所用で松江に1泊した翌日は、予定を入れず、その日のうちに東京へ戻れば良いようにした。忙しい人なら朝一番の飛行機で東京へ戻るのだろうが。
それで今回は、木次線から芸備線を抜けるルートを選んだ。このルートのうち、木次線の出雲横田~備後落合と、芸備線の備後落合~東城は、乗客減と減便のいたちごっこで、今や1輛の気動車列車が一日3往復するだけの、究極のローカル区間になっている。それも、その昔あった白糠線や日中線のような短い盲腸線の3往復と違い、かつてはグリーン車付の急行列車が行き交った、準幹線とも言えるような区間である。中長距離輸送が完全に自動車と高速バスにシフトした結果、急行が廃止されて久しい。もうどのぐらいになるのだろう。私もその昔、1980年代に、この地域の急行列車に乗ったことがある。ローカルな急行だなとは思ったものの、乗客もそれなりにいて、まだ鉄道が鉄道としての役割を果たしていた時代だった。 最初に乗るのは、宍道11時21分発の備後落合行。というよりも、一日3往復の両線をうまくつなぎ、今日中に東京へ戻るには、この列車以外に選択肢はない。山陰本線が強風で遅れた影響で、この列車も5分ほど遅れての発車となった。宍道は小さな町なので、松江や出雲市などの山陰本線からの乗り継ぎ客がなければ、木次線も機能しないであろう。車輛はキハ120という小型のディーゼルカー2輛だが、後ろの車輛は回送車で乗車できないとのこと。乗客はざっと見渡したところ、15名ぐらいである。この人数なら1輛でも余裕である。やはりお年寄りが多いが、スーツ姿のビジネスマンも数名いる。出張に木次線を使うように命じられている沿線自治体の公務員かもしれない。 山陰本線は、本線としては十分に鄙びているが、それでもここ、米子~出雲市間は、電化もされており、それなりに開けた印象もある。それとの比較で言うと、木次線に入った途端に風景が鄙びる。特に最初の南宍道の前後は、日本の原風景とでもいうべき農山村の眺めが続く。最初からこんな素晴らしい風景が出現すると、この奥は一体どんな所だろうと期待が湧くが、次の加茂中は、モダンな建物も見られる現代の田舎の景色になった。後で地図を見てわかったのだが、南宍道前後は主要道路が全く並行していない。だから昔のままの風景が残っているのだろう。今は鉄道ではなく道路がある所から開ける時代なのだと、改めて思う。 加茂中の先は、南宍道ほどの原風景ではないものの、長閑な農村地帯を走り、幡屋という小駅に停まり、その次は大東町の中心、出雲大東である。ここはモダンな建物もあり、まあまあ開けている。ここで意外にも、10名あまりの乗車があった。以前の三江線などでも同じ経験があるが、今やこのタイプのローカル線は、沿線から主要都市への足というよりも、線内ローカル輸送の比率の方が高いのかもしれない。 南大東に停まり、次が線名にもなっている木次。下車する人が多いが、まだ結構残っている。それなりの町で、駅舎も大きい。多分このあたりまでは、松江や出雲への通勤通学客もそれなりにいるのだろう。 木次を出ると、右に古びたたどん工場が見える。たどんとは何だったかな、などと考えているうちに、次第に山間部に入り、レンガ造りの古びた隧道などもある。車輛は新しく、ロングシートも多くて雰囲気が今一つだが、やはりローカル線の旅はいいなあと思えるひとときである。日登、下久野と、乗降客もない小駅に停まった後、次の出雲三成は、結構な下車客がある。異彩を放っていたスーツ姿のビジネスマン3名も、ここで下車。木次や横田に比べて影が薄い主要駅で、こんなに降りるのかと思うが、駅舎もモダンで近代的な建築である。後で調べれば奥出雲町の町役場所在地である。もともとは仁多町の役場がある駅だったが、横田町と合併した結果、こちらが役場所在駅になり、横田は役場所在駅の地位を失ったのであった。であるから、スーツ姿のビジネスマンは、役場関係者ではないかと思う。 ここでの乗車客はなく、だいぶ客が減って寂しくなった列車は、さらに奥出雲の山に分け入る感じで進む。次の亀嵩は、松本清張「砂の器」の舞台の一つであり、駅舎に蕎麦屋が入っていることでも知られているが、乗降ゼロ。そしてその次が出雲横田。ここで残っていた数名が下車し、車内はすっかり寂しくなった。そして後ろについていた回送車がここで切り離される。その作業もあり、停車時間がかなりあるので、駅前に出てみる。小綺麗な駅前ではあるが、人の気配は乏しい。雑貨屋は開いており、ここで昼食のパンを仕入れておく。 出雲横田発車時点での乗客は、私の他、2名だけであった。いずれも中年男性で、一人はさっきから車内で本を読んでいたし、旅行者風でもなく、地元の利用者なのかなと思う。もう一人はおとなしく座っているだけで、カメラを出すでもないので、地元客か旅行者か不明であったが、どうやら旅行者のようである。いずれにしても、ここから先は一日3往復だというのに、この乗客数では、もはや大量輸送機関としての使命は完全に失っていると言って過言ではないだろう。寂しいが仕方ない。乗客3名に対して、運転手の他、ワンマン運転ではあるが、車掌とおぼしきJR職員も乗っている。 出雲横田から先、備後落合までは、途中4駅。最初が八川という影の薄い駅で、その次が三段スイッチバックと延命水で有名な、出雲坂根である。八川方面からの列車は、まっすぐそのまま出雲坂根駅に突っ込んで停車する。この駅が近づくと、驚いたことに、車掌のような社員が、マイクで車内に向かって出雲坂根駅の解説を始めた。といっても乗客は私を含め僅か3名である。この駅に着くと、鉄道マニアっぽく見えなかった他の2名の乗客も、ホームに降りてきた。まあ何というか、積極的な鉄道マニアではなく、移動のついでに興味半分でこのルートを選んでみたという程度の人達だろうか。私もそうだといえばそうなのであるが。 数分の停車時間を、駅前に出たり、駅構内の写真を撮ったり、延命水(写真左下)を飲んだりして過ごす。発車時刻となり、運転手はこれまでの後部に移動している。発車すると、これまで走ってきた線路を進行左下に見ながら、山を登っていく。 つい今しがた走ってきた八川方面の線路が、左下すぐそばに見える。大した距離ではなく、道さえあれば、普通に歩けそうである。鉄道が勾配に弱いことを如実に知らされるところではある。こんなローカル線ではあるが、冬季は雪も結構降るのであろう、ポイントの部分はシェルターで覆われている。 行き止まって、運転手が再度移動し、また逆方向に走り出す。さらに勾配を登っていく。しばらくの間、進行右側に、これまで通ってきた2本の線路が両方見える(写真右上)。そして出雲坂根駅をはるか下方に見下ろすのであるが、間には木々が深く生い茂っており、ずっと眺望良好というわけではない。それもしばらくすると見えなくなり、列車は隧道に入る。出ると、今度の見ものは、国道のループ、通称おろちループである。鉄道より道路の方が設備も規模も大きいから、正直、鉄道のループより見ごたえがある(写真左下)。もう一つ隧道があり、ぐるりと回ると、中国地方で一番標高の高い駅、三井野原に着く。出雲坂根からの営業キロは、6.4キロだが、直線距離なら2キロちょっとと思われる。鉄道がそれだけスウィッチバックと遠回りで山を上ってきたのである。 三井野原を出るとほどなく県境を越え、島根県から広島県に入り、斐伊川水系から江の川水系へと移る。県境に隧道はなく、あとは山を徐々に下る感じで、もう一つ、油木という小さな駅に停まると、その次が終着の備後落合である。出雲横田から備後落合までは、途中駅での乗降客もなく、私を含め3人の乗客と2人のJR社員を運んできたことになる。その社員の方と少し話をしたが、今はこの区間は定期利用者もなく、何とか観光客誘致でつないでいるとのことであった。 右手から広島方面からの芸備線が合流してくると、列車はゆっくりと終着の備後落合の構内へと入っていく。かつて急行列車が行き交った頃は、駅は山峡なりに活気があり、そば屋などもあったという。その頃にも私は通っているのだが、格別の記憶がない。しかし今の備後落合は、分岐駅なのに無人駅で、駅前もすっかり寂れてしまっているのが、むしろ特徴的であり、印象的である。この時間は3方向から列車が着き、相互に接続をして3方向に発車していくという、この駅が一日で一番賑わう時間であるが、この列車にしても乗客はこの通り3名だけだし、他も似たようなものであろう。だから、殆ど人のいないひっそりとした終着駅を期待していたのだが、何とホームが人でそれなりに賑わっている。殆ど年寄りの中に、制服のようなものを着た女性が立っているのを見て、わかった。団体客なのである。こんな観光地でもない所で列車を使っての団体とは、期待していた雰囲気を味わうには興ざめだが、ローカル線の活性化に多少でも役に立っていると思えば、悪くは言えない。 備後落合では、三次からの列車が一番最初に着いており、次がこの木次線、そして新見からの列車が最後に着く。私は駅を出て駅付近をしばらく散歩してみた。かつては駅前旅館などもあったらしいが、今はひっそりとした山間の集落である。しかし駅からすぐ国道に出られ、そこは車もそこそこ通るし、バス停もある。特に秘境というわけではなく、普通にどこにでもある日本の山間集落と言ってしまえばそれまでだ。しかし、それがかつての急行停車駅であり、鉄道路線のジャンクションの駅前だということは、やはり特筆すべきことであろう。 駅に戻る。さきほどの年寄りの団体は、何と私の乗る新見行に乗っていた。十数名であろうか。その大半が、前方に4区画あるボックスシートとその回りに座っている。女性のガイドが「この線は一日3本しかないので、乗り遅れたら大変ですよ~」などと解説している。悪いが近くには行きたくないので、私は一番後ろのロングシートの端に座る。向かいには一人、お婆さんが座っている。それ以外には乗客がいない。木次線から乗り継いだ男性2名は、どちらも三次行に乗ったようで、その他、三次行には、新見から乗り継ぎの客もいたのか、数名の客がいる。絶対数ではこちらが多いが、団体を除くと、私と目の前のお婆さんの2人だけみたいである。 発車してほどなく、その目の前のお婆さんの所にガイドがやってきて、何やら話しかけた。何とこのお婆さんも団体客の一人だったのである。つまり、この団体客がいなければ、この列車の客は私だけだったのだ。ということは、乗客ゼロで走る日も珍しくないに違いない。これには改めて愕然としてしまった。 一日3往復にまで減らされて、もはや鉄道としての存在意義を失ったかのような、元準幹線とも言うべき芸備線の枯れた雰囲気は、団体客が乗っていても、侘しい。線路の保守整備にも金がかけられないからであろう、あちこちに超徐行区間がある。景色は素晴らしいが、列車本数の少なさに比例して他線区よりも素晴らしいというわけではなく、基本的には地味な中国山地の中を、左右にカーヴを繰り返しながら、小型1輛のディーゼルカーは、淡々と進む。最初の停車駅道後山は、スキー場で知られ、かつては広島から臨時列車も走ったぐらいだが、今は廃墟ばかりが目立つ寂しい集落である。その次の小奴可は、それよりは大きな集落があり、ここでおばさんが一人乗ってきた。そして、人家も殆ど見られない内名、少し里に下りた感じで古い駅舎も残る備後八幡(写真右上)と停まり、その次が東城。ここから先は本数が倍増するので、備後落合からここ東城までが、一日3往復という究極のローカル区間であった。その間の乗降客は、小奴可で乗ってきたおばさん1名だけであった。 東城は、帝釈峡という観光地の最寄り駅である。お年寄りの団体は、ここで下車した。駅前に迎えのマイクロバスが停まっていたから、これで帝釈峡に向かうに違いない。東城から新見までは、一日6往復と、本数が倍増する。東城はそういう意味があるぐらいの、中規模な町である。しかし、その東城からも乗車はおばあさん1名だけであった。そもそも東城は県境の町であり、ここは広島県、そして列車はこの先で岡山県に入る。列車の本数からしても、沿線風景からしても、県境は東城と備後落合の間にあった方が実感があるのだが、そうではない点にも、この芸備線というローカル線の利用者減の原因があるかもしれない。 東城を出ると、これまでに比べれば風景もだいぶ開け、長閑な山里という感じになる。その次の野馳では、小奴可からのおばさんが下車。一日3往復の芸備線を使いこなしている数少ない沿線住民のようだ。その次の矢神で、東城からのおばあさんが下車し、私一人になるかと思ったら、若い女性が一人乗ってきた。その後は、モダンな駅舎のある市岡も、新しい簡易待合室がある坂根も乗降客はない。左から幹線である伯備線が合流してきて、乗換駅の備中神代、ここも乗降ゼロ。備中神代を出ると、再び山峡に入り、蒸気機関車時代の末期に三重連の撮影地として知られた布原に停まる。この布原は、昔は時刻表にない駅というか、信号場だったのだが、今も伯備線の駅でありながら、伯備線の電車は停まらず、芸備線の気動車だけが停車する、ホームの短い駅である。しかし乗降客はいない。そして最後の疾走という感じで、伯備線を快走して、人家が増えてくると、終着駅、新見である。 かつては鉄道の要衝として栄えた新見も、今はひっそりとしており、実質的には伯備線の途中駅と言っても過言ではない程度になってしまった。それでも山間を走る芸備線から着いてみれば、それなりの町であり、駅前にビルもある。けれども人の姿は少ない。鉄道が寂れてしまった典型例をいやというほど見せつけられた旅ではあったが、楽しかった。けれども今後のこれらの路線の存続については、予断を許さないのではないかと強く感じた旅でもあった。 #
by railwaytrip
| 2009-04-21 11:21
| 中国・四国地方
北陸鉄道が石川線の末端2駅間の廃止を発表した時、正直あまりピンと来なかった。距離にしてわずか2.1キロ。末端だから当然、乗客は少ないだろうが、この程度の距離だから、部分廃止しても残しても、全体への影響は知れているのでは、と思ったからだ。私はその昔、乗りに行ったことがあるが、その時はこの区間を片道は歩いてみた。線路に並行する道路も概ねあって、問題なく30分弱で歩き通したように記憶している。そんな短い区間だけを廃止しても、全体の収支への影響がどれだけあるのだろうと思ったのだが、とにかく、廃止間際の「特需」で賑わう前の、普段着の姿を見ておくべく、ある平日の朝、加賀一の宮行の列車に乗ってみた。2輛編成のワンマンカーというのが、今のこの私鉄の日常の姿である。電車は東急のお古かと思われる、ステンレス車である。
鶴来までの沿線は、宅地化も結構進み、金沢への通勤通学路線としての需要もあるようである。鶴来はこのあたりの中核をなす古い町だ。その鶴来で殆どの客が降りてしまうと、残った乗客は私の他に2人だけになった。なるほど、と思う。 鶴来を出ると、途端に乗り心地が変わり、揺れが激しくなった。もう軌道もまともに整備しておらず、北陸鉄道も廃止前提で見捨てていたのだな、と思う。次の中鶴来は、まだ鶴来の町はずれという感じで、駅周辺に住宅も多く、これまでと大差ない風景であるが、中鶴来を出て最後の一駅だけが、これまでと違う山岳路線っぽい風景を見せてくれる。つまり、手取川が近づいてきて、川に沿って勾配を上る感じが出てくるのだ。そして、この先は山だから、線路はここまでです、という感じに思える終着駅が、加賀一の宮なのであるが、実はその昔はこれより先も、かなり奥まで線路は続いていたのだ。私は残念ながら、その区間には乗ったことがない。加賀一の宮は、そういう平地と山地の境目のような駅で、この先があるならば、ここからいよいよ山岳路線に入るという期待を持たせてくれるような駅である。 単線の小さな駅で、ホームの先端は狭い。恐らく昔はもっと長い編成の列車が行き交ったのではと思うと意外である。そして線路はホーム端から数百メートル先で途切れている。かつては先があったのだと思うと悲しいが、この終着の車止めが今秋にはさらに2.1キロ、金沢寄りに移動してしまうことになる。 門前町らしく、古風な木造の駅舎がある。それほど大きくはないが、立派な駅舎で、北陸鉄道随一の逸品ではないか。そう思うと廃止は残念だ。駅名からもわかるように、ここは加賀国の一宮である白山比咩神社の最寄り駅で、初詣の時だけはこの駅も大賑わいだという。逆に言うと、普段の地元住人の利用は少ないということであろう。 駅舎の中は、小綺麗に整っている。切符売場の窓口もあるが、今は完全な無人駅で、閉鎖されている。善意の貸し傘が置いてある。今も小雨が降っているが、傘の在庫は沢山ある。それだけ利用者が少ないということか。東京近郊だと、ちょっと雨が降るとたちまちなくなるものだが。 駅前の通りは古びているが、しっとりと落ち着いている。雨だから一層そう感じる。しかし活気があるとは言えない。ほんの数キロ金沢寄りは、新興住宅も増えて、若い人も乗り降りしていたのだが、ここは別世界に思える。中鶴来方向に少し歩くと踏切があり、渡るとその先に手取川の豊かな流れが見える。線路がその川に沿ってカーヴしながら上ってきている様子がわかる。鶴来方向の平野部を見ると、住宅が多く、ビルも見える。しかしあのあたりはこの駅の駅勢圏ではない。そういった、ほんの僅かな立地の差で、加賀一の宮の利用者は、誠に少ない。 駅へ戻る。ワンマンの運転士がホームで手持ち無沙汰に発車を待っている。誠に静かな駅である。時間が来て発車。乗客は私の他に1名だけであった。 #
by railwaytrip
| 2009-04-15 09:49
| 中部地方
近鉄が赤字で手放した路線を、三岐鉄道という中小私鉄が引き取って廃線を免れた北勢線。西桑名~阿下喜間20.4kmの単線電化路線だ。この路線の大きな特色は、ナローゲージ、つまり線路の幅が狭い、軽便鉄道規格なのである。
趣味的には面白いが、線路の幅が狭いということは、当然ながら速度制限も低いことになる。これは、基本的に車社会の地域では、スピードの点で命取りであろう。改軌してスピードアップするほどの投資効果も見込めず、よって近鉄は廃止の意向を示したのであった。三岐鉄道への移籍は2003年のことである。 というわけで、かねがね一度乗ってみたいとは思っていたが、中途半端に便利な名古屋近郊なので、いつでも行けると思っているうちに機会を逸し、今日に至ってしまった。 まずは起点の桑名にやってきた。桑名は三重県だが、三重県で一番名古屋に近い市だ。名古屋への通勤通学客の乗降客数は多分三重県一であろう。そういう大都市圏にかかっていることで、どうにか廃止を免れることができたとも言えよう。但し、北勢線の起点は厳密には桑名ではなく、西桑名という別駅である。桑名駅自体はJRと近鉄、それに最近これも近鉄から経営された養老鉄道(元近鉄養老線)が、全て同じ駅に発着する。これらは別会社であっても中間改札すらなく、一体となっている。しかし元近鉄であっても北勢線だけは仲間はずれで、この西桑名駅へ行くには桑名駅の改札を出てちょっと歩かないといけない。駅名が違ってもほぼ同一駅という例も多いが(例・新王寺)、それに比べてもちょっと距離がある。私のように一生にせいぜい数回しか乗らない人間にとっては、それも面白さのうちだが、通勤通学で毎日乗り換える人は、やはりもっと近くあって欲しいと思うであろうし、場合によってはそこが車通勤にするかどうかの分かれ目になるかもしれない。と、そんな事まで心配しないといけないぐらいに、現代人は車の便利さに染まっている。実際、この西桑名駅は、桑名駅にもっと近い位置まで移設する計画があるらしい。 何はともあれ西桑名。ローカル私鉄の起点にふさわしく、小ぢんまりした駅だが、自動改札機があるのにまず驚く。当然、切符も自動券売機で磁気券を購入する。時刻表を見ると、次の列車まで20分ほどある。終点の阿下喜まで行くのは日中は1時間に1本と、少ない。その間に途中の楚原までの列車がある。 駅周辺をぶらぶらして時間をつぶし、発車時刻近くに駅へ戻り、自動改札を通って列車に乗り込む。一番後ろの車輛の後部に乗ってみた。ワンマンなので車掌はいない。空いているので特に感じないが、満席だと前の人の足がぶつかりそうなぐらいに狭い。やはりナローゲージである。11時20分発、定刻に発車。 近鉄名古屋線と関西本線をぐるりと跨いでほどなく、最初の馬道。そして1キロ毎ぐらいにちょこちょこと駅があり、どこも多少の乗降客がある。西桑名だけかと思ったら、各駅に自動改札があるのに驚いた。駅はどこも綺麗で、規模が小さいことを除けば大都市近郊私鉄のようである。沿線は住宅が結構建て込んでいる。左下は2つ目の西別所。 4つ目の在良(写真右上)で最初の列車交換。時間的にあちらの方が乗客が多い。こちらは少しずつ乗客を減らしていく。左下は西桑名から6駅目の七和に停車中の車内。そして8つ目の東員(写真右下)まで来た。ここまでで24分。まずまずと言える。 ここで二度目の列車交換があり、今度はしばらく停車するのでホームに出てみる。まだ真新しい感じの島式ホームの駅で、駅周辺は 農地と住宅などが交じり合う、典型的な都市郊外の風情である。4分ほどの停車だっただろうか、上り西桑名行がやってきて、数名の客を乗せて先に発車、こちらも続いて発車する。 駅間距離がだいぶ長くなって、車窓風景も長閑になり、東員から2つ目の楚原。終点の阿下喜まであと2駅だが、日中は半数の列車がここで折り返す。ここで実に9分も停車する。このダイヤには少々驚いたが、これでも以前より改良されたのだそうだ。朝夕はダイヤが違い、このような長時間停車はなく、最速列車は西桑名~阿下喜間46分だそうだが、日中の下り列車はちょうど1時間かかる。乗客が少ない時間帯だし、利用者の大半は西桑名~東員間あたりであろうから、全体への影響は小さいのかもしれないが、何とも歯がゆいダイヤである。ここ楚原は昔からの軽便鉄道の駅の面影がいくぶん残る風情の駅で、初めての私は9分停車も退屈しなかったが、しょっちゅう乗る人にはまだるっこしいダイヤに違いない。先頭車まで行ってみると、1輛目だけがクロスシート車であった。この車輛だけは、ある程度の客がいるが、残りはガラガラである。 ようやくやってきた阿下喜からの上りを待って、こちらも発車。すっかり客が少なくなり、次の麻生田までは、この線最長の3.7キロあり、時間も9分かかる。しかも麻生田も単線で交換できない。麻生田はこの線で一番田舎の風情を持つ駅で、乗降客もゼロであった。そしてあと5分走り、終着阿下喜に12時20分、定刻に着いた。 後で調べてみると、東員は2005年に前後の駅を統合してできたばかりの新しい駅であるとか、その他にも駅の統合や廃止が色々と行われたことなどがわかった。何かで読んだ記憶はあったが、しっかり認識しないで乗りにきてしまった。そういった事をちゃんと調べて知ってから乗れば、それはそれで別種の感想を持てたかもしれないが、知らずに一度乗ってみた勝手な感想としては、古き良き時代の軽便鉄道を味わうにしては、自動改札などを含め、近代的すぎて、面白くない。沿線風景も、悪くはないが、格別ではない。モダンな通勤通学の鉄道としては、これでも以前より改善されたのだそうだが、最速46分と謳っているところに60分を要する交換待ちの多いダイヤなど、車社会の現代人が日常的に頻繁に利用するには、まだまだ難がある。30分間隔の等時隔ダイヤにこだわらず、各列車の所要時間を最短にするようなうまいダイヤができないものかと、素人ながらに思ってしまった。 阿下喜は長閑な所であったが、駅はリニューアルされていて綺麗で、ローカル線の終着駅といった味わいは稀薄である。それを残した所で外部から大勢の客を呼べるわけでもないので、むしろそういった田舎臭さを払拭して、日常利用を定着させようとしたのだとも思う。駅前も広々としている。私は勝手に、何となく狭い路地の古びた町並みがあるような所かと思っていたが、全く違っていた。 #
by railwaytrip
| 2009-04-11 11:20
| 中部地方
根室本線は、滝川から根室までの幹線であり、滝川はその起点である。しかし、石勝線開通後の今日、新得~釧路間のみが幹線らしい姿で残り、滝川~新得間はすっかりローカル線になってしまった。それでも石勝線開通からしばらくは、札幌から滝川回りの急行「狩勝」が残っていたように記憶しているが、それがなくなって、もうどのぐらい経つのであろう。とにかく現在、滝川~新得間は実質ローカル線である。その区間を走破する普通列車に乗ってみた。滝川15時22分発の新得行である。滝川駅は改札のすぐ横、1番線から発車する。
列車はキハ40型で、たった1輛であった。国鉄時代の面影を残す気動車列車ではあるが、1輛というのが寂しい。起点の滝川では座席が半分弱の埋まり具合であろうか。ざっと30名程度の乗客数だ。時間帯からして高校生がどっと乗っていてもおかしくないが、殆どおらず、中高年の一般客が多い。 この旅の前半部分は空知地方を走る。空知といえば、かつて炭鉱で栄えた地域として知られる。だから、炭鉱が閉山された今は寂れているという見方が一般的だ。しかしそれにも地域差がある。起点の滝川は、函館本線の特急停車駅でもあり、空知の中ではまだ活気がある。とはいえ、大きな街ではない。根室本線がローカル然としてしまったのも、起点の街の規模による面もある。せめて滝川が旭川ぐらいの規模の都市であったなら、なんて考えても仕方ないのだが、とにかく、乗客が少ない時間帯ではないのに1輛の気動車で座席が半分も埋まらないあたりに、今の根室本線のローカル線ぶりが出ていると思う。写真右下は、滝川発車後の車内。 最初の駅が、東滝川。こういう駅名は内地だったら滝川から近いのが普通だが、北海道はその点が違い、7.2キロもある。しかし乗降客はいない。次が赤平で、ここはかつて炭鉱で栄えた赤平市の玄関口だ。斜陽の街に似合わず、と言っては失礼かもしれないが、立派な新築の駅舎がある。しかし駅の裏には石炭積込み施設跡が生々しく残っている(写真左下)。ここは流石に市の中心駅だけあって、数名が下車し、乗車もある。その次の茂尻も炭鉱のあった所で5人下車、平岸はおばさんが1名だけ下車という感じで、どこも駅付近にはそれなりの集落が見られる。茂尻には新しい炭住と思われる建物すらあった。 段々と雪が深くなってきて、次が芦別(写真右上)。芦別市の中心で、赤平より一回り大きく、滝川~富良野間では最大の街だ。やはり炭鉱で栄えたので今は人口も随分減ったが、ここはまだ、炭鉱以外の産業もあるからなのか、寂れ方が小さい気がする。利用者も多く、大半の客が下車し、乗車もある。1輛のローカル線の中では十分活気のある中核駅と言える。駅員は女性で、列車に向かっておじぎをする。 炭鉱地帯なので、炭鉱も住宅も一ヶ所に固まることはなく、あちこちに散らばって存在していたはずである。そのため次の上芦別なども、かつてはそれなりの住宅地であったと思われる。しかしこの列車の乗降客はなかった。ただ、跨線橋で上り列車を待っているらしい客が2名いる。というように、このあたりはまだ無人地帯にはなっていない。人の気配、生活の匂いが十分感じられる。そして次の野花南で上り列車と行き違う(写真左)。炭鉱の香りが薄れ、山が迫ってきた。ここも駅前商店がある。 野花南の次は、かつては滝里という駅があったが、ダム湖に水没してしまい、廃駅となり、線路は長い隧道に付け替えられた。そのため、野花南から島ノ下までは13.9キロもあり、15分ほどかかる。滝川からほぼ1時間の島ノ下は、山峡の寂しい駅で、乗降客はなかった。 次が富良野である。富良野線が合流する鉄道の要衝なので、近づくと貨物線や引込み線が増えて構内が広がり、コンテナが積んである所もあり、大きな駅に近づいたという印象を与えてくれる。人口もこの沿線では多い。といっても2万4千人程度だそうである。ただ、赤平や芦別と大きく違うのは、観光都市のイメージが強い点だ。ラベンダー畑、スキー、ワインなど、富良野の一般的なイメージは良い。しかしそういった富良野観光の中心地、特にラベンダー畑などで有名なのは、ここ富良野駅よりは、富良野線の美瑛から中富良野の方面であり、それらへの輸送は旭川とここを結ぶ富良野線の役割となる。実際、富良野線は、北側は北海道第二の都市旭川の近郊輸送でそこそこ栄えているし、南側はそういった観光路線のイメージが強く、要するに明るい感じがする。それに比べると、私が今回乗っている根室本線は、ひたすら渋く、枯れた味わいがある。その渋さこそが根室本線の魅力だと思うし、私はこちらの方が好きだが、一般の観光客に乗ってもらうには、もっと具体的な何かが必要なのだろう。 16分停車の富良野では、私と一人の男性客を除き、全員が下車した。代わって同数ぐらいの客が乗り込む。停車時間が長いのでホームに下りてみる。観光客がホームの置き人形をバックに記念写真を撮り合っていたが、後で車内で会話を聞いて、中国人とわかる。多分台湾人であろう。滝川から富良野までは、車中にも車窓にも、およそ観光といったイメージが全く存在しなかったのだが、富良野に来てそれが変わった。とはいえ、列車が観光客で溢れたわけではなく、富良野から帰宅の途につく高校生も十数名という感じで、やはり生活列車には違いない。 16時44分、定刻に富良野を発車。一瞬華やいだかと思ったが、動き出せば渋い根室本線の旅が再開され、今度は富良野盆地を南へ、引き続き空知川を遡りながら進んでいく。富良野発車時点での乗客は、今までで一番多い。それが、布部3名、山部7名、下金山2名、金山1名と、駅ごとに下車していき、空いてきた。時間的にも帰宅列車なのである。金山では二度目の列車交換がある(写真左下)。野花南同様、上下のホームが互い違いになっており、停車中に相手の列車が横に見えない構造だ。 金山を過ぎると金山湖が広がる。4月なのにまだ結氷しており、中国人観光客が珍しそうに眺め、カメラを向ける。この区間の車窓は景色が良く、変化に富んでいる。そんな景色をのんびり眺めていると、突然警笛がなり急ブレーキがかかる。何かと思えば、鹿が列車の直前を横切ったのだ。その鹿が3頭、振り返って列車を眺めている。彼らもやはり冷や汗をかくのだろうか。そして金山湖が目の前に広がる東鹿越。左手の車窓は景色が良く、観光客に降りてもらっても良さそうな立地だが、右手の駅裏が荒々しい採石場なので、無理かもしれない。ここは民家は殆どなく、乗降客もいない。ホームに石灰石の見本が置いてある(写真右上)。駅裏で採れる石なのだろう。 次が南富良野町の中心駅、幾寅で、かつては急行停車駅であった。しかし、幾寅のはずなのに、一段低い所にある駅舎にかかっている駅名標は「ほろまい」であり、「ようこそ幌舞駅へ」という大きな看板が掲げてある。これは映画「鉄道員」のロケのためらしいが、ロケが終わった後も、観光用に名前を残してあるらしい。浅田次郎作のそのオリジナルの小説は、私も読んだが、イメージとしては、炭鉱地帯の行き止まりの盲腸線で、廃止になった幌内線、万字線か歌志内線あたりがモデルかと思われる。幾寅はどう考えても結びつかないのだが、現存している駅を使う以上は、まあ仕方ないだろう。その幾寅では6名下車し、乗車も2名あった。富良野からの女子高生も一人下車、所要50分と、結構な長距離通学だ。夕暮れのホームにポツンと降り立った所は絵になる。 幾寅を過ぎるとだいぶ山も深くなり、人家もめっきりと減る。そしていよいよ狩勝峠越えの手前最後の駅、落合に着いた。ここでは男子高校生が3名下車し、跨線橋があるのに渡らずに、列車の後ろの線路を横断している。いつものことなのか、運転士もいちいち咎めないようである。狩勝峠を控えた落合は、かつては補機の増解結などで忙しい駅だったはずである。そんな時代はとうに過ぎて、今は山峡の無人駅になっている。ここ落合と次の新得との間は、28.1キロもあり、長いこと、在来線の最長駅間距離として、鉄道豆知識などに登場していたものだった。 落合発車時点での乗客は、私を除き6名で、そのうち3名が富良野から乗った中国人旅行者、2名は幾寅から乗ってきた女性で、あと1名は、多分富良野から乗っている中年男性である。というわけで、滝川からの全区間を通じて最少の乗客数となり、最長の駅間距離に挑むわけだ。と言っても、数分走って隧道に入ると、早くも右側から石勝線が合流してくる。そこが隧道内にある上落合信号場である。この信号場は、石勝線開通以前から存在しており、後から石勝線が開通し、合流地点に選ばれたというわけである。従って、ここから先は、札幌からの特急でも通る区間であり、単線の線路は根室本線と石勝線の二重戸籍になる。二重戸籍区間の距離は24.1キロにも及ぶ。これは日本一の長さであろう。 根室本線に石勝線が合流してきたとは言っても、実質は石勝線の方が幹線である。高速運転に完璧に対応している石勝線は、線形も良く、最高速度の設定も高いのであろう。今や老兵と言ってもよいキハ40型気動車も、ここからスピードが上がる。右へ左へと大きくカーヴを繰り返しながら峠道を行く。遠くに見える新得の町の夕景が、徐々に近づき、そして夜景へと変わりつつある薄暮の中を、1輛の気動車は快調に飛ばし、定刻18時08分に終着新得に到着した。落合から新得までの所要時間は24分なので、この区間の表定速度は70キロに及ぶ。かつて日本一の駅間距離だったということもあり、長いぞ長いぞと思って乗っただけに、むしろあっという間であっけなく着いてしまった感じがする。新得での下り列車接続は18時25分発、始発の帯広行で、中国人の3人連れが乗り換えていた。私は乗車の目的を終えたので特急で札幌へ向かうのだが、そういう乗換客はいなかったようである。 #
by railwaytrip
| 2009-04-08 15:22
| 北海道地方
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