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十和田観光電鉄・三沢~十和田市

 青森からの特急が三沢に着いた時は、あいにく雨が降り始めていた。しかし予定通り、まだ乗ったことのない地方私鉄、十和田観光電鉄に乗って十和田市まで行ってみようと思う。

 十和田観光電鉄といえば、その昔は地方私鉄の優等生で、乗客も多く、例えば津軽鉄道あたりと比べてもずっと活況を呈していたという。それというのも終点の十和田市がそこそこ大きな街だからであろう。十和田といえば十和田湖、そして観光、という文字が路線名に入れば、十和田湖へ行く観光路線のような印象を与えるが、実際にこの電車とバスを乗り継いで十和田湖へ観光へ行く人は、昔から少なかった。それよりは圧倒的に地元の生活密着路線としての性格が強い。


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 リニューアルされて都会風の橋上駅になったJR三沢駅の西口を出て、十和田観光電鉄の駅へ行く。そこはうって変わって古色蒼然としたモルタル造りの渋い駅がある。とりたてて味わい深い建築ではないが、今見ると、昭和に時代が逆戻りしたような味わいがある。

 駅舎の中に入ると、その感じは一層強まった。平日の日中のお客が少ない時間帯で、しかも雨である。だから余計に寂しく感じたのかもしれないが、それでも駅員がいて切符売場もある。自動券売機もあるので、私はそこで十和田市まで570円の切符を買ってしまったが、後で知ったのだが窓口で硬券も買えたらしい。どちらにしても、改札口で鋏を入れてもらう。昔ながらの鉄道の姿がここでは健在である。


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 電車は東急のお古で、東急時代の面影が良く残っていて何となく懐かしい。12時35分発、2輛に10人ほどの客を乗せて発車した。もちろんワンマン運転である。

 三沢を出るとすぐ、古牧温泉の中を通る。温泉地と言うよりも、ホテルの中を横切るような感じである。その後は林の中を走ったと思えば田園地帯を走る。人家は少ない。最初の大曲駅も次の柳沢駅(写真右上)も、単線の無人駅で反対側は見事な水田であった。乗降客もいない。

 3つ目の七百という面白い名前の駅は、途中唯一の交換駅である。駅に小さな車輛基地が併設されている。


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 次の古里は、駅前に道路が走り、駅付近にも人家が見られるなど、これまでより少し賑やかになった。ここまで4駅で8.4キロあり、ここから十和田市まではまだ6駅もあるのに、6.3キロしかない。十和田市側の方がずっと駅間距離が短いのである。三沢も大きな街だが、駅のあたりは市街地と離れているので、三沢側の風景は概して寂しい。ローカル盲腸線の多くは、先へ行くに連れて寂しくなっていくが、この線は逆である。しかしこのことが、十和田市のためにこの路線が残っていられる理由の一つであろう。

 古里の次が三農校前という駅で、駅名の通り、駅前に県立三本木農業高校がある。そして一つ飛んで北里大学前があり、その次が工業高校前と続く。今の時代なら学園都市線というニックネームをつけてもおかしくない。通学時間帯はそれなりに賑わっているに違いない。

 その次がひがし野団地前という、これまた東京近郊にありそうな駅名だが、駅周辺は団地ではなく、東京よりずっとゆったりとした一戸建ての住宅が並んでいる。そして最後はそれまでより少し寂しくなって、十和田市に着いた。途中多少の乗降客があったが、大半は全線乗車の客のようであった。

 十和田市駅は、駅ビル併設の橋上駅だが、駅ビルにあったスーパーが色々な事情から撤退してしまい、もぬけの殻である。有人駅で、駅員が集札しているが、それでもどことなく寂しく寒々しい感じがするのは、天候と、この無機質な駅ビルのせいだろうか。こんな場合は昔ながらの木造駅舎の方が温かみを感じるものである。ちなみに市街地は駅から先へ少し歩く必要がある。


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 雨の中、線路に沿って少し戻り、途中の駅から乗って三沢へ戻った。帰りも乗客は10人前後であった。三沢に戻り、駅構内の老舗の蕎麦屋で昼食をし、それから駅の先の古牧温泉の入口にある踏切で、次の列車の発車を見送ってみた(写真右上)。

※ 乗車当時のこの線には具体的な廃止の話はありませんでしたが、その後、新幹線延伸や震災の影響もあり、急に廃止の話が浮上し、結局2012年3月31日をもって廃線になってしまいました。
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by railwaytrip | 2010-05-28 12:35 | 東北地方

北総鉄道・京成高砂~東松戸

 地方のローカル線は、用事がなくても乗りにいけば楽しい。しかし大都市近郊の通勤電車となれば、未乗車区間であっても、わざわざ乗りに行きたいとはあまり思わない。どんな所だろうと、多少の興味はあるが、その程度の動機では積極的な行動には移しにくいものである。それに、わざわざ乗りにいかなくても、そのうち用事ができて自然に乗るのではないかという希望的観測もある。

 いつの頃からか、羽田空港から京浜急行で品川へ向かおうとすると、印旛日本医大行きなどという妙な行き先の電車に乗り合わせることが多くなった。しかし、京浜急行や都営浅草線で毎日通っている人でも、印旛日本医大まで乗ったことのある人は少ないだろう。寝過ごしで乗った人以外は殆どいないかもしれない。私も乗ったことがない。

 それでも一度は北総鉄道に乗ってみようかという気持ちはかねてからあったのだが、次なる問題は運賃で、これがローカル私鉄並みに高いのである。ローカル私鉄なら、高くても納得いくのだが、首都圏の通勤鉄道に用もないのにこの金額を出して乗るのは、さすがに勿体無い。しかも盲腸線なので、同じ区間を戻ってこなければならない。加えて、この線は近々延長され、成田空港へつながり、空港連絡のメインルートになるとのことだ。そうなれば嫌でも自動的に乗ることになるであろう。これで、北総鉄道に今時点でわざわざ乗る理由は完全になくなったと思っていた。

 にもかかわらず、東京寄りの一部区間のみ、乗ることになった。葛飾区は京成高砂から、武蔵野線と連絡する東松戸までである。距離は僅か7.5キロだが、運賃は実に440円。ちなみに、京成高砂から東松戸へ行くのに、京成で金町へ出て、常磐線で新松戸へ、そして武蔵野線に乗り換えれば、距離は約2.5倍で、時間も何倍もかかるが、運賃は420円で、北総より安いのである。これはあまりにひどい。つくばエクスプレスが、新線にもかかわらず運賃を抑えて乗客増に成功しているのと対照的に、北総の沿線は住宅地としても不人気で、乗客数もさほど伸びていないらしい。その理由の一つにこの高い運賃があることは間違いないだろう。


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 まずは、北総線の起点である京成高砂にやってきた。改札を出て駅周辺を歩いてみる。ここは京成の本線と金町線、それに北総線が分岐する主要駅だが、街そのものは、特別なことはなく、ましてや遠くからわざわざ買い物や遊びで出かけに来る場所ではない。地平駅で、西側に開かずの踏切がある。その解消のための高架化工事中である。全面的に高架化するのかと思ったら、何と一番のローカル線である金町線のみを高架にあげる工事らしい。北総線が成田空港までつながれば、ますます重要性が増す筈だが、その割に中途半端な投資で済ませようとしているのが、他の首都圏大手私鉄と異なる。本線といえども踏切が連続し、下町情緒あふれる地平駅の多い京成は、趣味的には楽しいが、成田空港へのメインルートにいつまでもこんな大きな踏切を残すのは、どうなのだろうという気もする。

 北総線の時刻表を見る。朝夕を除くと20分に1本の各駅停車だけである。夕方から夜にかけては急行が何本かあるが、それも少ない。この運転頻度はかなり少なく、乗客が少ないからとはいえ、サービス水準は低いと言わざるをえない。それでいてこの高運賃では、不人気が当たり前と納得してしまう。次の列車は15時03分発の印旛日本医大行き。ちなみに京成高砂始発という列車は殆どなく、後で調べてみると、昼間の列車は全て羽田空港発なのであった。

 京成唯一の複々線区間である青砥方面の、それなりに立派な線路から、印旛日本医大行きの列車が8輛で下ってきた。通勤時間には早いが、それなりに乗客はいるし、ここで乗り込む客もいて、つり革の半分近くがふさがるぐらいの乗車率となった。もっとガラガラなのかと思ったが、それなりに乗っている。

 踏切を2つほど通り、まず左に金町線を分かち、ついで右に京成本線が分かれていくと、高架にあがり、新線らしく、スピードが出る。こういった古くからの線とのギャップは、泉北高速など、各地で見られる。しかし各停だからほどなく高架の新柴又。その先で江戸川を渡り、東京都から千葉県に入る。矢切の渡しがあったあたりのすぐ下流の東側で、渡った次の駅が矢切である。しかし、そうした情緒ある駅名とは結びつかない地下駅であった。これだから新線は面白くない。その先も地下のままで、地下鉄に乗っているようだ。その次の北国分は、半地下の掘割式の駅で、ここを出てもまた地下が続くため、景色も見えない。やっと出て、しばらく高架を走る。都心に近い割には農地が多い。秋山を過ぎ、次が東松戸。京成高砂から僅か10分であった。列車はここまででだいぶ空いた。東松戸も乗車より降車が多い感じであり、立ち客僅かで発車していった。


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 東松戸は、武蔵野線を跨ぐ形で作られたため、高い高架上にある駅である。成田新高速鉄道の開業に向けて、待避駅への工事が始まっている。北総を使えば都心に近いことは近いので、新築高層マンションなどもパラパラと見られるものの、空き地も多い。典型的な新興開発地の風景である。しかし、東京の西側の私鉄沿線だと、都心から同じ距離で、こんな広い空き地は見られないのではないか。要するにやはり、この沿線の開発は遅れているということである。武蔵野線の駅は後からできたらしいが、それにしても利用客が多いとは言えない。そして今の北総の運賃の高さからすると、武蔵野線の駅ができたことで、東京方面も目的地によっては武蔵野線回りが検討対象になりそうだ。例えば西船橋までは僅か12分160円で、そこからは地下鉄東西線が使える。


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 都心側の僅かな区間を一度乗っただけでは、偉そうなことは言えないが、この鉄道は、さんざん批判を浴びながらも高運賃政策を変えるつもりのない頑固さを持っているようであり、それが沿線開発促進のネックになっていることは確実と思われた。成田空港延伸によって運賃がどうなるか、現時点では未定らしいが、この改善のチャンスを逃すと、北総沿線はもう永遠に発展しないかもしれない。
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by railwaytrip | 2008-12-01 15:03 | 関東地方

北陸本線・福井~粟津

 北陸地方の普通列車には、まだ国鉄型車輛が多い。オーソドックスな急行型や近郊型に混じって、寝台特急電車改造の不思議な車輛もあって、なかなか面白い。しかしこれらも敦賀の方から順次新型車輛への置き換えが始まっているので、余命も長くないかもしれない。そう思って、国鉄時代の旅を彷彿とさせるような、北陸本線鈍行旅行をしばし味わおうと福井へやってきた。


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 土曜の朝、8時41分発の金沢行に乗る。411系という国鉄時代の近郊型車輛で、当時の面影が良く残っている。平日なら通勤通学時間帯だが、それでも福井から金沢方面の下りに乗る通勤客は多分少ないだろう。6輛編成と、それなりの長さなので、空いているが、客層はというと、家族連れや若い女性のグループなどが結構多い。

e0028292_4321752.jpg 福井の近郊区間は4つ目の芦原温泉までである。最初の駅、森田も、改札のある右手こそそれなりに開けており、マンションなどが建っているが、左手は一面の田園だ。そんな所を一駅ずつ停まりながら行くのだが、各駅とも下車よりは乗車の方が多い。芦原温泉(写真左)でも結構乗ってきた。一般的に言うと、ここから峠を越えて県が変わるのだから、芦原温泉までで一旦ガラガラになって、峠を越えた大聖寺ぐらいから、金沢へ向けて段々と客が増える、という感じなのが、県境越え区間のパターンである。しかしここはそうではない。きっと週末は福井県側の人達も、遊びや買い物の目的地は、県都福井市よりは、金沢なのであろう。北陸三県における金沢の求心力はかなり強いようである。


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 芦原温泉を過ぎると谷が迫ってきて、細呂木、牛ノ谷という2つの小駅を過ぎる。細呂木(写真左上)はまだ駅前に人家も多いが、牛ノ谷(写真右上)はこの区間で一番閑散とした、山の中の駅で、駅周辺に建物もあまり見られない。そんな駅でも若干の乗車客がある。牛ノ谷を発車するとすぐ、県境の牛ノ谷隧道に入り、出ると石川県になる。峠越えといえば、富山県との境にも、倶利伽羅峠という山越えがあり、倶利伽羅駅というひっそりした小駅がある。加賀の国(石川県)は、北陸本線以外に県境を越える鉄道がなく、その鉄道も両県境ともしっかりした峠越え区間で、国境越えの雰囲気がある。加賀に独自の文化が育った背景には、そういった地形的要素もあろう。しかし現代の人々はそんな意識もなく、気軽に県境を越えて金沢へ遊びに行く。

e0028292_4335989.jpg 牛ノ谷隧道は、1キロもなく、長い隧道の増えた今日ではものの数にも入らない。出るとゆるいカーヴを平野へとゆっくり降りていき、住宅が増えてくると、石川県最初の駅、大聖寺(写真左)に着く。もともと大聖寺はこのあたりではちょっとした主要駅で、駅周辺にもそれなりの集落があり、かつては山中温泉へ行く北陸鉄道も出ていた。その跡地はホームや線路こそ撤去されているが、今も空き地として残っており、ここだなとわかる。実は私も小学生の頃、家族旅行でこれに乗って山中温泉へ行った。駅自体もそれなりに立派で風格がある。特急こそ殆ど通過するが、主要駅の風格を今も保つこの駅からは、大勢の客が乗ってきた。

 大聖寺の次は、元は作見(さくみ)という小駅であったが、今は加賀温泉といい、特急停車駅である。このあたり一帯は加賀温泉郷で、海側、山側それぞれに、大小いくつもの温泉地があり、特に関西の奥座敷としても発展してきた。かつては大聖寺、動橋(いぶりはし)、粟津、小松と、作見を除くと各駅が急行停車駅クラスの駅であり、私鉄やバスで温泉地と連絡していた。そのうち大聖寺、動橋、粟津の3駅の機能を集約すべく、作見を加賀温泉と改め特急停車駅にしたわけだが、それから既に38年が経つ。今は作見駅時代を知らない人が多数派であろう。優等列車通過駅に降格された、大聖寺、動橋、粟津の3駅は、いずれもそういう意味では寂れてしまった。その加賀温泉は、特急が停まり便利な駅だが、特急券のいらない普通列車もそれなりに人気があり、ここでも乗車が結構いる。

 その次が難読駅の動橋で、駅の手前、田んぼの向こうにぼんやりとビル街が見えるのが片山津温泉である。加賀温泉郷を代表する温泉街の一つで、動橋が最寄り駅だったが、歩けるほど近いわけでもなく、バスやタクシーなら加賀温泉からでも大差ない。そのため、片山津温泉へ行く人が動橋駅を利用しなくなって久しい。動橋駅衰退の理由の一つであろう。それでもここからも金沢へ行くらしい地元の若い人が賑やかに乗ってきた。既にボックス席は殆ど埋まってしまい、デッキに立つ人もいる。

 次が粟津である。私はここで降りる。どこもそうだが降りる客は僅かで、乗る人が断然多い。ここにも粟津温泉という温泉地があるが、山中・山代・片山津に比べると知名度も低い。明らかにこの駅が最寄なのだが、バスも小松からしか出ていないらしい。かつてはここも北陸鉄道で結ばれていたそうだが、ここは廃止が1962年と古く、流石にもう何の面影もないようである。駅周辺は住宅と工場が多く、その工場の多くが小松製作所関連らしい。というわけで、観光客の利用は殆どない、日常的な駅である。特急が停まらないからそうなったとも言えよう。しかしホームが2つあり、駅舎とは地下道で結ばれている。その地下道は古くて薄暗いものの、風格がある。元急行停車駅の貫禄は十分である。駅舎も昔からの木造のようだが、だいぶリニューアルされているのか、ぱっと見た感じは古びていない。

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 地方の鈍行列車といえども、6輛編成と長く、駅ごとに賑やかにお客が乗ってくる様子は、一昔前の鉄道の活気を今に伝えてくれた。この先、小松から金沢へ向けて、さらに賑わうのであろう。このまま金沢まで行きたかったが、時間の都合でここまでしか乗れないのがちょっと残念であった。

※ 一部の写真は、戻る時の上り列車から撮影していますので、実際この列車から見られる風景とは若干異なります。
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by railwaytrip | 2008-07-05 08:41 | 中部地方

奥羽本線・弘前~東能代

e0028292_20265894.jpg 最近モダンな駅に改装された弘前。ここが始発で秋田までの約150キロを2時間半かけて走破する普通列車は、3輛編成の交流電車である。それなりに長距離を走るにもかかわらず、全てロングシートの、東京近郊と変わらぬ電車であるのは、誠にいただけない。これでは折角鉄道の旅を楽しもうという人どころか、用務客でさえ鉄道離れを起こす恐れがあるということを、JRの当局は考えていないのであろうか。私自身、これは二度と乗りたくないと思ってしまった。実際、発車数分前に、大きな荷物をかかえたおじいさんが「秋田はこれでいいんかいな」と車掌に尋ねながら乗ってきた。特急の本数もさほど多くないこの地方では、今の時代でも、ある程度の長距離客が普通列車に乗り合わせることも、ままあるのである。特急が30分毎に走る鹿児島本線などとは事情が異なる。

 何はともあれ、乗客は3輛合わせて30~40人ぐらいであろうか、昼間の閑散時間帯にしては悪くない人数だが、大鰐温泉と碇ヶ関で近距離客が下車し、だいぶ減ったようである。碇ヶ関までが弘前郊外と言える区間で、ここからは、険しい矢立峠の国境越え区間となり、日常的な流動は少ない筈である。その区間にある人跡稀なる山奥の駅、津軽湯の沢で、おばさんが一人下車した。左下の写真は津軽湯の沢停車中の車内風景。


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 秋田県に入った最初の駅、陣場(写真右上)では、一人の乗車がある。人口が少なくてもこうして普通列車が通れば利用者が僅かでもある。ほっとする光景である。というのも、今やそうではない所も少なくないからである。それにしても、さきほどの秋田までのおじいさんは、このロングシートにあぐらをかいて、所在なさそうに座っている。繰り返すが、これは長距離客にあまりに気の毒な座席である。

e0028292_2032186.jpg とはいえ、全体に占める長距離客の割合は少なく、大館では大半の客が入れ替わる。大館は昔ながらの鉄道主要駅の風格が今も十分の、重厚な駅だ。ここで車掌も交代する。今度は若い車掌で、マニュアル通りなのか、東京の電車と変わらない口調で案内放送を入れる。もとより方言もなく、一層旅情が薄らぐ。その放送の最後に「なお、途中の糠沢には停まりませんからご注意下さい。」と付け加えた。

 その糠沢という駅は、大館から3つ目、鷹ノ巣の一つ手前の駅である。いつの頃からか、時刻表を見ると、この駅だけ通過する普通列車が多いことに気づいてはいた。汽車時代には乗降場並みの小駅を通過する列車があったが、この糠沢はそれとは違う。その時代、秋田に近い上飯島を通過する列車はあったが、糠沢だけを通過する列車はなかった筈だ。逆に上飯島は、秋田に近いので、今は都市圏としての利用が伸びているのか、全ての普通列車が停車する駅に変わっている。それはともかく、糠沢とはどんな駅か、どうしても気になってしまう。


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 早口を出てしばらくすると、電車は田園地帯を快走する。ローカル鈍行でも、幹線を走る新型電車だから、スピードは速い。客車列車でのんびり行った時代は、それはそれで懐かしいし、何よりも旅情があったが、輸送機関としては、あのままでは駄目なことは私でもわかる。写真左上は糠沢手前の車窓。そして糠沢を高速で通過(写真右上)。確かに閑散とした場所にある駅だが、人家もパラパラと見られ、ここだけを通過するほど、明らかに差があるとは感じられなかった。昔の印象では、むしろ鷹ノ巣の次の前山の方が、米代川に沿った小駅というイメージが強かったのだが、さてどうだろう。

 糠沢通過の後数分で、次の鷹ノ巣に停車。元国鉄阿仁合線で、第三セクター化された、秋田内陸縦貫鉄道の乗換駅だが、この列車からは接続がないので、ここでの乗降客は僅か。律儀な若い車掌も、この線の乗り換えについては、接続列車の案内もしない。JRではないからなのだろうが、元国鉄の路線だし、気の毒な気がする。

 鷹ノ巣の次の前山は、この区間をその昔、客車の鈍行で通った際、私がもっとも印象強く感じた駅であった。駅の裏手を米代川が線路に寄り添ってくる所にある閑散とした駅で、その川の風景が印象に残っている。しかし、今日見ると、川は護岸工事によって様変わりしており、堤防が築かれ、車窓からでは水面は見えない。反対側を見れば駅前は閑散としており、糠沢と大差ない感じがする。この駅での乗降客はいなかった。ここもやがて糠沢同様、昼間は普通列車が通過するようになるのか、それとも車窓からだけではわからない所に糠沢よりは利用客がいる要素があるのか、それはこういう通りすがりの旅だけではわからない。

e0028292_203457.jpg 次の二ツ井は、木材の集散地でもあり、世界遺産・白神山地への入口の一つでもある。それと多分無関係に、一般の利用者、特に乗車客が多く、活気が感じられた。二ツ井から3駅目が東能代、私はここで降りる。

 東能代は、能代の町からはずれ、閑散とした所にある駅だが、奥羽本線としては主要駅であり、ここは下車より乗車客がずっと多かった。一応ここから秋田までは、秋田都市圏ということで、本数も増えるし、多分この先、各駅で利用者を拾いながら秋田へと向かうのであろう。ともあれ、弘前から東能代までの間は、始終、空席の目立つ列車であった。ロングシートだから余計そう感じたのかもしれない。乗客の殆どいないローカル線とも違うのだが、やはり日中のこの時間帯のこういう列車は、せめてセミクロスシートぐらいの車輛を使って欲しいと強く望む次第である。
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by railwaytrip | 2007-04-05 11:17 | 東北地方

上越線・越後湯沢~水上

 越後湯沢8時05分発水上行普通列車は、東京ではもう殆ど見られなくなったという意味で、今や懐しいと言ってもよい、かつての国鉄の標準型近郊電車115系だ。5輛という比較的長い編成なのは、長岡始発で、途中で通勤通学時間帯にかかっているからであろう。越後湯沢でざっと見たところ、思ったより座席は埋まっている。しかし最後尾車輛までいくとガラガラであった。

 まだスキーシーズンであり、山にはかなりの雪が残っている。けれども朝の上り列車にスキー客らしき人はいない。学生を除くと用務客っぽい人が多く、中年の男性が多い気がする。観光客らしきグループも散見される。

e0028292_20325982.jpg 最初の停車駅は岩原スキー場前。駅名の通り、スキー場のために作られた駅で、当初は冬季だけの臨時駅であった。しかしその後、駅付近に湯沢高校が移転したため、年間を通じて営業するようになった。ここで早速、十数名の高校生が下車した。上越新幹線開通以来、このあたりには首都圏住民のセカンドハウス向けといった感じの高層マンションなども増えている。よって駅付近も結構賑やかな感じだが、一般の乗降客は殆どいない。

 ここを出ると、昔から岩原の大カーヴとして知られる大きなカーヴで、ぐるりとほぼ180度、向きを変える。このあたりはまだ田園地帯で、一見平坦に見えるが、この大カーヴも勾配緩和のためであろう。実際、気をつけていると、徐々に登っているのが感じられる。そして次が越後中里。ここまでは隧道もなかった。駅前がスキー場で、その昔、新幹線開通以前は、冬の間だけ特急も停車したりして、首都圏からのスキー客が多かった所だ。現在はローカル線化した上越線も、新潟県内はそれなりに地元住民の利用があり、ここがその南限、長岡方面からこの駅止まりの普通列車が何本かある。今はここも、昔と違ってマンションなどが目立つ町になっており、決して寂しい所ではないが、この列車での乗降客は皆無であった。

 越後中里を出ると、線路は川端康成の「雪国」以来、良く知られた険しい国境越えに挑む。この区間の日常的な流動はごく僅かだ。それでも新幹線開通前は、特急「とき」や急行「佐渡」が頻繁に行き交う大幹線であったが、今は夜行や貨物を除くと、普通列車が一日5往復するだけの、超ローカル線になっている。但しスキーシーズンの冬季だけ、季節列車が数往復加わる。撮影名所として知られた魚野川の鉄橋を渡ると人家も途切れ、こちら上り線は、隧道に入る。そして列車は右へ右へとひたすらカーヴする。そう、ここはループ線なのである。ループ線は上り線のみ2ヶ所ある。当初単線で開通した当時の上越線は、この上り線であり、現在の下り線は後からできたため、隧道が多く、ループにはなっていない。

e0028292_20334279.jpg ループ一周のカーヴが終わり、直線になっても、列車はしばらく隧道を出ない。出るとそこはもはや人家も全くない険しい山峡で、そんな所をしばらく走ると土樽に着く。駅裏に山荘があるだけで、一般の人家は見られない、寂しい駅だ。しかも、少し前までは小さなスキー場があったが、今は閉鎖されたそうだ。中央に、かつて特急の追い越しに使われた本線が通り、普通列車はホームのある待避線に入る。立派な駅で、駅舎もあるが、乗降客はいない。

 土樽を出ると、右手に慰霊碑が見える。これは清水隧道建設にあたり犠牲になった人たちを祀る碑である。当時としては大変な難工事だったに違いない。そして列車は清水隧道に入る。こちら、上り線は、最初に単線で開通した清水隧道であり、下り線はそれよりずっと長い、新清水隧道である。下り線は、湯檜曽・土合の両駅のホームが隧道の中にあるという面白い構造で、あちらはあちらで乗ってみると面白い。けれどもその分、景色の見える区間が少ない。山の景色をゆっくり楽しむなら、やはり上り線である。土樽~土合間は殆どが清水隧道であり、出た所が土合。立派な山小屋風の駅舎も、今は無人駅で、ここも乗降客はなかった。下り線ははるか下方の隧道の中を通っていて、下り線ホームまでは延々と階段を下りていかなければならないという、変わった構造の駅で知られる。


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 土合を出ても隧道が多いが、2つ目の隧道を出ると右手には奥利根の渓谷と湯檜曽の温泉街が見えてくる。そして列車はループ線の上に出る。右手下方に湯檜曽駅を見下ろすことのできる箇所があり、この区間のハイライトだと思う(写真左下)。今、この景色に接する機会を持つ人はごく僅かだろう。しかしその昔は日々、首都圏と新潟を行き来する大勢の人がここを通っていた。逆に、湯檜曽駅で上り列車を待っていると、山の中腹を列車が通るのが見えて、それから3分ほどすると、その列車がホームに滑り込んでくるという、これまた面白い経験ができる。


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 ここも右へ右へとカーヴを続け、ぐるりとループ線を一周する。最後の隧道を抜けると、さきほど見下ろした利根川を渡り、どことなく寂しげな温泉街を見ながら湯檜曽駅に滑り込む。ここも下り線は隧道の中なので、上り列車からは見えず、一見、単線ホームの駅のようだ。湯檜曽は、土樽や土合と違ってある程度の人家があるが、集落や温泉が駅と少し離れていることもあり、一日5往復だけになった上越線の普通列車を利用する人は少ないのだろう。かつては急行が一部停車した立派な湯檜曽駅も、今はやはり無人駅で、下車客はなく、若い男性が1人乗ってきただけであった。そして湯檜曽を過ぎてさらに谷を下り、幾度となく利根川を渡り、急に人家が増えてくると、終着駅水上に到着した。


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 水上は言うまでもなく著名な温泉地である。しかし、新幹線に見離されて以来、以前の賑わいはなく、寂れてきているようだ。上り列車で降りた客の殆どは、跨線橋を渡って水上始発の高崎行普通列車に乗り継ぐようで、改札を出る客は少ない。駅前は土産物屋が並び、それなりに観光地の風情があるが、活気は感じられない。乗り換えの客を改めて良く見れば、若い女性のグループなど、都会風の若い人も多い。春休みだし、青春18切符の季節でもあるので、こうして鈍行を乗り継いで長距離を移動する人もいるのであろう。ということは、普段はもっと客が少ないに違いない。そう考えると上越線のこの区間は、貨物や夜行がなければ、横川~軽井沢と同様、廃線の憂き目に遭っていたかもしれない。今のところその心配は無さそうだが、遠い将来、ここはどうなるのだろう。日本全国でも第一級の車窓を有するこの区間、いつも新幹線にばかり乗っていないで、たまには時間を取って鈍行旅行を楽しんでいただきたい、と、多くの人に伝えたい区間である。

※ この区間は、中部地方(新潟県)と関東地方(群馬県)とにまたがりますが、新潟県側の方が若干距離が長いため、便宜上、中部地方のカテゴリーに分類しました。
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by railwaytrip | 2007-03-29 08:05 | 中部地方