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名鉄モノレール線・犬山遊園~動物園

 たまたま用事があって岐阜に宿泊したのが11月22日(土)の晩で、翌朝は自由時間であった。秋の行楽シーズンの三連休で、天気も良い。よりによってこんな日に、気が進まないなあと思いながらも、やはり向かうことにした。あと1ヶ月あまりで廃止の運命にある名鉄の犬山モノレール、まだ乗ったことがない。今日乗らないと、乗らずに終わることは確実である。

 これは、営業キロ1.2km、途中駅1駅という、観光用モノレールである。とはいえ、日本で最初の跨座式モノレールである。1962年開業と、東京モノレールより古く、ここの技術と経験がその後の東京モノレールなどに活かされたそうで、そういう意味では歴史的意義の深い交通機関である。


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 犬山遊園は、名鉄犬山線の途中駅で、ここがモノレール線の乗り換え駅である。そのモノレールのホームは名鉄の地平駅に対して、高架上にあり、一旦改札を出て乗り換えなければならない。運賃も別建てで、自動改札にも対応していない。一昔前のままで、名鉄としても、早くから廃止の可能性を見込んで近代化投資を控えてきたのではないかと思われた。「電車・モノレールのりば」と大書きした駅舎の雰囲気も、一昔前の行楽路線を彷彿とさせるレトロ感がある。また一つ、昭和の面影を残すものが消える、と言ってもいいかもしれない。


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 自動改札は無く、切符も窓口で購入し、駅員に切符を見せて入場するのだが、切符自体は自動改札対応の軟券である。ホームは単線で、さほど広くないので、今日は大賑わいだ。整理のロープが張られ、拡声器を持った駅員が何人もいる。ホームの入口には、モノレールの歴史などを解説する展示パネルが設けられている。

 動物園からモノレールが到着すると、これから乗る客、降りた客が、次々とカメラを向ける。降りた客が早く引き上げないと、列を作っている客が乗車できない仕組みである。「撮影が済みましたら出口にお進み下さい」と、駅員がマイクで呼びかける。行楽用の乗り物でもあるし、半ばこれを目当てという観光客も多いであろう。名鉄としても、「撮影などしないで出口に」とは言えないので、「撮影はすみやかに」という現実的な対応をしている。しかしそのためか、時刻表より2分ぐらい発車が遅れた。無論、通勤通学列車ではないので、その程度はどうということはない。


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 大入り満員で立ち客も乗せて発車。普段は30分に1本らしいが、今日は15分毎に運転しているようだ。いつもこれぐらい乗ってくれれば廃止にならないのだろうが、廃止と決まると人が増えるのは仕方ないし、私も他人のことを言えない。沿線でも撮影をしている人を何人も見かけた。モノレールだけに急勾配も急カーヴもあって起伏に富んでおり、僅かな乗車時間だが、思ったより面白かった。途中駅の成田山も、ある程度の乗降客があった。

 終点の動物園駅は、遊園地と隣接しており、ホームの向こうはもう遊園地の遊戯施設である。まさに観光用のモノレールである。周囲には普通の住宅もあるようだが、この僅か1.2kmの路線では、そういった住人の利用を前提に、例えば東急こどもの国線に倣って早朝から深夜まで走らせても、まず採算は取れないだろう。今日は大賑わいだが、昨今の少子化とレジャーの多様化、そして施設の老朽化と名鉄という会社自体の合理化、色々考えれば、廃止は致し方ないと思う。生活路線でもないので、反対運動も起こらなかったようである。


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 この三連休は、廃止の最終日などを除けば、多分モノレールにとって最後の晴れ舞台なのではないか。来る前は気が進まなかったが、たまにはそういう日に乗ってみるのも悪くない。ただ、やはり普通の平日は超閑散としていたそうで、それがこのモノレール晩年の日常だったようだ。そういう日にも乗ってみたかった気はする。
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by railwaytrip | 2008-11-23 11:14 | 中部地方

東武日光線・柳生駅

 東京の私鉄で一番長い複々線区間を持つ東武伊勢崎線も、東武動物公園で伊勢崎線と日光線に分岐すると、いずれもローカルムードが漂ってくる。それでも最近は地下鉄乗り入れ区間が延びて、その先まで地下鉄の車輛が入ってくるようになった。しかしそれも日光線は南栗橋までで、その次の、東北本線乗り換え駅、栗橋を出ると、首都圏脱出という感じになってくる。

 このあたりは県境が複雑に入り組んでいて面白い。東北本線は、栗橋、古河、野木の連続する3駅が、埼玉、茨城、栃木と、全て違う県に属する。太平洋に面した東の茨城県が内陸に無理やり突っ込んできた感じの所である。古河市は茨城県である。他方、東武日光線の栗橋の次には新古河という駅があるが、ここは茨城県古河市ではなく、埼玉県北川辺町になる。東武日光線は茨城県を全くかすめない。その新古河の次、柳生までが埼玉県北川辺町で、その先で群馬県板倉町に入り、板倉東洋大前という新しい駅に停まり、そこを出ると今度は栃木県藤岡町に入り、藤岡に停まる。よってここも、柳生、板倉東洋大前、藤岡の3駅が、埼玉、群馬、栃木と、3駅連続で県が変わる。板倉東洋大前は1997年開業の新しい駅で、できる前は、東武日光線は群馬県を通りながら、県内に駅が一つもないという状態であった。

 そんな北関東3県と埼玉県の県境が入り組んだあたりの地図を眺めているうちに、柳生駅が埼玉・栃木・群馬の3県の県境に極めて近いことがわかる。駅から歩いて5分程度で、その3県の県境にたどりつけそうである。もっとも県境というのは川だったりして、厳密な県境に立つことのできない場所も多い。しかしここはごく普通の平地のようである。

 柳生は東京の通勤圏を少しはずれたローカルムードも漂う駅であった。もっともホームは長く、跨線橋もあり、駅の雰囲気は全くの田舎のそれではない。しかし駅舎は昔ながらの木造の小ぢんまりしたもので、駅前も商店や住宅があるものの、東武動物公園以南のベッドタウン駅に比べると鄙びている。利用者もそのあたりとは比較にならないぐらい少ないが、昼間の乗降客が僅かしかいない本当のローカル駅と比べれば、ちゃんと利用されている感じだ。本数は1時間に3本程度。


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 駅の改札を出て、線路に沿った細い道を左へ、左に下りホームを見ながら歩く。道端に蜜柑の木があり、実がなっている。ちょっと長閑な気分になれる。1分も行くと踏切がある。踏切を渡ると、道路はすぐ左右に分かれる。左への道には「渡良瀬遊水地 谷中湖中央エントランス あと900m」という看板があり(写真右下)、一応観光客向けのウォーキングコースになっているらしいことがわかる。


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 そこを左へ行く。まっすぐずっと行けば谷中湖だが、私は、ほどなく続いて現れるT字路の2つ目を右へ曲がる。ここはまだ埼玉県である。そして1分と歩かないうちに小さな交差点がある。その交差点の手前は埼玉県だが、交差点そのものは群馬県に属する。写真左下がそれで、写真を撮るために立っている場所は埼玉県だが、交差点は群馬県である。


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 その交差点を過ぎてさらに100メートル弱で、T字路にぶつかる。そのT字路のすぐ手前までは群馬県であるが、T字路自体は埼玉県である。写真右上は群馬県から撮っているが、突き当たりは埼玉県である。手前は空き地だが、向こう側は写真のように住宅が並んでいる。

 そのT字路を左に曲がると、曲がった瞬間に群馬県に戻るが、群馬県は20メートル程度しか続かず、その先、今度は栃木県に入る。写真左下は栃木県に入った先から撮ったもので、車が2台停まっているあたりまでが栃木県、その先ちょっと群馬県で、3軒目の家からは埼玉県である。手前右にあるミラーの柱には、ちゃんと「藤岡町」という栃木県の町名が書いてあった。


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 つまり、このあたりがまさに3県の県境なのである。柳生駅から直線距離では300メートル程度であろうか。そして、その道路に沿って数軒並んでいる住宅のうち一つが、3県の県境にあるようである。こういう家の住所表示や固定資産税などは一体どうなっているのかと思うが、ごく普通の民家であり、プライバシーを詮索してはならないので、覗き込んだりせず、遠くから写真だけ撮って終わりにする。ちなみにその隣の家は、ほぼ埼玉県だが、庭のほんの一部分が栃木県にかかっていそうである。写真右上は、埼玉県に戻った側から振り返って撮った写真で、左奥の家は栃木県で、間に群馬県がちょっと入っている。

 この辺の詳しい地図を見ていると、ここ以外にも、このあたりには、2軒並んだ家が両方とも埼玉県と栃木県にまたがっている所があったりと、県境が地形や道路と関係なく走っていて、県境を無視して土地家屋が所有や賃貸されていると思われる所が多い。

 今回は寄らなかったが、北へもう少し歩けば谷中湖がある。その北側は広大な渡良瀬遊水地である。かつてはもっと広い範囲が池であったが、今は大半が渡良瀬緑地になっており、自然の宝庫となっているようである。渡良瀬遊水地は足尾の鉱毒を下流に流さないための調整目的で作られたというのが定説であり、今も場所によっては土壌に銅などの鉱毒物質がかなり含まれているという。谷中湖のあたりには、その昔、谷中村があったが、この遊水地を作る頃、強制移住により廃村になっている。このあたりはそういった、日本の公害の原点とも言われる足尾の鉱毒とも縁が深い場所だ。しかしそれと、この県境の走り方とは、あまり関係がないと思われる。

 余談であるが、埼玉県は、北関東3県の他、東京、千葉、山梨の、計6都県と都県境を接している。そのうち東京・千葉・茨城・群馬県とは、県境を越える鉄道も国道も存在する。これらの都県境を越えたことのある人は山ほどいるだろう。山梨県との境はもっぱら山で、国道が1本、隧道で超えている他は、ハイキングコースの山道しかない。そして、埼玉県と栃木県の県境は、このあたりの平地ではあるが、距離にして2キロ程度しかなく、この県境を越える鉄道も国道もない。唯一、県道が通っているが、この県道がまた面白い。栃木県道・群馬県道・埼玉県道・茨城県道9号佐野古河線というらしく、僅か1キロほどの間に、埼玉、栃木、群馬、埼玉、栃木と、県境が目まぐるしく変わる。これが唯一、一般に埼玉と栃木の県境を越える、道らしい道で、それ以外は路地のような小さな道がいくつかあるだけである。よって、埼玉と栃木の県境を越えたことがある人は極めて少ないであろう。今回、この柳生駅付近を訪問した私も、埼玉栃木県境は越えなかった。訪問した3県の県境に近い地点からあと2~3分も歩けば、超えることができたのだが、それをせずに立ち去ったのがちょっと心残りであった。
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by railwaytrip | 2008-11-14 12:10 | 関東地方

名鉄築港線・大江~東名古屋港

 全国には、朝夕しか運転されない工業地帯などへの通勤専用路線がいくつかある。かつては日中も運転されたけれども、殆ど乗客がなくて朝夕のみになってしまった、鶴見線の大川支線などもある。鶴見線自体、都会の中のローカル線として、それなりに有名である。その他、良く知られているのが、山陽本線の支線、通称和田岬線である。

 それらに比べてあまり話題にならないのが、名古屋市南部の臨海工業地帯を走る名鉄築港線である。名古屋から名鉄で知多半島の中部国際空港方面へ向かって急行で15分ほどの大江という所から分かれ、東名古屋港までの1.5キロを走る短い盲腸線だ。運転本数は、大江発の時刻表で見ると、平日朝(7~8時台)が9本、平日夕方(16~19時台)が13本、土曜は半分近くに減り、日曜はさらに減るものの、一応何本かは走る。わずか1駅なので、当然、1本の列車が行ったり来たりするダイヤで、終着東名古屋港での折り返し時間も短い。東名古屋港とはどんな所か、ある程度観察したいので、あまりすぐ折り返す列車を選ぶのはいやだが、そうかといって、1本見送ると今度は間が持たないかもしれない。そこで、夕方の2番列車、大江発16時30分の列車に狙いを定めた。この列車は、東名古屋港で折り返しまでの停留時間が14分あり、他の列車よりも長い。例えば夕方の1番列車は4分、3番列車は3分で折り返してしまう。

e0028292_4571191.jpg 大江駅は、構内は広く、鉄道の駅らしい駅であった。急行も停車するが、これは築港線接続のためというよりは、ここで普通列車との接続ができる構造だかららしく、実際の乗降客数は周辺の駅に比べても少ないらしい。それでも名古屋に近いので住宅が多い。地図によると、東へ1キロほどの所にはJR東海道線の笠寺駅がある。駅は橋上駅ではなく、線路の東側にしか改札口がない。線路を挟んで東側が住宅地、西側が工業地帯と分かれているような感じである。築港線のホームは一番西側の5番線で、モダンなステンレスの2輛編成の電車が停まっている。橋を渡って乗り換えようとすると、乗り換え通路に自動改札がある。同じ名鉄同士なのに何故かというと、これは乗り換えの中間改札ではなく、東名古屋港の出口の改札の役目を果たすのである。途中駅もない盲腸線なので、ここで築港線に乗り換える乗客は、100%が東名古屋港で下車するのだから、ここで東名古屋港までの運賃を徴収するという仕組みである。

e0028292_4581648.jpg 東名古屋港駅周辺は、住宅地ではないらしく、名古屋から見れば下り方向となるが、乗客は一人もいない。運転手と駅員が発車までの時間、雑談をしているが、駅員がタブレットを持っている。発車時刻になるとそれを運転手に渡し、駅員が手を挙げて出発合図をすると車掌がドアを閉め、発車。乗客は私以外に誰もいない。私一人のために冷房まで効かせてくれているような、申し訳ない気分になってしまう。

 発車するとすぐ、南下する本線(常滑線)と分かれて右へカーヴする。するとにわかに住宅地の気配は消えうせ、いかにも臨海工業地帯という感じの風景になる。線路は単線で、左にはいかにも産業道路といった大きな道路が走り、1つ2つ、踏切もあるが、僅か1.5キロだから、すぐ着いた。


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 右側に片面ホームがあるだけの、小さな無人駅である。改札もなく、切符の販売機もないが、ジュースの販売機はある。それなら切符の販売機を置くことも可能は可能だろうが、とにかくそういった設備はない。左前方には三菱重工の大きな建物がある。いかにも住宅などはなさそうな所だ。しかし駅前方が大きな交差点であり、車は多いし、駅の横には市バスのバス停もある。鉄道のない時間帯もバスは結構走っているようだ。線路は行き止まりではなく、先へつながっており(写真右上)、駅のすぐ先には大きな踏切もある。これは埠頭まで続いているらしく、稀に車輛を輸出する時などに使われるらしい。

 発車時間が近づくにつれて、三々五々という感じで乗客が集まってくる。外国人も何人かいる。きちんとネクタイを締めたビジネスマン風の人もいれば、工場で働いてきましたという感じの人、そしておばさんも若い女性も、要するに大企業の工場で働いている色々なタイプの人が乗客となり、全部で20人ほどになって発車。席は十分にある。そして所要3分だからすぐで、あっけなく大江駅へ戻ってきた。


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 大江駅に着くと、すぐに降りず、車内に座ったままの人も多い。これは、すぐに常滑線のホームに行っても列車が来ないからなのであろう。降りた何人かの人とともに階段を上がってみる。定期券を持っている人は、そのまま中間改札を通っているが、そうでない人は、改札の手前の自動券売機で、東名古屋港発の乗車券を買う必要がある。そうしている人が結構いる。やはりこの限定的なダイヤでは使いづらくて、定期を買わず、毎日は利用しないという人も多いのかもしれないし、あるいは毎日勤めている人ではなく、出張などで来た人なのかもしれない。

 名古屋方面へのホームに下りると、なるほど次の列車まで10分近くある。それであの人たちは冷房の効いた築港線の車内で座ったまま時間をつぶしているのであろう。
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by railwaytrip | 2007-07-02 16:30 | 中部地方

南海本線・孝子駅

 大阪府から隣の府県へ行く境界越え区間には、大都市近郊であることを忘れさせてくれるような鄙びた山越え区間があって、ポツンと小さな駅がある所が多い。京阪間の山崎も、ややその気配が漂うが、一番顕著なのは阪和間で、JR阪和線の山中渓と、ここ南海本線の孝子が、横綱級ではないかと思う。

 大阪難波から南下する南海本線は、多くの町、多くの駅を経て、大阪府南端のみさき公園まで来る。路線図だけを見ていると、和歌山市まであとたった3駅しかないので、全列車が和歌山市まで行ってもいいのではと思ってしまう。しかし、列車本数はここでかなり減り、この先、日中は、優等列車と各駅停車がそれぞれ日中毎時2本ずつの運転となる。途中の孝子と紀ノ川は、各駅停車しか停まらないが、和歌山市に近い紀ノ川には、他に加太線の列車もある。そうすると、取り残されたここ孝子が唯一、本当に30分に1本しか列車が停まらない駅なのである。

 ここは大阪府岬町に属する。大阪側から来ると、峠のすぐ手前になる。孝子を出た列車は間もなく和泉と紀伊の国境超えの孝子隧道に入り、出ると紀ノ川の流れる和歌山平野へと下っていく。国道26号線が線路と並行しており、孝子の駅前も通っている。国道を行く車の多さのせいか、とりたてて寂しい感じはしない。


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 駅は無人化されており、自動改札がある。駅舎は上りホームの前方にある。小さいが、特に趣のある建物ではない。下りホームとの行き来は、今や都市部では珍しくなった構内踏切で結ばれている。下りホームに、年代ものの小さな木造の待合所があり、それ以外の部分には屋根もない。上りホームは短い屋根があるが、和歌山方の大部分は上下とも屋根もなく、大雨の日に知らずに降りてしまうと、改札口までの間に相当濡れてしまうだろう。駅名標は新旧さまざまなタイプが見られるが、駅舎に近い側には相当レトロなものが残っていて、味わい深い。


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 乗降客は、というと、少ないが、ゼロというわけではない。けれども30分に1本でも、一列車数名という感じで、列車本数を増やす必要も、急行をこの区間だけ各駅停車にする必要もなさそうだ。改札を出て国道を渡ると、その向こうには集落があるが(写真左下)、規模は小さい。昔ながらの家が多く、この駅周辺には宅地開発の波も及んでいないようである。山が迫っているが、多少の平地に水田もあったりする。

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 それでも、通過列車も含めれば、それなりに列車本数は多く、長い編成の列車がしばしば行き交う。初めて訪問した者としては、待っている間も退屈はしない。難波寄りから比べてみれば、相当なローカル駅だが、それでも流石は南海本線である。
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by railwaytrip | 2007-06-28 16:45 | 近畿地方

近鉄大阪線・三本松駅

 私鉄らしからぬ長大幹線、近鉄大阪線。東半分は山岳地帯も多く、車窓の変化も楽しい。大阪上本町から奈良盆地南部を貫き、大和三山を眺めて桜井を過ぎるとやがて山峡に入る。知らなければもはや大阪の通勤圏も果てたかと思える。榛原を過ぎ、一駅の距離が俄然長くなるあたりでは、急行なども各駅停車になる。だが、その先、三重県に入ったあたりに名張、桔梗が丘といった住宅地があり、かなりの人が大阪まで通勤しているという。

 そういう日常利用者も、そしてたまに乗る人も、恐らく下車したことのある人は珍しいと思われる駅の代表が、奈良県最後の駅、三本松ではないかと思う。このあたり、急行は各駅停車になっているが、そのひとつ上の区間快速急行というのが、榛原以東では三本松のみ通過している。こういう駅があると、どういうところであろうかと、気になってしまう。車窓から見ても人家も少ない山峡にある小さな駅である。 通るたびに気になっていたが、このたび桔梗が丘へ行く途中に少し時間ができたので、途中下車をしてみた。


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 三本松は、山の中腹にある相対ホームの駅である。進行左手は山、右手に谷が開けている。一番大阪寄りに構内踏切があり、小さな駅舎がある。するっと関西が導入されているので、自動改札機や自動精算機があり、駅員もいるが、下車した客は僅かであった。とはいえ、大都市近郊私鉄の水準としては少ないものの、下車そのものを駅員に珍しがられたり、奇異な目で見られたりするような田舎の駅ではない。休日にはハイキングの客も観光客もいるであろう。

 ここは元々、隣の室生口大野とともに室生村であったが、2006年1月1日、榛原町その他との市町村合併で宇陀市となった。旧室生村の中心は、隣の室生口大野駅のある大野地区であろうか。

 駅前には商店が1軒。あとはこれといって何もなく、狭い道を谷へと下りてゆくと、やがて国道に出る。この国道右手に道の駅宇陀路室生ができている。かつてこれが無い頃は、もっとひっそりした山村だったのだろう。道の駅のせいで、そこまで田舎という気がしなくなるが、周囲は田園が広がっている。


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 橋がある。流れているのは宇陀川で、水は綺麗だ。大阪から1時間、やはり別天地である。この川は、何となくこれより奥の青山峠の方から流れてきているのかと勝手に思ってみたが、逆で、名張方面へ流れている。後で調べてみると、水源は榛原の南の大宇陀の山の中で、名張から名張川と名を変えて北上し、ぐるりと円弧を描いて今度は西へ向かい、月ヶ瀬、木津などを通って木津川とまた名を変え、田辺などを通って最後は樟葉のあたりで淀川に合流し、大阪湾に注いでいるのである。この上流には室生ダムがある。

 このあたりから見る駅は、いかにも山肌にへばりついている感じで、その昔は難工事だったのかもしれない。この区間の開通は昭和5年で、当初より高速鉄道を想定していたため、ローカル線のように川の流れに沿って急カーヴを繰り返すような設計はしていないのであろう。


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 駅に戻る。大阪方面から延々と走ってきた、青山町行の急行がやってきた。こんな山深い地なのに、乗客も結構乗っているし、お客の身なりが都会風なことで、田舎のローカル線とは違う、近鉄の大幹線であり、大阪への通勤路線でもあることを改めて思う。ここ三本松駅で見る限り、そのギャップが面白いと思う。
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by railwaytrip | 2006-10-08 10:45 | 近畿地方

南海高野線・岸里玉出~汐見橋

 都会の中のローカル線として、近年知られつつある線区の一つが、通称汐見橋線。正式には南海高野線の一部区間なのだが、高野線の全ての列車が難波発着になって久しく、この区間は完全な枝線のようになっている。

 私事に渡るが、私はその昔の1980年代の一時期、堺市内に住んでいたことがある。大阪市内からの帰宅ルートとしては、阪和線と南海高野線があり、場合により使い分けていた。高野線で帰る時は、当然、難波からの乗車が多かったが、たまに気分を変えて、わざわざこの線を選んで乗っていたものだ。その当時の記憶でも、夕方ラッシュ時でさえ空いていたように思うが、詳しいことは覚えていない。

 しかし最近は、ますます乗客減が進んで、殆ど取り残されたようになっていると聞き、久しぶりに乗ってみることにした。南海沿線に行った後、心斎橋に用事があったのだが、岸里玉出から汐見橋へ、そしてそこからは心斎橋まで歩いてしまった。

 まず、今はこの区間は30分に1本という少なさなので、時刻表を調べずに岸里玉出で乗り換えようとしても、えらく待たされる恐れがある。幸いなことに、数分後には発車ということがわかる。写真左下は、南海本線のホームから見た2輌編成の汐見橋線である。


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 乗り換えてみると、案の定というか、ガラガラで、2輛の乗客は10人程度。発車してみればどうということなく、複線の普通の線路で、沿線も住宅が密集している。最初の駅、西天下茶屋で早くも数名が降りる。次の津守では、一人の初老のおじさんが乗ってきたが、その人はその次の木津川で降りてしまった。木津川(写真右上)は、この線でも最も利用者が少ない、都会の中のローカル駅としてマニアに知られつつあり、私も次は降りてみたいと思っている。しかしこの一駅乗車のおじさんは、どういう用事で利用しているのだろう。コンビニの袋を持っていたから、もしかすると電車に一駅乗って買い物に行ったのだろうか、つまりこの寂れた木津川駅周辺には日常の食糧を買うようなお店がないのだろうか・・・想像だけなので、わからないが。

 そして、環状線の芦原橋に近い、芦原町に停まると、環状線をくぐり、次が終点の汐見橋である。終点で降りた乗客は6、7人であった。


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 この汐見橋駅は、この日の私にとっては、乗ってきた電車の終点だが、通称汐見橋線、正式には高野線の起点駅である。環状線内にある私鉄のターミナルとして、これほど寂れた駅は珍しいとされている。レトロな昭和30年代の地図が、わざとなのか、撤去するのが面倒だからなのか、駅構内に掲げられている。恐らく特に撤去せず放置しておいた結果、骨董品的価値が出てきて、ある時点でこのまま残そうということになったのであろう。

 そんな面白い駅だが、駅舎の外観は格別の味があるわけではない。駅を出れば特徴も薄い大阪市内の場末の道路である。歩いてすぐ、地下鉄千日前線の桜川駅があるが、桜川と汐見橋を乗換駅としても、汐見橋線の途中駅に用事がある人しか利用しない現状ではあまり意味がないので、あえて乗換駅としていないようである。

 乗り通しただけだが、面白かった。近いうちに途中駅にも下車してゆっくり沿線を探訪してみたいものだ。
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by railwaytrip | 2005-11-26 15:47 | 近畿地方

東武日光線・北鹿沼駅

 東武鉄道のサイトによれば、この駅の一日の乗降客数は90人で、東武全駅中の最下位であり、乗降客数100人未満の唯一の駅でもある。名鉄では最近、この人数規模の駅2駅を廃駅にしている。さてどんな所か、期待高まる。

 人家も稀な寂しい駅を期待していたが、思ったほどではない。駅前にも人家がそこそこあり、駅の跨線橋から新鹿沼方面を見ると、丘の中腹に結構びっしりと住宅も。但しあのあたりの住人は恐らくこの駅は利用していないだろうが。


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 勿論無人駅で、古びた木造駅舎の味わいが良い。昔は駅員がいて切符を売っており、改札口で鋏を入れていたわけで、その名残の一つ一つが良く残されている。さらに、駅舎の隣に離れのような、これまた木造の古いトイレ(写真右上)。中も汲み取り式で、考えてみればこういったトイレ、昔は珍しくなかったけど、今ではこれも希少価値かもしれない。

 駅のすぐ近くの雑貨屋が、切符の委託販売所となっていたが、その店が最近休業か廃業したらしく、実際、シャッターが閉まっていた。そのため、駅には「切符は車内でお求め下さい」との割と新しい貼り紙があった。


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 この区間の東武鉄道は、日中の普通列車は1時間に1本の運転で、2輛編成の短い電車が僅かな客を乗せて行き来している。北千住方面でみる姿とは違う、ローカル線としての東武鉄道の姿がここには見られる。
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by railwaytrip | 2005-06-20 13:20 | 関東地方