カテゴリ:東北地方( 7 )

十和田観光電鉄・三沢~十和田市

 青森からの特急が三沢に着いた時は、あいにく雨が降り始めていた。しかし予定通り、まだ乗ったことのない地方私鉄、十和田観光電鉄に乗って十和田市まで行ってみようと思う。

 十和田観光電鉄といえば、その昔は地方私鉄の優等生で、乗客も多く、例えば津軽鉄道あたりと比べてもずっと活況を呈していたという。それというのも終点の十和田市がそこそこ大きな街だからであろう。十和田といえば十和田湖、そして観光、という文字が路線名に入れば、十和田湖へ行く観光路線のような印象を与えるが、実際にこの電車とバスを乗り継いで十和田湖へ観光へ行く人は、昔から少なかった。それよりは圧倒的に地元の生活密着路線としての性格が強い。


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 リニューアルされて都会風の橋上駅になったJR三沢駅の西口を出て、十和田観光電鉄の駅へ行く。そこはうって変わって古色蒼然としたモルタル造りの渋い駅がある。とりたてて味わい深い建築ではないが、今見ると、昭和に時代が逆戻りしたような味わいがある。

 駅舎の中に入ると、その感じは一層強まった。平日の日中のお客が少ない時間帯で、しかも雨である。だから余計に寂しく感じたのかもしれないが、それでも駅員がいて切符売場もある。自動券売機もあるので、私はそこで十和田市まで570円の切符を買ってしまったが、後で知ったのだが窓口で硬券も買えたらしい。どちらにしても、改札口で鋏を入れてもらう。昔ながらの鉄道の姿がここでは健在である。


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 電車は東急のお古で、東急時代の面影が良く残っていて何となく懐かしい。12時35分発、2輛に10人ほどの客を乗せて発車した。もちろんワンマン運転である。

 三沢を出るとすぐ、古牧温泉の中を通る。温泉地と言うよりも、ホテルの中を横切るような感じである。その後は林の中を走ったと思えば田園地帯を走る。人家は少ない。最初の大曲駅も次の柳沢駅(写真右上)も、単線の無人駅で反対側は見事な水田であった。乗降客もいない。

 3つ目の七百という面白い名前の駅は、途中唯一の交換駅である。駅に小さな車輛基地が併設されている。


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 次の古里は、駅前に道路が走り、駅付近にも人家が見られるなど、これまでより少し賑やかになった。ここまで4駅で8.4キロあり、ここから十和田市まではまだ6駅もあるのに、6.3キロしかない。十和田市側の方がずっと駅間距離が短いのである。三沢も大きな街だが、駅のあたりは市街地と離れているので、三沢側の風景は概して寂しい。ローカル盲腸線の多くは、先へ行くに連れて寂しくなっていくが、この線は逆である。しかしこのことが、十和田市のためにこの路線が残っていられる理由の一つであろう。

 古里の次が三農校前という駅で、駅名の通り、駅前に県立三本木農業高校がある。そして一つ飛んで北里大学前があり、その次が工業高校前と続く。今の時代なら学園都市線というニックネームをつけてもおかしくない。通学時間帯はそれなりに賑わっているに違いない。

 その次がひがし野団地前という、これまた東京近郊にありそうな駅名だが、駅周辺は団地ではなく、東京よりずっとゆったりとした一戸建ての住宅が並んでいる。そして最後はそれまでより少し寂しくなって、十和田市に着いた。途中多少の乗降客があったが、大半は全線乗車の客のようであった。

 十和田市駅は、駅ビル併設の橋上駅だが、駅ビルにあったスーパーが色々な事情から撤退してしまい、もぬけの殻である。有人駅で、駅員が集札しているが、それでもどことなく寂しく寒々しい感じがするのは、天候と、この無機質な駅ビルのせいだろうか。こんな場合は昔ながらの木造駅舎の方が温かみを感じるものである。ちなみに市街地は駅から先へ少し歩く必要がある。


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 雨の中、線路に沿って少し戻り、途中の駅から乗って三沢へ戻った。帰りも乗客は10人前後であった。三沢に戻り、駅構内の老舗の蕎麦屋で昼食をし、それから駅の先の古牧温泉の入口にある踏切で、次の列車の発車を見送ってみた(写真右上)。

※ 乗車当時のこの線には具体的な廃止の話はありませんでしたが、その後、新幹線延伸や震災の影響もあり、急に廃止の話が浮上し、結局2012年3月31日をもって廃線になってしまいました。
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by railwaytrip | 2010-05-28 12:35 | 東北地方

特急いなほ・青森~新潟

 新幹線が続々と開通し、在来線の長距離特急がどんどん減ってきた。気がつけば、新潟と青森を結ぶ「特急いなほ」が、在来線最長距離を走る定期昼行列車となっている。一昔前を思えば随分短くなったものである。しかも、この区間を通して走るのは「いなほ」7往復のうち1往復だけで、その他の「いなほ」は、新潟~秋田、または新潟~酒田が運転区間である。そして、秋田~青森間には、それを補完する役割の「かもしか」という、昔はなかった特急がある。

 この最長距離列車にしても、いつまで残るかわからない。早いうちに一度乗っておきたいと思い、今回、全区間を乗ることにした。新潟発の下りだと後半のかなりの部分が日没後になるので、青森を早朝6時04分に出る上り列車に乗ることにする。11月下旬という日の短い季節ゆえ、青森はまだ真っ暗である。


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 半室グリーン車付き6輛という、一応特急らしい編成である。前3輛が自由席なので、私は3輛目の4号車に乗った。ホームを歩いて見てみても、どの車輛もガラガラだ。札幌発「はまなす」からの乗り継ぎ客が殆どのようで、あとは、早起きの青森の人だろうか。途中で混むかもしれないので、一応、海の見える右側を選んで座る。閑散としているが、ホームの売店は開いていたので、朝食を仕入れておく。発車して数えてみると、この4号車の乗客は5名であった。隣の指定席3号車をドア越しに覗いてみるが、誰もいないようである。

 奥羽本線の青森寄りは、市街地が狭い。東北新幹線の終着駅となるため、工事が進行中の新青森を通過し、津軽新城を過ぎると、早くも山にかかり、山峡の寂しい鶴ヶ坂を通過、このあたりは昔から変わっていない。そして大釈迦を過ぎると峠を越えて、弘前盆地へと下りていく。そのあたりから外が薄明るくなる。大半の特急が停まる浪岡を通過。長距離特急の貫禄というところか。右手にうっすらと岩木山が見えてくる。その次の北常盤は弘前から3駅目だが、駅周辺に新興住宅が多く、都会風に栄えてきている。県庁青森から3駅目の鶴ヶ坂とは大違いで、これだけを見ると、青森より弘前がずっと大都市なのかと思う。下り青森行を待つ通勤通学客が下りホームにいる。五能線が合流する川部は昔のままだが、その次の、難読駅として名高い撫牛子も、駅周辺は新興住宅地として開けており、下りホームにはやはり通勤通学客が列車を待っている。

e0028292_564668.jpg 最初の停車駅、弘前で、客が結構乗ってきた。といっても、ここから先は険しい山越えで、交流の多そうなところではない。発車メロディーが津軽三味線なのには苦笑してしまう。ちょっとやりすぎではないかと思う。

 弘前から大館の間は、人家も少ない矢立峠越えの険しい山中を走る。しかし弘前寄りはある程度の人家や町があり、同じ区間を走る「特急かもしか」は、大鰐温泉と碇ヶ関にも停車する。しかしこの「いなほ」はこれらを通過し、大館までノンストップで走る。長距離特急の面目躍如といったところか。もっとも時間帯からして秋田へのビジネス特急の性格が強いから、浪岡ともども、青森県内の小駅は通過して良いという判断かもしれない。

 人家もない所にポツンとある無人駅、津軽湯の沢を過ぎ、国境の隧道を抜けると秋田県に入る。最初の駅、陣場も寂しい所だが、人家はパラパラとある。陣場と白沢の間は、お互いが見えないところまで上下線が大きく離れて走る。秋田県に入ってうっすらと太陽も出てきた。そして人家が増えてくると大館に着く。

 県庁秋田への日帰り出張に便利な朝の列車だけあって、大館では大勢乗ってきた。といっても、まだ席の3分の1が埋まった程度である。ここからは米代川沿いをゆるいカーヴを繰り返しながら、徐々に下っていく。一人の男性客が多く、新聞を読んだりパソコンを広げたりしている。進むに連れ、霧が深くなってきた。米代川から立ち上る朝霧らしい。

 霧の鷹ノ巣に停車。ここからの乗車は僅かだ。その先、列車はスピードを出さなくなった。車掌が「霧のため徐行しています」と放送する。次の二ツ井を6分遅れで発車。二ツ井も乗車は少ない。二ツ井を出るとあっという間に霧が晴れ、スピードを取り戻す。しかし、通過する鶴形の手前の場内信号機で停まってしまった。2分ぐらい停まると、下り線を「特急あけぼの」が行き違う。そしてこちらもゆっくりと動き出し、鶴形通過。鶴形の先が単線のため、こうなったようだ。本来なら「あけぼの」とは東能代で行き違うダイヤである。

 東能代着は12分遅れ、8時03分に着いた。隣のホームには、7時55分発の五能線が、学生をいっぱい乗せて、この列車との接続待ちをしている。しかし4号車に関しては東能代で降りる客はない。秋田もだいぶ近いからか、乗車も少なく、すぐ発車。

 東能代からは、日本海が見えるほどではないが、海と遠くない平野部を走るので、スピードも出る。遅れ回復ということもあり、特急らしく快走する。鯉川のあたりでは右手に八郎潟を間近に眺めることができる。昔は全部が湖だったのだろうが、もう干拓されて何十年も経ち、今の風景が定着している。つまり湖と言っても川のような水路が残っているだけである。昔からここを通るたびに、鯉川で降りて、あの湖畔まで行ってみたいと思っているのだが、未だに果たせていない。

 秋田までで最後の停車駅、八郎潟も、乗車は少ない。このあたりから秋田なら普通列車でも十分なのだろう。車掌が「八郎潟の次は終点秋田です」と何度も言い、訂正もしない。

 男鹿線が合流する追分あたりから、秋田郊外っぽい風景になってくる。そして秋田の外港がある土崎は、それ自体、一つの町である。しかし土崎と次の秋田は7.1キロもあり、今の時代なら間に駅が2つぐらいできても良さそうな気がする。

 車掌が「間もなく終点、秋田です」と言ってから、やっと気がついたのか「失礼しました。間もなく秋田です」と言い直し、東京行き「こまち」などの連絡列車案内を始める。多くの客がそわそわと降りる支度を始める。といっても殆どの客は軽装で、大きな荷物をかかえた人は少ない。

 秋田へは僅か2分遅れで着いた。随分と回復力があるものだと思うが、単線区間の多い奥羽本線では、それぐらいのダイヤ設定にしておかないと、ひとたび遅れると収拾がつかなくなるのかもしれない。殆どの客が降りるなあ、と思ってみていると、本当に殆ど降りた。しかし通路の向かい側の席の、パソコンや書類を開きながら携帯電話で通話をしている若い男性は降りないらしく、電話とパソコンの両方に夢中である。やれやれ、どこまで行くんだろうと思っていると、周囲の様子に気がついて、あわててパソコンを閉じ、鞄に書類ともども無造作に突っ込むと、駆け足で下車していった。何と、4号車の客は私以外、全員秋田で降りてしまった。代わってこれまでとは雰囲気の違う、旅行者風の中年グループなどがパラパラと乗ってきた。

 車掌も交代し、車内販売も乗ってきて、全く雰囲気が変わり、秋田を定刻に発車。それにしても、車掌が秋田を「終点」と勘違いするのは、自分の乗務が秋田までだから、という以上に、何となくわかるような気がした。それほど、別の列車でも問題ないぐらいに乗客が殆ど総入れ替えになるのだ。長距離特急が減っていく理由もわかる気がする。そもそもこの「いなほ8号」は、以前は大阪行きの「白鳥」だった列車だ。今回の私も、折角全区間乗るのだから、新潟で乗り継いで大阪まで、かつての「白鳥」のスジをたどろうかとも思ったのだが、それはさすがに馬鹿らしいのでやめにした。しかし、こうして途中で分断されていく理由は、JR側の合理化という以上に、乗客の流れに沿ったものであることを実感してしまう。残念だがこれが現実だ。この「いなほ8号」も、いずれは秋田までの「かもしか」とに分断されてしまうかもしれない。そう思うと、今回乗っておいて良かったと思う。実は「白鳥」にも全区間通しで乗ってみたかったのだが、果たせぬうちになくなってしまった。「白鳥」とでは、乗りでが丸で違うが、せめてもの慰みだと思うことにしよう。

 秋田から新潟までは、延々と日本海岸を行く。距離も長いが、その間、県庁所在都市もない。県庁秋田への朝のビジネス特急だった前半区間とは色々な意味で違う。まだ8時代だが、ビジネス客が降りた後の空いた列車の中は、昼下がりのようにけだるい。だが、秋田までは乗っていなかった車内販売が乗ってくる。あまり商売っ気がなさそうで、さっさと通り過ぎる。私は青森駅で、秋田まで車内販売が無いという駅のアナウンスを聞いていたので、青森のホーム売店で買った朝食を済ませており、車内販売には用がない。秋田までの方が商売になりそうなのに、と思う。

 秋田から羽後本荘までは、35分かかる。特急なのだから30分以上の無停車など当然で、というのは、一昔前の話で、この列車で30分以上の無停車は、青森~弘前、弘前~大館と、ここと府屋~村上の4ヶ所だけで、それもいずれも40分以内である。雄物川を渡った先の、秋田から2つ目の新屋あたりで秋田郊外の風情は果て、海辺に出ると、松林の多い日本海岸を、時に海を遠く近くに見ながら、しかし大半はその間の国道を見ながら、列車は快走する。


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 ローカル幹線の主要駅という風情の羽後本荘は、晴天のため明るい雰囲気だが、時間帯のせいか乗降は殆どなし(写真上)。続いて停まる仁賀保は、駅の裏がTDKの大工場で、東京と出張のビジネスマンの行き来も多い駅だとの話だが、やはり時間帯のせいか、乗降客は殆どいない。ここでは下り貨物列車が向かいに停まっていた(写真右下)。委託駅員のおばさんが手持ち無沙汰に列車を見送っている。


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 「陸の松島」の異名を持つ象潟が近づくと、特に左手の田んぼの中に、隆起した松島がいくつも見られる(写真左下)。羽越本線の車窓の珍景を代表する一つだと思うが、昔に比べると周辺に住宅が増えたような気がする。その象潟も、乗降客は殆ど見られない。


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 象潟の先は、有耶無耶の関があったとされる国境で、人家も途絶え、青い海が美しい。そして県境を越えて最初の、信号場あがりの駅、女鹿に運転停車した。羽越本線屈指の閑散駅であり、普通列車でも通過が多い。ゆえにこれまで駅をじっくり眺める機会に恵まれなかったが、思いがけぬ停車なので、窓越しに様子をじっくり観察する(写真右上)。やがて下り普通列車が通過する。酒田方面へ通う通学生のために朝夕だけ停車する駅らしく、この時間帯は普通列車も通過してしまうのである。特急を待たせておいて通過する普通は珍しい。確かに駅のあたりは人家もなく、鬱蒼としており、降りるのを躊躇うような駅だが、ちょっと歩けばそれなりの集落があることがわかる。このあたりの集落は、屋根が黒瓦に統一されているので、朝日を浴びて輝く集落全体が美しく、一枚の絵になっている。


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 そのあたりから左手に鳥海山が見えてくる。今日は雲もなく、名山がくっきりと眺められる。山形県最初の停車駅である遊佐は、羽越本線の特急停車駅の中でも影が薄い小駅だと思っていたが、ここから数名が乗ってきた。県が変わったことで動きが出てきたのかもしれない。遊佐をすぎると海が離れ、米どころの庄内平野を快走する。そして羽越本線の中間地点の要衝、酒田に定刻に着いた。パラパラと列車を待っている客がホームに立っている。


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 4分の停車時間があるので、ホームに下りてみる。もう11月下旬で、雪の季節も間近だが、今日は暖かい。荒れ狂う冬の日本海も味わい深いが、日が短い今の季節だけに、昼間こうして晴れてくれて、青い海が堪能できるのも良いものである。

e0028292_5122446.jpg 数は少ないものの、新幹線乗り継ぎで東京方面までという雰囲気の客が乗り出したのも、このあたりからである。続く余目は、町自体は小さいが、そこでも、そしてその次の鶴岡(写真左)でも、そんな感じの客が乗ってくる。少しずつ客が増えてきたので、車内販売がもう一度回ってくるが、この販売員、あまりやる気がないのか、回る頻度が少ない気がする。青森を出て既に5時間も経つし、天気も良いので昼すぎの気分だが、まだ11時で、昼食を買うには早い。

 鶴岡から3つ目の三瀬を通過すると、列車はまた日本海岸に出る。ここから村上の手前までは、大部分が日本海沿いを走る、羽越本線屈指の絶景区間だ。大きな町もなく、特急停車駅としては、あつみ温泉と府屋の2駅がある。そのあつみ温泉では、温泉帰りの行楽客とおぼしき中年女性のグループなどが乗ってきた。新潟へ向けて少しずつ客が増えてきた。そして、山形・新潟県境にあり、奥州三大関所の一つである鼠ヶ関を通過。江戸時代には念珠関とも言ったらしい。通過後、駅構内のはずれで山形県から新潟県へと入るのは、まさに関所から発展した町ならではか。

e0028292_5125426.jpg 次の府屋でも若干の乗車があり、ここから村上まで30分が、笹川流れの景勝など、海の眺めが素晴らしい区間となる。確かに海岸美は素晴らしいが、間を国道が通っているし、それにこうしてずっと走ってきた後に見ると、人家が結構多く感じる。それでも汽車旅の良さを感じさせる、いい区間だと思う。通過する駅も桑川を除けば小さくて風情がある。桑川だけは、駅舎もモダンで立派になり、駅付近に民宿が多く、道の駅もあって、ちょっと賑やかな印象があった。
 
 間島を過ぎ、ゆるやかに海から離れると、いよいよ越後平野で、旅も終盤だと思う。今日は明るいからあまり影響ないものの、ここに交直流の電源切り替えのための、デッドセクションがあり、車掌も「電源切り替えのため、一時車内が暗くなります」と放送をする。そういえばそういうものがあったか、と思う。最近の新しい車輛は、デッドセクションでも電気が消えないで済むものが増えている。夜などは結構面白くて、これも旅の味わいのうちだと思うが、こういった情緒も鉄道技術の進歩とともに消えてゆく。

 村上は、そんな直流区間に入った所にある市で、県庁新潟までは特急を使いたくなるぐらいの距離はある。しかし、時間帯のせいか、僅かしか乗ってこなかった。ここからはほぼひたすら、米どころ新潟の田園地帯を快走するが、人家も増えるし、工場なども見られるようになる。終点まで1時間を切って、12時も回ったので、最後の車内販売から昼食を買おうと思っていたのだが、前寄りの通路でじっとしているのが見えるのに、一向に回りに来る気配がない。こちらから買いに行こうかとも思ったが、それも面倒臭くなり、結局昼食は新潟に着いてからになってしまったのだが、それにしても、ここまでやる気のない車内販売は珍しい。

 中条、新発田と、わずかな乗車がある。新発田は降車もあったが、基本的には秋田以来、圧倒的に新潟志向の客が中心の列車であった。新潟のベッドタウンとなった豊栄が最後の停車駅で、ここも動きはなく、そのあたりからは人家も増えて、久々に都市が近づいたと思う。何しろ新潟は本州の日本海側では最大の都市で、秋田より大きい。


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 車掌が新幹線などの乗換列車の案内を始めた。秋田でも「東京行きこまち」という案内はあったが、軽装の県内ビジネス客っぽい人ばかりで、あまり実感がなかった。その点こちらは、乗り継いで東京へ向かう客がそれなりにいるような雰囲気がある。新潟が近づいたこと、イコール東京が近づいたことになっている。新幹線が増えて、日本が狭くなり、どこにいても東京が近くなった。その新幹線との連絡も2度あるものの、新幹線が走らない区間だからこそ、延々と6時間43分、在来線最長の特急昼行列車はこうして何とか今も走り続けている。途中最大12分遅れたが、新潟には定刻、12時47分に着いた。ローカル長距離鈍行を乗り通したような達成感もなく、長いとも思わなかったが、昼間の列車にこんなに長く乗ったのは久しぶりではあった。

※ この区間は、東北地方(青森・秋田・山形県)と中部地方(新潟県)とにまたがりますが、東北側の方が距離が長いため、便宜上、東北地方のカテゴリーに分類しました。
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by railwaytrip | 2009-11-25 12:47 | 東北地方

奥羽本線・さくらんぼ東根駅・東根駅

 山形県東根市は、一般には影の薄い町だと思う。しかし市であるから、昔から特急や急行が停車していた。その中心駅は東根駅であった。

 それが、新在直通の山形新幹線の新庄延伸にあたり、従来の東根駅の代わりに、新しく、さくらんぼ東根駅というとてつもない名前の駅が新設された。さくらんぼ東根駅は、東根駅から2.5キロ山形寄りで、東根の市街地にはこちらが近いらしい。町の中心駅をどこに設けるかについては、町とJRの協議で決めるのが正しく、よそ者が口を挟むことではない。ただ、この駅名はどうかと思う。東京あたりで大人がこんな行先の切符を買うのも躊躇してしまわないか。普通なら、新しい駅を東根として、昔からの駅を「本東根」か「北東根」などに改称するか、あるいは新幹線新駅の定番として、新しい駅を「新東根」とでもするところだろう。しかし、東根市はさくらんぼの生産が日本一らしく、それを売り込むため、このように大胆な駅名が選ばれたらしい。


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 まず新幹線で、そのさくらんぼ東根に降りてみる。相対ホームのある普通の橋上駅だ。新幹線といっても、新在直通のこの区間では、新幹線ならではの雰囲気はない。ホームも狭い、普通の地上駅だ。しかしエレベータはついていた。やはり新幹線開業に合わせた新駅だからか、駅舎はかなり立派で、意気込んで造ったのが見て取れる。駅前広場も広い。


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 しかし、市街地や市役所に近いとはいえ、繁華街と呼ぶには程遠い。もとは駅がない場所だったのだから、当然かもしれない。これから新たな市街地が開けていくのかというと、それもどうなのだろうという気がする。駅からすぐの所に住宅が多い。それも新しい新興住宅という感じの家が多い。観光地らしい雰囲気も地方都市の風情も皆無である。もし駅名に惹かれて、東京から新幹線に乗って観光に訪れた人がいるとしたら、高崎線あたりの郊外の駅に降りたのと変わらないじゃないか、と感じるかもしれない。


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 もちろん、あらかじめ調べて来れば、あるいはちゃんとした目的があれば良いのであって、悪く言うつもりはない。つまり、僅かな時間しかない旅人が、旅情を求めてぶらっと途中下車、というのであれば、全くお勧めできない駅だということである。

 ついでに言うと、この駅ができる前には、ここから北へ600メートルほど東根に寄った所に、蟹沢という小さな無人駅があった。さくらんぼ東根は、蟹沢が移転して発展したということらしいが、ともあれ、蟹沢は廃止された。さくらんぼ東根の改札を出る時、駅員に「昔の蟹沢駅はどちらですか」と聞いたら、しばらく考え込んで、反対方向の山形寄りだと教えてくれた。私もその時は知らず、帰ってから調べて逆だとわかったのだが、蟹沢駅自体はそれほどに存在感が薄い駅だったのだろう。あるいはこの駅員がたまたまこのあたりの人ではなく、新幹線開業後にここに赴任してきたのかもしれない。ともあれ、幸か不幸か、十分な時間がなかったので、駅員の間違った情報を頼りに、駅跡を探してうろうろしたりすることにはならなかった。

 次に普通列車に1駅乗って、東根駅へ行ってみる。2輛編成のローカル鈍行だが、新幹線に合わせた標準軌を高速で快走するので、こう言っては失礼だが、このあたりのローカル客は恵まれていると思う。地方のローカル線に乗ると、車に完敗のノロノロ列車も珍しくないからだ。


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 さて、東根駅は、かつて特急が颯爽と停車した主要駅のはずである。当然、交換駅であっただろう。しかし単線化されてしまっている。さくらんぼ東根が交換駅として整備されたので、僅かな距離に続けて交換設備を残す意味もなかったのであろう。

 単線のホームは、もとの下り線だけ残されたのであろうか。もとの上りホーム側に駅舎があるのだが、その上りホームは撤去されてしまったようだ。よって、単線にもかかわらず、駅舎のある出口へは橋を渡る必要がある。けれども、かつて駅裏だった反対側にも出口が設けられて、そこはホームからすぐに下りることができる。どちらにしても無人駅だから、それで良いのだろう。

 最初にその新しい裏口に出てみる(写真左下)。駅前は真新しい民家がパラパラあり、あとは果樹園などの畑である。林檎の実がちょっとだけ実っている。遠くには雪をうっすらと被った山が望める。しかし他に何もないので、特に面白い所ではない。


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 橋を渡って昔の駅舎が残る出口へ行く(写真左下)。特急停車駅であった名残で、それなりの規模の駅舎であるが、無人化されてガランとしている。駅前は、というと、一応駅前らしい雰囲気はあり、店もちょっとあるが、やはり寂しく、人も歩いていない。特急停車駅だった頃からあまり賑やかではなかったに違いない。というか、それだからこそ、新幹線開業に当たり中心駅を移したのだろう。


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 跨線橋から新庄方面を見ると、先の方に結構な住宅やビルの集積がある。あのあたりが東根温泉だろう。東根駅からならば徒歩でも何とか行ける範囲に、温泉街があり、ここ東根駅にはその温泉旅館の名前の並んだレトロな看板が今も残っていて旅情を誘う(写真右上)。しかし今は、温泉への下車駅は、さくらんぼ東根と案内されているようで、普通しか停まらない東根から徒歩でどうぞ、とは、旅館も案内していないようである。言うまでもなく、さくらんぼ東根から温泉街へは、歩けるような距離ではない。逆に言うと、奥羽本線が開通した当時、市街地に近いとは言えないこの場所が東根駅に選ばれた理由の一番が、東根温泉に近いことだったという話もあるようだ。

 何はともあれ、市街地と温泉と駅の立地と移転と、小都市ながら不思議な関係だなと思う。今年はその、山形新幹線延伸、さくらんぼ東根開業、蟹沢廃止から10年にあたる。
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by railwaytrip | 2009-11-20 12:00 | 東北地方

花輪線・荒屋新町駅

 関東から東北地方にかけての小縮尺の地図を見ると、概ね宇都宮から盛岡あたりまでは、東北新幹線・東北本線と東北自動車道が大体並行して通っている。しかし、盛岡から北は、高速道路の方は、東北本線ルートと大きく外れ、安代、鹿角、大鰐といったところを通り、青森へ至っている。その安代で八戸自動車道が分岐し、八戸に至っているので、そちらが東北本線ルートにやや近い。

 その安代ジャンクションという所は、一般にはなじみが薄いが、今は合併して八幡平市となってしまった、旧・安代町にある。その旧・安代町の中心駅が、荒屋新町という、これまた一般にはなじみの薄い駅である。

 花輪線は、ローカル線ではあるが、かつては急行列車が走り、盛岡から大館・弘前方面への長距離客も運んでいた。しかし、高速バスに全く太刀打ちできず、今はローカル輸送に徹した路線となっている。それでもかつての急行の面影を残す快速「八幡平」が1往復だけある。それに乗って大館方面から来て、この荒屋新町駅で降りてみた。列車は4輛もつないでいたが、ガラガラに空いていた。荒屋新町では乗降とも数名。


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 路線のほぼ中間地点にある運転上の拠点駅の一つで、機関庫が残っているが、今は使われていないようで、レールも錆びていた。昔ながらの構内踏切を渡り、これまた昔ながらの木造駅舎を抜けて改札を出る。みどりの窓口もあるが、駅員は一人だけのようである。


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 ガランとした駅前広場。駅前食堂がある。歩くと少し広い道路にぶつかる。そこが町の中心のようで、昔ながらの、歩道もない二車線道路であるが、高速やバイパスが増えたおかげでか、自動車の交通量は少ない。両側には古い家屋が多い。旅館も銀行もあり、この地域の中心らしい貫禄は十分だが、ご多分にもれず、平日日中のこととて、人影は少なく、特に若い人を見かけない。


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 食事をしたいような店が見つからず、駅前に戻って、駅前食堂に入る。今は鉄道の駅は町の中心からはずれ、町の人の多くにとって、それほど重要ではない場所になってしまったのだろう。それでも駅前食堂が営業しているのは嬉しい。ごく普通の定食ものが中心であったが、味はとても良かった。

 そうやって時間をつぶすこと1時間あまり、そろそろと思って駅で待っていると、大型のJRパスがやってきた。これは盛岡発浄法寺行という路線バスで、盛岡からここまでは、高速経由で、花輪線経由よりも安くて速いということになってしまっている。ただ、本数は1日2本しかないので、荒屋新町の人が盛岡に行くには、列車と両方をうまく使いこなす必要はあるのだろう。とはいえ、結構な乗車率で、ここで下車する人も多い。


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 かつて、地方では当たり前に見かけた、国鉄の駅で接続する国鉄バス。JRバスになってもしばらくは引き継がれたが、近年は民間や自治体への路線移管と廃止が進み、かなり数が減った。ここ荒屋新町は、今や数少ないJRバス乗り換え駅の一つとして健在である。駅のホームの乗り換え案内は、国鉄バス時代から使っていると思われるものである。今、ここで列車とバスを乗り継ぐ人が、一日に一体何人いるのだろう。そんな稀少な乗り継ぎを果たした私は、このバスで終点、浄法寺へ行き、さらに別のJRバスに乗り継いで二戸へと、珍しいルートをたどってみた。今や、ローカルバスをスムーズに乗り継いでこんな旅をするのは、ローカル線乗り継ぎ以上に難しい時代かもしれない。私にとっては恐らく二度と乗る機会はない路線だろうが、JRバスとして末長く存続してほしいものである。
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by railwaytrip | 2009-11-19 12:25 | 東北地方

只見線・小出~会津若松

 時間を忘れて本物のローカル線にのんびりと長時間ゆられてみたい。そんな願望を満たす線区をいくつか絞った結果、只見線を選ぶことにした。水郡線や米坂線などもかなり食指が動いたが、一部区間を除くと長いこと乗っていない只見線の全線走破列車にタイミング良く乗れるスケジュールが組めた。但し、最後は夜になってしまうが、これは日の短い晩秋ゆえ、やむを得ない。

 只見線は、沿線人口の稀薄な山間部の豪雪地帯をのんびり走る長大ローカル線であること自体、昔も今も魅力尽きない線だが、只見線を選んだ理由は他にもある。それは、この線が古きよき時代のローカル線の面影が濃く残っているからだ。最近はローカル線といえども、車輛がモダンになり、ワンマン列車となった所が多い。しかし只見線は、昔ながらの4人掛けボックスシートがメインの、国鉄時代末期に製造されたキハ40などが使われており、車掌も乗っている。ローカル線とはいえ、一昔前まで当たり前だったことだが、最近は極限なまでの合理化により、変貌してしまった。只見線は、まだその改革が及んでいない。

e0028292_1165935.jpg 乗るのは小出13時17分発の会津若松行で、小出からの列車としては、何と05時30分の始発列車に続く二番列車なのである。越後湯沢方面からの普通に15分で、長岡からの普通列車に8分で接続しているが、乗り換え客は少ない。かといって始発駅とはいえ小さな町、小出からの客も多くない。要するに、期待通り、といっては悪いが、閑散期・平日の昼下がりという時間帯、乗客は見事に少ない。私自身、それを狙ってこの時期を選んだわけでもある。青春18切符などの時期は、だいぶ様子が変わるそうだから。2輛編成のディーゼルカーの乗客は合わせて20名余りといったところだろうか。いずこも同じで中高年客が多く、他は高校生が少々。

 定刻に小出を発車。魚野川に沿って長岡へ下っていく上越線とさらりと分かれると、その魚野川を鉄橋で渡る。水量は多い。目の前に迫った厳しい冬を思わせる、どんよりした寂しい天気で、いかにも寒々しい風景だ。山肌には雪が見られるが、地表にはない。稲刈りはとっくに終わっているが、キャベツ畑で収穫にいそしむ農業のおじさんを見かける。列車のスピードは遅い。上越線の普通列車から乗り換えても、かなりのギャップを感じる。新幹線からいきなり乗り換えだったらなおさらだろう。


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 最初の停車駅、藪神で、おばさんと女子高生が下車、次の越後広瀬でも同じくおばさんと女子高生が降りた。このあたりはまだ小出の郊外で、市内交通的に利用しているのであろうが、本数が少なく大変であろう。次の魚沼田中(写真右上)は、同じ新潟県(越後国)内の飯山線に越後田中という駅があるため、こういう駅名になっているが、乗降ゼロ、そして次は立派な駅舎がある越後須原で、委託の駅員もいる。委託の駅員は、列車に向かって深々とおじぎをするが、敬礼はしない。駅前には民宿などもあり、ちょっとした観光地にもなっているが、乗降客はなく、委託の駅員が気の毒になってくる。

 あいにく雨が強くなってきた。そしてこのあたりから地平にも残雪が見られるようになった。次の上条でおばさんが一人下車し、車内が閑散としてくる。平野が果てて山が迫ってきて、ここに最初の隧道もある。次は「ようこそ山菜共和国へ」の大きな看板のある入広瀬で、ここにも委託の駅員がいて、やはり列車に向かっておじぎをする。駅付近には結構住宅が多い。ここでおばさんが3名下車。それにしても、列車でこのあたりを訪れる観光客がどれだけいるのだろう。


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 入広瀬からは勾配がきつくなり、右手に魚野川の支流、破間川が沿う。まだ紅葉が綺麗に残っているが、すっかり雪景色になった。どんよりとした寂しい風景の中、柿ノ木に着く。ここは以前は臨時駅の扱いだった所で、山に囲まれて数軒の家があるだけの所だ。乗降客はいない。駅名と関係あるのかどうか、柿の木が2本ほどあった。そしてその次が新潟県側最後の駅、大白川(写真右上)である。ここも小さな集落だが、只見線が全通する以前は終着だった駅で、今も運転上の拠点駅なので、委託ではなくJRの正規の駅員がいる。委託の駅員と違い、列車に向かって敬礼をする。線路点検なのか、事業用列車が反対ホームに停まっていた。ここは時刻表を見ていると主要駅のようだが、実際は人家も少ない山の中の駅で、下車したのも1名だけであった。ここまでの途中駅で乗車客は全くなく、大白川発車時点での乗客数を数えてみると、私を含め13名であった。

 大白川を発車すると、小さな集落を見るが、その先は人家も途絶え、列車のスピードは落ち、いかにも苦しそうに勾配を登っていく感じになる。列車と並行しているのは道路と川で、道路の方にはスノーシェッドが多い。線路と道路が川の流れに沿って狭い土地を分け合いながら国境を目指して上っていく。列車の客も少ないが、国道を行く車も少ない。何もない所を10分余りも走ると、隧道に入る。これは六十里越隧道、1971年の只見線全通時にできた、全長6,359メートルの隧道で、新幹線を中心に、長い隧道が山ほどできた今でこそ、ものの数にも入らないが、当時は全国でベスト10に入った長大隧道であった。

e0028292_1204490.jpg その長い隧道をしばらく行くと、ディーゼルカーの音がニュートラルになり、峠を越えて下り坂になったことがわかる。ここが分水嶺で、新潟県から福島県に入ったことになる。にわかに列車のスピードが増した。そして隧道を出ると、鉄橋を渡り、もう一つ小さな隧道をくぐると、スノーシェッドに覆われた半地下のような寒々しい田子倉駅に着く。手前右手に、田子倉無料休憩所というドライブインのような建物が見えたが、閉鎖されて久しいのか、窓もベニヤ板で塞がれていた。この駅周辺には人家がなく、日常生活での利用者はいない。田子倉湖への観光や釣り、登山などの客ぐらいしか利用しない駅らしい。そのため、12月からは全列車が通過する。今日はまだ停車する。あと10日で今年の営業は終わりの駅だが、いずれにしても乗降客はいない。

e0028292_1211194.jpg 田子倉を出ると、右手にチラリと田子倉湖が見え、またすぐ長い隧道に入る。田子倉隧道で、3,712メートルの長さがある。下り坂のため、さほどの長さを感じずに出てしまった感じだ。そして少し行くと土地が開け、久しぶりに人家が現れ、線名にもなっている只見に着く。いかにも山村の村落という感じで、駅前に民宿なども見られる。線路の反対側はスキー場だ。ここも運転上の主要駅だが、大白川に比べると集落も大きく、小出からの客が7名ぐらい下車した。このあたりは福島県といっても、県内の主要都市である会津若松や、郡山、福島などは遠く、例えばちょっとした買い物や大きな病院なども、長岡の方が近いのであろう。そのため、県境を越えての細い日常流動があるようで、下車したのは地元の人っぽい客ばかりであった。

 只見を出ると、車掌が最後尾から2輛目の前の運転台に移ってきた。ここから会津川口までの途中駅は、ホームが1輛分しかないからである。通常のローカル線では、県境越えの区間が一番本数が少ないのだが、只見線の場合、福島県側の只見と会津川口の間が一番少なく、一日3往復となる。この区間の各駅は、どこも最低限の短いホームを設けただけの簡易停留場のような造りなのだ。しかし、人家もない田子倉に比べれば、各駅とも小さな集落があり、生活の匂いも感じる。けれども列車は只見でますます空いてしまった。途中駅での乗降は、会津横田で1名の下車があったのみで、この列車だけを見ると、もう風前の灯のような印象を受けてしまう。写真左下は会津蒲生駅到着手前の車窓右側、写真右下は会津横田駅。


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 そんな所を小さな駅に一つ一つ停車しながら進むにつれて、地表を覆う雪がどんどん少なくなり、会津越川まで来ると殆ど雪は消えた。その次の本名という駅は、古くて立派な日本家屋が結構密集した美しい集落であった。本名を過ぎ、只見川の鉄橋を渡り、只見川にぴったり沿った形で進むと、会津川口に進入、ここが、大白川、只見に次ぐ運転上の主要駅である。ここは、只見に比べても町が大きく、運転上というだけでなく、奥会津の一つの中核をなす町である。ここから会津若松の間は本数も倍増する。そして、こんなローカル線が、といっては失礼だが、会津若松21時40分発、会津川口終着23時28分という夜遅い列車まであって、びっくりさせられる。


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 列車はここで10分以上停車する。僅かに残った客の殆どがここで下車するのと引き換えに、次々と高校生が乗ってくる。一般客も多少いて、俄かに活気づいた。そしてここでは小出行き下り列車とも交換する。小出から2時間にして最初の列車交換である(今日は大白川で事業用列車との交換はあったが)。その反対ホームにいる小出行きは、これから今通ってきた、一日3往復だけの閑散区間へ乗り入れるわけだが、乗客は結構いた。あちらの列車では、1輛分のホームだけの小駅でも少しずつ下車客があるに違いない。


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 会津中川、会津水沼と、古い駅舎の残る無人駅に停まる。各駅とも周辺に人家も見られるが、乗降客はない。その次の早戸は、川に沿った寂しい所だが、駅と駅前の道路が工事中であった。ここでは降車も乗車も1名。このあたりまで下ってくると、山肌にも殆ど雪がなくなった。次の会津宮下(写真左上)は、立派な駅舎があり駅員がいる駅で、乗降客も見られ、只見線が生活の足として利用されているなと実感できるのが嬉しい。しかも、只見線の各駅は、まだ古い木造駅舎が多数健在だなと嬉しくなったが、その先は各駅とも新築の待合所風の駅舎になっていた。会津宮下とともに主要駅の会津柳津(写真右上)は、古い駅舎であった。恐らく、無人駅の方が放置すると荒れやすいので、先に古い駅舎を壊してしまっているのであろう。会津柳津の先で、車窓にコンビニが見えたが、そういえば小出以来、初めてこういうものを見たような気がする。

 晩秋の短い日がとっぷりと暮れてきた。そして殆ど夜になった会津坂下では、これまでとは比較にならないほど大勢の高校生が乗ってきて、一気に活気が出た。会津川口の高校生に比べると、良くも悪しくも現代っ子的な印象だ。会津高田でもう一度、高校生多数の乗降がある。外は真っ暗だが、まだ5時だ。

e0028292_124440.jpg そして会津若松の市街に入った西若松、七日町とも、かなりの下車客があり、終着会津若松に定刻17時18分に着いた。小出から4時間の旅であった。その昔、上野からの「急行ばんだい」で着いた時には、みちのくを色濃く感じたが、只見線4時間の果てに着いた会津若松は、都会の駅のようだ。とはいえ、駅を出てみれば、思いのほか寂しい駅前で、活気は感じられない。もっともこの駅の場所は、会津若松の市街地とは少々離れている。会津若松の夜の町を少し歩きたかったが、中途半端な待ち時間で郡山行がある。町を歩くほどの時間はないが、かといって待つだけでは退屈な、夜更けの会津若松駅であった。

※ この区間は、中部地方(新潟県)と東北地方(福島県)とにまたがりますが、福島県側の方が距離が長いため、便宜上、東北地方のカテゴリーに分類しました。
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by railwaytrip | 2007-11-20 13:17 | 東北地方

奥羽本線・弘前~東能代

e0028292_20265894.jpg 最近モダンな駅に改装された弘前。ここが始発で秋田までの約150キロを2時間半かけて走破する普通列車は、3輛編成の交流電車である。それなりに長距離を走るにもかかわらず、全てロングシートの、東京近郊と変わらぬ電車であるのは、誠にいただけない。これでは折角鉄道の旅を楽しもうという人どころか、用務客でさえ鉄道離れを起こす恐れがあるということを、JRの当局は考えていないのであろうか。私自身、これは二度と乗りたくないと思ってしまった。実際、発車数分前に、大きな荷物をかかえたおじいさんが「秋田はこれでいいんかいな」と車掌に尋ねながら乗ってきた。特急の本数もさほど多くないこの地方では、今の時代でも、ある程度の長距離客が普通列車に乗り合わせることも、ままあるのである。特急が30分毎に走る鹿児島本線などとは事情が異なる。

 何はともあれ、乗客は3輛合わせて30~40人ぐらいであろうか、昼間の閑散時間帯にしては悪くない人数だが、大鰐温泉と碇ヶ関で近距離客が下車し、だいぶ減ったようである。碇ヶ関までが弘前郊外と言える区間で、ここからは、険しい矢立峠の国境越え区間となり、日常的な流動は少ない筈である。その区間にある人跡稀なる山奥の駅、津軽湯の沢で、おばさんが一人下車した。左下の写真は津軽湯の沢停車中の車内風景。


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 秋田県に入った最初の駅、陣場(写真右上)では、一人の乗車がある。人口が少なくてもこうして普通列車が通れば利用者が僅かでもある。ほっとする光景である。というのも、今やそうではない所も少なくないからである。それにしても、さきほどの秋田までのおじいさんは、このロングシートにあぐらをかいて、所在なさそうに座っている。繰り返すが、これは長距離客にあまりに気の毒な座席である。

e0028292_2032186.jpg とはいえ、全体に占める長距離客の割合は少なく、大館では大半の客が入れ替わる。大館は昔ながらの鉄道主要駅の風格が今も十分の、重厚な駅だ。ここで車掌も交代する。今度は若い車掌で、マニュアル通りなのか、東京の電車と変わらない口調で案内放送を入れる。もとより方言もなく、一層旅情が薄らぐ。その放送の最後に「なお、途中の糠沢には停まりませんからご注意下さい。」と付け加えた。

 その糠沢という駅は、大館から3つ目、鷹ノ巣の一つ手前の駅である。いつの頃からか、時刻表を見ると、この駅だけ通過する普通列車が多いことに気づいてはいた。汽車時代には乗降場並みの小駅を通過する列車があったが、この糠沢はそれとは違う。その時代、秋田に近い上飯島を通過する列車はあったが、糠沢だけを通過する列車はなかった筈だ。逆に上飯島は、秋田に近いので、今は都市圏としての利用が伸びているのか、全ての普通列車が停車する駅に変わっている。それはともかく、糠沢とはどんな駅か、どうしても気になってしまう。


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 早口を出てしばらくすると、電車は田園地帯を快走する。ローカル鈍行でも、幹線を走る新型電車だから、スピードは速い。客車列車でのんびり行った時代は、それはそれで懐かしいし、何よりも旅情があったが、輸送機関としては、あのままでは駄目なことは私でもわかる。写真左上は糠沢手前の車窓。そして糠沢を高速で通過(写真右上)。確かに閑散とした場所にある駅だが、人家もパラパラと見られ、ここだけを通過するほど、明らかに差があるとは感じられなかった。昔の印象では、むしろ鷹ノ巣の次の前山の方が、米代川に沿った小駅というイメージが強かったのだが、さてどうだろう。

 糠沢通過の後数分で、次の鷹ノ巣に停車。元国鉄阿仁合線で、第三セクター化された、秋田内陸縦貫鉄道の乗換駅だが、この列車からは接続がないので、ここでの乗降客は僅か。律儀な若い車掌も、この線の乗り換えについては、接続列車の案内もしない。JRではないからなのだろうが、元国鉄の路線だし、気の毒な気がする。

 鷹ノ巣の次の前山は、この区間をその昔、客車の鈍行で通った際、私がもっとも印象強く感じた駅であった。駅の裏手を米代川が線路に寄り添ってくる所にある閑散とした駅で、その川の風景が印象に残っている。しかし、今日見ると、川は護岸工事によって様変わりしており、堤防が築かれ、車窓からでは水面は見えない。反対側を見れば駅前は閑散としており、糠沢と大差ない感じがする。この駅での乗降客はいなかった。ここもやがて糠沢同様、昼間は普通列車が通過するようになるのか、それとも車窓からだけではわからない所に糠沢よりは利用客がいる要素があるのか、それはこういう通りすがりの旅だけではわからない。

e0028292_203457.jpg 次の二ツ井は、木材の集散地でもあり、世界遺産・白神山地への入口の一つでもある。それと多分無関係に、一般の利用者、特に乗車客が多く、活気が感じられた。二ツ井から3駅目が東能代、私はここで降りる。

 東能代は、能代の町からはずれ、閑散とした所にある駅だが、奥羽本線としては主要駅であり、ここは下車より乗車客がずっと多かった。一応ここから秋田までは、秋田都市圏ということで、本数も増えるし、多分この先、各駅で利用者を拾いながら秋田へと向かうのであろう。ともあれ、弘前から東能代までの間は、始終、空席の目立つ列車であった。ロングシートだから余計そう感じたのかもしれない。乗客の殆どいないローカル線とも違うのだが、やはり日中のこの時間帯のこういう列車は、せめてセミクロスシートぐらいの車輛を使って欲しいと強く望む次第である。
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by railwaytrip | 2007-04-05 11:17 | 東北地方

くりはら田園鉄道・栗駒駅

 廃止が決まっている私鉄、元・栗駒電鉄、今はくりはら田園鉄道という。改称した理由の一つは、観光需要の開拓を狙ってだろうが、それ以上の理由は「電鉄」をはずさなければならなかったかららしい。乗客減などのため、電車から気動車への置き換え、つまり電化の逆、非電化が行われたから。

 そうして減量経営をしても、もはやこういった地方の鉄道は経営が成り立たず、ここも廃線が決定したとのこと。これも時代の流れで仕方ないとはいえ、かつてそれなりの栄華を誇った筈の地方鉄道。その現在の姿はというと・・・

 まず起点の石越駅、東北本線の駅だが、思ったより小さく寂しい駅であった。東京から仙台や一ノ関までは、新幹線であっという間なのに、そこからが遠い。仙台乗り換えで普通に乗ると、小牛田で停車時間もあり、仙台~石越が、東京~仙台と、所要時間であまり変わらないという現実。今や東京から仙台などあっという間だが、石越となると、東京からかなり遠いのだ。この鉄道は、その石越で乗り換えてそこからまた奥地へ入る私鉄なのだ。そうかといって沿線はそこまで過疎化が進んでいるわけではなく、ササニシキの産地で水田が多いものの、人家もそれなりにある。終点近くで山が迫り、勾配がちょっと急になるものの、際立った秘境があるわけでもない。要するに地味な私鉄と沿線なのである。


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 栗駒駅は、この線屈指の主要駅で、駅員もいる。立派で大きな駅舎があり、多くの乗降客で賑わった時代もあったのだろう。駅待合室で使われているベンチが、実に凄い時代物。廃線の後、アンティーク屋に高値で売れるのでは、なんて不遜なことも考えてしまった。駅前広場も立派で、バスやタクシーが出ており、一応の商店街もある。

 けれどもやはり、かなり乗客は少ない。これが民間企業の経営とあれば、存続は無理だろう。地方では、鉄道の利用者は、一昔前に比べて着実に減っている。残念だが、仕方ない。


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 駅からすぐの「みちのく風土館」で「くりでんの歴史展」をやっていた(2005年10月31日まで・火曜定休)。鉄道誘致・建設の時代から現代までの歴史が、数々の遺品とともにわかり、興味深かったが、見学者も殆どなく、ここでもまた寂寥感を抱いてしまった。
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by railwaytrip | 2005-06-27 14:40 | 東北地方