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Divača ~ Koper

 スロヴェニアは、旧ユーゴスラヴィアが分裂してできた国の一つである。その中で一番に安定・発展し、いちはやくEU入りを果たした。小さくて地味な国だとは思うが、意外と面白い。

 スロヴェニアに詳しい方はそんなに多くないと思うので、改めてこの国の地図を眺めていただきたいのだが、そもそも地図を見る以前に、スロヴェニアには海があるかどうか、という質問に即座に答えられるであろうか。地図を見れば、一応あることがわかる。しかし海岸線の距離は極めて短い。イタリアとクロアチアが海岸線を沢山取ってしまって、スロヴェニアは僅かしかもらえなかった、とでも言いたくなるような恰好になっている。

 その貴重なスロヴェニアの海岸線沿いには、町が3つほどある。中でも一番大きく、唯一鉄道もあるのが、Coper(コペル)で、スロヴェニアにとっての重要な貿易港になっている。EUになってEU内の物の移動には通関も必要なくなったのだから、自国に海がなければ隣のイタリアの港でも借りれば特に支障ないのでは、なんて考えたくなるが、無論そう単純には行かないだろう。スロヴェニアにとってコペルへの陸路は、道路であれ鉄道であれ、物資の輸送路として重要な生命線なのではないだろうか。

 というのは、実は私も後から気づいたことで、私がCoperに行きたいと思った理由は、もっとずっと単純である。それは、途中区間の細かな鉄道路線図を見たからである。そこには行って戻るようにぐるりと大回りする大カーヴがある。地図で見つけた時は、釜石線の陸中大橋をさらに大規模にしたような感じだなと思った。こういう線路の敷き方は、決して稀とは言えないし、勾配緩和目的であることも想像はつく。だが例えば磐越西線にしても狩勝峠にしても、もっと左へ右へとカーヴを何度も繰り返しながら標高差を稼いでいっている。その点ここは、まっすぐ行って、まっすぐ戻る、それだけである。地図以外の情報もほとんどなく、絶景路線を紹介するような書物にも出てこない。そうなると、どんな所か想像がつかないので、余計に行きたくなる。

 首都Ljubljana(リュブリアーナ)から南西へ、イタリアへとつながる幹線を104キロほど行くと、Divača(ディヴァーチャ)という駅がある。そのまままっすぐ行くと、スロヴェニアの最後の駅はSežana(セジャーナ)で、Sežanaを出ると線路はすぐイタリアに入り、トリエステ方面へと至る。Divačaから南へ分岐する支線は、さらに少し先で二つにわかれ、一つは南へ、国境を越えてクロアチアのPula(プラ)まで行く。もう一つは西へ分かれる。これがCoperへ行く線である。この分岐点とCoperの間に「スロヴェニアの陸中大橋」の大カーヴがある。

 先にSežanaを訪問してから、戻りのLjubljana行きに乗り、Divačaで下車した。Divačaは大きな駅舎を持った駅だ(写真左下)。その割と町は小さそうである。それでも一応の町であり、ちょっと高台にある駅前から眺めると、そこそこ住宅がある。駅前には保存蒸気機関車が展示してあるので、鉄道の町だったのかもしれない。


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 少し待った後、Ljubljana方面からやってきたIC503列車は、日本の旧国鉄なら急行ぐらいに相当するインターシティーの長距離列車で、嬉しいことに、機関車が牽く5輛編成の客車列車であった(写真右上)。一等車はもちろん、食堂車までついている。二等車は普通の座席車とコンパートメントが混在している。空いたコンパートメントもいくつかあったので、その一つに入り、座った。

 この列車は、オーストリア国境に近いMaribor(マリボール)を朝の6時50分に出て、首都Ljubljanaを通ってさらに南下してきたという、国内南北貫通列車である。Ljubljanaで運転系統を分けず、所要5時間の直通列車として運転されている。Divača発は11時01分で、終着Coperまで49キロを49分で走るから、表定速度60キロで、わかりやすい。途中停車駅1つ、通過駅4つ。

 Divačaを出ると、Sežanaを経てイタリアへと西へ向かう本線と分かれ。ほぼ90度のカーヴを描き、南へと針路を取る。電化はされているが、単線になった。するとこれまでより景色が荒涼としてきた。小駅を1つ通過し、次に停まるのが、Hrpelje-Kozinaという駅で、大きな駅舎があり、駅員がいる(写真左下)。しかし、下車した人は僅かのようであった。


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 Hrpelje-Kozinaの次が、Prešnicaという駅で、ここが、このまま南下してクロアチアへと向かう線と、西へ分かれてKoperへ向かう線との分岐駅である。しかしここは小さな単線の無人駅で、この列車も停車しない。駅周辺も人家は散在しているものの、まとまった町など無さそうな所であった。

 分岐後も、カーヴを繰り返しながら荒涼とした山の中を走る。ブドウ畑が多い。スロヴェニアのこのあたりは隠れたワインの産地だそうだ。次のCrnotičeは、交換設備はあるが、小さなホームと待合所があるだけの駅であった(写真右下)。通過駅だが停車して貨物列車と行き違う。時刻表によれば、この駅に停車する列車は、下りKoper行きは、朝6時41分の1本だけで、上りは14時02分と19時39分の2本だけである。その14時02分の方は、私がこれから帰りに乗る予定の列車である。こんな駅の乗降客がいるのだろうか。そんなことが今から楽しみになってくる。


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 Crnotičeを出ると、いよいよ大迂回区間に入る。地図によれば、CrnotičeからRižaraという信号場と思われる所まで、直線距離では3キロぐらいしかない。そこを鉄道は、約17キロほど大迂回して走るのである。

 まずはぐるりと左へほぼ180度、向きを変える。すると右手に谷の風景が広がる。その向こうに、これから先に通る線路だろうと思われるものが見える。そこまでの高低差もなく、そんなに大迂回しないといけないほどの地形とも思えないが、線路はその昔、蒸気機関車が難なく登れるようにと考えて敷かれたのであろう。


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 そんな所を時に森の中を、時に荒地を、時に小さな集落を、そして時にブドウ畑を見ながら快適に進む。勾配はゆるいが、それでも徐々に下っていっているのがわかる。Hrastovljeの手前では、この後通過する線路が本当にすぐ真下に見える所がある。それを過ぎるとまた少し下の線路が離れていき、向こうに小さな駅が見える(写真左下)。Hrastovljeである。その先で線路はぐるりと180度回り、列車はHrastovljeを通過、ここもCrnotičeと同様、下り1本、上り2本しか停車しない駅である。

 今度は右手上方に、今通ってきたばかりの線路を見ながら、列車はさらに高度を下げていく。そしてようやく左へゆるやかなカーヴを描き、通ってきた線路が見える風景も終わる。その先に信号場があり、列車は停まった。反対には貨物列車が停車している。ここがRižaraであろう。来る前にグーグルマップで調べてきたところ、ここも駅として描かれているが、現地の駅でもらった列車時刻表には掲載されていないし、実際に来てみると、ホームもないので、列車行き違いのための信号場に違いない。


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 貨物列車とすれ違うだけですぐ発車するのかと思ったら、機関士が降りてきて、客車の下を点検している。ブレーキの具合でも悪いのだろうか。それで5分ほど停まった。このまま動かなくなったら困るなと思っていたが、何とかなったらしく、発車。そこから先は徐々に平地が広がり、いかにも山から町に下りてきたという風景になり、人家も増えてきて、終着Koperに定刻より5分ほど遅れて到着した。


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 Koperは、ホーム2面の行き止まりの終着駅であった。空いているとは思っていたが、5輛の列車からはそれなりの数の乗客が降りてきた。大きな荷物を持った人も多い。建設中なのか、ガラス張りのモダンな新駅舎が一部だけで営業中で、駅周辺も新開発地のような雰囲気で、格別の風情はない。


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 ここはスロヴェニア唯一の、海に面した駅である。駅自体から海は見えないが、西へ歩けばすぐ港で、その雰囲気が駅付近でも感じられる。はるばるたどりついた終着駅、という感慨もあるが、実はイタリアのトリエステまで、直線距離では12キロしかない。旧市街は駅から北へ数分歩いたあたりから始まる。大きな道路を1本渡って旧市街へ入ると、それまでと雰囲気は一変した。

 イタリアっぽいと言えばそんな感じの、細い路地の続く古い家並み。教会があり、小さな広場があり、昔から営業していると思われる小さな家族経営のお店が並んでいる。特に著名な観光施設はなさそうだが、旧市街全体がいい雰囲気で歩き回れる。列車に乗っている間は今ひとつパッとしないどんよりした天候だったが、歩いているうちに薄日が差してきて暖かくなってきた。春が来た、そんな言葉がピッタリのひとときであった。1時間半という滞在時間も、長すぎず短すぎず、ちょうど良かった。


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 駅へ戻り、13時29分発Divača行きの客となる。さきほど降りた時に、隣のホームに2輛の古びた気動車が停まっていたのを確認しているが、やはりその列車であった。行きと帰りで全く違う雰囲気の車輛に乗れるのが、これまた嬉しい。このDivača行きは、Divačaまでの途中5駅の全てに停車する。中途半端な時間帯の鈍行だからか、乗客は少ないが、Divačaで、Sežana始発のLjubljana行きに接続しているので、大きな荷物を持った長距離客っぽい人も多少乗っている。発車時に数えてみると、乗客は私を含め8名で、全員が1人客であった。意外にも若い人が多い。


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 気動車らしい重々しい唸りをあげて定刻に発車。今通ってきた所をエンジンをふかして上っていく。坂を下る往路が客車で、坂を上る復路が気動車というのも、鉄道らしい旅を味わうのに最高の組み合わせだったなと思う。偶然組めたスケジュールだが、良かったと思わずにいられない。

 町並みが途絶え、山へと分け入っていき、左手奥にこれから上って行く線路らしいものが見えてくると、最初の停車駅、Hrastovljeである。案の定、誰も乗降しない。もはや駅としての機能は終えているとしか思えないが、朝夕は利用者がいるのだろうか。この駅を定期的に使う人がいるとすれば、朝は6時49分発でKoperへ行き、帰りはKoper発19時12分発で帰ってくる。たまに早く帰れる日はこの列車で帰る。そんな風になるわけだが、普通の通勤通学の時間帯としてはKoperでの滞在時間が長すぎるように思う。恐らく定期的な利用者はおらず、たまにHrastovljeの住人が思いついたように利用する程度なのではないか。信号場としての機能は必要だから、信号場に降格させるほどのこともなく、何となく温存している、そんな気がする。駅間距離も長いので、一部が不通になった時のバス代行機能のためにも、駅として残す必要があるのかもしれない。


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 そんな事を考えながら発車を待っていると、谷の向こうの線路に機関車の警笛が聞こえ、何と赤い電気機関車の三重連がこちらへ向かって下ってくるではないか。貨車はつながっておらず、機関車だけの回送列車である。臨時なのか、遅れているのか、それとの行き違いを待って発車したので、こちらの発車も時刻表より3分ほど遅れた。

 そしてぐるりとカーヴを回り、Hrastovljeの駅を左下へ見下ろしながら、気動車はエンジン全開で、今通ってきた線路を左へと見ながら坂を登っていく。次のCrnotičeも乗降ゼロ。ここでもKoper行きの三重連機関車に牽かれた貨物列車と交換する。Koperへのこの路線が貨物のためにあることは、乗ってみて良くわかったし、だからこそ勾配緩和が優先で、線路がここまで大回りして敷かれているというのも、納得はできた。しかしそれも蒸気機関車時代の設計には違いなく、今なら強力な電気機関車があるから、もう少し路線を短縮したいところではないか、なんて思える。無論、今さらお金をかけて線路を敷き直してまで短縮する必要もないのだろう。この路線はこれからも、スロヴェニアの貨物の動脈として、旅客列車ともども、生き残っていくであろうと思われる。
 
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by railwaytrip | 2011-03-18 11:01 | スロヴェニア

Bréauté-Beuzeville ~ Fécamp

 フランスは日本より面積が広い国だが、細長い日本と違って、割と丸いので、日本ほど南北の長さは感じない。それでも北と南、東と西では、気候風土も気質も違いが大きいとは感ずる。それでいてどこに行っても、いかにもフランス。このフランスならではのアイデンティティーは、言葉では説明できない独特の雰囲気を持っている。少なくとも私はフランスに行くたびに、強く感じる。

 今回行ったのは、ノルマンディー地方である。パリの西北西にあたり、パリを流れるセーヌ川の下流地域である。また、海を隔てているが、ロンドンのほぼ真南にあたる。

 前の晩にパリからの列車で Rouen(ルーアン)に着き1泊した私は、この朝、Rouen からさらに西へ、Le Havre(ル・アーブル)行きの列車に乗った。パリから Rouen までは、ノンストップで1時間10分である。Rouen はセーヌ川下流域にある、大聖堂が有名な古都で、Le Havre は、セーヌ川河口に開けた港町である。少しフランスに詳しい人なら、多分これらの街は知っているだろう。

 私はその途中、Bréauté-Beuzeville(ブレオテ・ビューズヴィル)という駅で降りた。ここで分岐する Fécamp(フェカン)行きの支線に乗り換え、Fécamp という所に行ってみることにしたからである。理由は特にない。Le Havre も行ったことはないので行きたいが、それよりは、この支線が何となく気になった。


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 Le Havre 行きの列車はパリからの直通で、編成も長く乗客も多い。Bréauté-Beuzeville は分岐点にあるというだけの小さな駅だが、下車客は結構多かった。Fécamp への乗り換え以外には特に何もない。このあたりはセーヌ川とも離れており、駅は平凡な田園地帯にポツンとあって、大きな特徴もない。Fécamp への支線は、ここからひたすら北へと走り、イギリス海峡に面した北海岸の町Fécamp で終着となる。Fécamp はそこそこの規模の港町らしいので、鉄道が残っているのは何となくわかる。ただ、その起点の Bréauté-Beuzeville は、何故ここが分岐点になっているのだろう、と思わせるような所にある。


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 Le Havre 行きで下車した人の多くは、駅前から徒歩、バス、迎えの車などで散ってしまったようだ。Fécamp 行きを待つらしき人もいるが、多くはない。10分ほどの接続で悪くないのだが、ホームに列車は入っていない。と思ったら、ここ始発ではなく、Le Havre からやってくるのだった。何と1輛の新型ディーゼルカーであった。ガラガラでやってきて、ここで10名弱が乗り込むが、それでも空いている。

e0028292_445939.jpg 発車するとあっさりと本線と分かれてカーヴをし、北へと進路を取る。あとはもう、黙々と淡々と、ひたすら田園地帯を走る。特に目を惹くような車窓ポイントもない。しかもこの季節の北ヨーロッパらしいどんよりとした天候のため、風景に陰影も乏しい。Fécamp まで19.7キロあり、途中駅はない。所要22分。もっともかつては途中駅があったようで、今その廃駅らしき所は廃車輛の墓場のようになっていた。

 スピードは速くもないが、のろのろでもない。本線のような快適さはないが、乗り心地も悪くない。しかしフランスはこういった支線はどんどんバスへと置き換えているようで、先行き心配である。


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 終着 Fécamp は、ホーム1面だけだが、錆びた引込み線が何本もあり、かつては活況を呈した終着駅だったと思われる。今の駅舎は小さい。ホームは長く、そこにポツンと1輛の新型気動車が停車した風情は何となく寂しい。


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 駅から錆びた線路に沿って先へ行ってみる。すぐ先が港であり、恐らくかつては貨物が港まで来ていて、ここから船積みもしていたのではないだろうか。そして坂道を丘の上に進めば市街地がある。思ったより大きな街である。


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 街を歩いてみた。ノルマンディーの港町、と思えばそんな気がするし、他のフランスとは違うような気はする。折から街の広場では、小さな音楽隊が演奏をしていた。小さなお祭りという感じであった。スコットランドのバグパイプ楽団とはまた少し違うのだが、いくぶん近い雰囲気であり、音楽もケルト系のようであった。詳しいことはわからないが、そちら方面とのつながりを感じる雰囲気の音楽に、ノルマンディーにいることを実感した次第であった。
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by railwaytrip | 2011-02-05 10:47 | フランス

Perl ~ Thionville

 EU内の国境審査を廃止して人の流れを円滑にするための協定により、世界的に名が知られるに至った、ルクセンブルク南東端の村、Schengen(シェンゲン)。ここは首都ルクセンブルク市から見ると、はずれのはずれである。と言っても、もともと小さな国の中での話。直線距離では23キロ程度である。鉄道はなく、ルクセンブルク市から行くには、バスを2本乗り継いで行かなければならない。

 Schengen は、ライン川の支流、モーゼル川沿いの長閑で小さな村である。モーゼル川流域は良質な白ワインの産地として知られる。Schengen もその一つで、周囲のなだらかな丘の多くがブドウ畑になっている。


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 この村はモーゼル川の左岸にある。村の中心に橋があり、渡るとドイツの Perl(ペルル)である。そしてここからモーゼル川をちょっと遡ると、そこはもうフランスである。Schengen は、これら3つの国の境界にある村であるゆえに、協定の締結地に選ばれた。実際の調印は、モーゼル川に浮かぶ船上でなされたというから、象徴的である。

 Schengen には鉄道はない。けれども対岸のドイツ・ペルルには、ペルル駅がある。Schengen の村の中心から5分も歩けばたどりつける。こことTrier(トリアー)の間に、ドイツ国鉄DBが平日日中は1時間に1本の普通列車を走らせている。モーゼル川右岸をゆく長閑な路線で、モーゼル川の風情を楽しませてくれる、地味ながら好ましい路線である。

 線路は Perl から南へも続いている。ほどなくフランスに入り、入って間もなく、Apach(アパック)という駅がある。Perl から2キロ弱で、並行道路もあるので、歩いても30分弱という近さである。そのApachからはフランス国鉄が、モーゼル川上流のThionville(ティオンヴィル)まで、ローカル列車を一日数本、走らせている。

 つまりこの路線は、ドイツの Trier とフランスの Thionville を結ぶ、2ヶ国にまたがる国際路線である。にもかかわらず、国境の僅か2キロの区間、Perl~Apach 間の一駅だけは、列車がほとんど走っていない。ほとんど走っていないが、皆無ではない。それが面白いというか不思議である。

 具体的に言うと、平日は国境を越える旅客列車は1本もない。しかし土日のみ、Trier~Perl~Thionville~Metz という快速列車が1日2往復、走っている。Perl から Thionville の間には、駅が5つあるが、この国際快速は1つを除いて通過する。フランスの国境駅 Apach にも停まらない。

 この不思議な列車に乗るため、前日からルクセンブルクに泊まっていた私は、土曜の朝、ルクセンブルク駅前9時10分発のバスに乗った。約25分、Mondolf(モンドルフ)という所で別のローカルバスに乗り換える。そして約20分、Schengen にやってきた。10年ほど前にも来たことはあるが、今回もまた時間が止まったようなのんびりした田舎の静かな村である。変わったと言えば、前回は無かった高速道路が山の上のはるか高い所でモーゼル川を跨いでいる。

 モーゼルの河畔に、Schengen 協定締結の記念碑があり、ドイツ語、フランス語、英語で解説がある。上にはEUの旗がたなびいている(写真左下)。対岸はドイツの Perl の村である。そのすぐ脇に、ドイツへ渡る国境の橋がある。橋の手前に、フランス2キロ、ドイツ1キロ、という道路標識がある(写真右下)。最近、大雨が続いていたので、モーゼル川は氾濫寸前というまでに水かさが増していた。


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 冬の土曜の朝だからか、車は結構通るが、歩行者は全く見かけない。ましてや観光客など皆無である。歩いて橋を渡り、ルクセンブルクからドイツへ入る。橋から見下ろせる位置に Perl 駅がある。以前と特に変わった様子はないが、駅前は何やら工事をしている。駅へ行くなら、橋を渡り終わったところで歩行者専用の階段を下りていくのが早い。


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 ドイツ側の終着駅で、Trier からのほぼ全ての列車がここで折り返す。折り返し前提の駅だからか、複線だが、ホームは片面しかない。古いながらも立派な堂々たる駅舎だが、今は無人化されており、駅舎の一部はパブになっている。切符はホームに自動券売機がある。

 ドイツという国は無賃乗車に厳しいというか、容赦ない国で、切符を持たずに乗ると理由を問わず、否応なしに高額の罰金を取られるという。全ての駅に自動券売機があるので、無人駅から乗ったというのは理由にならないそうだ。

 私はルクセンブルク国内限定の乗り放題切符を買ってあるので、ここドイツの Perl からフランスの Thionville を経由して、ルクセンブルクに入った最初の駅 Bettemburg(ベッタンブール)までは、別途切符を買わなければならない。自動券売機の表示を英語に変えて、あれやこれやと試してみたが、Bettemburg までの切符は買えない。それどころか、乗換えなしの Thionville すら買えない。壊れているのかと思って、試しに Trier を入力してみると、すぐに切符の種類や値段が出てきたので、壊れているわけではない。ドイツ国内専用なのかと思って、ルクセンブルクと入れてみると、これも値段が出てきた。しかし、私の乗るルートではなく、何と遠回りの Trier 経由での運賃が出てきた。ここからルクセンブルクへ、わざわざ Trier 経由の列車で大回りして行く人がいるとは思えないが、とにかくそういうことになっている。結局、土日に2本しか運行されないこのルートを通る切符は、データが入っていないため、買えないということのようである。


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 そうこうするうちに発車時刻が近付いてきたのだが、列車は現れないし、人の姿も全くない。本当に列車が来るのだろうかと心配になったが、3分遅れで、トリアー方面から赤い車輛の列車が見えてきた。

 それはフランス国鉄の車輛であった。僅か1輛だが、真新しい車輛である。Perl では2人の下車客があった。Trier から Perl までの区間は日常的な利用者がいるので、たまたまこの列車があったから乗ったという人だろう。乗車は私だけで、車内に入ると、空いてはいるが、一応席の半分弱が埋まるぐらいの客は乗っていて、大きな荷物を持った人も多い。観光客でもなさそうで、用事があってある程度の距離を移動する人が、たまたまこの列車があるから利用したという感じに思われる。

 Perl を発車し、今渡って来た道路橋の下をくぐる。どこが国境かは定かではないが、すぐに国境を越えてドイツからフランスへ入った筈である。そのあたりはゆっくりと走る。やがて右手、モーゼル川との間に沢山の線路が広がってくる。国境駅独特の風景で、貨車がいくらかは停まっていたが、広大な敷地のほとんどはガランとしている。そんな所にある国境駅 Apach を通過。ここから先は、フランス国鉄の区間列車が平日4往復、休日2往復ある。この運転本数は究極のローカル線である。だがとにかく、毎日列車が走っている区間に入ったからか、新型気動車はスピードを上げた。

 乗客は中高年のお客が多く、新聞を読んだりおしゃべりしたりしている。景色を眺める人はほとんどいない。土日に2往復しかない列車だから、たまたま乗り合わせたというよりは、この列車に合わせて乗っている人であろうが、この列車が無ければ別のルートで移動するのであろう。私のように、こんな珍しい不思議な列車があるからと意識して乗っている人は誰もいないようであった(写真左下)。


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 Apach の次が、停車駅の Sierck-les-Bains(シエルク・レ・バン)で、古いが立派な駅舎がある(写真右上)。下車はなく、おばさんが一人だけ乗ってきた。切符を買っていないので心配という風情で右往左往している。ホームに降り立った車掌が、いいから乗れ、と合図をしている。

 発車後、その車掌が回ってきて、まずそのおばさんに切符を売る。次いで私の前にもやってきた。私が Perl で乗ったのもお見通しのようである。フランスの車掌で、言葉もフランス語であった。恐らくドイツ語もできるのであろうが、既にフランスに入っているし、ルクセンブルクでもそうだが、一般に仏独両国圏の人は、外国人に対してはフランス語を使う。実際、ドイツ語よりフランス語の方が国際語としては上であろうが、こちらはフランス語もカタコトしか理解できない。

 その車掌が携帯発券機で、Bettembourg までの切符を出そうとするのだが、いくらやっても出てこないようである。Perl の自動券売機同様なのか、困ったものである。そしてしまいには何やらフランス語で長々と説明をしつつ、切符を売って料金を徴収した。あまり理解できなかったのだが、切符を見ると、この列車の終着、Metz までとなっている。どうやら同じ料金だからこの切符でBettembourg まで乗っていい、と言っていたようである。しかし次の列車で検札が来たら、すんなりと通るのであろうか。ちょっと不安ではある。

 列車は相変わらず右手にモーゼル川のおっとりした流れを見ながら、流れに沿ってカーヴを繰り返しながら走る。それでも Thionville が近づいてくると人家が増えてくる。さらにはモーゼル川の対岸に大規模な施設が見えてくる。火力発電所かと思ったが、後で調べると原子力発電所であった。フランス第三の規模で、相当なものらしい。

 そうしているうちに、モーゼル川とも離れ、列車は Thionville 駅に滑り込んだ。Thionville は中規模の街で、ルクセンブルクに近いので、ルクセンブルクへ通勤する人も多いらしい。ロレーヌ北部の代表的な都市はこの列車の終点 Metz だが、ここもそれに次ぐぐらいの規模がある。


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 Thionville では乗っていた客の3割ぐらいが下車した。代わりに乗り込む人が何倍も多く、僅か1輛の列車はほぼ満席になったようである。ここから先は1時間に1本以上の列車が走る高頻度区間である。そういう区間だけ利用する人は、たまたまこの列車が来たから乗っただけであって、この列車が土日しか走らない Trier からの珍しい列車であることなど、意識にもないであろう。

※ この区間は、ドイツとフランスとにまたがりますが、フランス側の方が距離が圧倒的に長いため、便宜上、フランスのカテゴリーに分類しました。
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by railwaytrip | 2011-01-08 10:42 | フランス

日南線・伊比井駅

 新婚旅行で海外に行くのが当たり前ではなかった時代、宮崎の青島・日南地区は、新婚旅行の行先としてトップクラスの人気を誇っていたという。

 今やその面影を見出すのも困難ではあるが、それでも県庁宮崎市の市街や宮崎空港からさほど遠くないという立地条件や温暖な気候により、根強い人気はあるようである。プロ野球のキャンプ地としても知られている。

 しかし、そこを走る日南線は、もう昔のような活気は見出せない。青島なども駅は無人化されており、利用者も少ない。宮崎に近い所はバスや車も便利だからであろうか、少し離れた飫肥、日南、油津あたりに、途中区間で乗降客が多い駅が固まっているようである。

 その青島の先、飫肥の手前の地味な区間の一つ、伊比井という駅に、ぶらりと降り立ってみた。正直、そこまで大きな期待はなく、ちょっと海でも散歩して戻ろうかという程度だったのだが、何とも表現し難い、不思議な情緒を感じたひとときであった。

 時は晩秋、北国はもうすっかり冬支度が終わっている時期だが、ここ南国、宮崎はまだポカポカ陽気である。それでも風はちょっと冷たい。


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 快速とは名ばかりのたった1輛の志布志行き気動車から降り立ったのは、私の他におばさん一人だけ。ちょっとした高台にある駅で、狭い島式ホームの交換駅である。南九州に多い、ガラス張りの待合室を兼ねた簡易駅舎だったら面白くないなと思って降りたのだが、ここは昔ながらの駅舎が健在であった。小さい駅舎だが、かつては駅員がいたのであろう。そしてホームの一部を切り欠いて設けられた階段を降り、線路を横断する構内踏切を渡って駅舎へ出るという、このスタイルが何とも言えない。

 駅が高台にあるので、駅舎を出たら階段を降りなければならない。降りた所は国道。車はそれなりに通る。沿道は古い木造の家屋が並び、ちょこっと店もあるといった、街道筋の小集落である。


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 その国道を横断して狭い道を集落に入ってみる。陽光を浴びて明るい雰囲気だが、ひっそりと静まり返っている。平日日中だから当然だろうが、それでも空き家は少ないようで、生活の息吹を感じる集落であった。

 抜けると海辺に出た。青い綺麗な砂浜である。年頃の女の子が二人、海辺で遊んでいた。それ以外には人影がない。夏は海水浴客で賑わいそうな感じであるが、壁に大きく「水泳禁止」と書いてある。


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 雄大な青い海も、そこで遊ぶ現代っ子の女の子も、ありふれた現代の風景である。しかしこの古びた、しかし落ち着いた静かな集落と、そこに立地する駅は、一瞬、現代であることを忘れそうな光景ではないか。寒くも暑くもない快適な気候だし、このままいつまでもぼっと海を眺めていたくなる。

 そんな、自分にとって贅沢な一瞬の時間を過ごし、やってきた上り南宮崎行きの列車で引き返した。2輛編成だが、今度もガラガラに空いていた。正直、日南線の将来が心配である。
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by railwaytrip | 2010-11-17 13:06 | 九州・沖縄地方

十和田観光電鉄・三沢~十和田市

 青森からの特急が三沢に着いた時は、あいにく雨が降り始めていた。しかし予定通り、まだ乗ったことのない地方私鉄、十和田観光電鉄に乗って十和田市まで行ってみようと思う。

 十和田観光電鉄といえば、その昔は地方私鉄の優等生で、乗客も多く、例えば津軽鉄道あたりと比べてもずっと活況を呈していたという。それというのも終点の十和田市がそこそこ大きな街だからであろう。十和田といえば十和田湖、そして観光、という文字が路線名に入れば、十和田湖へ行く観光路線のような印象を与えるが、実際にこの電車とバスを乗り継いで十和田湖へ観光へ行く人は、昔から少なかった。それよりは圧倒的に地元の生活密着路線としての性格が強い。


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 リニューアルされて都会風の橋上駅になったJR三沢駅の西口を出て、十和田観光電鉄の駅へ行く。そこはうって変わって古色蒼然としたモルタル造りの渋い駅がある。とりたてて味わい深い建築ではないが、今見ると、昭和に時代が逆戻りしたような味わいがある。

 駅舎の中に入ると、その感じは一層強まった。平日の日中のお客が少ない時間帯で、しかも雨である。だから余計に寂しく感じたのかもしれないが、それでも駅員がいて切符売場もある。自動券売機もあるので、私はそこで十和田市まで570円の切符を買ってしまったが、後で知ったのだが窓口で硬券も買えたらしい。どちらにしても、改札口で鋏を入れてもらう。昔ながらの鉄道の姿がここでは健在である。


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 電車は東急のお古で、東急時代の面影が良く残っていて何となく懐かしい。12時35分発、2輛に10人ほどの客を乗せて発車した。もちろんワンマン運転である。

 三沢を出るとすぐ、古牧温泉の中を通る。温泉地と言うよりも、ホテルの中を横切るような感じである。その後は林の中を走ったと思えば田園地帯を走る。人家は少ない。最初の大曲駅も次の柳沢駅(写真右上)も、単線の無人駅で反対側は見事な水田であった。乗降客もいない。

 3つ目の七百という面白い名前の駅は、途中唯一の交換駅である。駅に小さな車輛基地が併設されている。


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 次の古里は、駅前に道路が走り、駅付近にも人家が見られるなど、これまでより少し賑やかになった。ここまで4駅で8.4キロあり、ここから十和田市まではまだ6駅もあるのに、6.3キロしかない。十和田市側の方がずっと駅間距離が短いのである。三沢も大きな街だが、駅のあたりは市街地と離れているので、三沢側の風景は概して寂しい。ローカル盲腸線の多くは、先へ行くに連れて寂しくなっていくが、この線は逆である。しかしこのことが、十和田市のためにこの路線が残っていられる理由の一つであろう。

 古里の次が三農校前という駅で、駅名の通り、駅前に県立三本木農業高校がある。そして一つ飛んで北里大学前があり、その次が工業高校前と続く。今の時代なら学園都市線というニックネームをつけてもおかしくない。通学時間帯はそれなりに賑わっているに違いない。

 その次がひがし野団地前という、これまた東京近郊にありそうな駅名だが、駅周辺は団地ではなく、東京よりずっとゆったりとした一戸建ての住宅が並んでいる。そして最後はそれまでより少し寂しくなって、十和田市に着いた。途中多少の乗降客があったが、大半は全線乗車の客のようであった。

 十和田市駅は、駅ビル併設の橋上駅だが、駅ビルにあったスーパーが色々な事情から撤退してしまい、もぬけの殻である。有人駅で、駅員が集札しているが、それでもどことなく寂しく寒々しい感じがするのは、天候と、この無機質な駅ビルのせいだろうか。こんな場合は昔ながらの木造駅舎の方が温かみを感じるものである。ちなみに市街地は駅から先へ少し歩く必要がある。


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 雨の中、線路に沿って少し戻り、途中の駅から乗って三沢へ戻った。帰りも乗客は10人前後であった。三沢に戻り、駅構内の老舗の蕎麦屋で昼食をし、それから駅の先の古牧温泉の入口にある踏切で、次の列車の発車を見送ってみた(写真右上)。

※ 乗車当時のこの線には具体的な廃止の話はありませんでしたが、その後、新幹線延伸や震災の影響もあり、急に廃止の話が浮上し、結局2012年3月31日をもって廃線になってしまいました。
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by railwaytrip | 2010-05-28 12:35 | 東北地方

木次線・芸備線・宍道~新見

 所用で松江に1泊した翌日は、予定を入れず、その日のうちに東京へ戻れば良いようにした。忙しい人なら朝一番の飛行機で東京へ戻るのだろうが。

 それで今回は、木次線から芸備線を抜けるルートを選んだ。このルートのうち、木次線の出雲横田~備後落合と、芸備線の備後落合~東城は、乗客減と減便のいたちごっこで、今や1輛の気動車列車が一日3往復するだけの、究極のローカル区間になっている。それも、その昔あった日中線のような短い盲腸線の3往復と違い、かつてはグリーン車付の急行列車が行き交った、準幹線とも言えるような区間である。中長距離輸送が完全に自動車と高速バスにシフトした結果、急行が廃止されて久しい。もうどのぐらいになるのだろう。私もその昔、1980年代に、この地域の急行列車に乗ったことがある。ローカルな急行だなとは思ったものの、乗客もそれなりにいて、まだ鉄道が鉄道としての役割を果たしていた時代だった。

 最初に乗るのは、宍道11時21分発の備後落合行。というよりも、一日3往復の両線をうまくつなぎ、今日中に東京へ戻るには、この列車以外に選択肢はない。山陰本線が強風で遅れた影響で、この列車も5分ほど遅れての発車となった。宍道は小さな町なので、松江や出雲市などの山陰本線からの乗り継ぎ客がなければ、木次線も機能しないであろう。車輛はキハ120という小型のディーゼルカー2輛だが、後ろの車輛は回送車で乗車できないとのこと。乗客はざっと見渡したところ、15名ぐらいである。この人数なら1輛でも余裕である。やはりお年寄りが多いが、スーツ姿のビジネスマンも数名いる。出張に木次線を使うように命じられている沿線自治体の公務員かもしれない。


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 山陰本線は、本線としては十分に鄙びているが、それでもここ、米子~出雲市間は、電化もされており、それなりに開けた印象もある。それとの比較で言うと、木次線に入った途端に風景が鄙びる。特に最初の南宍道の前後は、日本の原風景とでもいうべき農山村の眺めが続く。最初からこんな素晴らしい風景が出現すると、この奥は一体どんな所だろうと期待が湧くが、次の加茂中は、モダンな建物も見られる普通の田舎の景色になった。後で地図を見てわかったのだが、南宍道前後は主要道路が全く並行していない。だから昔のままの風景が残っているのだろう。今は鉄道ではなく道路がある所から開ける時代なのだと、改めて思う。

 加茂中の先は、南宍道ほどの原風景ではないものの、長閑な農村地帯を走り、幡屋という小駅に停まり、その次は大東町の中心、出雲大東である。ここはモダンな建物もあり、まあまあ開けている。ここで意外にも、10名あまりの乗車があった。以前の三江線などでも同じ経験があるが、今やこのタイプのローカル線は、沿線から主要都市への足というよりも、線内ローカル輸送の比率の方が高いのかもしれない。

 南大東に停まり、次が線名にもなっている木次。下車する人が多いが、まだ結構残っている。それなりの町で、駅舎も大きい。多分このあたりまでは、松江や出雲への通勤通学も可能なエリアであろう。

 木次を出ると、右に古びたたどん工場がある。たどんとは何だったかな、などと考えているうちに、次第に山間部に入り、レンガ造りの古びた隧道などもある。車輛は新しく、ロングシートも多くて雰囲気が今一つだが、やはりローカル線の旅はいいなあと思えるひとときである。日登、下久野と、乗降客もない小駅に停まった後、次の出雲三成は、結構な下車客がある。異彩を放っていたスーツ姿のビジネスマン3名も、ここで下車。木次や横田に比べて影が薄い主要駅で、こんなに降りるのかと思うが、駅舎もモダンで近代的な建築である。後で調べれば奥出雲町の町役場所在地である。もともとは仁多町の役場がある駅だったが、横田町と合併した結果、こちらが役場所在駅になり、横田は役場所在駅の地位を失ったのであった。であるから、スーツ姿のビジネスマンは、役場関係者ではないかと思う。

 ここでの乗車客はなく、だいぶ客が減って寂しくなった列車は、さらに奥出雲の山に分け入る感じで進む。次の亀嵩は、松本清張の「砂の器」の舞台の一つであり、駅舎に蕎麦屋が入っていることでも知られているが、乗降ゼロ。そしてその次が出雲横田。ここで残っていた数名が下車し、車内はすっかり寂しくなった。そして後ろについていた回送車がここで切り離される。その作業もあり、停車時間がかなりあるので、駅前に出てみる。小綺麗な駅前ではあるが、人の気配は乏しい。雑貨屋は開いており、ここで昼食のパンを仕入れておく。


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 出雲横田発車時点での乗客は、私の他、2名だけであった。いずれも中年男性で、一人はさっきから車内で本を読んでいたし、旅行者風でもなく、地元の利用者なのかなと思う。もう一人はおとなしく座っているだけで、カメラを出すでもないので、地元客か旅行者か不明であったが、どうやら旅行者のようである。いずれにしても、ここから先は一日3往復だというのに、この乗客数では、もはや大量輸送機関としての使命は完全に失っていると言って過言ではないだろう。寂しいが仕方ない。乗客3名に対して、運転手の他、ワンマン運転ではあるが、車掌とおぼしきJR職員も乗っている。

 出雲横田から先、備後落合までは、途中4駅。最初が八川という影の薄い駅で、その次が三段スイッチバックと延命水で有名な、出雲坂根である。八川方面からの列車は、まっすぐそのまま出雲坂根駅に突っ込んで停車する。この駅が近づくと、驚いたことに、車掌のような社員が、マイクで車内に向かって出雲坂根駅の解説を始めた。といっても乗客は私を含め僅か3名である。この駅に着くと、鉄道マニアっぽく見えなかった他の2名の乗客も、ホームに降りてきた。まあ何というか、積極的な鉄道マニアではなく、移動のついでに興味半分でこのルートを選んでみたという程度の人達だろうか。私もそうだといえばそうなのであるが。


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 数分の停車時間を、駅前に出たり、駅構内の写真を撮ったり、延命水(写真左下)を飲んだりして過ごす。発車時刻となり、運転手はこれまでの後部に移動している。発車すると、これまで走ってきた線路を進行左下に見ながら、山を登っていく。


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 つい今しがた走ってきた八川方面の線路が、左下すぐそばに見える。大した距離ではなく、道さえあれば、普通に歩けそうである。鉄道が勾配に弱いことを如実に知らされるところではある。こんなローカル線ではあるが、冬季は雪も結構降るのであろう、ポイントの部分はシェルターで覆われている。


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 行き止まって、運転手が再度移動し、また逆方向に走り出す。さらに勾配を登っていく。しばらくの間、進行右側に、これまで通ってきた2本の線路が両方見える(写真右上)。そして出雲坂根駅をはるか下方に見下ろすのであるが、間には木々が深く生い茂っており、ずっと眺望良好というわけではない。それもしばらくすると見えなくなり、列車は隧道に入る。出ると、今度の見ものは、国道のループ、通称おろちループである。鉄道より道路の方が設備も規模も大きいから、正直、鉄道のループより見ごたえがある(写真左下)。もう一つ隧道があり、ぐるりと回ると、中国地方で一番標高の高い駅、三井野原に着く。出雲坂根からの営業キロは、6.4キロだが、直線距離なら2キロちょっとと思われる。鉄道がそれだけスウィッチバックと遠回りで山を上ってきたのである。


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 三井野原を出るとほどなく県境を越え、島根県から広島県に入り、斐伊川水系から江の川水系へと移る。県境に隧道はなく、あとは山を徐々に下る感じで、もう一つ、油木という小さな駅に停まると、その次が終着の備後落合である。出雲横田から備後落合までは、途中駅での乗降客もなく、私を含め3人の乗客と2人のJR社員を運んできたことになる。その社員の方と少し話をしたが、今はこの区間は定期利用者もなく、何とか観光客誘致でつないでいるとのことであった。

 右手に広島方面からの芸備線が合流してくると、列車はゆっくりと終着の備後落合の構内へと入っていく。かつて急行列車が行き交った頃は、駅は山峡なりに活気があり、そば屋などもあったという。その頃にも私は通っているのだが、格別の記憶がない。しかし今の備後落合は、分岐駅なのに無人駅で、駅前もすっかり寂れてしまい、むしろ特徴的であり、印象的である。この時間は3方向から列車が着き、相互に接続をして3方向に発車していくという、この駅が一日で一番賑わう時間であるが、この列車にしても乗客はこの通り3名だけだし、他も似たようなものであろう。だから、殆ど人のいないひっそりとした終着駅を期待していたのだが、何とホームが人でそれなりに賑わっている。殆ど年寄りの中に、制服のようなものを着た女性が立っているのを見て、わかった。団体客なのである。こんな観光地でもない所で列車を使っての団体とは、期待していた雰囲気を味わうには興ざめだが、ローカル線の活性化に多少でも役に立っていると思えば、悪くは言えない。


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 備後落合では、三次からの列車が一番最初に着いており、次がこの木次線、そして新見からの列車が最後に着く。私は駅を出て駅付近をしばらく散歩してみた。かつては駅前旅館などもあったらしいが、今はひっそりとした山間の集落である。しかし駅からすぐ国道に出られ、そこは車もそこそこ通るし、バス停もある。特に秘境というわけではなく、普通にどこにでもある日本の山間集落と言ってしまえばそれまでだ。しかし、それがかつての急行停車駅であり、鉄道路線のジャンクションの駅前だということは、やはり特筆すべきことであろう。


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 駅に戻る。さきほどの年寄りの団体は、何と私の乗る新見行に乗っていた。十数名であろうか。その大半が、前方に4区画あるボックスシートとその回りに座っている。女性のガイドが「この線は1日3本しかないので、乗り遅れたら大変ですよ~」などと解説している。悪いが近くには行きたくないので、私は一番後ろのロングシートの端に座る。向かいには一人、お婆さんが座っている。それ以外には乗客がいない。木次線から乗り継いだ男性2名は、どちらも三次行に乗ったようで、その他、三次行には、新見から乗り継ぎの客もいたのか、数名の客がいる。絶対数ではこちらが多いが、団体を除くと、私と目の前のお婆さんの2人だけみたいである。


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 発車してほどなく、その目の前のお婆さんの所にガイドがやってきて、何やら話しかけた。何とこのお婆さんも団体客の一人だったのである。つまり、この団体客がいなければ、この列車の客は私だけだったのだ。ということは、乗客ゼロで走る日も珍しくないに違いない。これには改めて愕然としてしまった。

 一日3往復にまで減らされて、もはや鉄道としての存在意義を失ったかのような、元準幹線とも言うべき芸備線の枯れた雰囲気は、団体客が乗っていても、侘しい。線路の保守整備にも金がかけられないからであろう、あちこちに超徐行区間がある。景色は素晴らしいが、列車本数の少なさに比例して他線区よりも素晴らしいというわけではなく、基本的には地味な中国山地の中を、左右にカーヴを繰り返しながら、小型1輛のディーゼルカーは、淡々と進む。最初の停車駅道後山は、スキー場で知られ、かつては広島から臨時列車も走ったぐらいだが、今は廃墟ばかりが目立つ寂しい集落である。その次の小奴可は、それよりは大きな集落があり、ここでおばさんが一人乗ってきた。そして、人家も殆ど見られない内名、少し里に下りた感じで古い駅舎も残る備後八幡(写真右上)と停まり、その次が東城。ここから先は本数が倍増するので、備後落合からここ東城までが、一日3往復という究極のローカル区間であった。その間の乗降客は、小奴可で乗ってきたおばさん1名だけであった。

 東城は、帝釈峡という観光地の最寄り駅である。お年寄りの団体は、ここで下車した。駅前に迎えのマイクロバスが停まっていたから、これで帝釈峡に向かうに違いない。東城から新見までは、一日6往復と、本数が倍増する。東城はそういう意味があるぐらいの、中規模な町である。しかし、その東城からも乗車はおばあさん1名だけであった。そもそも東城は県境の町であり、ここは広島県、しかし列車はこの先で岡山県に入る。列車の本数からしても、沿線風景からしても、県境は東城と備後落合の間にあった方が実感があるのだが、そうではない点にも、この芸備線というローカル線の利用者減の原因があるかもしれない。

 東城を出ると、これまでに比べれば風景もだいぶ開け、長閑な山里という感じになる。その次の野馳では、小奴可からのおばさんが下車。一日3往復の芸備線を使いこなしている数少ない沿線住民のようだ。その次の矢神で、東城からのおばあさんが下車し、私一人になるかと思ったら、若い女性が一人乗ってきた。その後は、モダンな駅舎のある市岡も、新しい簡易待合室がある坂根も乗降客はない。左から幹線である伯備線が合流してきて、乗換駅の備中神代、ここも乗降ゼロ。備中神代を出ると、再び山峡に入り、蒸気機関車時代の末期に三重連の撮影地として知られた布原に停まる。この布原は、昔は時刻表にない駅というか、信号場だったのだが、今も伯備線の駅でありながら、伯備線の電車は停まらず、芸備線の気動車だけが停車する、ホームの短い駅である。しかし乗降客はいない。そして最後の疾走という感じで、伯備線を快走して、人家が増えてくると、終着駅、新見である。


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 かつては鉄道の要衝として栄えた新見も、今はひっそりとしており、実質的には伯備線の途中駅と言っても過言ではない程度になってしまった。それでも山間を走る芸備線から着いてみれば、それなりの町であり、駅前にビルもある。けれども人の姿は少ない。鉄道が寂れてしまった典型例をいやというほど見せつけられた旅ではあったが、楽しかった。けれども今後のこれらの路線の存続については、予断を許さないのではないかと強く感じた旅でもあった。
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by railwaytrip | 2009-04-21 11:21 | 中国・四国地方

根室本線・滝川~新得

 根室本線は、滝川から根室までの幹線であり、滝川はその起点である。しかし、石勝線開通後の今日、新得~釧路間のみが幹線らしい姿で残り、滝川~新得間はすっかりローカル線になってしまった。それでも石勝線開通からしばらくは、札幌から滝川回りの急行「狩勝」が残っていたように記憶しているが、それがなくなって、もうどのぐらい経つのであろう。とにかく現在、滝川~新得間は実質ローカル線である。その区間を走破する普通列車に乗ってみた。滝川15時22分発の新得行である。滝川駅は改札のすぐ横、1番線から発車する。

 列車はキハ40型で、たった1輛であった。昔ながらの気動車列車ではあるが、1輛というのが寂しい。起点の滝川では座席が半分弱の埋まり具合であろうか。ざっと30名程度の乗客数だ。時間帯からして高校生がどっと乗っていてもおかしくないが、殆どおらず、中高年の一般客が多い。

 この旅の前半区間は空知地方を走る。空知といえば、かつて炭鉱で栄えた地域として名高い。だから、炭鉱が閉山された今は寂れているという見方が一般的だ。しかしそれにも地域差がある。起点の滝川は、函館本線の特急停車駅でもあり、空知の中ではまだ活気がある。とはいえ、大きな街ではない。根室本線がローカル然としてしまったのも、起点の街の規模による面もある。せめて滝川が旭川ぐらいの規模の都市であったなら、なんて考えても仕方ないのだが、とにかく、乗客が少ない時間帯ではないのに1輛の気動車で座席が半分も埋まらないあたりに、今の根室本線のローカル線ぶりが出ていると思う。写真右下は、滝川発車後の車内。


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 最初の駅が、東滝川。こういう駅名は内地だったら滝川から近いのが普通だが、北海道はその点が違い、7.2キロもある。しかし乗降客はいない。次が赤平で、ここはかつて炭鉱で栄えた赤平市の玄関口だ。斜陽の街に似合わず、と言っては失礼かもしれないが、立派な新築の駅舎がある。しかし駅の裏には石炭積込み施設跡が生々しく残っている(写真左下)。ここは流石に市の中心駅だけあって、数名が下車し、乗車もある。その次の茂尻も炭鉱のあった所で5人下車、平岸はおばさんが1名だけ下車という感じで、どこも駅付近にはそれなりの集落が見られる。茂尻には新しい炭住と思われる建物すらあった。


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 段々と雪が深くなってきて、次が芦別(写真右上)。芦別市の中心で、赤平より一回り大きく、滝川~富良野間では最大の街だ。やはり炭鉱で栄えたので今は人口も随分減ったが、ここはまだ、炭鉱以外の産業もあるからなのか、寂れ方が小さい気がする。利用者も多く、大半の客が下車し、乗車もある。1輛のローカル線の中では十分活気のある中核駅と言える。駅員は女性で、列車に向かっておじぎをする。

e0028292_230133.jpg 炭鉱地帯なので、炭鉱も住宅も一ヶ所に固まることはなく、あちこちに散らばって存在していたはずである。そのため次の上芦別なども、かつてはそれなりの住宅地であったと思われる。しかしこの列車の乗降客はなかった。ただ、跨線橋で上り列車を待っているらしい客が2名いる。というように、このあたりはまだ無人地帯にはなっていない。人の気配、生活の匂いが十分感じられる。そして次の野花南で上り列車と行き違う(写真左)。炭鉱の香りが薄れ、山が迫ってきた。ここも駅前商店がある。

 野花南の次は、かつては滝里という駅があったが、ダム湖に水没してしまい、廃駅となり、線路は長い隧道に付け替えられた。そのため、野花南から島ノ下までは13.9キロもあり、15分ほどかかる。滝川からほぼ1時間の島ノ下は、山峡の寂しい駅で、ここは乗降客はなかった。

 次が富良野である。富良野線が合流する鉄道の要衝なので、近づくと貨物線や引込み線が増えて構内が広がり、コンテナが積んである所もあり、大きな駅に近づいたという印象を与えてくれる。人口もこの沿線では多い。といっても2万4千人程度だそうである。ただ、赤平や芦別と大きく違うのは、観光都市のイメージが強い点だ。ラベンダー畑、スキー、ワインなど、富良野の一般的なイメージは良い。しかしそういった富良野観光の中心地、特にラベンダー畑などで有名なのは、ここ富良野駅よりは、富良野線の美瑛から中富良野の方面であり、それらへの輸送は旭川とここを結ぶ富良野線の役割となる。実際、富良野線は、北側は北海道第二の都市旭川の近郊輸送でそこそこ栄えているし、南側はそういった観光路線のイメージが強く、要するに明るい感じがする。それに比べると、私が今回乗っている根室本線は、ひたすら渋く、枯れた味わいがある。その渋さこそが根室本線の魅力だと思うし、私はこちらの方が好きだが、一般の観光客に乗ってもらうには、もっと具体的な何かが必要なのだろう。


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 16分停車の富良野では、私と一人の男性客を除き、全員が下車した。代わって同数ぐらいの客が乗り込む。停車時間が長いのでホームに下りてみる。観光客がホームの置き人形をバックに記念写真を撮り合っていたが、後で車内で会話を聞いて、中国人とわかる。多分台湾人であろう。滝川から富良野までは、車中にも車窓にも、およそ観光といったイメージが全く存在しなかったのだが、富良野に来てそれが変わった。とはいえ、列車が観光客で溢れたわけではなく、富良野から帰宅の途につく高校生も十数名という感じで、やはり生活列車には違いない。

 16時44分、定刻に富良野を発車。一瞬華やいだかと思ったが、動き出せば渋い根室本線の旅が再開され、今度は富良野盆地を南へ、引き続き空知川を遡りながら進んでいく。富良野発車時点での乗客は、今までで一番多い。それが、布部3名、山部7名、下金山2名、金山1名と、駅ごとに下車していき、空いてきた。時間的にも帰宅列車なのである。金山では二度目の列車交換がある(写真左下)。野花南同様、上下のホームが互い違いになっており、停車中に相手の列車が横に見えない構造だ。


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 金山を過ぎると金山湖が広がる。4月なのにまだ結氷しており、中国人観光客が珍しそうに眺め、カメラを向ける。この区間の車窓は景色が良く、変化に富んでいる。そんな景色をのんびり眺めていると、突然警笛がなり急ブレーキがかかる。何かと思えば、鹿が列車の直前を横切ったのだ。その鹿が3頭、振り返って列車を眺めている。彼らもやはり冷や汗をかくのだろうか。そして金山湖が目の前に広がる東鹿越。左手の車窓は景色が良く、観光客に降りてもらっても良さそうな立地だが、右手の駅裏が荒々しい採石場なので、無理かもしれない。ここは民家は殆どなく、乗降客もいない。ホームに石灰石の見本が置いてある(写真右上)。駅裏で採れる石なのだろう。


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 次が南富良野町の中心駅、幾寅で、かつては急行停車駅であった。しかし、幾寅のはずなのに、一段低い所にある駅舎にかかっている駅名標は「ほろまい」であり、「ようこそ幌舞駅へ」という大きな看板が掲げてある。これは映画「鉄道員」のロケのためらしいが、ロケが終わった後も、観光用に名前を残してあるらしい。浅田次郎作のそのオリジナルの小説は、私も読んだが、イメージとしては、炭鉱地帯の行き止まりの盲腸線で、廃止になった幌内線、万字線か歌志内線あたりがモデルかと思われる。幾寅はどう考えても結びつかないのだが、現存している駅を使う以上は、まあ仕方ないだろう。その幾寅では6名下車し、乗車も2名あった。富良野からの女子高生も一人下車、所要50分と、結構な長距離通学だ。夕暮れのホームにポツンと降り立った所は絵になる。


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 幾寅を過ぎるとだいぶ山も深くなり、人家もめっきりと減る。そしていよいよ狩勝峠越えの手前最後の駅、落合に着いた。ここでは男子高校生が3名下車し、跨線橋があるのに渡らずに、列車の後ろの線路を横断している。運転手もいつものことなのか、いちいち咎めないようである。狩勝峠を控えた落合は、かつては補機の増解結などで忙しい駅だったはずである。そんな時代はとうに過ぎて、今は山峡の無人駅になっている。ここ落合と次の新得との間は、28.1キロもあり、長いこと、在来線の最長駅間距離として、鉄道豆知識などに登場していたものだった。

 落合発車時点での乗客は、私を除き6名で、そのうち3名が富良野から乗った中国人旅行者、2名は幾寅から乗ってきた女性で、あと1名は、多分富良野から乗っている中年男性である。というわけで、滝川からの全区間を通じて最少の乗客数となり、最長の駅間距離に挑むわけだ。とは言っても、数分走って隧道に入ると、早くも右側から石勝線が合流してくる。そこが隧道内にある上落合信号場である。この信号場は、石勝線開通以前から存在しており、後から石勝線が開通し、合流地点に選ばれたというわけである。従って、ここから先は、札幌からの特急でも通る区間であり、単線の線路は根室本線と石勝線の二重戸籍になる。二重戸籍区間の距離は24.1キロにも及ぶ。これは日本一の長さであろう。

e0028292_2325679.jpg 根室本線に石勝線が合流してきたとは言っても、実質は石勝線の方が幹線である。高速運転に完璧に対応している石勝線は、線形も良く、最高速度の設定も高いのであろう。今や老兵とも言ってよいキハ40型気動車も、ここからスピードが上がる。右へ左へと大きくカーヴを繰り返しながら峠道を行く。遠くに見える新得の町の夕景が、徐々に近づき、そして夜景へと変わりつつある薄暮の中を、1輛の気動車は快調に飛ばし、定刻18時08分に終着新得に到着した。落合から新得までの所要時間は24分なので、この区間の表定速度は70キロに及ぶ。かつて日本一の駅間距離だったということもあり、長いぞ長いぞと思って乗っただけに、むしろあっという間であっけなく着いてしまった感じがする。新得での下り列車接続は18時25分発、始発の帯広行で、中国人の3人連れが乗り換えていた。私は乗車の目的を終えたので特急で札幌へ向かうのだが、そういう乗換客はいなかったようである。
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by railwaytrip | 2009-04-08 15:22 | 北海道地方

石北本線・白滝~上白滝

 上白滝は、一日に1往復しか列車が停車しない駅として有名になってしまった。それは列車本数の削減と、周囲の駅の廃止などによって結果的に生じたに過ぎないのであるが、廃止されてもおかしくない駅が、あえて残ったとも言えるのかもしれない。何はともあれ、興味をそそられる駅ではある。

 春休みもほぼ終わった4月上旬の夕方、白滝駅にやってきた。ここは旧・白滝村の中心駅で、一応の集落であるし、特急も停車する。もとより活気はないが、生活の香りは十分ある。しかし今や特急停車駅といえども無人駅が珍しくない時代になった。駅舎こそ立派だが、駅員はおらず、切符も売っていない。なので勝手にホームに入り、列車を待つ。他に列車を待つ客は誰もいない。ほどなく遠軽方面から列車がやってきた。ディーゼルカーの2輛編成、ワンマン列車である。17時02分発普通列車旭川行。


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 無人駅なので、降りる客は一番前の運転手のいるドアから降りてくる。数えてみると4名。意外にも殆ど若い人であった。遠軽にでも遊びにいった帰りであろうか。それを見届けてから1輛目に乗り込み、整理券を取る。そしてデッキから客室に入って愕然とした。客が全然いないではないか。念の為、1輛目を前から後ろまで歩いてみたが、正真正銘、他に乗客はゼロであった。ここから先は一日1本だけの普通列車である。これでは列車自体の存続すら危うい。

 白滝から上白滝までは、3.3キロと、近い。長閑な北海道の田舎を3分も走ると、すぐに列車は減速し、テープの女声のアナウンスが、上白滝到着を告げる。すると、2輛目から若い女の子が一人、移動してきた。上白滝で降りるらしい。白滝で降りた若者同様で、遠軽あたりに出かけた帰りだろうか。しかし白滝なら何本かの列車があるが、上白滝からだと、朝は07時04分発の1本だけしかない。ということは、朝はその列車で出かけたのだろうか、それとも行きは親に白滝まで車で送ってもらったのであろうか?できれば話を聞いてみたいところだが、上白滝に着くと、当然ではあるが、さっさと行ってしまった。こちらは列車の発車を見届けたいのでホームにとどまる。


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 運転手は、私とその女の子から「ありがとうございました」と丁寧に挨拶しながら運賃を収受し、それを終えると、2輛の車内を巡回していた。ダイヤに余裕があるようで、時計を見ると、17時08分の発車時刻までまだ2分ぐらいある。列車はここ上白滝を出ると、次の上川までは実に1時間8分もかかるのである。その間、人家もない山の中を孤独に耐えながらひたすら運転するのだから、何人の客が、そしてどんな客が乗っているのか、確認したい気持ちはわかる。乗客ゼロの日も珍しくないのかもしれない。ナイフを持った客が一人だけなんてことがあったら、と、飛んでもない発想も湧いてくるが、1時間も駅も人家もない所を走るのだから、考えようによっては恐ろしいことである。今はまだ良いが、冬だと全区間が日没後だ。

 駅の先にある踏切が鳴り始めた。そして時間になり、ドアが閉まり、発車。列車はゆっくりと動き出した。2輛目に客がいたかどうか、確認できなかったが、いずれにしても、殆ど客もいない状態で、相当な燃料を消費しながら、長い山越えに挑むのである。ゆっくりと走り去る気動車の後ろ姿は、この上なく侘しげであった。


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 さて、列車を見送った後、上白滝駅周辺を観察する。駅舎は古い木造の好ましいものだ。奥白滝など他の駅が廃駅になった中で、ここだけは生き残った。それにはちゃんと理由があって、駅周辺にそこそこの人家があるのだ。駅のすぐ横には工場もあり、駅前の国道の向かいには商店もある。廃屋かなという家も見られるが、住人も結構いるようである。農業か林業で暮らしている人もいるだろうし、車で白滝や丸瀬布、遠軽などに通勤している人もいるのかもしれない。

 このように、一日1往復しか停車しないとはいえ、それなりの人家があるので、普通列車がある限り、この駅も廃止にはならないであろう。しかし、こうしてみる限り、廃止の危惧が高いのは、上白滝駅そのものよりも、この区間(上川~白滝)の普通列車である。ここは険しい峠越えなので、かなりの燃油を消費する筈である。そこをかくも空気輸送の列車を走らせることは、大変な無駄であろう。特急以外というと、あと1往復、特快きたみというのもあるが、それでもこの有様では近い将来、石勝線の新夕張~新得と同様、特急列車のみの区間になりはしないかと心配である。
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by railwaytrip | 2009-04-07 17:02 | 北海道地方

八高線・高麗川~高崎

 東京に最も近いローカル線であり、非電化路線でもあった八高線だが、残念ながら?南半分は電化されてしまい、東京都内でディーゼルカーが走る姿が拝めなくなってしまった。その時から、八高線の南半分は、一足先に電化された川越線とセットで通勤型電車による運転となり、ローカル色も薄れてしまった。今は実態としては、八王子~高麗川~川越が一つの線区で、高麗川~高崎が別の線区のようである。その昔、八王子発高崎行という長距離のディーゼル列車があった頃が懐かしいが、今さらそれを言っても仕方ない。今回は、その八高線の非電化区間である高麗川から高崎への列車に乗ってみることにする。


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 起点の高麗川駅は、川越線とも接する主要駅だが、駅舎は昔のままで、古びていて小さい。地下道もこれまた昔のままだ。隣の東飯能も、昔は駅舎や地下道が似たような感じだったが、すっかり変貌してしまった。高麗川もいつまでもこのままではないであろう。ともあれ今現在は、ローカル線同士の接続駅であった頃の面影をしっかり残している。趣味的に言うと、とてもいい感じの駅である。

 乗るのは11時43分発の高崎行で、キハ110という新型気動車の2輛編成である。今や1輛や2輛の気動車列車など、珍しくもないが、首都圏に限って言えば、やはり破格に短い。東京の人が近場でローカル線の旅を楽しむには、一番手頃な線区かもしれない。しかも空いていて、乗車率は5割以下と思われる。ただ、首都圏だなと思えるのは、スーツ姿のビジネスマンっぽい客が散見される点だ。本当の田舎にいくと、ローカル線の客は高校生とお年寄りが殆どなのだが、ここはやや違う。


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 最初の停車駅は毛呂。東武越生線の東毛呂とも近く、毛呂山町の中心でもあり、駅の西側には高層の立派な大学付属病院が立つなど、全くの田舎ではないのだが、駅舎は田舎駅のたたずまいである。下車客が結構多い。次いで越生。東武越生線の乗り換え駅である。個人的なことだが、小学生の頃、黒山三滝などにハイキングに行った帰り、バスでこの駅に着いた。その時、八高線のホームには屋根すらなかったのが妙に印象的であった。東武のホームには一応屋根があり、子供心に、ここは国鉄より東武の方が主役の駅なのかと意外に思ったものだった。今は勿論、どちらにも屋根はあるし、跨線橋まであって、当時の超田舎駅の面影はない。写真右上は、越生駅停車中の車内で、向こうに東武越生線が見える。

 越生を過ぎると風景はますます渋くなる。もともと地味な埼玉県の中でも特に地味な地域をゆったりと走るローカルな八高線は、やはり味わい深い。次の明覚は都幾川村の代表駅だが、首都圏に近いのに、まだ村のまま残っているのが嬉しい。そして明覚から小川町までの間は駅間距離が8キロもある。

e0028292_242419.jpg 小川町は、和紙で有名な町だ。東武東上線が池袋と結んでいるが、流石にこのあたりは東京への通勤圏としては遠すぎるようで、まだ地方都市らしさの濃い町だ。次回は下車してゆっくり歩いてみたい町である。ここでは下車の方が多く、乗車は僅かで、列車はますます空いてしまった。小川町から寄居までの間は、東武東上線と八高線の両方がある区間で、こんな田舎に、と言っては失礼だが、正直、2本もの路線があるのが過分な感じではある。小川町からしばらくは両線が並行し、分かれたあたりに、八高線の竹沢と、東上線の東武竹沢が至近の距離にある。そのためか、竹沢は八高線全駅で乗降客数が最も少ない駅だそうだ。それでもこの列車からは数名の下車客があった。そして無人駅の折原を過ぎ、荒川を渡ると寄居である。

 この寄居という駅もなかなかだと思う。田舎町なのに3本もの異なる鉄道が集まる要衝となっている。大都市圏を除いて、3社もの鉄道が集まる駅なんて、そうそうないだろう。兵庫県の粟生あたりが、大都市からの距離といい、何となく近い感じがする。寄居は粟生よりはずっと大きな町だが、それでも昔から市ではなく町なのである。ここで高校生を含め乗客が結構あった。小川町~寄居間は、東上線も使える区間だからか、八高線では輸送密度が一番低い区間らしく、列車本数にもそれが表れている。

 ところで、こうして東京郊外の町や村を結び、東京からの私鉄ともちょくちょく連絡する八高線のような線は、短距離の乗客が殆どかと思っていたが、高麗川からずっと同じ席に座っているビジネスマン風の人は、寄居を過ぎても下車しない。スピードの遅い単線のローカル線には違いないが、それでも例えば八王子から高崎へ行こうと思った場合、中央線で東京へ出て新幹線に乗っても、所要時間はいくらも変わらない。それでいて運賃・料金では大差がつく。東京西部から高崎へ、ないし上越・長野新幹線沿線へ出張という場合に、八高線経由になることもありうるのだ。そういった客も多くはないが、確実に数名はいるようである。

 寄居から乗ってきた高校生などは、埼玉県が終わる丹荘までの4駅で全て下車した。しかし、一般客に関しては、県境で極端に客が減るということはない。埼玉県でも最北部の児玉あたりだと、最寄りの主要な商業都市は高崎、次いで前橋である。埼玉県内でそれに相当する都市はどこかというと、熊谷や飯能あたりかと思うが、規模的に見劣りがする。あとは大宮、浦和、川越、所沢など、いずれも遠い。しかも埼玉・群馬の県境である、丹荘~群馬藤岡間には、別に険しい峠があるわけでもない。神流川という川が県境になってはいるが、恐らく昔から国境を越えての交流がそれなりにあったと思われる。

 その神流川を越えて群馬県に入った最初の駅が、群馬藤岡で、ここは藤岡市の中心駅だ。八高線の埼玉県側の市としては高麗川の日高市が最後で、そこから先はここまで市がなかった。しかし、こう言っては藤岡市に悪いが、小川町や寄居と大差ない感じがする。時間帯のせいもあるのか、乗ってくる客も多くはない。

e0028292_242437.jpg 群馬藤岡の次が北藤岡で、北藤岡が近づくと右手から高崎線が寄り添ってくる。そして単線の小さな北藤岡駅は、高崎線の線路のすぐ横にある。ここはどちらかというと、高崎線に乗っていて、左から単線のローカル線が近づいてきて、ポツンと小さな駅が見えるという、その風景の方が面白いかもしれない。高崎線にも北藤岡駅を造る話はあるらしいが、なかなか実現しないようだ。八高線の路線としての終点は、次の倉賀野なのだが、実際の線路は北藤岡を出ると間もなく高崎線に合流してしまう。そして複線電化で線形も良い高崎線の線路上をこれまでより高速で走ると、高崎線の駅にしては、これといって何もない倉賀野。それでも、八高線から見れば本庄・熊谷方面への乗り換え駅なので、多少の下車客があった。

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 そしてもう一駅、高崎線上を高速で走り、終点の高崎に着いた。高麗川から乗り通していたスーツ姿のビジネスマンが、少なくとも2人いた。高崎のホームは切り欠きの3番線で、跨線橋にも遠く、他線への乗り換えにちょっと余分に時間がかかる。高崎で見る八高線は、ここでは一番のローカル線である。最近は高崎線にグリーン車までついているから、余計に都会の電車との格差を感じてしまう。駅も立派で、八高線の途中駅では見られない自動改札もある。それでも東京では見られなくなった、115系湘南色の電車もあり、ちょっと旅情を感じる。何はともあれ、八高線は今も渋く情緒のあるローカル線であり、これはこれでいつまでも発展しないで残ってほしいと思ってしまうのである。
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by railwaytrip | 2008-07-07 11:43 | 関東地方

小海線・小淵沢~佐久平

 中央本線小淵沢駅。今でこそ市町村合併で、北杜市とかいう意味不明な名前の市になってしまったが、市ではなく町がふさわしい、高原の駅である。軽井沢のような華やかさもなく、かといって徹底的に観光化を嫌っているわけでもない、そのさりげなさが好ましい。

e0028292_6505532.jpg 鉄道マニアでなくても、小海線を、そして清里や野辺山を知っている人は多い。そういう人は、新宿から中央線でここまで来て、清里か野辺山あたりまで利用する。近年は甲斐大泉あたりも隠れた別荘地として知られているらしい。

 6月の平日なので客は少なく、発車10分前に小海線ホームに行ったらまだ2人向かい合わせのボックスが空いていた。そこへ座る。キハ110という新しい気動車の2輛編成だ。最近の傾向で座席が少なくなっているのはいただけないが、ロングシートよりはマシと思って諦めねばならない。窓が開かないのも、自然の中を走るローカル線としてはどうかと思う。乗客はというと、一見して地元の人とわかる人は少数派のようで、旅行者っぽい中高年の人が多い。ワンマン列車で、車掌はいない。

 小淵沢9時50分、定刻に発車。ほどなく中央本線と分かれて右へカーヴする。このカーヴは、いきなり現れる小海線の名所の一つで、小淵沢の大カーヴとか呼ばれているようだ。昔から殆ど変わっておらず、築堤を大きなカーヴを描きながら進む。カーヴの内側は田畑が広がっている。バックは南アルプスの山々。それを過ぎると、いかにも高原という感じで、時に畑の中を走り、森を抜ける。最初の停車駅は甲斐小泉。続いて甲斐大泉。駅間距離も長く、結構時間がかかる。近くに座っていた二人組のおばさんの一人が携帯電話で話し始めた。誰々さんが駅まで迎えにくるのかとか、そういうことを大声でしきりとやっている。友達か親戚の別荘にでもお世話になるらしい。勿論、ローカル線でもルールは全国共通で、車内での通話は遠慮しなければならないのだが、お構いなしだ。そして甲斐大泉に着くと、二輛目の前ドアから降りようとして、ドアが開かないので焦っている。ワンマンだから、1輛目の前ドアしか開かないのだが、そんな事は都会の人はわからない。放送も、携帯電話に夢中で気づかなかったのだろう。しかしここは列車交換で停車時間が長く、やがて気づいて駆け足で前の車輛に移っていって事なきを得ていた。


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 もともと空いていたが、小淵沢からの客の何人かがここで降りて、さらに空いた。右上は甲斐大泉停車中の1輛目車内。ところが次の清里では、ワッペンをつけた団体がどっと乗ってきて、満席に近くなった。殆どが中高年で、女性が多い。それにしてもこの清里という所は、自然豊かな小海線の中で、突然変異のようなけばけばしい景観を見せてくれる場所で、個人的には好きになれない。もっとも、かつては若者で大賑わいだったこの地も、今はブームが去って、だいぶ寂れたらしい。車内から駅前の様子を見るだけでも、それが感じられた。

 こういう団体、私の肌には全く合わないが、そこまで騒々しいわけでもマナーが悪いわけでもなく、ローカル線振興のためにはこれも仕方ないのかなとも思う。そのおばさんたちの会話の中に、この先で長野新幹線がどうのこうのいう言葉も出てくる。まさか皆、佐久平まで一緒なのだろうか。山梨県から長野県に入り、JR最高地点の踏切を過ぎ、気動車のエンジン音からも、下り勾配に変わったことがわかると、間もなく野辺山である。言うまでもなく、JRで最も標高の高い駅として、昔から良く知られている。清里とともに、このあたりの高原の観光地として知られているが、昔から清里よりはずっと鄙びている。その分、観光ブームが去ってもみじめにならない良さがあるように思う。そして、清里からの団体は、ここで降りてしまった。やはり、最高地点を走る鉄道への1駅だけの乗車体験だったようだ。団体のみならず、他の客もここまででかなり降り、車内は再び空いてしまった。

 小海線というと、最高地点のこともあって、小淵沢からここまでが、こうして観光客にも人気がある区間だが、私は個人的に、小海線の一番の良さは、ここから小海までの間ではないかと思っている。要するに、観光地色が薄まり、より鄙びてくるからなのだが、経営的には一番の赤字区間かもしれない。小海線はここから終点小諸まで、概ね千曲川に沿ってひたすら下っていくことになる。このあたりはその源流に近い。次の信濃川上は、川上村の中心駅で、小さいながら一応の集落である。清里や野辺山のような観光色は殆どない。次の佐久広瀬は周囲に人家もまばらな、単線の無人駅で、ここで一人、地元の女性が乗ってきた。その次の佐久海ノ口も地元の人が何人か乗車し、乗客の構成が段々と観光客から地元客へと変化していく。

e0028292_655237.jpg 千曲川に沿ってカーヴを繰り返しながら、海尻、松原湖と、単線の小さな無人駅を過ぎ、次が線名にもなっている小海である。立派な駅舎があるが、町は小さいようで、乗降客もさほど多くないが、運転上も一つの要衝である。

 小海を出ると、佐久鉄道という私鉄が開業させた区間になるため、駅間距離が短くなる。そして沿線の人口密度も徐々に高くなっていくのだが、小海に近い側はそれほどでもない。次の馬流と、その次の高岩の間、右手には、大きな岩がそびえており、線路はその下を通る。この岩は、高岩駅の駅名の由来らしい。交換駅の八千穂は、木造駅舎が残るいい感じの駅で、また乗客が少し乗ってきた。1~2駅ごとに単線の無人駅と駅舎のある交換駅が繰り返される。そのうち青沼駅は昔は田んぼの中の閑散とした無人駅だった筈だが、今はだいぶ人家が増えたような気がする。とはいえ、そこまで賑やかにならず、農村地帯を少しずつ乗客を拾いながら、列車は佐久市の中心駅である中込に着いた。小海線の車輛基地もある要衝で、乗客もある程度入れ替わった。

e0028292_6565413.jpg とはいえ中込も、今は寂れ気味らしい。もともと佐久市にはもう一つ、岩村田というそれなりの集落があり、そこへきて今は新幹線の佐久平が発展しているので、中込の求心力が失われているようだ。小海線は、ここと小諸の間が一番輸送量が多いらしく、ここでワンマン運転は終わりとなり、車掌が乗ってくる。バスさながらのテープの放送が増えた今日、車掌の肉声が妙に新鮮である。

 駅間距離はますます短くなり、ちょっと走るとすぐ、住宅と田畑が混じる滑津、続いて国道沿いの賑やかな北中込と停まる。各駅ともある程度の乗降客があり、平日の日中にこれならば悪くないかもしれない。さきほどの八ヶ岳山麓の観光路線の余韻はもはやない。そしてビジネスホテルなども見られる岩村田。駅舎は古く、ローカル線の中心駅ぐらいの貫禄がある、いい感じの主要駅である。乗降客も多い。

e0028292_6581511.jpg もともと駅間距離の短かった小海線北部。岩村田と中佐都の間も1.8キロに過ぎない。その中間に新幹線が通ることになり、佐久平駅が設けられた。ゆえに、岩村田を出た小海線は、ほどなく新幹線を跨ぐため、高架になる。そしてすぐに、単線の細いホームだけの高架駅、それが小海線の佐久平駅なのである。以前にも利用したことはあるが、施設こそモダンだが、あまりに小さい。けれども、利用者数を考えれば、横浜線の新横浜駅よりはマシかもしれないとも思う。とにかく佐久平駅周辺は、近代的なホテルやビルが増えつつあり、基本的にローカル線である小海線の中では、やはり異色である。乗降客も小海線としては多く、いつどこから乗ったのか、新幹線乗り換えとしか考えられないスーツ姿のビジネスマンなども結構降り、東京方面からと思われる荷物を持った客の乗車もそれなりにあった。小海線の駅では唯一、東京直結の空気が漂う駅だ。同じ東京直結でも、小淵沢ともまた異なり、小淵沢のような旅情すら感じられない駅であり、好きにはなれないが、小海線の活性化に一役買っているには違いない。かくいう私も、時間があれば、小諸、軽井沢経由ぐらいでと思っていたが、残念ながら午後に東京で用事があり、ここから新幹線で東京へ向かわなければならないのである。言い換えれば、長野新幹線があるお陰で、小海線寄り道が実現できたのである。旅情がないなどという贅沢なわがままを言ってはいけないとは思う。
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by railwaytrip | 2008-06-19 09:50 | 中部地方