東武日光線・柳生駅

 東京の私鉄で一番長い複々線区間を持つ東武伊勢崎線も、東武動物公園で伊勢崎線と日光線に分岐すると、いずれもローカルムードが漂ってくる。それでも最近は地下鉄乗り入れ区間が延びて、その先まで地下鉄の車輛が入ってくるようになった。しかしそれも日光線は南栗橋までで、その次の、東北本線乗り換え駅、栗橋を出ると、首都圏脱出という感じになってくる。

 このあたりは県境が複雑に入り組んでいて面白い。東北本線は、栗橋、古河、野木の連続する3駅が、埼玉、茨城、栃木と、全て違う県に属する。太平洋に面した東の茨城県が内陸に無理やり突っ込んできた感じの所である。古河市は茨城県である。他方、東武日光線の栗橋の次には新古河という駅があるが、ここは茨城県古河市ではなく、埼玉県北川辺町になる。東武日光線は茨城県を全くかすめない。その新古河の次、柳生までが埼玉県北川辺町で、その先で群馬県板倉町に入り、板倉東洋大前という新しい駅に停まり、そこを出ると今度は栃木県藤岡町に入り、藤岡に停まる。よってここも、柳生、板倉東洋大前、藤岡の3駅が、埼玉、群馬、栃木と、3駅連続で県が変わる。板倉東洋大前は1997年開業の新しい駅で、できる前は、東武日光線は群馬県を通りながら、県内に駅が一つもないという状態であった。

 そんな北関東3県と埼玉県の県境が入り組んだあたりの地図を眺めているうちに、柳生駅が埼玉・栃木・群馬の3県の県境に極めて近いことがわかる。駅から歩いて5分程度で、その3県の県境にたどりつけそうである。もっとも県境というのは川だったりして、厳密な県境に立つことのできない場所も多い。しかしここはごく普通の平地のようである。

 柳生は東京の通勤圏を少しはずれたローカルムードも漂う駅であった。もっともホームは長く、跨線橋もあり、駅の雰囲気は全くの田舎のそれではない。しかし駅舎は昔ながらの木造の小ぢんまりしたもので、駅前も商店や住宅があるものの、東武動物公園以南のベッドタウン駅に比べると鄙びている。利用者もそのあたりとは比較にならないぐらい少ないが、昼間の乗降客が僅かしかいない本当のローカル駅と比べれば、ちゃんと利用されている感じだ。本数は1時間に3本程度。


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 駅の改札を出て、線路に沿った細い道を左へ、左に下りホームを見ながら歩く。道端に蜜柑の木があり、実がなっている。ちょっと長閑な気分になれる。1分も行くと踏切がある。踏切を渡ると、道路はすぐ左右に分かれる。左への道には「渡良瀬遊水地 谷中湖中央エントランス あと900m」という看板があり(写真右下)、一応観光客向けのウォーキングコースになっているらしいことがわかる。


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 そこを左へ行く。まっすぐずっと行けば谷中湖だが、私は、ほどなく続いて現れるT字路の2つ目を右へ曲がる。ここはまだ埼玉県である。そして1分と歩かないうちに小さな交差点がある。その交差点の手前は埼玉県だが、交差点そのものは群馬県に属する。写真左下がそれで、写真を撮るために立っている場所は埼玉県だが、交差点は群馬県である。


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 その交差点を過ぎてさらに100メートル弱で、T字路にぶつかる。そのT字路のすぐ手前までは群馬県であるが、T字路自体は埼玉県である。写真右上は群馬県から撮っているが、突き当たりは埼玉県である。手前は空き地だが、向こう側は写真のように住宅が並んでいる。

 そのT字路を左に曲がると、曲がった瞬間に群馬県に戻るが、群馬県は20メートル程度しか続かず、その先、今度は栃木県に入る。写真左下は栃木県に入った先から撮ったもので、車が2台停まっているあたりまでが栃木県、その先ちょっと群馬県で、3軒目の家からは埼玉県である。手前右にあるミラーの柱には、ちゃんと「藤岡町」という栃木県の町名が書いてあった。


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 つまり、このあたりがまさに3県の県境なのである。柳生駅から直線距離では300メートル程度であろうか。そして、その道路に沿って数軒並んでいる住宅のうち一つが、3県の県境にあるようである。こういう家の住所表示や固定資産税などは一体どうなっているのかと思うが、ごく普通の民家であり、プライバシーを詮索してはならないので、覗き込んだりせず、遠くから写真だけ撮って終わりにする。ちなみにその隣の家は、ほぼ埼玉県だが、庭のほんの一部分が栃木県にかかっていそうである。写真右上は、埼玉県に戻った側から振り返って撮った写真で、左奥の家は栃木県で、間に群馬県がちょっと入っている。

 この辺の詳しい地図を見ていると、ここ以外にも、このあたりには、2軒並んだ家が両方とも埼玉県と栃木県にまたがっている所があったりと、県境が地形や道路と関係なく走っていて、県境を無視して土地家屋が所有や賃貸されていると思われる所が多い。

 今回は寄らなかったが、北へもう少し歩けば谷中湖がある。その北側は広大な渡良瀬遊水地である。かつてはもっと広い範囲が池であったが、今は大半が渡良瀬緑地になっており、自然の宝庫となっているようである。渡良瀬遊水地は足尾の鉱毒を下流に流さないための調整目的で作られたというのが定説であり、今も場所によっては土壌に銅などの鉱毒物質がかなり含まれているという。谷中湖のあたりには、その昔、谷中村があったが、この遊水地を作る頃、強制移住により廃村になっている。このあたりはそういった、日本の公害の原点とも言われる足尾の鉱毒とも縁が深い場所だ。しかしそれと、この県境の走り方とは、あまり関係がないと思われる。

 余談であるが、埼玉県は、北関東3県の他、東京、千葉、山梨の、計6都県と都県境を接している。そのうち東京・千葉・茨城・群馬県とは、県境を越える鉄道も国道も存在する。これらの都県境を越えたことのある人は山ほどいるだろう。山梨県との境はもっぱら山で、国道が1本、隧道で超えている他は、ハイキングコースの山道しかない。そして、埼玉県と栃木県の県境は、このあたりの平地ではあるが、距離にして2キロ程度しかなく、この県境を越える鉄道も国道もない。唯一、県道が通っているが、この県道がまた面白い。栃木県道・群馬県道・埼玉県道・茨城県道9号佐野古河線というらしく、僅か1キロほどの間に、埼玉、栃木、群馬、埼玉、栃木と、県境が目まぐるしく変わる。これが唯一、一般に埼玉と栃木の県境を越える、道らしい道で、それ以外は路地のような小さな道がいくつかあるだけである。よって、埼玉と栃木の県境を越えたことがある人は極めて少ないであろう。今回、この柳生駅付近を訪問した私も、埼玉栃木県境は越えなかった。訪問した3県の県境に近い地点からあと2~3分も歩けば、超えることができたのだが、それをせずに立ち去ったのがちょっと心残りであった。
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# by railwaytrip | 2008-11-14 12:10 | 関東地方

Lichfield Trent Valley Station

 バーミンガムは、中部イングランドの中核都市の一つで、市の中心に近いニューストリート駅を中心にして、30分に1本程度の近郊列車が各方面へ走っている。日曜日の夕方、その1つで、ほぼ真北へ向かう路線に乗ってみる。終点は、リッチフィールド・トレント・ヴァレー(Lichfield Trent Valley)で、約40分かかり、途中12の駅に停まる。終点の一つ手前が、Lichfield City 駅で、そこがこのリッチフィールドという市の中心に近いらしい。朝夕はこの駅で折り返す列車もある。それに対して終点の Trent Valley 駅は、乗換駅であり、駅こそ大きいが町は小さいらしい。その程度の知識で出かけてみた。この Trent Valley という名前は、近くに美しい渓谷か何かがあるのかと思わせるのだが、地図で見る限り、平坦地のようだ。実際、英国の平地を象徴する運河が近くを流れている。それも不思議である。

 Birmingham New Street からの列車は3輛編成で、最初はそこそこ賑わっていたが、駅ごとに少しずつ客が下車し、Lichfield City まで来ると、残っていた客の大半が下車してしまった。ガラガラとなった列車は、牧草地の中を走り、そして停まった。他の線区との合流駅なのに、そんな気配もなく、横から別の線路が近づいてくるわけでもなく、いきなり停まった。そこが、終着の Lichfield Trent Valley 駅であった。


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 終着だから、皆、下車するが、その数は多くない。ホームに降りてみてわかった。ここは高架の上にある単線のホームの3番線であり、1番線と2番線は下にあるのだ。つまり立体交差になっているのであった。一応複線なので、4番線のホームも残っているようだが、使われていないらしい。駅だけ単線にして、1本の列車が着いては折り返すという仕組みになっているようだ。線路は先へも続いているようだが、今は少なくとも旅客列車は走っていない。貨物などがあるのかどうかはわからない。

 細い階段を下りていくと、簡素な駅舎があり、そこからホームに入ると、1番線である。相対ホームで、間は追い越し線がある。新幹線の途中駅のような構造である。向かいの2番ホームには、グラスゴー266マイル、ロンドン116マイルと書いた立派な石の碑のようなものがある。伝統ある幹線なのであろう。


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 駅舎に戻って時刻表を見る。バーミンガムには、できれば同じ線で戻るのではなく、この線でどこかへ行って、別の線で戻りたい。しかし全く駄目であった。日曜日の今日は、何と列車が1本もないのである。平日は数本があるようだが、非常に少ない。こちらの方が明らかに立派な幹線なのに、一体どういうことであろう。やはり主要都市のバーミンガムを通らないルートなので、寂れてしまっているのだろうか。

 帰ってから調べてみると、この線は、ラグビー(Rugby)からスタフォード(Stafford)までが区間の、Trant Valley Line という名称のついた歴史のある路線だということである。今も、ロンドンからマンチェスター・リヴァプール方面へ、バーミンガムを経由せずに抜けるルートとして、それなりに使われているらしい。ただ、そういう特急列車は、このあたりの途中駅には停車しないようだ。そのため、ここを含むこのあたりの駅に停まるローカル列車の本数が極端に少ないようである。そうと知ると、次回はそのローカル列車に乗ってみたいと思う。
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# by railwaytrip | 2008-09-07 16:50 | イギリス

八高線・高麗川~高崎

 東京に最も近いローカル線であり、非電化路線でもあった八高線だが、残念ながら?南半分は電化されてしまい、東京都内でディーゼルカーが走る姿が拝めなくなってしまった。その時から、八高線の南半分は、一足先に電化された川越線とセットで通勤型電車による運転となり、ローカル色も薄れてしまった。今は実態としては、八王子~高麗川~川越が一つの線区で、高麗川~高崎が別の線区のようである。その昔、八王子発高崎行という長距離のディーゼル列車があった頃が懐かしいが、今さらそれを言っても仕方ない。今回は、その八高線の非電化区間である高麗川から高崎への列車に乗ってみることにする。


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 起点の高麗川駅は、川越線とも接する主要駅だが、駅舎は昔のままで、古びていて小さい。地下道もこれまた昔のままだ。隣の東飯能も、昔は駅舎や地下道が似たような感じだったが、すっかり変貌してしまった。高麗川もいつまでもこのままではないであろう。ともあれ今現在は、ローカル線同士の接続駅であった頃の面影をしっかり残している。趣味的に言うと、とてもいい感じの駅である。

 乗るのは11時43分発の高崎行で、キハ110という新型気動車の2輛編成である。今や1輛や2輛の気動車列車など、珍しくもないが、首都圏に限って言えば、やはり破格に短い。東京の人が近場でローカル線の旅を楽しむには、一番手頃な線区かもしれない。しかも空いていて、乗車率は5割以下と思われる。ただ、首都圏だなと思えるのは、スーツ姿のビジネスマンっぽい客が散見される点だ。本当の田舎にいくと、ローカル線の客は高校生とお年寄りが殆どなのだが、ここはやや違う。


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 最初の停車駅は毛呂。東武越生線の東毛呂とも近く、毛呂山町の中心でもあり、駅の西側には高層の立派な大学付属病院が立つなど、全くの田舎ではないのだが、駅舎は田舎駅のたたずまいである。下車客が結構多い。次いで越生。東武越生線の乗り換え駅である。個人的なことだが、小学生の頃、黒山三滝などにハイキングに行った帰り、バスでこの駅に着いた。その時、八高線のホームには屋根すらなかったのが妙に印象的であった。東武のホームには一応屋根があり、子供心に、ここは国鉄より東武の方が主役の駅なのかと意外に思ったものだった。今は勿論、どちらにも屋根はあるし、跨線橋まであって、当時の超田舎駅の面影はない。写真右上は、越生駅停車中の車内で、向こうに東武越生線が見える。

 越生を過ぎると風景はますます渋くなる。もともと地味な埼玉県の中でも特に地味な地域をゆったりと走るローカルな八高線は、やはり味わい深い。次の明覚は都幾川村の代表駅だが、首都圏に近いのに、まだ村のまま残っているのが嬉しい。そして明覚から小川町までの間は駅間距離が8キロもある。

e0028292_242419.jpg 小川町は、和紙で有名な町だ。東武東上線が池袋と結んでいるが、流石にこのあたりは東京への通勤圏としては遠すぎるようで、まだ地方都市らしさの濃い町だ。次回は下車してゆっくり歩いてみたい町である。ここでは下車の方が多く、乗車は僅かで、列車はますます空いてしまった。小川町から寄居までの間は、東武東上線と八高線の両方がある区間で、こんな田舎に、と言っては失礼だが、正直、2本もの路線があるのが過分な感じではある。小川町からしばらくは両線が並行し、分かれたあたりに、八高線の竹沢と、東上線の東武竹沢が至近の距離にある。そのためか、竹沢は八高線全駅で乗降客数が最も少ない駅だそうだ。それでもこの列車からは数名の下車客があった。そして無人駅の折原を過ぎ、荒川を渡ると寄居である。

 この寄居という駅もなかなかだと思う。田舎町なのに3本もの異なる鉄道が集まる要衝となっている。大都市圏を除いて、3社もの鉄道が集まる駅なんて、そうそうないだろう。兵庫県の粟生あたりが、大都市からの距離といい、何となく近い感じがする。寄居は粟生よりはずっと大きな町だが、それでも昔から市ではなく町なのである。ここで高校生を含め乗客が結構あった。小川町~寄居間は、東上線も使える区間だからか、八高線では輸送密度が一番低い区間らしく、列車本数にもそれが表れている。

 ところで、こうして東京郊外の町や村を結び、東京からの私鉄ともちょくちょく連絡する八高線のような線は、短距離の乗客が殆どかと思っていたが、高麗川からずっと同じ席に座っているビジネスマン風の人は、寄居を過ぎても下車しない。スピードの遅い単線のローカル線には違いないが、それでも例えば八王子から高崎へ行こうと思った場合、中央線で東京へ出て新幹線に乗っても、所要時間はいくらも変わらない。それでいて運賃・料金では大差がつく。東京西部から高崎へ、ないし上越・長野新幹線沿線へ出張という場合に、八高線経由になることもありうるのだ。そういった客も多くはないが、確実に数名はいるようである。

 寄居から乗ってきた高校生などは、埼玉県が終わる丹荘までの4駅で全て下車した。しかし、一般客に関しては、県境で極端に客が減るということはない。埼玉県でも最北部の児玉あたりだと、最寄りの主要な商業都市は高崎、次いで前橋である。埼玉県内でそれに相当する都市はどこかというと、熊谷や飯能あたりかと思うが、規模的に見劣りがする。あとは大宮、浦和、川越、所沢など、いずれも遠い。しかも埼玉・群馬の県境である、丹荘~群馬藤岡間には、別に険しい峠があるわけでもない。神流川という川が県境になってはいるが、恐らく昔から国境を越えての交流がそれなりにあったと思われる。

 その神流川を越えて群馬県に入った最初の駅が、群馬藤岡で、ここは藤岡市の中心駅だ。八高線の埼玉県側の市としては高麗川の日高市が最後で、そこから先はここまで市がなかった。しかし、こう言っては藤岡市に悪いが、小川町や寄居と大差ない感じがする。時間帯のせいもあるのか、乗ってくる客も多くはない。

e0028292_242437.jpg 群馬藤岡の次が北藤岡で、北藤岡が近づくと右手から高崎線が寄り添ってくる。そして単線の小さな北藤岡駅は、高崎線の線路のすぐ横にある。ここはどちらかというと、高崎線に乗っていて、左から単線のローカル線が近づいてきて、ポツンと小さな駅が見えるという、その風景の方が面白いかもしれない。高崎線にも北藤岡駅を造る話はあるらしいが、なかなか実現しないようだ。八高線の路線としての終点は、次の倉賀野なのだが、実際の線路は北藤岡を出ると間もなく高崎線に合流してしまう。そして複線電化で線形も良い高崎線の線路上をこれまでより高速で走ると、高崎線の駅にしては、これといって何もない倉賀野。それでも、八高線から見れば本庄・熊谷方面への乗り換え駅なので、多少の下車客があった。

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 そしてもう一駅、高崎線上を高速で走り、終点の高崎に着いた。高麗川から乗り通していたスーツ姿のビジネスマンが、少なくとも2人いた。高崎のホームは切り欠きの3番線で、跨線橋にも遠く、他線への乗り換えにちょっと余分に時間がかかる。高崎で見る八高線は、ここでは一番のローカル線である。最近は高崎線にグリーン車までついているから、余計に都会の電車との格差を感じてしまう。駅も立派で、八高線の途中駅では見られない自動改札もある。それでも東京では見られなくなった、115系湘南色の電車もあり、ちょっと旅情を感じる。何はともあれ、八高線は今も渋く情緒のあるローカル線であり、これはこれでいつまでも発展しないで残ってほしいと思ってしまうのである。
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# by railwaytrip | 2008-07-07 11:43 | 関東地方

北陸本線・福井~粟津

 北陸地方の普通列車には、まだ国鉄型車輛が多い。オーソドックスな急行型や近郊型に混じって、寝台特急電車改造の不思議な車輛もあって、なかなか面白い。しかしこれらも敦賀の方から順次新型車輛への置き換えが始まっているので、余命も長くないかもしれない。そう思って、国鉄時代の旅を彷彿とさせるような、北陸本線鈍行旅行をしばし味わおうと福井へやってきた。


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 土曜の朝、8時41分発の金沢行に乗る。411系という国鉄時代の近郊型車輛で、当時の面影が良く残っている。平日なら通勤通学時間帯だが、それでも福井から金沢方面の下りに乗る通勤客は多分少ないだろう。6輛編成と、それなりの長さなので、空いているが、客層はというと、家族連れや若い女性のグループなどが結構多い。

e0028292_4321752.jpg 福井の近郊区間は4つ目の芦原温泉までである。最初の駅、森田も、改札のある右手こそそれなりに開けており、マンションなどが建っているが、左手は一面の田園だ。そんな所を一駅ずつ停まりながら行くのだが、各駅とも下車よりは乗車の方が多い。芦原温泉(写真左)でも結構乗ってきた。一般的に言うと、ここから峠を越えて県が変わるのだから、芦原温泉までで一旦ガラガラになって、峠を越えた大聖寺ぐらいから、金沢へ向けて段々と客が増える、という感じなのが、県境越え区間のパターンである。しかしここはそうではない。きっと週末は福井県側の人達も、遊びや買い物の目的地は、県都福井市よりは、金沢なのであろう。北陸三県における金沢の求心力はかなり強いようである。


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 芦原温泉を過ぎると谷が迫ってきて、細呂木、牛ノ谷という2つの小駅を過ぎる。細呂木(写真左上)はまだ駅前に人家も多いが、牛ノ谷(写真右上)はこの区間で一番閑散とした、山の中の駅で、駅周辺に建物もあまり見られない。そんな駅でも若干の乗車客がある。牛ノ谷を発車するとすぐ、県境の牛ノ谷隧道に入り、出ると石川県になる。峠越えといえば、富山県との境にも、倶利伽羅峠という山越えがあり、倶利伽羅駅というひっそりした小駅がある。加賀の国(石川県)は、北陸本線以外に県境を越える鉄道がなく、その鉄道も両県境ともしっかりした峠越え区間で、国境越えの雰囲気がある。加賀に独自の文化が育った背景には、そういった地形的要素もあろう。しかし現代の人々はそんな意識もなく、気軽に県境を越えて金沢へ遊びに行く。

e0028292_4335989.jpg 牛ノ谷隧道は、1キロもなく、長い隧道の増えた今日ではものの数にも入らない。出るとゆるいカーヴを平野へとゆっくり降りていき、住宅が増えてくると、石川県最初の駅、大聖寺(写真左)に着く。もともと大聖寺はこのあたりではちょっとした主要駅で、駅周辺にもそれなりの集落があり、かつては山中温泉へ行く北陸鉄道も出ていた。その跡地はホームや線路こそ撤去されているが、今も空き地として残っており、ここだなとわかる。実は私も小学生の頃、家族旅行でこれに乗って山中温泉へ行った。駅自体もそれなりに立派で風格がある。特急こそ殆ど通過するが、主要駅の風格を今も保つこの駅からは、大勢の客が乗ってきた。

 大聖寺の次は、元は作見(さくみ)という小駅であったが、今は加賀温泉といい、特急停車駅である。このあたり一帯は加賀温泉郷で、海側、山側それぞれに、大小いくつもの温泉地があり、特に関西の奥座敷としても発展してきた。かつては大聖寺、動橋(いぶりはし)、粟津、小松と、作見を除くと各駅が急行停車駅クラスの駅であり、私鉄やバスで温泉地と連絡していた。そのうち大聖寺、動橋、粟津の3駅の機能を集約すべく、作見を加賀温泉と改め特急停車駅にしたわけだが、それから既に38年が経つ。今は作見駅時代を知らない人が多数派であろう。優等列車通過駅に降格された、大聖寺、動橋、粟津の3駅は、いずれもそういう意味では寂れてしまった。その加賀温泉は、特急が停まり便利な駅だが、特急券のいらない普通列車もそれなりに人気があり、ここでも乗車が結構いる。

 その次が難読駅の動橋で、駅の手前、田んぼの向こうにぼんやりとビル街が見えるのが片山津温泉である。加賀温泉郷を代表する温泉街の一つで、動橋が最寄り駅だったが、歩けるほど近いわけでもなく、バスやタクシーなら加賀温泉からでも大差ない。そのため、片山津温泉へ行く人が動橋駅を利用しなくなって久しい。動橋駅衰退の理由の一つであろう。それでもここからも金沢へ行くらしい地元の若い人が賑やかに乗ってきた。既にボックス席は殆ど埋まってしまい、デッキに立つ人もいる。

 次が粟津である。私はここで降りる。どこもそうだが降りる客は僅かで、乗る人が断然多い。ここにも粟津温泉という温泉地があるが、山中・山代・片山津に比べると知名度も低い。明らかにこの駅が最寄なのだが、バスも小松からしか出ていないらしい。かつてはここも北陸鉄道で結ばれていたそうだが、ここは廃止が1962年と古く、流石にもう何の面影もないようである。駅周辺は住宅と工場が多く、その工場の多くが小松製作所関連らしい。というわけで、観光客の利用は殆どない、日常的な駅である。特急が停まらないからそうなったとも言えよう。しかしホームが2つあり、駅舎とは地下道で結ばれている。その地下道は古くて薄暗いものの、風格がある。元急行停車駅の貫禄は十分である。駅舎も昔からの木造のようだが、だいぶリニューアルされているのか、ぱっと見た感じは古びていない。

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 地方の鈍行列車といえども、6輛編成と長く、駅ごとに賑やかにお客が乗ってくる様子は、一昔前の鉄道の活気を今に伝えてくれた。この先、小松から金沢へ向けて、さらに賑わうのであろう。このまま金沢まで行きたかったが、時間の都合でここまでしか乗れないのがちょっと残念であった。

※ 一部の写真は、戻る時の上り列車から撮影していますので、実際この列車から見られる風景とは若干異なります。
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# by railwaytrip | 2008-07-05 08:41 | 中部地方

徳島線・学駅

 徳島からは、高徳本線、徳島本線という2つの本線が出ている。但し現在、JR四国は本線と呼ぶことを廃止して名称を変えてしまった。いずれにしても、元・本線はこの2線である。一般的に考えると、県庁所在地間を結ぶ高徳線の方が幹線らしい幹線で、県内の阿波池田とを結ぶ徳島線の方はローカル線ではないかと思える。確かに特急の運転本数を見るとそうなのだが、ローカル列車に関しては逆で、県境を越える高徳本線は、途中で本数が激減するし、実際乗ってみると県境付近はかなり寂しい。それに対して徳島線は、吉野川沿いの開けた所を走るので、どこまで行っても結構人家も目立ち、普通列車の利用者がそれなりに多い。これもひとえに大河である吉野川のおかげであろう。

 徳島から普通列車で40分ほどの所に、学(がく)という漢字一文字の駅がある。特急の停まらない小駅であるが、駅舎もあり、交換設備もある、ローカル幹線の中級クラスの駅である。いつの頃からか、受験生のお守りとしてこの駅の入場券が売れ始めたため、結構良く知られている。もっとも受験生がわざわざこの駅まで入場券を買いにくるわけではなく、郵送での注文が殆どらしい。ともあれ話題性のある駅、ちょっと下車してみた。


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 相対ホームの交換駅で、構内は結構広い。長大編成の列車同士が十分行き違いできるが、今は3輛ぐらいまでであろう。駅舎は木造で、上に櫓がついているのがユニークだ。この地方の標準建築というわけでもなく、このあたりでも学駅だけらしい。とにかく思ったよりは立派な駅らしい駅で、駅前には「学タクシー」もある。但し商店はない。待合室には、列車を待っているのかどうか、地元の人が2人ほどいる。切符売場の窓口もあるが、閉まっている。

 駅前に車が停まり、おばさんが降りてきた。駅舎に入ってきて、「あら、閉まっているのね」という。待合室にいた人が「午前中だけですよ」と答える。「あらそうなの、残念ね。車で通りかかって、ああ、ここかあ、と思って寄ってみたんですよ」とのこと。もとより鉄道マニアでも切符収集家でもない普通のおばさんと思われるが、そういう人がこんな風に立ち寄ってくれる程度に知名度も上がっているようだ。


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 阿波池田行の列車がやってきた。平日の昼下がりで乗客は少ないが、地元の人が数名下車した。駅名以外にこれといったことのない平凡な所であるが、地元の利用者がしっかりいる。こういう輸送機関としての鉄道本来の姿がまだしっかり見られるのは嬉しい。
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# by railwaytrip | 2008-07-02 13:49 | 中国・四国地方