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十和田観光電鉄・三沢~十和田市

 青森からの特急が三沢に着いた時は、あいにく雨が降り始めていた。しかし予定通り、まだ乗ったことのない地方私鉄、十和田観光電鉄に乗って十和田市まで行ってみようと思う。

 十和田観光電鉄といえば、その昔は地方私鉄の優等生で、乗客も多く、例えば津軽鉄道あたりと比べてもずっと活況を呈していたという。それというのも終点の十和田市がそこそこ大きな街だからであろう。十和田といえば十和田湖、そして観光、という文字が路線名に入れば、十和田湖へ行く観光路線のような印象を与えるが、実際にこの電車とバスを乗り継いで十和田湖へ観光へ行く人は、昔から少なかった。それよりは圧倒的に地元の生活密着路線としての性格が強い。


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 リニューアルされて都会風の橋上駅になったJR三沢駅の西口を出て、十和田観光電鉄の駅へ行く。そこはうって変わって古色蒼然としたモルタル造りの渋い駅がある。とりたてて味わい深い建築ではないが、今見ると、昭和に時代が逆戻りしたような味わいがある。

 駅舎の中に入ると、その感じは一層強まった。平日の日中のお客が少ない時間帯で、しかも雨である。だから余計に寂しく感じたのかもしれないが、それでも駅員がいて切符売場もある。自動券売機もあるので、私はそこで十和田市まで570円の切符を買ってしまったが、後で知ったのだが窓口で硬券も買えたらしい。どちらにしても、改札口で鋏を入れてもらう。昔ながらの鉄道の姿がここでは健在である。


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 電車は東急のお古で、東急時代の面影が良く残っていて何となく懐かしい。12時35分発、2輛に10人ほどの客を乗せて発車した。もちろんワンマン運転である。

 三沢を出るとすぐ、古牧温泉の中を通る。温泉地と言うよりも、ホテルの中を横切るような感じである。その後は林の中を走ったと思えば田園地帯を走る。人家は少ない。最初の大曲駅も次の柳沢駅(写真右上)も、単線の無人駅で反対側は見事な水田であった。乗降客もいない。

 3つ目の七百という面白い名前の駅は、途中唯一の交換駅である。駅に小さな車輛基地が併設されている。


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 次の古里は、駅前に道路が走り、駅付近にも人家が見られるなど、これまでより少し賑やかになった。ここまで4駅で8.4キロあり、ここから十和田市まではまだ6駅もあるのに、6.3キロしかない。十和田市側の方がずっと駅間距離が短いのである。三沢も大きな街だが、駅のあたりは市街地と離れているので、三沢側の風景は概して寂しい。ローカル盲腸線の多くは、先へ行くに連れて寂しくなっていくが、この線は逆である。しかしこのことが、十和田市のためにこの路線が残っていられる理由の一つであろう。

 古里の次が三農校前という駅で、駅名の通り、駅前に県立三本木農業高校がある。そして一つ飛んで北里大学前があり、その次が工業高校前と続く。今の時代なら学園都市線というニックネームをつけてもおかしくない。通学時間帯はそれなりに賑わっているに違いない。

 その次がひがし野団地前という、これまた東京近郊にありそうな駅名だが、駅周辺は団地ではなく、東京よりずっとゆったりとした一戸建ての住宅が並んでいる。そして最後はそれまでより少し寂しくなって、十和田市に着いた。途中多少の乗降客があったが、大半は全線乗車の客のようであった。

 十和田市駅は、駅ビル併設の橋上駅だが、駅ビルにあったスーパーが色々な事情から撤退してしまい、もぬけの殻である。有人駅で、駅員が集札しているが、それでもどことなく寂しく寒々しい感じがするのは、天候と、この無機質な駅ビルのせいだろうか。こんな場合は昔ながらの木造駅舎の方が温かみを感じるものである。ちなみに市街地は駅から先へ少し歩く必要がある。


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 雨の中、線路に沿って少し戻り、途中の駅から乗って三沢へ戻った。帰りも乗客は10人前後であった。三沢に戻り、駅構内の老舗の蕎麦屋で昼食をし、それから駅の先の古牧温泉の入口にある踏切で、次の列車の発車を見送ってみた(写真右上)。

※ 乗車当時のこの線には具体的な廃止の話はありませんでしたが、その後、新幹線延伸や震災の影響もあり、急に廃止の話が浮上し、結局2012年3月31日をもって廃線になってしまいました。
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by railwaytrip | 2010-05-28 12:35 | 東北地方

北陸鉄道石川線・加賀一の宮駅

 北陸鉄道が石川線の末端2駅間の廃止を発表した時、正直あまりピンと来なかった。距離にしてわずか2.1キロ。末端だから当然、乗客は少ないだろうが、この程度の距離だから、部分廃止しても残しても、全体への影響は知れているのでは、と思ったからだ。私はその昔、乗りに行ったことがあるが、その時はこの区間を片道は歩いてみた。線路に並行する道路も概ねあって、問題なく30分弱で歩き通したように記憶している。そんな短い区間だけを廃止しても、全体の収支への影響がどれだけあるのだろうと思ったのだが、とにかく、廃止間際の「特需」で賑わう前の、普段着の姿を見ておくべく、ある平日の朝、加賀一の宮行の列車に乗ってみた。2輛編成のワンマンカーというのが、今のこの私鉄の日常の姿である。電車は東急のお古かと思われる、ステンレス車である。

 鶴来までの沿線は、宅地化も結構進み、金沢への通勤通学路線としての需要もあるようである。鶴来はこのあたりの中核をなす古い町だ。その鶴来で殆どの客が降りてしまうと、残った乗客は私の他に2人だけになった。なるほど、と思う。

 鶴来を出ると、途端に乗り心地が変わり、揺れが激しくなった。なるほど、もう軌道もまともに整備しておらず、北陸鉄道も廃止前提で見捨てていたのだな、と思う。次の中鶴来は、まだ鶴来の町はずれという感じで、駅周辺に住宅も多く、これまでと大差ない風景であるが、中鶴来を出て最後の一駅だけが、これまでと違う山岳路線っぽい風景を見せてくれる。つまり、手取川が近づいてきて、川に沿って勾配を上る感じが出てくるのだ。そして、この先は山だから、線路はここまでです、という感じに思える終着駅が、加賀一の宮なのであるが、実はその昔はこれより先も、かなり奥まで線路は続いていたのだ。私は残念ながら、その区間には乗ったことがない。加賀一の宮は、そういう平地と山地の境目のような駅で、この先があるならば、ここからいよいよ山岳路線に入るという期待を持たせてくれるような駅である。


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 単線の小さな駅で、ホームの先端は狭い。恐らく昔はもっと長い編成の列車が行き交ったのではと思うと意外である。そして線路はホーム端から数百メートル先で途切れている。かつては先があったのだと思うと悲しいが、この終着の車止めが今秋にはさらに2.1キロ、金沢寄りに移動してしまうことになる。


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 門前町らしく、古風な木造の駅舎がある。それほど大きくはないが、立派な駅舎で、北陸鉄道随一の逸品ではないか。そう思うと廃止は残念だ。駅名からもわかるように、ここは加賀国の一宮である白山比咩神社の最寄り駅で、初詣の時だけはこの駅も大賑わいだという。逆に言うと、普段の地元住人の利用は少ないということであろう。

 駅舎の中は、小綺麗に整っている。切符売場の窓口もあるが、今は完全な無人駅で、閉鎖されている。善意の貸し傘が置いてある。今も小雨が降っているが、傘の在庫は沢山ある。それだけ利用者が少ないということか。東京近郊だと、ちょっと雨が降るとたちまちなくなるものだが。


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 駅前はしっとりと古く落ち着いている。雨だから一層そう感じる。しかし活気があるとは言えない。ほんの数キロ金沢寄りは、新興住宅も増えて、若い人も乗り降りしていたのだが、ここは別世界に思える。中鶴来方向に少し歩くと踏切があり、渡るとその先に手取川の豊かな流れが見える。線路がその川に沿ってカーヴしながら上ってきている様子がわかる。鶴来方向の平野部を見ると、住宅が多く、ビルも見える。しかしあのあたりはこの駅の駅勢圏ではない。そういった、ほんの僅かな立地の差で、加賀一の宮の利用者は、誠に少ない。


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 駅へ戻る。ワンマンの運転士がホームで手持ち無沙汰に発車を待っている。誠に静かな駅である。時間が来て発車。乗客は私の他に1名だけであった。
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by railwaytrip | 2009-04-15 09:49 | 中部地方

三岐鉄道北勢線・西桑名~阿下喜 sanpo

 近鉄が赤字で手放した路線を、三岐鉄道という中小私鉄が引き取って廃線を免れた北勢線。西桑名~阿下喜間20.4kmの単線電化路線だ。この路線の大きな特色は、ナローゲージ、つまり線路の幅が狭い、軽便鉄道規格なのである。

 趣味的には面白いが、線路の幅が狭いということは、当然ながら速度制限も低いことになる。これは、基本的に車社会の地域では、スピードの点で命取りであろう。改軌してスピードアップするほどの投資効果も見込めず、よって近鉄は廃止の意向を示したのであった。三岐鉄道への移籍は2003年のことである。

 というわけで、かねがね一度乗ってみたいとは思っていたが、中途半端に便利な名古屋近郊なので、いつでも行けると思っているうちに機会を逸し、今日に至ってしまった。

e0028292_2334939.jpg まずは起点の桑名にやってきた。桑名は三重県だが、三重県で一番名古屋に近い市だ。名古屋への通勤通学客の乗降客数は多分三重県一であろう。そういう大都市圏にかかっていることで、どうにか廃止を免れることができたとも言えよう。但し、北勢線の起点は厳密には桑名ではなく、西桑名という別駅である。桑名駅自体はJRと近鉄、それに最近これも近鉄から経営された養老鉄道(元近鉄養老線)が、全て同じ駅に発着する。これらは別会社であっても中間改札すらなく、一体となっている。しかし元近鉄であっても北勢線だけは仲間はずれで、この西桑名駅へ行くには桑名駅の改札を出てちょっと歩かないといけない。駅名が違ってもほぼ同一駅という例も多いが(例・新王寺)、それに比べてもちょっと距離がある。私のように一生にせいぜい数回しか乗らない人間にとっては、それも面白さのうちだが、通勤通学で毎日乗り換える人は、やはりもっと近くあって欲しいと思うであろうし、場合によってはそこが車通勤にするかどうかの分かれ目になるかもしれない。と、そんな事まで心配しないといけないぐらいに、現代人は車の便利さに染まっている。実際、この西桑名駅は、桑名駅にもっと近い位置まで移設する計画があるらしい。

 何はともあれ西桑名。ローカル私鉄の起点にふさわしく、小ぢんまりした駅だが、自動改札機があるのにまず驚く。当然、切符も自動券売機で磁気券を購入する。時刻表を見ると、次の列車まで20分ほどある。終点の阿下喜まで行くのは日中は1時間に1本と、少ない。その間に途中の楚原までの列車がある。

 駅周辺をぶらぶらして時間をつぶし、発車時刻近くに駅へ戻り、自動改札を通って列車に乗り込む。一番後ろの車輛の後部に乗ってみた。ワンマンなので車掌はいない。空いているので特に感じないが、満席だと前の人の足がぶつかりそうなぐらいに狭い。やはりナローゲージである。11時20分発、定刻に発車。

 近鉄名古屋線と関西本線をぐるりと跨いでほどなく、最初の馬道。そして1キロ毎ぐらいにちょこちょこと駅があり、どこも多少の乗降客がある。西桑名だけかと思ったら、各駅に自動改札があるのに驚いた。駅はどこも綺麗で、規模が小さいことを除けば大都市近郊私鉄のようである。沿線は住宅が結構建て込んでいる。左下は2つ目の西別所。


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 4つ目の在良(写真右上)で最初の列車交換。時間的にあちらの方が乗客が多い。こちらは少しずつ乗客を減らしていく。左下は西桑名から6駅目の七和に停車中の車内。そして8つ目の東員(写真右下)まで来た。ここまでで24分。まずまずと言える。


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 ここで二度目の列車交換があり、今度はしばらく停車するのでホームに出てみる。まだ真新しい感じの島式ホームの駅で、駅周辺は 農地と住宅などが交じり合う、典型的な都市郊外の風情である。4分ほどの停車だっただろうか、上り西桑名行がやってきて、数名の客を乗せて先に発車、こちらも続いて発車する。

 駅間距離がだいぶ長くなって、車窓風景も長閑になり、東員から2つ目の楚原。終点の阿下喜まであと2駅だが、日中は半数の列車がここで折り返す。ここで実に9分も停車する。このダイヤには少々驚いたが、これでも以前より改良されたのだそうだ。朝夕はダイヤが違い、このような長時間停車はなく、最速列車は西桑名~阿下喜間46分だそうだが、日中の下り列車はちょうど1時間かかる。乗客が少ない時間帯だし、利用者の大半は西桑名~東員間あたりであろうから、全体への影響は小さいのかもしれないが、何とも歯がゆいダイヤである。ここ楚原は昔からの軽便鉄道の駅の面影がいくぶん残る風情の駅で、初めての私は9分停車も退屈しなかったが、しょっちゅう乗る人にはまだるっこしいダイヤに違いない。先頭車まで行ってみると、1輛目だけがクロスシート車であった。この車輛だけは、ある程度の客がいるが、残りはガラガラである。


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 ようやくやってきた阿下喜からの上りを待って、こちらも発車。すっかり客が少なくなり、次の麻生田までは、この線最長の3.7キロあり、時間も9分かかる。しかも麻生田も単線で交換できない。麻生田はこの線で一番田舎の風情を持つ駅で、乗降客もゼロであった。そしてあと5分走り、終着阿下喜に12時20分、定刻に着いた。


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 後で調べてみると、東員は2005年に前後の駅を統合してできたばかりの新しい駅であるとか、その他にも駅の統合や廃止が色々と行われたことなどがわかった。何かで読んだ記憶はあったが、しっかり認識しないで乗りにきてしまった。そういった事をちゃんと調べて知ってから乗れば、それはそれで別種の感想を持てたかもしれないが、知らずに一度乗ってみた勝手な感想としては、古き良き時代の軽便鉄道を味わうにしては、自動改札などを含め、近代的すぎて、面白くない。沿線風景も、悪くはないが、格別ではない。モダンな通勤通学の鉄道としては、これでも以前より改善されたのだそうだが、最速46分と謳っているところに60分を要する交換待ちの多いダイヤなど、車社会の現代人が日常的に頻繁に利用するには、まだまだ難がある。30分間隔の等時隔ダイヤにこだわらず、各列車の所要時間を最短にするようなうまいダイヤができないものかと、素人ながらに思ってしまった。

 阿下喜は長閑な所であったが、駅はリニューアルされていて綺麗で、ローカル線の終着駅といった味わいは稀薄である。それを残した所で外部から大勢の客を呼べるわけでもないので、むしろそういった田舎臭さを払拭して、日常利用を定着させようとしたのだとも思う。駅前も広々としている。私は勝手に、何となく狭い路地の古びた町並みがあるような所かと思っていたが、全く違っていた。
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by railwaytrip | 2009-04-11 11:20 | 中部地方

北総鉄道・京成高砂~東松戸

 地方のローカル線は、用事がなくても乗りにいけば楽しい。しかし大都市近郊の通勤電車となれば、未乗車区間であっても、わざわざ乗りに行きたいとはあまり思わない。どんな所だろうと、多少の興味はあるが、その程度の動機では積極的な行動には移しにくいものである。それに、わざわざ乗りにいかなくても、そのうち用事ができて自然に乗るのではないかという希望的観測もある。

 いつの頃からか、羽田空港から京浜急行で品川へ向かおうとすると、印旛日本医大行きなどという妙な行き先の電車に乗り合わせることが多くなった。しかし、京浜急行や都営浅草線で毎日通っている人でも、印旛日本医大まで乗ったことのある人は少ないだろう。寝過ごしで乗った人以外は殆どいないかもしれない。私も乗ったことがない。

 それでも一度は北総鉄道に乗ってみようかという気持ちはかねてからあったのだが、次なる問題は運賃で、これがローカル私鉄並みに高いのである。ローカル私鉄なら、高くても納得いくのだが、首都圏の通勤鉄道に用もないのにこの金額を出して乗るのは、さすがに勿体無い。しかも盲腸線なので、同じ区間を戻ってこなければならない。加えて、この線は近々延長され、成田空港へつながり、空港連絡のメインルートになるとのことだ。そうなれば嫌でも自動的に乗ることになるであろう。これで、北総鉄道に今時点でわざわざ乗る理由は完全になくなったと思っていた。

 にもかかわらず、東京寄りの一部区間のみ、乗ることになった。葛飾区は京成高砂から、武蔵野線と連絡する東松戸までである。距離は僅か7.5キロだが、運賃は実に440円。ちなみに、京成高砂から東松戸へ行くのに、京成で金町へ出て、常磐線で新松戸へ、そして武蔵野線に乗り換えれば、距離は約2.5倍で、時間も何倍もかかるが、運賃は420円で、北総より安いのである。これはあまりにひどい。つくばエクスプレスが、新線にもかかわらず運賃を抑えて乗客増に成功しているのと対照的に、北総の沿線は住宅地としても不人気で、乗客数もさほど伸びていないらしい。その理由の一つにこの高い運賃があることは間違いないだろう。


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 まずは、北総線の起点である京成高砂にやってきた。改札を出て駅周辺を歩いてみる。ここは京成の本線と金町線、それに北総線が分岐する主要駅だが、街そのものは、特別なことはなく、ましてや遠くからわざわざ買い物や遊びで出かけに来る場所ではない。地平駅で、西側に開かずの踏切がある。その解消のための高架化工事中である。全面的に高架化するのかと思ったら、何と一番のローカル線である金町線のみを高架にあげる工事らしい。北総線が成田空港までつながれば、ますます重要性が増す筈だが、その割に中途半端な投資で済ませようとしているのが、他の首都圏大手私鉄と異なる。本線といえども踏切が連続し、下町情緒あふれる地平駅の多い京成は、趣味的には楽しいが、成田空港へのメインルートにいつまでもこんな大きな踏切を残すのは、どうなのだろうという気もする。

 北総線の時刻表を見る。朝夕を除くと20分に1本の各駅停車だけである。夕方から夜にかけては急行が何本かあるが、それも少ない。この運転頻度はかなり少なく、乗客が少ないからとはいえ、サービス水準は低いと言わざるをえない。それでいてこの高運賃では、不人気が当たり前と納得してしまう。次の列車は15時03分発の印旛日本医大行き。ちなみに京成高砂始発という列車は殆どなく、後で調べてみると、昼間の列車は全て羽田空港発なのであった。

 京成唯一の複々線区間である青砥方面の、それなりに立派な線路から、印旛日本医大行きの列車が8輛で下ってきた。通勤時間には早いが、それなりに乗客はいるし、ここで乗り込む客もいて、つり革の半分近くがふさがるぐらいの乗車率となった。もっとガラガラなのかと思ったが、それなりに乗っている。

 踏切を2つほど通り、まず左に金町線を分かち、ついで右に京成本線が分かれていくと、高架にあがり、新線らしく、スピードが出る。こういった古くからの線とのギャップは、泉北高速など、各地で見られる。しかし各停だからほどなく高架の新柴又。その先で江戸川を渡り、東京都から千葉県に入る。矢切の渡しがあったあたりのすぐ下流の東側で、渡った次の駅が矢切である。しかし、そうした情緒ある駅名とは結びつかない地下駅であった。これだから新線は面白くない。その先も地下のままで、地下鉄に乗っているようだ。その次の北国分は、半地下の掘割式の駅で、ここを出てもまた地下が続くため、景色も見えない。やっと出て、しばらく高架を走る。都心に近い割には農地が多い。秋山を過ぎ、次が東松戸。京成高砂から僅か10分であった。列車はここまででだいぶ空いた。東松戸も乗車より降車が多い感じであり、立ち客僅かで発車していった。


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 東松戸は、武蔵野線を跨ぐ形で作られたため、高い高架上にある駅である。成田新高速鉄道の開業に向けて、待避駅への工事が始まっている。北総を使えば都心に近いことは近いので、新築高層マンションなどもパラパラと見られるものの、空き地も多い。典型的な新興開発地の風景である。しかし、東京の西側の私鉄沿線だと、都心から同じ距離で、こんな広い空き地は見られないのではないか。要するにやはり、この沿線の開発は遅れているということである。武蔵野線の駅は後からできたらしいが、それにしても利用客が多いとは言えない。そして今の北総の運賃の高さからすると、武蔵野線の駅ができたことで、東京方面も目的地によっては武蔵野線回りが検討対象になりそうだ。例えば西船橋までは僅か12分160円で、そこからは地下鉄東西線が使える。


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 都心側の僅かな区間を一度乗っただけでは、偉そうなことは言えないが、この鉄道は、さんざん批判を浴びながらも高運賃政策を変えるつもりのない頑固さを持っているようであり、それが沿線開発促進のネックになっていることは確実と思われた。成田空港延伸によって運賃がどうなるか、現時点では未定らしいが、この改善のチャンスを逃すと、北総沿線はもう永遠に発展しないかもしれない。
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by railwaytrip | 2008-12-01 15:03 | 関東地方

島原鉄道・安徳駅

 島原鉄道が島原外港以南の廃止を表明した。相次ぐローカル私鉄廃止の一つといえばそれまでかもしれない。だが、この廃止予定区間の一部は、1990年代に雲仙普賢岳の噴火により延べ5年余りに渡って長期不通となったのである。災害を機に廃止されるローカル線は過去にも多くの例があるが、島原鉄道ではその時、新線建設同様の投資をして復旧させた。その後は観光トロッコ列車なども走らせて、災害後の観光振興にも貢献している。だがそれから僅か十年余り、再び災害に見舞われたわけでもないのに廃止とは、残念でならない。


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 土石流によって鉄道の線路も流されてしまった水無川鉄橋。災害の後、新たに立派な鉄橋ができ、その北側にある安徳駅も、ローカル私鉄らしからぬ高架駅となった。よってこの駅は、コンクリートが目立ち、他の駅のようなローカル線の情緒には乏しい。

 駅のすぐ南を水無川の本流が流れ、鉄道の鉄橋が、その海側には道路橋もある(写真左下)。知らなくても新しい橋だとわかる、ある意味、現代的な風景である。西に目をやればいやでも目に入るのが、普賢岳と、その少し手前右手にある平成新山である。写真右下は、この高架ホームから見た山。この山の南西には雲仙の温泉街があり、今は平和な観光地・保養地として客を呼んでいる。もっともシーズン以外は客不足で悩んでいる旅館も多いそうだ。

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 現在の安徳駅は、勿論無人駅で、島原鉄道全体の中でも乗降客は少ない。駅周辺には古い集落も残っているので、全てが溶岩に流されたわけでもなさそうだ。今、災害のすさまじさを直截に感じるには難があるが、このローカル線にしては立派な駅や鉄橋などの鉄道施設が、間もなく廃墟となると思うと、複雑な感情を抱かずにはいられない。
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by railwaytrip | 2007-03-22 15:15 | 九州・沖縄地方

くりはら田園鉄道・栗駒駅

 廃止が決まっている私鉄、元・栗駒電鉄、今はくりはら田園鉄道という。改称した理由の一つは、観光需要の開拓を狙ってだろうが、それ以上の理由は「電鉄」をはずさなければならなかったかららしい。乗客減などのため、電車から気動車への置き換え、つまり電化の逆、非電化が行われたから。

 そうして減量経営をしても、もはやこういった地方の鉄道は経営が成り立たず、ここも廃線が決定したとのこと。これも時代の流れで仕方ないとはいえ、かつてそれなりの栄華を誇った筈の地方鉄道。その現在の姿はというと・・・

 まず起点の石越駅、東北本線の駅だが、思ったより小さく寂しい駅であった。東京から仙台や一ノ関までは、新幹線であっという間なのに、そこからが遠い。仙台乗り換えで普通に乗ると、小牛田で停車時間もあり、仙台~石越が、東京~仙台と、所要時間であまり変わらないという現実。今や東京から仙台などあっという間だが、石越となると、東京からかなり遠いのだ。この鉄道は、その石越で乗り換えてそこからまた奥地へ入る私鉄なのだ。そうかといって沿線はそこまで過疎化が進んでいるわけではなく、ササニシキの産地で水田が多いものの、人家もそれなりにある。終点近くで山が迫り、勾配がちょっと急になるものの、際立った秘境があるわけでもない。要するに地味な私鉄と沿線なのである。


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 栗駒駅は、この線屈指の主要駅で、駅員もいる。立派で大きな駅舎があり、多くの乗降客で賑わった時代もあったのだろう。駅待合室で使われているベンチが、実に凄い時代物。廃線の後、アンティーク屋に高値で売れるのでは、なんて不遜なことも考えてしまった。駅前広場も立派で、バスやタクシーが出ており、一応の商店街もある。

 けれどもやはり、かなり乗客は少ない。これが民間企業の経営とあれば、存続は無理だろう。地方では、鉄道の利用者は、一昔前に比べて着実に減っている。残念だが、仕方ない。


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 駅からすぐの「みちのく風土館」で「くりでんの歴史展」をやっていた(2005年10月31日まで・火曜定休)。鉄道誘致・建設の時代から現代までの歴史が、数々の遺品とともにわかり、興味深かったが、見学者も殆どなく、ここでもまた寂寥感を抱いてしまった。
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by railwaytrip | 2005-06-27 14:40 | 東北地方