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特急いなほ・青森~新潟

 新幹線が続々と開通し、在来線の長距離特急がどんどん減ってきた。気がつけば、新潟と青森を結ぶ「特急いなほ」が、在来線最長距離を走る定期昼行列車となっている。一昔前を思えば随分短くなったものである。しかも、この区間を通して走るのは「いなほ」7往復のうち1往復だけで、その他の「いなほ」は、新潟~秋田、または新潟~酒田が運転区間である。そして、秋田~青森間には、それを補完する役割の「かもしか」という、昔はなかった特急がある。

 この最長距離列車にしても、いつまで残るかわからない。早いうちに一度乗っておきたいと思い、今回、全区間を乗ることにした。新潟発の下りだと後半のかなりの部分が日没後になるので、青森を早朝6時04分に出る上り列車に乗ることにする。11月下旬という日の短い季節ゆえ、青森はまだ真っ暗である。


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 半室グリーン車付き6輛という、一応特急らしい編成である。前3輛が自由席なので、私は3輛目の4号車に乗った。ホームを歩いて見てみても、どの車輛もガラガラだ。札幌発「はまなす」からの乗り継ぎ客が殆どのようで、あとは、早起きの青森の人だろうか。途中で混むかもしれないので、一応、海の見える右側を選んで座る。閑散としているが、ホームの売店は開いていたので、朝食を仕入れておく。発車して数えてみると、この4号車の乗客は5名であった。隣の指定席3号車をドア越しに覗いてみるが、誰もいないようである。

 奥羽本線の青森寄りは、市街地が狭い。東北新幹線の終着駅となるため、工事が進行中の新青森を通過し、津軽新城を過ぎると、早くも山にかかり、山峡の寂しい鶴ヶ坂を通過、このあたりは昔から変わっていない。そして大釈迦を過ぎると峠を越えて、弘前盆地へと下りていく。そのあたりから外が薄明るくなる。大半の特急が停まる浪岡を通過。長距離特急の貫禄というところか。右手にうっすらと岩木山が見えてくる。その次の北常盤は弘前から3駅目だが、駅周辺に新興住宅が多く、都会風に栄えてきている。県庁青森から3駅目の鶴ヶ坂とは大違いで、これだけを見ると、青森より弘前がずっと大都市なのかと思う。下り青森行を待つ通勤通学客が下りホームにいる。五能線が合流する川部は昔のままだが、その次の、難読駅として名高い撫牛子も、駅周辺は新興住宅地として開けており、下りホームにはやはり通勤通学客が列車を待っている。

e0028292_564668.jpg 最初の停車駅、弘前で、客が結構乗ってきた。といっても、ここから先は険しい山越えで、交流の多そうなところではない。発車メロディーが津軽三味線なのには苦笑してしまう。ちょっとやりすぎではないかと思う。

 弘前から大館の間は、人家も少ない矢立峠越えの険しい山中を走る。しかし弘前寄りはある程度の人家や町があり、同じ区間を走る「特急かもしか」は、大鰐温泉と碇ヶ関にも停車する。しかしこの「いなほ」はこれらを通過し、大館までノンストップで走る。長距離特急の面目躍如といったところか。もっとも時間帯からして秋田へのビジネス特急の性格が強いから、浪岡ともども、青森県内の小駅は通過して良いという判断かもしれない。

 人家もない所にポツンとある無人駅、津軽湯の沢を過ぎ、国境の隧道を抜けると秋田県に入る。最初の駅、陣場も寂しい所だが、人家はパラパラとある。陣場と白沢の間は、お互いが見えないところまで上下線が大きく離れて走る。秋田県に入ってうっすらと太陽も出てきた。そして人家が増えてくると大館に着く。

 県庁秋田への日帰り出張に便利な朝の列車だけあって、大館では大勢乗ってきた。といっても、まだ席の3分の1が埋まった程度である。ここからは米代川沿いをゆるいカーヴを繰り返しながら、徐々に下っていく。一人の男性客が多く、新聞を読んだりパソコンを広げたりしている。進むに連れ、霧が深くなってきた。米代川から立ち上る朝霧らしい。

 霧の鷹ノ巣に停車。ここからの乗車は僅かだ。その先、列車はスピードを出さなくなった。車掌が「霧のため徐行しています」と放送する。次の二ツ井を6分遅れで発車。二ツ井も乗車は少ない。二ツ井を出るとあっという間に霧が晴れ、スピードを取り戻す。しかし、通過する鶴形の手前の場内信号機で停まってしまった。2分ぐらい停まると、下り線を「特急あけぼの」が行き違う。そしてこちらもゆっくりと動き出し、鶴形通過。鶴形の先が単線のため、こうなったようだ。本来なら「あけぼの」とは東能代で行き違うダイヤである。

 東能代着は12分遅れ、8時03分に着いた。隣のホームには、7時55分発の五能線が、学生をいっぱい乗せて、この列車との接続待ちをしている。しかし4号車に関しては東能代で降りる客はない。秋田もだいぶ近いからか、乗車も少なく、すぐ発車。

 東能代からは、日本海が見えるほどではないが、海と遠くない平野部を走るので、スピードも出る。遅れ回復ということもあり、特急らしく快走する。鯉川のあたりでは右手に八郎潟を間近に眺めることができる。昔は全部が湖だったのだろうが、もう干拓されて何十年も経ち、今の風景が定着している。つまり湖と言っても川のような水路が残っているだけである。昔からここを通るたびに、鯉川で降りて、あの湖畔まで行ってみたいと思っているのだが、未だに果たせていない。

 秋田までで最後の停車駅、八郎潟も、乗車は少ない。このあたりから秋田なら普通列車でも十分なのだろう。車掌が「八郎潟の次は終点秋田です」と何度も言い、訂正もしない。

 男鹿線が合流する追分あたりから、秋田郊外っぽい風景になってくる。そして秋田の外港がある土崎は、それ自体、一つの町である。しかし土崎と次の秋田は7.1キロもあり、今の時代なら間に駅が2つぐらいできても良さそうな気がする。

 車掌が「間もなく終点、秋田です」と言ってから、やっと気がついたのか「失礼しました。間もなく秋田です」と言い直し、東京行き「こまち」などの連絡列車案内を始める。多くの客がそわそわと降りる支度を始める。といっても殆どの客は軽装で、大きな荷物をかかえた人は少ない。

 秋田へは僅か2分遅れで着いた。随分と回復力があるものだと思うが、単線区間の多い奥羽本線では、それぐらいのダイヤ設定にしておかないと、ひとたび遅れると収拾がつかなくなるのかもしれない。殆どの客が降りるなあ、と思ってみていると、本当に殆ど降りた。しかし通路の向かい側の席の、パソコンや書類を開きながら携帯電話で通話をしている若い男性は降りないらしく、電話とパソコンの両方に夢中である。やれやれ、どこまで行くんだろうと思っていると、周囲の様子に気がついて、あわててパソコンを閉じ、鞄に書類ともども無造作に突っ込むと、駆け足で下車していった。何と、4号車の客は私以外、全員秋田で降りてしまった。代わってこれまでとは雰囲気の違う、旅行者風の中年グループなどがパラパラと乗ってきた。

 車掌も交代し、車内販売も乗ってきて、全く雰囲気が変わり、秋田を定刻に発車。それにしても、車掌が秋田を「終点」と勘違いするのは、自分の乗務が秋田までだから、という以上に、何となくわかるような気がした。それほど、別の列車でも問題ないぐらいに乗客が殆ど総入れ替えになるのだ。長距離特急が減っていく理由もわかる気がする。そもそもこの「いなほ8号」は、以前は大阪行きの「白鳥」だった列車だ。今回の私も、折角全区間乗るのだから、新潟で乗り継いで大阪まで、かつての「白鳥」のスジをたどろうかとも思ったのだが、それはさすがに馬鹿らしいのでやめにした。しかし、こうして途中で分断されていく理由は、JR側の合理化という以上に、乗客の流れに沿ったものであることを実感してしまう。残念だがこれが現実だ。この「いなほ8号」も、いずれは秋田までの「かもしか」とに分断されてしまうかもしれない。そう思うと、今回乗っておいて良かったと思う。実は「白鳥」にも全区間通しで乗ってみたかったのだが、果たせぬうちになくなってしまった。「白鳥」とでは、乗りでが丸で違うが、せめてもの慰みだと思うことにしよう。

 秋田から新潟までは、延々と日本海岸を行く。距離も長いが、その間、県庁所在都市もない。県庁秋田への朝のビジネス特急だった前半区間とは色々な意味で違う。まだ8時代だが、ビジネス客が降りた後の空いた列車の中は、昼下がりのようにけだるい。だが、秋田までは乗っていなかった車内販売が乗ってくる。あまり商売っ気がなさそうで、さっさと通り過ぎる。私は青森駅で、秋田まで車内販売が無いという駅のアナウンスを聞いていたので、青森のホーム売店で買った朝食を済ませており、車内販売には用がない。秋田までの方が商売になりそうなのに、と思う。

 秋田から羽後本荘までは、35分かかる。特急なのだから30分以上の無停車など当然で、というのは、一昔前の話で、この列車で30分以上の無停車は、青森~弘前、弘前~大館と、ここと府屋~村上の4ヶ所だけで、それもいずれも40分以内である。雄物川を渡った先の、秋田から2つ目の新屋あたりで秋田郊外の風情は果て、海辺に出ると、松林の多い日本海岸を、時に海を遠く近くに見ながら、しかし大半はその間の国道を見ながら、列車は快走する。


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 ローカル幹線の主要駅という風情の羽後本荘は、晴天のため明るい雰囲気だが、時間帯のせいか乗降は殆どなし(写真上)。続いて停まる仁賀保は、駅の裏がTDKの大工場で、東京と出張のビジネスマンの行き来も多い駅だとの話だが、やはり時間帯のせいか、乗降客は殆どいない。ここでは下り貨物列車が向かいに停まっていた(写真右下)。委託駅員のおばさんが手持ち無沙汰に列車を見送っている。


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 「陸の松島」の異名を持つ象潟が近づくと、特に左手の田んぼの中に、隆起した松島がいくつも見られる(写真左下)。羽越本線の車窓の珍景を代表する一つだと思うが、昔に比べると周辺に住宅が増えたような気がする。その象潟も、乗降客は殆ど見られない。


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 象潟の先は、有耶無耶の関があったとされる国境で、人家も途絶え、青い海が美しい。そして県境を越えて最初の、信号場あがりの駅、女鹿に運転停車した。羽越本線屈指の閑散駅であり、普通列車でも通過が多い。ゆえにこれまで駅をじっくり眺める機会に恵まれなかったが、思いがけぬ停車なので、窓越しに様子をじっくり観察する(写真右上)。やがて下り普通列車が通過する。酒田方面へ通う通学生のために朝夕だけ停車する駅らしく、この時間帯は普通列車も通過してしまうのである。特急を待たせておいて通過する普通は珍しい。確かに駅のあたりは人家もなく、鬱蒼としており、降りるのを躊躇うような駅だが、ちょっと歩けばそれなりの集落があることがわかる。このあたりの集落は、屋根が黒瓦に統一されているので、朝日を浴びて輝く集落全体が美しく、一枚の絵になっている。


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 そのあたりから左手に鳥海山が見えてくる。今日は雲もなく、名山がくっきりと眺められる。山形県最初の停車駅である遊佐は、羽越本線の特急停車駅の中でも影が薄い小駅だと思っていたが、ここから数名が乗ってきた。県が変わったことで動きが出てきたのかもしれない。遊佐をすぎると海が離れ、米どころの庄内平野を快走する。そして羽越本線の中間地点の要衝、酒田に定刻に着いた。パラパラと列車を待っている客がホームに立っている。


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 4分の停車時間があるので、ホームに下りてみる。もう11月下旬で、雪の季節も間近だが、今日は暖かい。荒れ狂う冬の日本海も味わい深いが、日が短い今の季節だけに、昼間こうして晴れてくれて、青い海が堪能できるのも良いものである。

e0028292_5122446.jpg 数は少ないものの、新幹線乗り継ぎで東京方面までという雰囲気の客が乗り出したのも、このあたりからである。続く余目は、町自体は小さいが、そこでも、そしてその次の鶴岡(写真左)でも、そんな感じの客が乗ってくる。少しずつ客が増えてきたので、車内販売がもう一度回ってくるが、この販売員、あまりやる気がないのか、回る頻度が少ない気がする。青森を出て既に5時間も経つし、天気も良いので昼すぎの気分だが、まだ11時で、昼食を買うには早い。

 鶴岡から3つ目の三瀬を通過すると、列車はまた日本海岸に出る。ここから村上の手前までは、大部分が日本海沿いを走る、羽越本線屈指の絶景区間だ。大きな町もなく、特急停車駅としては、あつみ温泉と府屋の2駅がある。そのあつみ温泉では、温泉帰りの行楽客とおぼしき中年女性のグループなどが乗ってきた。新潟へ向けて少しずつ客が増えてきた。そして、山形・新潟県境にあり、奥州三大関所の一つである鼠ヶ関を通過。江戸時代には念珠関とも言ったらしい。通過後、駅構内のはずれで山形県から新潟県へと入るのは、まさに関所から発展した町ならではか。

e0028292_5125426.jpg 次の府屋でも若干の乗車があり、ここから村上まで30分が、笹川流れの景勝など、海の眺めが素晴らしい区間となる。確かに海岸美は素晴らしいが、間を国道が通っているし、それにこうしてずっと走ってきた後に見ると、人家が結構多く感じる。それでも汽車旅の良さを感じさせる、いい区間だと思う。通過する駅も桑川を除けば小さくて風情がある。桑川だけは、駅舎もモダンで立派になり、駅付近に民宿が多く、道の駅もあって、ちょっと賑やかな印象があった。
 
 間島を過ぎ、ゆるやかに海から離れると、いよいよ越後平野で、旅も終盤だと思う。今日は明るいからあまり影響ないものの、ここに交直流の電源切り替えのための、デッドセクションがあり、車掌も「電源切り替えのため、一時車内が暗くなります」と放送をする。そういえばそういうものがあったか、と思う。最近の新しい車輛は、デッドセクションでも電気が消えないで済むものが増えている。夜などは結構面白くて、これも旅の味わいのうちだと思うが、こういった情緒も鉄道技術の進歩とともに消えてゆく。

 村上は、そんな直流区間に入った所にある市で、県庁新潟までは特急を使いたくなるぐらいの距離はある。しかし、時間帯のせいか、僅かしか乗ってこなかった。ここからはほぼひたすら、米どころ新潟の田園地帯を快走するが、人家も増えるし、工場なども見られるようになる。終点まで1時間を切って、12時も回ったので、最後の車内販売から昼食を買おうと思っていたのだが、前寄りの通路でじっとしているのが見えるのに、一向に回りに来る気配がない。こちらから買いに行こうかとも思ったが、それも面倒臭くなり、結局昼食は新潟に着いてからになってしまったのだが、それにしても、ここまでやる気のない車内販売は珍しい。

 中条、新発田と、わずかな乗車がある。新発田は降車もあったが、基本的には秋田以来、圧倒的に新潟志向の客が中心の列車であった。新潟のベッドタウンとなった豊栄が最後の停車駅で、ここも動きはなく、そのあたりからは人家も増えて、久々に都市が近づいたと思う。何しろ新潟は本州の日本海側では最大の都市で、秋田より大きい。


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 車掌が新幹線などの乗換列車の案内を始めた。秋田でも「東京行きこまち」という案内はあったが、軽装の県内ビジネス客っぽい人ばかりで、あまり実感がなかった。その点こちらは、乗り継いで東京へ向かう客がそれなりにいるような雰囲気がある。新潟が近づいたこと、イコール東京が近づいたことになっている。新幹線が増えて、日本が狭くなり、どこにいても東京が近くなった。その新幹線との連絡も2度あるものの、新幹線が走らない区間だからこそ、延々と6時間43分、在来線最長の特急昼行列車はこうして何とか今も走り続けている。途中最大12分遅れたが、新潟には定刻、12時47分に着いた。ローカル長距離鈍行を乗り通したような達成感もなく、長いとも思わなかったが、昼間の列車にこんなに長く乗ったのは久しぶりではあった。

※ この区間は、東北地方(青森・秋田・山形県)と中部地方(新潟県)とにまたがりますが、東北側の方が距離が長いため、便宜上、東北地方のカテゴリーに分類しました。
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by railwaytrip | 2009-11-25 12:47 | 東北地方

奥羽本線・さくらんぼ東根駅・東根駅

 山形県東根市は、一般には影の薄い町だと思う。しかし市であるから、昔から特急や急行が停車していた。その中心駅は東根駅であった。

 それが、新在直通の山形新幹線の新庄延伸にあたり、従来の東根駅の代わりに、新しく、さくらんぼ東根駅というとてつもない名前の駅が新設された。さくらんぼ東根駅は、東根駅から2.5キロ山形寄りで、東根の市街地にはこちらが近いらしい。町の中心駅をどこに設けるかについては、町とJRの協議で決めるのが正しく、よそ者が口を挟むことではない。ただ、この駅名はどうかと思う。東京あたりで大人がこんな行先の切符を買うのも躊躇してしまわないか。普通なら、新しい駅を東根として、昔からの駅を「本東根」か「北東根」などに改称するか、あるいは新幹線新駅の定番として、新しい駅を「新東根」とでもするところだろう。しかし、東根市はさくらんぼの生産が日本一らしく、それを売り込むため、このように大胆な駅名が選ばれたらしい。


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 まず新幹線で、そのさくらんぼ東根に降りてみる。相対ホームのある普通の橋上駅だ。新幹線といっても、新在直通のこの区間では、新幹線ならではの雰囲気はない。ホームも狭い、普通の地上駅だ。しかしエレベータはついていた。やはり新幹線開業に合わせた新駅だからか、駅舎はかなり立派で、意気込んで造ったのが見て取れる。駅前広場も広い。


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 しかし、市街地や市役所に近いとはいえ、繁華街と呼ぶには程遠い。もとは駅がない場所だったのだから、当然かもしれない。これから新たな市街地が開けていくのかというと、それもどうなのだろうという気がする。駅からすぐの所に住宅が多い。それも新しい新興住宅という感じの家が多い。観光地らしい雰囲気も地方都市の風情も皆無である。もし駅名に惹かれて、東京から新幹線に乗って観光に訪れた人がいるとしたら、高崎線あたりの郊外の駅に降りたのと変わらないじゃないか、と感じるかもしれない。


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 もちろん、あらかじめ調べて来れば、あるいはちゃんとした目的があれば良いのであって、悪く言うつもりはない。つまり、僅かな時間しかない旅人が、旅情を求めてぶらっと途中下車、というのであれば、全くお勧めできない駅だということである。

 ついでに言うと、この駅ができる前には、ここから北へ600メートルほど東根に寄った所に、蟹沢という小さな無人駅があった。さくらんぼ東根は、蟹沢が移転して発展したということらしいが、ともあれ、蟹沢は廃止された。さくらんぼ東根の改札を出る時、駅員に「昔の蟹沢駅はどちらですか」と聞いたら、しばらく考え込んで、反対方向の山形寄りだと教えてくれた。私もその時は知らず、帰ってから調べて逆だとわかったのだが、蟹沢駅自体はそれほどに存在感が薄い駅だったのだろう。あるいはこの駅員がたまたまこのあたりの人ではなく、新幹線開業後にここに赴任してきたのかもしれない。ともあれ、幸か不幸か、十分な時間がなかったので、駅員の間違った情報を頼りに、駅跡を探してうろうろしたりすることにはならなかった。

 次に普通列車に1駅乗って、東根駅へ行ってみる。2輛編成のローカル鈍行だが、新幹線に合わせた標準軌を高速で快走するので、こう言っては失礼だが、このあたりのローカル客は恵まれていると思う。地方のローカル線に乗ると、車に完敗のノロノロ列車も珍しくないからだ。


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 さて、東根駅は、かつて特急が颯爽と停車した主要駅のはずである。当然、交換駅であっただろう。しかし単線化されてしまっている。さくらんぼ東根が交換駅として整備されたので、僅かな距離に続けて交換設備を残す意味もなかったのであろう。

 単線のホームは、もとの下り線だけ残されたのであろうか。もとの上りホーム側に駅舎があるのだが、その上りホームは撤去されてしまったようだ。よって、単線にもかかわらず、駅舎のある出口へは橋を渡る必要がある。けれども、かつて駅裏だった反対側にも出口が設けられて、そこはホームからすぐに下りることができる。どちらにしても無人駅だから、それで良いのだろう。

 最初にその新しい裏口に出てみる(写真左下)。駅前は真新しい民家がパラパラあり、あとは果樹園などの畑である。林檎の実がちょっとだけ実っている。遠くには雪をうっすらと被った山が望める。しかし他に何もないので、特に面白い所ではない。


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 橋を渡って昔の駅舎が残る出口へ行く(写真左下)。特急停車駅であった名残で、それなりの規模の駅舎であるが、無人化されてガランとしている。駅前は、というと、一応駅前らしい雰囲気はあり、店もちょっとあるが、やはり寂しく、人も歩いていない。特急停車駅だった頃からあまり賑やかではなかったに違いない。というか、それだからこそ、新幹線開業に当たり中心駅を移したのだろう。


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 跨線橋から新庄方面を見ると、先の方に結構な住宅やビルの集積がある。あのあたりが東根温泉だろう。東根駅からならば徒歩でも何とか行ける範囲に、温泉街があり、ここ東根駅にはその温泉旅館の名前の並んだレトロな看板が今も残っていて旅情を誘う(写真右上)。しかし今は、温泉への下車駅は、さくらんぼ東根と案内されているようで、普通しか停まらない東根から徒歩でどうぞ、とは、旅館も案内していないようである。言うまでもなく、さくらんぼ東根から温泉街へは、歩けるような距離ではない。逆に言うと、奥羽本線が開通した当時、市街地に近いとは言えないこの場所が東根駅に選ばれた理由の一番が、東根温泉に近いことだったという話もあるようだ。

 何はともあれ、市街地と温泉と駅の立地と移転と、小都市ながら不思議な関係だなと思う。今年はその、山形新幹線延伸、さくらんぼ東根開業、蟹沢廃止から10年にあたる。
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by railwaytrip | 2009-11-20 12:00 | 東北地方

花輪線・荒屋新町駅

 関東から東北地方にかけての小縮尺の地図を見ると、概ね宇都宮から盛岡あたりまでは、東北新幹線・東北本線と東北自動車道が大体並行して通っている。しかし、盛岡から北は、高速道路の方は、東北本線ルートと大きく外れ、安代、鹿角、大鰐といったところを通り、青森へ至っている。その安代で八戸自動車道が分岐し、八戸に至っているので、そちらが東北本線ルートにやや近い。

 その安代ジャンクションという所は、一般にはなじみが薄いが、今は合併して八幡平市となってしまった、旧・安代町にある。その旧・安代町の中心駅が、荒屋新町という、これまた一般にはなじみの薄い駅である。

 花輪線は、ローカル線ではあるが、かつては急行列車が走り、盛岡から大館・弘前方面への長距離客も運んでいた。しかし、高速バスに全く太刀打ちできず、今はローカル輸送に徹した路線となっている。それでもかつての急行の面影を残す快速「八幡平」が1往復だけある。それに乗って大館方面から来て、この荒屋新町駅で降りてみた。列車は4輛もつないでいたが、ガラガラに空いていた。荒屋新町では乗降とも数名。


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 路線のほぼ中間地点にある運転上の拠点駅の一つで、機関庫が残っているが、今は使われていないようで、レールも錆びていた。昔ながらの構内踏切を渡り、これまた昔ながらの木造駅舎を抜けて改札を出る。みどりの窓口もあるが、駅員は一人だけのようである。


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 ガランとした駅前広場。駅前食堂がある。歩くと少し広い道路にぶつかる。そこが町の中心のようで、昔ながらの、歩道もない二車線道路であるが、高速やバイパスが増えたおかげでか、自動車の交通量は少ない。両側には古い家屋が多い。旅館も銀行もあり、この地域の中心らしい貫禄は十分だが、ご多分にもれず、平日日中のこととて、人影は少なく、特に若い人を見かけない。


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 食事をしたいような店が見つからず、駅前に戻って、駅前食堂に入る。今は鉄道の駅は町の中心からはずれ、町の人の多くにとって、それほど重要ではない場所になってしまったのだろう。それでも駅前食堂が営業しているのは嬉しい。ごく普通の定食ものが中心であったが、味はとても良かった。

 そうやって時間をつぶすこと1時間あまり、そろそろと思って駅で待っていると、大型のJRパスがやってきた。これは盛岡発浄法寺行という路線バスで、盛岡からここまでは、高速経由で、花輪線経由よりも安くて速いということになってしまっている。ただ、本数は1日2本しかないので、荒屋新町の人が盛岡に行くには、列車と両方をうまく使いこなす必要はあるのだろう。とはいえ、結構な乗車率で、ここで下車する人も多い。


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 かつて、地方では当たり前に見かけた、国鉄の駅で接続する国鉄バス。JRバスになってもしばらくは引き継がれたが、近年は民間や自治体への路線移管と廃止が進み、かなり数が減った。ここ荒屋新町は、今や数少ないJRバス乗り換え駅の一つとして健在である。駅のホームの乗り換え案内は、国鉄バス時代から使っていると思われるものである。今、ここで列車とバスを乗り継ぐ人が、一日に一体何人いるのだろう。そんな稀少な乗り継ぎを果たした私は、このバスで終点、浄法寺へ行き、さらに別のJRバスに乗り継いで二戸へと、珍しいルートをたどってみた。今や、ローカルバスをスムーズに乗り継いでこんな旅をするのは、ローカル線乗り継ぎ以上に難しい時代かもしれない。私にとっては恐らく二度と乗る機会はない路線だろうが、JRバスとして末長く存続してほしいものである。
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by railwaytrip | 2009-11-19 12:25 | 東北地方

総武本線・南酒々井駅

 巨大都市・東京のベッドタウンは、高度成長期に国電区間を越えて広がった。千葉方面は、佐倉、成田、木更津、茂原といったあたりまでがそうで、東京から直通の快速が走り、長距離通勤客の足になっている。無論、皆が東京まで通っているわけではない。千葉や船橋、京葉工業地帯、そして成田空港なども、通勤目的地となっている。

 総武本線に関しては、佐倉が一つの境界であろう。佐倉から分岐する支線であるはずの成田線の方が、もう一つの成田という都市の存在に成田空港が加わり、終日、東京方面から直通快速が乗り入れるようになっている。しかし総武本線の佐倉以東は、日中は特急を除けば、千葉折り返しのローカル列車のみが発着している。

 よって、同じ総武本線でも、佐倉を境に、幹線からローカル線に変わる、というのは言いすぎかもしれないが、ちょっとそんな感じがある。少なくとも佐倉以東は単線になる。それでも純然たるローカル線ではなく、八街、成東、横芝、十日市場、旭など、点々とそこそこの規模の市町が続いている。八街などは、かなりの乗降客があるし、その間の中小の途中駅も、ベッドタウン化が進んでいる所もある。榎戸などはその最たるもので、かつては乗降客もまばらな無人駅だったのが、今は駅周辺に住宅が建ち並び、利用客も多く、昔の面影がすっかりなくなってしまった。

 ところが、佐倉の次の南酒々井だけは、昔から変化がなく、駅周辺も全く開発されず、まるでエアポケットのように、寂しいまま残っているようである。数年前、この区間を久しぶりに列車で通った私は、南酒々井の寂れ具合と榎戸の発展の両方に驚いたので、そうなると、見てみたいのは、変貌した榎戸よりも、まずは南酒々井である。

e0028292_3485089.jpg 朝の「しおさい1号」で佐倉まで行き、反対ホームに停まっている各駅停車成東行に乗り換える。まだ朝の通勤時間で、佐倉の上りホームはこの通りである。成東行は懐かしいスカ色(かつての横須賀線の色なのでそう呼ばれる)113系の8輛編成で、空いている。8輛は結構長いが、通勤時間だからで、通常は4輛で使われる編成が2編成つながっているようである。

 佐倉からしばらくは、複線の成田線と単線の総武本線が並んで走る。どちらが本線か、というような眺めである。佐倉の街もすぐはずれて長閑な眺めが続く中、並走は3分ほど続く。やっと成田線が左へ去ると、ほどなくスピードが落ち、ポイントを渡り、田舎の景色が変わらないままに、島式ホームの南酒々井に到着する。


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 反対ホームには千葉行の普通列車が先に着いて待っている。当然、あちらの方が乗客が多い。先に着いていたので、南酒々井で乗車した人がどのぐらいいたのかわからなかったが、とにかくホームには人の気配もなく、下り列車の乗降客は私以外にいなかった。左上は佐倉方面に走り去る上り列車。ホームやや前方に屋根のない歩道橋のような跨線橋がある。出口は北側のみで、南は山で、出口を作りようがない。右上は跨線橋から見た駅前の眺め。


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 ポツンと小さな赤茶色の駅舎がある無人駅だ。範囲内だからスイカは使える。駅前もガランとしている。線路に沿って駐車場はあり、駐輪場もあるが、どちらも空きスペースは沢山ある。目に入るのは昔ながらの住宅ばかりで、東京近郊とは思えない静かな佇まいである。右上は駅舎を出た目の前正面の風景。


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 駅前商店があるが(写真左上)、営業しているのかどうかはわからない。自動販売機すら無いので、営業していないのかもしれないし、朝早いから閉まっているだけかもしれないが、どちらにしても、そんなに人が通りそうな場所ではない。車も滅多に通らない。ここは主要道路ではなく、交通量は非常に少ない。駅前をまっすぐ行くと、車一台がやっと通れそうな、非常に細い上り坂の道がある(写真右上)。急坂を上がると何があるのだろう。行ってみたい気もするが、雨だし、やめておく。


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 その代わり、線路に沿って榎戸方向に歩く。途中の道もひっそりと静まり返っている(左上)。3分ほど歩くと踏切がある。成田屋踏切という名前である。その前後も森が鬱蒼としている。夜など一人で歩くのは恐いかもしれない。かように東京近郊とは思えない所ではあるが、その先には大きな道路が高架で通っている。これは東関東自動車道で、このあたりで目に入る唯一の現代的なものと言っては言いすぎであろうか。それほどにこの一帯は、昔ながらの田舎の風景が続いている。

e0028292_42432.jpg 次の9時02分発銚子行に乗るべく駅へ戻る。乗客は誰も現れない。やってきた新型電車の銚子行にはパラパラと客がいたが、ここでの乗降客は、やはり私だけである。今度は列車交換はなく、すぐ発車する。

 次の榎戸で上り列車待ち合わせのためしばらく停車したが、その榎戸の千葉方面ホームは、列車待ちの客がかなり沢山いたし、駅周辺も新興住宅として開発されていた。昔は南酒々井と乗降客の少なさを争うぐらいの駅だった筈だが、一方は全くもって変わってしまっていた。対する南酒々井は、もうこれからの時代、発展することはないかもしれないし、しないでいつまでもこのまま残って欲しいものだとも思う。
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by railwaytrip | 2009-11-17 08:36 | 関東地方

快速シーサイドライナー・佐世保~浦上

 長崎県第二の都市・佐世保は、少し前まで東京からの寝台特急の終着駅であった。遠い九州の、それも県庁所在地でもない都市としては異例と言ってよいだろう。それだけ人口も多く、活気ある都市である。残念ながらぱっとしない曇天で寒い日だったが、街をちょっと歩いてみた。


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 佐世保駅は綺麗でモダンな高架駅になっていた。2001年完成だそうで、もう8年にもなるのだが、まだ真新しい駅のようだ。こういう高架駅になると、どうしても個性がなくなり、旅情が湧いてこない。東京近郊の駅も地方の主要駅も、同じように見えてしまう。

 その佐世保からは、「特急みどり」が博多へ向けて頻発している。特急ではなく、純然たる域内ローカル列車でもない、もう一種の列車として、快速シーサイドライナーというのがある。これは、長崎と佐世保という、県内の主要2都市を結ぶ、大村線経由の快速である。今日はそれに乗って、長崎市の入口の浦上まで行ってみる。


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 平日の昼下がりのこととて、乗客はさほど多くない。2輛編成の気動車は、席がさらりと埋まる程度の乗り具合である。車輛はキハ67という国鉄時代のもので、これはそれなりに思い出深い。ローカル線の旧型車輛を置き換えるために新製された気動車で、筑豊地区に集中投入された。当時の筑豊は、炭鉱の閉山が相次いでおり、暗いイメージもあっただけに、こういった新型気動車の投入が、その暗いイメージの払拭に一役買っていたものであった。それが今、色を変えてこんな所で走っているのであった。さすがに古びてきているが、転換クロスシートの快適な車輛だ。窓が開くのも良い。

 早岐までの3駅は、市の郊外といった感じで、各駅に停まる。最近、地方の快速は、所要時間を犠牲にしてでも、都市周辺の近郊区間での頻度を維持するため、「区間快速」化しているケースが増えているように思う。仙石線などもそうだ。どちらが良いのか、難しいところだが、私としては、ここは早岐までノンストップで快速らしく走ってもらいたいと思う。けれども、佐世保~長崎間は残念ながら、高速バスの方が所要時間でも運賃でもやや勝っている。そのため、高速バスの通らない途中駅からの利便性を高める方が得策なのであろう。これも時代の流れであり、寂しいが仕方ないのであろう。


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 その日宇でも大塔でも、佐世保からの客がパラパラと降り、乗車も少しある。閑散時間帯でも多少は利用されている都市近郊区間だ。そして早岐。高架化された佐世保と違い、昔ながらの主要駅らしい、重厚な駅である。洗面台もあって、長距離列車が行き交った時代を偲ばせる(写真左上)。今もそこそこの市街地があり、乗降客も結構多く、佐世保発車時点より少し混んだ。といっても座席の半分が埋まるかどうかという程度である。ここまでが佐世保線で、ここから大村線に入る。

 早岐の次は、1992年開業のハウステンボス。川とも運河ともつかない早岐瀬戸に沿って近づくと、右手前方の川向こうにリゾート地らしい「オランダ風の」建物が見える。島式のホームは案外と狭い。前の席を向かい合わせにして座っていた女子大生風の3人連れは、ここで降りるのではと思っていたが、そうではなかった。それでも観光客風の乗降客が若干あり、すぐに発車。ここからようやく快速列車になる。


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 ハウステンボスを出ると、短い隧道を一つくぐってすぐ南風崎を通過する。ハウステンボスとの距離は900メートルしかない。それなのに、交換設備まで残されているのは、今の時代としては驚きだ。交換設備どころか、もっと人口密度が低い地域なら、ハウステンボス駅の開業時に廃止されてもおかしくない。けれどもこの南風崎駅は、終戦時の復員列車の始発駅として知られる由緒ある駅だ。当時、東京発南風崎行という列車が、臨時ながら運転されていたという。そんな説明板もある駅なのだが、あっさりと通過。

 右手は遠く近くに大村湾を眺めながら、単線ホームの小串郷を通過し、次の川棚に停車する(写真右上)。乗降客も多く、意外と大きな駅である。駅員もいて、昔ながらの改札業務をしており、列車を見送る。段々と希少価値の出てきた光景である。


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 川棚から松原あたりまで、大村線はその大半を、大村湾の波打ち際に沿って走る。大村湾は、知らなければ湖と区別がつかないぐらい、陸地に囲まれた湾であり、常に波静かで、西九州らしい穏やかな風景をたっぷり見せてくれる。列車の旅はいいなあと思える区間である。しかも、さびれきったローカル線でもなく、空いてはいるものの、適度に乗客がいる。沿線もそれなりに人家もある。しかも大村線は、もともと長崎本線として開通しただけあり、駅構内も広く、幹線の面影が残っている。高速列車に乗り慣れた人からみれば、スピードは遅いが、車に抜かれまくりというようなローカル線でもない。要するに、一昔前まで日本全国で当たり前に存在していた地方路線の雰囲気が、今もあまり変わらず残っている。写真左上は、川棚~彼杵間の右手車窓。

e0028292_5354033.jpg これまた今や珍しくなった、JRバス乗換駅の彼杵に停まる。ここで佐世保行の快速シーサイドライナーと交換する。彼杵も駅員がいて、川棚ほどではないが、乗降客もある。そして単線で古い木造駅舎が残る千綿、広い構内を持つ松原と、快速らしく通過し、そのあたりから海と離れていく。そして人家も増えてきて、モダンな建物も見られるようになると、竹松に停車する。前の席にいた三人連れの女の子のうち一人が、ここで降りる。最初はハウステンボスに行く観光客に見え、次は長崎にでも遊びに行く仲間同士かと思ったが、どうやら、佐世保に通う学生らしい。竹松で50分だから、長距離通学だ。

 竹松の次が、線名でもある大村。間には諏訪という新しい駅があるが、快速は通過する。大村は、地方都市然とはしているが、長崎空港を有し、長崎県の三大都市である長崎、佐世保、諫早のどこへも通える範囲だから、それなりに栄えているようだ。降りる人より乗る人が多く、混んできた。女子大生の二人目がここで降りた。

 長閑な大村湾沿いを走ってきた後だけに、ここまで来ると、景色がつまらなく見えてしまうと思ったが、大村線最後の通過駅、岩松を過ぎると、意外にも山の中に入り、ちょっとした山村風景が見られる。だがそれもつかの間で、やがて左手から長崎本線がぐるりとカーヴを描きながら合流してくる。対するこちらは殆ど直線で、そのまま諫早駅に滑り込む。大村線の方が開通が早く、その昔はこちらが長崎本線だったことの証左である。

e0028292_5361439.jpg 4分停車の諫早は、そこそこ大きな街で、この列車の乗客もかなり入れ替わる。きちんと見ていたわけではないが、佐世保から乗り通している客は、ここまでで大半は降りたように思う。諫早から乗り込む客は、思ったほど多くなく、同じような混み具合で発車していく。長崎本線に入ると、特急向けの線形になるためか、スピードもあがり、新設の住宅地駅、西諫早をあっさり通過して、喜々津に停まる。ここで佐世保からの女子大生三人組の最後の一人が降りた。この列車で1時間17分。かなりの長距離通学だが、乗換もなく、ゆっくり座れるのであれば、悪くないかもしれない。東京ではこれ以上の乗車時間で、しかもその大半を立って通っている人がいくらでもいる。

 喜々津から浦上までは、海あり山ありのローカルな旧線と、長い隧道で一直線に長崎を目指す新線がある。長崎本線の特急は全て新線経由だが、普通列車は大村線からの直通列車の場合、快速が新線、普通が旧線と、ほぼ役割分担している。長崎本線は、諫早以東からの直通列車はもともと本数が少ないが、電車の場合は新線しか走れない。というのも、旧線は非電化のままだからである。よって、同じ非電化の大村線と旧線とを直通の気動車が走るのは都合が良い。しかし、快速はやはり、長崎への速達性も重要なので、新線を行き、途中の駅は通過して、喜々津~浦上間の16.8キロを14分で走破してしまう。

 この新線は、後から山の中を貫通させたため、隧道が多く、駅はその合間の集落に3ヶ所設けられている。もう開通から随分経つのだが、あまり発展していないようで、最後の駅、現川などは、長崎へ10分で行けるのに、山村の佇まいである。その現川を通過すると、九州の在来線で最長の、長崎隧道に入る。そこを高速で突っ走り、出るといきなり、山がちで坂の多い長崎の、特有の都市風景が展開する。そして旧線が合流してきて、路面電車も見えてくると、浦上である。


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 爆心地や浦上天主堂などでその地名を知られる浦上は、かつては郊外の農村地帯だったらしいが、土地の狭い長崎ゆえ、今はすっかり都市化してしまっている。終着・長崎まであと1.6キロしかないが、今は特急も全て停まり、長崎市の鉄道のもう一つのターミナル的にも機能している。行先によっては、ここでバスや路面電車に乗り換えた方が便利だ。私もここで降りるし、降りる客も多い。他方、浦上から長崎までの1駅を利用する人は、いないかと思ったら、数名がこの列車に乗車した。昔はこのあたりで、長崎本線を市内交通的に利用する人は珍しかったが、快速や普通の本数が増えたので、路面電車やバスより速くて確実なのだろう。そうして着いた浦上駅前は、高層マンションやコンビニなどが目立つ、現代的な都市風景が広がっている。それでも駅前を路面電車がけなげに走っていて、それがちょっとした情緒を醸し出してくれているようだ。
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by railwaytrip | 2009-11-16 13:42 | 九州・沖縄地方