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特急はまかぜ・大阪~浜坂

 特急「はまかぜ」は、阪神地方と、蟹の名産地、日本海側の北但地方とを結ぶ特急の一つだ。京阪神からこの地方へのメインルートは山陰本線か福知山線であろうが、はまかぜは、姫路から播但線というローカル線を経由する特急だ。播但線の北半分が非電化ということもあり、キハ181という一昔前の国鉄型のディーゼル特急が未だに活躍している。同じく関西と山陰地方を結ぶディーゼル特急としては、第三セクターの智頭急行経由もある。あちらはモダンな新型特急が活躍している。このような一時代前の車輛による特急列車が今も頑張って走っていると、乗ってみたくなる。いつまで持つか、という気持ちもあり、早く乗っておかねばと、気も焦る。

 福知山線や智頭急行の特急は、新幹線連絡等の理由でか、京都や新大阪が始発だが、このはまかぜは、大阪始発である。姫路まで在来線を山陽新幹線と並行して走るので、新幹線からの乗り継ぎ客は姫路で拾えばいいという考えなのだろうか。ともあれ大阪始発の特急というのが、新幹線以前の時代を連想させてくれる。

 大阪駅の発車は、環状線の隣の3・4番ホームである。昔はここが1・2番ホームで、環状線には番線がなかった。発車20分前に行ってみると、4番線には大阪始発の篠山口行き快速が発車を待っていた。はまかぜはこの列車が出た後に入る。自由席の乗車位置にはごく短い列ができているものの、混雑とは程遠いと思われる。これなら並ぶ必要もないかなと思っていると、3番線に京都始発の特急「スーパーはくと」が入ってきて、僅かな停車時間で慌しく発車していった。あの列車ははまかぜが浜坂に着くよりもずっと早く、それより遠い倉吉に着く。続いて篠山口行も発車。


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 それからほどなく、4番線に、気動車独特の重いうなりとともに、181系気動車5輛の特急「はまかぜ1号」が入線。始発駅なので、発車10分前には乗車できる。今や新幹線の東京駅など、始発でも3分前ぐらいにならないと乗車できない列車も多いので、10分も前から乗り込んで発車を待つ機会は案外珍しい。こういう始発駅での発車待ちは、段々混んでくるのが落ち着かない気分にさせるものだが、今日のはまかぜは空いていて、この10分に乗り込んでくる客も僅か。定刻9時36分に発車した時点で自由席の乗車率は2割にも満たない。閑散期の平日ではあるが、蟹の季節だし、もう少しお客がいるかと思ったが、思いのほか寂しい。

 発車するとすぐ、これまた昔懐かしい国鉄時代のオルゴールが鳴り、車掌が停車駅などの案内放送を始めた。しかし少ししゃべったかと思うと「鉄橋を渡りますので、案内を一時中断させていただきます」と放送があり、列車は淀川鉄橋を渡る。この気動車は騒音が大きいので、鉄橋を渡る時は放送をしても聞こえないから中断するということらしいが、こんな経験は初めてだ。国鉄時代はもっとうるさい列車が山ほど走っていたが、こんなことはなかった。

 鉄橋を渡り終わると車内放送が再開され、塚本を通過するあたりでそれも終わり、またオルゴールが鳴る。次に神崎川を渡る。大阪からここまで、5分程度だが、この川を渡ると早くも兵庫県に入る。そしてこの特急はまかぜ1号は、ここから先、終着までの3時間半、ずっと兵庫県内を走るのである。そうか、大阪発車時の乗車率が低いことは、問題ではないのかもしれない、と思い直す。蟹を食べに行くグルメ大阪人だけがこの列車の乗客ではない。これは兵庫県内のビジネス特急でもあり、兵庫県北部の人にとっては、県庁所在地神戸と乗り換えなしに行き来できる貴重な列車でもあるのだ。

 この列車は、大阪から姫路まで、三ノ宮、神戸、明石、加古川に停車して、1時間4分かかる。同じ区間を新快速は、加えて尼崎、芦屋、西明石にも停車して、日中は1時間1分で走る。さきほどのスーパーはくとは、同じ気動車ながら、三ノ宮と明石だけの停車で59分と、かろうじて特急の面目躍如だが、国鉄型気動車のはまかぜは、残念ながらそれらに負けている。新快速が頻繁に走っているのだから、この列車も神戸や加古川に停車する必要はないように思うが、もしかするとここが、兵庫県内ビジネス特急としての役割が濃いはまかぜならではの、「スーパーはくと」と異なる需要を押さえているのかもしれない。

 そんな事を考えながら、乗り慣れた阪神間の景色をぼんやり眺める。同じ区間でも、新快速とは気分が違い、車窓の景色まで違ってみえる。列車の走りっぷりは思ったよりも軽快だ。この区間は他の新型の車輛と競うべく、全速力で走らないといけないので、老兵キハ181は、もっと必死でうなりながら走ってくれるかと思ったが、さほどでもない。加速時以外は案外静かだし、乗り心地も悪くない。

 三ノ宮である程度の乗客があり、神戸、明石でも少しずつ乗車する人がいるが、明石では早くも降りる人がいる。この時間、新快速は混んでいるので、所要時間のメリットがなくても、特急料金を払ってガラガラの特急で楽をする人がいるのだろう。加古川は殆ど動きなし、そして高架化工事の進む姫路に着く。姫路は山陽線は既に高架化が完了しているが、播但線ホームはまだ地平である。この列車は一旦山陽線の高架に上がったあと、姫路の手前でガタガタとポイントを渡って、地平の播但線用31番ホームに下りていって停まる。

e0028292_2241995.jpg 姫路では列車の進行方向が変わることもあって、8分も停車する。ここでの乗車が案外多く、姫路発車時点での自由席の乗車率は7割ぐらいになった。

 姫路を出ると、単線の播但線に入り、スピードが落ちたのに揺れは激しくなる。けれども沿線は住宅などが建て込んでおり、なかなか田舎の景色にならない。その昔、このはまかぜは、播但線内はノンストップだったと思うが、今はいくつもの駅に停まる。けれども線内の乗降客は少ない。乗客層は、観光客と用務客が半々といったところだろうか。若いグループも、多くはないが、散見される。

 電化区間が終わる寺前を過ぎると、住宅が途絶え、山深くなる。路線図だけを見ていると、和田山まであとわずかの駅数なのに、何故全線電化しなかったのかと思ってしまうが、乗ってみると、寺前を境に姫路寄りは都市近郊路線、和田山寄りはローカル線であることが、車窓風景に感じられる。けれども、寺前以北の沿線には、全線電化を請願する看板が目立つようになる。「複線電化」「播但線高速化」「全線電化は但馬の願い」などに混じって、「播但線を乗って守ろう」というのもあり、驚かされる。電化区間から漏れた北半分の区間では廃止の危惧があるのだろうか。

e0028292_2245311.jpg 銀山で知られる生野を過ぎ、竹田城址を見ながら山峡を進むと、土地が開け、右から山陰線が合流してきて和田山に着き、多少の下車客がある。煉瓦造りの古い扇形機関庫が見える。大阪からここまで、153.6キロ。これが福知山線経由だと、144.7キロなので、若干遠回りだが、極端な差ではない。ここから山陰線に入り、八鹿、江原(写真左)と、中小の町に停まるたびに用務客が少しずつ下車していく。神戸や姫路からの客と思われ、まさに兵庫県内ビジネス特急である。そして但馬最大の町、豊岡では、まとまった数の下車客があり、車内は再び寂しくなった。自動改札などなく、列車到着に合わせて改札口に駅員が立ち、下車客を迎える。地方にも自動改札が広がりつつある今日、一昔前までどこでも見られたこの光景も、新鮮に見えてくる。

e0028292_2252576.jpg 右手に円山川の豊かな流れを見ながら、列車は続いて城崎温泉に停まる。今度は観光客を中心に、また多くの下車客がある。この駅はつい最近まで、ただの「城崎」であった。駅名に温泉をつける改称は、ブームの如く全国で見られるが、あくまで知名度の低い二流の温泉地がやることと思っていた。有名な温泉地、例えば登別、熱海、別府などは、決してこういう改称をしない。城崎も著名な温泉だから、まさかと思っていたが、最近改称されてしまった。

 山陰本線の東側の電化区間はここまでである。そのため、京都や大阪からの電車特急は、ここが終点で、この先は一部のディーゼル特急のみとなり、本数が減り、ローカル線らしくなる。竹野停車に続いて、日本海が見えてきた次の佐津という小駅にも、今の時期のみ停車して、指定席車から蟹ツアーの団体客らしき人々を下ろす。


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 晩秋の日本海側らしく、今にも降り出しそうな厚い雲の下、荒々しい日本海の海岸美を見ながら、はまかぜは終着を目指し、ゆっくり走る。山陽本線を快走したのと同じ列車とは思えない。時折現れる家々は、黒い瓦をどっしりと載せた、重厚な純日本家屋も多い。香住でまた客を降ろすと、次が終着駅、浜坂である。残っている乗客は僅かだが、ここにこの列車最大のハイライトである余部鉄橋が現れる。架け替えが決まってから、毎日大勢の人がカメラを持って餘部駅に降りるという。そのため、時期と列車によっては、単線の無人駅である餘部に、特急はまかぜも一部停車する。この列車は停車しないが、鉄橋の袂である餘部駅には、カメラを構えた人がいた。流石に11月下旬の平日だけあって、1人だけだったようである。


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 そして、最後の通過駅、山峡の寂しい久谷を通過すると、列車は終着浜坂だ。兵庫県内を3時間半も走ってきたのだから、兵庫県も広い。事実広い県であり、両端の青森と山口を別にすると、本州で唯一、二つの海を持っている。浜坂まで乗ってきた客は、大部分が地下道をくぐって改札口へ向かい、一部が反対ホームに1輛っきりで停まっていた、鳥取行の普通列車に乗り換える。姫路以東から鳥取へ行く客は、「スーパーはくと」を選ぶ筈なので、乗り継ぐ客は少ない。そして改札口を出れば、そこには同じ兵庫県でも、神戸とは全く異なる田舎町の鄙びた駅前風景が広がっている。
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by railwaytrip | 2007-11-27 09:36 | 近畿地方

参宮線・二見浦駅

 その昔、今のように気軽に旅行できない時代、お伊勢参りは一生に一度は行きたい庶民の夢であったという。日本最初の鉄道が明治5年に東京~横浜間に開通してからわずか17年後には、早くも参宮鉄道という会社が設立され、明治27年には津から宮川までの鉄道が開通、翌年には山田(今の伊勢市)まで延長された。この鉄道の主たる目的は、伊勢神宮への参拝客輸送であり、ゆえに参宮鉄道という社名だったのである。庶民のお伊勢参りの夢は、この鉄道によってだいぶ現実的になったことであろう。明治40年には、鉄道国有法により国鉄となる。そして今、戦後60年が経過した。そして国鉄からJRになった。そんな長い歴史を経て今日まで、伊勢線でも鳥羽線でもなく、参宮線という線名のまま残っている。

 しかし今や、参宮線に乗ってお伊勢参りに行く人などほんの僅かである。今の参宮線の役割は、この地域のローカル輸送であるが、このあたりは近鉄がかなりの路線網を張り巡らしているため、参宮線の重要度はお世辞にも高くない。それでもJR東海になってから、名古屋から鳥羽まで、「快速みえ」という料金不要の優等列車を作り、近鉄特急に対抗しだした。けれども、名古屋から、津、松阪、伊勢市、そして鳥羽へ、近鉄ではなくJRの快速みえを利用する人の比率はかなり低いらしい。何しろ2輛編成が1時間に1本なのだ。近鉄特急と比べてみれば、その差は歴然としている。

 今回、二見浦という駅を訪問したのは、この駅こそ、参宮線の役割が今なお重要な駅の筆頭ではないかと思ったからである。最近の市町村合併で伊勢市に編入されたが、もともとここは二見町という町であり、二見浦駅はその玄関口である。このあたりは近鉄の線路ははるかに離れた山の中を走っており、旧・二見町地域では、参宮線が唯一の鉄道になる。

 二見浦といえば、夫婦岩という有名な岩が海中より突き出ており、古来より参拝の対象となるなど、観光地としても知られる。旅館も多く、温泉も湧いている。観光地として栄えていそうだが、実際は昔と比べるとかなり寂れているらしい情報も得た上での訪問であった。


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 駅舎は、夫婦岩を模してデザインした、ガラス張りのモダンなものであった。駅員がいて切符を売っているが、委託職員のようである。そして駅前に鳥居がある。しかし駅付近は見事にガランとしている。人通りは時折あるが、とにかく静かだ。伊勢といえば、折から赤福の偽装問題でゆれており、この時も赤福の各店は営業停止中。二見浦の駅前通りを行くと、古風な和菓子屋「酒素饅頭」の木造の立派な店があった。赤福とは関係ないだろうが、ここもしっかり閉まっていた。


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 駅に戻る。とにかくホームが長い。10輛編成ぐらいの列車は問題なく停まれそうである。その昔は長い客車を連ねた列車が発着したのであろう。屋根のある中央部は、決して長くないが、堂々たる鉄骨に支えられた立派な屋根を持つ、風格のある駅である。ホームと改札口の間は地下道で結ばれているが、このクラスのローカル線では比較的珍しい。


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 その長いホームに、鳥羽行き2輛編成の普通列車がやってきた。乗降客は少ないが、多少ある。続いて反対側の松下寄りの隧道から、快速みえが出てきた。やはり2輛編成だ。戦前の参宮線は複線だったというが、今は単線なので、この駅で行き違うのだ。これほど長いホームに僅か2輛の列車同士の交換では、貫禄負けするが、今や全国至るところで、こうした風景は見られる時代だ。小型1輛のローカル線に比べれば、まだ風格ある二見浦にどうにか釣り合っているような気さえした。
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by railwaytrip | 2007-11-26 11:50 | 中部地方

只見線・小出~会津若松

 時間を忘れて本物のローカル線にのんびりと長時間ゆられてみたい。そんな願望を満たす線区をいくつか絞った結果、只見線を選ぶことにした。水郡線や米坂線などもかなり食指が動いたが、一部区間を除くと長いこと乗っていない只見線の全線走破列車にタイミング良く乗れるスケジュールが組めた。但し、最後は夜になってしまうが、これは日の短い晩秋ゆえ、やむを得ない。

 只見線は、沿線人口の稀薄な山間部の豪雪地帯をのんびり走る長大ローカル線であること自体、昔も今も魅力尽きない線だが、只見線を選んだ理由は他にもある。それは、この線が古きよき時代のローカル線の面影が濃く残っているからだ。最近はローカル線といえども、車輛がモダンになり、ワンマン列車となった所が多い。しかし只見線は、昔ながらの4人掛けボックスシートがメインの、国鉄時代末期に製造されたキハ40などが使われており、車掌も乗っている。ローカル線とはいえ、一昔前まで当たり前だったことだが、最近は極限なまでの合理化により、変貌してしまった。只見線は、まだその改革が及んでいない。

e0028292_1165935.jpg 乗るのは小出13時17分発の会津若松行で、小出からの列車としては、何と05時30分の始発列車に続く二番列車なのである。越後湯沢方面からの普通に15分で、長岡からの普通列車に8分で接続しているが、乗り換え客は少ない。かといって始発駅とはいえ小さな町、小出からの客も多くない。要するに、期待通り、といっては悪いが、閑散期・平日の昼下がりという時間帯、乗客は見事に少ない。私自身、それを狙ってこの時期を選んだわけでもある。青春18切符などの時期は、だいぶ様子が変わるそうだから。2輛編成のディーゼルカーの乗客は合わせて20名余りといったところだろうか。いずこも同じで中高年客が多く、他は高校生が少々。

 定刻に小出を発車。魚野川に沿って長岡へ下っていく上越線とさらりと分かれると、その魚野川を鉄橋で渡る。水量は多い。目の前に迫った厳しい冬を思わせる、どんよりした寂しい天気で、いかにも寒々しい風景だ。山肌には雪が見られるが、地表にはない。稲刈りはとっくに終わっているが、キャベツ畑で収穫にいそしむ農業のおじさんを見かける。列車のスピードは遅い。上越線の普通列車から乗り換えても、かなりのギャップを感じる。新幹線からいきなり乗り換えだったらなおさらだろう。


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 最初の停車駅、藪神で、おばさんと女子高生が下車、次の越後広瀬でも同じくおばさんと女子高生が降りた。このあたりはまだ小出の郊外で、市内交通的に利用しているのであろうが、本数が少なく大変であろう。次の魚沼田中(写真右上)は、同じ新潟県(越後国)内の飯山線に越後田中という駅があるため、こういう駅名になっているが、乗降ゼロ、そして次は立派な駅舎がある越後須原で、委託の駅員もいる。委託の駅員は、列車に向かって深々とおじぎをするが、敬礼はしない。駅前には民宿などもあり、ちょっとした観光地にもなっているが、乗降客はなく、委託の駅員が気の毒になってくる。

 あいにく雨が強くなってきた。そしてこのあたりから地平にも残雪が見られるようになった。次の上条でおばさんが一人下車し、車内が閑散としてくる。平野が果てて山が迫ってきて、ここに最初の隧道もある。次は「ようこそ山菜共和国へ」の大きな看板のある入広瀬で、ここにも委託の駅員がいて、やはり列車に向かっておじぎをする。駅付近には結構住宅が多い。ここでおばさんが3名下車。それにしても、列車でこのあたりを訪れる観光客がどれだけいるのだろう。


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 入広瀬からは勾配がきつくなり、右手に魚野川の支流、破間川が沿う。まだ紅葉が綺麗に残っているが、すっかり雪景色になった。どんよりとした寂しい風景の中、柿ノ木に着く。ここは以前は臨時駅の扱いだった所で、山に囲まれて数軒の家があるだけの所だ。乗降客はいない。駅名と関係あるのかどうか、柿の木が2本ほどあった。そしてその次が新潟県側最後の駅、大白川(写真右上)である。ここも小さな集落だが、只見線が全通する以前は終着だった駅で、今も運転上の拠点駅なので、委託ではなくJRの正規の駅員がいる。委託の駅員と違い、列車に向かって敬礼をする。線路点検なのか、事業用列車が反対ホームに停まっていた。ここは時刻表を見ていると主要駅のようだが、実際は人家も少ない山の中の駅で、下車したのも1名だけであった。ここまでの途中駅で乗車客は全くなく、大白川発車時点での乗客数を数えてみると、私を含め13名であった。

 大白川を発車すると、小さな集落を見るが、その先は人家も途絶え、列車のスピードは落ち、いかにも苦しそうに勾配を登っていく感じになる。列車と並行しているのは道路と川で、道路の方にはスノーシェッドが多い。線路と道路が川の流れに沿って狭い土地を分け合いながら国境を目指して上っていく。列車の客も少ないが、国道を行く車も少ない。何もない所を10分余りも走ると、隧道に入る。これは六十里越隧道、1971年の只見線全通時にできた、全長6,359メートルの隧道で、新幹線を中心に、長い隧道が山ほどできた今でこそ、ものの数にも入らないが、当時は全国でベスト10に入った長大隧道であった。

e0028292_1204490.jpg その長い隧道をしばらく行くと、ディーゼルカーの音がニュートラルになり、峠を越えて下り坂になったことがわかる。ここが分水嶺で、新潟県から福島県に入ったことになる。にわかに列車のスピードが増した。そして隧道を出ると、鉄橋を渡り、もう一つ小さな隧道をくぐると、スノーシェッドに覆われた半地下のような寒々しい田子倉駅に着く。手前右手に、田子倉無料休憩所というドライブインのような建物が見えたが、閉鎖されて久しいのか、窓もベニヤ板で塞がれていた。この駅周辺には人家がなく、日常生活での利用者はいない。田子倉湖への観光や釣り、登山などの客ぐらいしか利用しない駅らしい。そのため、12月からは全列車が通過する。今日はまだ停車する。あと10日で今年の営業は終わりの駅だが、いずれにしても乗降客はいない。

e0028292_1211194.jpg 田子倉を出ると、右手にチラリと田子倉湖が見え、またすぐ長い隧道に入る。田子倉隧道で、3,712メートルの長さがある。下り坂のため、さほどの長さを感じずに出てしまった感じだ。そして少し行くと土地が開け、久しぶりに人家が現れ、線名にもなっている只見に着く。いかにも山村の村落という感じで、駅前に民宿なども見られる。線路の反対側はスキー場だ。ここも運転上の主要駅だが、大白川に比べると集落も大きく、小出からの客が7名ぐらい下車した。このあたりは福島県といっても、県内の主要都市である会津若松や、郡山、福島などは遠く、例えばちょっとした買い物や大きな病院なども、長岡の方が近いのであろう。そのため、県境を越えての細い日常流動があるようで、下車したのは地元の人っぽい客ばかりであった。

 只見を出ると、車掌が最後尾から2輛目の前の運転台に移ってきた。ここから会津川口までの途中駅は、ホームが1輛分しかないからである。通常のローカル線では、県境越えの区間が一番本数が少ないのだが、只見線の場合、福島県側の只見と会津川口の間が一番少なく、一日3往復となる。この区間の各駅は、どこも最低限の短いホームを設けただけの簡易停留場のような造りなのだ。しかし、人家もない田子倉に比べれば、各駅とも小さな集落があり、生活の匂いも感じる。けれども列車は只見でますます空いてしまった。途中駅での乗降は、会津横田で1名の下車があったのみで、この列車だけを見ると、もう風前の灯のような印象を受けてしまう。写真左下は会津蒲生駅到着手前の車窓右側、写真右下は会津横田駅。


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 そんな所を小さな駅に一つ一つ停車しながら進むにつれて、地表を覆う雪がどんどん少なくなり、会津越川まで来ると殆ど雪は消えた。その次の本名という駅は、古くて立派な日本家屋が結構密集した美しい集落であった。本名を過ぎ、只見川の鉄橋を渡り、只見川にぴったり沿った形で進むと、会津川口に進入、ここが、大白川、只見に次ぐ運転上の主要駅である。ここは、只見に比べても町が大きく、運転上というだけでなく、奥会津の一つの中核をなす町である。ここから会津若松の間は本数も倍増する。そして、こんなローカル線が、といっては失礼だが、会津若松21時40分発、会津川口終着23時28分という夜遅い列車まであって、びっくりさせられる。


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 列車はここで10分以上停車する。僅かに残った客の殆どがここで下車するのと引き換えに、次々と高校生が乗ってくる。一般客も多少いて、俄かに活気づいた。そしてここでは小出行き下り列車とも交換する。小出から2時間にして最初の列車交換である(今日は大白川で事業用列車との交換はあったが)。その反対ホームにいる小出行きは、これから今通ってきた、一日3往復だけの閑散区間へ乗り入れるわけだが、乗客は結構いた。あちらの列車では、1輛分のホームだけの小駅でも少しずつ下車客があるに違いない。


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 会津中川、会津水沼と、古い駅舎の残る無人駅に停まる。各駅とも周辺に人家も見られるが、乗降客はない。その次の早戸は、川に沿った寂しい所だが、駅と駅前の道路が工事中であった。ここでは降車も乗車も1名。このあたりまで下ってくると、山肌にも殆ど雪がなくなった。次の会津宮下(写真左上)は、立派な駅舎があり駅員がいる駅で、乗降客も見られ、只見線が生活の足として利用されているなと実感できるのが嬉しい。しかも、只見線の各駅は、まだ古い木造駅舎が多数健在だなと嬉しくなったが、その先は各駅とも新築の待合所風の駅舎になっていた。会津宮下とともに主要駅の会津柳津(写真右上)は、古い駅舎であった。恐らく、無人駅の方が放置すると荒れやすいので、先に古い駅舎を壊してしまっているのであろう。会津柳津の先で、車窓にコンビニが見えたが、そういえば小出以来、初めてこういうものを見たような気がする。

 晩秋の短い日がとっぷりと暮れてきた。そして殆ど夜になった会津坂下では、これまでとは比較にならないほど大勢の高校生が乗ってきて、一気に活気が出た。会津川口の高校生に比べると、良くも悪しくも現代っ子的な印象だ。会津高田でもう一度、高校生多数の乗降がある。外は真っ暗だが、まだ5時だ。

e0028292_124440.jpg そして会津若松の市街に入った西若松、七日町とも、かなりの下車客があり、終着会津若松に定刻17時18分に着いた。小出から4時間の旅であった。その昔、上野からの「急行ばんだい」で着いた時には、みちのくを色濃く感じたが、只見線4時間の果てに着いた会津若松は、都会の駅のようだ。とはいえ、駅を出てみれば、思いのほか寂しい駅前で、活気は感じられない。もっともこの駅の場所は、会津若松の市街地とは少々離れている。会津若松の夜の町を少し歩きたかったが、中途半端な待ち時間で郡山行がある。町を歩くほどの時間はないが、かといって待つだけでは退屈な、夜更けの会津若松駅であった。

※ この区間は、中部地方(新潟県)と東北地方(福島県)とにまたがりますが、福島県側の方が距離が長いため、便宜上、東北地方のカテゴリーに分類しました。
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by railwaytrip | 2007-11-20 13:17 | 東北地方

沖縄都市モノレール・那覇空港~首里

 沖縄には現在、厳密な意味での鉄道はない。それに近い交通機関であるモノレールの路線が1本ある。那覇市内を南北に貫く、沖縄都市モノレール、通称ゆいレールで、2003年8月に開業した。延長12.8キロに15の駅があるので、平均駅間距離は0.9キロという、まさに市内都市型の交通機関だ。

e0028292_23565258.jpg 青春18切符などを駆使して日本全国の鉄道を乗って回るようなタイプの人々でも、このモノレールに乗るためにわざわざ沖縄まで飛ぶ人は少ないだろう。ゆえに、これだけ情報が溢れる今日でも、このモノレールの乗車体験記録的なものは意外と少ない。私にとっても久しぶりの訪沖で、前回来た時にはまだこれは影も形もなかった。

 というわけで、特に下調べもせず、那覇空港に降り立った。空港ターミナルビルからモノレールの駅までは1分とかからない。ターミナルビルとモノレール駅の位置関係は、大阪伊丹空港と似ているが、それ比べて二回りはスケールが小さく、乗り換えは楽で利用しやすい。


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 駅に着いて最初に驚いたのが、駅の小ささ。沖縄の表玄関である空港駅なのに、自動券売機は3台しかなく、自動改札も同じく3台。こんな規模で、大型機が続々発着する航空旅客をさばけるのであろうか。その小さな改札口の横に、日本最西端の駅の記念碑が壁に埋め込まれており、観光客がその前で記念写真を撮っている。

 1人分の幅しかない細いエスカレータを使って島式のホームへ上がると、意外感は増した。モノレールは何とたったの2輛編成。それも小ぶりな車輛で、1輛の大きさは、東京モノレールのそれよりも小さいと思われる。そして時刻表を見ると、日中は10分に1本の運転、これも思ったより少ない。スケールは小さいものの、新しいので、本土の都市の交通機関との共通点が多く、自動券売機や自動改札、ホームドアなどの駅設備なども、沖縄ならではのローカル性は感じられない。


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 沖縄は離島とはいえ、那覇を中心とした地域は昔から都市化が進んでおり、人口密度も高く、道路の渋滞も激しい、それなりの都市である。だからこそ建設されたモノレールでもあり、それなりの利用者はいるはずである。将来を見越してホームが長いかというと、1輛増結の3輛ぐらいが限度という駅構造であった。あとは本数増で補うのだろうか。あるいは、そこまでの需要増大は見込めないのだろうか。

e0028292_23592331.jpg 那覇空港10時30分発の首里行に乗る。飛行機の客がどっと押し寄せていないので、適度に席が埋まる程度で、立ち客はいない。先頭と最後尾は、運転席の展望を楽しめる特等席で、後はロングシート車である。ワンマン運転で、車掌はいない。

 発車すると、右手に空港とモノレールの車輛基地を、そしてその先は自衛隊基地を見ながら進む。基地の向こうに海を見ながらぐるりと左へ曲がると、最初の駅、赤嶺に着く。この一駅は2キロ近くあり、他区間に比べると格段に長いが、それでも歩けてしまう距離だ。

e0028292_02632.jpg 赤嶺は、日本最南端の駅として知られ、右手の駅前広場にその碑がある。空港からこんなに近いのに、ここまで来るとすっかり住宅地で、特に駅の左手は、新旧のマンションが林立している。本土とは雰囲気の違う建物も多く、東南アジアの都市に来たような印象を受ける。都心に出かけるらしい、このあたりの住人らしき客が数名乗ってくる。

 赤嶺の次の小禄は、駅直結で左手にショッピングセンターがあり、ジャスコやユニクロなどが見える。その周囲はやはり住宅地で、中層ぐらいのマンションが多い。次が奥武山公園で、文字通り、左手は広い公園で、遠く海もちらりと見えているが、右手はやはり密集した市街地で、那覇の人口密度の高さがわかる風景が続く。奥武山公園から、久茂地川に沿って少しばかり良い眺めが続く。壷川、旭橋と、行くに連れて都心に近づく感じになり、ホテルやオフィスビルも増え、その都市的景観の中を進む。各駅ともある程度の乗降客がある。

 次が県庁前。JRの時刻表には「県庁所在地駅」というのがあるが、沖縄にはそういったものは無さそうである。しかしモノレールの駅の中からしいてこれを指定するなら、この駅になりそうだ。文字通り、県庁に近いだけでなく、観光客向けの銀座のような国際通りも、この駅からすぐである。駅の規模はどこも同じで小さいが、駅自体がモダンなビルに囲まれており、いかにも近代都市らしい。乗降客も他より多いようである。

e0028292_034240.jpg ここから飲食街などを見ながら次の美栄橋、そして国際通りの終端に接する牧志と停まってゆく。駅間距離はどこも短く、ちょっと走ってはすぐ停まる。写真左は美栄橋駅からの眺め。運転手は働き者で、駅に停まるたびに窓から外を乗り出して安全確認をし、ホームの案内放送をする。

 牧志のあたりは、モノレールは西から東へ走っている。国際通りをはじめとした中心街は、流石にモノレールを敷設できなかったが、それらへのアクセスを少しでも良くするための苦心のルート設定の結果であろうか。そのため、牧志を出ると、ぐるりと半円を描くようにして急カーヴで90度以上に向きを変え、進路を北へと取る。次の安里まで、駅間距離は、かなり短いが、両駅間の直線距離はさらに短く、間にビルが無ければ、すぐ近くに次の駅が見える筈である。実際、後でこの2駅間を線路に沿わずに歩いてみたが、5分とかからなかった。

 安里あたりで、また商業地域から住宅地へと移り変わった感じがするが、次のおもろまちという面白い名前の駅は、またモダンなビルが並ぶ。ここは乗降客が多い。このあたりは那覇新都心として開発が進んでいる地区で、おもろまちの駅周辺にはブランドショップなど、若者をひきつけるようなモダンなアウトレットが多い。

 おもろまちを過ぎると、また住宅地となる。全線高架で高い所を走るモノレールからの眺めは抜群で、左手は丘陵地の中腹までびっしりと住宅で埋め尽くされている様子が良くわかる。右手はここより低い土地で、そちらもずっと住宅で埋まっている。次の古島は、地元住民の利用が殆どと思われる、比較的地味な駅だ。ここを出るとまた右へ角度を変えて、文字通り、右手に病院がある市立病院前に着く。このあたり、モノレールはひときわ高い高架で進み、両側の眺めが素晴らしい。写真左下は市立病院前駅から左側の丘陵地を望んだもの。


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 市立病院前の次は、沖縄らしい地名の儀保だ。儀保は、直線距離では首里城に一番近く、ここから歩く観光客もいるらしい。そしてさらに進むと、終点の首里。終着駅まで乗った乗客も多く、全線に渡り、良い乗車率であった。

 首里は、世界遺産の首里城への入口であるが、駅付近に観光地らしい雰囲気は稀薄で、オフィスビルや住宅、コンビニに学習塾などが混然と存在している。モノレールの線路は駅の先で途切れているが、延伸の計画もあるという。


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 全線乗車の印象としては、他都市のモノレールも同様だが、とにかく景色が素晴らしい。那覇という都市の様子が手に取るようにわかる。残念ながら海は僅かしか見えないが、この沿線は沖縄でも一番の密集地帯であり、自然美とは縁が薄い。そういう場所だからこそモノレールが建設されたとも言える。特に印象的なのは首里に近い北東部で、丘陵地にびっしりと住宅がへばりついた眺めは圧巻であった。首里城へ行く観光客はともかく、那覇に用事があって飛行機で来る人の多くは、南西側の半分しか乗らないと思うが、一度は全線乗車をお勧めしたい。
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by railwaytrip | 2007-11-17 10:30 | 九州・沖縄地方

Paris Est ~ Meaux

 パリの東駅は、北駅と歩けるほど近い。ユーロスターなどの発着する北駅に比べると地味な印象がある。実際にはTGVの発着本数は多く、鉄道ターミナルとしての貫禄を保っている。しかし、通勤・近郊列車の発着は少なく、郊外鉄道RERも、ここには発着しない。


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 今日のパリは祝日。飛行機の時間まで予定外に数時間の空きができたので、この駅にぶらりと来てみたのだが、TGVなど優等列車の発着が多く、近郊鉄道としては、モー(Meaux)という所までが30分毎と、割と頻繁に走っているぐらいで、他は少ない。近くても、本数の少ない所にうっかり行ってしまって、飛行機に乗り遅れてはいけない。突然できた空き時間で、下調べもしてなかったので、おとなしく Meaux までの往復切符を買い、乗り込んだ。2階建て4輛編成で、乗車率は2~3割程度か。中途半端な時間に中途半端な郊外まで走る列車であれば、そんなものであろう。

e0028292_4171777.jpg 何とここでは昔懐かしいジリジリジリという発車ベルがレトロ感たっぷりに鳴って、11時30分、定刻に発車。ちなみにフランスでも今は電子音の発車ベルが主流だし、そもそも欧州ではそういうベルなど一切鳴らないことの方が多い。それがこんなパリの主要ターミナルで聞けるとは思ってもいなかったが、いい音であった。やはり鉄道はこれでなくては。ましてや最近のJR東日本の下品なメロディーなど論外であると、久々にこの音を聞いて改めて思う。

 発車すると多数の線路を掻き分けながら進む。周囲は昔の操車場跡もあり、車輛基地もあり、その他にもわけのわからぬ多くの線路があり、パリの都心に近い一等地に、鉄道の土地が山ほどあることがわかる。いつの間にか、地下から出てきて合流してきた郊外鉄道RERの線路が右手に並んでいる。あちらにはこまめに駅があるが、こちらには駅がない。10分ほど走り、そのRERの駅を3つほど過ぎたあたりから、車窓はビルが減ってきて、一戸建て住宅が多くなる。

e0028292_4175767.jpg 最初の駅は、Chelles Gourney で、RERはここが終点である。既に十分郊外という感じの風景だが、東駅からノンストップのこの列車では、15分しかかかっていない。パリは欧州でも著名な大都市だが、東京に比べると都市の規模は小さい。というより、やはり東京が異常なのであろう。パラパラと下車客があり、RERから乗り換えてきたと思われる客が若干乗車する。

 RERが各駅停車とすれば、こちらは区間快速だ。ここからは各駅停車だが、日本の郊外鉄道よりは駅間距離が長く、1駅5分ぐらいかかる。次の Vaires Torcy は、いかにもベッドタウン駅という感じであった。

e0028292_4182667.jpg その次の Lagny Thorigny も同様で、駅に隣接してバス乗り場がある。Lagny Thorigny を出ると、家並みが途切れ、畑作地帯となる。隧道もある。この景色をパッと見ると、もはやパリ郊外とは思えない、フランスの田舎の農村風景である。次が Esbly。支線が分岐する乗換駅だが、これまでで一番閑散とした駅だ。ある程度の下車客があり、ここから乗ってくる人も僅かながらある。駅周辺は、パリ近郊というよりは、フランスの片田舎の風情である。けれどもパリ東駅から30分しかかからない。このあたりで田舎暮らしのできる家に住んで、パリに通勤している人も、それなりにいるに違いない。

 Esbly を過ぎると、再び完全な農村風景が展開し、空いた列車は快走する。次が終点の Meaux で、約8分、途中駅はない。日本の大都市周辺なら、途中にも駅ができて、住宅開発が進むところだろうが、パリは大都市とはいえ、そこまで大きくならないようだ。


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 にわかに家が増えて、町並みが見えてくると、終着駅の Meaux に着いた。終点のここまで乗ってきた人は割といた。ここから先は本数が激減するようで、また他に乗り換え路線もないので、この列車で着いた人は、ほぼ全員、この町に住んでいたり用があって乗ってきた人のようである。


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 何の知識もなく来たこの町を、ぶらりと散歩してみた。パリの東40キロ、静かな郊外の小都市で、地味ながら落ち着いており、風格もある。町を流れるのは、セーヌ川の支流、マルン川で、かなりの蛇行を繰り返しながらパリ市内へと流れ込んでいる。町はチーズやマスタードなどで一部にその名を知られる程度だが、観光地として発展することもないであろう。それでも流石にパリへ通勤可能な距離とあって、不動産屋は目立ち、売家と貸家の両方とも取引は盛んそうに思われた。
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by railwaytrip | 2007-11-01 11:30 | フランス