鮮である。

 駅間距離はますます短くなり、ちょっと走るとすぐ、住宅と田畑が混じる滑津、続いて国道沿いの賑やかな北中込と停まる。各駅ともある程度の乗降客があり、平日の日中にこれならば悪くないかもしれない。さきほどの八ヶ岳山麓の観光路線の余韻はもはやない。そしてビジネスホテルなども見られる岩村田。駅舎は古く、ローカル線の中心駅ぐらいの貫禄がある、いい感じの主要駅である。乗降客も多い。

e0028292_6581511.jpg もともと駅間距離の短かった小海線北部。岩村田と中佐都の間も1.8キロに過ぎない。その中間に新幹線が通ることになり、佐久平駅が設けられた。ゆえに、岩村田を出た小海線は、ほどなく新幹線を跨ぐため、高架になる。そしてすぐに、単線の細いホームだけの高架駅、それが小海線の佐久平駅なのである。以前にも利用したことはあるが、施設こそモダンだが、あまりに小さい。けれども、利用者数を考えれば、横浜線の新横浜駅よりはマシかもしれないとも思う。とにかく佐久平駅周辺は、近代的なホテルやビルが増えつつあり、基本的にローカル線である小海線の中では、やはり異色である。乗降客も小海線としては多く、いつどこから乗ったのか、新幹線乗り換えとしか考えられないスーツ姿のビジネスマンなども結構降り、東京方面からと思われる荷物を持った客の乗車もそれなりにあった。小海線の駅では唯一、東京直結の空気が漂う駅だ。同じ東京直結でも、小淵沢ともまた異なり、小淵沢のような旅情すら感じられない駅であり、好きにはなれないが、小海線の活性化に一役買っているには違いない。かくいう私も、時間があれば、小諸、軽井沢経由ぐらいでと思っていたが、残念ながら午後に東京で用事があり、ここから新幹線で東京へ向かわなければならないのである。言い換えれば、長野新幹線があるお陰で、小海線寄り道が実現できたのである。旅情がないなどという贅沢なわがままを言ってはいけないとは思う。
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by railwaytrip | 2008-06-19 09:50 | 中部地方

参宮線・二見浦駅

 その昔、今のように気軽に旅行できない時代、お伊勢参りは一生に一度は行きたい庶民の夢であったという。日本最初の鉄道が明治5年に東京~横浜間に開通してからわずか17年後には、早くも参宮鉄道という会社が設立され、明治27年には津から宮川までの鉄道が開通、翌年には山田(今の伊勢市)まで延長された。この鉄道の主たる目的は、伊勢神宮への参拝客輸送であり、ゆえに参宮鉄道という社名だったのである。庶民のお伊勢参りの夢は、この鉄道によってだいぶ現実的になったことであろう。明治40年には、鉄道国有法により国鉄となる。そして今、戦後60年が経過した。そして国鉄からJRになった。そんな長い歴史を経て今日まで、伊勢線でも鳥羽線でもなく、参宮線という線名のまま残っている。

 しかし今や、参宮線に乗ってお伊勢参りに行く人などほんの僅かである。今の参宮線の役割は、この地域のローカル輸送であるが、このあたりは近鉄がかなりの路線網を張り巡らしているため、参宮線の重要度はお世辞にも高くない。それでもJR東海になってから、名古屋から鳥羽まで、「快速みえ」という料金不要の優等列車を作り、近鉄特急に対抗しだした。けれども、名古屋から、津、松阪、伊勢市、そして鳥羽へ、近鉄ではなくJRの快速みえを利用する人の比率はかなり低いらしい。何しろ2輛編成が1時間に1本なのだ。近鉄特急と比べてみれば、その差は歴然としている。

 今回、二見浦という駅を訪問したのは、この駅こそ、参宮線の役割が今なお重要な駅の筆頭ではないかと思ったからである。最近の市町村合併で伊勢市に編入されたが、もともとここは二見町という町であり、二見浦駅はその玄関口である。このあたりは近鉄の線路ははるかに離れた山の中を走っており、旧・二見町地域では、参宮線が唯一の鉄道になる。

 二見浦といえば、夫婦岩という有名な岩が海中より突き出ており、古来より参拝の対象となるなど、観光地としても知られる。旅館も多く、温泉も湧いている。観光地として栄えていそうだが、実際は昔と比べるとかなり寂れているらしい情報も得た上での訪問であった。


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 駅舎は、夫婦岩を模してデザインした、ガラス張りのモダンなものであった。駅員がいて切符を売っているが、委託職員のようである。そして駅前に鳥居がある。しかし駅付近は見事にガランとしている。人通りは時折あるが、とにかく静かだ。伊勢といえば、折から赤福の偽装問題でゆれており、この時も赤福の各店は営業停止中。二見浦の駅前通りを行くと、古風な和菓子屋「酒素饅頭」の木造の立派な店があった。赤福とは関係ないだろうが、ここもしっかり閉まっていた。


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 駅に戻る。とにかくホームが長い。10輛編成ぐらいの列車は問題なく停まれそうである。その昔は長い客車を連ねた列車が発着したのであろう。屋根のある中央部は、決して長くないが、堂々たる鉄骨に支えられた立派な屋根を持つ、風格のある駅である。ホームと改札口の間は地下道で結ばれているが、このクラスのローカル線では比較的珍しい。


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 その長いホームに、鳥羽行き2輛編成の普通列車がやってきた。乗降客は少ないが、多少ある。続いて反対側の松下寄りの隧道から、快速みえが出てきた。やはり2輛編成だ。戦前の参宮線は複線だったというが、今は単線なので、この駅で行き違うのだ。これほど長いホームに僅か2輛の列車同士の交換では、貫禄負けするが、今や全国至るところで、こうした風景は見られる時代だ。小型1輛のローカル線に比べれば、まだ風格ある二見浦にどうにか釣り合っているような気さえした。
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by railwaytrip | 2007-11-26 11:50 | 中部地方

大糸線・南小谷~糸魚川

 大糸線は、松本と糸魚川を結ぶ線だが、線名は、信濃大町と糸魚川を結ぶ線という意味からついている。そして、実際の運行形態は、松本~南小谷と南小谷~糸魚川とに二分される。その昔は全線を走る急行もあったが、今は南小谷を境に完全に南北に分かれており、南はJR東日本による電化路線、北はJR西日本による非電化路線である。ゆえに、一本の線としての統一したイメージは薄いが、南北それぞれに違う味わいがあり、景色はどちらも素晴らしい。

 私が大糸線に初めて乗ったのは、高校生の時で、冬のスキーシーズン、白馬へスキーに行った時であった。行きは新宿から夜行の急行アルプスで早朝に着いたので、景色は見られず、帰りの急行から初めて見た、雪景色の青木湖の美しさは未だに忘れられない。その後、大阪に住んでいた時も、北陸線の夜行列車から糸魚川乗換えで白馬方面へのスキーに利用したことがあるし、当時はまだそういう乗客も結構いた。しかし時代は急激に変わり、スキーそのものが下火になり、列車で、ましてや夜行列車でスキー、などというのは、もう一般的ではなくなってしまった。そのため大糸線の南小谷以北は、四季を通じて1輛のディーゼルカーが寂しく往復するだけの、純然たるローカル線になってしまった。

 それにしても、久しぶりに特急で南小谷へやってきた。ここから糸魚川までの非電化区間は、途中下車をしながらゆっくり楽しむことにする。といっても、列車の本数が少なく、各駅に下車して、というようなわけにはいかないのだが。

e0028292_21214092.jpg 南小谷は、新宿からの特急が終着となるほどの駅だが、驚くほど寂しい所にある。これは昔も今も変わらない。途中駅の白馬の方が駅周辺にホテルや民宿が多く、観光化している。冬のスキーシーズンだけでなく、夏も登山や避暑の都会人を受け入れており、都会の若い女性も降り立つ駅である。南小谷はそういった華やかさもなく、ただ鉄道のターミナルとして、かろうじて多少の活気が見られる程度である。一応、小谷村の中心駅なのだが、駅前を姫川が流れており、特に賑やかな集落があるわけでもなく、山村の小駅の風情である。

 南小谷~糸魚川間の非電化区間を走るのは、キハ52という年代物の気動車で、これが近年、国鉄色に復元されたことから、鉄道マニアの人気を呼んでいる。これを目当てに来たと思われる乗客もいるし、途中の駅や線路沿いに、カメラを構えている人も見かけた。確かに昔懐かしい古い車輛である。それにしても、1輛でも空席たっぷりの乗客数は、平日の日中とはいえ、寂しい限りだ。

 この沿線は、険しい渓谷をなす姫川と、フォッサマグナが通る険しい山岳地帯だ。南小谷を出るとほどなく集落も途切れ、渓谷に沿った深い山中を1輌の気動車はけなげに進む。長野県から新潟県への国境越えに向かっているのだが、地形的には白馬方面から既に日本海側であり、海へ向かって下る一方なのだ。ちなみに大糸線の分水嶺は、簗場~南神城間である。


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 最初の停車駅、中土、乗降ゼロ。狭いホームに小さな山村集落という無人駅だが、かつてはここが大糸南線の終着駅であった(写真右上)。ここから小滝までが最後に開通した区間で、平らな土地が殆どない姫川沿いの険しい絶景続きの区間だ。裏を返せば、土砂崩れを始めとした災害多発区間でもある。次は昔から単線の小駅である北小谷、長野県最後の駅である。ここも小さな集落があるが、いかにも利用者が少なそうな駅で、やはり乗降ゼロであった(写真左下)。


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 長い隧道を抜け、姫川を渡ると新潟県。左手に新しいモダンな温泉宿が見えるとまもなく平岩に着く。新潟県最初の駅で、山峡ながら一応の集落があるが、活気は感じられない寂しそうな駅前であった(写真右上)。昔はそれなりの駅だったはずだが、今はここも無人駅で、交換設備は残っているが、ここでの列車行き違いはない。ただ、朝夕に糸魚川からここまでの区間列車が折り返すことで、糸魚川寄りの新潟県最後の駅として、終着駅的役割を担っている。朝夕はどれほどの利用者がいるのだろう。次回はその時間に乗ってみたいと思う。


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 平岩を出るとほどなく進行右手、姫川の対岸に温泉街が見える。古びた旅館が多く、寂しげに見える。ここは姫川温泉で、長野県に属する(写真左上)。そう、このあたりは姫川が長野・新潟の県境になっているので、線路は新潟県でも、対岸の温泉街は長野県なのである。その後は線路も鉄橋で姫川を渡り、一旦長野県に入る。車窓左手に姫川が流れる間は長野県。対岸の道路は新潟県を走っている(写真右上)。再び鉄橋で姫川を渡り、また新潟県に入ると、次が小滝、かつての大糸北線の終着駅である。しかしそんな時代があったことも、今では想像できないほどに寂しい駅だ。水力発電所のオフィスがあるだけで、一般の民家は殆どない(写真左下)。勿論無人駅で、交換設備も撤去されて久しく、木造の古い駅舎が侘しく佇んでいる。発電所の事務所前にはそれなりの車が停まっているが、果たしてここに働く人で、大糸線で通っている人はいるのだろうか。


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 列車はなおも姫川に沿って渓谷を下る。ようやく線路際に多少の水田などが現れ、少し地形がゆるやかになったと感じられると、根知に着く。ここは列車交換のできる、相対ホームがある、駅らしい駅だ。そしてもう一度多少の山を見ながらも、確実に平野部に降りてきたことが実感でき、集落も増えてくると頸城大野に着く。写真右上は、頸城大野到着前の車窓。これまで途中駅の利用客は殆どなかったが、ここからは糸魚川へ出かけるらしい地元の人が数名乗ってきた。昔は次が糸魚川だったが、今はその間に、その名も姫川という駅ができている。実際の姫川も近くを流れてはいるが、駅前には大きく立派な姫川病院があり、住宅も多く、南小谷以来つきあってきた険しい姫川のイメージではない。


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 そして住宅や工場を見ながら進み、左から北陸本線が合流してくると、今も広い構内を持ち、鉄道主要駅の堂々たる風格を保つ糸魚川に着いた。北陸線に乗り換える人は少ないようで、殆どの客はここ糸魚川の改札を出たようである。
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by railwaytrip | 2007-07-10 13:00 | 中部地方

名鉄築港線・大江~東名古屋港

 全国には、朝夕しか運転されない工業地帯などへの通勤専用路線がいくつかある。かつては日中も運転されたけれども、殆ど乗客がなくて朝夕のみになってしまった、鶴見線の大川支線などもある。鶴見線自体、都会の中のローカル線として、それなりに有名である。その他、良く知られているのが、山陽本線の支線、通称和田岬線である。

 それらに比べてあまり話題にならないのが、名古屋市南部の臨海工業地帯を走る名鉄築港線である。名古屋から名鉄で知多半島の中部国際空港方面へ向かって急行で15分ほどの大江という所から分かれ、東名古屋港までの1.5キロを走る短い盲腸線だ。運転本数は、大江発の時刻表で見ると、平日朝(7~8時台)が9本、平日夕方(16~19時台)が13本、土曜は半分近くに減り、日曜はさらに減るものの、一応何本かは走る。わずか1駅なので、当然、1本の列車が行ったり来たりするダイヤで、終着東名古屋港での折り返し時間も短い。東名古屋港とはどんな所か、ある程度観察したいので、あまりすぐ折り返す列車を選ぶのはいやだが、そうかといって、1本見送ると今度は間が持たないかもしれない。そこで、夕方の2番列車、大江発16時30分の列車に狙いを定めた。この列車は、東名古屋港で折り返しまでの停留時間が14分あり、他の列車よりも長い。例えば夕方の1番列車は4分、3番列車は3分で折り返してしまう。

e0028292_4571191.jpg 大江駅は、構内は広く、鉄道の駅らしい駅であった。急行も停車するが、これは築港線接続のためというよりは、ここで普通列車との接続ができる構造だかららしく、実際の乗降客数は周辺の駅に比べても少ないらしい。それでも名古屋に近いので住宅が多い。地図によると、東へ1キロほどの所にはJR東海道線の笠寺駅がある。駅は橋上駅ではなく、線路の東側にしか改札口がない。線路を挟んで東側が住宅地、西側が工業地帯と分かれているような感じである。築港線のホームは一番西側の5番線で、モダンなステンレスの2輛編成の電車が停まっている。橋を渡って乗り換えようとすると、乗り換え通路に自動改札がある。同じ名鉄同士なのに何故かというと、これは乗り換えの中間改札ではなく、東名古屋港の出口の改札の役目を果たすのである。途中駅もない盲腸線なので、ここで築港線に乗り換える乗客は、100%が東名古屋港で下車するのだから、ここで東名古屋港までの運賃を徴収するという仕組みである。

e0028292_4581648.jpg 東名古屋港駅周辺は、住宅地ではないらしく、名古屋から見れば下り方向となるが、乗客は一人もいない。運転手と駅員が発車までの時間、雑談をしているが、駅員がタブレットを持っている。発車時刻になるとそれを運転手に渡し、駅員が手を挙げて出発合図をすると車掌がドアを閉め、発車。乗客は私以外に誰もいない。私一人のために冷房まで効かせてくれているような、申し訳ない気分になってしまう。

 発車するとすぐ、南下する本線(常滑線)と分かれて右へカーヴする。するとにわかに住宅地の気配は消えうせ、いかにも臨海工業地帯という感じの風景になる。線路は単線で、左にはいかにも産業道路といった大きな道路が走り、1つ2つ、踏切もあるが、僅か1.5キロだから、すぐ着いた。


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 右側に片面ホームがあるだけの、小さな無人駅である。改札もなく、切符の販売機もないが、ジュースの販売機はある。それなら切符の販売機を置くことも可能は可能だろうが、とにかくそういった設備はない。左前方には三菱重工の大きな建物がある。いかにも住宅などはなさそうな所だ。しかし駅前方が大きな交差点であり、車は多いし、駅の横には市バスのバス停もある。鉄道のない時間帯もバスは結構走っているようだ。線路は行き止まりではなく、先へつながっており(写真右上)、駅のすぐ先には大きな踏切もある。これは埠頭まで続いているらしく、稀に車輛を輸出する時などに使われるらしい。

 発車時間が近づくにつれて、三々五々という感じで乗客が集まってくる。外国人も何人かいる。きちんとネクタイを締めたビジネスマン風の人もいれば、工場で働いてきましたという感じの人、そしておばさんも若い女性も、要するに大企業の工場で働いている色々なタイプの人が乗客となり、全部で20人ほどになって発車。席は十分にある。そして所要3分だからすぐで、あっけなく大江駅へ戻ってきた。


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 大江駅に着くと、すぐに降りず、車内に座ったままの人も多い。これは、すぐに常滑線のホームに行っても列車が来ないからなのであろう。降りた何人かの人とともに階段を上がってみる。定期券を持っている人は、そのまま中間改札を通っているが、そうでない人は、改札の手前の自動券売機で、東名古屋港発の乗車券を買う必要がある。そうしている人が結構いる。やはりこの限定的なダイヤでは使いづらくて、定期を買わず、毎日は利用しないという人も多いのかもしれないし、あるいは毎日勤めている人ではなく、出張などで来た人なのかもしれない。

 名古屋方面へのホームに下りると、なるほど次の列車まで10分近くある。それであの人たちは冷房の効いた築港線の車内で座ったまま時間をつぶしているのであろう。
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by railwaytrip | 2007-07-02 16:30 | 中部地方