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Divača ~ Koper

 スロヴェニアは、旧ユーゴスラヴィアが分裂してできた国の一つである。その中で一番に安定・発展し、いちはやくEU入りを果たした。小さくて地味な国だとは思うが、意外と面白い。

 スロヴェニアに詳しい方はそんなに多くないと思うので、改めてこの国の地図を眺めていただきたいのだが、そもそも地図を見る以前に、スロヴェニアには海があるかどうか、という質問に即座に答えられるであろうか。地図を見れば、一応あることがわかる。しかし海岸線の距離は極めて短い。イタリアとクロアチアが海岸線を沢山取ってしまって、スロヴェニアは僅かしかもらえなかった、とでも言いたくなるような恰好になっている。

 その貴重なスロヴェニアの海岸線沿いには、町が3つほどある。中でも一番大きく、唯一鉄道もあるのが、Coper(コペル)で、スロヴェニアにとっての重要な貿易港になっている。EUになってEU内の物の移動には通関も必要なくなったのだから、自国に海がなければ隣のイタリアの港でも借りれば特に支障ないのでは、なんて考えたくなるが、無論そう単純には行かないだろう。スロヴェニアにとってコペルへの陸路は、道路であれ鉄道であれ、物資の輸送路として重要な生命線なのではないだろうか。

 というのは、実は私も後から気づいたことで、私がCoperに行きたいと思った理由は、もっとずっと単純である。それは、途中区間の細かな鉄道路線図を見たからである。そこには行って戻るようにぐるりと大回りする大カーヴがある。地図で見つけた時は、釜石線の陸中大橋をさらに大規模にしたような感じだなと思った。こういう線路の敷き方は、決して稀とは言えないし、勾配緩和目的であることも想像はつく。だが例えば磐越西線にしても狩勝峠にしても、もっと左へ右へとカーヴを何度も繰り返しながら標高差を稼いでいっている。その点ここは、まっすぐ行って、まっすぐ戻る、それだけである。地図以外の情報もほとんどなく、絶景路線を紹介するような書物にも出てこない。そうなると、どんな所か想像がつかないので、余計に行きたくなる。

 首都Ljubljana(リュブリアーナ)から南西へ、イタリアへとつながる幹線を104キロほど行くと、Divača(ディヴァーチャ)という駅がある。そのまままっすぐ行くと、スロヴェニアの最後の駅はSežana(セジャーナ)で、Sežanaを出ると線路はすぐイタリアに入り、トリエステ方面へと至る。Divačaから南へ分岐する支線は、さらに少し先で二つにわかれ、一つは南へ、国境を越えてクロアチアのPula(プラ)まで行く。もう一つは西へ分かれる。これがCoperへ行く線である。この分岐点とCoperの間に「スロヴェニアの陸中大橋」の大カーヴがある。

 先にSežanaを訪問してから、戻りのLjubljana行きに乗り、Divačaで下車した。Divačaは大きな駅舎を持った駅だ(写真左下)。その割と町は小さそうである。それでも一応の町であり、ちょっと高台にある駅前から眺めると、そこそこ住宅がある。駅前には保存蒸気機関車が展示してあるので、鉄道の町だったのかもしれない。


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 少し待った後、Ljubljana方面からやってきたIC503列車は、日本の旧国鉄なら急行ぐらいに相当するインターシティーの長距離列車で、嬉しいことに、機関車が牽く5輛編成の客車列車であった(写真右上)。一等車はもちろん、食堂車までついている。二等車は普通の座席車とコンパートメントが混在している。空いたコンパートメントもいくつかあったので、その一つに入り、座った。

 この列車は、オーストリア国境に近いMaribor(マリボール)を朝の6時50分に出て、首都Ljubljanaを通ってさらに南下してきたという、国内南北貫通列車である。Ljubljanaで運転系統を分けず、所要5時間の直通列車として運転されている。Divača発は11時01分で、終着Coperまで49キロを49分で走るから、表定速度60キロで、わかりやすい。途中停車駅1つ、通過駅4つ。

 Divačaを出ると、Sežanaを経てイタリアへと西へ向かう本線と分かれ。ほぼ90度のカーヴを描き、南へと針路を取る。電化はされているが、単線になった。するとこれまでより景色が荒涼としてきた。小駅を1つ通過し、次に停まるのが、Hrpelje-Kozinaという駅で、大きな駅舎があり、駅員がいる(写真左下)。しかし、下車した人は僅かのようであった。


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 Hrpelje-Kozinaの次が、Prešnicaという駅で、ここが、このまま南下してクロアチアへと向かう線と、西へ分かれてKoperへ向かう線との分岐駅である。しかしここは小さな単線の無人駅で、この列車も停車しない。駅周辺も人家は散在しているものの、まとまった町など無さそうな所であった。

 分岐後も、カーヴを繰り返しながら荒涼とした山の中を走る。ブドウ畑が多い。スロヴェニアのこのあたりは隠れたワインの産地だそうだ。次のCrnotičeは、交換設備はあるが、小さなホームと待合所があるだけの駅であった(写真右下)。通過駅だが停車して貨物列車と行き違う。時刻表によれば、この駅に停車する列車は、下りKoper行きは、朝6時41分の1本だけで、上りは14時02分と19時39分の2本だけである。その14時02分の方は、私がこれから帰りに乗る予定の列車である。こんな駅の乗降客がいるのだろうか。そんなことが今から楽しみになってくる。


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 Crnotičeを出ると、いよいよ大迂回区間に入る。地図によれば、CrnotičeからRižaraという信号場と思われる所まで、直線距離では3キロぐらいしかない。そこを鉄道は、約17キロほど大迂回して走るのである。

 まずはぐるりと左へほぼ180度、向きを変える。すると右手に谷の風景が広がる。その向こうに、これから先に通る線路だろうと思われるものが見える。そこまでの高低差もなく、そんなに大迂回しないといけないほどの地形とも思えないが、線路はその昔、蒸気機関車が難なく登れるようにと考えて敷かれたのであろう。


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 そんな所を時に森の中を、時に荒地を、時に小さな集落を、そして時にブドウ畑を見ながら快適に進む。勾配はゆるいが、それでも徐々に下っていっているのがわかる。Hrastovljeの手前では、この後通過する線路が本当にすぐ真下に見える所がある。それを過ぎるとまた少し下の線路が離れていき、向こうに小さな駅が見える(写真左下)。Hrastovljeである。その先で線路はぐるりと180度回り、列車はHrastovljeを通過、ここもCrnotičeと同様、下り1本、上り2本しか停車しない駅である。

 今度は右手上方に、今通ってきたばかりの線路を見ながら、列車はさらに高度を下げていく。そしてようやく左へゆるやかなカーヴを描き、通ってきた線路が見える風景も終わる。その先に信号場があり、列車は停まった。反対には貨物列車が停車している。ここがRižaraであろう。来る前にグーグルマップで調べてきたところ、ここも駅として描かれているが、現地の駅でもらった列車時刻表には掲載されていないし、実際に来てみると、ホームもないので、列車行き違いのための信号場に違いない。


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 貨物列車とすれ違うだけですぐ発車するのかと思ったら、機関士が降りてきて、客車の下を点検している。ブレーキの具合でも悪いのだろうか。それで5分ほど停まった。このまま動かなくなったら困るなと思っていたが、何とかなったらしく、発車。そこから先は徐々に平地が広がり、いかにも山から町に下りてきたという風景になり、人家も増えてきて、終着Koperに定刻より5分ほど遅れて到着した。


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 Koperは、ホーム2面の行き止まりの終着駅であった。空いているとは思っていたが、5輛の列車からはそれなりの数の乗客が降りてきた。大きな荷物を持った人も多い。建設中なのか、ガラス張りのモダンな新駅舎が一部だけで営業中で、駅周辺も新開発地のような雰囲気で、格別の風情はない。


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 ここはスロヴェニア唯一の、海に面した駅である。駅自体から海は見えないが、西へ歩けばすぐ港で、その雰囲気が駅付近でも感じられる。はるばるたどりついた終着駅、という感慨もあるが、実はイタリアのトリエステまで、直線距離では12キロしかない。旧市街は駅から北へ数分歩いたあたりから始まる。大きな道路を1本渡って旧市街へ入ると、それまでと雰囲気は一変した。

 イタリアっぽいと言えばそんな感じの、細い路地の続く古い家並み。教会があり、小さな広場があり、昔から営業していると思われる小さな家族経営のお店が並んでいる。特に著名な観光施設はなさそうだが、旧市街全体がいい雰囲気で歩き回れる。列車に乗っている間は今ひとつパッとしないどんよりした天候だったが、歩いているうちに薄日が差してきて暖かくなってきた。春が来た、そんな言葉がピッタリのひとときであった。1時間半という滞在時間も、長すぎず短すぎず、ちょうど良かった。


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 駅へ戻り、13時29分発Divača行きの客となる。さきほど降りた時に、隣のホームに2輛の古びた気動車が停まっていたのを確認しているが、やはりその列車であった。行きと帰りで全く違う雰囲気の車輛に乗れるのが、これまた嬉しい。このDivača行きは、Divačaまでの途中5駅の全てに停車する。中途半端な時間帯の鈍行だからか、乗客は少ないが、Divačaで、Sežana始発のLjubljana行きに接続しているので、大きな荷物を持った長距離客っぽい人も多少乗っている。発車時に数えてみると、乗客は私を含め8名で、全員が1人客であった。意外にも若い人が多い。


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 気動車らしい重々しい唸りをあげて定刻に発車。今通ってきた所をエンジンをふかして上っていく。坂を下る往路が客車で、坂を上る復路が気動車というのも、鉄道らしい旅を味わうのに最高の組み合わせだったなと思う。偶然組めたスケジュールだが、良かったと思わずにいられない。

 町並みが途絶え、山へと分け入っていき、左手奥にこれから上って行く線路らしいものが見えてくると、最初の停車駅、Hrastovljeである。案の定、誰も乗降しない。もはや駅としての機能は終えているとしか思えないが、朝夕は利用者がいるのだろうか。この駅を定期的に使う人がいるとすれば、朝は6時49分発でKoperへ行き、帰りはKoper発19時12分発で帰ってくる。たまに早く帰れる日はこの列車で帰る。そんな風になるわけだが、普通の通勤通学の時間帯としてはKoperでの滞在時間が長すぎるように思う。恐らく定期的な利用者はおらず、たまにHrastovljeの住人が思いついたように利用する程度なのではないか。信号場としての機能は必要だから、信号場に降格させるほどのこともなく、何となく温存している、そんな気がする。駅間距離も長いので、一部が不通になった時のバス代行機能のためにも、駅として残す必要があるのかもしれない。


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 そんな事を考えながら発車を待っていると、谷の向こうの線路に機関車の警笛が聞こえ、何と赤い電気機関車の三重連がこちらへ向かって下ってくるではないか。貨車はつながっておらず、機関車だけの回送列車である。臨時なのか、遅れているのか、それとの行き違いを待って発車したので、こちらの発車も時刻表より3分ほど遅れた。

 そしてぐるりとカーヴを回り、Hrastovljeの駅を左下へ見下ろしながら、気動車はエンジン全開で、今通ってきた線路を左へと見ながら坂を登っていく。次のCrnotičeも乗降ゼロ。ここでもKoper行きの三重連機関車に牽かれた貨物列車と交換する。Koperへのこの路線が貨物のためにあることは、乗ってみて良くわかったし、だからこそ勾配緩和が優先で、線路がここまで大回りして敷かれているというのも、納得はできた。しかしそれも蒸気機関車時代の設計には違いなく、今なら強力な電気機関車があるから、もう少し路線を短縮したいところではないか、なんて思える。無論、今さらお金をかけて線路を敷き直してまで短縮する必要もないのだろう。この路線はこれからも、スロヴェニアの貨物の動脈として、旅客列車ともども、生き残っていくであろうと思われる。
 
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by railwaytrip | 2011-03-18 11:01 | スロヴェニア

Bréauté-Beuzeville ~ Fécamp

 フランスは日本より面積が広い国だが、細長い日本と違って、割と丸いので、日本ほど南北の長さは感じない。それでも北と南、東と西では、気候風土も気質も違いが大きいとは感ずる。それでいてどこに行っても、いかにもフランス。このフランスならではのアイデンティティーは、言葉では説明できない独特の雰囲気を持っている。少なくとも私はフランスに行くたびに、強く感じる。

 今回行ったのは、ノルマンディー地方である。パリの西北西にあたり、パリを流れるセーヌ川の下流地域である。また、海を隔てているが、ロンドンのほぼ真南にあたる。

 前の晩にパリからの列車で Rouen(ルーアン)に着き1泊した私は、この朝、Rouen からさらに西へ、Le Havre(ル・アーブル)行きの列車に乗った。パリから Rouen までは、ノンストップで1時間10分である。Rouen はセーヌ川下流域にある、大聖堂が有名な古都で、Le Havre は、セーヌ川河口に開けた港町である。少しフランスに詳しい人なら、多分これらの街は知っているだろう。

 私はその途中、Bréauté-Beuzeville(ブレオテ・ビューズヴィル)という駅で降りた。ここで分岐する Fécamp(フェカン)行きの支線に乗り換え、Fécamp という所に行ってみることにしたからである。理由は特にない。Le Havre も行ったことはないので行きたいが、それよりは、この支線が何となく気になった。


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 Le Havre 行きの列車はパリからの直通で、編成も長く乗客も多い。Bréauté-Beuzeville は分岐点にあるというだけの小さな駅だが、下車客は結構多かった。Fécamp への乗り換え以外には特に何もない。このあたりはセーヌ川とも離れており、駅は平凡な田園地帯にポツンとあって、大きな特徴もない。Fécamp への支線は、ここからひたすら北へと走り、イギリス海峡に面した北海岸の町Fécamp で終着となる。Fécamp はそこそこの規模の港町らしいので、鉄道が残っているのは何となくわかる。ただ、その起点の Bréauté-Beuzeville は、何故ここが分岐点になっているのだろう、と思わせるような所にある。


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 Le Havre 行きで下車した人の多くは、駅前から徒歩、バス、迎えの車などで散ってしまったようだ。Fécamp 行きを待つらしき人もいるが、多くはない。10分ほどの接続で悪くないのだが、ホームに列車は入っていない。と思ったら、ここ始発ではなく、Le Havre からやってくるのだった。何と1輛の新型ディーゼルカーであった。ガラガラでやってきて、ここで10名弱が乗り込むが、それでも空いている。

e0028292_445939.jpg 発車するとあっさりと本線と分かれてカーヴをし、北へと進路を取る。あとはもう、黙々と淡々と、ひたすら田園地帯を走る。特に目を惹くような車窓ポイントもない。しかもこの季節の北ヨーロッパらしいどんよりとした天候のため、風景に陰影も乏しい。Fécamp まで19.7キロあり、途中駅はない。所要22分。もっともかつては途中駅があったようで、今その廃駅らしき所は廃車輛の墓場のようになっていた。

 スピードは速くもないが、のろのろでもない。本線のような快適さはないが、乗り心地も悪くない。しかしフランスはこういった支線はどんどんバスへと置き換えているようで、先行き心配である。


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 終着 Fécamp は、ホーム1面だけだが、錆びた引込み線が何本もあり、かつては活況を呈した終着駅だったと思われる。今の駅舎は小さい。ホームは長く、そこにポツンと1輛の新型気動車が停車した風情は何となく寂しい。


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 駅から錆びた線路に沿って先へ行ってみる。すぐ先が港であり、恐らくかつては貨物が港まで来ていて、ここから船積みもしていたのではないだろうか。そして坂道を丘の上に進めば市街地がある。思ったより大きな街である。


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 街を歩いてみた。ノルマンディーの港町、と思えばそんな気がするし、他のフランスとは違うような気はする。折から街の広場では、小さな音楽隊が演奏をしていた。小さなお祭りという感じであった。スコットランドのバグパイプ楽団とはまた少し違うのだが、いくぶん近い雰囲気であり、音楽もケルト系のようであった。詳しいことはわからないが、そちら方面とのつながりを感じる雰囲気の音楽に、ノルマンディーにいることを実感した次第であった。
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by railwaytrip | 2011-02-05 10:47 | フランス

Perl ~ Thionville

 EU内の国境審査を廃止して人の流れを円滑にするための協定により、世界的に名が知られるに至った、ルクセンブルク南東端の村、Schengen(シェンゲン)。ここは首都ルクセンブルク市から見ると、はずれのはずれである。と言っても、もともと小さな国の中での話。直線距離では23キロ程度である。鉄道はなく、ルクセンブルク市から行くには、バスを2本乗り継いで行かなければならない。

 Schengen は、ライン川の支流、モーゼル川沿いの長閑で小さな村である。モーゼル川流域は良質な白ワインの産地として知られる。Schengen もその一つで、周囲のなだらかな丘の多くがブドウ畑になっている。


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 この村はモーゼル川の左岸にある。村の中心に橋があり、渡るとドイツの Perl(ペルル)である。そしてここからモーゼル川をちょっと遡ると、そこはもうフランスである。Schengen は、これら3つの国の境界にある村であるゆえに、協定の締結地に選ばれた。実際の調印は、モーゼル川に浮かぶ船上でなされたというから、象徴的である。

 Schengen には鉄道はない。けれども対岸のドイツ・ペルルには、ペルル駅がある。Schengen の村の中心から5分も歩けばたどりつける。こことTrier(トリアー)の間に、ドイツ国鉄DBが平日日中は1時間に1本の普通列車を走らせている。モーゼル川右岸をゆく長閑な路線で、モーゼル川の風情を楽しませてくれる、地味ながら好ましい路線である。

 線路は Perl から南へも続いている。ほどなくフランスに入り、入って間もなく、Apach(アパック)という駅がある。Perl から2キロ弱で、並行道路もあるので、歩いても30分弱という近さである。そのApachからはフランス国鉄が、モーゼル川上流のThionville(ティオンヴィル)まで、ローカル列車を一日数本、走らせている。

 つまりこの路線は、ドイツの Trier とフランスの Thionville を結ぶ、2ヶ国にまたがる国際路線である。にもかかわらず、国境の僅か2キロの区間、Perl~Apach 間の一駅だけは、列車がほとんど走っていない。ほとんど走っていないが、皆無ではない。それが面白いというか不思議である。

 具体的に言うと、平日は国境を越える旅客列車は1本もない。しかし土日のみ、Trier~Perl~Thionville~Metz という快速列車が1日2往復、走っている。Perl から Thionville の間には、駅が5つあるが、この国際快速は1つを除いて通過する。フランスの国境駅 Apach にも停まらない。

 この不思議な列車に乗るため、前日からルクセンブルクに泊まっていた私は、土曜の朝、ルクセンブルク駅前9時10分発のバスに乗った。約25分、Mondolf(モンドルフ)という所で別のローカルバスに乗り換える。そして約20分、Schengen にやってきた。10年ほど前にも来たことはあるが、今回もまた時間が止まったようなのんびりした田舎の静かな村である。変わったと言えば、前回は無かった高速道路が山の上のはるか高い所でモーゼル川を跨いでいる。

 モーゼルの河畔に、Schengen 協定締結の記念碑があり、ドイツ語、フランス語、英語で解説がある。上にはEUの旗がたなびいている(写真左下)。対岸はドイツの Perl の村である。そのすぐ脇に、ドイツへ渡る国境の橋がある。橋の手前に、フランス2キロ、ドイツ1キロ、という道路標識がある(写真右下)。最近、大雨が続いていたので、モーゼル川は氾濫寸前というまでに水かさが増していた。


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 冬の土曜の朝だからか、車は結構通るが、歩行者は全く見かけない。ましてや観光客など皆無である。歩いて橋を渡り、ルクセンブルクからドイツへ入る。橋から見下ろせる位置に Perl 駅がある。以前と特に変わった様子はないが、駅前は何やら工事をしている。駅へ行くなら、橋を渡り終わったところで歩行者専用の階段を下りていくのが早い。


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 ドイツ側の終着駅で、Trier からのほぼ全ての列車がここで折り返す。折り返し前提の駅だからか、複線だが、ホームは片面しかない。古いながらも立派な堂々たる駅舎だが、今は無人化されており、駅舎の一部はパブになっている。切符はホームに自動券売機がある。

 ドイツという国は無賃乗車に厳しいというか、容赦ない国で、切符を持たずに乗ると理由を問わず、否応なしに高額の罰金を取られるという。全ての駅に自動券売機があるので、無人駅から乗ったというのは理由にならないそうだ。

 私はルクセンブルク国内限定の乗り放題切符を買ってあるので、ここドイツの Perl からフランスの Thionville を経由して、ルクセンブルクに入った最初の駅 Bettemburg(ベッタンブール)までは、別途切符を買わなければならない。自動券売機の表示を英語に変えて、あれやこれやと試してみたが、Bettemburg までの切符は買えない。それどころか、乗換えなしの Thionville すら買えない。壊れているのかと思って、試しに Trier を入力してみると、すぐに切符の種類や値段が出てきたので、壊れているわけではない。ドイツ国内専用なのかと思って、ルクセンブルクと入れてみると、これも値段が出てきた。しかし、私の乗るルートではなく、何と遠回りの Trier 経由での運賃が出てきた。ここからルクセンブルクへ、わざわざ Trier 経由の列車で大回りして行く人がいるとは思えないが、とにかくそういうことになっている。結局、土日に2本しか運行されないこのルートを通る切符は、データが入っていないため、買えないということのようである。


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 そうこうするうちに発車時刻が近付いてきたのだが、列車は現れないし、人の姿も全くない。本当に列車が来るのだろうかと心配になったが、3分遅れで、トリアー方面から赤い車輛の列車が見えてきた。

 それはフランス国鉄の車輛であった。僅か1輛だが、真新しい車輛である。Perl では2人の下車客があった。Trier から Perl までの区間は日常的な利用者がいるので、たまたまこの列車があったから乗ったという人だろう。乗車は私だけで、車内に入ると、空いてはいるが、一応席の半分弱が埋まるぐらいの客は乗っていて、大きな荷物を持った人も多い。観光客でもなさそうで、用事があってある程度の距離を移動する人が、たまたまこの列車があるから利用したという感じに思われる。

 Perl を発車し、今渡って来た道路橋の下をくぐる。どこが国境かは定かではないが、すぐに国境を越えてドイツからフランスへ入った筈である。そのあたりはゆっくりと走る。やがて右手、モーゼル川との間に沢山の線路が広がってくる。国境駅独特の風景で、貨車がいくらかは停まっていたが、広大な敷地のほとんどはガランとしている。そんな所にある国境駅 Apach を通過。ここから先は、フランス国鉄の区間列車が平日4往復、休日2往復ある。この運転本数は究極のローカル線である。だがとにかく、毎日列車が走っている区間に入ったからか、新型気動車はスピードを上げた。

 乗客は中高年のお客が多く、新聞を読んだりおしゃべりしたりしている。景色を眺める人はほとんどいない。土日に2往復しかない列車だから、たまたま乗り合わせたというよりは、この列車に合わせて乗っている人であろうが、この列車が無ければ別のルートで移動するのであろう。私のように、こんな珍しい不思議な列車があるからと意識して乗っている人は誰もいないようであった(写真左下)。


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 Apach の次が、停車駅の Sierck-les-Bains(シエルク・レ・バン)で、古いが立派な駅舎がある(写真右上)。下車はなく、おばさんが一人だけ乗ってきた。切符を買っていないので心配という風情で右往左往している。ホームに降り立った車掌が、いいから乗れ、と合図をしている。

 発車後、その車掌が回ってきて、まずそのおばさんに切符を売る。次いで私の前にもやってきた。私が Perl で乗ったのもお見通しのようである。フランスの車掌で、言葉もフランス語であった。恐らくドイツ語もできるのであろうが、既にフランスに入っているし、ルクセンブルクでもそうだが、一般に仏独両国圏の人は、外国人に対してはフランス語を使う。実際、ドイツ語よりフランス語の方が国際語としては上であろうが、こちらはフランス語もカタコトしか理解できない。

 その車掌が携帯発券機で、Bettembourg までの切符を出そうとするのだが、いくらやっても出てこないようである。Perl の自動券売機同様なのか、困ったものである。そしてしまいには何やらフランス語で長々と説明をしつつ、切符を売って料金を徴収した。あまり理解できなかったのだが、切符を見ると、この列車の終着、Metz までとなっている。どうやら同じ料金だからこの切符でBettembourg まで乗っていい、と言っていたようである。しかし次の列車で検札が来たら、すんなりと通るのであろうか。ちょっと不安ではある。

 列車は相変わらず右手にモーゼル川のおっとりした流れを見ながら、流れに沿ってカーヴを繰り返しながら走る。それでも Thionville が近づいてくると人家が増えてくる。さらにはモーゼル川の対岸に大規模な施設が見えてくる。火力発電所かと思ったが、後で調べると原子力発電所であった。フランス第三の規模で、相当なものらしい。

 そうしているうちに、モーゼル川とも離れ、列車は Thionville 駅に滑り込んだ。Thionville は中規模の街で、ルクセンブルクに近いので、ルクセンブルクへ通勤する人も多いらしい。ロレーヌ北部の代表的な都市はこの列車の終点 Metz だが、ここもそれに次ぐぐらいの規模がある。


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 Thionville では乗っていた客の3割ぐらいが下車した。代わりに乗り込む人が何倍も多く、僅か1輛の列車はほぼ満席になったようである。ここから先は1時間に1本以上の列車が走る高頻度区間である。そういう区間だけ利用する人は、たまたまこの列車が来たから乗っただけであって、この列車が土日しか走らない Trier からの珍しい列車であることなど、意識にもないであろう。

※ この区間は、ドイツとフランスとにまたがりますが、フランス側の方が距離が圧倒的に長いため、便宜上、フランスのカテゴリーに分類しました。
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by railwaytrip | 2011-01-08 10:42 | フランス

Barking ~ Gospel Oak

 ロンドンは欧州最大の都市の一つで、都心に鉄道のターミナルが沢山ある。その数はもしかすると世界一かもしれない。ターミナル間やターミナルと周辺の郊外は、主に地下鉄が結んでいる。ゾーン1に属する都心部が、東京の山手線内よりちょっと広いぐらいの印象がある。ロンドンとその周辺に出入りする殆どの鉄道路線が、何らかの形でゾーン1を起終点とするか、通過している。反面、郊外相互間の横の連絡はあまり発達しておらず、多くの地域ではバスがカバーしている。

 そんな郊外の横の連絡の路線の中でも老舗の一つが、北東部のバーキングと北部のGospel Oak(ゴスペル・オーク)を結ぶ、ブリティッシュ・レール(国鉄)の路線である。古い路線だが、あまり発展しておらず、未だに非電化で、2輛編成のディーゼルカーが1時間に2~3本程度という運転本数である。都心からの距離で言うと、東京なら武蔵野線ぐらいか、もう少し都心寄りを走っているぐらいなのだが、ロンドンにはそんな路線が残っている。しかし乗客は増えていて、近いうちに改良されて近代化される話もある。そういう話を聞いてしまうと、今のうちに一度乗っておきたくなるものである。


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 夕方のラッシュにはまだ少し早い16時代、地下鉄ディストリクト線でゾーン3のバーキングへ着いた。国鉄の中距離列車も停車する、ちょっとした拠点駅で、東京で言えば柏とか立川ぐらいであろうか。しかし駅周辺は普通の商店が並んでいるだけで、デパートが集まる中核駅ではない。というよりも、ロンドンは都心を離れて郊外に行くと、そこまで大きく開けた拠点駅はない。それでも、乗降客・乗換え客で、駅はそこそこ活気があった。特に地下鉄は発着が頻繁である。


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 その一番はずれの1番線が、目指す Gospel Oak 行きのホームである。駅の時刻表を見ると、次の発車は16時54分発で、約10分待ちである。

 乗り慣れた電車とは違う、気動車独特のエンジン音は、鉄道に特に関心のない一般利用者でも、違いを感じるであろう。イギリスは郊外に出れば気動車は珍しくないが、ロンドンにしばらく滞在して電車ばかりに乗っていれば、やはりこれは違った音に感じられる。そんな気動車ならではの大きな唸りをもって、重々しく到着。僅か2輛の短い編成だが、それなりの数の下車客を吐き出すと、折り返しの利用者が乗車。乗車率は半分弱というところか。東京と違って完全クロスシートである。

 発車すると、左にロンドン中心部へ向かう地下鉄としばらく並行するが、やがてあちらが左へカーヴして分かれていく。その後は概ね郊外の住宅地という感じの所を通る。駅はどこも相対ホームで、ちょこちょこと乗り降りがあるが、多くはない。2~3駅ごとぐらいに都心部と郊外を結ぶ地下鉄と交差している筈だが、あちらは地下なので、知らなければわからない。乗換駅は殆どない。地図を見れば徒歩乗換えができそうなところはあるが、そういう利用者はあまりなさそうである。ロンドンは日本の大都市と違って地下鉄とバスが運賃面でも一体化されているから、10分も歩いて鉄道同士で乗り換えるぐらいなら、バスを組み合わせて使うのだろう。


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 それでも夕方の人の移動の多い時間帯なので、駅ごとに乗降がある。段々空いてくるわけでも混んでくるわけでもない。写真左上は西日がまぶしかった Leyton Midland Road(レイトン・ミッドランド・ロード)駅の反対ホーム、写真右上はホームで待っている乗客の多かった Harringay Green Lanes(ハリンガイ・グリーン・レーンズ)である。しかし突出して乗降客の多い駅はない。唯一、地下鉄(Victoria Line)と乗換えできる、Blackhorse Road(ブラックホース・ロード)でも、特に乗降客は多くなかった。その先でちょっと池のある公園の中を通ったぐらいで、あとは概ね変化に乏しいロンドン郊外の住宅地である。しいて言うと前半より後半区間の方が、やや高級な感じの所が多かった。

 途中駅は10駅で、平均3~4分ごとに停車する。賑やかそうな商店街がある駅もあれば、駅前から住宅地といった駅もある。最後の停車駅、Upper Holloway(アッパー・ホロウェイ)を出ると、最後の区間はスピードが遅くなり、おごそかに、という感じで終着の Gospel Oak に着いた。所要時間は36分であった。

 Gospel Oak は、ブリティッシュ・レール同士の乗換駅で、地下鉄は来ていない。駅を出てみたが、お店も殆どなく、案外寂しいところであった。もちろん徒歩圏内にそれなりの住宅があるから、乗降客も少なくないが、それよりは乗換え客の方が多い。Barking から乗り通した人が何人いるかわからないが、印象としては、かなりの乗客が途中で入れ替わっていたと思う。


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 ロンドンの鉄道路線図を改めて見てみると、この Gospel Oak という駅は、3方向のどの路線も都心へ向かっていない。東1キロほどの所に地下鉄 Northern Line の駅が2つあり、それが都心へ直通している。もう少し乗り継ぎを便利にすればという気もするが、行先によって路線を使い分けるだけのことなのだろう。だからこのブリティッシュ・レールの駅は、ロンドンの割にはローカル線っぽい今の雰囲気を今後も保ち続けてくれるかもしれない。それでもここで接続している路線は電化されており、電車が走っている。このあたりのロンドン至近距離での非電化区間は、やはり貴重になりつつある。
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by railwaytrip | 2010-02-26 16:54 | イギリス

Lichfield Trent Valley Station

 バーミンガムは、中部イングランドの中核都市の一つで、市の中心に近いニューストリート駅を中心にして、30分に1本程度の近郊列車が各方面へ走っている。日曜日の夕方、その1つで、ほぼ真北へ向かう路線に乗ってみる。終点は、リッチフィールド・トレント・ヴァレー(Lichfield Trent Valley)で、約40分かかり、途中12の駅に停まる。終点の一つ手前が、Lichfield City 駅で、そこがこのリッチフィールドという市の中心に近いらしい。朝夕はこの駅で折り返す列車もある。それに対して終点の Trent Valley 駅は、乗換駅であり、駅こそ大きいが町は小さいらしい。その程度の知識で出かけてみた。この Trent Valley という名前は、近くに美しい渓谷か何かがあるのかと思わせるのだが、地図で見る限り、平坦地のようだ。実際、英国の平地を象徴する運河が近くを流れている。それも不思議である。

 Birmingham New Street からの列車は3輛編成で、最初はそこそこ賑わっていたが、駅ごとに少しずつ客が下車し、Lichfield City まで来ると、残っていた客の大半が下車してしまった。ガラガラとなった列車は、牧草地の中を走り、そして停まった。他の線区との合流駅なのに、そんな気配もなく、横から別の線路が近づいてくるわけでもなく、いきなり停まった。そこが、終着の Lichfield Trent Valley 駅であった。


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 終着だから、皆、下車するが、その数は多くない。ホームに降りてみてわかった。ここは高架の上にある単線のホームの3番線であり、1番線と2番線は下にあるのだ。つまり立体交差になっているのであった。一応複線なので、4番線のホームも残っているようだが、使われていないらしい。駅だけ単線にして、1本の列車が着いては折り返すという仕組みになっているようだ。線路は先へも続いているようだが、今は少なくとも旅客列車は走っていない。貨物などがあるのかどうかはわからない。

 細い階段を下りていくと、簡素な駅舎があり、そこからホームに入ると、1番線である。相対ホームで、間は追い越し線がある。新幹線の途中駅のような構造である。向かいの2番ホームには、グラスゴー266マイル、ロンドン116マイルと書いた立派な石の碑のようなものがある。伝統ある幹線なのであろう。


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 駅舎に戻って時刻表を見る。バーミンガムには、できれば同じ線で戻るのではなく、この線でどこかへ行って、別の線で戻りたい。しかし全く駄目であった。日曜日の今日は、何と列車が1本もないのである。平日は数本があるようだが、非常に少ない。こちらの方が明らかに立派な幹線なのに、一体どういうことであろう。やはり主要都市のバーミンガムを通らないルートなので、寂れてしまっているのだろうか。

 帰ってから調べてみると、この線は、ラグビー(Rugby)からスタフォード(Stafford)までが区間の、Trant Valley Line という名称のついた歴史のある路線だということである。今も、ロンドンからマンチェスター・リヴァプール方面へ、バーミンガムを経由せずに抜けるルートとして、それなりに使われているらしい。ただ、そういう特急列車は、このあたりの途中駅には停車しないようだ。そのため、ここを含むこのあたりの駅に停まるローカル列車の本数が極端に少ないようである。そうと知ると、次回はそのローカル列車に乗ってみたいと思う。
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by railwaytrip | 2008-09-07 16:50 | イギリス

Fabriano ~ Pergola

 イタリアの首都ローマから、細長い半島を横断して東海岸の町、Ancona(アンコナ)へと抜ける路線は、さほど栄えているように見えないが、幹線の一つである。その途中、Anconaまでの3分の2ぐらい行った所に、Fabriano(ファブリアーノ)という町がある。地味な町で、観光ガイドブックなどにも登場しない。降りてみると、駅前にはモダンなビルが目立ち、つまらなそうな特徴のない町かと思うが、ちょっと歩いてみると、やはり情緒たっぷりのイタリアらしい古い町並みが健在であった。とはいえ、こういう町は、イタリア全土、あらゆる所にあるのであろう。


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 私がここに降りたのは、ここから、一日3往復というローカル盲腸線が出ているからである。広いイタリアで、広いヨーロッパで、そういうローカル線は他にも沢山あるだろう。しかし、こういうローカル線には、なかなかタイミング良く乗れるものではない。たまたまスケジュールがうまく組めたので、昼さがりのFabrianoへとやってきた。乗るのは13時45分発のPergola(ペルゴラ)行きである。Pergolaまでは、途中3駅に停車し、32分かかる。Pergolaでは8分の停留で折り返し、Fabrianoに14時53分には戻ってこられる。できることなら、Pergolaに1時間か、せめて30分でも滞在して町を歩いてみたいが、こういう究極のローカル線では、それが難しいのは、日本と同様である。

 日本では、3往復レベルの盲腸ローカル線は殆ど消えてしまったが、あるとしても、1輛のワンマンカーであろう。しかしここは3輛編成と、思ったより長い。乗客はというと、学生が多いようである。学生の帰宅時間にはちょっと早い気がするが、とにかく意外に乗客が多い。一般客もある程度乗っている。僅か3往復の路線をよく使いこなすものだと思う。

 Pergolaの折り返し時間が8分しかないので、遅れては困るのだが、何とものんびりしたもので、何の理由もなさそうだが、5分ほど遅れて発車した。おばさんの車掌が回ってくるが、切符はチェックしない。列車は案外スピードを出し、町を抜けてぐんぐんと進む。山に分け入る、と言っても、そこまで険しい地形でもなく、若干の上り勾配という程度で、沿線はぱらぱらと牧草地あり、住宅ありで、別段特に寂しい所ではない。


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 そんな所を15分走ると、山の上に城のようなものが見えてきて(写真左上)、Sassoferrato-Arceviaという駅に停まる。かつてはもっと乗客が多かったのであろう、駅舎は古いが、大きく立派な建物である。ここでかなりの客が降りる(写真右上)。20人余り降りたであろうか。私の乗っていた先頭車の前半分は、数名いた客が全てここで降りてしまった。


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 ここを出ても、風景はさして変わらず、長閑な田舎を快走し、5分ほど走るとMonterosso Marcheという駅に停まる(写真右上)。ここも立派な駅舎があるが、2人ぐらいしか降りなかった。すぐ発車し、もう一つ、Pergolaの町の入口といった感じの寂しい所にあるBellisio Solfareにも停まる。ここは乗降なくすぐ発車。ここから4分で、終点のPergolaである。それなりに広い構内と堂々たる駅舎を持つ、あっけらからんとした終着駅だ。かなり快走してきたので、遅れを取り戻すべく頑張ったのかと思ったが、5分遅れのままであった。ということは、普段から結構なスピードで走っているのであろう。


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 Pergolaは、かなりの下車客があった。私が乗っていたあたりには他に誰もいなかったが、後ろの車輛には学生がグループでずいぶん乗っていたらしい。迎えの車もいれば、駅前に停めてあった自転車やバイクで家路に着く学生もいる。そんな駅前風景をゆっくり観察したいが、折り返しの発車時間が迫っている。運転手と車掌は、駅舎に入って何かやっていて、そんなにすぐ発車しそうもないが、発車時間を過ぎているのに、いつまでも写真など撮っていては、置いていかれそうだ。しかし、彼らは実にのんびりしていて、結局7分遅れでの発車となった。折り返し列車の客は私一人だけである。殆ど回送同然なのであろう。


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 発車すると、さきほどの車掌が回ってくるが、やはり切符もチェックしないし、行って戻るだけの変な東洋人にも至って無関心である。それでも駅で写真などを撮っていたので、どういう人間かはわかっているのだろう。日本ほどではないにしても、イタリアあたりでも、たまにはそういう鉄道好きの客もいるに違いない。

 折り返しは、小さい2つの駅は通過し、Sassoferrato-Arceviaだけ停車する。ここでおじさんが一人だけ乗ってきた。そして、Fabrianoでは、手前の信号で長く停車し、結局10分以上遅れての到着となった。そのため、6分の接続で乗り継ぐ予定のローマ行きは、定刻に出てしまっていて乗れなかった。
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by railwaytrip | 2008-01-07 13:45 | イタリア

Biasca ~ Airolo

 スイスの鉄道路線図を見ると、ループ線が沢山ある。流石はアルプスを有する山岳国だ。ローカル線もあるが、幹線もある。日本でも、北陸本線の敦賀の手前に、特急が頻繁に行き交うループ線がある。かつては上越線の上り線もそうであったが、新幹線開通後はすっかり寂れてしまった。

e0028292_504749.jpg その中から一つ選んで乗ってみる。チューリッヒとイタリアのミラノを結ぶ幹線で、その南半分には、30分の間に4つものループを回ってくれる区間がある。その南側の駅、Biasca(ビアスカ)へやってきた。Biasca は、スイス南部のイタリア語圏にある小さな町だ。イタリア国境のChiasso(キアッソ)からLugano(ルガノ)を中心としたエリアの北端にあたり、ここまではSバーンも来ているという駅である。構内は広く、いかにもここから峠越えの険しい道を行く、という感じの駅である。恐らく昔は補助機関車が沢山たむろしていたのであろうが、詳しいことはわからない。雪がある程度積もっているものの、さほど深くない。

 乗るのはIRというリージョナル列車で、各駅停車ではないが、区間によってはそれに近い役割を担い、区間によっては快速か、急行に近い役割を担う列車で、ある程度の長距離客も利用することがある。この区間、日中は1時間に1本が綺麗な等間隔で走っている。トーマス・クックの地図を見ると、ここと次のFaido(ファイド)の間に2つ、FaidoとAirolo(アイロロ)の間にも2つ、ループがあり、くるくると回りながら峠を上っていく様子が、地図を見るだけでも想像つく。Biasca~Faidoが26kmで23分、Faido~Airoloが20kmで18分(停車時間含む)なので、表定速度は60キロを超えている、それなりの高速列車である。

 列車は機関車が客車8輛(うち荷物車1輛)を牽引する長い編成で、乗車率は2割程度と、空いている。お客も地元の人ばかりのようだ。隣のボックスのおじさんは、犬を連れている。何とも長閑な列車である。他の乗客は誰一人、一生懸命車窓を見たりはしていない。

e0028292_51726.jpg Biasca を出ると、しばらくは家も多いが、勾配を上っている感じはわかる。両側は山で、線路はその谷間を走っている感じだ。左は高速道路がまとわりついていて、汽車旅の風景の楽しみを半減させてくれている。今やこれはどこへ行っても仕方ないことである。ループはまだかまだかと心待ちにしているうちに、隧道に入り、右へ右へとカーヴが続くので、ここかなと思う。隧道を出ると、だいぶ高い所になり、左手下方に、今走ってきたに違いない複線の線路が見えた。少し行くとまた隧道に入り、また右へ右へとカーヴ。もう一回りして、さらに上ってきたのだが、今度の左下の景色は通ってきた線路がはっきり見えぬまま、まっすぐ先へと進む。その後は意外に直線に近い線路を快調に飛ばし、Faidoに停まる。小さな町で、乗降客も僅か。すぐ発車する。

e0028292_512462.jpg Faidoからも、同じようにしばらくは谷間を快走する。数分後、隧道に入り、今度は左回りのカーヴが続く。列車の編成が長いこともあり、カーヴが続いている感じは良くわかるのだが、今度はループの上からの下界は良く確認できなかった。少し直線が続き、今度はまた右回りのループである。こちらはループが終わりかける頃から隧道を出て、少し行くと左手に、今通ってきた線路がはっきりと見えた。道路が邪魔だが仕方ない。再び隧道に入り、出ると小さな駅があるが、通過する。この区間はこのIR列車が1時間に1本だけのはずで、それが通過する駅というのは、どういうことだろうか。朝夕のみの停車かもしれない。そして、その後も高速道路とつかず離れず、だいぶ上ってきたかな、と思う頃に、Airolo到着である。

e0028292_513849.jpg Airoloも小さな山峡の町で、乗降客は多くない。特に観光地でもなさそうだが、ホテルなどは見られる。雪はBiascaあたりに比べるとだいぶ深い。列車はこの先は長い隧道で峠を越えて、今度はループを回りながら下っていく筈である。この先も乗ってみたかったが、事情によりここで下車し、引き返す。冬の北国の短い陽は、谷間に早くも影を作っているが、見上げれば山の中腹から上は、雪山が青空に映えて美しい。
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by railwaytrip | 2008-01-06 14:30 | スイス

Maribor ~ Cakovec

 オーストリア南部の都市Graz(グラッツ)を昼過ぎに出て、その日のうちにクロアチアの首都Zagreb(ザグレブ)へ行きたい。14時02分にスロヴェニアの首都Ljubljana(リュブリアーナ)行の国際列車がある。順当に考えれば、これで、リュブリアーナとザグレブの分岐点、Zidani Most(ジダニ・モースト)まで行き、そこでザグレブ行きに乗り換えれば良い。ところが、ザグレブ方面への接続が極めて悪いようである。Zidani Mostですぐ接続する列車はあるのだが、国境手前のDobova(ドボヴァ)までしか行かない。Dobovaは、スロヴェニアではあるが、クロアチアのザグレブから30キロしかなく、ザグレブへ通勤すらできそうな場所である。しかし、この国境はEUとEU外との国境でもあり、出入国審査もしっかりあるであろう。それだけに、頻繁に列車が走っていないようである。Zidani Mostか、Dobovaかで2時間待って、ザグレブ着は20時02分ということになる。それでも日の長い季節なら楽しめそうだが、このあたりは欧州標準時採用エリアでもかなり東にあり、Zidani Mostに着く頃には冬の短い日が暮れてしまう。日没後の田舎駅での2時間待ちはきつい。

e0028292_0293116.gif そこで地図と時刻表を眺めているうちに、代替のルートが見つかった。かなりローカル線っぽく、詳しいことはわからないが、こうである。グラッツ14時02分の列車で、国境を越えた町Maribor(マリボール)下車、ここでMurska Sobota行きローカル列車に乗り換える。この列車はZidani Most方面へしばらく進んだ後、Pragerskoという所で支線へ分岐し、Ormozという駅に至る。このOrmozで乗り換えると、国境を越えてクロアチアのCakovecという所まで行く列車がある。このOrmoz~Cakovec間は、トーマス・クックの時刻表を見る限り、1日2往復しかない。相当なローカル線と思われる。しかしこの列車からは見事に5分の接続で列車がある。それで終点Cakovecに着くと、30分ほどの待ち時間でザグレブ行きがやってくるというわけだ。このCakovec~Zagreb間は、ハンガリー方面から線路がつながっており、ローカル線かもしれないが、ある程度の輸送量のありそうな線と見受けられる。

 もっとも、トーマス・クックの時刻表も、西欧主要国の詳しさに比べ、このあたりになると、かなり粗くなる。掲載されていない線も多く、ましてローカル線の鈍行旅行には殆ど役に立たないと言ってもよい。そんな中でこのルートは、国境を越えるからか、一応掲載されている。そして、ザグレブ着が19時58分と、2時間待ちの幹線経由より4分早い。早く着くのは途中の待ち時間が短いからだが、それも結構なことではないか。

 とはいえこんな見知らぬ土地での日没後のローカル国境越えルートを一人旅するのは、若干の不安もある。できればスロヴェニア国鉄のウェブサイトなどで最新情報の裏づけを取りたかったが、そういう余裕もないうちに、出てきてしまった。

 グラッツからの特急はガラガラであった。その昔はイミグレーションがいかめしく乗ってきた、オーストリアとスロヴェニアの国境越えも、つい先日、スロヴェニアもシェンゲン協定を実施したため、今は何もない。そしてスロヴェニア側の国境駅、Mariborに定刻着。ここでの接続時間は15分ある。


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 この特急の後に出る、Zidani Most行のローカル列車がホームに停車している。ホームに掲示してある駅の発車時刻表にも掲載されている。しかし、私が乗りたいMurska Sobota行きが載っていない。最近のダイヤ改正でこの線が廃止されてしまったのか、それとも路線は残っていてもこの時刻の列車がなくなったのか、と、早くも不安になる。駅の時刻表というものは、基本的に全ての列車が掲載されているはずだ。

e0028292_23472135.jpg 切符売場近くに案内所があり、男性の係員が一人座っている。他に客もいないので、質問してみる。英語は結構通じる。乗換駅のOrmozの発音が正確にはわからないが、「オルモツ」で大きく違わないだろう。オルモツへの列車はなくなってしまったのかと訊ねると、コンピュータを叩いて必死で調べてくれる。そんな事をしないとわからないのかと、また不安になるが、やがて、まず18時何分かの列車でウィーンへ行けと言う。そんな大回りをしないといけないのは、いくら何でも話が変だと思っていると、この係員、何と、チェコのオモロウツと思ったらしい。私の発音が悪かったかと思って、違う、オルモツだ、と、スペルを書いて見せると、「おー、オルモツ、オルモツ」と納得して、「あるよ、15時25分、3番線から」と、何一つ見ずにスラスラと答えてくれた。どうやらOrmozとは、案内書に訊ねに来る外国人が行くような所ではない、超ローカルな所らしい。

 というわけで、3番線に行くと、古びた2輛のディーゼルカーが停まっており、地元のお客を乗せて待っている。総数20名ぐらいだろうか。楽しそうなローカル線である。定刻に発車。

 しばらくは本線を行く。乗ってみれば、どうやら完全な各駅停車のローカル列車で、小さな駅にちょこちょこ停まっては、多少の乗降客を扱う。乗降ゼロの駅もある。日本のローカル線と似ている。検札の車掌が来た。若い女性で、キリリとした、スポーツ選手のような雰囲気をもっている。制服姿がなかなか格好いい。

 完全な各駅停車だ、なんて、言うまでもなく乗る前から当然、と、車輛や雰囲気から明らかそうだが、来るまでの私は、そのあたりがわからなかった。というのも、トーマス・クックの時刻表では、本線から支線に分かれる Pragersko という駅が通過になっていたからである。分岐駅でも町が小さく、列車が通過してしまう駅というのは、どこにでもある。だがこの列車は、乗ってみれば小さな畑の中の無人駅も全て停車する、完全な各駅停車である。このからくりは、短絡線の存在であった。分岐駅のPragerskoに停車すると、列車は方向を変わらなければならない。しかしその手前から短絡線があるのだ。この列車のすぐ前を、Zidani Most行の鈍行も走っていることだし、分岐駅とはいえ小さな集落のPragerskoに、あえて停車する必要もないのであろう。というわけで、Pragerskoが近づくとスピードが落ち、ポイントをガタガタと渡る。そして本線と分岐し、右手の雪原の向こうに 駅を見ながら、今度はその駅からの線と合流する、というわけだ。


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 合流して、単線のローカル線に入った。そしてまた、小さな各駅に停まる。乗降客が一人二人いる駅もあり、誰も乗り降りしない雪原の中の寂しい駅もある。写真左上は、待合所だけのSikoleという寂しい駅、右上は少し大きく、乗降客も見られた、Ptujという駅。そんな所をしばらく走るうちに、冬の短い日が暮れてきた。そして、かなり薄暗くなった頃、列車は定刻16時35分、Ormozに着いた。


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 Ormozは、非常に寂しい駅であった。寂しいが、分岐駅で、はす向かいのホームに、やはり2輛編成の気動車が停まっている。これが接続しているCakovec 行の”国際”列車に違いない。Ormozで乗り換えたのは、私を含め5人ぐらいで、見事に空いている。Ormozがこんな何もない小さな駅なので、この列車の乗り換え客の他には、客もいなかったようである。小さい駅だが、駅前に1軒、バーがある。その他には何もない。三角屋根の駅舎は瀟洒だ。夏の昼間にでも来てみれば、印象は全く異なるであろう。

 気味悪いぐらいにガラガラの Cakovec 行も、定刻に発車。スロヴェニア国鉄の、同じ形式の気動車2輛編成である。これが、Cakovec までの22キロを24分で走る、一日2本だけのローカル国際列車なのである。それにしてもこんなに客が少ないとは驚いた。今日まで残っているのが奇跡と言える線かもしれない。

 もっともここは、今でこそ国際列車だが、かつてはユーゴスラヴィアという一つの国の中であった。それが今や、かつての国内列車が国際列車となり、かつて国際列車だったオーストリアとの行き来は、シェンゲン条約によって、パスポート・コントロールすらなくなっている。

e0028292_23512753.jpg それにしても、国際列車とは恐れ入るほどのローカル列車だ。乗っている自分自身、信じられない。しかし、3つ目のSredisceという駅は、一日2往復のローカル線には不釣合いなほど大きく、駅舎の中に警察が入っており、スロヴェニアのパトカーが一台停まっている。なるほど、と思う。実際、停車するとほどなく、警察官が2人組で現われ、パスポートチェックである。差し出すと、パラパラとめくって、スロヴェニア(EU)出国のスタンプを捺してくれる。冬のこの時期、観光地とも無縁なこんなローカルルートでの国境越えは、いかにも怪しいと、自分自身でも思うのだが、特に質問もなく簡単であった。

 その頃には外は完全な夜となった。そして発車。外の景色は夜なので定かではないが、パラパラと人家のある農村地帯という感じのようである。列車もあまりにも空いているので、夜もだいぶ遅いような錯覚を持ってしまうが、まだ5時だ。闇の中、どこが国境だったかもわからぬうちに、広い構内の駅に着いた。ここがこの列車の終着、Cakovecである。

e0028292_23523840.jpg 列車がCakovecのホームに停車した。しかしドアは開かない。ここで今度はクロアチアの警察官が2名で乗ってきた。入国審査である。EUもすっかり大きく広がったが、ようやく脱出だ。ここも簡単で、パスポートをパラパラと見て、スタンプも捺さずに黙って返してくれた。ジャパニーズ・パスポートの威力に感謝。そして列車のドアが開き、下車できる。他の僅かなローカル客と一緒に駅舎へ向かう。この中に果たして、ここを毎日通勤している人がいるのだろうか、16時代という時刻から言って、多分いないだろうとは思うが…

 Cakovecも寂しい駅であった。駅前は灯火も暗く、店1軒とない。それでも周辺に人家がある程度見られ、多少の利用者はいるようである。古い駅舎の中には窓口が一つあり、女性の係員が座っている。二昔ぐらい前に戻ったかのようだが、その女性駅員も、ちゃんとパソコンのモニターを前に仕事をしているのは、現代の先進国だ。よって、硬券乗車券が出てくることはなさそうである。ザグレブ行まで30分ほどの待ち時間があり、日没後のこんな駅では何もやることはない。なので、明日のザグレブからの切符を手配しようかと思って聞いてみる。英語は多少通じたが、十分ではない。それでも質問すると親切に列車の時刻を教えてくれたが、座席指定などはできないらしい。ここはCakovecだから、というような事を言う。


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 待合室もある。これまた古びていて、壁は一面の落書きだ。私の乗ってきた列車からの乗り継ぎ客ではない客もいる。このあたりからの利用客で、ザグレブ行を待っているのであろう。駅自体は寂しい場所ではあるが、時たま送迎の車も来るし、全くの僻地でもなさそうだ。


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 列車の時間が近づくと、数名の乗客が狭いホームに向かう。そして闇の中から、機関車に牽かれた5輌編成の客車列車がやってきた。ここまで乗り継いできた2本の列車と違って、ちゃんとした長距離列車風で、しかも客車はコンパートメントである。けれどもガラガラで、誰もいないコンパートメントも沢山ある。その一つに座った。ザグレブまでは2時間弱と、結構かかるが、最後まで相客も現われなかった。

 大半が夜なのが残念ではあったが、実に面白い国境越えルートだった。もう一度、機会があるかどうかわからないが、次は季節を変えて明るい時に乗ってみたいと思う。もっとも、それより前に路線が廃止されそうな予感がするが…
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by railwaytrip | 2007-12-23 15:25 | スロヴェニア

Wroclaw Glouny ~ Szklarska Poreba Gorna

 ポーランドは大きな国である。広いばかりで平坦地が多いイメージがあり、こう言っては悪いが、ヨーロッパの中では、あまり真っ先に旅行をしようと思わない国ではないか。そもそも平均的な日本人に、ポーランドの都市名を知っているだけ挙げよと聞いたとして、首都ワルシャワ以外にどこか答えられる人がどれだけいるだろう。

 こう書いている私も、ポーランド訪問は初めてである。数えてみると、ヨーロッパで27ヶ国目であるから、やはり優先順位が低いというのか、あまり積極的に行こうと思わないで今日に至ってきた。いや、実は今回もそこまで気乗りがしなかったのだ。理由は、何もよりによって冬至の日に、ヨーロッパ標準時(グリニッジ+1)を使っている国々の中でもとりわけ東に位置するポーランドにわざわざ行かなくても、と思ってしまうのだ。東ということは、夜明けも日没も早いことになる。

e0028292_5172476.gif けれどもひょんなことから、Wroclaw(ヴロツワフ)というポーランド第四の都市に泊まることになったので、冬至の日は丸々一日、ポーランドの鉄道に乗る時間に当てることにした。どこへ行こうか色々迷った挙句、Szklarska Poreba Gorna(シュクラルスカ・ポレンバ・ゴルナ)という所まで往復することにした。といっても、どんな所か想像すらつかない。トーマス・クックの鉄道地図に、その方面に景勝路線の黄緑色が塗られていたのがきっかけで、それでインターネットでポーランド国鉄の時刻表を調べたら、Wroclaw から延々かけて、ここまで直通の長距離鈍行があることがわかったのだ。Szklarska Poreba Gorna はチェコの国境に近い辺境らしき所にある盲腸線の終着駅で、その手前には、Jelenia Gona という分岐駅がある。ここはある程度の町らしい。ちなみにトーマス・クックの時刻表にも、ここまでは掲載されているが、その先の盲腸区間は載っていない。だから、Jelenia Gona まで行って、そこから区間運転の盲腸ローカル線に乗り換えるのだろうと思って調べているうちに、Wroclaw からの列車がそのまま直通していることがわかり、それなら全区間乗ってみようか、ということで、決めた。列車本数は少なく、朝は9時10分発に乗るしかない。これが終着までの158キロを4時間20分かけて走る。表定速度は36.5キロに過ぎない。途中停車駅は26駅なので、平均駅間距離は、5.9キロで、これは日本の国鉄時代の幹線の平均値といったところだろう。鈍足なので、途中で長時間停車などが沢山あるかというと、意外にも全くなく、途中は主要駅のJelenia Gona のみ2分停車、あとは1分ないし30秒の停車らしい。今はこういった細かな事まで、ポーランド国鉄のウェブサイトでわかるので、私はこの列車の各駅の着発時刻が掲載されたページをプリントアウトして持ってきている。


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 9時10分発に乗るために、ホテルを8時半に出る。北国の冬らしく、陰々鬱々としているが、中央駅にあたるWroclaw Glowny の駅前は、トラムが次々と発着し、なかなか活気がある。駅構内は古びているが、規模も大きく立派で風格がある。今日は土曜である。しかもクリスマス直前なので、昨日が仕事納めで今日実家へ帰る、といった人も多いと思われる。そのせいか、Szklarska Poreba Gorna 行きの列車が出るホームは大勢の人で賑わっていた。けれども発車5分前になってもまだ列車は現われず、ホームの行先案内板には別の列車が表示されていて、早速もって不安になる。発車時刻の9時10分を過ぎて、アナウンスが何やら告げると、ホームで待っていた人が移動を始める。勿論ポーランド語だけで、何やらさっぱりわからない。駅員をつかまえて聞くが、英語が通じないので、Jelenia Gona と書いたメモを見せると、あちらへ行け、と、ホームの前方を指さす。

e0028292_519302.jpg 9時20分過ぎ、長い編成の客車列車が入ってきた。わかったことは、この列車はここで半分に切り離し、一方がSzklarska Poreba Gorna 行きとなり、他方は別の所へ行くのだ。ホームの案内板は、その別の方しか出ていない。複数の行先表示ができない旧式のためらしいが、とにかくわかりにくい。もっともこのように遅れてきたので、今日だけの特例なのかもしれない。それよりも、乗客がかなり多いようである。鈍行ではあるが、車輛はコンパートメント車である。そのため、大きな荷物を持った人が狭い通路を行き来して空席を探している。大都市の主要駅を朝の9時10分に出る鈍行といえば、普通は通勤列車の折り返しなどで空いているもので、半ばそれを期待していたのだが、とんでもなかった。もっとも編成も客車3輛と、短い。機関車の次の車輛で、ようやく1人分の空席を見つけ、他の客に、空いているかと指さすと、頷いたので、そこに座る。ちなみにこのコンパートメントは東欧のスタンダードで、1室8人である。西欧では2等車でも1室6人が普通なので、やはりちょっと窮屈な感じがする。しかも乗客の荷物がかなり多いようである。のんびりした汽車旅を期待していたので、ちょっと残念だが、座れただけでも良しとしよう。

 既に遅れているので、乗客が乗り終わったらすぐ発車すればいいのだが、なかなか動かず、19分遅れの9時29分にようやく発車した。見事に満席で、通路にも客がいる。盛況である。薄暗い駅から出ると、朝靄に包まれた街も徐々に明るさを増してきている。ある所では路面電車と並行し、ある所では路面電車の走る道路を跨ぐ。ヴロツワフは路面電車がかなり発達した都市だ。そんな所をしばらく走ると、最初の駅、Wroclaw Zachodni に着く。駅名に Wroclaw が含まれているところから、市の郊外のターミナル的な要素があって、さらに大勢の客が乗ってくるか、と思ったが、その予想ははずれて、乗降とも殆どなかった。既に市街地は出たようだ。時刻表では、ここは9時18分着の19分発だが、実際の発車は40分。遅れが2分増幅している。以後、折角各駅の着発時刻のわかる時刻表をプリントアウトしてきたので、私は実際の発車時刻を書き込んでいくことにした。

 Wroclaw Zachodni を出ると、列車はそこそこのスピードで快走する。遅れを取り戻すべく頑張って走っているに違いないと思ったのだが、その次の駅、Katy Wroclawskie は、定刻9時30分発のところ、55分発で、遅れはまた4分増えて25分となった。列車が混んでいるとはいえ、乗降客は僅かで、乗降に手間取っているようには思えない。その次のImbramowice は、定刻9時48分発が、実際は10時13分発で、遅れ25分のままだ。そして、この駅を出ると、列車はスピードを出さなくなった。のろのろ運転である。工事か災害での徐行かと思うほどだが、そんな様子も見受けられない。このあたりまで来ると、車窓はかなりの農村となる。樹木は全て、白い霧氷に覆われている。ホームの屋根が見事に古くて今にも朽ち果てそうなZarow も、殆ど乗降客はない。やはりそれなりの長距離客が多そうだ。混んではいるが、コンパートメントの中は静かで、窓側の2人の老夫婦が連れである他は、全て一人客だということもわかってきた。その次の駅で、反対列車と行き違うが、あちらは見事にガラガラであった。

 それにしてものろい。車窓の風景も大柄で、そう変化もないので、こういう区間はもう少し高速な列車が景色を眺めるにもちょうど良いのだが、仕方ない。しかも、駅ごとに少しずつ遅れを増幅していっている。

e0028292_520928.jpg そして列車はWalbrizych という街を通る。地図によれば、それなりに大きな街のようだ。Walbrizych で始まる駅が4つ続き、4つ目が中央駅なので、そのあたりである程度下車する人がいるかもしれない。そう思っていると、2つ目のWalbrizych Miasto が近づき、車内が初めてざわつく。通路に立っていた人も、コンパートメントに座っていた人も、下車の支度を始める。ここは結構まとまった数の下車客がいる(写真左)。8人で満室だった私のコンパートメントからも3名が下車し、その後で通路に立っていた人が一人入ってきた。ヴロツワフからは1時間半かかっているので、毎日通うにはちょっと遠い。そこで、普段はヴロツワフにアパートを借りて住んで、週末だけ実家に帰る、という人も多いに違いない。

 その後も、駅ごとに下車が目立つようになった。Walbrizych Glowny は、中央駅であり、駅は大きく、構内も広く、かつて栄えた鉄道の要衝と思われたが、下車客はさほどではなかった。機関庫の片隅に蒸気機関車が保存されている。

 列車も空いてきたので、私もカメラを出して風景を撮ったりできるようになる。ただ、気がかりなのは、やはり駅ごとに遅れが増幅していることで、Walbrizych Glowny 発車時点で、遅れは40分にまでなっていた。この調子で平気で遅れられると、ちょっと困ることがある。それは、帰りである。終着のSzklarska Poreba Gorna での折り返し時間は、定時ならば1時間14分あるので、40分遅れで着いても、何とかなるが、帰りの列車もこんな調子でどんどん遅れてくれると、ちょっと困るのだ。というのは、私は戻ってWroclaw では53分の接続で別の列車に乗り換えなければならない。それは、その後の夜行列車のスケジュール上、是非とも乗る必要がある。だが、こんないい加減なダイヤでどんどん遅れるのが日常茶飯事となると、ちょっと不安になってくる。

 車内を歩いてみる。一番端、機関車寄りのコンパートメントは、車掌室代わりになっており、2人の車掌がお茶を飲んでいるところであった。さっきまでの混雑していた時は、一般客が乗っていたのか、その時から車掌専用だったのか、それはわからないが、とにかく、ノックをして入っていき、英語が話せるかと聞いてみた。遅れのことを聞きたかったからである。しかし残念ながら、答えはノーであった。(余談だが、ヨーロッパで、Do you speak English?と質問して、その質問の意味すらわからないという顔をされたことは、殆どない。英語ができない人でも、この英語はわかるらしく、即座にノーと答える人が多い。)しかし、若い方の車掌が立ち上がり、隣のコンパートメントへ行った。そこには4人ほど客がいた。車掌がお客に向かって何かポーランド語で質問する。誰か英語ができる人がいないか、と聞いているようだった。すると窓側の席に座っていた中年の女性が応答した。その女性が私に向かって、英語で「何を聞きたいのか」と言う。そこで、私はこの列車で終点まで行って、Wroclaw まで戻り、そこで乗り継ぎがあるのだが、この列車の遅れを見ていると、それが心配だ。Wroclaw を出る時は20分の遅れだったのが、今は40分以上遅れている。今日は工事か何かがあるのか、戻りの列車もこういう風に遅れる可能性が高いのか、というような質問をした。するとその女性は、車掌に翻訳して伝える前に、私に向かって「そんなのはいつものことよ。この線は設備も車輛も古くて、時刻通り走ることなんか滅多にないんだから」と、自分の知識と経験から言うのである。それでも、その後に車掌に私の質問を訳してくれた。その回答としては、折り返しは定時に出る予定で、そんなに大幅に遅れることはないので大丈夫だろう、という感じであった。

 お礼を言って自分の席に戻り、車窓を眺めたりしていると、しばらくして、さっきの車掌と女性が私のコンパートメントにやってきた。女性が英語で私に話しかける。「この列車は、Szklarska Poreba Gorna には遅れて到着するが、折り返しは定刻に出る予定だ。ということは、Szklarska Poreba Gorna での滞在時間は30分弱しかない。あなたはSzklarska Poreba Gorna に何か目的があって行くのでしょう。人と会うのか、重要なビジネスがあるのか、その時間が十分取れないかもしれないけれども大丈夫か。」と。考えてみれば実にまっとうな懸念である。これが日本ならば、この人は汽車に乗るだけが目的で、というのも珍しくないが、外国ではそういう概念が通じないことの方が多い。そちらの方が正常だとも思う。そこで私は、いや別にSzklarska Poreba Gorna に特にこれといった用事はないので、30分でも大丈夫だ、と言ったが、車掌が、それなら何故乗っているのか、というような顔をするので、トーマス・クックの地図を広げて、ほら、この区間が景色のいいルートとして色付きになっているでしょう、今日の私はホリデーで、この景色を車窓から楽しもうと思って乗っているんですよ、と説明してみた。これはどうにか理解されたらしく、彼らは自分の席に戻っていった。

e0028292_521726.jpg Walbrzych から先は、トーマス・クックの地図ではずっと景勝路線の色がついている。確かにそれまでの平坦で平凡な風景に比べれば、起伏も出てきたし、悪くはない。けれども格別というほどのこともない、というか、欧州にこの程度の風景はいくらでもあるような気がする。写真左はそんな区間にある、Sedzislaw という駅で、乗換駅でもないが、このように立派な駅舎がある。多少退屈ではあるが、爽やかな冬晴れで、青空が広がってきたので、気持ち良い。鬱々とした薄暗い天気に満員の列車という朝の気分もどこかへ吹き飛び、来て良かったという気持ちになってきた。

 主要駅のJelenia Gora には、41分遅れの13時03分に着いた(写真左下)。ここから先は、トーマス・クックの地図でも細線のローカル盲腸線である。ここで残っていた客の大半が下車する。乗車も少なく、車内はガラガラになった。私のコンパートメントも、窓側の席の老夫婦のみとなった。他のコンパートメントは、空になった所もいくつもある。老夫婦は人柄も良さそうで、別に一緒にいるのがいやではないが、英語も通じないし、窓側の席に座りたいというのもあり、私は別のコンパートメントに移動した。

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 ここからいよいよ盲腸ローカル線に入る。実際、ここからは単線で、出てほどなく田舎の景色になり、深い谷を鉄橋で渡った。しかし、その先は平地が開けており、住宅が増えてきて、工場なども現われるようになる。そして駅間距離も短くなり、町の郊外の駅にちょこっと走っては停まる。そのたびに数名の客が下車する。写真右上は、その一つで、Jelenia Gora Sobieszow という駅である。そんな所をしばらく行き、6つ目のPiechowice という構内の広い駅を過ぎると、ようやくそういう都市郊外の風景が消え、列車は勾配を上り始める。再び駅間距離も長くなる。次のGoreynec という単線の無人駅は、小さな待合所があるだけで駅舎もなく、どこまでがホームでどこまでがその他の土地なのかもはっきりしない。だいぶローカル線っぽくなってきた。この駅では乗降客はいなかった。


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 Goreynec から先、線路は右へ左へとカーヴが続き、上り勾配もきつくなる(写真左上)。進行左側は谷で、時に美しい山村集落が見られる。右手は山である。沿線の雪も徐々に深くなっていく。ここは次の駅まで20分かかる。ぐるりと半周以上のカーヴを描く所もある。景色は田舎だが、時々リゾートホテルともお城ともつかないような建物があったりする。その一つでとりわけ目立つ建物の下を通るが、駅はない。大きなカーヴを描いて、2分後、その建物が谷の向かいに見える(写真右上)。そうしてのんびりしばらく走って着いた駅は、Szklarska Poreba Dolna という駅で、3語のうち2語は、終着駅と同じだ。要するに終着駅と同じ村の駅ということだが、とにかく駅名が長い。ここは交換設備が撤去された跡がある。日本のローカル線でもおなじみの光景だ。山の中の高台にある駅で、人家も僅かだ。もう終着も近そうだが、遅い列車はさらに10分走って、Szklarska Poreba Siednlaという、もう一つの長い名前の駅に停まる。そして、その先では小さなスキー場の脇も通る。そして、俄かに洒落た山小屋風の家がいくつも現われて、列車はようやく終着駅、Szklarska Poreba Gorna に着いた。14時14分着で、44分遅れであった。


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 それほど大きな駅ではないが、一日数本のローカル盲腸線の終着駅としては十分立派である。他に2編成の列車が停留している。駅舎は古いが、大きく立派だ。かつての繁栄が偲ばれる。中に入ってみると、ガランとはしていたが、窓口が一つ開いており、切符を売る係員がいる。駅前には迎えの車が2、3台とタクシーが2台いて、今の列車で降りた客を拾って去った。駅前には店の1軒もない。というか、とても静かそうな所だ。果たして30分の間に店が見つかるだろうか。というのも、私は昼食を持ってきていない。ここで買えないとなると、完全な昼抜きになる。これはかなり辛い。


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 駅前から雪で滑りやすくなっている坂道を下りてみる。別荘風の瀟洒な建物が散在し、森に囲まれた、いかにも避暑地風の場所である。夏は避暑、冬はスキーという場所らしい。そんな坂道を2分ほど下ると、幸い、1軒の、古いが立派な建物の商店があり、店も開いていた(写真左上)。何とかパンとジュースが手に入るのでホッとする。パンを二つ、これとこれ、と指さすと、おばさんがドイツ語で「ツヴァイ?」(2つか。?)と聞き返す。EUになってもやはりここは東欧だ。おばさんの学生時代は、第一外国語がドイツ語という時代だったのだろう。相手が外国人の時はドイツ語が自然に出てくる。次の世代では、このあたりでもこれが英語に取って代わるかもしれない。便利だけど味気なくなるなあと思う。ともあれ、私も数字ぐらいは何とかわかるので、無事ドイツ語で支払いも済ませ、発車まで駅と駅周辺を歩き回ってみた。天気が良いので散歩に出てきている風な人もいるが、静かな山村である。地図で見ると、チェコの国境まで5キロ足らずしかない。後で調べると、森林やら滝やら、自然の景勝地も多く、ポーランドではそれなりに知られたリゾート観光地らしかった。

e0028292_5274942.jpg 駅に戻ると、さきほどの車掌がにこやかに迎えてくれた。駅や車輛の写真などをたくさん撮っていたので、車掌も十分理解したと思われる。そして、私の懸念を振り払うかのように、今度はピッタリ定刻に発車した。この車掌は、Jelenia Gora までが今日の勤務らしく、そこで下車していった。帰りは最後までガラガラで、コンパートメントを一人独占して、飽きるほどの鈍行の旅を楽しんだ。途中で冬の短い日も暮れた。やはり日没の早い冬の旅は寂しい。最後の区間を除くとやや平板な車窓だったし、そんな汽車旅で丸一日をつぶしてしまったが、それでも楽しかった。Wroclaw Glowny には、10分程度の遅れで到着した。この鈍行はここが終着ではなく、ここからまた2時間半ほど走り、Poznan まで行くのであった。日本ではすっかり消えてしまった客車の長距離鈍行がまだまだ健在なのは、かなり羨ましい。
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by railwaytrip | 2007-12-22 09:29 | ポーランド

Paris Est ~ Meaux

 パリの東駅は、北駅と歩けるほど近い。ユーロスターなどの発着する北駅に比べると地味な印象がある。実際にはTGVの発着本数は多く、鉄道ターミナルとしての貫禄を保っている。しかし、通勤・近郊列車の発着は少なく、郊外鉄道RERも、ここには発着しない。


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 今日のパリは祝日。飛行機の時間まで予定外に数時間の空きができたので、この駅にぶらりと来てみたのだが、TGVなど優等列車の発着が多く、近郊鉄道としては、モー(Meaux)という所までが30分毎と、割と頻繁に走っているぐらいで、他は少ない。近くても、本数の少ない所にうっかり行ってしまって、飛行機に乗り遅れてはいけない。突然できた空き時間で、下調べもしてなかったので、おとなしく Meaux までの往復切符を買い、乗り込んだ。2階建て4輛編成で、乗車率は2~3割程度か。中途半端な時間に中途半端な郊外まで走る列車であれば、そんなものであろう。

e0028292_4171777.jpg 何とここでは昔懐かしいジリジリジリという発車ベルがレトロ感たっぷりに鳴って、11時30分、定刻に発車。ちなみにフランスでも今は電子音の発車ベルが主流だし、そもそも欧州ではそういうベルなど一切鳴らないことの方が多い。それがこんなパリの主要ターミナルで聞けるとは思ってもいなかったが、いい音であった。やはり鉄道はこれでなくては。ましてや最近のJR東日本の下品なメロディーなど論外であると、久々にこの音を聞いて改めて思う。

 発車すると多数の線路を掻き分けながら進む。周囲は昔の操車場跡もあり、車輛基地もあり、その他にもわけのわからぬ多くの線路があり、パリの都心に近い一等地に、鉄道の土地が山ほどあることがわかる。いつの間にか、地下から出てきて合流してきた郊外鉄道RERの線路が右手に並んでいる。あちらにはこまめに駅があるが、こちらには駅がない。10分ほど走り、そのRERの駅を3つほど過ぎたあたりから、車窓はビルが減ってきて、一戸建て住宅が多くなる。

e0028292_4175767.jpg 最初の駅は、Chelles Gourney で、RERはここが終点である。既に十分郊外という感じの風景だが、東駅からノンストップのこの列車では、15分しかかかっていない。パリは欧州でも著名な大都市だが、東京に比べると都市の規模は小さい。というより、やはり東京が異常なのであろう。パラパラと下車客があり、RERから乗り換えてきたと思われる客が若干乗車する。

 RERが各駅停車とすれば、こちらは区間快速だ。ここからは各駅停車だが、日本の郊外鉄道よりは駅間距離が長く、1駅5分ぐらいかかる。次の Vaires Torcy は、いかにもベッドタウン駅という感じであった。

e0028292_4182667.jpg その次の Lagny Thorigny も同様で、駅に隣接してバス乗り場がある。Lagny Thorigny を出ると、家並みが途切れ、畑作地帯となる。隧道もある。この景色をパッと見ると、もはやパリ郊外とは思えない、フランスの田舎の農村風景である。次が Esbly。支線が分岐する乗換駅だが、これまでで一番閑散とした駅だ。ある程度の下車客があり、ここから乗ってくる人も僅かながらある。駅周辺は、パリ近郊というよりは、フランスの片田舎の風情である。けれどもパリ東駅から30分しかかからない。このあたりで田舎暮らしのできる家に住んで、パリに通勤している人も、それなりにいるに違いない。

 Esbly を過ぎると、再び完全な農村風景が展開し、空いた列車は快走する。次が終点の Meaux で、約8分、途中駅はない。日本の大都市周辺なら、途中にも駅ができて、住宅開発が進むところだろうが、パリは大都市とはいえ、そこまで大きくならないようだ。


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 にわかに家が増えて、町並みが見えてくると、終着駅の Meaux に着いた。終点のここまで乗ってきた人は割といた。ここから先は本数が激減するようで、また他に乗り換え路線もないので、この列車で着いた人は、ほぼ全員、この町に住んでいたり用があって乗ってきた人のようである。


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 何の知識もなく来たこの町を、ぶらりと散歩してみた。パリの東40キロ、静かな郊外の小都市で、地味ながら落ち着いており、風格もある。町を流れるのは、セーヌ川の支流、マルン川で、かなりの蛇行を繰り返しながらパリ市内へと流れ込んでいる。町はチーズやマスタードなどで一部にその名を知られる程度だが、観光地として発展することもないであろう。それでも流石にパリへ通勤可能な距離とあって、不動産屋は目立ち、売家と貸家の両方とも取引は盛んそうに思われた。
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by railwaytrip | 2007-11-01 11:30 | フランス