長崎県第二の都市・佐世保は、少し前まで東京からの寝台特急の終着駅であった。遠い九州の、それも県庁所在地でもない都市としては異例と言ってよいだろう。それだけ人口も多く、活気ある都市である。残念ながらぱっとしない曇天で寒い日だったが、街をちょっと歩いてみた。
![]() ![]() 佐世保駅は綺麗でモダンな高架駅になっていた。2001年完成だそうで、もう8年にもなるのだが、まだ真新しい駅のようだ。こういう高架駅になると、どうしても個性がなくなり、旅情が湧いてこない。東京近郊の駅も地方の主要駅も、同じように見えてしまう。 その佐世保からは、「特急みどり」が博多へ向けて頻発している。特急ではなく、純然たる域内ローカル列車でもない、もう一種の列車として、快速シーサイドライナーというのがある。これは、長崎と佐世保という、県内の主要2都市を結ぶ、大村線経由の快速である。今日はそれに乗って、長崎市の入口の浦上まで行ってみる。 ![]() ![]() 平日の昼下がりのこととて、乗客はさほど多くない。2輛編成の気動車は、席がさらりと埋まる程度の乗り具合である。車輛はキハ67という国鉄時代のもので、これはそれなりに思い出深い。ローカル線の旧型車輛を置き換えるために新製された気動車で、筑豊地区に集中投入された。当時の筑豊は、炭鉱の閉山が相次いでおり、暗いイメージもあっただけに、こういった新型気動車の投入が、その暗いイメージの払拭に一役買っていたものであった。それが今、色を変えてこんな所で走っているのであった。さすがに古びてきているが、転換クロスシートの快適な車輛だ。窓が開くのも良い。 早岐までの3駅は、市の郊外といった感じで、各駅に停まる。最近、地方の快速は、所要時間を犠牲にしてでも、都市周辺の近郊区間での頻度を維持するため、「区間快速」化しているケースが増えているように思う。仙石線などもそうだ。どちらが良いのか、難しいところだが、私としては、ここは早岐までノンストップで快速らしく走ってもらいたいと思う。けれども、佐世保~長崎間は残念ながら、高速バスの方が所要時間でも運賃でもやや勝っている。そのため、高速バスの通らない途中駅からの利便性を高める方が得策なのであろう。これも時代の流れであり、寂しいが仕方ないのであろう。 ![]() ![]() その日宇でも大塔でも、佐世保からの客がパラパラと降り、乗車も少しある。閑散時間帯でも多少は利用されている都市近郊区間だ。そして早岐。高架化された佐世保と違い、昔ながらの主要駅らしい、重厚な駅である。洗面台もあって、長距離列車が行き交った時代を偲ばせる(写真左上)。今もそこそこの市街地があり、乗降客も結構多く、佐世保発車時点より少し混んだ。といっても座席の半分が埋まるかどうかという程度である。ここまでが佐世保線で、ここから大村線に入る。 早岐の次は、1992年開業のハウステンボス。川とも運河ともつかない早岐瀬戸に沿って近づくと、右手前方の川向こうにリゾート地らしい「オランダ風の」建物が見える。島式のホームは案外と狭い。前の席を向かい合わせにして座っていた女子大生風の3人連れは、ここで降りるのではと思っていたが、そうではなかった。それでも観光客風の乗降客が若干あり、すぐに発車。ここからようやく快速列車になる。 ![]() ![]() ハウステンボスを出ると、短い隧道を一つくぐってすぐ南風崎を通過する。ハウステンボスとの距離は900メートルしかない。それなのに、交換設備まで残されているのは、今の時代としては驚きだ。交換設備どころか、もっと人口密度が低い地域なら、ハウステンボス駅の開業時に廃止されてもおかしくない。けれどもこの南風崎駅は、終戦時の復員列車の始発駅として知られる由緒ある駅だ。当時、東京発南風崎行という列車が、臨時ながら運転されていたという。そんな説明板もある駅なのだが、あっさりと通過。 右手は遠く近くに大村湾を眺めながら、単線ホームの小串郷を通過し、次の川棚に停車する(写真右上)。乗降客も多く、意外と大きな駅である。駅員もいて、昔ながらの改札業務をしており、列車を見送る。段々と希少価値の出てきた光景である。 ![]() ![]() 川棚から松原あたりまで、大村線はその大半を、大村湾の波打ち際に沿って走る。大村湾は、知らなければ湖と区別がつかないぐらい、陸地に囲まれた湾であり、常に波静かで、西九州らしい穏やかな風景をたっぷり見せてくれる。列車の旅はいいなあと思える区間である。しかも、さびれきったローカル線でもなく、空いてはいるものの、適度に乗客がいる。沿線もそれなりに人家もある。しかも大村線は、もともと長崎本線として開通しただけあり、駅構内も広く、幹線の面影が残っている。高速列車に乗り慣れた人からみれば、スピードは遅いが、車に抜かれまくりというようなローカル線でもない。要するに、一昔前まで日本全国で当たり前に存在していた地方路線の雰囲気が、今もあまり変わらず残っている。写真左上は、川棚~彼杵間の右手車窓。 これまた今や珍しくなった、JRバス乗換駅の彼杵に停まる。ここで佐世保行の快速シーサイドライナーと交換する。彼杵も駅員がいて、川棚ほどではないが、乗降客もある。そして単線で古い木造駅舎が残る千綿、広い構内を持つ松原と、快速らしく通過し、そのあたりから海と離れていく。そして人家も増えてきて、モダンな建物も見られるようになると、竹松に停車する。前の席にいた三人連れの女の子のうち一人が、ここで降りる。最初はハウステンボスに行く観光客に見え、次は長崎にでも遊びに行く仲間同士かと思ったが、どうやら、佐世保に通う学生らしい。竹松で50分だから、長距離通学だ。竹松の次が、線名でもある大村。間には諏訪という新しい駅があるが、快速は通過する。大村は、地方都市然とはしているが、長崎空港を有し、長崎県の三大都市である長崎、佐世保、諫早のどこへも通える範囲だから、それなりに栄えているようだ。降りる人より乗る人が多く、混んできた。女子大生の二人目がここで降りた。 長閑な大村湾沿いを走ってきた後だけに、ここまで来ると、景色がつまらなく見えてしまうと思ったが、大村線最後の通過駅、岩松を過ぎると、意外にも山の中に入り、ちょっとした山村風景が見られる。だがそれもつかの間で、やがて左手から長崎本線がぐるりとカーヴを描きながら合流してくる。対するこちらは殆ど直線で、そのまま諫早駅に滑り込む。大村線の方が開通が早く、その昔はこちらが長崎本線だったことの証左である。 4分停車の諫早は、そこそこ大きな街で、この列車の乗客もかなり入れ替わる。きちんと見ていたわけではないが、佐世保から乗り通している客は、ここまでで大半は降りたように思う。諫早から乗り込む客は、思ったほど多くなく、同じような混み具合で発車していく。長崎本線に入ると、特急向けの線形になるためか、スピードもあがり、新設の住宅地駅、西諫早をあっさり通過して、喜々津に停まる。ここで佐世保からの女子大生三人組の最後の一人が降りた。この列車で1時間17分。かなりの長距離通学だが、乗換もなく、ゆっくり座れるのであれば、悪くないかもしれない。東京ではこれ以上の乗車時間で、しかもその大半を立って通っている人がいくらでもいる。喜々津から浦上までは、海あり山ありのローカルな旧線と、長い隧道で一直線に長崎を目指す新線がある。長崎本線の特急は全て新線経由だが、普通列車は大村線からの直通列車の場合、快速が新線、普通が旧線と、ほぼ役割分担している。長崎本線は、諫早以東からの直通列車はもともと本数が少ないが、電車の場合は新線しか走れない。というのも、旧線は非電化のままだからである。よって、同じ非電化の大村線と旧線とを直通の気動車が走るのは都合が良い。しかし、快速はやはり、長崎への速達性も重要なので、新線を行き、途中の駅は通過して、喜々津~浦上間の16.8キロを14分で走破してしまう。 この新線は、後から山の中を貫通させたため、隧道が多く、駅はその合間の集落に3ヶ所設けられている。もう開通から随分経つのだが、あまり発展していないようで、最後の駅、現川などは、長崎へ10分で行けるのに、山村の佇まいである。その現川を通過すると、九州の在来線で最長の、長崎隧道に入る。そこを高速で突っ走り、出るといきなり、山がちで坂の多い長崎の、特有の都市風景が展開する。そして旧線が合流してきて、路面電車も見えてくると、浦上である。 ![]() ![]() 爆心地や浦上天主堂などでその地名を知られる浦上は、かつては郊外の農村地帯だったらしいが、土地の狭い長崎ゆえ、今はすっかり都市化してしまっている。終着・長崎まであと1.6キロしかないが、今は特急も全て停まり、長崎市の鉄道のもう一つのターミナル的にも機能している。行先によっては、ここでバスや路面電車に乗り換えた方が便利だ。私もここで降りるし、降りる客も多い。他方、浦上から長崎までの1駅を利用する人は、いないかと思ったら、数名がこの列車に乗車した。昔はこのあたりで、長崎本線を市内交通的に利用する人は珍しかったが、快速や普通の本数が増えたので、路面電車やバスより速くて確実なのだろう。そうして着いた浦上駅前は、高層マンションやコンビニなどが目立つ、現代的な都市風景が広がっている。それでも駅前を路面電車がけなげに走っていて、それがちょっとした情緒を醸し出してくれているようだ。 沖縄には現在、厳密な意味での鉄道はない。それに近い交通機関であるモノレールの路線が1本ある。那覇市内を南北に貫く、沖縄都市モノレール、通称ゆいレールで、2003年8月に開業した。延長12.8キロに15の駅があるので、平均駅間距離は0.9キロという、まさに市内都市型の交通機関だ。
青春18切符などを駆使して日本全国の鉄道を乗って回るようなタイプの人々でも、このモノレールに乗るためにわざわざ沖縄まで飛ぶ人は少ないだろう。ゆえに、これだけ情報が溢れる今日でも、このモノレールの乗車体験記録的なものは意外と少ない。私にとっても久しぶりの訪沖で、前回来た時にはまだこれは影も形もなかった。というわけで、特に下調べもせず、那覇空港に降り立った。空港ターミナルビルからモノレールの駅までは1分とかからない。ターミナルビルとモノレール駅の位置関係は、大阪伊丹空港と似ているが、それ比べて二回りはスケールが小さく、乗り換えは楽で利用しやすい。 ![]() ![]() 駅に着いて最初に驚いたのが、駅の小ささ。沖縄の表玄関である空港駅なのに、自動券売機は3台しかなく、自動改札も同じく3台。こんな規模で、大型機が続々発着する航空旅客をさばけるのであろうか。その小さな改札口の横に、日本最西端の駅の記念碑が壁に埋め込まれており、観光客がその前で記念写真を撮っている。 1人分の幅しかない細いエスカレータを使って島式のホームへ上がると、意外感は増した。モノレールは何とたったの2輛編成。それも小ぶりな車輛で、1輛の大きさは、東京モノレールのそれよりも小さいと思われる。そして時刻表を見ると、日中は10分に1本の運転、これも思ったより少ない。スケールは小さいものの、新しいので、本土の都市の交通機関との共通点が多く、自動券売機や自動改札、ホームドアなどの駅設備なども、沖縄ならではのローカル性は感じられない。 ![]() ![]() 沖縄は離島とはいえ、那覇を中心とした地域は昔から都市化が進んでおり、人口密度も高く、道路の渋滞も激しい、それなりの都市である。だからこそ建設されたモノレールでもあり、それなりの利用者はいるはずである。将来を見越してホームが長いかというと、1輛増結の3輛ぐらいが限度という駅構造であった。あとは本数増で補うのだろうか。あるいは、そこまでの需要増大は見込めないのだろうか。 那覇空港10時30分発の首里行に乗る。飛行機の客がどっと押し寄せていないので、適度に席が埋まる程度で、立ち客はいない。先頭と最後尾は、運転席の展望を楽しめる特等席で、後はロングシート車である。ワンマン運転で、車掌はいない。発車すると、右手に空港とモノレールの車輛基地を、そしてその先は自衛隊基地を見ながら進む。基地の向こうに海を見ながらぐるりと左へ曲がると、最初の駅、赤嶺に着く。この一駅は2キロ近くあり、他区間に比べると格段に長いが、それでも歩けてしまう距離だ。 赤嶺は、日本最南端の駅として知られ、右手の駅前広場にその碑がある。空港からこんなに近いのに、ここまで来るとすっかり住宅地で、特に駅の左手は、新旧のマンションが林立している。本土とは雰囲気の違う建物も多く、東南アジアの都市に来たような印象を受ける。都心に出かけるらしい、このあたりの住人らしき客が数名乗ってくる。赤嶺の次の小禄は、駅直結で左手にショッピングセンターがあり、ジャスコやユニクロなどが見える。その周囲はやはり住宅地で、中層ぐらいのマンションが多い。次が奥武山公園で、文字通り、左手は広い公園で、遠く海もちらりと見えているが、右手はやはり密集した市街地で、那覇の人口密度の高さがわかる風景が続く。奥武山公園から、久茂地川に沿って少しばかり良い眺めが続く。壷川、旭橋と、行くに連れて都心に近づく感じになり、ホテルやオフィスビルも増え、その都市的景観の中を進む。各駅ともある程度の乗降客がある。 次が県庁前。JRの時刻表には「県庁所在地駅」というのがあるが、沖縄にはそういったものは無さそうである。しかしモノレールの駅の中からしいてこれを指定するなら、この駅になりそうだ。文字通り、県庁に近いだけでなく、観光客向けの銀座のような国際通りも、この駅からすぐである。駅の規模はどこも同じで小さいが、駅自体がモダンなビルに囲まれており、いかにも近代都市らしい。乗降客も他より多いようである。 ここから飲食街などを見ながら次の美栄橋、そして国際通りの終端に接する牧志と停まってゆく。駅間距離はどこも短く、ちょっと走ってはすぐ停まる。写真左は美栄橋駅からの眺め。運転手は働き者で、駅に停まるたびに窓から外を乗り出して安全確認をし、ホームの案内放送をする。牧志のあたりは、モノレールは西から東へ走っている。国際通りをはじめとした中心街は、流石にモノレールを敷設できなかったが、それらへのアクセスを少しでも良くするための苦心のルート設定の結果であろうか。そのため、牧志を出ると、ぐるりと半円を描くようにして急カーヴで90度以上に向きを変え、進路を北へと取る。次の安里まで、駅間距離は、かなり短いが、両駅間の直線距離はさらに短く、間にビルが無ければ、すぐ近くに次の駅が見える筈である。実際、後でこの2駅間を線路に沿わずに歩いてみたが、5分とかからなかった。 安里あたりで、また商業地域から住宅地へと移り変わった感じがするが、次のおもろまちという面白い名前の駅は、またモダンなビルが並ぶ。ここは乗降客が多い。このあたりは那覇新都心として開発が進んでいる地区で、おもろまちの駅周辺にはブランドショップなど、若者をひきつけるようなモダンなアウトレットが多い。 おもろまちを過ぎると、また住宅地となる。全線高架で高い所を走るモノレールからの眺めは抜群で、左手は丘陵地の中腹までびっしりと住宅で埋め尽くされている様子が良くわかる。右手はここより低い土地で、そちらもずっと住宅で埋まっている。次の古島は、地元住民の利用が殆どと思われる、比較的地味な駅だ。ここを出るとまた右へ角度を変えて、文字通り、右手に病院がある市立病院前に着く。このあたり、モノレールはひときわ高い高架で進み、両側の眺めが素晴らしい。写真左下は市立病院前駅から左側の丘陵地を望んだもの。 ![]() ![]() 市立病院前の次は、沖縄らしい地名の儀保だ。儀保は、直線距離では首里城に一番近く、ここから歩く観光客もいるらしい。そしてさらに進むと、終点の首里。終着駅まで乗った乗客も多く、全線に渡り、良い乗車率であった。 首里は、世界遺産の首里城への入口であるが、駅付近に観光地らしい雰囲気は稀薄で、オフィスビルや住宅、コンビニに学習塾などが混然と存在している。モノレールの線路は駅の先で途切れているが、延伸の計画もあるという。 ![]() ![]() 全線乗車の印象としては、他都市のモノレールも同様だが、とにかく景色が素晴らしい。那覇という都市の様子が手に取るようにわかる。残念ながら海は僅かしか見えないが、この沿線は沖縄でも一番の密集地帯であり、自然美とは縁が薄い。そういう場所だからこそモノレールが建設されたとも言える。特に印象的なのは首里に近い北東部で、丘陵地にびっしりと住宅がへばりついた眺めは圧巻であった。首里城へ行く観光客はともかく、那覇に用事があって飛行機で来る人の多くは、南西側の半分しか乗らないと思うが、一度は全線乗車をお勧めしたい。 先端部が先に部分開業した九州新幹線も、今は博多~新八代の工事が進んでいる。このルートの駅もほぼ決定されたが、久留米、新大牟田など、設置が納得のいく駅が多い中で、恐らく唯一、こんな所に新幹線の駅が?と多くの人が思う駅、それが船小屋であろう。
現在の船小屋は、鹿児島本線の無人駅で、特急停車駅である羽犬塚と瀬高に挟まれた駅である。羽犬塚と瀬高という二つの特急停車駅が近接しているため、新幹線の駅を両方に作るわけにはいかないから、その間を取ったのかな、という程度に思っていたが、実際、地元ではそれ以上に色々な動きがあるようで、調べれば調べるほど複雑である。そもそも、羽犬塚、船小屋、瀬高のどこにも新幹線の駅など不要で、久留米の次が新大牟田でも十分。これもまっとうな考えである。久留米と新大牟田の間にしいて1駅設けるなら、羽犬塚が瀬高よりは大きい。しかも羽犬塚は現在の鹿児島本線にピッタリ隣接して新幹線が通るから、「新羽犬塚」という郊外の新駅を作る必要もなく、現在、市街地にある駅がそのまま活かせる。けれどもそうすると、羽犬塚は久留米に近すぎるので、一つ南の船小屋に落ち着いたらしい。その他、船小屋は土地が十分あるので、パークアンドライドを充実させるなど、新時代の新幹線駅にふさわしい色々な試みも計画されているらしい。しかし、反対勢力も相当だったようである。実際、こうなると、羽犬塚の利用者は、新幹線ができれば現在より不便になるのは必死だ。今は博多直通の便利な特急が頻繁にあるが、これがなくなってしまうからだ。 船小屋は、鹿児島本線の特急で通過する機会があれば眺めていたが、水田に囲まれた長閑な駅である。しかし近々大きく変わっていくはずである。そこで、変わる前の船小屋の姿を見ようと、やたら蒸し暑い初夏のある日、羽犬塚から1駅、普通列車に乗って下車してみた。平日の日中でもあり、下車したのは私の他に1人だけであった。 ![]() ![]() カプセル型の小さな駅舎がある無人駅である。駅前には昔からの雑貨屋が一軒あるが、営業しているのかどうか、少なくともこの時は開いていなかった。駅前には都市型のマンションが一つ、ここは本当の駅前なので、ここなら博多あたりへも通勤できそうだ。あとは昔ながらの民家がいくらかあるだけで、基本的には田園地帯である。駅の反対側は、見事に水田が広がっている。上りホームからは田植えや稲刈りが眺められる長閑な駅だ。 ![]() ![]() 羽犬塚は、以前からの駅舎が取り壊されて仮駅舎となり、駅前に新幹線の高架が現れ、工事たけなわという感じであった。対する船小屋の駅前では、その気配が全く感じられないのが不思議であった。しかし、やがてわかったことは、新幹線の船小屋は現在の船小屋駅ではなく、500メートルほど東側になるとのことであった。こういう場合、例えば富士と新富士や、白石と白石蔵王のように、別駅となるのが一般的だが、ここは土地が十分あるからであろうか、鹿児島本線が移設され、新幹線に合わせて在来線船小屋駅も移転するのだそうだ。そうすると、現在は駅前の一等地にあるマンションの住人にとっては(列車で久留米や博多や大牟田へ通っている人がいるならばの話だが)、非常に不便になってしまうだろう。 ![]() ![]() ともあれ、現在の船小屋駅、利用者は極めて少ない。船小屋といえば、船小屋温泉というちょっとした観光地もあるが、ここも駅からの距離がかなりあるので、船小屋駅に降り立って温泉へ行く利用客は殆どいないらしい。温泉行きバスは羽犬塚から出ており、ここ船小屋駅には立ち寄らない。移動するにせよそうでないにせよ、新幹線の駅ができるとは、にわかには信じがたい長閑な風情であった。鹿児島本線の移設と駅の移動が、どのタイミングで行われるのかわからないが、とりあえず、今の駅には新幹線が来ないため、まだ当分はこの長閑な無人駅を味わうことができそうである。駅舎はカプセル型で味気ないが、古い跨線橋などに、幹線駅の味わいと貫禄が感じられる駅であった。 今の時代、一つの列車に5時間も10時間も乗る行為自体、尋常とは思われていない。そういうことをするのは鉄道マニアぐらいで、用事があって移動の手段として鉄道を利用する場合、3~4時間が限度で、それ以上だと飛行機が使われる。数少ない夜行列車を除くと、特急列車といえども、全国的に、4時間以上に渡って走行する列車そのものが数少なくなった。新幹線ができる前は、首都圏と東北地方の間など、東京~青森を始めとして数多くの長時間運転列車が当たり前のように走っていたが、時代はあっという間に変わってしまった。新幹線のない北陸~羽越ルートでも、少し前まであった大阪~青森の白鳥が廃止されたかと思うと、続いて大阪~新潟間でさえ、夜行以外は直通列車がなくなってしまった。大阪からは富山あたりが限度で、新潟行は金沢始発というように、運転区間が分断されてしまった。そうなると、例えば福井から直江津へ行く場合は、乗換えを余儀なくされるなどの弊害もあるが、そういう客自体が少ないのであろう。
そういう全国的な流れの中で、最近、運転区間が延びた珍しい例がある。別府~人吉間を走る「九州横断特急」である。別府~熊本間は、その昔は「急行火の山」が、その後、格上げで「特急あそ」が、毎日数往復走っていた。そして熊本と人吉の間は、「急行くまがわ」が、最後まで急行の貫禄を保って走っていた。人吉は、熊本県南西部の地方都市であり、県庁との間もそれなりの距離があるため、ビジネス、用務、観光など様々な需要にこたえるべく、急行として長く生き残ることができた。勿論、熊本乗換えで博多へ、さらに新幹線で本州方面へと乗り継ぐ人もある程度はいたと思われる。しかし、急行廃止の流れはここにも及び、特急格上げとなるにあたり、別府~熊本の特急と直通化され、その名も「九州横断特急」として生まれ変わったのである。別府~人吉の全区間を乗り通すと、所要時間は4時間半余り。この程度でも、今の時代、相当長時間を走る列車の部類なのである。 というわけで、別府14時43分発の「九州横断特急5号」に、人吉までの全区間を乗ってみることにした。勿論、熊本で殆どの客が入れ替わるであろうことなどは承知の上である。それでも私自身、一つの列車に4時間半も乗り続けること自体、最近は殆どなくなってしまったなあと、改めて思うのである。 ![]() ![]() 別府は言うまでもなく、日本有数の温泉地である。その割と駅は昔から素っ気ない高架駅で、格別の情緒も感じられない。しかも別府は県庁大分と近く、ベッドタウンとしての役割もある。しかしいずれにしても、需要の大きい駅なので、大分から先、この豊肥本線だけでなく、久大本線や日豊本線に行く列車も、優等列車は大分ではなく別府始発というのが昔からのパターンだ。 あいにくの天気だが、連休ということもあるのか、駅は活気に満ちていた。3輛編成の「九州横断特急」も、そこそこの乗車率である。しかも、短編成ローカル特急にもかかわらず、車内販売がある。JR九州が新生の特急に力を入れていることの証である。下は別府発車時の車内。 別府から大分までは、複線電化の日豊本線を走る。都市近郊ではあるが、左手は別府湾が広がり、景色は良い。しかもこの列車の全区間を通して海が見えるのは、ここが最初で最後である。大分は、別府より人口も断然多く、県庁所在地でもある。けれども乗ってくる客は案外少なく、始発の別府からの客がはるかに多かった。ここは古くからの地平駅だが、今、高架化工事が始まっている。やがて個性のない平凡な駅になってしまうのであろう。 大分から豊肥本線に入る。しばらく市街地を、そして田畑が混じる郊外の住宅地へと進むが、ほどなく中判田に停車する。この駅、昔は急行ですら停まらなかったと思う。大分に近すぎて下車客はないが、2名の乗車があった。大分行普通列車と交換する。次の通過駅の竹中でも大分行普通列車と行き違う。このあたりはローカル線とはいえ、大分のベッドタウンなので、普通列車の本数が多い。これだけ普通列車があるのだから、2名乗車のために特急を中判田なぞに停めるのもどうかと思うのだが、一度だけの体験ではわからない理由があるのかもしれない。 菅尾通過、また大分行の1輛の普通列車と交換、このあたりの車窓は田園地帯で、格別ではない。それにしても、この列車は中年男性の車掌の他に、若い女性の販売員が2名も乗っていて、別府や大分ではドアの前に立って乗客を迎えるし、販売物もただのワゴンだけでなく、阿蘇のどこかの牧場のアイスクリームなどの特産品も売りにくる。いかにも観光特急として力を入れているさまが窺えるのだが、たった3輛の特急で、アイスクリームだけを売り歩いて、どれだけ売れるのだろうと心配してしまう。実際、冷房が十分効いているので、私はアイスクリームよりは温かいコーヒーが欲しい。 昔からの急行停車駅、三重町を発車。乗降は殆どない。次は豊後竹田かと思ったら緒方に停まるそうだ。ここも昔の急行は停まらなかった気がする。右手に水量豊かな川が沿っている。台風でだいぶ降ったし、今日もさっきまでにわか雨が凄かったので、とうとうと流れている。ここまで来ると、人家も途切れて深い山に入っていくような風景になりつつある。超古い民家もあり、日本の田舎が健在だ。そして上り勾配が感じられる。 駅前の総合病院が目立ち、人家も多い緒方に停車し、だいぶ山峡らしくなってくると、やがて豊後竹田到着のアナウンスが入る。滝廉太郎の出身地で、昔から、列車が着くと荒城の月のメロディーが流れた駅だ。主要駅だからそれなりの乗降客があるだろうと期待する。この駅は竹田の町はずれにあり、右手は岩山という険しい地形にある。町は駅の左手に広がる。ここが意外なことに、乗降客が殆どなかった。荒城の月の音楽も、少なくとも車内には聞こえてこない。豊後竹田も寂れてしまったのか、たまたまなのか。 豊後竹田を出ると、鉄橋で川を渡る。水量多し。またしてもぐんぐんと勾配を上る感じがわかる。いよいよ阿蘇へ向かって、と思ったら、妙に開けた場所に出た。国道沿いに色々な店もある。ドコモショップとかもあり、新しい家も多い。竹田とはこんなところか、と、これだけを見て思ってはいけないだろうが、車時代の新市街地だろう。玉来通過。単線の無人駅で、駅前に鳥居があった。玉来を過ぎると竹田の町も果て、いよいよ阿蘇へ向けてという感じになり、上り勾配もきつくなるが、車窓は両側とも森ばかりで、格別の風景ではない。車内は静かで、寝ている人が多い。これでは車内販売の商売も大変だろう。 駅間が長く、4分停車の豊後荻に着く。構内踏切のある昔ながらの駅で、紫陽花が咲いている。大分行のホームでおじさんが2人、列車を待っている。駅裏は倉庫。ここから阿蘇の外輪山を越えて、阿蘇に入るのだが、あいにくのどんよりとした天候で、あまり強い印象が残らないのが残念だ。しかも眠くなってきた。外輪山を隧道で越えた次の波野が、九州で一番標高の高い駅である。 ぼんやりと過ごすうちに、阿蘇観光の拠点駅の一つ、宮地に着く。観光客とおぼしき人が多少乗ってくる。続く阿蘇も同じで、他方、大分方面からの客は殆ど降りない。別府・大分からの客は殆ど熊本まで乗り通すのだろうか。このあたり、阿蘇外輪山の内側は、思いのほか広々とした田園地帯で、険しさはない。遠くに山が見えるものの、線路の周囲は平坦な盆地という感じがする。続いて停車した赤水も、駅の右手は広々とした田園が広がっている。それが変わってくるのは立野で、ここは有名なスウィッチバック駅だ。何もない所で停車し、後退してホームに入る。ここも多少の乗車客がある。再び前進して発車。 立野からぐんぐんと勾配を下って、次の停車駅は肥後大津。ここは熊本の通勤通学圏の限界点にあたる駅だ。熊本空港にも近い。ここから電化区間となり、熊本との間は列車本数も多い。にわかに都市圏に入った感じとなり、阿蘇の田舎の風情も消えうせた。しかもこの区間には、武蔵塚とか、さらには光の森などという新しい変な名前の駅があり、新しい駅のくせに、昔からの駅を差し置いて特急が停車する。さらに、熊本市街に近い水前寺、そこから僅かの距離の新水前寺と、特急ともあろうもの、連続停車する。多少の下車客があったが、殆どはそのままで、次が熊本である。それぞれの駅に特急が停まるべき理由があるのはわからぬでもないが、全体として停車駅が多すぎると思う。 熊本では流石に殆ど全てといっていいほどの客が降りた。この列車に限って言えば、別府か大分から熊本までの通し利用者はかなり多かったことになるが、熊本をまたいで先へ行く客は殆どいない。夕方でもあり、代わって熊本から人吉へ帰る客がどっと乗ってくるのかと思ったが、僅かしか乗ってこなかった。よってガラガラとなった特急は、夕方の気配が漂い始めた鹿児島本線を南下する。同じ車輛だが、複線電化の幹線だけあって、スピードも出る。けれどもこの列車は松橋に停まる。それなりに利用者もある熊本郊外の駅だが、一昔前の常識では、特急が停まるような駅ではない。現に乗降客は殆どなかった。そして次は新八代。昔は熊本と八代は特急なら一駅ノンストップだが、色々な事情で今は違う。この新八代は、新幹線への乗り継ぎ駅だが、この列車から降りる人は殆どない。それも当然で、この列車が熊本で5分停車している間に、博多からのリレーつばめが先に発車しており、この列車のすぐ前を走っているのである。この列車で大分方面から鹿児島方面へ行く場合、この列車を熊本で降り、急いでリレーつばめに乗り換え、新八代でもう一度乗り換えるのが一番早い。それをせず、新八代までこの列車で来てしまうと、新幹線が1本後になる上、新八代では同じホームでの乗り換えもできず、何もない退屈な新八代で待たなければならない。ともあれ、新幹線の開通によって、大分~鹿児島の鉄道での最短時間ルートは、熊本経由になった。日豊本線宮崎経由と所要時間を比べると、随分と差が大きい。今さらながら、新幹線とは凄いものだと思う。新八代を出ると、すぐ八代。新幹線ができたがためにローカル駅に成り下がった駅は多く、ここもその一つだろう。それでも肥薩線のおかげで、こうしてまだ特急が発着しているのがせめてもの救いかもしれない。若干の乗降客がある。 八代から人吉までの最後の区間は、ひたすら球磨川に沿う景色の良い区間だ。球磨川は、日本三大急流の一つとして知られ、沿線の中上流地域は球磨焼酎の産地としても名高い。けれども、山と急流に挟まれ、耕地も少なく、人口も稀薄なエリアである。特急は、坂本、一勝地、渡と3つ停車するが、どこも乗降客は少ない。それ以外の普通列車しか停まらない駅はさらに利用者が少ないことだろう。そんな区間を、夕闇迫るガラガラの特急列車でゆったりと景色を眺めながら行くのは、汽車旅の醍醐味とも言うべきであるが、列車が空いており、沿線も思いのほか寂しいのが気になる。折角できた九州横断特急も、人吉の経済次第では、先行きどうなるかわからないのではないか、と思うと、暗澹たる気分になった。 ![]() ![]() 定刻19時28分に人吉着、それでも3輌の車内からはそれなりの客が降りてきたので、とりあえずはホッとする。ここは人口3万7千、駅付近に温泉も湧く、古くからの盆地であり、球磨焼酎生産地の中心都市でもある。夏至に近い夏の九州、この時間でもまだ明るさが残っているのも嬉しかった。
島原鉄道が島原外港以南の廃止を表明した。相次ぐローカル私鉄廃止の一つといえばそれまでかもしれない。だが、この廃止予定区間の一部は、1990年代に雲仙普賢岳の噴火により延べ5年余りに渡って長期不通となったのである。災害を機に廃止されるローカル線は過去にも多くの例があるが、島原鉄道ではその時、新線建設同様の投資をして復旧させた。その後は観光トロッコ列車なども走らせて、災害後の観光振興にも貢献している。だがそれから僅か十年余り、再び災害に見舞われたわけでもないのに廃止とは、残念でならない。
![]() ![]() 土石流によって鉄道の線路も流されてしまった水無川鉄橋。災害の後、新たに立派な鉄橋ができ、その北側にある安徳駅も、ローカル私鉄らしからぬ高架駅となった。よってこの駅は、コンクリートが目立ち、他の駅のようなローカル線の情緒には乏しい。 駅のすぐ南を水無川の本流が流れ、鉄道の鉄橋が、その海側には道路橋もある(写真左下)。知らなくても新しい橋だとわかる、ある意味、現代的な風景である。西に目をやればいやでも目に入るのが、普賢岳と、その少し手前右手にある平成新山である。写真右下は、この高架ホームから見た山。この山の南西には雲仙の温泉街があり、今は平和な観光地・保養地として客を呼んでいる。もっともシーズン以外は客不足で悩んでいる旅館も多いそうだ。 ![]() ![]() 現在の安徳駅は、勿論無人駅で、島原鉄道全体の中でも乗降客は少ない。駅周辺には古い集落も残っているので、全てが溶岩に流されたわけでもなさそうだ。今、災害のすさまじさを直截に感じるには難があるが、このローカル線にしては立派な駅や鉄橋などの鉄道施設が、間もなく廃墟となると思うと、複雑な感情を抱かずにはいられない。 梅雨末期のこととて、午後から大雨の予報だったが、広島から博多への移動途中、ちょっと余った時間で往復してきた。実は、大分の少し先まで往復する時間がある筈だったが、途中から雨が強まり、列車が徐行運転となり遅れ始めたので、別府に着いた時点で先へ行くのを断念し、引き返すことにしたのであった。
![]() 南小倉は、小倉から2駅目だが、小さな島式ホーム1面の駅で、周囲は住宅地と見受けられた。この先の下曽根などは、駅付近に郊外型の大ショッピングセンターができていて、昔と様相が大きく変わっていたが、小倉に近いこの駅あたりの方が、むしろ余り変わっていないように思われた。次の城野も比較的昔の面影が濃いかもしれない。 ![]() 行橋は、前に降りたのがいつだったか思い出せないが、このような高架駅ではなかったのは確かだから、割と最近、高架化されたのであろう。かなり新しくて綺麗な、立派な駅であった。元国鉄田川線の平成筑豊鉄道が、4番線のホームの一角を切り欠いたような5番ホームから出るようになっている。JRが4番線までの長いホームを持つのと対照的であった。 小倉~行橋間は、かなり都市近郊鉄道という感じになっているが、行橋の先、新田原あたりを過ぎると、ローカルな小駅も現れ、ちょっと旅情が湧いてくる。駅も、高架化された中津を除けば、昔ながらのスタイルを良くとどめており、好感が持てた。 高架の中津から、津で終わる駅が、東中津、今津、天津と、4駅連続するのが面白い。海に沿った地域だから、~津という地名が多いのは不思議ではないが、こういう駅名が続くと、それぞれの駅の特色なども混乱しやすいのは不思議なことだ。 ローマ宇で書くとUSAとなり、アメリカ人が喜ぶという宇佐は、宇佐天満宮を象徴してか、柱などに赤色を多用した情緒のある駅である。しかしここは駅が市街地と離れていることもあり、利用者はあまり多くないようであった。 この区間のハイライトは、国東半島のたもとを横切る、宇佐~杵築間であろうか。西屋敷、立石のあたりはかなりひなびた風情が感じられた。 ![]() 杵築は、風格の溢れる昔ながらの駅であった。そもそもこの駅は昔から、杵築市の市街地とはかなり離れた寂しい場所にあり、車が今ほど一般的でなかった昔は、駅から「杵築市行き」のバスが連絡していたのである。今は駅のそばに有料駐車場がいくつかあり、パーク・アンド・ライドがそこそこの利用度と見受けられた。別府・大分方面への通勤者であろうか。 ![]() 亀川は、大分・別府の郊外といった感じの駅で、このあたりでもご覧の通り、駅裏に高層マンションが建っている。特急が停まらない駅の中では比較的大きく、乗降客もそこそこ多い。この先、別府までは、海に沿っているものの、建物も目立つ地方都市といった感じの沿線である。 博多駅で夕方、次の予定まで2時間ほど時間が余った。ふと思い立って鹿児島本線で3つ目の香椎に行ってみることにした。切符を買う。運賃は220円。本数は多いので、問題ない。それが、3駅かと思ったら、千早という新しい駅がいつの間にかできていて、4駅目になっていた。
香椎といえば、今でも思い出すのが、松本清張の「点と線」なのだ。駅からそう遠くない海岸で死体が発見され、聞き込みの刑事が駅前の果物屋で、列車で降りた客について尋ねる。細かいことは忘れてしまったが、博多から近いのに乗降客も少ない田舎駅である香椎という所の描写が、印象に残っている。勿論、戦後間もない頃と今とでは全く変わっていることも承知している。 現代のJR九州香椎駅。橋上駅ではなく、改札は西側にしかない。ホームや跨線橋などに、昔の汽車駅時代の面影も部分的に残っているが、駅舎は立派な駅ビルで、自動改札もあり、東京の郊外駅と何ら変わらない。駅前広場はあまり広くない。 ![]() ![]() 駅前の通りをまっすぐ西へ歩くと、ほどなく右手に果物屋があった(写真右上)。これはひょっとしてその当時からあった果物屋だろうか。ちょっと感動してさらに歩を進めると、間もなく西鉄宮地岳線の踏切がある(写真左下)。西鉄香椎駅は、小説の印象だとここが駅前だが、そうではなく、少しばかり北へ行った先にあるようであった。さらに商店の散在する通りを3分ほど歩くと、大きな交差点に出る。南北の道路は交通が激しい。渡って先へ行くと、雰囲気が変わった。恐らく昔はここがもう海岸への入口だったのではないか。小説の記憶でも、駅から海岸はそんなに遠くなかった筈だ。 ![]() ![]() 細い住宅地をまた少し歩くと、川が合流する地点に出た。前方を高速道路がまたいでいる。その向こうは団地である。緑も多いが、これはやはり現代都市の光景で、死体の上がった寂しい漁村の情景は、全くない。何十年も経っているのだから当たり前ではあるが、この光景を確かめたことで、改めて「点と線」を再読してみたくなった。
その昔から、日本三大車窓の一つとして知られている区間だが、今は極度のローカル線になってしまい、存続すら危ぶまれるという、肥薩線のこの区間。急行もなくなった今、地元のローカル利用は僅かで、あとは観光利用を増やして存続を図ろうとしているかに思われる。
今回、その区間を吉松から人吉へと抜けてみることにした。吉都線からの接続はよく、一輛のワンマン気動車は吉松を発車。乗客は10人ほどで、観光客とおぼしき人が大半である。いかにも鉄道マニアといった感じの人はない。車輛は何と座席の一部をお座敷に改造してあり、観光客受けを狙っているのが露骨に感じられる。 吉松から真幸までは、序奏という感じだ。吉松自体がある程度、高原のイメージの所にあり、そこからぐんぐんと登っていくと、本当の高原らしくなり、右手にはえびの市方面の平地の風景が広がる。そしてスウィッチバックの真幸に着く。乗降客はいないが、運転時分にも余裕があり、運転手が3分ほど停車するとアナウンスすると、乗客の大半が車外に出た。この駅のホームには鐘があり、母娘で乗っている旅行者が交代でそれを鳴らしに行ったりしていて、ほのぼのとしたローカル線旅行の雰囲気である。 ![]() ![]() 真幸を過ぎるといよいよ高い所へと登っていく。飛行機からの眺めのように、下界の風景が遠く広がる。長い隧道をくぐると、次の矢岳。ここも2分ぐらいの停車時間がある。高齢者の女性3人組が乗ってきた。このあたりの住人で、人吉へ出かけるのであろう。昔のままの木造の古い駅舎が残っている。 ![]() ![]() 矢岳から人吉までの間には、ループ線がある。山野線が廃止された今日、九州唯一のループ線である。そのループの途中にスウィッチバックの大畑駅がある。ループ線もスウィッチバックも、勾配に弱い昔の鉄道に必須であったが、車輌の性能が上がった今日、時代遅れの遺物になりつつある。その両方が一度に味わえる日本で唯一の駅が大畑なのである。ループ線は、右へ右へと回り、回り終わる手前でバックしてスウィッチバックの大畑へ入る。ここも無人駅となって久しいが、地元の利用者が駅を大切にしているようで、案外荒れ果てていない。乗降客はなく、ここは停車駅も短かった。 ![]() ![]() 大畑からは下る一方で、さきほど通った筈の線路の下を隧道で抜け、その後もいくつか小さな隧道を抜け、人吉盆地へと下っていく。そして人吉盆地に入ると右から旧湯前線のくま川鉄道が寄り添ってくる。あちらには、相良藩願成寺という駅がある。湯前線時代は東人吉駅だった筈だが、随分と凝った名前に改称したものだ。こちら肥薩線は、元幹線だけあって、駅間距離が長く、こういった市内駅はない。そのまま並行して、人吉のホームへと滑り込んだ。数少なくなった急行が向かいのホームに停車しており、この列車の乗客も何人かは乗り換えたようである。 それにしても、途中僅か3駅の区間が1時間もかかるとは、駅間距離が長いからか、列車の速度が遅いからか、恐らくその両方であろう。ここはもはや、スピードアップをしたところで、それだけでは生き残れない。雄大な景色を楽しむ観光路線としての活路を見出すしか、将来はないのであろうか。鉄道本来の輸送上の必要性が薄れているのは寂しい限りだが、今後も末永い存続を願ってやまない。 < 前のページ次のページ >
|
カテゴリ
最新のコメント
最新のトラックバック
リンク & 補足
汽車旅のしおり 旅行に便利な鉄道最新詳細情報。 鉄道のある風景weblog 情報量が凄いです。 ebitks-photo archives 写真がとても美しい。 相互リンク先募集中です。 対象は、鉄道・旅・地理などに特化したサイトに絞らせていただきます。 このブログへのリンクは自由です。特にご連絡も必要ありません。 ![]() 人気blogランキングへ この「鉄道と駅の旅」ブログへの、関連内容のコメント・トラックバックは歓迎いたします。執筆者railwaytripは、必ずしもお返事いたしませんが、お気軽にどうぞ。 この「鉄道と駅の旅」ブログの各記事の日時は、執筆の日時ではなく、実際の訪問の日時です(現地時間)。 タグ
気動車(17)
ローカル線(15) 駅(13) 無人駅(12) ヨーロッパ(12) 大手私鉄(7) 特急(7) 廃止予定(6) 近郊列車(5) 中小私鉄(5) 普通電車(4) 長距離鈍行(3) 第三セクター(3) ループ線(3) モノレール(3) スウィッチバック(2) 客車列車(2) 新交通システム(2) 新幹線(2) 国際列車(1) 以前の記事
2009年 11月
2009年 04月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 09月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2006年 10月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 11月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2004年 08月 2003年 10月 2002年 11月 検索
お気に入りブログ
おすすめキーワード(PR)
ファン
|