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名鉄モノレール線・犬山遊園~動物園

 たまたま用事があって岐阜に宿泊したのが11月22日(土)の晩で、翌朝は自由時間であった。秋の行楽シーズンの三連休で、天気も良い。よりによってこんな日に、気が進まないなあと思いながらも、やはり向かうことにした。あと1ヶ月あまりで廃止の運命にある名鉄の犬山モノレール、まだ乗ったことがない。今日乗らないと、乗らずに終わることは確実である。

 これは、営業キロ1.2km、途中駅1駅という、観光用モノレールである。とはいえ、日本で最初の跨座式モノレールである。1962年開業と、東京モノレールより古く、ここの技術と経験がその後の東京モノレールなどに活かされたそうで、そういう意味では歴史的意義の深い交通機関である。


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 犬山遊園は、名鉄犬山線の途中駅で、ここがモノレール線の乗り換え駅である。そのモノレールのホームは名鉄の地平駅に対して、高架上にあり、一旦改札を出て乗り換えなければならない。運賃も別建てで、自動改札にも対応していない。一昔前のままで、名鉄としても、早くから廃止の可能性を見込んで近代化投資を控えてきたのではないかと思われた。「電車・モノレールのりば」と大書きした駅舎の雰囲気も、一昔前の行楽路線を彷彿とさせるレトロ感がある。また一つ、昭和の面影を残すものが消える、と言ってもいいかもしれない。


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 自動改札は無く、切符も窓口で購入し、駅員に切符を見せて入場するのだが、切符自体は自動改札対応の軟券である。ホームは単線で、さほど広くないので、今日は大賑わいだ。整理のロープが張られ、拡声器を持った駅員が何人もいる。ホームの入口には、モノレールの歴史などを解説する展示パネルが設けられている。

 動物園からモノレールが到着すると、これから乗る客、降りた客が、次々とカメラを向ける。降りた客が早く引き上げないと、列を作っている客が乗車できない仕組みである。「撮影が済みましたら出口にお進み下さい」と、駅員がマイクで呼びかける。行楽用の乗り物でもあるし、半ばこれを目当てという観光客も多いであろう。名鉄としても、「撮影などしないで出口に」とは言えないので、「撮影はすみやかに」という現実的な対応をしている。しかしそのためか、時刻表より2分ぐらい発車が遅れた。無論、通勤通学列車ではないので、その程度はどうということはない。


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 大入り満員で立ち客も乗せて発車。普段は30分に1本らしいが、今日は15分毎に運転しているようだ。いつもこれぐらい乗ってくれれば廃止にならないのだろうが、廃止と決まると人が増えるのは仕方ないし、私も他人のことを言えない。沿線でも撮影をしている人を何人も見かけた。モノレールだけに急勾配も急カーヴもあって起伏に富んでおり、僅かな乗車時間だが、思ったより面白かった。途中駅の成田山も、ある程度の乗降客があった。

 終点の動物園駅は、遊園地と隣接しており、ホームの向こうはもう遊園地の遊戯施設である。まさに観光用のモノレールである。周囲には普通の住宅もあるようだが、この僅か1.2kmの路線では、そういった住人の利用を前提に、例えば東急こどもの国線に倣って早朝から深夜まで走らせても、まず採算は取れないだろう。今日は大賑わいだが、昨今の少子化とレジャーの多様化、そして施設の老朽化と名鉄という会社自体の合理化、色々考えれば、廃止は致し方ないと思う。生活路線でもないので、反対運動も起こらなかったようである。


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 この三連休は、廃止の最終日などを除けば、多分モノレールにとって最後の晴れ舞台なのではないか。来る前は気が進まなかったが、たまにはそういう日に乗ってみるのも悪くない。ただ、やはり普通の平日は超閑散としていたそうで、それがこのモノレール晩年の日常だったようだ。そういう日にも乗ってみたかった気はする。
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by railwaytrip | 2008-11-23 11:14 | 中部地方

スカイレール・みどり口~みどり中央

 山陽本線の瀬野駅は、かつては機関区を有する構内の広い駅であった。ここと次の八本松の間は「セノハチ」として知られる急勾配区間で、貨物列車などは補機をつけなければ上ることができなかったからである。明治以来、東海道・山陽本線全線で屈指の難所だったのだ。しかしここは広島に近く、今はベッドタウンとして人口が増加している。今の広島の人にとって、瀬野はそういう郊外の住宅地駅というイメージが強いと思われる。

 いつの頃からか、大型時刻表の巻頭にある路線地図に、この瀬野から短い私鉄の路線が描かれているのに気づいていた。調べてみると、広島短距離交通瀬野線という路線で、通称スカイレールで通っている。開業は1998年で、路線長は僅か1.3km、途中に1駅がある。運賃は150円均一。JRの駅と住宅地を結ぶ新交通システムらしいということはわかったが、それにしてもたった1.3kmでは、普通なら歩いてしまう距離だ。果たして鉄道路線として経営が成り立つのだろうか。

 広島から山陽本線の上り列車に乗り、瀬野駅で降りてみる。その昔、広い構内と機関区を有したこの駅も、だいぶ整理されたようで、ごく普通の小綺麗な途中駅になってしまっていて、かつての面影は殆ど消えている。駅もモダンな橋上駅で、東京でも都市郊外にはこんな駅が沢山ある。しかしここは地形的には山が迫っており、平地が少ない。


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 スカイレールのみどり口駅は、JRの橋上駅の改札を出て右(山側)へ行くと、そのままつながっている。雨の日も傘無しで乗り換えのできる、実質的な同一駅である。みどり口などという駅にするよりも、同じ瀬野にした方が、すんなり乗り換えられる印象を与えて良いと思うのだが、住宅開発会社側は、それよりも住宅地への入口という意味合いを強調したかったのだろうか。

 僅か1.3kmに、こういう路線が何故必要か、それは来てみてわかった。駅からいきなり、かなりの急勾配なのである。1.3kmは、平地なら歩いても知れている。しかし、急坂の1.3kmとなると話は別だ。奈良県の生駒には、0.9kmの距離を走るケーブルカーがあって、通勤通学客を運んでいる。

 構造を見ると、千葉や湘南のような、懸垂式モノレールのようである。しかし実際の車輛を見て驚いた。これはモノレールというよりは、スキー場にあるゴンドラではないか。ここまで行くと、これを鉄道と呼んでいいものかどうか、と思ってしまうが、日本の鉄道全線乗車を目指す人は、やはりこれにも乗らないといけないのであろう。実際、駅にはちゃんと時刻表があり、切符の自動販売機があり、150円を投じて切符を買うと、今度は自動改札がある。これはスキー場のゴンドラではなく、鉄道である。その自動改札に切符を入れると、回収されてしまった。全線2駅で均一運賃なので、乗車時に切符を回収して終わりらしい。

 そのゴンドラのような車輛は、座席定員8名。ベンチのような椅子が、ゴンドラの中に向かい合わせにあり、4人ずつ座れる。立客用に吊革もある。平日の朝、通勤時間が終わる頃だったので、住宅地に向かうゴンドラに乗る人は少なく、私の他に若い女性が1人だけであった。この狭いゴンドラで、若い女性が見知らぬ人と二人だけで乗り合わせるのは、特に夜など、不安ではないだろうか。

 発車すると、すぐ急勾配を上りはじめる。眺望そのものは素晴らしいが、眺められるのは山の中の新興住宅地である。そして2分ほどすると、唯一の中間駅、みどり中街駅である。おりからみどり中央からの列車(鉄道的には上り列車になるのだろうが、坂を下る列車)もやってきた。日中は15分間隔で、両方の駅を同時発車なので、この中間駅あたりですれ違うことになる。ちなみに全区間複線である。ケーブルカーのように単線にして、中間駅で行き違いの交換にしても十分なような気もするが、複線にしておけば、この小さな車輛でも、続行運転によりかなりの人を運べるので、片輸送になりがちなこういう路線では、通勤通学時間には必要なのかもしれない。みどり中街では、みどり口行きの列車には4名ほど乗車していた。こちらは乗っていた若い女性はここで降りてしまい、私一人になった。

 その先もさらに山を上ってゆき、下に瀬野駅を中心とした風景がパノラマで広がる。ケーブルカーと違うのは結構カーヴがあることで、このカーブは勾配緩和の役割もあるのかもしれない。そしてほどなく終点のみどり中央に着いた。所要時間は5分。


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 みどり中央というからには、大規模な住宅団地の中心地として、駅の周りに商店とか郵便局ぐらいはあってもよさそうだし、何となくそんな所を想像していた。東京郊外の何とか団地というバスターミナルは、団地用の商店が集まっているような所も多い。しかしここは、普通の住宅地の中にポツンと駅施設が存在するだけで、店一軒となかった。写真左下はこの駅の下からの眺めである。帰りは下り坂なので歩いて戻っても知れているだろうと思ったが、ただの新興住宅ばかりの中を歩くのはあまり面白くないので、また乗って戻った。戻る列車は、みどり中央から男性が1名だけで、途中のみどり中街では乗降客はなかった。そのみどり中街付近ですれちがった列車(写真右下)は乗客ゼロであった。

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 朝夕の通勤通学時間帯は活況を呈しているのかもしれない。しかし、純然たる住宅地への足ということで、日中は座席8人の小型車輛ですら空気輸送の状態である。何となく、2006年に廃止された桃花台新交通を思い出さずにはいられなかった。そして最後に、車輛とか列車と記述したものの、実際にはそういった用語を使うにも違和感があることを付け加えておく。
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by railwaytrip | 2008-11-19 10:30 | 中国・四国地方

特急くろしお・新大阪~太地

 紀伊半島は大きく、南紀は遠い。紀勢本線を全線乗ると、特急でもほぼ丸一日かかるので、例えば名古屋と大阪の移動の間にちょっと時間が余ったとしても、ちょっと程度では乗る時間が取れない。今日の私は夕方4時に和歌山に用事があるが、それまでは空いている。そこで、新大阪7時35分発の特急くろしお1号に乗り、ひとまず太地まで行ってみることにする。ちなみにこの時間に新幹線で名古屋へ行って紀勢本線を一回りして和歌山に行くのは、もう私の場合、無理である。

e0028292_7382155.jpg 平日だし、始発の新大阪からなら空いているだろうと思って指定券は取っていない。空いている時は、自由席で景色の見やすい席を選んだ方がいい。結果的にそれで問題なかったが、ただ自由席は2輛しかなく、しかもそのうち1輛は喫煙車であった。つまり禁煙の自由席は1輛しかないわけで、今の時代、これはいくら何でもと思うが、そこはやはり喫煙に寛容な関西だ。実際、喫煙車はガラガラで殆ど客がいない。禁煙車でも3割程度であろうか。いずれにしても、今日は空いているので問題ないが、混む時は要注意だろう。とにかく、海の見える進行右側の窓の広い席を確保した。

 列車は国鉄時代からの381系6輛編成で、これは確か振子電車のかなり初期のタイプではないかと思う。とにかく国鉄特急の面影を残す車輛はだいぶ少数派になってきた。発車すると、汽笛一斉のチャイムが鳴る。これを聞く機会もめっきり減ってきた。

 新大阪を出ると、普通に東海道本線を下り、淀川鉄橋を渡る。乗り慣れた区間である。しかし大阪が近づくと貨物線に入り、大阪駅はかすめず、阪急中津駅の近くを通る。かつて稀少価値のあったこのルートも、今は関空特急など本数が増えたので、乗ったという人も多いだろう。私も初めてではないが、それでもあまり乗る機会がないので、つい車窓をしっかり観察してしまう。そして環状線の福島駅のあたりで通常の旅客線と合流し、環状線の急行線のような感じになり、福島と野田はホームをかすめず通過する。しかし実はこの区間の貨物線は単線で、ダイヤ上の制約が大きいらしい。折から朝のラッシュ時でもあり、特急とはいえのろのろ運転が続き、環状線に抜かれたりする。こちらは空いた車内で朝食を食べながらののんびり旅行なので良いが、急いでいるからと特急券を買って乗った客の中にはイライラしている人もいるかもしれない。

 西九条では環状線外回りと平面交差して内回り線に入るのだが、案の定、手前で停まってしまった。結構長く感じられたが2分ぐらいだっただろうか。先にオレンジ色の環状線内回り電車が出てから、こちらも発車。その後を追うので相変わらずスピードが出ないが、おかげで大阪市内西部の下町の様子をゆっくり眺めることができて、悪くない。

e0028292_739710.jpg 最初の停車駅は天王寺で、ここは下の関西本線・環状線のホームに入る。7時59分着で、新大阪から24分かかっている。この区間は各駅停車だと、新大阪~大阪が5分、大阪~天王寺が19分が標準のようなので、実質はそれと同じスピードということになる。しかしそれ以上に遅く、時間がかかったような錯覚を覚える。その天王寺は、かつては紀勢本線方面への全ての列車の始発駅だった駅であり、今もここでの乗車が新大阪よりは多い。1輛だけの禁煙自由席車は、ここで8割近い乗車率になった。

 天王寺から美章園までは、下のホームから高架の阪和線に上がる連絡線を通る。この連絡線が最近複線化されたらしく、快速なども環状線へ多数直通するようになったようだ。そして昔から高架の美章園を通過。高架も古くなってくるとこうも味わいが出るのかというような駅とその周辺である。少し前までの阪和線は、高架はここだけで、この先、地上に下りると踏切の連続であったが、最近、我孫子町の先まで高架化された。その昔、一時期よく乗った区間なので、鶴ヶ丘のシャープ工場の池のほとりを走る風景など、実に懐かしいのだが、高架になると雰囲気が一変してしまう。その代わり、高いところを走るので、昔は見えなかった風景も見える。列車は阪和線に入ってもラッシュ時の過密ダイヤのため、のろのろ運転が続く。おかげでこのあたりの大阪南部の下町風景がゆっくり観察できるのは有難い。我孫子町を過ぎて地平に下り、最初の踏切があり、待避駅の杉本町で各停を追い抜く。

 各停を抜いても一向にスピードは上がらず、ゆっくりと大和川を渡り、大阪市から堺市へ。このあたりも高層マンションが増えたが、それ以外は昔と余り変わっていない感じがする。三国ヶ丘から百舌鳥の一駅間は、右手にほぼ仁徳天皇稜が続き、知っていればこれだとわかる程度だが、やはり世界最大の古墳だけあってほぼ一駅続くのは凄いと思う。次の待避駅である上野芝では追い越しがなく、結局殆どスピードが上がらないまま、2つ目の停車駅、鳳に着いた。複線の阪和線でラッシュ時とあれば、これも仕方ないのだろう。それにしても鳳は、駅こそ大きいが格別の街があるわけでもなく、昔は特急停車など考えられない駅であった。しかも乗降客は僅かである。もっとも朝ラッシュ時のダイヤであれば、もっと沢山の駅に停めてあげても所要時間は変わらないとは言えるのだが。

 鳳でも普通を抜いたが、その後もスピードは大して上がらず、やっと特急らしい速度になったのは、東岸和田で快速を抜いてからであった。この快速が天王寺からずっと前を走っていたのだろう。そしてそのあたりから徐々に農地や新興住宅が目立つようになり、関空への新線が分かれる日根野を過ぎるとやや鄙びてくる。特に山中渓の前後は、かなりの山岳区間となり、府県境のサミットを隧道で越えると左手に和歌山平野が広がる絶景がある。このあたりが阪和間のハイライトだ。

 和歌山では予想通り、ビジネスマンなどがかなり下車する。だが他方で乗ってくる客もいて、結果、多少空いたかなという程度である。一昔前なら、和歌山まで特急に乗るなど贅沢な話だったが、今は大阪市内の企業が和歌山市へ出張の場合でも、特急料金が支給されるのだろうか。

 この旅は、和歌山を境に、手前は都会、先は田舎、と言っても良い。手前はとにかく列車本数が多く、貨物線や渡り線を通ったりという鉄道自体の楽しさがあるし、阪和線には東京では見られなくなった103系などの電車がまだまだ走っているので、これまた面白い。和歌山を過ぎると、そういった面での楽しさがなくなる代わり、紀州の青い海と自然をのんびりと味わえるし、通過する駅や町も鄙びてくる。この両面をたっぷり楽しめるこの旅は、考えようによってはかなり贅沢だと思う。それでも最初の停車駅、海南は、数年前に都会的な高架駅に変わってしまった。ここでもビジネスマンが結構降りる。

 和歌山から乗り込んできた車内販売が回ってくる。ちなみに新大阪から和歌山までは、車内販売がない。そういった事は、乗る前にはわからない。私は念の為、新大阪の売店でサンドイッチとコーヒーを買って乗り込んだのだが、正解であった。そうでなければ、朝食抜き状態で和歌山の先まで待つのが辛かったかもしれない。コーヒーだけ買う。今の時代、車内販売のコーヒー300円は相対的に高いと思うが、車内販売も利用者が減ればどんどん廃止されてしまうだろうから、できれば少しでも利用してあげたい。無ければ無いで不便だし、とにかくコーヒーを飲みながらゆったりと車窓風景を眺めるのは格別の気分である。

 和歌山から御坊までの区間は、まだ普通列車の本数も多い、いわば近郊区間で、この間の特急は、ノンストップのタイプと、快速並みに停まるタイプがある。このくろしお1号はその中間で、海南だけ停まり、その後は御坊までノンストップで、箕島や湯浅は通過する。加茂郷の手前で最初の海が見え、その先、下津あたりの右手は大規模な石油化学コンビナートが続く。振子特急は揺れながらもどんどんと駅を通過し、箕島で普通列車を追い抜き、湯浅の古い町を抜け、名前に反して海の見えない新駅、広川ビーチなども過ぎ、あっという間に御坊に着いた。紀州鉄道の小さなディーゼルカーがいるかなと思ったが、見えなかった。御坊は駅と市街地が離れており、その間を連絡するミニ私鉄が紀州鉄道で、大赤字には違いないが、不動産会社の経営なので、残しているということらしい。

 沿線の風景は、これといって活気は感じられない。和歌山以南は全般には過疎化・高齢化もかなり進んでいるだろう。しかし今日のように天気が良いと、この南国は旅行者に対して、明るく平和で穏やかな印象を残ってくれる。またノンストップでひとっ走り、小駅を次々と通過して、後半は海辺を走る所もあり、そして次が紀伊田辺。観光駅としては、白浜、串本、紀伊勝浦などが著名だが、都市としてはここが南紀最大で、ビジネスや所用と思われる客がかなり下車し、空いてくる。

 紀伊田辺からは普通電車の本数も減り、単線になる。しかし特急には最終の1本を除いて紀伊田辺止まりはなく、少なくとももうあと10分の次の白浜までは足を伸ばす。その白浜だが、季節外れなのか、乗降客は少なかったし、降りた客も観光客っぽくなかった。駅自体、内陸にあって海は見えない。著名観光地の凋落が言われて久しいが、昔を知らないので何とも言えないものの、車窓から見る限りの白浜駅前は、そこそこ活気は残っているように思われた。

 白浜から先はカーヴも多く、海に山が迫ってきて、高速走行には不適な線形だ。それだけにいちはやく振子電車が導入された区間でもある。海が見えたと思うとすぐ隧道に入る。列車のスピードが遅くないことも相まって、たっぷりと海を眺めさせてくれる区間は少ない。左手は概ね山で、時に農地が開けたり蜜柑畑があったりする。特に周参見から串本までは、大体そんな感じであった。

e0028292_7401998.jpg 本州最南端の駅が串本である。串本の手前でぐるりとカーヴをし、北東へと進路を変えるので、そのカーヴのあたりが本州最南端の線路ということになる。串本を出ると、右手に海に面した串本の街を眺めながら走り、街を抜けたかと思う頃に、海の上に沢山の岩がにょきにょきと見えてくる。これが串本名物の橋杭岩で、観光地になっているが、間には国道があり、ガソリンスタンドなどもあって、車窓からの風景としては超一級とは言えない。その向こうに見える陸地は大島であろう。だが紀勢本線の魅力は、そういった点の観光名所よりも、複雑な地形の海岸線に沿って海をちらりと見てはすぐ隧道に入る、その繰り返しの車窓風情ではないかと思う。そうしているうちに、今は合併で串本町の一部になった、旧古座町の中心駅、古座に停車する。小さな駅で、下車客も殆どいない。新大阪行のスーパーくろしお16号と行き違う(写真左上)。あちらもガラガラである。和歌山に向かって段々乗客が増えるので、このあたりでは仕方ないであろう。


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 その先も一ヶ所、かなりの長さで海に沿う景色の良い所がある。そして次が下車駅の太地である。新大阪から3時間54分、結構な乗車時間であった。駅は町の中心からかなり離れた寂しい所にあり、特急停車駅なのに単線である。乗ってきた列車は数名の客を降ろすとすぐ発車し、カーヴの先の隧道に消えていった。それを見送ってから階段を下りて改札へ向かったが、無人駅であった。


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 太地といえば、言うまでもなく捕鯨で有名である。合併を免れて太地町として残った結果、和歌山県で最小面積の自治体なのだそうだ。駅が町外れにある証拠に、駅前の国道を歩いて2分も行くと、紀伊勝浦町に入ってしまう。折角の鯨の町だが、駅のあたりは海の香りもしない。しかし流石に南紀で、11月とは思えない強い日差しで、ポカポカと暖かかった。駅舎は特に風情もない平凡なもので、売店もなく、自動券売機が一台だけある。勿論かつては駅員がいたのであろうが、今やこのあたりの普通列車はワンマンが主流だし、これで十分な程度の乗降客数なのであろう。ホームへ戻り、下里方向を見ると、線路際にススキが沢山、風に揺れており、日差しはまだ強くとも秋も深いのだということが実感できた。
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by railwaytrip | 2008-11-16 11:29 | 近畿地方

東武日光線・柳生駅

 東京の私鉄で一番長い複々線区間を持つ東武伊勢崎線も、東武動物公園で伊勢崎線と日光線に分岐すると、いずれもローカルムードが漂ってくる。それでも最近は地下鉄乗り入れ区間が延びて、その先まで地下鉄の車輛が入ってくるようになった。しかしそれも日光線は南栗橋までで、その次の、東北本線乗り換え駅、栗橋を出ると、首都圏脱出という感じになってくる。

 このあたりは県境が複雑に入り組んでいて面白い。東北本線は、栗橋、古河、野木の連続する3駅が、埼玉、茨城、栃木と、全て違う県に属する。太平洋に面した東の茨城県が内陸に無理やり突っ込んできた感じの所である。古河市は茨城県である。他方、東武日光線の栗橋の次には新古河という駅があるが、ここは茨城県古河市ではなく、埼玉県北川辺町になる。東武日光線は茨城県を全くかすめない。その新古河の次、柳生までが埼玉県北川辺町で、その先で群馬県板倉町に入り、板倉東洋大前という新しい駅に停まり、そこを出ると今度は栃木県藤岡町に入り、藤岡に停まる。よってここも、柳生、板倉東洋大前、藤岡の3駅が、埼玉、群馬、栃木と、3駅連続で県が変わる。板倉東洋大前は1997年開業の新しい駅で、できる前は、東武日光線は群馬県を通りながら、県内に駅が一つもないという状態であった。

 そんな北関東3県と埼玉県の県境が入り組んだあたりの地図を眺めているうちに、柳生駅が埼玉・栃木・群馬の3県の県境に極めて近いことがわかる。駅から歩いて5分程度で、その3県の県境にたどりつけそうである。もっとも県境というのは川だったりして、厳密な県境に立つことのできない場所も多い。しかしここはごく普通の平地のようである。

 柳生は東京の通勤圏を少しはずれたローカルムードも漂う駅であった。もっともホームは長く、跨線橋もあり、駅の雰囲気は全くの田舎のそれではない。しかし駅舎は昔ながらの木造の小ぢんまりしたもので、駅前も商店や住宅があるものの、東武動物公園以南のベッドタウン駅に比べると鄙びている。利用者もそのあたりとは比較にならないぐらい少ないが、昼間の乗降客が僅かしかいない本当のローカル駅と比べれば、ちゃんと利用されている感じだ。本数は1時間に3本程度。


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 駅の改札を出て、線路に沿った細い道を左へ、左に下りホームを見ながら歩く。道端に蜜柑の木があり、実がなっている。ちょっと長閑な気分になれる。1分も行くと踏切がある。踏切を渡ると、道路はすぐ左右に分かれる。左への道には「渡良瀬遊水地 谷中湖中央エントランス あと900m」という看板があり(写真右下)、一応観光客向けのウォーキングコースになっているらしいことがわかる。


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 そこを左へ行く。まっすぐずっと行けば谷中湖だが、私は、ほどなく続いて現れるT字路の2つ目を右へ曲がる。ここはまだ埼玉県である。そして1分と歩かないうちに小さな交差点がある。その交差点の手前は埼玉県だが、交差点そのものは群馬県に属する。写真左下がそれで、写真を撮るために立っている場所は埼玉県だが、交差点は群馬県である。


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 その交差点を過ぎてさらに100メートル弱で、T字路にぶつかる。そのT字路のすぐ手前までは群馬県であるが、T字路自体は埼玉県である。写真右上は群馬県から撮っているが、突き当たりは埼玉県である。手前は空き地だが、向こう側は写真のように住宅が並んでいる。

 そのT字路を左に曲がると、曲がった瞬間に群馬県に戻るが、群馬県は20メートル程度しか続かず、その先、今度は栃木県に入る。写真左下は栃木県に入った先から撮ったもので、車が2台停まっているあたりまでが栃木県、その先ちょっと群馬県で、3軒目の家からは埼玉県である。手前右にあるミラーの柱には、ちゃんと「藤岡町」という栃木県の町名が書いてあった。


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 つまり、このあたりがまさに3県の県境なのである。柳生駅から直線距離では300メートル程度であろうか。そして、その道路に沿って数軒並んでいる住宅のうち一つが、3県の県境にあるようである。こういう家の住所表示や固定資産税などは一体どうなっているのかと思うが、ごく普通の民家であり、プライバシーを詮索してはならないので、覗き込んだりせず、遠くから写真だけ撮って終わりにする。ちなみにその隣の家は、ほぼ埼玉県だが、庭のほんの一部分が栃木県にかかっていそうである。写真右上は、埼玉県に戻った側から振り返って撮った写真で、左奥の家は栃木県で、間に群馬県がちょっと入っている。

 この辺の詳しい地図を見ていると、ここ以外にも、このあたりには、2軒並んだ家が両方とも埼玉県と栃木県にまたがっている所があったりと、県境が地形や道路と関係なく走っていて、県境を無視して土地家屋が所有や賃貸されていると思われる所が多い。

 今回は寄らなかったが、北へもう少し歩けば谷中湖がある。その北側は広大な渡良瀬遊水地である。かつてはもっと広い範囲が池であったが、今は大半が渡良瀬緑地になっており、自然の宝庫となっているようである。渡良瀬遊水地は足尾の鉱毒を下流に流さないための調整目的で作られたというのが定説であり、今も場所によっては土壌に銅などの鉱毒物質がかなり含まれているという。谷中湖のあたりには、その昔、谷中村があったが、この遊水地を作る頃、強制移住により廃村になっている。このあたりはそういった、日本の公害の原点とも言われる足尾の鉱毒とも縁が深い場所だ。しかしそれと、この県境の走り方とは、あまり関係がないと思われる。

 余談であるが、埼玉県は、北関東3県の他、東京、千葉、山梨の、計6都県と都県境を接している。そのうち東京・千葉・茨城・群馬県とは、県境を越える鉄道も国道も存在する。これらの都県境を越えたことのある人は山ほどいるだろう。山梨県との境はもっぱら山で、国道が1本、隧道で超えている他は、ハイキングコースの山道しかない。そして、埼玉県と栃木県の県境は、このあたりの平地ではあるが、距離にして2キロ程度しかなく、この県境を越える鉄道も国道もない。唯一、県道が通っているが、この県道がまた面白い。栃木県道・群馬県道・埼玉県道・茨城県道9号佐野古河線というらしく、僅か1キロほどの間に、埼玉、栃木、群馬、埼玉、栃木と、県境が目まぐるしく変わる。これが唯一、一般に埼玉と栃木の県境を越える、道らしい道で、それ以外は路地のような小さな道がいくつかあるだけである。よって、埼玉と栃木の県境を越えたことがある人は極めて少ないであろう。今回、この柳生駅付近を訪問した私も、埼玉栃木県境は越えなかった。訪問した3県の県境に近い地点からあと2~3分も歩けば、超えることができたのだが、それをせずに立ち去ったのがちょっと心残りであった。
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by railwaytrip | 2008-11-14 12:10 | 関東地方