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Fabriano ~ Pergola

 イタリアの首都ローマから、細長い半島を横断して東海岸の町、Ancona(アンコナ)へと抜ける路線は、さほど栄えているように見えないが、幹線の一つである。その途中、Anconaまでの3分の2ぐらい行った所に、Fabriano(ファブリアーノ)という町がある。地味な町で、観光ガイドブックなどにも登場しない。降りてみると、駅前にはモダンなビルが目立ち、つまらなそうな特徴のない町かと思うが、ちょっと歩いてみると、やはり情緒たっぷりのイタリアらしい古い町並みが健在であった。とはいえ、こういう町は、イタリア全土、あらゆる所にあるのであろう。


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 私がここに降りたのは、ここから、一日3往復というローカル盲腸線が出ているからである。広いイタリアで、広いヨーロッパで、そういうローカル線は他にも沢山あるだろう。しかし、こういうローカル線には、なかなかタイミング良く乗れるものではない。たまたまスケジュールがうまく組めたので、昼さがりのFabrianoへとやってきた。乗るのは13時45分発のPergola(ペルゴラ)行きである。Pergolaまでは、途中3駅に停車し、32分かかる。Pergolaでは8分の停留で折り返し、Fabrianoに14時53分には戻ってこられる。できることなら、Pergolaに1時間か、せめて30分でも滞在して町を歩いてみたいが、こういう究極のローカル線では、それが難しいのは、日本と同様である。

 日本では、3往復レベルの盲腸ローカル線は殆ど消えてしまったが、あるとしても、1輛のワンマンカーであろう。しかしここは3輛編成と、思ったより長い。乗客はというと、学生が多いようである。学生の帰宅時間にはちょっと早い気がするが、とにかく意外に乗客が多い。一般客もある程度乗っている。僅か3往復の路線をよく使いこなすものだと思う。

 Pergolaの折り返し時間が8分しかないので、遅れては困るのだが、何とものんびりしたもので、何の理由もなさそうだが、5分ほど遅れて発車した。おばさんの車掌が回ってくるが、切符はチェックしない。列車は案外スピードを出し、町を抜けてぐんぐんと進む。山に分け入る、と言っても、そこまで険しい地形でもなく、若干の上り勾配という程度で、沿線はぱらぱらと牧草地あり、住宅ありで、別段特に寂しい所ではない。


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 そんな所を15分走ると、山の上に城のようなものが見えてきて(写真左上)、Sassoferrato-Arceviaという駅に停まる。かつてはもっと乗客が多かったのであろう、駅舎は古いが、大きく立派な建物である。ここでかなりの客が降りる(写真右上)。20人余り降りたであろうか。私の乗っていた先頭車の前半分は、数名いた客が全てここで降りてしまった。


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 ここを出ても、風景はさして変わらず、長閑な田舎を快走し、5分ほど走るとMonterosso Marcheという駅に停まる(写真右上)。ここも立派な駅舎があるが、2人ぐらいしか降りなかった。すぐ発車し、もう一つ、Pergolaの町の入口といった感じの寂しい所にあるBellisio Solfareにも停まる。ここは乗降なくすぐ発車。ここから4分で、終点のPergolaである。それなりに広い構内と堂々たる駅舎を持つ、あっけらからんとした終着駅だ。かなり快走してきたので、遅れを取り戻すべく頑張ったのかと思ったが、5分遅れのままであった。ということは、普段から結構なスピードで走っているのであろう。


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 Pergolaは、かなりの下車客があった。私が乗っていたあたりには他に誰もいなかったが、後ろの車輛には学生がグループでずいぶん乗っていたらしい。迎えの車もいれば、駅前に停めてあった自転車やバイクで家路に着く学生もいる。そんな駅前風景をゆっくり観察したいが、折り返しの発車時間が迫っている。運転手と車掌は、駅舎に入って何かやっていて、そんなにすぐ発車しそうもないが、発車時間を過ぎているのに、いつまでも写真など撮っていては、置いていかれそうだ。しかし、彼らは実にのんびりしていて、結局7分遅れでの発車となった。折り返し列車の客は私一人だけである。殆ど回送同然なのであろう。


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 発車すると、さきほどの車掌が回ってくるが、やはり切符もチェックしないし、行って戻るだけの変な東洋人にも至って無関心である。それでも駅で写真などを撮っていたので、どういう人間かはわかっているのだろう。日本ほどではないにしても、イタリアあたりでも、たまにはそういう鉄道好きの客もいるに違いない。

 折り返しは、小さい2つの駅は通過し、Sassoferrato-Arceviaだけ停車する。ここでおじさんが一人だけ乗ってきた。そして、Fabrianoでは、手前の信号で長く停車し、結局10分以上遅れての到着となった。そのため、6分の接続で乗り継ぐ予定のローマ行きは、定刻に出てしまっていて乗れなかった。
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by railwaytrip | 2008-01-07 13:45 | イタリア

参宮線・二見浦駅

 その昔、今のように気軽に旅行できない時代、お伊勢参りは一生に一度は行きたい庶民の夢であったという。日本最初の鉄道が明治5年に東京~横浜間に開通してからわずか17年後には、早くも参宮鉄道という会社が設立され、明治27年には津から宮川までの鉄道が開通、翌年には山田(今の伊勢市)まで延長された。この鉄道の主たる目的は、伊勢神宮への参拝客輸送であり、ゆえに参宮鉄道という社名だったのである。庶民のお伊勢参りの夢は、この鉄道によってだいぶ現実的になったことであろう。明治40年には、鉄道国有法により国鉄となる。そして今、戦後60年が経過した。そして国鉄からJRになった。そんな長い歴史を経て今日まで、伊勢線でも鳥羽線でもなく、参宮線という線名のまま残っている。

 しかし今や、参宮線に乗ってお伊勢参りに行く人などほんの僅かである。今の参宮線の役割は、この地域のローカル輸送であるが、このあたりは近鉄がかなりの路線網を張り巡らしているため、参宮線の重要度はお世辞にも高くない。それでもJR東海になってから、名古屋から鳥羽まで、「快速みえ」という料金不要の優等列車を作り、近鉄特急に対抗しだした。けれども、名古屋から、津、松阪、伊勢市、そして鳥羽へ、近鉄ではなくJRの快速みえを利用する人の比率はかなり低いらしい。何しろ2輛編成が1時間に1本なのだ。近鉄特急と比べてみれば、その差は歴然としている。

 今回、二見浦という駅を訪問したのは、この駅こそ、参宮線の役割が今なお重要な駅の筆頭ではないかと思ったからである。最近の市町村合併で伊勢市に編入されたが、もともとここは二見町という町であり、二見浦駅はその玄関口である。このあたりは近鉄の線路ははるかに離れた山の中を走っており、旧・二見町地域では、参宮線が唯一の鉄道になる。

 二見浦といえば、夫婦岩という有名な岩が海中より突き出ており、古来より参拝の対象となるなど、観光地としても知られる。旅館も多く、温泉も湧いている。観光地として栄えていそうだが、実際は昔と比べるとかなり寂れているらしい情報も得た上での訪問であった。


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 駅舎は、夫婦岩を模してデザインした、ガラス張りのモダンなものであった。駅員がいて切符を売っているが、委託職員のようである。そして駅前に鳥居がある。しかし駅付近は見事にガランとしている。人通りは時折あるが、とにかく静かだ。伊勢といえば、折から赤福の偽装問題でゆれており、この時も赤福の各店は営業停止中。二見浦の駅前通りを行くと、古風な和菓子屋「酒素饅頭」の木造の立派な店があった。赤福とは関係ないだろうが、ここもしっかり閉まっていた。


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 駅に戻る。とにかくホームが長い。10輛編成ぐらいの列車は問題なく停まれそうである。その昔は長い客車を連ねた列車が発着したのであろう。屋根のある中央部は、決して長くないが、堂々たる鉄骨に支えられた立派な屋根を持つ、風格のある駅である。ホームと改札口の間は地下道で結ばれているが、このクラスのローカル線では比較的珍しい。


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 その長いホームに、鳥羽行き2輛編成の普通列車がやってきた。乗降客は少ないが、多少ある。続いて反対側の松下寄りの隧道から、快速みえが出てきた。やはり2輛編成だ。戦前の参宮線は複線だったというが、今は単線なので、この駅で行き違うのだ。これほど長いホームに僅か2輛の列車同士の交換では、貫禄負けするが、今や全国至るところで、こうした風景は見られる時代だ。小型1輛のローカル線に比べれば、まだ風格ある二見浦にどうにか釣り合っているような気さえした。
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by railwaytrip | 2007-11-26 11:50 | 中部地方

只見線・小出~会津若松

 時間を忘れて本物のローカル線にのんびりと長時間ゆられてみたい。そんな願望を満たす線区をいくつか絞った結果、只見線を選ぶことにした。水郡線や米坂線などもかなり食指が動いたが、一部区間を除くと長いこと乗っていない只見線の全線走破列車にタイミング良く乗れるスケジュールが組めた。但し、最後は夜になってしまうが、これは日の短い晩秋ゆえ、やむを得ない。

 只見線は、沿線人口の稀薄な山間部の豪雪地帯をのんびり走る長大ローカル線であること自体、昔も今も魅力尽きない線だが、只見線を選んだ理由は他にもある。それは、この線が古きよき時代のローカル線の面影が濃く残っているからだ。最近はローカル線といえども、車輛がモダンになり、ワンマン列車となった所が多い。しかし只見線は、昔ながらの4人掛けボックスシートがメインの、国鉄時代末期に製造されたキハ40などが使われており、車掌も乗っている。ローカル線とはいえ、一昔前まで当たり前だったことだが、最近は極限なまでの合理化により、変貌してしまった。只見線は、まだその改革が及んでいない。

e0028292_1165935.jpg 乗るのは小出13時17分発の会津若松行で、小出からの列車としては、何と05時30分の始発列車に続く二番列車なのである。越後湯沢方面からの普通に15分で、長岡からの普通列車に8分で接続しているが、乗り換え客は少ない。かといって始発駅とはいえ小さな町、小出からの客も多くない。要するに、期待通り、といっては悪いが、閑散期・平日の昼下がりという時間帯、乗客は見事に少ない。私自身、それを狙ってこの時期を選んだわけでもある。青春18切符などの時期は、だいぶ様子が変わるそうだから。2輛編成のディーゼルカーの乗客は合わせて20名余りといったところだろうか。いずこも同じで中高年客が多く、他は高校生が少々。

 定刻に小出を発車。魚野川に沿って長岡へ下っていく上越線とさらりと分かれると、その魚野川を鉄橋で渡る。水量は多い。目の前に迫った厳しい冬を思わせる、どんよりした寂しい天気で、いかにも寒々しい風景だ。山肌には雪が見られるが、地表にはない。稲刈りはとっくに終わっているが、キャベツ畑で収穫にいそしむ農業のおじさんを見かける。列車のスピードは遅い。上越線の普通列車から乗り換えても、かなりのギャップを感じる。新幹線からいきなり乗り換えだったらなおさらだろう。


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 最初の停車駅、藪神で、おばさんと女子高生が下車、次の越後広瀬でも同じくおばさんと女子高生が降りた。このあたりはまだ小出の郊外で、市内交通的に利用しているのであろうが、本数が少なく大変であろう。次の魚沼田中(写真右上)は、同じ新潟県(越後国)内の飯山線に越後田中という駅があるため、こういう駅名になっているが、乗降ゼロ、そして次は立派な駅舎がある越後須原で、委託の駅員もいる。委託の駅員は、列車に向かって深々とおじぎをするが、敬礼はしない。駅前には民宿などもあり、ちょっとした観光地にもなっているが、乗降客はなく、委託の駅員が気の毒になってくる。

 あいにく雨が強くなってきた。そしてこのあたりから地平にも残雪が見られるようになった。次の上条でおばさんが一人下車し、車内が閑散としてくる。平野が果てて山が迫ってきて、ここに最初の隧道もある。次は「ようこそ山菜共和国へ」の大きな看板のある入広瀬で、ここにも委託の駅員がいて、やはり列車に向かっておじぎをする。駅付近には結構住宅が多い。ここでおばさんが3名下車。それにしても、列車でこのあたりを訪れる観光客がどれだけいるのだろう。


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 入広瀬からは勾配がきつくなり、右手に魚野川の支流、破間川が沿う。まだ紅葉が綺麗に残っているが、すっかり雪景色になった。どんよりとした寂しい風景の中、柿ノ木に着く。ここは以前は臨時駅の扱いだった所で、山に囲まれて数軒の家があるだけの所だ。乗降客はいない。駅名と関係あるのかどうか、柿の木が2本ほどあった。そしてその次が新潟県側最後の駅、大白川(写真右上)である。ここも小さな集落だが、只見線が全通する以前は終着だった駅で、今も運転上の拠点駅なので、委託ではなくJRの正規の駅員がいる。委託の駅員と違い、列車に向かって敬礼をする。線路点検なのか、事業用列車が反対ホームに停まっていた。ここは時刻表を見ていると主要駅のようだが、実際は人家も少ない山の中の駅で、下車したのも1名だけであった。ここまでの途中駅で乗車客は全くなく、大白川発車時点での乗客数を数えてみると、私を含め13名であった。

 大白川を発車すると、小さな集落を見るが、その先は人家も途絶え、列車のスピードは落ち、いかにも苦しそうに勾配を登っていく感じになる。列車と並行しているのは道路と川で、道路の方にはスノーシェッドが多い。線路と道路が川の流れに沿って狭い土地を分け合いながら国境を目指して上っていく。列車の客も少ないが、国道を行く車も少ない。何もない所を10分余りも走ると、隧道に入る。これは六十里越隧道、1971年の只見線全通時にできた、全長6,359メートルの隧道で、新幹線を中心に、長い隧道が山ほどできた今でこそ、ものの数にも入らないが、当時は全国でベスト10に入った長大隧道であった。

e0028292_1204490.jpg その長い隧道をしばらく行くと、ディーゼルカーの音がニュートラルになり、峠を越えて下り坂になったことがわかる。ここが分水嶺で、新潟県から福島県に入ったことになる。にわかに列車のスピードが増した。そして隧道を出ると、鉄橋を渡り、もう一つ小さな隧道をくぐると、スノーシェッドに覆われた半地下のような寒々しい田子倉駅に着く。手前右手に、田子倉無料休憩所というドライブインのような建物が見えたが、閉鎖されて久しいのか、窓もベニヤ板で塞がれていた。この駅周辺には人家がなく、日常生活での利用者はいない。田子倉湖への観光や釣り、登山などの客ぐらいしか利用しない駅らしい。そのため、12月からは全列車が通過する。今日はまだ停車する。あと10日で今年の営業は終わりの駅だが、いずれにしても乗降客はいない。

e0028292_1211194.jpg 田子倉を出ると、右手にチラリと田子倉湖が見え、またすぐ長い隧道に入る。田子倉隧道で、3,712メートルの長さがある。下り坂のため、さほどの長さを感じずに出てしまった感じだ。そして少し行くと土地が開け、久しぶりに人家が現れ、線名にもなっている只見に着く。いかにも山村の村落という感じで、駅前に民宿なども見られる。線路の反対側はスキー場だ。ここも運転上の主要駅だが、大白川に比べると集落も大きく、小出からの客が7名ぐらい下車した。このあたりは福島県といっても、県内の主要都市である会津若松や、郡山、福島などは遠く、例えばちょっとした買い物や大きな病院なども、長岡の方が近いのであろう。そのため、県境を越えての細い日常流動があるようで、下車したのは地元の人っぽい客ばかりであった。

 只見を出ると、車掌が最後尾から2輛目の前の運転台に移ってきた。ここから会津川口までの途中駅は、ホームが1輛分しかないからである。通常のローカル線では、県境越えの区間が一番本数が少ないのだが、只見線の場合、福島県側の只見と会津川口の間が一番少なく、一日3往復となる。この区間の各駅は、どこも最低限の短いホームを設けただけの簡易停留場のような造りなのだ。しかし、人家もない田子倉に比べれば、各駅とも小さな集落があり、生活の匂いも感じる。けれども列車は只見でますます空いてしまった。途中駅での乗降は、会津横田で1名の下車があったのみで、この列車だけを見ると、もう風前の灯のような印象を受けてしまう。写真左下は会津蒲生駅到着手前の車窓右側、写真右下は会津横田駅。


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 そんな所を小さな駅に一つ一つ停車しながら進むにつれて、地表を覆う雪がどんどん少なくなり、会津越川まで来ると殆ど雪は消えた。その次の本名という駅は、古くて立派な日本家屋が結構密集した美しい集落であった。本名を過ぎ、只見川の鉄橋を渡り、只見川にぴったり沿った形で進むと、会津川口に進入、ここが、大白川、只見に次ぐ運転上の主要駅である。ここは、只見に比べても町が大きく、運転上というだけでなく、奥会津の一つの中核をなす町である。ここから会津若松の間は本数も倍増する。そして、こんなローカル線が、といっては失礼だが、会津若松21時40分発、会津川口終着23時28分という夜遅い列車まであって、びっくりさせられる。


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 列車はここで10分以上停車する。僅かに残った客の殆どがここで下車するのと引き換えに、次々と高校生が乗ってくる。一般客も多少いて、俄かに活気づいた。そしてここでは小出行き下り列車とも交換する。小出から2時間にして最初の列車交換である(今日は大白川で事業用列車との交換はあったが)。その反対ホームにいる小出行きは、これから今通ってきた、一日3往復だけの閑散区間へ乗り入れるわけだが、乗客は結構いた。あちらの列車では、1輛分のホームだけの小駅でも少しずつ下車客があるに違いない。


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 会津中川、会津水沼と、古い駅舎の残る無人駅に停まる。各駅とも周辺に人家も見られるが、乗降客はない。その次の早戸は、川に沿った寂しい所だが、駅と駅前の道路が工事中であった。ここでは降車も乗車も1名。このあたりまで下ってくると、山肌にも殆ど雪がなくなった。次の会津宮下(写真左上)は、立派な駅舎があり駅員がいる駅で、乗降客も見られ、只見線が生活の足として利用されているなと実感できるのが嬉しい。しかも、只見線の各駅は、まだ古い木造駅舎が多数健在だなと嬉しくなったが、その先は各駅とも新築の待合所風の駅舎になっていた。会津宮下とともに主要駅の会津柳津(写真右上)は、古い駅舎であった。恐らく、無人駅の方が放置すると荒れやすいので、先に古い駅舎を壊してしまっているのであろう。会津柳津の先で、車窓にコンビニが見えたが、そういえば小出以来、初めてこういうものを見たような気がする。

 晩秋の短い日がとっぷりと暮れてきた。そして殆ど夜になった会津坂下では、これまでとは比較にならないほど大勢の高校生が乗ってきて、一気に活気が出た。会津川口の高校生に比べると、良くも悪しくも現代っ子的な印象だ。会津高田でもう一度、高校生多数の乗降がある。外は真っ暗だが、まだ5時だ。

e0028292_124440.jpg そして会津若松の市街に入った西若松、七日町とも、かなりの下車客があり、終着会津若松に定刻17時18分に着いた。小出から4時間の旅であった。その昔、上野からの「急行ばんだい」で着いた時には、みちのくを色濃く感じたが、只見線4時間の果てに着いた会津若松は、都会の駅のようだ。とはいえ、駅を出てみれば、思いのほか寂しい駅前で、活気は感じられない。もっともこの駅の場所は、会津若松の市街地とは少々離れている。会津若松の夜の町を少し歩きたかったが、中途半端な待ち時間で郡山行がある。町を歩くほどの時間はないが、かといって待つだけでは退屈な、夜更けの会津若松駅であった。

※ この区間は、中部地方(新潟県)と東北地方(福島県)とにまたがりますが、福島県側の方が距離が長いため、便宜上、東北地方のカテゴリーに分類しました。
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by railwaytrip | 2007-11-20 13:17 | 東北地方

大糸線・南小谷~糸魚川

 大糸線は、松本と糸魚川を結ぶ線だが、線名は、信濃大町と糸魚川を結ぶ線という意味からついている。そして、実際の運行形態は、松本~南小谷と南小谷~糸魚川とに二分される。その昔は全線を走る急行もあったが、今は南小谷を境に完全に南北に分かれており、南はJR東日本による電化路線、北はJR西日本による非電化路線である。ゆえに、一本の線としての統一したイメージは薄いが、南北それぞれに違う味わいがあり、景色はどちらも素晴らしい。

 私が大糸線に初めて乗ったのは、高校生の時で、冬のスキーシーズン、白馬へスキーに行った時であった。行きは新宿から夜行の急行アルプスで早朝に着いたので、景色は見られず、帰りの急行から初めて見た、雪景色の青木湖の美しさは未だに忘れられない。その後、大阪に住んでいた時も、北陸線の夜行列車から糸魚川乗換えで白馬方面へのスキーに利用したことがあるし、当時はまだそういう乗客も結構いた。しかし時代は急激に変わり、スキーそのものが下火になり、列車で、ましてや夜行列車でスキー、などというのは、もう一般的ではなくなってしまった。そのため大糸線の南小谷以北は、四季を通じて1輛のディーゼルカーが寂しく往復するだけの、純然たるローカル線になってしまった。

 それにしても、久しぶりに特急で南小谷へやってきた。ここから糸魚川までの非電化区間は、途中下車をしながらゆっくり楽しむことにする。といっても、列車の本数が少なく、各駅に下車して、というようなわけにはいかないのだが。

e0028292_21214092.jpg 南小谷は、新宿からの特急が終着となるほどの駅だが、驚くほど寂しい所にある。これは昔も今も変わらない。途中駅の白馬の方が駅周辺にホテルや民宿が多く、観光化している。冬のスキーシーズンだけでなく、夏も登山や避暑の都会人を受け入れており、都会の若い女性も降り立つ駅である。南小谷はそういった華やかさもなく、ただ鉄道のターミナルとして、かろうじて多少の活気が見られる程度である。一応、小谷村の中心駅なのだが、駅前を姫川が流れており、特に賑やかな集落があるわけでもなく、山村の小駅の風情である。

 南小谷~糸魚川間の非電化区間を走るのは、キハ52という年代物の気動車で、これが近年、国鉄色に復元されたことから、鉄道マニアの人気を呼んでいる。これを目当てに来たと思われる乗客もいるし、途中の駅や線路沿いに、カメラを構えている人も見かけた。確かに昔懐かしい古い車輛である。それにしても、1輛でも空席たっぷりの乗客数は、平日の日中とはいえ、寂しい限りだ。

 この沿線は、険しい渓谷をなす姫川と、フォッサマグナが通る険しい山岳地帯だ。南小谷を出るとほどなく集落も途切れ、渓谷に沿った深い山中を1輌の気動車はけなげに進む。長野県から新潟県への国境越えに向かっているのだが、地形的には白馬方面から既に日本海側であり、海へ向かって下る一方なのだ。ちなみに大糸線の分水嶺は、簗場~南神城間である。


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 最初の停車駅、中土、乗降ゼロ。狭いホームに小さな山村集落という無人駅だが、かつてはここが大糸南線の終着駅であった(写真右上)。ここから小滝までが最後に開通した区間で、平らな土地が殆どない姫川沿いの険しい絶景続きの区間だ。裏を返せば、土砂崩れを始めとした災害多発区間でもある。次は昔から単線の小駅である北小谷、長野県最後の駅である。ここも小さな集落があるが、いかにも利用者が少なそうな駅で、やはり乗降ゼロであった(写真左下)。


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 長い隧道を抜け、姫川を渡ると新潟県。左手に新しいモダンな温泉宿が見えるとまもなく平岩に着く。新潟県最初の駅で、山峡ながら一応の集落があるが、活気は感じられない寂しそうな駅前であった(写真右上)。昔はそれなりの駅だったはずだが、今はここも無人駅で、交換設備は残っているが、ここでの列車行き違いはない。ただ、朝夕に糸魚川からここまでの区間列車が折り返すことで、糸魚川寄りの新潟県最後の駅として、終着駅的役割を担っている。朝夕はどれほどの利用者がいるのだろう。次回はその時間に乗ってみたいと思う。


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 平岩を出るとほどなく進行右手、姫川の対岸に温泉街が見える。古びた旅館が多く、寂しげに見える。ここは姫川温泉で、長野県に属する(写真左上)。そう、このあたりは姫川が長野・新潟の県境になっているので、線路は新潟県でも、対岸の温泉街は長野県なのである。その後は線路も鉄橋で姫川を渡り、一旦長野県に入る。車窓左手に姫川が流れる間は長野県。対岸の道路は新潟県を走っている(写真右上)。再び鉄橋で姫川を渡り、また新潟県に入ると、次が小滝、かつての大糸北線の終着駅である。しかしそんな時代があったことも、今では想像できないほどに寂しい駅だ。水力発電所のオフィスがあるだけで、一般の民家は殆どない(写真左下)。勿論無人駅で、交換設備も撤去されて久しく、木造の古い駅舎が侘しく佇んでいる。発電所の事務所前にはそれなりの車が停まっているが、果たしてここに働く人で、大糸線で通っている人はいるのだろうか。


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 列車はなおも姫川に沿って渓谷を下る。ようやく線路際に多少の水田などが現れ、少し地形がゆるやかになったと感じられると、根知に着く。ここは列車交換のできる、相対ホームがある、駅らしい駅だ。そしてもう一度多少の山を見ながらも、確実に平野部に降りてきたことが実感でき、集落も増えてくると頸城大野に着く。写真右上は、頸城大野到着前の車窓。これまで途中駅の利用客は殆どなかったが、ここからは糸魚川へ出かけるらしい地元の人が数名乗ってきた。昔は次が糸魚川だったが、今はその間に、その名も姫川という駅ができている。実際の姫川も近くを流れてはいるが、駅前には大きく立派な姫川病院があり、住宅も多く、南小谷以来つきあってきた険しい姫川のイメージではない。


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 そして住宅や工場を見ながら進み、左から北陸本線が合流してくると、今も広い構内を持ち、鉄道主要駅の堂々たる風格を保つ糸魚川に着いた。北陸線に乗り換える人は少ないようで、殆どの客はここ糸魚川の改札を出たようである。
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by railwaytrip | 2007-07-10 13:00 | 中部地方

三江線・江津~粕淵

e0028292_1302841.jpg 江津15時07分発の三次行は、長大ローカル線・三江線でも数少ない全線走破列車の一本だ。もっとも全線走破しようがしまいが、今の三江線は、一部の鉄道ファン以外、全線乗車などしない、細々とした地域輸送に徹したローカル線である。山陰線の普通列車と同じく小さな1輛の気動車だが、山陰線はまだそれなりに客が乗っていた。乗り換えてみると、乗客は全部で10名。山陰線からの乗り換え客は3名ぐらいいたようである。全線走破列車、それも夏至に近いこの季節、終点三次まで明るいうちに着ける唯一の列車だから、鉄道マニアの一人ぐらいいるかと思ったが、6月の平日とあっては、それっぽい乗客も見かけない。地元のローカル利用者ばかりである。

e0028292_1305894.jpg 江津を出ると山陰線とあっさり分かれて内陸に向かい、すぐに江の川が寄り添ってくると、すぐ最初の駅、江津本町に停車する。駅名からすれば、ここが江津の市街地に近く、ここでかなりの乗客を乗せて、となりそうだが、乗降ゼロ。駅周辺は人家もまばらで閑散としており、始発駅近くからしてこれでは、この先線路は一体どんな所へつながっているのだろうと思ってしまう。

 今日乗車するこの三江線の北側区間は、全線開通するまで、三江北線と呼んでいた区間だ。江津側から徐々に延伸され、浜原まで開通したのが戦前の1937年と、古い。そのためか、軽便鉄道規格に近いようである。ひたすら江の川に沿って走る眺めの良い線区であるが、スピードは遅く、今日、完全に時代遅れの交通機関となっているようである。しかもやたらと30キロ程度の速度制限区間がある。「偉大なるローカル線」と呼ばれる山陰本線の単行気動車から乗り継いでも、遅さが際立っていると感じる、そんな遅さである。

e0028292_1321044.jpg 江津本町に続く千金も乗降はなし。その次の川平は、交換設備が撤去されて単線の停留所になった駅で、ここで1名下車、続く川戸(写真左)はもう少し大きなまとまった集落があり、やはり元交換駅。木造の駅舎が残っている。ここで4名が下車し、江津発車時の乗客の半分が既に降りてしまった。これは思った以上に寂れたローカル線である。けれども沿線の眺めは素晴らしい。江の川は下流でも川原を作らず、水量豊かに滔々と流れている、日本では珍しい川だ。古い線路だけに、その川の流れに忠実に沿って走っているのだが、それが裏目に出て今日では時代遅れの乗り物になってしまっているのだ。もっともトンネルと鉄橋で短絡して高速で走ったとして、この沿線人口の少なさでは、やはり需要は知れているだろうが。

e0028292_1334976.jpg この先どうなるかと思っていると、次の田津では男子中学生が4名乗ってきた。そのうち1名は、次の石見川越で降り、残る3名はその次の鹿賀で降りた。その次の因原(写真左)はちょっと大きな集落で、古い木造の駅舎も残る立派な駅だが、乗降はない。その次の石見川本(写真左下)は、江津から1時間も乗ってやっと最初の交換駅である。かつてはもっと多くの駅に交換設備があったが、極限までの合理化の結果、こうなってしまったのだ。跨線橋もある立派な駅らしい駅で、乗っていた客は、ここで私ともう一人を除き全員が下車した。駅舎は反対ホーム側だが、降りた客は跨線橋を渡らずに線路を平気で横切っているあたり、やはりかなりのローカル線である。けれどもここでは下車より乗車の方が多く、高校生など10名ほどが乗ってきて、少し活気が出てきた。三江線の北半分は、江津や山陰線と内陸を結ぶ足というよりは、内陸の相互でのローカル利用がかろうじて残っている線なのかもしれない。

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 線路は相変わらずカーヴが多く、極端な速度制限区間も多い。なのでスピードも出ず、遡ってもさほど細くならない雄大な江の川を堪能しながら、小さな駅に停車していく。木路原、竹、乙原、石見簗瀬と、いずれも単線に簡易なホームだけの無人駅で、各駅とも1名下車、乗車なしで、石見簗瀬発車時点では乗客は6名。写真右上は、木路原~竹間である。写真左下は、石見簗瀬駅で、小さな停留所だが、ここも木造駅舎が残る。


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 次の明塚は水田の中にある駅で、ここは乗降ゼロ。だいぶ遡ったようでも、まだまだ川幅も広く滔々と流れる江の川を左手に眺めながら列車はゆっくりと行く。写真右上は、明塚~粕淵間から見る江の川。そして粕淵の手前で初めて鉄橋で江の川を渡る。対岸に小さな町が見えてきた。

e0028292_1412182.jpg 渡り終わった所にある、それなりにまとまった集落は、合併前は邑智町、現在は美郷町の中心地・役場所在地で、粕淵駅はそこにある。三江線の中では主要駅だ。ただ、ここと2キロしか離れていない次の浜原が、三江北線時代の終着駅であり、運転上の拠点駅となっている。そのためか、ここ粕淵は運転上は単なる停留所の扱いだ。それでも新しくて立派な駅舎がある点、これまでの駅とは違っている。ここでは数名が下車するのと引き換えに、大勢の高校生が乗車。これまでで一番多い乗客数となり、発車していった。

 三江線は、JRで残され、廃止を免れた地方交通線の中でも屈指のローカル線である。加えて島根県というのは、いわば「過疎先進県」とでもいおうか、最も早い時代から過疎化が進んだ県である。そんな中で、新たな少子化・高齢化社会を迎え、この先どうなっていくのか。JR西日本も、当面廃止予定はないと言っているらしいが、しかしこの実情を見るに、不安で仕方がないというのが偽らざる感想である。粕淵の駅にしても、モダンな駅舎こそ立派だが、駅前も閑散としており、やはり基本的に人口希薄な地域なのが実感できる。交通需要は皆無ではないものの、三江線の古さが災いしてか、時代離れしたような遅さは現代において致命的だ。ローカル線の情緒を味わいにくる観光客や鉄道マニアには受けるかもしれないが、それだけで鉄道経営が成り立つような場所ではない。地元の日常利用を確保することが第一で、それにしてはこのスピードでは、他の交通機関に歯が立たないのではないか。しかも起点の江津は、浜田や大田といった山陰線沿いの都市と比べても規模が小さい。そういった多くの要因で、三江線の将来は、やはり不安に満ちていると実感した次第である。せめて、ある意味、日本離れしたこの江の川の雄大な流れが、観光需要を生み出してくれないものか。これといってとらえどころのない風景ではあるが、都会の人が時にのんびりするには、こういった風景をゆったり眺められる三江線ローカル列車の旅など、最適だと思う。

※ この旅行からほどなくして、三江線は水害のため長期に渡り全線不通になってしまいました。

※ 三江線に関しては、石見川本鉄道研究会という素晴らしいサイトがありますので、ご一読をお勧めします。
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by railwaytrip | 2006-06-27 15:07 | 中国・四国地方

Régua ~ Vila Real

 ポルトガル第二の都市、そしてポルトワインのふるさと、さらに国名の由来にもなっている、ポルト。鉄道は海岸線沿いに幹線が走っている他、内陸にドウロ川を遡り Pocinho まで行く線もある。この線は1988年までは、さらに先へ続いており、国境を越えてスペインに通じていたそうだが、利用者減で廃止されたらしく、今は盲腸ローカル線になっている。ローカル線にしては距離が長く、ゆったり流れるドウロ川に沿って延々と走る車窓は魅力的だ。

 そのほぼ中ほどに Régua という街がある。その Régua から Vila Real まで支線が出ている。それに乗って Vila Real を往復してみた。Régua はこの線沿線の、そしてドウロ川沿岸で最大の町。本線列車も最低3分は停車するし、ここから先は本数が半減するという所だ。そこから出ている支線は、小さなレールバスが1輛で一日5往復しており、お客も少なく、存続が心配なローカル線である。但し終点の Vila Real はそんなローカル線の終着とは思えぬ大きな街なのだそうで、ポルトとの行き来もそれなりにあるようだ。但し交通の主役は車とバスらしい。ポルトと Vila Real の間には、立派な幹線道路が通じている。


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 この線は本線とは線路幅の違う、ナローゲージなのである。Régua を出るとしばらくは本線と同じ線路を走る。この区間は4線軌条になっている。つまり、幅の広い本線の2本のレールの内側に、幅の狭い支線の2本のレールが敷かれている。本線の Pocinho 方面と同じ線路をしはらく走り、長い鉄橋を渡る。渡り終えた所で左へ分岐する。


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 分岐を終えた所に Corgo という駅がある。この駅は本線の列車から良く見える。線路幅の違う分岐点にあり、複雑なポイントがあり、それを管理するためであろうか、ここには駅員がいる。本線の列車がこの駅の脇を通る時も、駅員が列車を見送っているから、駅員といっても信号所係員なのだろう。周囲は人家も少なく、乗降客は少ない。ここは Régua の町のはずれ、といった程度の距離で、Régua の駅から歩いても距離的には知れていると思ったのだが、道路がなさそうだ。渡ってきた鉄橋はかなり長く、深い谷を形成しており、その鉄橋以外に目に入る範囲で道路の橋はない。この駅の周囲に住んでいる人が Régua の町へ行く時は、かなり大迂回をして車で行くか、このローカル列車に乗るか、さもなければ鉄橋を歩いて渡るか。その鉄橋は保線用の歩道はあるが、日本なら絶対に一般人の歩行は許されないだろう。こういった事は国によって基準が違うので、ここがどうなのかはわからない。この駅の脇には廃車となった古い気動車がボロボロになって3輛ほど並んでいる。

 さて、1輛の小さなレールバスは、Corgo を出ると細い線路を右へ左へとカーヴを繰り返しながら上って行く。直線は殆どない。谷は非常に深く、線路が敷かれているのはその崖の中腹よりちょっと上だろうか。車窓は概ね、左が谷、右が山となっている。Vila Real へ向かう時の席は左側がお勧めだ。勾配もカーヴもかなりきつく、険しい谷に沿って行く。次の Tanha は通過。リクエスト・ストップの駅で、乗降客が無ければ通過するシステムだ。実際、利用者の少なそうな閑散とした所にあった。その後も数キロごとに駅があり、乗降客が一人か二人。駅周辺は小さな村になっており、人家がいくつか固まっている。大きな道路はなく、メインの道路は川の対岸を走っている。そこと結ぶ橋も見当たらない。このあたりの家も流石の現代では車を持っているところが多いだろうが、車があっても行き来が大変そうだ。圧巻は Carrazedo 駅とその先で、この駅の左側、山の中腹の高い所を線路が通っている。そこまで、ぐるりと大カーヴを描いて上って行く。駅を出てから、再び左の車窓に駅を見下ろすまで3分ほどかかる。その後、もう一つ、リクエスト・ストップの小駅を通過し、Régua から50分余りで終着の Vila Real に着いた。


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 Vila Real は今は無人化されており、待合室も閉鎖されている。10人ほどの乗客は待合室の脇の細い通路から駅前へ出て、迎えの車で、あるいは徒歩で、散ってしまった。しかしこの駅舎の立派さはどうであろう。駅前広場も広く、この山峡の町にとって、かつては重要な交通機関であったことが偲ばれる。駅のそばには小型の蒸気機関車が保存されていた(写真左下)。当然その昔は蒸気機関車だったのであろう。この深い谷に沿ってカーヴの続く線を走っていた頃を見てみたかったと思う。


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 駅から歩いて5分ほどで深い峡谷にかかる橋を渡ると対岸が町の中心である(右上の写真はその橋からの眺め)。かなり大きな町で、これだけの町なら鉄道需要も十分ありそうだが、今やこのナローゲージのローカル鉄道は風前の灯火に見える。町には相当数の車が行き交っていて、鉄道とは別ルートで各方面へ良い道が通じているのであろう。

 折り返しの列車もやはり乗客は10人ぐらいで、行きとほぼ同じであった。やはりリクエスト・ストップの2つの小駅は乗降客がなく通過したが、それ以外は各駅とも1人か2人の乗降客があった。
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by railwaytrip | 2006-01-28 15:10 | ポルトガル

信楽高原鐵道・貴生川~信楽

 信楽高原鐵道は、元国鉄信楽線。京阪神からさほど遠くないものの、走っている方向が悪く、需要に限度があり、国鉄再建法がらみで廃線候補となり、第三セクター化され再出発した。

 私はその昔、国鉄時代に一度、貴生川から信楽まで往復したことがある。その当時の私は、国鉄路線図を軸に日本地理を捉えていたから、いかにも秘境に分け入るようなこの線には期待を持って乗ったし、実際その期待を裏切らないだけの沿線であったと記憶している。けれども信楽は、決してそんな奥地の奥地にある山村集落ではなく、それなりの町である。結局のところ、信楽から京阪神や名古屋へ行くのに、鉄道が便利な方向に走っていない、というだけのことなのである。

 そもそもこの線の基点の貴生川というのが、中途半端な場所かもしれない。貴生川は、JR草津線と、この信楽高原鐵道の他、近江鉄道も乗り入れる鉄道のターミナルであるが、ローカル線が集まっているという感じで、町自体は小さい。最近の市町村合併で甲賀市になったが、その前は水口町に属していた。昔から、鉄道の集まる貴生川よりは、ローカルな近江鉄道だけが通る水口の方がずっと大きな町なのである。

 貴生川・水口は、野洲川水系にある平地であり、信楽は、石山で琵琶湖に注ぐ瀬田川水系のかなり上流の山峡にある。さらに信楽は、三重県境にも近く、県境を越えた三重県側は、淀川の上流になる木津川水系となる。

 それゆえ、基点の貴生川を発車した信楽高原鐵道は、草津線と分かれるとほどなく上りにかかり、山中に分け入り、分水嶺を越える。この区間は人家も稀で、国鉄時代には、最初の駅、雲井までの10.2kmもの間、途中駅がなかった。現在は雲井のちょっと手前に一つ、紫香楽宮跡という新しい駅ができているが、それも雲井の僅か0.6km手前で、要するに基点の貴生川以外は全て、旧信楽町内の駅なのである。


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 雲井は昔からある駅で、信楽の北側の入口のような場所にある。小さいながらも風情のある木造駅舎が残っていて、なかなか情緒のある駅であった。

 雲井の次が、勅旨という、何やら恐れ多い名前の駅(写真左下)で、ここも国鉄時代からの駅である。古い住宅と水田が共存するあたりで、単線でホームだけの小さな駅であった。

 勅旨の次に、これも新しくできた玉桂寺前という駅があり、そして終点信楽となる。貴生川~紫香楽宮跡間の1駅が9.6kmなのに対して、紫香楽宮跡~信楽間が途中に3つも駅がありながら、5.1kmしかない。この区間では平均1キロちょっとの間に一つ、駅があることになる。これが信楽町内だけの短距離利用に結びついているかというと、残念ながら、そうでもなさそうである。


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 信楽は焼き物の町で、とりわけ狸で有名である。写真右上は、信楽駅前の公衆電話ボックスを兼ねた大きな狸である。町を歩くとあちこちに狸の焼き物を売る店があり、あまりの多さに、一体これほどの需要があるものかと思ってしまった。ちょっとやりすぎの感もある。
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by railwaytrip | 2005-07-03 11:40 | 近畿地方

くりはら田園鉄道・栗駒駅

 廃止が決まっている私鉄、元・栗駒電鉄、今はくりはら田園鉄道という。改称した理由の一つは、観光需要の開拓を狙ってだろうが、それ以上の理由は「電鉄」をはずさなければならなかったかららしい。乗客減などのため、電車から気動車への置き換え、つまり電化の逆、非電化が行われたから。

 そうして減量経営をしても、もはやこういった地方の鉄道は経営が成り立たず、ここも廃線が決定したとのこと。これも時代の流れで仕方ないとはいえ、かつてそれなりの栄華を誇った筈の地方鉄道。その現在の姿はというと・・・

 まず起点の石越駅、東北本線の駅だが、思ったより小さく寂しい駅であった。東京から仙台や一ノ関までは、新幹線であっという間なのに、そこからが遠い。仙台乗り換えで普通に乗ると、小牛田で停車時間もあり、仙台~石越が、東京~仙台と、所要時間であまり変わらないという現実。今や東京から仙台などあっという間だが、石越となると、東京からかなり遠いのだ。この鉄道は、その石越で乗り換えてそこからまた奥地へ入る私鉄なのだ。そうかといって沿線はそこまで過疎化が進んでいるわけではなく、ササニシキの産地で水田が多いものの、人家もそれなりにある。終点近くで山が迫り、勾配がちょっと急になるものの、際立った秘境があるわけでもない。要するに地味な私鉄と沿線なのである。


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 栗駒駅は、この線屈指の主要駅で、駅員もいる。立派で大きな駅舎があり、多くの乗降客で賑わった時代もあったのだろう。駅待合室で使われているベンチが、実に凄い時代物。廃線の後、アンティーク屋に高値で売れるのでは、なんて不遜なことも考えてしまった。駅前広場も立派で、バスやタクシーが出ており、一応の商店街もある。

 けれどもやはり、かなり乗客は少ない。これが民間企業の経営とあれば、存続は無理だろう。地方では、鉄道の利用者は、一昔前に比べて着実に減っている。残念だが、仕方ない。


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 駅からすぐの「みちのく風土館」で「くりでんの歴史展」をやっていた(2005年10月31日まで・火曜定休)。鉄道誘致・建設の時代から現代までの歴史が、数々の遺品とともにわかり、興味深かったが、見学者も殆どなく、ここでもまた寂寥感を抱いてしまった。
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by railwaytrip | 2005-06-27 14:40 | 東北地方

福塩線・中畑駅

 広島県東部を南北に縦断する福塩線(JR西日本)は、地味ながら味わい深いローカル線である。格別の印象に残るものもなく、廃止が危惧されるほどの超ローカル線でもない。ならば中途半端で面白くないか、これは感じ方に個人差があると思うが、私は個人的にとても好きな線なのだ。

 もっとも、福山~府中間は都市近郊鉄道のようで、最近は沿線に近代的な建物も増えたし、車輛も通勤型ロングシートが主流ということもあり、実はあまり頻繁に乗りたくない区間である。山陽新幹線で移動中に時間が少し余った時、ちょっと乗ってみたいと思っても、府中より先まで行かないとこの線の魅力が味わえず、その福山~府中間の往復の時間がちょっとネックなのである。

 この日は岡山での用事までの間に、この線の途中まで足を伸ばすことができた。府中から乗った三次行が、上り列車と交換するのが備後矢野であるから、その一つ手前の備後三川まで行くこともできたが、私は中畑を選んで降りてみた。中畑は府中から僅か2駅、府中市郊外に属するので、普通ならあまり面白そうな所ではないと想像するであろう。

 しかしこの中畑は、福塩線全駅の中でも一番、寂しい駅ではないかと思う。もとより全く人家がないような場所ではない。けれども府中の街を過ぎて、狭くなった芦田川が線路に寄り添い、そのほとりにポツンと存在する、単線の小さな無人駅は、ここを通るたびに気になっていた。

 ちなみに、もし中畑を下車駅に選ばなかったら、その次の河佐か、備後三川を選んだことになる。これら2駅の駅周辺は、福塩線の中でもそれなりの集落を形成している、一応の町である。そういった山峡の町を訪問するのもそれはそれで面白かろうと思ったのだが、今回は、自然溢れる中畑に軍配を上げた。実はもう一つ、昔は河佐と備後三川の間に八田原という駅があった。残念ながらここはダムに沈んでしまい、駅は廃止となり、線路も付け替えられて長い隧道で抜けてしまっているのである。八田原が健在であったならば、恐らくこちらを選んで降りていたと思う。


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 下り三次行で中畑で降りたのは、私の他に一人のおばさん、上り府中行に中畑で乗車したのは、私の他に一人のおばさんと、あと土曜にもかかわらず、きちんとスーツにネクタイ姿の中年のおじさんも一人。という具合に、利用者が皆無に近い駅ではない。確かに少ないものの、駅周辺にも住宅は散在しており、さらに山の中腹にもまとまった集落が見られる。駅を降りてすぐ、芦田川を渡る橋があり、国道に通じている。そう、この駅は川を隔てて国道の対岸にあるのが良く、それゆえの静寂感がある。国道側にも同じ「中畑」という名のバス停があったが、あちらも本数が少ないようであった。


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 もう一つ印象的だったのが、草に埋もれた廃便所(写真右上)。かつてはもう少しきちんとした駅前があり、これが駅のトイレだったのだろうか。今はホームの少し下の方で草に埋もれており、無理して行こうと思えば行けないこともないが、とても使用する気にならないであろう。恐らくもう使われなくなってかなりの年月が経っているものと思われた。
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by railwaytrip | 2005-06-25 08:30 | 中国・四国地方

肥薩線・吉松~人吉

 その昔から、日本三大車窓の一つとして知られている区間だが、今は極度のローカル線になってしまい、存続すら危ぶまれるという、肥薩線のこの区間。急行もなくなった今、地元のローカル利用は僅かで、あとは観光利用を増やして存続を図ろうとしているかに思われる。

 今回、その区間を吉松から人吉へと抜けてみることにした。吉都線からの接続はよく、一輛のワンマン気動車は吉松を発車。乗客は10人ほどで、観光客とおぼしき人が大半である。いかにも鉄道マニアといった感じの人はない。車輛は何と座席の一部をお座敷に改造してあり、観光客受けを狙っているのが露骨に感じられる。

 吉松から真幸までは、序奏という感じだ。吉松自体がある程度、高原のイメージの所にあり、そこからぐんぐんと登っていくと、本当の高原らしくなり、右手にはえびの市方面の平地の風景が広がる。そしてスウィッチバックの真幸に着く。乗降客はいないが、運転時分にも余裕があり、運転手が3分ほど停車するとアナウンスすると、乗客の大半が車外に出た。この駅のホームには鐘があり、母娘で乗っている旅行者が交代でそれを鳴らしに行ったりしていて、ほのぼのとしたローカル線旅行の雰囲気である。


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 真幸を過ぎるといよいよ高い所へと登っていく。飛行機からの眺めのように、下界の風景が遠く広がる。長い隧道をくぐると、次の矢岳。ここも2分ぐらいの停車時間がある。高齢者の女性3人組が乗ってきた。このあたりの住人で、人吉へ出かけるのであろう。昔のままの木造の古い駅舎が残っている。


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 矢岳から人吉までの間には、ループ線がある。山野線が廃止された今日、九州唯一のループ線である。そのループの途中にスウィッチバックの大畑駅がある。ループ線もスウィッチバックも、勾配に弱い昔の鉄道に必須であったが、車輌の性能が上がった今日、時代遅れの遺物になりつつある。その両方が一度に味わえる日本で唯一の駅が大畑なのである。ループ線は、右へ右へと回り、回り終わる手前でバックしてスウィッチバックの大畑へ入る。ここも無人駅となって久しいが、地元の利用者が駅を大切にしているようで、案外荒れ果てていない。乗降客はなく、ここは停車駅も短かった。


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 大畑からは下る一方で、さきほど通った筈の線路の下を隧道で抜け、その後もいくつか小さな隧道を抜け、人吉盆地へと下っていく。そして人吉盆地に入ると右から旧湯前線のくま川鉄道が寄り添ってくる。あちらには、相良藩願成寺という駅がある。湯前線時代は東人吉駅だった筈だが、随分と凝った名前に改称したものだ。こちら肥薩線は、元幹線だけあって、駅間距離が長く、こういった市内駅はない。そのまま並行して、人吉のホームへと滑り込んだ。数少なくなった急行が向かいのホームに停車しており、この列車の乗客も何人かは乗り換えたようである。

 それにしても、途中僅か3駅の区間が1時間もかかるとは、駅間距離が長いからか、列車の速度が遅いからか、恐らくその両方であろう。ここはもはや、スピードアップをしたところで、それだけでは生き残れない。雄大な景色を楽しむ観光路線としての活路を見出すしか、将来はないのであろうか。鉄道本来の輸送上の必要性が薄れているのは寂しい限りだが、今後も末永い存続を願ってやまない。
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by railwaytrip | 2002-11-26 10:00 | 九州・沖縄地方