カテゴリ:関東地方( 8 )

総武本線・南酒々井駅

 巨大都市・東京のベッドタウンは、高度成長期に国電区間を越えて広がった。千葉方面は、佐倉、成田、木更津、茂原といったあたりまでがそうで、東京から直通の快速が走り、長距離通勤客の足になっている。無論、皆が東京まで通っているわけではない。千葉や船橋、京葉工業地帯、そして成田空港なども、通勤目的地となっている。

 総武本線に関しては、佐倉が一つの境界であろう。佐倉から分岐する支線であるはずの成田線の方が、もう一つの成田という都市の存在に成田空港が加わり、終日、東京方面から直通快速が乗り入れるようになっている。しかし総武本線の佐倉以東は、日中は特急を除けば、千葉折り返しのローカル列車のみが発着している。

 よって、同じ総武本線でも、佐倉を境に、幹線からローカル線に変わる、というのは言いすぎかもしれないが、ちょっとそんな感じがある。少なくとも佐倉以東は単線になる。それでも純然たるローカル線ではなく、八街、成東、横芝、十日市場、旭など、点々とそこそこの規模の市町が続いている。八街などは、かなりの乗降客があるし、その間の中小の途中駅も、ベッドタウン化が進んでいる所もある。榎戸などはその最たるもので、かつては乗降客もまばらな無人駅だったのが、今は駅周辺に住宅が建ち並び、利用客も多く、昔の面影がすっかりなくなってしまった。

 ところが、佐倉の次の南酒々井だけは、昔から変化がなく、駅周辺も全く開発されず、まるでエアポケットのように、寂しいまま残っているようである。数年前、この区間を久しぶりに列車で通った私は、南酒々井の寂れ具合と榎戸の発展の両方に驚いたので、そうなると、見てみたいのは、変貌した榎戸よりも、まずは南酒々井である。

e0028292_3485089.jpg 朝の「しおさい1号」で佐倉まで行き、反対ホームに停まっている各駅停車成東行に乗り換える。まだ朝の通勤時間で、佐倉の上りホームはこの通りである。成東行は懐かしいスカ色(かつての横須賀線の色なのでそう呼ばれる)113系の8輛編成で、空いている。8輛は結構長いが、通勤時間だからで、通常は4輛で使われる編成が2編成つながっているようである。

 佐倉からしばらくは、複線の成田線と単線の総武本線が並んで走る。どちらが本線か、というような眺めである。佐倉の街もすぐはずれて長閑な眺めが続く中、並走は3分ほど続く。やっと成田線が左へ去ると、ほどなくスピードが落ち、ポイントを渡り、田舎の景色が変わらないままに、島式ホームの南酒々井に到着する。


e0028292_3511597.jpge0028292_3513259.jpg


 反対ホームには千葉行の普通列車が先に着いて待っている。当然、あちらの方が乗客が多い。先に着いていたので、南酒々井で乗車した人がどのぐらいいたのかわからなかったが、とにかくホームには人の気配もなく、下り列車の乗降客は私以外にいなかった。左上は佐倉方面に走り去る上り列車。ホームやや前方に屋根のない歩道橋のような跨線橋がある。出口は北側のみで、南は山で、出口を作りようがない。右上は跨線橋から見た駅前の眺め。


e0028292_3532652.jpge0028292_3534189.jpg


 ポツンと小さな赤茶色の駅舎がある無人駅だ。範囲内だからスイカは使える。駅前もガランとしている。線路に沿って駐車場はあり、駐輪場もあるが、どちらも空きスペースは沢山ある。目に入るのは昔ながらの住宅ばかりで、東京近郊とは思えない静かな佇まいである。右上は駅舎を出た目の前正面の風景。


e0028292_3555637.jpge0028292_356914.jpg


 駅前商店があるが(写真左上)、営業しているのかどうかはわからない。自動販売機すら無いので、営業していないのかもしれないし、朝早いから閉まっているだけかもしれないが、どちらにしても、そんなに人が通りそうな場所ではない。車も滅多に通らない。ここは主要道路ではなく、交通量は非常に少ない。駅前をまっすぐ行くと、車一台がやっと通れそうな、非常に細い上り坂の道がある(写真右上)。急坂を上がると何があるのだろう。行ってみたい気もするが、雨だし、やめておく。


e0028292_3563030.jpge0028292_3564417.jpg


 その代わり、線路に沿って榎戸方向に歩く。途中の道もひっそりと静まり返っている(左上)。3分ほど歩くと踏切がある。成田屋踏切という名前である。その前後も森が鬱蒼としている。夜など一人で歩くのは恐いかもしれない。かように東京近郊とは思えない所ではあるが、その先には大きな道路が高架で通っている。これは東関東自動車道で、このあたりで目に入る唯一の現代的なものと言っては言いすぎであろうか。それほどにこの一帯は、昔ながらの田舎の風景が続いている。

e0028292_42432.jpg 次の9時02分発銚子行に乗るべく駅へ戻る。乗客は誰も現れない。やってきた新型電車の銚子行にはパラパラと客がいたが、ここでの乗降客は、やはり私だけである。今度は列車交換はなく、すぐ発車する。

 次の榎戸で上り列車待ち合わせのためしばらく停車したが、その榎戸の千葉方面ホームは、列車待ちの客がかなり沢山いたし、駅周辺も新興住宅として開発されていた。昔は南酒々井と乗降客の少なさを争うぐらいの駅だった筈だが、一方は全くもって変わってしまっていた。対する南酒々井は、もうこれからの時代、発展することはないかもしれないし、しないでいつまでもこのまま残って欲しいものだとも思う。
[PR]
by railwaytrip | 2009-11-17 08:36 | 関東地方

北総鉄道・京成高砂~東松戸

 地方のローカル線は、用事がなくても乗りにいけば楽しい。しかし大都市近郊の通勤電車となれば、未乗車区間であっても、わざわざ乗りに行きたいとはあまり思わない。どんな所だろうと、多少の興味はあるが、その程度の動機では積極的な行動には移しにくいものである。それに、わざわざ乗りにいかなくても、そのうち用事ができて自然に乗るのではないかという希望的観測もある。

 いつの頃からか、羽田空港から京浜急行で品川へ向かおうとすると、印旛日本医大行きなどという妙な行き先の電車に乗り合わせることが多くなった。しかし、京浜急行や都営浅草線で毎日通っている人でも、印旛日本医大まで乗ったことのある人は少ないだろう。寝過ごしで乗った人以外は殆どいないかもしれない。私も乗ったことがない。

 それでも一度は北総鉄道に乗ってみようかという気持ちはかねてからあったのだが、次なる問題は運賃で、これがローカル私鉄並みに高いのである。ローカル私鉄なら、高くても納得いくのだが、首都圏の通勤鉄道に用もないのにこの金額を出して乗るのは、さすがに勿体無い。しかも盲腸線なので、同じ区間を戻ってこなければならない。加えて、この線は近々延長され、成田空港へつながり、空港連絡のメインルートになるとのことだ。そうなれば嫌でも自動的に乗ることになるであろう。これで、北総鉄道に今時点でわざわざ乗る理由は完全になくなったと思っていた。

 にもかかわらず、東京寄りの一部区間のみ、乗ることになった。葛飾区は京成高砂から、武蔵野線と連絡する東松戸までである。距離は僅か7.5キロだが、運賃は実に440円。ちなみに、京成高砂から東松戸へ行くのに、京成で金町へ出て、常磐線で新松戸へ、そして武蔵野線に乗り換えれば、距離は約2.5倍で、時間も何倍もかかるが、運賃は420円で、北総より安いのである。これはあまりにひどい。つくばエクスプレスが、新線にもかかわらず運賃を抑えて乗客増に成功しているのと対照的に、北総の沿線は住宅地としても不人気で、乗客数もさほど伸びていないらしい。その理由の一つにこの高い運賃があることは間違いないだろう。


e0028292_31131.jpge0028292_314388.jpg


 まずは、北総線の起点である京成高砂にやってきた。改札を出て駅周辺を歩いてみる。ここは京成の本線と金町線、それに北総線が分岐する主要駅だが、街そのものは、特別なことはなく、ましてや遠くからわざわざ買い物や遊びで出かけに来る場所ではない。地平駅で、西側に開かずの踏切がある。その解消のための高架化工事中である。全面的に高架化するのかと思ったら、何と一番のローカル線である金町線のみを高架にあげる工事らしい。北総線が成田空港までつながれば、ますます重要性が増す筈だが、その割に中途半端な投資で済ませようとしているのが、他の首都圏大手私鉄と異なる。本線といえども踏切が連続し、下町情緒あふれる地平駅の多い京成は、趣味的には楽しいが、成田空港へのメインルートにいつまでもこんな大きな踏切を残すのは、どうなのだろうという気もする。

 北総線の時刻表を見る。朝夕を除くと20分に1本の各駅停車だけである。夕方から夜にかけては急行が何本かあるが、それも少ない。この運転頻度はかなり少なく、乗客が少ないからとはいえ、サービス水準は低いと言わざるをえない。それでいてこの高運賃では、不人気が当たり前と納得してしまう。次の列車は15時03分発の印旛日本医大行き。ちなみに京成高砂始発という列車は殆どなく、後で調べてみると、昼間の列車は全て羽田空港発なのであった。

 京成唯一の複々線区間である青砥方面の、それなりに立派な線路から、印旛日本医大行きの列車が8輛で下ってきた。通勤時間には早いが、それなりに乗客はいるし、ここで乗り込む客もいて、つり革の半分近くがふさがるぐらいの乗車率となった。もっとガラガラなのかと思ったが、それなりに乗っている。

 踏切を2つほど通り、まず左に金町線を分かち、ついで右に京成本線が分かれていくと、高架にあがり、新線らしく、スピードが出る。こういった古くからの線とのギャップは、泉北高速など、各地で見られる。しかし各停だからほどなく高架の新柴又。その先で江戸川を渡り、東京都から千葉県に入る。矢切の渡しがあったあたりのすぐ下流の東側で、渡った次の駅が矢切である。しかし、そうした情緒ある駅名とは結びつかない地下駅であった。これだから新線は面白くない。その先も地下のままで、地下鉄に乗っているようだ。その次の北国分は、半地下の掘割式の駅で、ここを出てもまた地下が続くため、景色も見えない。やっと出て、しばらく高架を走る。都心に近い割には農地が多い。秋山を過ぎ、次が東松戸。京成高砂から僅か10分であった。列車はここまででだいぶ空いた。東松戸も乗車より降車が多い感じであり、立ち客僅かで発車していった。


e0028292_322378.jpge0028292_324872.jpg


 東松戸は、武蔵野線を跨ぐ形で作られたため、高い高架上にある駅である。成田新高速鉄道の開業に向けて、待避駅への工事が始まっている。北総を使えば都心に近いことは近いので、新築高層マンションなどもパラパラと見られるものの、空き地も多い。典型的な新興開発地の風景である。しかし、東京の西側の私鉄沿線だと、都心から同じ距離で、こんな広い空き地は見られないのではないか。要するにやはり、この沿線の開発は遅れているということである。武蔵野線の駅は後からできたらしいが、それにしても利用客が多いとは言えない。そして今の北総の運賃の高さからすると、武蔵野線の駅ができたことで、東京方面も目的地によっては武蔵野線回りが検討対象になりそうだ。例えば西船橋までは僅か12分160円で、そこからは地下鉄東西線が使える。


e0028292_332920.jpge0028292_335167.jpg


 都心側の僅かな区間を一度乗っただけでは、偉そうなことは言えないが、この鉄道は、さんざん批判を浴びながらも高運賃政策を変えるつもりのない頑固さを持っているようであり、それが沿線開発促進のネックになっていることは確実と思われた。成田空港延伸によって運賃がどうなるか、現時点では未定らしいが、この改善のチャンスを逃すと、北総沿線はもう永遠に発展しないかもしれない。
[PR]
by railwaytrip | 2008-12-01 15:03 | 関東地方

東武日光線・柳生駅

 東京の私鉄で一番長い複々線区間を持つ東武伊勢崎線も、東武動物公園で伊勢崎線と日光線に分岐すると、いずれもローカルムードが漂ってくる。それでも最近は地下鉄乗り入れ区間が延びて、その先まで地下鉄の車輛が入ってくるようになった。しかしそれも日光線は南栗橋までで、その次の、東北本線乗り換え駅、栗橋を出ると、首都圏脱出という感じになってくる。

 このあたりは県境が複雑に入り組んでいて面白い。東北本線は、栗橋、古河、野木の連続する3駅が、埼玉、茨城、栃木と、全て違う県に属する。太平洋に面した東の茨城県が内陸に無理やり突っ込んできた感じの所である。古河市は茨城県である。他方、東武日光線の栗橋の次には新古河という駅があるが、ここは茨城県古河市ではなく、埼玉県北川辺町になる。東武日光線は茨城県を全くかすめない。その新古河の次、柳生までが埼玉県北川辺町で、その先で群馬県板倉町に入り、板倉東洋大前という新しい駅に停まり、そこを出ると今度は栃木県藤岡町に入り、藤岡に停まる。よってここも、柳生、板倉東洋大前、藤岡の3駅が、埼玉、群馬、栃木と、3駅連続で県が変わる。板倉東洋大前は1997年開業の新しい駅で、できる前は、東武日光線は群馬県を通りながら、県内に駅が一つもないという状態であった。

 そんな北関東3県と埼玉県の県境が入り組んだあたりの地図を眺めているうちに、柳生駅が埼玉・栃木・群馬の3県の県境に極めて近いことがわかる。駅から歩いて5分程度で、その3県の県境にたどりつけそうである。もっとも県境というのは川だったりして、厳密な県境に立つことのできない場所も多い。しかしここはごく普通の平地のようである。

 柳生は東京の通勤圏を少しはずれたローカルムードも漂う駅であった。もっともホームは長く、跨線橋もあり、駅の雰囲気は全くの田舎のそれではない。しかし駅舎は昔ながらの木造の小ぢんまりしたもので、駅前も商店や住宅があるものの、東武動物公園以南のベッドタウン駅に比べると鄙びている。利用者もそのあたりとは比較にならないぐらい少ないが、昼間の乗降客が僅かしかいない本当のローカル駅と比べれば、ちゃんと利用されている感じだ。本数は1時間に3本程度。


e0028292_2203925.jpge0028292_2223225.jpg


 駅の改札を出て、線路に沿った細い道を左へ、左に下りホームを見ながら歩く。道端に蜜柑の木があり、実がなっている。ちょっと長閑な気分になれる。1分も行くと踏切がある。踏切を渡ると、道路はすぐ左右に分かれる。左への道には「渡良瀬遊水地 谷中湖中央エントランス あと900m」という看板があり(写真右下)、一応観光客向けのウォーキングコースになっているらしいことがわかる。


e0028292_2231986.jpge0028292_2251023.jpg


 そこを左へ行く。まっすぐずっと行けば谷中湖だが、私は、ほどなく続いて現れるT字路の2つ目を右へ曲がる。ここはまだ埼玉県である。そして1分と歩かないうちに小さな交差点がある。その交差点の手前は埼玉県だが、交差点そのものは群馬県に属する。写真左下がそれで、写真を撮るために立っている場所は埼玉県だが、交差点は群馬県である。


e0028292_225402.jpge0028292_226485.jpg


 その交差点を過ぎてさらに100メートル弱で、T字路にぶつかる。そのT字路のすぐ手前までは群馬県であるが、T字路自体は埼玉県である。写真右上は群馬県から撮っているが、突き当たりは埼玉県である。手前は空き地だが、向こう側は写真のように住宅が並んでいる。

 そのT字路を左に曲がると、曲がった瞬間に群馬県に戻るが、群馬県は20メートル程度しか続かず、その先、今度は栃木県に入る。写真左下は栃木県に入った先から撮ったもので、車が2台停まっているあたりまでが栃木県、その先ちょっと群馬県で、3軒目の家からは埼玉県である。手前右にあるミラーの柱には、ちゃんと「藤岡町」という栃木県の町名が書いてあった。


e0028292_2264095.jpge0028292_227997.jpg


 つまり、このあたりがまさに3県の県境なのである。柳生駅から直線距離では300メートル程度であろうか。そして、その道路に沿って数軒並んでいる住宅のうち一つが、3県の県境にあるようである。こういう家の住所表示や固定資産税などは一体どうなっているのかと思うが、ごく普通の民家であり、プライバシーを詮索してはならないので、覗き込んだりせず、遠くから写真だけ撮って終わりにする。ちなみにその隣の家は、ほぼ埼玉県だが、庭のほんの一部分が栃木県にかかっていそうである。写真右上は、埼玉県に戻った側から振り返って撮った写真で、左奥の家は栃木県で、間に群馬県がちょっと入っている。

 この辺の詳しい地図を見ていると、ここ以外にも、このあたりには、2軒並んだ家が両方とも埼玉県と栃木県にまたがっている所があったりと、県境が地形や道路と関係なく走っていて、県境を無視して土地家屋が所有や賃貸されていると思われる所が多い。

 今回は寄らなかったが、北へもう少し歩けば谷中湖がある。その北側は広大な渡良瀬遊水地である。かつてはもっと広い範囲が池であったが、今は大半が渡良瀬緑地になっており、自然の宝庫となっているようである。渡良瀬遊水地は足尾の鉱毒を下流に流さないための調整目的で作られたというのが定説であり、今も場所によっては土壌に銅などの鉱毒物質がかなり含まれているという。谷中湖のあたりには、その昔、谷中村があったが、この遊水地を作る頃、強制移住により廃村になっている。このあたりはそういった、日本の公害の原点とも言われる足尾の鉱毒とも縁が深い場所だ。しかしそれと、この県境の走り方とは、あまり関係がないと思われる。

 余談であるが、埼玉県は、北関東3県の他、東京、千葉、山梨の、計6都県と都県境を接している。そのうち東京・千葉・茨城・群馬県とは、県境を越える鉄道も国道も存在する。これらの都県境を越えたことのある人は山ほどいるだろう。山梨県との境はもっぱら山で、国道が1本、隧道で超えている他は、ハイキングコースの山道しかない。そして、埼玉県と栃木県の県境は、このあたりの平地ではあるが、距離にして2キロ程度しかなく、この県境を越える鉄道も国道もない。唯一、県道が通っているが、この県道がまた面白い。栃木県道・群馬県道・埼玉県道・茨城県道9号佐野古河線というらしく、僅か1キロほどの間に、埼玉、栃木、群馬、埼玉、栃木と、県境が目まぐるしく変わる。これが唯一、一般に埼玉と栃木の県境を越える、道らしい道で、それ以外は路地のような小さな道がいくつかあるだけである。よって、埼玉と栃木の県境を越えたことがある人は極めて少ないであろう。今回、この柳生駅付近を訪問した私も、埼玉栃木県境は越えなかった。訪問した3県の県境に近い地点からあと2~3分も歩けば、超えることができたのだが、それをせずに立ち去ったのがちょっと心残りであった。
[PR]
by railwaytrip | 2008-11-14 12:10 | 関東地方

八高線・高麗川~高崎

 東京に最も近いローカル線であり、非電化路線でもあった八高線だが、残念ながら?南半分は電化されてしまい、東京都内でディーゼルカーが走る姿が拝めなくなってしまった。その時から、八高線の南半分は、一足先に電化された川越線とセットで通勤型電車による運転となり、ローカル色も薄れてしまった。今は実態としては、八王子~高麗川~川越が一つの線区で、高麗川~高崎が別の線区のようである。その昔、八王子発高崎行という長距離のディーゼル列車があった頃が懐かしいが、今さらそれを言っても仕方ない。今回は、その八高線の非電化区間である高麗川から高崎への列車に乗ってみることにする。


e0028292_2391671.jpge0028292_2393394.jpg


 起点の高麗川駅は、川越線とも接する主要駅だが、駅舎は昔のままで、古びていて小さい。地下道もこれまた昔のままだ。隣の東飯能も、昔は駅舎や地下道が似たような感じだったが、すっかり変貌してしまった。高麗川もいつまでもこのままではないであろう。ともあれ今現在は、ローカル線同士の接続駅であった頃の面影をしっかり残している。趣味的に言うと、とてもいい感じの駅である。

 乗るのは11時43分発の高崎行で、キハ110という新型気動車の2輛編成である。今や1輛や2輛の気動車列車など、珍しくもないが、首都圏に限って言えば、やはり破格に短い。東京の人が近場でローカル線の旅を楽しむには、一番手頃な線区かもしれない。しかも空いていて、乗車率は5割以下と思われる。ただ、首都圏だなと思えるのは、スーツ姿のビジネスマンっぽい客が散見される点だ。本当の田舎にいくと、ローカル線の客は高校生とお年寄りが殆どなのだが、ここはやや違う。


e0028292_2402126.jpge0028292_2403479.jpg


 最初の停車駅は毛呂。東武越生線の東毛呂とも近く、毛呂山町の中心でもあり、駅の西側には高層の立派な大学付属病院が立つなど、全くの田舎ではないのだが、駅舎は田舎駅のたたずまいである。下車客が結構多い。次いで越生。東武越生線の乗り換え駅である。個人的なことだが、小学生の頃、黒山三滝などにハイキングに行った帰り、バスでこの駅に着いた。その時、八高線のホームには屋根すらなかったのが妙に印象的であった。東武のホームには一応屋根があり、子供心に、ここは国鉄より東武の方が主役の駅なのかと意外に思ったものだった。今は勿論、どちらにも屋根はあるし、跨線橋まであって、当時の超田舎駅の面影はない。写真右上は、越生駅停車中の車内で、向こうに東武越生線が見える。

 越生を過ぎると風景はますます渋くなる。もともと地味な埼玉県の中でも特に地味な地域をゆったりと走るローカルな八高線は、やはり味わい深い。次の明覚は都幾川村の代表駅だが、首都圏に近いのに、まだ村のまま残っているのが嬉しい。そして明覚から小川町までの間は駅間距離が8キロもある。

e0028292_242419.jpg 小川町は、和紙で有名な町だ。東武東上線が池袋と結んでいるが、流石にこのあたりは東京への通勤圏としては遠すぎるようで、まだ地方都市らしさの濃い町だ。次回は下車してゆっくり歩いてみたい町である。ここでは下車の方が多く、乗車は僅かで、列車はますます空いてしまった。小川町から寄居までの間は、東武東上線と八高線の両方がある区間で、こんな田舎に、と言っては失礼だが、正直、2本もの路線があるのが過分な感じではある。小川町からしばらくは両線が並行し、分かれたあたりに、八高線の竹沢と、東上線の東武竹沢が至近の距離にある。そのためか、竹沢は八高線全駅で乗降客数が最も少ない駅だそうだ。それでもこの列車からは数名の下車客があった。そして無人駅の折原を過ぎ、荒川を渡ると寄居である。

 この寄居という駅もなかなかだと思う。田舎町なのに3本もの異なる鉄道が集まる要衝となっている。大都市圏を除いて、3社もの鉄道が集まる駅なんて、そうそうないだろう。兵庫県の粟生あたりが、大都市からの距離といい、何となく近い感じがする。寄居は粟生よりはずっと大きな町だが、それでも昔から市ではなく町なのである。ここで高校生を含め乗客が結構あった。小川町~寄居間は、東上線も使える区間だからか、八高線では輸送密度が一番低い区間らしく、列車本数にもそれが表れている。

 ところで、こうして東京郊外の町や村を結び、東京からの私鉄ともちょくちょく連絡する八高線のような線は、短距離の乗客が殆どかと思っていたが、高麗川からずっと同じ席に座っているビジネスマン風の人は、寄居を過ぎても下車しない。スピードの遅い単線のローカル線には違いないが、それでも例えば八王子から高崎へ行こうと思った場合、中央線で東京へ出て新幹線に乗っても、所要時間はいくらも変わらない。それでいて運賃・料金では大差がつく。東京西部から高崎へ、ないし上越・長野新幹線沿線へ出張という場合に、八高線経由になることもありうるのだ。そういった客も多くはないが、確実に数名はいるようである。

 寄居から乗ってきた高校生などは、埼玉県が終わる丹荘までの4駅で全て下車した。しかし、一般客に関しては、県境で極端に客が減るということはない。埼玉県でも最北部の児玉あたりだと、最寄りの主要な商業都市は高崎、次いで前橋である。埼玉県内でそれに相当する都市はどこかというと、熊谷や飯能あたりかと思うが、規模的に見劣りがする。あとは大宮、浦和、川越、所沢など、いずれも遠い。しかも埼玉・群馬の県境である、丹荘~群馬藤岡間には、別に険しい峠があるわけでもない。神流川という川が県境になってはいるが、恐らく昔から国境を越えての交流がそれなりにあったと思われる。

 その神流川を越えて群馬県に入った最初の駅が、群馬藤岡で、ここは藤岡市の中心駅だ。八高線の埼玉県側の市としては高麗川の日高市が最後で、そこから先はここまで市がなかった。しかし、こう言っては藤岡市に悪いが、小川町や寄居と大差ない感じがする。時間帯のせいもあるのか、乗ってくる客も多くはない。

e0028292_242437.jpg 群馬藤岡の次が北藤岡で、北藤岡が近づくと右手から高崎線が寄り添ってくる。そして単線の小さな北藤岡駅は、高崎線の線路のすぐ横にある。ここはどちらかというと、高崎線に乗っていて、左から単線のローカル線が近づいてきて、ポツンと小さな駅が見えるという、その風景の方が面白いかもしれない。高崎線にも北藤岡駅を造る話はあるらしいが、なかなか実現しないようだ。八高線の路線としての終点は、次の倉賀野なのだが、実際の線路は北藤岡を出ると間もなく高崎線に合流してしまう。そして複線電化で線形も良い高崎線の線路上をこれまでより高速で走ると、高崎線の駅にしては、これといって何もない倉賀野。それでも、八高線から見れば本庄・熊谷方面への乗り換え駅なので、多少の下車客があった。

e0028292_2435888.jpge0028292_2441222.jpg


 そしてもう一駅、高崎線上を高速で走り、終点の高崎に着いた。高麗川から乗り通していたスーツ姿のビジネスマンが、少なくとも2人いた。高崎のホームは切り欠きの3番線で、跨線橋にも遠く、他線への乗り換えにちょっと余分に時間がかかる。高崎で見る八高線は、ここでは一番のローカル線である。最近は高崎線にグリーン車までついているから、余計に都会の電車との格差を感じてしまう。駅も立派で、八高線の途中駅では見られない自動改札もある。それでも東京では見られなくなった、115系湘南色の電車もあり、ちょっと旅情を感じる。何はともあれ、八高線は今も渋く情緒のあるローカル線であり、これはこれでいつまでも発展しないで残ってほしいと思ってしまうのである。
[PR]
by railwaytrip | 2008-07-07 11:43 | 関東地方

八高線・金子駅

 西武池袋線の所沢~飯能間は、1970年代以降、東京のベッドタウンとして急速に住宅地化したが、それ以前は武蔵野の面影を残す雑木林と茶畑の多い、農村地帯であった。狭山ヶ丘までが所沢市、武蔵藤沢から元加治までが概ね入間市、そしてその先が飯能市。飯能まで来ると、関東平野の端まで来たという感じになる。

 このあたりの西武沿線の住民でも、入間市内の駅を全部言えという問いに即座に正答できる人は少ないだろう。藤沢あたりはまだ所沢かな、とか、元加治は飯能市なのではあるまいか、と迷わない人でも、途中の稲荷山公園だけが実は狭山市であることを知る人は少ない。そして、それも知っているよと得意そうに言う人でも、忘れがちなのが、八高線の金子駅なのである。そう、ここが入間市だと聞くと、意外な感じを受ける人が多い。それどころか、入間市にそんな駅があることすら知らない、埼玉都民である入間市民も少なくないだろう。

 かくいう私も、実はその昔、この西武沿線に長く住みながら、そしてごくたまに八高線も利用する機会がありながら、金子には一度も行ったことがなかった。およそ用事があって出かけるような所ではなく、用がなければ行く必要はないのだが、しかし非電化の当時、西武池袋線沿線から最も近い、ローカル線の小駅の雰囲気を味わえる駅だったのである。わざわざ出かけるだけの価値もあったし、それほど近いのであるが、いつでも行けると思っているうちに、行かずに引っ越してしまったというのが現実である。

 そして時代は下って、ローカル線だった八高線も電化され、都内の主要線区と同じような通勤型電車が走るようになった。本数も増えたし、もはやかつてのローカル線の面影はないかもしれないと思いながら、東飯能から八王子行きの、4輛編成の電車に乗ってみた。

 単線だから、列車交換がある。相対ホームで跨線橋があるが、屋根無しの、歩道橋タイプである。そして、思ったより乗降客が多い。けれども嬉しいのは、昔ながらの木造駅舎が残っていることである。首都圏のJRだから、簡易スイカの機械はあるが、自動改札までは設置されていないのも嬉しい。この古風な木造駅舎に自動改札は、絶対に似合わない。


e0028292_5374269.jpge0028292_538325.jpg


 駅周辺は、駅前からすぐ住宅地で、新旧の住宅が混在している。駅前商店街といったものは一切なく、食堂も喫茶店もコンビニもない。少し行った所にスナックが1軒あった程度で、駅に近い所にあるのは、不動産屋、学習塾、写真屋であった。東飯能寄りに歩いていって踏切を渡った所には、スーパーなどお店が数軒あったが、商店街というほどのことではない。少し歩くと茶畑もあり、狭山茶処は今も健在なのが嬉しい。

 駅前からは、駿河台大学へのスクールバスが出ていた。こんな所にそんな大学があるのも知らなかったが、しばらく駅周辺を散歩して駅前に戻ってきた時、ちょうど大学からのバスが着くと、夕方ということもあり、かなりの学生が降りてきた。寄り道するような喫茶店一つない駅前だからか、全員がぞろぞろと改札口を入っていった。後で調べてみると、やはり割と近年になってこの近く(飯能市内)に開かれたキャンパスだそうだ。


e0028292_5382793.jpge0028292_5384036.jpg


 そういう都会風の若い学生の他、スーツ姿のビジネスマンもいて、ここ金子駅の夕方、電車を待つ人々は都会的である。駅もそれなりに綺麗になり、やってくる電車も最新型。古い木造駅舎だけが、ローカル線時代の八高線の面影を今にとどめているように思われた。
[PR]
by railwaytrip | 2006-07-03 15:00 | 関東地方

湘南モノレール・湘南江の島~大船

e0028292_275724.jpg 本当に久しぶりに江ノ電に乗ってみた。腰越で降り、海沿いの道をぶらぶらと江ノ島(写真左)を眺めながら歩いているうちに、夕闇が近づいてきた。早くしなければ。というのは、ここまで来たら、未乗車の湘南モノレールで帰りたい。未乗車区間には明るいうちに乗っておきたい、というのがあるからである。変なこだわりだが、いつの日か日本の鉄道全線完乗を果たす日が来るかもしれず、そうなると、夜しか乗っていない区間には乗り直さなければ気がすまなくなるから。

 海から内陸に入り、江ノ電の併用軌道区間を歩くとやがて江ノ電の江ノ島駅近くのアーケード商店街に至る。江ノ島というと、若者が集まるモダンな場所という先入観があるが、このあたりの商店街は、老舗観光地としての貫禄も、レトロ感もある。左手に江ノ電の江ノ島駅への大きな看板が現れるが、モノレールの駅への案内はない。どこだろう、と思う間もなく、右手に高架のビルとなっているモノレール駅が見えた。自動券売機が並んでおり、自動改札もあるが、あとは総じて古びているのが意外であった。

 昔は何度となく来たことのあるこのエリアで、小田急も江ノ電も何度も乗っているのに、何故湘南モノレールが未乗車だったか、それは運賃が高いからというのが一番の理由だったように記憶している。今も大船まで全線乗ると300円で、安いとはいえない。

 モノレールというと、羽田空港が老舗で、老舗なりにリニューアルされているし、大阪空港のなどもモダンさに溢れている。少なくともそういうイメージがある。ところが、ここ湘南モノレールは、開通当初は勿論モダンな乗り物だったのだろうが、もう開通から相当な年月を経ているのだ。後で調べてみると、全線開通は1971年だった。だからむしろレトロと呼びたくなるような乗り物ですらある。それにしても閑散としている。次の列車を待っている客は3人しかいない。流石に6月の平日に江ノ島から都会へ戻るような人は少ないのか、観光客は江ノ電を、安さを求める人は小田急を使うからなのか。

e0028292_284141.jpge0028292_285237.jpg


 ホームが高い所にあるので、そこから江ノ島の町が良く見える。中層のマンションも多く、住宅地としても栄えているのがわかる。線路の大船方向はすぐ隧道である。と、3輛編成の列車がやってきた。1本の線路の両側に乗車用と降車用のホームが別々にある構造だ。僅かな客を降ろし、運転手と車掌が入れ替わり、僅かな客を乗せて、発車。

 そもそも来るまで、この路線が単線だということすら知らなかったが、そうなのだ。発車するとすぐ隧道をくぐり、出るとすぐにポイントが現れ、最初の駅、目白山下であった。この列車は乗降客がない。と思うと反対側から大船発の列車がやってきた。単線だからここで列車交換をするのだ。あちらは数名の下車客があったが、やはり車内はガラガラであった。湘南モノレールとは、こんなに寂れているとは思わなかった。さらに驚いたのは、ここは無人駅らしく、運転手が下車客の定期券をチェックしている。

 モノレールは丘陵地帯のせいか、勾配もカーヴも多く、なかなか面白い。その次の片瀬山は、交換設備のない単線の駅で、ここで湘南江の島からの客のうちカップルの2名が降り、代わりに2、3名が乗ってきたが、やはり寂れている印象が拭えない。

 段々と外が暗くなってきた。次の西鎌倉は、また交換駅で、ここで交換した湘南江の島行は、今までと違ってかなり混んでいた。この西鎌倉でも大勢の下車客がある。けれどもやはり無人駅らしく、車掌が切符を集めているが、殆どは定期客であった。その先も各駅で同じような情景が繰り返され、大船に近いほど、反対列車は混んでいる。一方のこちらも大船近くほど乗車が多く、大船に着いた時には20人以上の客がいた。小型3輛で通勤ルートと逆方向だから、悪くない乗車率かもしれない。

e0028292_29849.jpg 終点大船も、湘南江の島と同じく、単線で両側にホームのある構造だ。進行左側が降車ホーム。反対側が乗車ホームで、そちらでは通勤客が大勢列を作っていた。ドアが開くとたちまち満席になり、立ち客も出る。なるほど、江ノ島側から乗ったので最初はあまりに閑散としており、行く末の心配すらしてしまったが、流石は首都圏、杞憂であった。江ノ島地区なら江ノ電と小田急があるので、この湘南モノレールは、それよりは、大船と途中の住宅地を結ぶ足なのだ。お客は大船でJRに乗り換えて横浜や都心へ通っている人が大多数であろう。勿論、シーズン中の休日などは、また流れが変わるのだろうが、基本的にはここも通勤路線の一つだという、当たり前かもしれないことを再認識した。
[PR]
by railwaytrip | 2006-06-19 19:04 | 関東地方

東海道本線・辻堂駅

 東京都心で時間が3時間ほど空いた時、何をするか、どこへ行くか。選択肢は山ほどありそうで、意外と悩む。この日はふと思い立って東京駅から湘南電車に乗ってみた。昔ながらの湘南色の113系という車輛が余命いくばくもないと聞いたからでもある。それでどこまで行けるかというと、小田原はきついが、大磯あたりまでなら行って戻って来られそうだ。けれどもとんぼ返りの忙しいのもいやだと思い、辻堂で降りてみた。

 辻堂で降りるのは、多分20年ぶり以上だと思う。昔の記憶も殆ど残っていないのだが、橋上駅でなかったことは確かだ。当時は国鉄の駅らしい駅で、情緒のある駅舎があったと思う。つまり、川崎、横浜、大船、藤沢と、主要駅ばかりに停まってきた湘南電車が、ようやく普通の小駅に出会う、その最初の駅が辻堂というわけだ。子供の頃「東京から大阪まで全部の駅に降りて写真を撮りながら行きたい」とある大人に言ったら、「そんな事わざわざしなくても、辻堂の写真を撮っておけば、あとは皆似たようなものだ」と言われたことがある。勿論そんなはずはないが、辻堂とは、そういう乗り換えもない東海道本線の小駅の象徴、というイメージも少しあるのである。


e0028292_6442745.jpge0028292_6444347.jpg


 勿論、今日の辻堂は、もう少し先の大磯とか、早川、根府川あたりと較べても、相当に異なった、都会風の駅になってしまっている。立派な橋上駅で、駅周辺も高層マンションも多い。東京近郊のベッドタウンの数多い駅の一つに過ぎず、旅情を感じるには難がある。それでも、このあたりが湘南ですよ、と言われれば、意識すれば何となくそんな空気が漂っているかなあ、と思うが、その程度にまで、このあたりでは地域性というか個性が薄まってしまったと思う。


e0028292_645209.jpge0028292_6453172.jpg


 橋上駅を出て北口側は、駅前にえらく広い空き地があるが、ここは関東特殊製鋼の跡地だそうで、藤沢市が中心に再開発を進めているそうだ。南口が昔からの駅前で、古い商店も多少はあるが、概して最近の発展とともに進出してきたチェーン店や新しいモダンな店などが多く、これらも今の辻堂駅を没個性化しているには違いない。

 用もないのに久しぶりの辻堂に降り立って、それなりに感じることはあり、つまらなくはなかった。しかし旅としては、格別のこともなく、ましてここで旅情を感じるのはもう無理だと悟った。もう一生乗降しないかもしれないと思いながら、やってきた113系東京行きの客となった。
[PR]
by railwaytrip | 2005-07-06 18:00 | 関東地方

東武日光線・北鹿沼駅

 東武鉄道のサイトによれば、この駅の一日の乗降客数は90人で、東武全駅中の最下位であり、乗降客数100人未満の唯一の駅でもある。名鉄では最近、この人数規模の駅2駅を廃駅にしている。さてどんな所か、期待高まる。

 人家も稀な寂しい駅を期待していたが、思ったほどではない。駅前にも人家がそこそこあり、駅の跨線橋から新鹿沼方面を見ると、丘の中腹に結構びっしりと住宅も。但しあのあたりの住人は恐らくこの駅は利用していないだろうが。


e0028292_091865.jpge0028292_094937.jpg


 勿論無人駅で、古びた木造駅舎の味わいが良い。昔は駅員がいて切符を売っており、改札口で鋏を入れていたわけで、その名残の一つ一つが良く残されている。さらに、駅舎の隣に離れのような、これまた木造の古いトイレ(写真右上)。中も汲み取り式で、考えてみればこういったトイレ、昔は珍しくなかったけど、今ではこれも希少価値かもしれない。

 駅のすぐ近くの雑貨屋が、切符の委託販売所となっていたが、その店が最近休業か廃業したらしく、実際、シャッターが閉まっていた。そのため、駅には「切符は車内でお求め下さい」との割と新しい貼り紙があった。


e0028292_0103044.jpge0028292_0105244.jpg


 この区間の東武鉄道は、日中の普通列車は1時間に1本の運転で、2輛編成の短い電車が僅かな客を乗せて行き来している。北千住方面でみる姿とは違う、ローカル線としての東武鉄道の姿がここには見られる。
[PR]
by railwaytrip | 2005-06-20 13:20 | 関東地方