私鉄らしからぬ長大幹線、近鉄大阪線。東半分は山岳地帯も多く、車窓の変化も楽しい。大阪上本町から奈良盆地南部を貫き、大和三山を眺めて桜井を過ぎるとやがて山峡に入る。知らなければもはや大阪の通勤圏も果てたかと思える。榛原を過ぎ、一駅の距離が俄然長くなるあたりでは、急行なども各駅停車になる。だが、その先、三重県に入ったあたりに名張、桔梗が丘といった住宅地があり、かなりの人が大阪まで通勤しているという。
そういう日常利用者も、そしてたまに乗る人も、恐らく下車したことのある人は珍しいと思われる駅の代表が、奈良県最後の駅、三本松ではないかと思う。このあたり、急行は各駅停車になっているが、そのひとつ上の区間快速急行というのが、榛原以東では三本松のみ通過している。こういう駅があると、どういうところであろうかと、気になってしまう。車窓から見ても人家も少ない山峡にある小さな駅である。 通るたびに気になっていたが、このたび桔梗が丘へ行く途中に少し時間ができたので、途中下車をしてみた。 三本松は、山の中腹にある相対ホームの駅である。進行左手は山、右手に谷が開けている。一番大阪寄りに構内踏切があり、小さな駅舎がある。するっと関西が導入されているので、自動改札機や自動精算機があり、駅員もいるが、下車した客は僅かであった。とはいえ、大都市近郊私鉄の水準としては少ないものの、下車そのものを駅員に珍しがられたり、奇異な目で見られたりするような田舎の駅ではない。休日にはハイキングの客も観光客もいるであろう。 ここは元々、隣の室生口大野とともに室生村であったが、2006年1月1日、榛原町その他との市町村合併で宇陀市となった。旧室生村の中心は、隣の室生口大野駅のある大野地区であろうか。 駅前には商店が1軒。あとはこれといって何もなく、狭い道を谷へと下りてゆくと、やがて国道に出る。この国道右手に道の駅宇陀路室生ができている。かつてこれが無い頃は、もっとひっそりした山村だったのだろう。道の駅のせいで、そこまで田舎という気がしなくなるが、周囲は田園が広がっている。 橋がある。流れているのは宇陀川で、水は綺麗だ。大阪から1時間、やはり別天地である。この川は、何となくこれより奥の青山峠の方から流れてきているのかと勝手に思ってみたが、逆で、名張方面へ流れている。後で調べてみると、水源は榛原の南の大宇陀の山の中で、名張から名張川と名を変えて北上し、ぐるりと円弧を描いて今度は西へ向かい、月ヶ瀬、木津などを通って木津川とまた名を変え、田辺などを通って最後は樟葉のあたりで淀川に合流し、大阪湾に注いでいるのである。この上流には室生ダムがある。 このあたりから見る駅は、いかにも山肌にへばりついている感じで、その昔は難工事だったのかもしれない。この区間の開通は昭和5年で、当初より高速鉄道を想定していたため、ローカル線のように川の流れに沿って急カーヴを繰り返すような設計はしていないのであろう。 駅に戻る。大阪方面から延々と走ってきた、青山町行の急行がやってきた。こんな山深い地なのに、乗客も結構乗っているし、お客の身なりが都会風なことで、田舎のローカル線とは違う、近鉄の大幹線であり、大阪への通勤路線でもあることを改めて思う。ここ三本松駅で見る限り、そのギャップが面白いと思う。 #
by railwaytrip
| 2006-10-08 10:45
| 近畿地方
西武池袋線の所沢~飯能間は、1970年代以降、東京のベッドタウンとして急速に住宅地化したが、それ以前は武蔵野の面影を残す雑木林と茶畑の多い、農村地帯であった。狭山ヶ丘までが所沢市、武蔵藤沢から元加治までが概ね入間市、そしてその先が飯能市。飯能まで来ると、関東平野の端まで来たという感じになる。
このあたりの西武沿線の住民でも、入間市内の駅を全部言えという問いに即座に正答できる人は少ないだろう。藤沢あたりはまだ所沢かな、とか、元加治は飯能市なのではあるまいか、と迷わない人でも、途中の稲荷山公園だけが狭山市であることを知る人は少ない。そして、それも知っているよと得意そうに言う人でも、忘れがちなのが、八高線の金子駅なのである。そう、ここが入間市だと聞くと、意外な感じを受ける人が多い。それどころか、入間市にそんな駅があることすら知らない、埼玉都民である入間市民も少なくないだろう。 かくいう私も、実はその昔、この西武沿線に長く住みながら、そしてごくたまに八高線も利用する機会がありながら、金子には一度も行ったことがなかった。およそ用事があって出かけるような所ではなく、用がなければ行く必要はないのだが、しかし非電化の当時、西武池袋線沿線から最も近い、ローカル線の小駅の雰囲気を味わえる駅だったのである。わざわざ出かけるだけの価値もあったし、それほど近いのであるが、いつでも行けると思っているうちに、行かずに引っ越してしまったというのが現実である。 そして時代は下って、ローカル線だった八高線も電化され、都内の主要線区と同じような通勤型電車が走るようになった。本数も増えたし、もはやかつてのローカル線の面影はないかもしれないと思いながら、東飯能から八王子行きの、4輛編成の電車に乗ってみた。 単線だから、列車交換がある。相対ホームで跨線橋があるが、屋根無しの、歩道橋タイプである。そして、思ったより乗降客が多い。けれども嬉しいのは、昔ながらの木造駅舎が残っていることである。首都圏のJRだから、簡易スイカの機械はあるが、自動改札までは設置されていないのも嬉しい。この古風な木造駅舎に自動改札は、絶対に似合わない。 駅周辺は、駅前からすぐ住宅地で、新旧の住宅が混在している。駅前商店街といったものは一切なく、食堂も喫茶店もコンビニもない。少し行った所にスナックが1軒あった程度で、駅に近い所にあるのは、不動産屋、学習塾、写真屋であった。東飯能寄りに歩いていって踏切を渡った所には、スーパーなどお店が数軒あったが、商店街というほどのことではない。少し歩くと茶畑もあり、狭山茶処は今も健在なのが嬉しい。 駅前からは、駿河台大学へのスクールバスが出ていた。こんな所にそんな大学があるのも知らなかったが、しばらく駅周辺を散歩して駅前に戻ってきた時、ちょうど大学からのバスが着くと、夕方ということもあり、かなりの学生が降りてきた。寄り道するような喫茶店一つない駅前だからか、全員がぞろぞろと改札口を入っていった。後で調べてみると、やはり割と近年になってこの近く(飯能市内)に開かれたキャンパスだそうだ。 そういう都会風の若い学生の他、スーツ姿のビジネスマンもいて、ここ金子駅の夕方、電車を待つ人々は都会的である。駅もそれなりに綺麗になり、やってくる電車も最新型。古い木造駅舎だけが、ローカル線時代の八高線の面影を今にとどめているように思われた。 #
by railwaytrip
| 2006-07-03 15:00
| 関東地方
江津15時07分発の三次行は、長大ローカル線・三江線でも数少ない全線走破列車の一本だ。もっとも全線走破しようがしまいが、今の三江線は、一部の鉄道ファン以外、全線乗車などしない、細々とした地域輸送に徹したローカル線である。山陰本線の普通列車と同じく小さな1輛の気動車だが、山陰線はまだそれなりに客が乗っていた。乗り換えてみると、乗客は全部で10名。山陰線からの乗り換え客は3名ぐらいいたようである。全線走破列車、それも夏至に近いこの季節、終点三次まで明るいうちに着ける唯一の列車だから、鉄道マニアの一人ぐらいいるかと思ったが、6月の平日とあっては、それっぽい乗客も見かけない。地元のローカル利用者ばかりである。
江津を出ると山陰線とあっさり分かれて内陸に向かい、江の川が寄り添ってくると、すぐ最初の駅、江津本町に停車する。駅名からすれば、江津の市街地に近く、ここでかなりの乗客を乗せて、となりそうだが、乗降ゼロ。駅周辺は人家もまばらで閑散としており、始発駅近くからしてこれでは、この先線路は一体どんな所へつながっているのだろうと思ってしまう。 今日乗車するこの三江線の北側区間は、全線開通するまで、三江北線と呼んでいた区間だ。江津側から徐々に延伸され、浜原まで開通したのが戦前の1937年と、古い。そのためか、軽便鉄道規格に近いようである。ひたすら江の川に沿って走る眺めの良い線区であるが、スピードは遅く、今日、完全に時代遅れの交通機関となっているようである。しかもやたらと30キロ程度の速度制限区間がある。「偉大なるローカル線」と呼ばれる山陰本線の単行気動車から乗り継いでも、遅さが際立っていると感じる、そんな遅さである。 江津本町に続く千金も乗降はなし。その次の川平は、交換設備が撤去されて単線の停留所になった駅で、ここで1名下車、続く川戸(写真左)はもう少し大きなまとまった集落があり、やはり元交換駅。木造の駅舎が残っている。ここで4名が下車し、江津発車時の乗客の半分が既に降りてしまった。これは思った以上に寂れたローカル線である。けれども沿線の眺めは素晴らしい。江の川は下流でも川原を作らず、水量豊かに滔々と流れている、日本では珍しい川だ。古い線路だけに、その川の流れに忠実に沿って走っているのだが、それが裏目に出て今日では時代遅れの乗り物になってしまっているのだ。もっともトンネルと鉄橋で短絡して高速で走ったとして、この沿線人口の少なさでは、やはり需要は知れているだろうが。 この先どうなるかと思っていると、次の田津では男子中学生が4名乗ってきた。そのうち1名は、次の石見川越で降り、残る3名はその次の鹿賀で降りた。その次の因原(写真左)はちょっと大きな集落で、古い木造の駅舎も残る立派な駅だが、乗降はない。その次の石見川本(写真左下)は、江津から1時間も乗ってやっと最初の交換駅である。かつてはもっと多くの駅に交換設備があったが、極限までの合理化の結果、こうなってしまったのだ。跨線橋もある立派な駅らしい駅で、乗っていた客は、ここで私ともう一人を除き全員が下車した。駅舎は反対ホーム側だが、降りた客は跨線橋を渡らずに線路を平気で横切っているあたり、やはりかなりのローカル線である。けれどもここでは下車より乗車の方が多く、高校生など10名ほどが乗ってきて、少し活気が出てきた。三江線の北半分は、江津や山陰線と内陸を結ぶ足というよりは、内陸の相互でのローカル利用がかろうじて残っている線なのかもしれない。 線路は相変わらずカーヴが多く、極端な速度制限区間も多い。なのでスピードも出ず、遡ってもさほど細くならない雄大な江の川を堪能しながら、小さな駅に停車していく。木路原、竹、乙原、石見簗瀬と、いずれも単線に簡易なホームだけの無人駅で、各駅とも1名下車、乗車なしで、石見簗瀬発車時点では乗客は6名。写真右上は、木路原~竹間である。写真左下は、石見簗瀬駅で、小さな停留所だが、ここも木造駅舎が残る。 次の明塚は水田の中にある駅で、ここは乗降ゼロ。だいぶ遡ったようでも、まだまだ川幅も広く滔々と流れる江の川を左手に眺めながら列車はゆっくりと行く。写真右上は、明塚~粕淵間から見る江の川。そして粕淵の手前で初めて鉄橋で江の川を渡る。対岸に小さな町が見えてきた。 渡り終わった所にある、それなりにまとまった集落は、合併前は邑智町、現在は美郷町の中心地・役場所在地で、粕淵駅はそこにある。三江線の中では主要駅だ。ただ、ここと2キロしか離れていない次の浜原が、三江北線時代の終着駅であり、運転上の拠点駅となっている。そのためか、ここ粕淵は運転上は単なる停留所の扱いだ。それでも新しくて立派な駅舎がある点、これまでの駅とは違っている。ここでは数名が下車するのと引き換えに、大勢の高校生が乗車。これまでで一番多い乗客数となり、発車していった。 三江線は、JRで残され、廃止を免れた地方交通線の中でも屈指のローカル線である。加えて島根県というのは、いわば「過疎先進県」とでもいおうか、最も早い時代から過疎化が進んだ県である。そんな中で、新たな少子化・高齢化社会を迎え、この先どうなっていくのか。JR西日本も、当面廃止予定はないと言っているらしいが、しかしこの実情を見るに、不安で仕方がないというのが偽らざる感想である。粕淵の駅にしても、モダンな駅舎こそ立派だが、駅前も閑散としており、やはり基本的に人口希薄な地域なのが実感できる。交通需要は皆無ではないものの、三江線の古さが災いしてか、時代離れしたような遅さは現代において致命的だ。ローカル線の情緒を味わいにくる観光客や鉄道マニアには受けるかもしれないが、それだけで鉄道経営が成り立つような場所ではない。地元の日常利用を確保することが第一で、それにしてはこのスピードでは、他の交通機関に歯が立たないのではないか。しかも起点の江津は、浜田や大田といった山陰線沿いの都市と比べても規模が小さい。そういった多くの要因で、三江線の将来は、やはり不安に満ちていると実感した次第である。せめて、ある意味、日本離れしたこの江の川の雄大な流れが、観光需要を生み出してくれないものか。これといってとらえどころのない風景ではあるが、都会の人が時にのんびりするには、こういった風景をゆったり眺められる三江線ローカル列車の旅など、最適だと思う。 ※ この旅行からほどなくして、三江線は水害のため長期に渡り全線不通になってしまいました。 #
by railwaytrip
| 2006-06-27 15:07
| 中国・四国地方
鉄道の廃止も新時代に入り、田舎のローカル線ばかりとは限らなくなった。日立電鉄あたりも、それなりの利用者がありながら廃止になったが、それ以上にすごい所が、ここ、名古屋郊外の小牧市にある桃花台新交通、通称ピーチライナーである。名古屋通勤圏にあるニュータウンの足として作られた新交通システム。しかし、累積赤字がかさみ、資金尽きて廃止だそうな。というわけで、廃止前に一度乗ってみようと思い、でかけてみた。
起点の小牧のある小牧市は、昔の名古屋空港が小牧空港として知られていたので、聞いたこともない人は少ないだろう。けれども、こう言っては失礼だが、それを除くとさほどの市ではない。愛知県や近辺の人はともかく、東京や九州の人が、西尾だとか江南だとか津島だとか聞いても普通はピンとこない。小牧もそのクラスの衛星都市の一つに過ぎない。けれども大規模なニュータウンができるぐらいの人口はある。それがまさかの廃止だとは。これも結局、この鉄道を利用することが、名古屋の中心部への最短経路ではない、ということに尽きるようである。 どちらかというとローカル私鉄に近い、名鉄小牧線に乗り、小牧に降りてみる。立派な地下駅だが、駅周辺は案外閑散としており、特に活気は感じられない。小牧自体にもっと買い物その他の魅力があれば、多少は運命が違っていたのだろうが、これでは、ニュータウンからわざわざここで乗り換えて、さらに終点の平安通で乗り換えて名古屋の中心部へ通勤通学、という風な利用者は獲得できない。結局そういうことのようだ。 この新交通システムは、両端の終着駅では、折り返し運転はせず、そのままぐるりと半周して向きを変える仕組みだ。そのための楕円形というのか、風船の縁をたどるような形の線路が、威圧感をもって駅のそばを走っている(写真右上)。これも廃止後は撤去するのであろう。というか、こんなコンクリートの塊の建造物を、廃止後もいつまでも残したら、それはそれで不気味だ。しかし、撤去費用だけでも相当かかるらしく、それをどうするといった議論もなされているそうだ。 小牧駅は島式ホームで、降車ホームと乗車ホームに分かれる。桃花台東からの列車がやってきて、10人足らずの人を下ろす。ワンマンで小型4輛の列車はそのまま運転手が乗って、ぐるりと回って乗車ホームに戻ってくる。 発車間際に乗車が少しあり、結局こちらも10名ほどの客を乗せて発車。平日日中とはいえ、やはり少ない。地下から地上に出てきた名鉄に沿って1駅、小牧原へ。おばさんが1人乗ってきた。ここから角度を90度変えて、名鉄と分かれる。高架なので景色は良い。次の東田中も1人乗車、そこを出るとしばらく、結構な農村風景が広がる。 次の上末は乗降ゼロ。そして桃花台ニュータウンが見えてくると、最初にその入口という感じの桃花台西に停まる。ここは2人ほど降りただけだった。ここからは高層団地などの間を走り、次の桃花台センターで、乗客の殆どが降りる。といっても大した人数ではない。それでも駅名の通り、桃花台ニュータウンの中心地のようで、駅に隣接してショッピングセンターなどがある。列車はあと1駅走り、終点の桃花台東。ここで降りたのは私の他、3名であった。小さいながら、自動改札などもある都市型の立派な駅だ。しかし気味悪いぐらいガランとしている。 駅前は見事に閑散としている。とはいえ、ニュータウンの中で、徒歩圏内にかなりの人が住んでいるであろうことはわかる。駅前からは中央線の高蔵寺へのバスが出ており、桃花台から名古屋へは、このバスで高蔵寺へ出て中央線に乗り換えるのが早いらしい。それが桃花台新交通が利用されない理由らしく、高蔵寺との間を結んでいたなら、違った結果になったであろうと言われている。 平日昼間だからか、さほど人の気配を感じないニュータウンではあるが、間違いなく相当数の人が住んでいる。朝夕はもう少し通勤客が乗るのであろうが、名古屋への通勤のメインルートとはならなかったがために、採算が全く取れず、開通15年にして廃止決定だそうだ。住人の方には申し訳ないが、訪れた日がぱっとしない曇りだったこともあってか、とてもここには長くはいられない、そんな気持ちにすらなりそうな、不気味に静まり返った桃花台東駅前であった。1991年3月開通、2006年9月末で廃止予定。 ※ その後、2006年9月末で予定通り廃止されたということです。 #
by railwaytrip
| 2006-06-26 14:30
| 中部地方
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