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Bréauté-Beuzeville ~ Fécamp

 フランスは日本より面積が広い国だが、細長い日本と違って、割と丸いので、日本ほど南北の長さは感じない。それでも北と南、東と西では、気候風土も気質も違いが大きいとは感ずる。それでいてどこに行っても、いかにもフランス。このフランスならではのアイデンティティーは、言葉では説明できない独特の雰囲気を持っている。少なくとも私はフランスに行くたびに、強く感じる。

 今回行ったのは、ノルマンディー地方である。パリの西北西にあたり、パリを流れるセーヌ川の下流地域である。また、海を隔てているが、ロンドンのほぼ真南にあたる。

 前の晩にパリからの列車で Rouen(ルーアン)に着き1泊した私は、この朝、Rouen からさらに西へ、Le Havre(ル・アーブル)行きの列車に乗った。パリから Rouen までは、ノンストップで1時間10分である。Rouen はセーヌ川下流域にある、大聖堂が有名な古都で、Le Havre は、セーヌ川河口に開けた港町である。少しフランスに詳しい人なら、多分これらの街は知っているだろう。

 私はその途中、Bréauté-Beuzeville(ブレオテ・ビューズヴィル)という駅で降りた。ここで分岐する Fécamp(フェカン)行きの支線に乗り換え、Fécamp という所に行ってみることにしたからである。理由は特にない。Le Havre も行ったことはないので行きたいが、それよりは、この支線が何となく気になった。


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 Le Havre 行きの列車はパリからの直通で、編成も長く乗客も多い。Bréauté-Beuzeville は分岐点にあるというだけの小さな駅だが、下車客は結構多かった。Fécamp への乗り換え以外には特に何もない。このあたりはセーヌ川とも離れており、駅は平凡な田園地帯にポツンとあって、大きな特徴もない。Fécamp への支線は、ここからひたすら北へと走り、イギリス海峡に面した北海岸の町Fécamp で終着となる。Fécamp はそこそこの規模の港町らしいので、鉄道が残っているのは何となくわかる。ただ、その起点の Bréauté-Beuzeville は、何故ここが分岐点になっているのだろう、と思わせるような所にある。


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 Le Havre 行きで下車した人の多くは、駅前から徒歩、バス、迎えの車などで散ってしまったようだ。Fécamp 行きを待つらしき人もいるが、多くはない。10分ほどの接続で悪くないのだが、ホームに列車は入っていない。と思ったら、ここ始発ではなく、Le Havre からやってくるのだった。何と1輛の新型ディーゼルカーであった。ガラガラでやってきて、ここで10名弱が乗り込むが、それでも空いている。

e0028292_445939.jpg 発車するとあっさりと本線と分かれてカーヴをし、北へと進路を取る。あとはもう、黙々と淡々と、ひたすら田園地帯を走る。特に目を惹くような車窓ポイントもない。しかもこの季節の北ヨーロッパらしいどんよりとした天候のため、風景に陰影も乏しい。Fécamp まで19.7キロあり、途中駅はない。所要22分。もっともかつては途中駅があったようで、今その廃駅らしき所は廃車輛の墓場のようになっていた。

 スピードは速くもないが、のろのろでもない。本線のような快適さはないが、乗り心地も悪くない。しかしフランスはこういった支線はどんどんバスへと置き換えているようで、先行き心配である。


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 終着 Fécamp は、ホーム1面だけだが、錆びた引込み線が何本もあり、かつては活況を呈した終着駅だったと思われる。今の駅舎は小さい。ホームは長く、そこにポツンと1輛の新型気動車が停車した風情は何となく寂しい。


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 駅から錆びた線路に沿って先へ行ってみる。すぐ先が港であり、恐らくかつては貨物が港まで来ていて、ここから船積みもしていたのではないだろうか。そして坂道を丘の上に進めば市街地がある。思ったより大きな街である。


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 街を歩いてみた。ノルマンディーの港町、と思えばそんな気がするし、他のフランスとは違うような気はする。折から街の広場では、小さな音楽隊が演奏をしていた。小さなお祭りという感じであった。スコットランドのバグパイプ楽団とはまた少し違うのだが、いくぶん近い雰囲気であり、音楽もケルト系のようであった。詳しいことはわからないが、そちら方面とのつながりを感じる雰囲気の音楽に、ノルマンディーにいることを実感した次第であった。
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by railwaytrip | 2011-02-05 10:47 | フランス

Barking ~ Gospel Oak

 ロンドンは欧州最大の都市の一つで、都心に鉄道のターミナルが沢山ある。その数はもしかすると世界一かもしれない。ターミナル間やターミナルと周辺の郊外は、主に地下鉄が結んでいる。ゾーン1に属する都心部が、東京の山手線内よりちょっと広いぐらいの印象がある。ロンドンとその周辺に出入りする殆どの鉄道路線が、何らかの形でゾーン1を起終点とするか、通過している。反面、郊外相互間の横の連絡はあまり発達しておらず、多くの地域ではバスがカバーしている。

 そんな郊外の横の連絡の路線の中でも老舗の一つが、北東部のバーキングと北部のGospel Oak(ゴスペル・オーク)を結ぶ、ブリティッシュ・レール(国鉄)の路線である。古い路線だが、あまり発展しておらず、未だに非電化で、2輛編成のディーゼルカーが1時間に2~3本程度という運転本数である。都心からの距離で言うと、東京なら武蔵野線ぐらいか、もう少し都心寄りを走っているぐらいなのだが、ロンドンにはそんな路線が残っている。しかし乗客は増えていて、近いうちに改良されて近代化される話もある。そういう話を聞いてしまうと、今のうちに一度乗っておきたくなるものである。


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 夕方のラッシュにはまだ少し早い16時代、地下鉄ディストリクト線でゾーン3のバーキングへ着いた。国鉄の中距離列車も停車する、ちょっとした拠点駅で、東京で言えば柏とか立川ぐらいであろうか。しかし駅周辺は普通の商店が並んでいるだけで、デパートが集まる中核駅ではない。というよりも、ロンドンは都心を離れて郊外に行くと、そこまで大きく開けた拠点駅はない。それでも、乗降客・乗換え客で、駅はそこそこ活気があった。特に地下鉄は発着が頻繁である。


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 その一番はずれの1番線が、目指す Gospel Oak 行きのホームである。駅の時刻表を見ると、次の発車は16時54分発で、約10分待ちである。

 乗り慣れた電車とは違う、気動車独特のエンジン音は、鉄道に特に関心のない一般利用者でも、違いを感じるであろう。イギリスは郊外に出れば気動車は珍しくないが、ロンドンにしばらく滞在して電車ばかりに乗っていれば、やはりこれは違った音に感じられる。そんな気動車ならではの大きな唸りをもって、重々しく到着。僅か2輛の短い編成だが、それなりの数の下車客を吐き出すと、折り返しの利用者が乗車。乗車率は半分弱というところか。東京と違って完全クロスシートである。

 発車すると、左にロンドン中心部へ向かう地下鉄としばらく並行するが、やがてあちらが左へカーヴして分かれていく。その後は概ね郊外の住宅地という感じの所を通る。駅はどこも相対ホームで、ちょこちょこと乗り降りがあるが、多くはない。2~3駅ごとぐらいに都心部と郊外を結ぶ地下鉄と交差している筈だが、あちらは地下なので、知らなければわからない。乗換駅は殆どない。地図を見れば徒歩乗換えができそうなところはあるが、そういう利用者はあまりなさそうである。ロンドンは日本の大都市と違って地下鉄とバスが運賃面でも一体化されているから、10分も歩いて鉄道同士で乗り換えるぐらいなら、バスを組み合わせて使うのだろう。


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 それでも夕方の人の移動の多い時間帯なので、駅ごとに乗降がある。段々空いてくるわけでも混んでくるわけでもない。写真左上は西日がまぶしかった Leyton Midland Road(レイトン・ミッドランド・ロード)駅の反対ホーム、写真右上はホームで待っている乗客の多かった Harringay Green Lanes(ハリンガイ・グリーン・レーンズ)である。しかし突出して乗降客の多い駅はない。唯一、地下鉄(Victoria Line)と乗換えできる、Blackhorse Road(ブラックホース・ロード)でも、特に乗降客は多くなかった。その先でちょっと池のある公園の中を通ったぐらいで、あとは概ね変化に乏しいロンドン郊外の住宅地である。しいて言うと前半より後半区間の方が、やや高級な感じの所が多かった。

 途中駅は10駅で、平均3~4分ごとに停車する。賑やかそうな商店街がある駅もあれば、駅前から住宅地といった駅もある。最後の停車駅、Upper Holloway(アッパー・ホロウェイ)を出ると、最後の区間はスピードが遅くなり、おごそかに、という感じで終着の Gospel Oak に着いた。所要時間は36分であった。

 Gospel Oak は、ブリティッシュ・レール同士の乗換駅で、地下鉄は来ていない。駅を出てみたが、お店も殆どなく、案外寂しいところであった。もちろん徒歩圏内にそれなりの住宅があるから、乗降客も少なくないが、それよりは乗換え客の方が多い。Barking から乗り通した人が何人いるかわからないが、印象としては、かなりの乗客が途中で入れ替わっていたと思う。


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 ロンドンの鉄道路線図を改めて見てみると、この Gospel Oak という駅は、3方向のどの路線も都心へ向かっていない。東1キロほどの所に地下鉄 Northern Line の駅が2つあり、それが都心へ直通している。もう少し乗り継ぎを便利にすればという気もするが、行先によって路線を使い分けるだけのことなのだろう。だからこのブリティッシュ・レールの駅は、ロンドンの割にはローカル線っぽい今の雰囲気を今後も保ち続けてくれるかもしれない。それでもここで接続している路線は電化されており、電車が走っている。このあたりのロンドン至近距離での非電化区間は、やはり貴重になりつつある。
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by railwaytrip | 2010-02-26 16:54 | イギリス

快速シーサイドライナー・佐世保~浦上

 長崎県第二の都市・佐世保は、少し前まで東京からの寝台特急の終着駅であった。遠い九州の、それも県庁所在地でもない都市としては異例と言ってよいだろう。それだけ人口も多く、活気ある都市である。残念ながらぱっとしない曇天で寒い日だったが、街をちょっと歩いてみた。


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 佐世保駅は綺麗でモダンな高架駅になっていた。2001年完成だそうで、もう8年にもなるのだが、まだ真新しい駅のようだ。こういう高架駅になると、どうしても個性がなくなり、旅情が湧いてこない。東京近郊の駅も地方の主要駅も、同じように見えてしまう。

 その佐世保からは、「特急みどり」が博多へ向けて頻発している。特急ではなく、純然たる域内ローカル列車でもない、もう一種の列車として、快速シーサイドライナーというのがある。これは、長崎と佐世保という、県内の主要2都市を結ぶ、大村線経由の快速である。今日はそれに乗って、長崎市の入口の浦上まで行ってみる。


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 平日の昼下がりのこととて、乗客はさほど多くない。2輛編成の気動車は、席がさらりと埋まる程度の乗り具合である。車輛はキハ67という国鉄時代のもので、これはそれなりに思い出深い。ローカル線の旧型車輛を置き換えるために新製された気動車で、筑豊地区に集中投入された。当時の筑豊は、炭鉱の閉山が相次いでおり、暗いイメージもあっただけに、こういった新型気動車の投入が、その暗いイメージの払拭に一役買っていたものであった。それが今、色を変えてこんな所で走っているのであった。さすがに古びてきているが、転換クロスシートの快適な車輛だ。窓が開くのも良い。

 早岐までの3駅は、市の郊外といった感じで、各駅に停まる。最近、地方の快速は、所要時間を犠牲にしてでも、都市周辺の近郊区間での頻度を維持するため、「区間快速」化しているケースが増えているように思う。仙石線などもそうだ。どちらが良いのか、難しいところだが、私としては、ここは早岐までノンストップで快速らしく走ってもらいたいと思う。けれども、佐世保~長崎間は残念ながら、高速バスの方が所要時間でも運賃でもやや勝っている。そのため、高速バスの通らない途中駅からの利便性を高める方が得策なのであろう。これも時代の流れであり、寂しいが仕方ないのであろう。


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 その日宇でも大塔でも、佐世保からの客がパラパラと降り、乗車も少しある。閑散時間帯でも多少は利用されている都市近郊区間だ。そして早岐。高架化された佐世保と違い、昔ながらの主要駅らしい、重厚な駅である。洗面台もあって、長距離列車が行き交った時代を偲ばせる(写真左上)。今もそこそこの市街地があり、乗降客も結構多く、佐世保発車時点より少し混んだ。といっても座席の半分が埋まるかどうかという程度である。ここまでが佐世保線で、ここから大村線に入る。

 早岐の次は、1992年開業のハウステンボス。川とも運河ともつかない早岐瀬戸に沿って近づくと、右手前方の川向こうにリゾート地らしい「オランダ風の」建物が見える。島式のホームは案外と狭い。前の席を向かい合わせにして座っていた女子大生風の3人連れは、ここで降りるのではと思っていたが、そうではなかった。それでも観光客風の乗降客が若干あり、すぐに発車。ここからようやく快速列車になる。


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 ハウステンボスを出ると、短い隧道を一つくぐってすぐ南風崎を通過する。ハウステンボスとの距離は900メートルしかない。それなのに、交換設備まで残されているのは、今の時代としては驚きだ。交換設備どころか、もっと人口密度が低い地域なら、ハウステンボス駅の開業時に廃止されてもおかしくない。けれどもこの南風崎駅は、終戦時の復員列車の始発駅として知られる由緒ある駅だ。当時、東京発南風崎行という列車が、臨時ながら運転されていたという。そんな説明板もある駅なのだが、あっさりと通過。

 右手は遠く近くに大村湾を眺めながら、単線ホームの小串郷を通過し、次の川棚に停車する(写真右上)。乗降客も多く、意外と大きな駅である。駅員もいて、昔ながらの改札業務をしており、列車を見送る。段々と希少価値の出てきた光景である。


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 川棚から松原あたりまで、大村線はその大半を、大村湾の波打ち際に沿って走る。大村湾は、知らなければ湖と区別がつかないぐらい、陸地に囲まれた湾であり、常に波静かで、西九州らしい穏やかな風景をたっぷり見せてくれる。列車の旅はいいなあと思える区間である。しかも、さびれきったローカル線でもなく、空いてはいるものの、適度に乗客がいる。沿線もそれなりに人家もある。しかも大村線は、もともと長崎本線として開通しただけあり、駅構内も広く、幹線の面影が残っている。高速列車に乗り慣れた人からみれば、スピードは遅いが、車に抜かれまくりというようなローカル線でもない。要するに、一昔前まで日本全国で当たり前に存在していた地方路線の雰囲気が、今もあまり変わらず残っている。写真左上は、川棚~彼杵間の右手車窓。

e0028292_5354033.jpg これまた今や珍しくなった、JRバス乗換駅の彼杵に停まる。ここで佐世保行の快速シーサイドライナーと交換する。彼杵も駅員がいて、川棚ほどではないが、乗降客もある。そして単線で古い木造駅舎が残る千綿、広い構内を持つ松原と、快速らしく通過し、そのあたりから海と離れていく。そして人家も増えてきて、モダンな建物も見られるようになると、竹松に停車する。前の席にいた三人連れの女の子のうち一人が、ここで降りる。最初はハウステンボスに行く観光客に見え、次は長崎にでも遊びに行く仲間同士かと思ったが、どうやら、佐世保に通う学生らしい。竹松で50分だから、長距離通学だ。

 竹松の次が、線名でもある大村。間には諏訪という新しい駅があるが、快速は通過する。大村は、地方都市然とはしているが、長崎空港を有し、長崎県の三大都市である長崎、佐世保、諫早のどこへも通える範囲だから、それなりに栄えているようだ。降りる人より乗る人が多く、混んできた。女子大生の二人目がここで降りた。

 長閑な大村湾沿いを走ってきた後だけに、ここまで来ると、景色がつまらなく見えてしまうと思ったが、大村線最後の通過駅、岩松を過ぎると、意外にも山の中に入り、ちょっとした山村風景が見られる。だがそれもつかの間で、やがて左手から長崎本線がぐるりとカーヴを描きながら合流してくる。対するこちらは殆ど直線で、そのまま諫早駅に滑り込む。大村線の方が開通が早く、その昔はこちらが長崎本線だったことの証左である。

e0028292_5361439.jpg 4分停車の諫早は、そこそこ大きな街で、この列車の乗客もかなり入れ替わる。きちんと見ていたわけではないが、佐世保から乗り通している客は、ここまでで大半は降りたように思う。諫早から乗り込む客は、思ったほど多くなく、同じような混み具合で発車していく。長崎本線に入ると、特急向けの線形になるためか、スピードもあがり、新設の住宅地駅、西諫早をあっさり通過して、喜々津に停まる。ここで佐世保からの女子大生三人組の最後の一人が降りた。この列車で1時間17分。かなりの長距離通学だが、乗換もなく、ゆっくり座れるのであれば、悪くないかもしれない。東京ではこれ以上の乗車時間で、しかもその大半を立って通っている人がいくらでもいる。

 喜々津から浦上までは、海あり山ありのローカルな旧線と、長い隧道で一直線に長崎を目指す新線がある。長崎本線の特急は全て新線経由だが、普通列車は大村線からの直通列車の場合、快速が新線、普通が旧線と、ほぼ役割分担している。長崎本線は、諫早以東からの直通列車はもともと本数が少ないが、電車の場合は新線しか走れない。というのも、旧線は非電化のままだからである。よって、同じ非電化の大村線と旧線とを直通の気動車が走るのは都合が良い。しかし、快速はやはり、長崎への速達性も重要なので、新線を行き、途中の駅は通過して、喜々津~浦上間の16.8キロを14分で走破してしまう。

 この新線は、後から山の中を貫通させたため、隧道が多く、駅はその合間の集落に3ヶ所設けられている。もう開通から随分経つのだが、あまり発展していないようで、最後の駅、現川などは、長崎へ10分で行けるのに、山村の佇まいである。その現川を通過すると、九州の在来線で最長の、長崎隧道に入る。そこを高速で突っ走り、出るといきなり、山がちで坂の多い長崎の、特有の都市風景が展開する。そして旧線が合流してきて、路面電車も見えてくると、浦上である。


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 爆心地や浦上天主堂などでその地名を知られる浦上は、かつては郊外の農村地帯だったらしいが、土地の狭い長崎ゆえ、今はすっかり都市化してしまっている。終着・長崎まであと1.6キロしかないが、今は特急も全て停まり、長崎市の鉄道のもう一つのターミナル的にも機能している。行先によっては、ここでバスや路面電車に乗り換えた方が便利だ。私もここで降りるし、降りる客も多い。他方、浦上から長崎までの1駅を利用する人は、いないかと思ったら、数名がこの列車に乗車した。昔はこのあたりで、長崎本線を市内交通的に利用する人は珍しかったが、快速や普通の本数が増えたので、路面電車やバスより速くて確実なのだろう。そうして着いた浦上駅前は、高層マンションやコンビニなどが目立つ、現代的な都市風景が広がっている。それでも駅前を路面電車がけなげに走っていて、それがちょっとした情緒を醸し出してくれているようだ。
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by railwaytrip | 2009-11-16 13:42 | 九州・沖縄地方

木次線・芸備線・宍道~新見

 所用で松江に1泊した翌日は、予定を入れず、その日のうちに東京へ戻れば良いようにした。忙しい人なら朝一番の飛行機で東京へ戻るのだろうが。

 それで今回は、木次線から芸備線を抜けるルートを選んだ。このルートのうち、木次線の出雲横田~備後落合と、芸備線の備後落合~東城は、乗客減と減便のいたちごっこで、今や1輛の気動車列車が一日3往復するだけの、究極のローカル区間になっている。それも、その昔あった日中線のような短い盲腸線の3往復と違い、かつてはグリーン車付の急行列車が行き交った、準幹線とも言えるような区間である。中長距離輸送が完全に自動車と高速バスにシフトした結果、急行が廃止されて久しい。もうどのぐらいになるのだろう。私もその昔、1980年代に、この地域の急行列車に乗ったことがある。ローカルな急行だなとは思ったものの、乗客もそれなりにいて、まだ鉄道が鉄道としての役割を果たしていた時代だった。

 最初に乗るのは、宍道11時21分発の備後落合行。というよりも、一日3往復の両線をうまくつなぎ、今日中に東京へ戻るには、この列車以外に選択肢はない。山陰本線が強風で遅れた影響で、この列車も5分ほど遅れての発車となった。宍道は小さな町なので、松江や出雲市などの山陰本線からの乗り継ぎ客がなければ、木次線も機能しないであろう。車輛はキハ120という小型のディーゼルカー2輛だが、後ろの車輛は回送車で乗車できないとのこと。乗客はざっと見渡したところ、15名ぐらいである。この人数なら1輛でも余裕である。やはりお年寄りが多いが、スーツ姿のビジネスマンも数名いる。出張に木次線を使うように命じられている沿線自治体の公務員かもしれない。


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 山陰本線は、本線としては十分に鄙びているが、それでもここ、米子~出雲市間は、電化もされており、それなりに開けた印象もある。それとの比較で言うと、木次線に入った途端に風景が鄙びる。特に最初の南宍道の前後は、日本の原風景とでもいうべき農山村の眺めが続く。最初からこんな素晴らしい風景が出現すると、この奥は一体どんな所だろうと期待が湧くが、次の加茂中は、モダンな建物も見られる普通の田舎の景色になった。後で地図を見てわかったのだが、南宍道前後は主要道路が全く並行していない。だから昔のままの風景が残っているのだろう。今は鉄道ではなく道路がある所から開ける時代なのだと、改めて思う。

 加茂中の先は、南宍道ほどの原風景ではないものの、長閑な農村地帯を走り、幡屋という小駅に停まり、その次は大東町の中心、出雲大東である。ここはモダンな建物もあり、まあまあ開けている。ここで意外にも、10名あまりの乗車があった。以前の三江線などでも同じ経験があるが、今やこのタイプのローカル線は、沿線から主要都市への足というよりも、線内ローカル輸送の比率の方が高いのかもしれない。

 南大東に停まり、次が線名にもなっている木次。下車する人が多いが、まだ結構残っている。それなりの町で、駅舎も大きい。多分このあたりまでは、松江や出雲への通勤通学も可能なエリアであろう。

 木次を出ると、右に古びたたどん工場がある。たどんとは何だったかな、などと考えているうちに、次第に山間部に入り、レンガ造りの古びた隧道などもある。車輛は新しく、ロングシートも多くて雰囲気が今一つだが、やはりローカル線の旅はいいなあと思えるひとときである。日登、下久野と、乗降客もない小駅に停まった後、次の出雲三成は、結構な下車客がある。異彩を放っていたスーツ姿のビジネスマン3名も、ここで下車。木次や横田に比べて影が薄い主要駅で、こんなに降りるのかと思うが、駅舎もモダンで近代的な建築である。後で調べれば奥出雲町の町役場所在地である。もともとは仁多町の役場がある駅だったが、横田町と合併した結果、こちらが役場所在駅になり、横田は役場所在駅の地位を失ったのであった。であるから、スーツ姿のビジネスマンは、役場関係者ではないかと思う。

 ここでの乗車客はなく、だいぶ客が減って寂しくなった列車は、さらに奥出雲の山に分け入る感じで進む。次の亀嵩は、松本清張の「砂の器」の舞台の一つであり、駅舎に蕎麦屋が入っていることでも知られているが、乗降ゼロ。そしてその次が出雲横田。ここで残っていた数名が下車し、車内はすっかり寂しくなった。そして後ろについていた回送車がここで切り離される。その作業もあり、停車時間がかなりあるので、駅前に出てみる。小綺麗な駅前ではあるが、人の気配は乏しい。雑貨屋は開いており、ここで昼食のパンを仕入れておく。


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 出雲横田発車時点での乗客は、私の他、2名だけであった。いずれも中年男性で、一人はさっきから車内で本を読んでいたし、旅行者風でもなく、地元の利用者なのかなと思う。もう一人はおとなしく座っているだけで、カメラを出すでもないので、地元客か旅行者か不明であったが、どうやら旅行者のようである。いずれにしても、ここから先は一日3往復だというのに、この乗客数では、もはや大量輸送機関としての使命は完全に失っていると言って過言ではないだろう。寂しいが仕方ない。乗客3名に対して、運転手の他、ワンマン運転ではあるが、車掌とおぼしきJR職員も乗っている。

 出雲横田から先、備後落合までは、途中4駅。最初が八川という影の薄い駅で、その次が三段スイッチバックと延命水で有名な、出雲坂根である。八川方面からの列車は、まっすぐそのまま出雲坂根駅に突っ込んで停車する。この駅が近づくと、驚いたことに、車掌のような社員が、マイクで車内に向かって出雲坂根駅の解説を始めた。といっても乗客は私を含め僅か3名である。この駅に着くと、鉄道マニアっぽく見えなかった他の2名の乗客も、ホームに降りてきた。まあ何というか、積極的な鉄道マニアではなく、移動のついでに興味半分でこのルートを選んでみたという程度の人達だろうか。私もそうだといえばそうなのであるが。


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 数分の停車時間を、駅前に出たり、駅構内の写真を撮ったり、延命水(写真左下)を飲んだりして過ごす。発車時刻となり、運転手はこれまでの後部に移動している。発車すると、これまで走ってきた線路を進行左下に見ながら、山を登っていく。


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 つい今しがた走ってきた八川方面の線路が、左下すぐそばに見える。大した距離ではなく、道さえあれば、普通に歩けそうである。鉄道が勾配に弱いことを如実に知らされるところではある。こんなローカル線ではあるが、冬季は雪も結構降るのであろう、ポイントの部分はシェルターで覆われている。


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 行き止まって、運転手が再度移動し、また逆方向に走り出す。さらに勾配を登っていく。しばらくの間、進行右側に、これまで通ってきた2本の線路が両方見える(写真右上)。そして出雲坂根駅をはるか下方に見下ろすのであるが、間には木々が深く生い茂っており、ずっと眺望良好というわけではない。それもしばらくすると見えなくなり、列車は隧道に入る。出ると、今度の見ものは、国道のループ、通称おろちループである。鉄道より道路の方が設備も規模も大きいから、正直、鉄道のループより見ごたえがある(写真左下)。もう一つ隧道があり、ぐるりと回ると、中国地方で一番標高の高い駅、三井野原に着く。出雲坂根からの営業キロは、6.4キロだが、直線距離なら2キロちょっとと思われる。鉄道がそれだけスウィッチバックと遠回りで山を上ってきたのである。


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 三井野原を出るとほどなく県境を越え、島根県から広島県に入り、斐伊川水系から江の川水系へと移る。県境に隧道はなく、あとは山を徐々に下る感じで、もう一つ、油木という小さな駅に停まると、その次が終着の備後落合である。出雲横田から備後落合までは、途中駅での乗降客もなく、私を含め3人の乗客と2人のJR社員を運んできたことになる。その社員の方と少し話をしたが、今はこの区間は定期利用者もなく、何とか観光客誘致でつないでいるとのことであった。

 右手に広島方面からの芸備線が合流してくると、列車はゆっくりと終着の備後落合の構内へと入っていく。かつて急行列車が行き交った頃は、駅は山峡なりに活気があり、そば屋などもあったという。その頃にも私は通っているのだが、格別の記憶がない。しかし今の備後落合は、分岐駅なのに無人駅で、駅前もすっかり寂れてしまい、むしろ特徴的であり、印象的である。この時間は3方向から列車が着き、相互に接続をして3方向に発車していくという、この駅が一日で一番賑わう時間であるが、この列車にしても乗客はこの通り3名だけだし、他も似たようなものであろう。だから、殆ど人のいないひっそりとした終着駅を期待していたのだが、何とホームが人でそれなりに賑わっている。殆ど年寄りの中に、制服のようなものを着た女性が立っているのを見て、わかった。団体客なのである。こんな観光地でもない所で列車を使っての団体とは、期待していた雰囲気を味わうには興ざめだが、ローカル線の活性化に多少でも役に立っていると思えば、悪くは言えない。


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 備後落合では、三次からの列車が一番最初に着いており、次がこの木次線、そして新見からの列車が最後に着く。私は駅を出て駅付近をしばらく散歩してみた。かつては駅前旅館などもあったらしいが、今はひっそりとした山間の集落である。しかし駅からすぐ国道に出られ、そこは車もそこそこ通るし、バス停もある。特に秘境というわけではなく、普通にどこにでもある日本の山間集落と言ってしまえばそれまでだ。しかし、それがかつての急行停車駅であり、鉄道路線のジャンクションの駅前だということは、やはり特筆すべきことであろう。


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 駅に戻る。さきほどの年寄りの団体は、何と私の乗る新見行に乗っていた。十数名であろうか。その大半が、前方に4区画あるボックスシートとその回りに座っている。女性のガイドが「この線は1日3本しかないので、乗り遅れたら大変ですよ~」などと解説している。悪いが近くには行きたくないので、私は一番後ろのロングシートの端に座る。向かいには一人、お婆さんが座っている。それ以外には乗客がいない。木次線から乗り継いだ男性2名は、どちらも三次行に乗ったようで、その他、三次行には、新見から乗り継ぎの客もいたのか、数名の客がいる。絶対数ではこちらが多いが、団体を除くと、私と目の前のお婆さんの2人だけみたいである。


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 発車してほどなく、その目の前のお婆さんの所にガイドがやってきて、何やら話しかけた。何とこのお婆さんも団体客の一人だったのである。つまり、この団体客がいなければ、この列車の客は私だけだったのだ。ということは、乗客ゼロで走る日も珍しくないに違いない。これには改めて愕然としてしまった。

 一日3往復にまで減らされて、もはや鉄道としての存在意義を失ったかのような、元準幹線とも言うべき芸備線の枯れた雰囲気は、団体客が乗っていても、侘しい。線路の保守整備にも金がかけられないからであろう、あちこちに超徐行区間がある。景色は素晴らしいが、列車本数の少なさに比例して他線区よりも素晴らしいというわけではなく、基本的には地味な中国山地の中を、左右にカーヴを繰り返しながら、小型1輛のディーゼルカーは、淡々と進む。最初の停車駅道後山は、スキー場で知られ、かつては広島から臨時列車も走ったぐらいだが、今は廃墟ばかりが目立つ寂しい集落である。その次の小奴可は、それよりは大きな集落があり、ここでおばさんが一人乗ってきた。そして、人家も殆ど見られない内名、少し里に下りた感じで古い駅舎も残る備後八幡(写真右上)と停まり、その次が東城。ここから先は本数が倍増するので、備後落合からここ東城までが、一日3往復という究極のローカル区間であった。その間の乗降客は、小奴可で乗ってきたおばさん1名だけであった。

 東城は、帝釈峡という観光地の最寄り駅である。お年寄りの団体は、ここで下車した。駅前に迎えのマイクロバスが停まっていたから、これで帝釈峡に向かうに違いない。東城から新見までは、一日6往復と、本数が倍増する。東城はそういう意味があるぐらいの、中規模な町である。しかし、その東城からも乗車はおばあさん1名だけであった。そもそも東城は県境の町であり、ここは広島県、しかし列車はこの先で岡山県に入る。列車の本数からしても、沿線風景からしても、県境は東城と備後落合の間にあった方が実感があるのだが、そうではない点にも、この芸備線というローカル線の利用者減の原因があるかもしれない。

 東城を出ると、これまでに比べれば風景もだいぶ開け、長閑な山里という感じになる。その次の野馳では、小奴可からのおばさんが下車。一日3往復の芸備線を使いこなしている数少ない沿線住民のようだ。その次の矢神で、東城からのおばあさんが下車し、私一人になるかと思ったら、若い女性が一人乗ってきた。その後は、モダンな駅舎のある市岡も、新しい簡易待合室がある坂根も乗降客はない。左から幹線である伯備線が合流してきて、乗換駅の備中神代、ここも乗降ゼロ。備中神代を出ると、再び山峡に入り、蒸気機関車時代の末期に三重連の撮影地として知られた布原に停まる。この布原は、昔は時刻表にない駅というか、信号場だったのだが、今も伯備線の駅でありながら、伯備線の電車は停まらず、芸備線の気動車だけが停車する、ホームの短い駅である。しかし乗降客はいない。そして最後の疾走という感じで、伯備線を快走して、人家が増えてくると、終着駅、新見である。


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 かつては鉄道の要衝として栄えた新見も、今はひっそりとしており、実質的には伯備線の途中駅と言っても過言ではない程度になってしまった。それでも山間を走る芸備線から着いてみれば、それなりの町であり、駅前にビルもある。けれども人の姿は少ない。鉄道が寂れてしまった典型例をいやというほど見せつけられた旅ではあったが、楽しかった。けれども今後のこれらの路線の存続については、予断を許さないのではないかと強く感じた旅でもあった。
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by railwaytrip | 2009-04-21 11:21 | 中国・四国地方

根室本線・滝川~新得

 根室本線は、滝川から根室までの幹線であり、滝川はその起点である。しかし、石勝線開通後の今日、新得~釧路間のみが幹線らしい姿で残り、滝川~新得間はすっかりローカル線になってしまった。それでも石勝線開通からしばらくは、札幌から滝川回りの急行「狩勝」が残っていたように記憶しているが、それがなくなって、もうどのぐらい経つのであろう。とにかく現在、滝川~新得間は実質ローカル線である。その区間を走破する普通列車に乗ってみた。滝川15時22分発の新得行である。滝川駅は改札のすぐ横、1番線から発車する。

 列車はキハ40型で、たった1輛であった。昔ながらの気動車列車ではあるが、1輛というのが寂しい。起点の滝川では座席が半分弱の埋まり具合であろうか。ざっと30名程度の乗客数だ。時間帯からして高校生がどっと乗っていてもおかしくないが、殆どおらず、中高年の一般客が多い。

 この旅の前半区間は空知地方を走る。空知といえば、かつて炭鉱で栄えた地域として名高い。だから、炭鉱が閉山された今は寂れているという見方が一般的だ。しかしそれにも地域差がある。起点の滝川は、函館本線の特急停車駅でもあり、空知の中ではまだ活気がある。とはいえ、大きな街ではない。根室本線がローカル然としてしまったのも、起点の街の規模による面もある。せめて滝川が旭川ぐらいの規模の都市であったなら、なんて考えても仕方ないのだが、とにかく、乗客が少ない時間帯ではないのに1輛の気動車で座席が半分も埋まらないあたりに、今の根室本線のローカル線ぶりが出ていると思う。写真右下は、滝川発車後の車内。


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 最初の駅が、東滝川。こういう駅名は内地だったら滝川から近いのが普通だが、北海道はその点が違い、7.2キロもある。しかし乗降客はいない。次が赤平で、ここはかつて炭鉱で栄えた赤平市の玄関口だ。斜陽の街に似合わず、と言っては失礼かもしれないが、立派な新築の駅舎がある。しかし駅の裏には石炭積込み施設跡が生々しく残っている(写真左下)。ここは流石に市の中心駅だけあって、数名が下車し、乗車もある。その次の茂尻も炭鉱のあった所で5人下車、平岸はおばさんが1名だけ下車という感じで、どこも駅付近にはそれなりの集落が見られる。茂尻には新しい炭住と思われる建物すらあった。


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 段々と雪が深くなってきて、次が芦別(写真右上)。芦別市の中心で、赤平より一回り大きく、滝川~富良野間では最大の街だ。やはり炭鉱で栄えたので今は人口も随分減ったが、ここはまだ、炭鉱以外の産業もあるからなのか、寂れ方が小さい気がする。利用者も多く、大半の客が下車し、乗車もある。1輛のローカル線の中では十分活気のある中核駅と言える。駅員は女性で、列車に向かっておじぎをする。

e0028292_230133.jpg 炭鉱地帯なので、炭鉱も住宅も一ヶ所に固まることはなく、あちこちに散らばって存在していたはずである。そのため次の上芦別なども、かつてはそれなりの住宅地であったと思われる。しかしこの列車の乗降客はなかった。ただ、跨線橋で上り列車を待っているらしい客が2名いる。というように、このあたりはまだ無人地帯にはなっていない。人の気配、生活の匂いが十分感じられる。そして次の野花南で上り列車と行き違う(写真左)。炭鉱の香りが薄れ、山が迫ってきた。ここも駅前商店がある。

 野花南の次は、かつては滝里という駅があったが、ダム湖に水没してしまい、廃駅となり、線路は長い隧道に付け替えられた。そのため、野花南から島ノ下までは13.9キロもあり、15分ほどかかる。滝川からほぼ1時間の島ノ下は、山峡の寂しい駅で、ここは乗降客はなかった。

 次が富良野である。富良野線が合流する鉄道の要衝なので、近づくと貨物線や引込み線が増えて構内が広がり、コンテナが積んである所もあり、大きな駅に近づいたという印象を与えてくれる。人口もこの沿線では多い。といっても2万4千人程度だそうである。ただ、赤平や芦別と大きく違うのは、観光都市のイメージが強い点だ。ラベンダー畑、スキー、ワインなど、富良野の一般的なイメージは良い。しかしそういった富良野観光の中心地、特にラベンダー畑などで有名なのは、ここ富良野駅よりは、富良野線の美瑛から中富良野の方面であり、それらへの輸送は旭川とここを結ぶ富良野線の役割となる。実際、富良野線は、北側は北海道第二の都市旭川の近郊輸送でそこそこ栄えているし、南側はそういった観光路線のイメージが強く、要するに明るい感じがする。それに比べると、私が今回乗っている根室本線は、ひたすら渋く、枯れた味わいがある。その渋さこそが根室本線の魅力だと思うし、私はこちらの方が好きだが、一般の観光客に乗ってもらうには、もっと具体的な何かが必要なのだろう。


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 16分停車の富良野では、私と一人の男性客を除き、全員が下車した。代わって同数ぐらいの客が乗り込む。停車時間が長いのでホームに下りてみる。観光客がホームの置き人形をバックに記念写真を撮り合っていたが、後で車内で会話を聞いて、中国人とわかる。多分台湾人であろう。滝川から富良野までは、車中にも車窓にも、およそ観光といったイメージが全く存在しなかったのだが、富良野に来てそれが変わった。とはいえ、列車が観光客で溢れたわけではなく、富良野から帰宅の途につく高校生も十数名という感じで、やはり生活列車には違いない。

 16時44分、定刻に富良野を発車。一瞬華やいだかと思ったが、動き出せば渋い根室本線の旅が再開され、今度は富良野盆地を南へ、引き続き空知川を遡りながら進んでいく。富良野発車時点での乗客は、今までで一番多い。それが、布部3名、山部7名、下金山2名、金山1名と、駅ごとに下車していき、空いてきた。時間的にも帰宅列車なのである。金山では二度目の列車交換がある(写真左下)。野花南同様、上下のホームが互い違いになっており、停車中に相手の列車が横に見えない構造だ。


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 金山を過ぎると金山湖が広がる。4月なのにまだ結氷しており、中国人観光客が珍しそうに眺め、カメラを向ける。この区間の車窓は景色が良く、変化に富んでいる。そんな景色をのんびり眺めていると、突然警笛がなり急ブレーキがかかる。何かと思えば、鹿が列車の直前を横切ったのだ。その鹿が3頭、振り返って列車を眺めている。彼らもやはり冷や汗をかくのだろうか。そして金山湖が目の前に広がる東鹿越。左手の車窓は景色が良く、観光客に降りてもらっても良さそうな立地だが、右手の駅裏が荒々しい採石場なので、無理かもしれない。ここは民家は殆どなく、乗降客もいない。ホームに石灰石の見本が置いてある(写真右上)。駅裏で採れる石なのだろう。


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 次が南富良野町の中心駅、幾寅で、かつては急行停車駅であった。しかし、幾寅のはずなのに、一段低い所にある駅舎にかかっている駅名標は「ほろまい」であり、「ようこそ幌舞駅へ」という大きな看板が掲げてある。これは映画「鉄道員」のロケのためらしいが、ロケが終わった後も、観光用に名前を残してあるらしい。浅田次郎作のそのオリジナルの小説は、私も読んだが、イメージとしては、炭鉱地帯の行き止まりの盲腸線で、廃止になった幌内線、万字線か歌志内線あたりがモデルかと思われる。幾寅はどう考えても結びつかないのだが、現存している駅を使う以上は、まあ仕方ないだろう。その幾寅では6名下車し、乗車も2名あった。富良野からの女子高生も一人下車、所要50分と、結構な長距離通学だ。夕暮れのホームにポツンと降り立った所は絵になる。


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 幾寅を過ぎるとだいぶ山も深くなり、人家もめっきりと減る。そしていよいよ狩勝峠越えの手前最後の駅、落合に着いた。ここでは男子高校生が3名下車し、跨線橋があるのに渡らずに、列車の後ろの線路を横断している。運転手もいつものことなのか、いちいち咎めないようである。狩勝峠を控えた落合は、かつては補機の増解結などで忙しい駅だったはずである。そんな時代はとうに過ぎて、今は山峡の無人駅になっている。ここ落合と次の新得との間は、28.1キロもあり、長いこと、在来線の最長駅間距離として、鉄道豆知識などに登場していたものだった。

 落合発車時点での乗客は、私を除き6名で、そのうち3名が富良野から乗った中国人旅行者、2名は幾寅から乗ってきた女性で、あと1名は、多分富良野から乗っている中年男性である。というわけで、滝川からの全区間を通じて最少の乗客数となり、最長の駅間距離に挑むわけだ。とは言っても、数分走って隧道に入ると、早くも右側から石勝線が合流してくる。そこが隧道内にある上落合信号場である。この信号場は、石勝線開通以前から存在しており、後から石勝線が開通し、合流地点に選ばれたというわけである。従って、ここから先は、札幌からの特急でも通る区間であり、単線の線路は根室本線と石勝線の二重戸籍になる。二重戸籍区間の距離は24.1キロにも及ぶ。これは日本一の長さであろう。

e0028292_2325679.jpg 根室本線に石勝線が合流してきたとは言っても、実質は石勝線の方が幹線である。高速運転に完璧に対応している石勝線は、線形も良く、最高速度の設定も高いのであろう。今や老兵とも言ってよいキハ40型気動車も、ここからスピードが上がる。右へ左へと大きくカーヴを繰り返しながら峠道を行く。遠くに見える新得の町の夕景が、徐々に近づき、そして夜景へと変わりつつある薄暮の中を、1輛の気動車は快調に飛ばし、定刻18時08分に終着新得に到着した。落合から新得までの所要時間は24分なので、この区間の表定速度は70キロに及ぶ。かつて日本一の駅間距離だったということもあり、長いぞ長いぞと思って乗っただけに、むしろあっという間であっけなく着いてしまった感じがする。新得での下り列車接続は18時25分発、始発の帯広行で、中国人の3人連れが乗り換えていた。私は乗車の目的を終えたので特急で札幌へ向かうのだが、そういう乗換客はいなかったようである。
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by railwaytrip | 2009-04-08 15:22 | 北海道地方

石北本線・白滝~上白滝

 上白滝は、一日に1往復しか列車が停車しない駅として有名になってしまった。それは列車本数の削減と、周囲の駅の廃止などによって結果的に生じたに過ぎないのであるが、廃止されてもおかしくない駅が、あえて残ったとも言えるのかもしれない。何はともあれ、興味をそそられる駅ではある。

 春休みもほぼ終わった4月上旬の夕方、白滝駅にやってきた。ここは旧・白滝村の中心駅で、一応の集落であるし、特急も停車する。もとより活気はないが、生活の香りは十分ある。しかし今や特急停車駅といえども無人駅が珍しくない時代になった。駅舎こそ立派だが、駅員はおらず、切符も売っていない。なので勝手にホームに入り、列車を待つ。他に列車を待つ客は誰もいない。ほどなく遠軽方面から列車がやってきた。ディーゼルカーの2輛編成、ワンマン列車である。17時02分発普通列車旭川行。


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 無人駅なので、降りる客は一番前の運転手のいるドアから降りてくる。数えてみると4名。意外にも殆ど若い人であった。遠軽にでも遊びにいった帰りであろうか。それを見届けてから1輛目に乗り込み、整理券を取る。そしてデッキから客室に入って愕然とした。客が全然いないではないか。念の為、1輛目を前から後ろまで歩いてみたが、正真正銘、他に乗客はゼロであった。ここから先は一日1本だけの普通列車である。これでは列車自体の存続すら危うい。

 白滝から上白滝までは、3.3キロと、近い。長閑な北海道の田舎を3分も走ると、すぐに列車は減速し、テープの女声のアナウンスが、上白滝到着を告げる。すると、2輛目から若い女の子が一人、移動してきた。上白滝で降りるらしい。白滝で降りた若者同様で、遠軽あたりに出かけた帰りだろうか。しかし白滝なら何本かの列車があるが、上白滝からだと、朝は07時04分発の1本だけしかない。ということは、朝はその列車で出かけたのだろうか、それとも行きは親に白滝まで車で送ってもらったのであろうか?できれば話を聞いてみたいところだが、上白滝に着くと、当然ではあるが、さっさと行ってしまった。こちらは列車の発車を見届けたいのでホームにとどまる。


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 運転手は、私とその女の子から「ありがとうございました」と丁寧に挨拶しながら運賃を収受し、それを終えると、2輛の車内を巡回していた。ダイヤに余裕があるようで、時計を見ると、17時08分の発車時刻までまだ2分ぐらいある。列車はここ上白滝を出ると、次の上川までは実に1時間8分もかかるのである。その間、人家もない山の中を孤独に耐えながらひたすら運転するのだから、何人の客が、そしてどんな客が乗っているのか、確認したい気持ちはわかる。乗客ゼロの日も珍しくないのかもしれない。ナイフを持った客が一人だけなんてことがあったら、と、飛んでもない発想も湧いてくるが、1時間も駅も人家もない所を走るのだから、考えようによっては恐ろしいことである。今はまだ良いが、冬だと全区間が日没後だ。

 駅の先にある踏切が鳴り始めた。そして時間になり、ドアが閉まり、発車。列車はゆっくりと動き出した。2輛目に客がいたかどうか、確認できなかったが、いずれにしても、殆ど客もいない状態で、相当な燃料を消費しながら、長い山越えに挑むのである。ゆっくりと走り去る気動車の後ろ姿は、この上なく侘しげであった。


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 さて、列車を見送った後、上白滝駅周辺を観察する。駅舎は古い木造の好ましいものだ。奥白滝など他の駅が廃駅になった中で、ここだけは生き残った。それにはちゃんと理由があって、駅周辺にそこそこの人家があるのだ。駅のすぐ横には工場もあり、駅前の国道の向かいには商店もある。廃屋かなという家も見られるが、住人も結構いるようである。農業か林業で暮らしている人もいるだろうし、車で白滝や丸瀬布、遠軽などに通勤している人もいるのかもしれない。

 このように、一日1往復しか停車しないとはいえ、それなりの人家があるので、普通列車がある限り、この駅も廃止にはならないであろう。しかし、こうしてみる限り、廃止の危惧が高いのは、上白滝駅そのものよりも、この区間(上川~白滝)の普通列車である。ここは険しい峠越えなので、かなりの燃油を消費する筈である。そこをかくも空気輸送の列車を走らせることは、大変な無駄であろう。特急以外というと、あと1往復、特快きたみというのもあるが、それでもこの有様では近い将来、石勝線の新夕張~新得と同様、特急列車のみの区間になりはしないかと心配である。
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by railwaytrip | 2009-04-07 17:02 | 北海道地方

八高線・高麗川~高崎

 東京に最も近いローカル線であり、非電化路線でもあった八高線だが、残念ながら?南半分は電化されてしまい、東京都内でディーゼルカーが走る姿が拝めなくなってしまった。その時から、八高線の南半分は、一足先に電化された川越線とセットで通勤型電車による運転となり、ローカル色も薄れてしまった。今は実態としては、八王子~高麗川~川越が一つの線区で、高麗川~高崎が別の線区のようである。その昔、八王子発高崎行という長距離のディーゼル列車があった頃が懐かしいが、今さらそれを言っても仕方ない。今回は、その八高線の非電化区間である高麗川から高崎への列車に乗ってみることにする。


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 起点の高麗川駅は、川越線とも接する主要駅だが、駅舎は昔のままで、古びていて小さい。地下道もこれまた昔のままだ。隣の東飯能も、昔は駅舎や地下道が似たような感じだったが、すっかり変貌してしまった。高麗川もいつまでもこのままではないであろう。ともあれ今現在は、ローカル線同士の接続駅であった頃の面影をしっかり残している。趣味的に言うと、とてもいい感じの駅である。

 乗るのは11時43分発の高崎行で、キハ110という新型気動車の2輛編成である。今や1輛や2輛の気動車列車など、珍しくもないが、首都圏に限って言えば、やはり破格に短い。東京の人が近場でローカル線の旅を楽しむには、一番手頃な線区かもしれない。しかも空いていて、乗車率は5割以下と思われる。ただ、首都圏だなと思えるのは、スーツ姿のビジネスマンっぽい客が散見される点だ。本当の田舎にいくと、ローカル線の客は高校生とお年寄りが殆どなのだが、ここはやや違う。


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 最初の停車駅は毛呂。東武越生線の東毛呂とも近く、毛呂山町の中心でもあり、駅の西側には高層の立派な大学付属病院が立つなど、全くの田舎ではないのだが、駅舎は田舎駅のたたずまいである。下車客が結構多い。次いで越生。東武越生線の乗り換え駅である。個人的なことだが、小学生の頃、黒山三滝などにハイキングに行った帰り、バスでこの駅に着いた。その時、八高線のホームには屋根すらなかったのが妙に印象的であった。東武のホームには一応屋根があり、子供心に、ここは国鉄より東武の方が主役の駅なのかと意外に思ったものだった。今は勿論、どちらにも屋根はあるし、跨線橋まであって、当時の超田舎駅の面影はない。写真右上は、越生駅停車中の車内で、向こうに東武越生線が見える。

 越生を過ぎると風景はますます渋くなる。もともと地味な埼玉県の中でも特に地味な地域をゆったりと走るローカルな八高線は、やはり味わい深い。次の明覚は都幾川村の代表駅だが、首都圏に近いのに、まだ村のまま残っているのが嬉しい。そして明覚から小川町までの間は駅間距離が8キロもある。

e0028292_242419.jpg 小川町は、和紙で有名な町だ。東武東上線が池袋と結んでいるが、流石にこのあたりは東京への通勤圏としては遠すぎるようで、まだ地方都市らしさの濃い町だ。次回は下車してゆっくり歩いてみたい町である。ここでは下車の方が多く、乗車は僅かで、列車はますます空いてしまった。小川町から寄居までの間は、東武東上線と八高線の両方がある区間で、こんな田舎に、と言っては失礼だが、正直、2本もの路線があるのが過分な感じではある。小川町からしばらくは両線が並行し、分かれたあたりに、八高線の竹沢と、東上線の東武竹沢が至近の距離にある。そのためか、竹沢は八高線全駅で乗降客数が最も少ない駅だそうだ。それでもこの列車からは数名の下車客があった。そして無人駅の折原を過ぎ、荒川を渡ると寄居である。

 この寄居という駅もなかなかだと思う。田舎町なのに3本もの異なる鉄道が集まる要衝となっている。大都市圏を除いて、3社もの鉄道が集まる駅なんて、そうそうないだろう。兵庫県の粟生あたりが、大都市からの距離といい、何となく近い感じがする。寄居は粟生よりはずっと大きな町だが、それでも昔から市ではなく町なのである。ここで高校生を含め乗客が結構あった。小川町~寄居間は、東上線も使える区間だからか、八高線では輸送密度が一番低い区間らしく、列車本数にもそれが表れている。

 ところで、こうして東京郊外の町や村を結び、東京からの私鉄ともちょくちょく連絡する八高線のような線は、短距離の乗客が殆どかと思っていたが、高麗川からずっと同じ席に座っているビジネスマン風の人は、寄居を過ぎても下車しない。スピードの遅い単線のローカル線には違いないが、それでも例えば八王子から高崎へ行こうと思った場合、中央線で東京へ出て新幹線に乗っても、所要時間はいくらも変わらない。それでいて運賃・料金では大差がつく。東京西部から高崎へ、ないし上越・長野新幹線沿線へ出張という場合に、八高線経由になることもありうるのだ。そういった客も多くはないが、確実に数名はいるようである。

 寄居から乗ってきた高校生などは、埼玉県が終わる丹荘までの4駅で全て下車した。しかし、一般客に関しては、県境で極端に客が減るということはない。埼玉県でも最北部の児玉あたりだと、最寄りの主要な商業都市は高崎、次いで前橋である。埼玉県内でそれに相当する都市はどこかというと、熊谷や飯能あたりかと思うが、規模的に見劣りがする。あとは大宮、浦和、川越、所沢など、いずれも遠い。しかも埼玉・群馬の県境である、丹荘~群馬藤岡間には、別に険しい峠があるわけでもない。神流川という川が県境になってはいるが、恐らく昔から国境を越えての交流がそれなりにあったと思われる。

 その神流川を越えて群馬県に入った最初の駅が、群馬藤岡で、ここは藤岡市の中心駅だ。八高線の埼玉県側の市としては高麗川の日高市が最後で、そこから先はここまで市がなかった。しかし、こう言っては藤岡市に悪いが、小川町や寄居と大差ない感じがする。時間帯のせいもあるのか、乗ってくる客も多くはない。

e0028292_242437.jpg 群馬藤岡の次が北藤岡で、北藤岡が近づくと右手から高崎線が寄り添ってくる。そして単線の小さな北藤岡駅は、高崎線の線路のすぐ横にある。ここはどちらかというと、高崎線に乗っていて、左から単線のローカル線が近づいてきて、ポツンと小さな駅が見えるという、その風景の方が面白いかもしれない。高崎線にも北藤岡駅を造る話はあるらしいが、なかなか実現しないようだ。八高線の路線としての終点は、次の倉賀野なのだが、実際の線路は北藤岡を出ると間もなく高崎線に合流してしまう。そして複線電化で線形も良い高崎線の線路上をこれまでより高速で走ると、高崎線の駅にしては、これといって何もない倉賀野。それでも、八高線から見れば本庄・熊谷方面への乗り換え駅なので、多少の下車客があった。

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 そしてもう一駅、高崎線上を高速で走り、終点の高崎に着いた。高麗川から乗り通していたスーツ姿のビジネスマンが、少なくとも2人いた。高崎のホームは切り欠きの3番線で、跨線橋にも遠く、他線への乗り換えにちょっと余分に時間がかかる。高崎で見る八高線は、ここでは一番のローカル線である。最近は高崎線にグリーン車までついているから、余計に都会の電車との格差を感じてしまう。駅も立派で、八高線の途中駅では見られない自動改札もある。それでも東京では見られなくなった、115系湘南色の電車もあり、ちょっと旅情を感じる。何はともあれ、八高線は今も渋く情緒のあるローカル線であり、これはこれでいつまでも発展しないで残ってほしいと思ってしまうのである。
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by railwaytrip | 2008-07-07 11:43 | 関東地方

羽越本線・勝木駅

 新潟県は細長くて広い。糸魚川地方だと北陸という雰囲気が濃いが、村上あたりまでくると東北のようだ。羽越本線を新潟からだいぶ走ったあたりで、まだ東北地方ではないのか、と海を見ながら思った人もいるだろう。国境は、奥州三大関所の一つ、念珠(ねず)の関所、鼠ヶ関である。この駅からが山形県だが、駅は構内南端の一部が新潟県にかかっているという国境駅でもある。

 その鼠ヶ関の2つ手前に、勝木(がつぎ)という小駅がある。勝という字を「がつ」と読ませる名前の不思議さもあり、また海の景色が素晴らしい笹川流れも終わったあたりの地味な立地ということもあり、ちょっとどんな所だろうかと降りてみた。夜行の「ムーンライト越後」から2本乗り継いで、到着はまだ早朝5時台である。

e0028292_5174869.jpg 羽越本線の村上より北は、海の眺めが素晴らしい区間で、各駅とも海辺にあるが、ここ勝木だけは、駅から海が見えない。それどころか、駅の海側に大きな病院がでんと構えており、それより先の風景を見せてくれない。改札口と駅舎を兼ねた1番ホームは山側だが、この病院のためであろう、海側にも簡易な駅への出入口がある。駅員のいた国鉄時代には作れなかった出口かもしれないが、何はともあれ、ローカル線の利用者は高校生か病院通いのお年寄りというのが定番みたいだから、その病院が駅前にあることは、多少の鉄道利用者増に結びついているには違いない。羽越本線は勿論、ローカル線ではなく、廃止の心配はないが、それでもこういう小駅に降りると、ついついそういう方向に発想が行ってしまう。

 駅の構造は、上下の相対ホームの二面二線というやつだ。間は跨線橋で結ばれている。もともとは二面三線の、国鉄の幹線標準型だったようだが、海側の待避線は使われておらず、線路も大体撤去されているようで、そこに直接外へ出られる病院側の出口が作られているというわけだ。羽越本線のこのあたりは部分的に複線化がなされており、勝木の場合、越後寒川側は複線で、府屋側は単線である。だから、交換駅というわけでもないし、普通の複線区間の途中駅とも違い、列車交換待ち合わせの停車もある。幹線だからホームは長く、長距離普通列車が行き交った時代の面影は今も十分だ。


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 駅前は静かだが、旅館が1軒ある(写真左上)。立派な店構えで、タバコ屋・雑貨屋を兼ねている。それ以外には特に店もなく、静かな集落である。そんな所にある駅前旅館とは、一体どういう人が泊まるのだろう。駅前にあっても今は車での利用者が殆どかもしれない。駅のすぐそばには切り出した材木を積んである所がある(写真右上)。海が近くても山も近く、林業も産業として活きているようだ。

 そんな観察をしながらホームへ戻り、上り新津行を待っていると、駅前に車が停まり、お母さんが高校生の息子を降ろした。続いて病院の前を女子高生が歩いてきて、下りホームに入り、跨線橋を渡って上りホームへとやってきた。その後は、高校生が、まさに続々という感じでどんどんとやってきた。車での送迎、自転車、徒歩、色々である。思ったより多い。村上への通学列車なのであろう。ここは新潟県最北端の地、山形県への越境通学が駄目となると、通う高校は必然的に村上市の高校になるのであろう。

e0028292_520184.jpg 定刻に列車がやってきた。鼠ヶ関始発で勝木6時58分発新津行、3輛編成の国鉄型ディーゼルカーである。この区間ではこれが始発列車だ。この区間は電化されているが、交直流の切り替えがあるのに、普通列車用には高価な交直両用の電車が導入されておらず、気動車でつないでいるのである。しかも多くが古い国鉄型であり、それも魅力の一つでここを訪れた。確かに昔懐かしい気動車のキハ40ではあったが、中はロングシート化されていた。しかも、勝木に着く前に既に座席の大半は埋まっていた。殆どが高校生である。先客の彼らは鼠ヶ関か府屋から乗ったのであろう。勝木での乗車も最終的には20名以上はいたか、思ったより多い。少子高齢化が進む中でも、まだこれだけの高校生が早朝から列車通学をしているわけだが、それでも昔はもっとずっと多かったのかもしれない。村上着は7時36分で、始業には少し早すぎるのだろうが、この後の普通列車は約2時間後になってしまう。やはり閑散区間ではある。だからこそ気動車で賄っているのでもあろう。
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by railwaytrip | 2008-06-27 06:58 | 中部地方

小海線・小淵沢~佐久平

 中央本線小淵沢駅。今でこそ市町村合併で、北杜市とかいう意味不明な名前の市になってしまったが、市ではなく町がふさわしい、高原の駅である。軽井沢のような華やかさもなく、かといって徹底的に観光化を嫌っているわけでもない、そのさりげなさが好ましい。

e0028292_6505532.jpg 鉄道マニアでなくても、小海線を、そして清里や野辺山を知っている人は多い。そういう人は、新宿から中央線でここまで来て、清里か野辺山あたりまで利用する。近年は甲斐大泉あたりも隠れた別荘地として知られているらしい。

 6月の平日なので客は少なく、発車10分前に小海線ホームに行ったらまだ2人向かい合わせのボックスが空いていた。そこへ座る。キハ110という新しい気動車の2輛編成だ。最近の傾向で座席が少なくなっているのはいただけないが、ロングシートよりはマシと思って諦めねばならない。窓が開かないのも、自然の中を走るローカル線としてはどうかと思う。乗客はというと、一見して地元の人とわかる人は少数派のようで、旅行者っぽい中高年の人が多い。ワンマン列車で、車掌はいない。

 小淵沢9時50分、定刻に発車。ほどなく中央本線と分かれて右へカーヴする。このカーヴは、いきなり現れる小海線の名所の一つで、小淵沢の大カーヴとか呼ばれているようだ。昔から殆ど変わっておらず、築堤を大きなカーヴを描きながら進む。カーヴの内側は田畑が広がっている。バックは南アルプスの山々。それを過ぎると、いかにも高原という感じで、時に畑の中を走り、森を抜ける。最初の停車駅は甲斐小泉。続いて甲斐大泉。駅間距離も長く、結構時間がかかる。近くに座っていた二人組のおばさんの一人が携帯電話で話し始めた。誰々さんが駅まで迎えにくるのかとか、そういうことを大声でしきりとやっている。友達か親戚の別荘にでもお世話になるらしい。勿論、ローカル線でもルールは全国共通で、車内での通話は遠慮しなければならないのだが、お構いなしだ。そして甲斐大泉に着くと、二輛目の前ドアから降りようとして、ドアが開かないので焦っている。ワンマンだから、1輛目の前ドアしか開かないのだが、そんな事は都会の人はわからない。放送も、携帯電話に夢中で気づかなかったのだろう。しかしここは列車交換で停車時間が長く、やがて気づいて駆け足で前の車輛に移っていって事なきを得ていた。


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 もともと空いていたが、小淵沢からの客の何人かがここで降りて、さらに空いた。右上は甲斐大泉停車中の1輛目車内。ところが次の清里では、ワッペンをつけた団体がどっと乗ってきて、満席に近くなった。殆どが中高年で、女性が多い。それにしてもこの清里という所は、自然豊かな小海線の中で、突然変異のようなけばけばしい景観を見せてくれる場所で、個人的には好きになれない。もっとも、かつては若者で大賑わいだったこの地も、今はブームが去って、だいぶ寂れたらしい。車内から駅前の様子を見るだけでも、それが感じられた。

 こういう団体、私の肌には全く合わないが、そこまで騒々しいわけでもマナーが悪いわけでもなく、ローカル線振興のためにはこれも仕方ないのかなとも思う。そのおばさんたちの会話の中に、この先で長野新幹線がどうのこうのいう言葉も出てくる。まさか皆、佐久平まで一緒なのだろうか。山梨県から長野県に入り、JR最高地点の踏切を過ぎ、気動車のエンジン音からも、下り勾配に変わったことがわかると、間もなく野辺山である。言うまでもなく、JRで最も標高の高い駅として、昔から良く知られている。清里とともに、このあたりの高原の観光地として知られているが、昔から清里よりはずっと鄙びている。その分、観光ブームが去ってもみじめにならない良さがあるように思う。そして、清里からの団体は、ここで降りてしまった。やはり、最高地点を走る鉄道への1駅だけの乗車体験だったようだ。団体のみならず、他の客もここまででかなり降り、車内は再び空いてしまった。

 小海線というと、最高地点のこともあって、小淵沢からここまでが、こうして観光客にも人気がある区間だが、私は個人的に、小海線の一番の良さは、ここから小海までの間ではないかと思っている。要するに、観光地色が薄まり、より鄙びてくるからなのだが、経営的には一番の赤字区間かもしれない。小海線はここから終点小諸まで、概ね千曲川に沿ってひたすら下っていくことになる。このあたりはその源流に近い。次の信濃川上は、川上村の中心駅で、小さいながら一応の集落である。清里や野辺山のような観光色は殆どない。次の佐久広瀬は周囲に人家もまばらな、単線の無人駅で、ここで一人、地元の女性が乗ってきた。その次の佐久海ノ口も地元の人が何人か乗車し、乗客の構成が段々と観光客から地元客へと変化していく。

e0028292_655237.jpg 千曲川に沿ってカーヴを繰り返しながら、海尻、松原湖と、単線の小さな無人駅を過ぎ、次が線名にもなっている小海である。立派な駅舎があるが、町は小さいようで、乗降客もさほど多くないが、運転上も一つの要衝である。

 小海を出ると、佐久鉄道という私鉄が開業させた区間になるため、駅間距離が短くなる。そして沿線の人口密度も徐々に高くなっていくのだが、小海に近い側はそれほどでもない。次の馬流と、その次の高岩の間、右手には、大きな岩がそびえており、線路はその下を通る。この岩は、高岩駅の駅名の由来らしい。交換駅の八千穂は、木造駅舎が残るいい感じの駅で、また乗客が少し乗ってきた。1~2駅ごとに単線の無人駅と駅舎のある交換駅が繰り返される。そのうち青沼駅は昔は田んぼの中の閑散とした無人駅だった筈だが、今はだいぶ人家が増えたような気がする。とはいえ、そこまで賑やかにならず、農村地帯を少しずつ乗客を拾いながら、列車は佐久市の中心駅である中込に着いた。小海線の車輛基地もある要衝で、乗客もある程度入れ替わった。

e0028292_6565413.jpg とはいえ中込も、今は寂れ気味らしい。もともと佐久市にはもう一つ、岩村田というそれなりの集落があり、そこへきて今は新幹線の佐久平が発展しているので、中込の求心力が失われているようだ。小海線は、ここと小諸の間が一番輸送量が多いらしく、ここでワンマン運転は終わりとなり、車掌が乗ってくる。バスさながらのテープの放送が増えた今日、車掌の肉声が妙に新鮮である。

 駅間距離はますます短くなり、ちょっと走るとすぐ、住宅と田畑が混じる滑津、続いて国道沿いの賑やかな北中込と停まる。各駅ともある程度の乗降客があり、平日の日中にこれならば悪くないかもしれない。さきほどの八ヶ岳山麓の観光路線の余韻はもはやない。そしてビジネスホテルなども見られる岩村田。駅舎は古く、ローカル線の中心駅ぐらいの貫禄がある、いい感じの主要駅である。乗降客も多い。

e0028292_6581511.jpg もともと駅間距離の短かった小海線北部。岩村田と中佐都の間も1.8キロに過ぎない。その中間に新幹線が通ることになり、佐久平駅が設けられた。ゆえに、岩村田を出た小海線は、ほどなく新幹線を跨ぐため、高架になる。そしてすぐに、単線の細いホームだけの高架駅、それが小海線の佐久平駅なのである。以前にも利用したことはあるが、施設こそモダンだが、あまりに小さい。けれども、利用者数を考えれば、横浜線の新横浜駅よりはマシかもしれないとも思う。とにかく佐久平駅周辺は、近代的なホテルやビルが増えつつあり、基本的にローカル線である小海線の中では、やはり異色である。乗降客も小海線としては多く、いつどこから乗ったのか、新幹線乗り換えとしか考えられないスーツ姿のビジネスマンなども結構降り、東京方面からと思われる荷物を持った客の乗車もそれなりにあった。小海線の駅では唯一、東京直結の空気が漂う駅だ。同じ東京直結でも、小淵沢ともまた異なり、小淵沢のような旅情すら感じられない駅であり、好きにはなれないが、小海線の活性化に一役買っているには違いない。かくいう私も、時間があれば、小諸、軽井沢経由ぐらいでと思っていたが、残念ながら午後に東京で用事があり、ここから新幹線で東京へ向かわなければならないのである。言い換えれば、長野新幹線があるお陰で、小海線寄り道が実現できたのである。旅情がないなどという贅沢なわがままを言ってはいけないとは思う。
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by railwaytrip | 2008-06-19 09:50 | 中部地方

Fabriano ~ Pergola

 イタリアの首都ローマから、細長い半島を横断して東海岸の町、Ancona(アンコナ)へと抜ける路線は、さほど栄えているように見えないが、幹線の一つである。その途中、Anconaまでの3分の2ぐらい行った所に、Fabriano(ファブリアーノ)という町がある。地味な町で、観光ガイドブックなどにも登場しない。降りてみると、駅前にはモダンなビルが目立ち、つまらなそうな特徴のない町かと思うが、ちょっと歩いてみると、やはり情緒たっぷりのイタリアらしい古い町並みが健在であった。とはいえ、こういう町は、イタリア全土、あらゆる所にあるのであろう。


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 私がここに降りたのは、ここから、一日3往復というローカル盲腸線が出ているからである。広いイタリアで、広いヨーロッパで、そういうローカル線は他にも沢山あるだろう。しかし、こういうローカル線には、なかなかタイミング良く乗れるものではない。たまたまスケジュールがうまく組めたので、昼さがりのFabrianoへとやってきた。乗るのは13時45分発のPergola(ペルゴラ)行きである。Pergolaまでは、途中3駅に停車し、32分かかる。Pergolaでは8分の停留で折り返し、Fabrianoに14時53分には戻ってこられる。できることなら、Pergolaに1時間か、せめて30分でも滞在して町を歩いてみたいが、こういう究極のローカル線では、それが難しいのは、日本と同様である。

 日本では、3往復レベルの盲腸ローカル線は殆ど消えてしまったが、あるとしても、1輛のワンマンカーであろう。しかしここは3輛編成と、思ったより長い。乗客はというと、学生が多いようである。学生の帰宅時間にはちょっと早い気がするが、とにかく意外に乗客が多い。一般客もある程度乗っている。僅か3往復の路線をよく使いこなすものだと思う。

 Pergolaの折り返し時間が8分しかないので、遅れては困るのだが、何とものんびりしたもので、何の理由もなさそうだが、5分ほど遅れて発車した。おばさんの車掌が回ってくるが、切符はチェックしない。列車は案外スピードを出し、町を抜けてぐんぐんと進む。山に分け入る、と言っても、そこまで険しい地形でもなく、若干の上り勾配という程度で、沿線はぱらぱらと牧草地あり、住宅ありで、別段特に寂しい所ではない。


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 そんな所を15分走ると、山の上に城のようなものが見えてきて(写真左上)、Sassoferrato-Arceviaという駅に停まる。かつてはもっと乗客が多かったのであろう、駅舎は古いが、大きく立派な建物である。ここでかなりの客が降りる(写真右上)。20人余り降りたであろうか。私の乗っていた先頭車の前半分は、数名いた客が全てここで降りてしまった。


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 ここを出ても、風景はさして変わらず、長閑な田舎を快走し、5分ほど走るとMonterosso Marcheという駅に停まる(写真右上)。ここも立派な駅舎があるが、2人ぐらいしか降りなかった。すぐ発車し、もう一つ、Pergolaの町の入口といった感じの寂しい所にあるBellisio Solfareにも停まる。ここは乗降なくすぐ発車。ここから4分で、終点のPergolaである。それなりに広い構内と堂々たる駅舎を持つ、あっけらからんとした終着駅だ。かなり快走してきたので、遅れを取り戻すべく頑張ったのかと思ったが、5分遅れのままであった。ということは、普段から結構なスピードで走っているのであろう。


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 Pergolaは、かなりの下車客があった。私が乗っていたあたりには他に誰もいなかったが、後ろの車輛には学生がグループでずいぶん乗っていたらしい。迎えの車もいれば、駅前に停めてあった自転車やバイクで家路に着く学生もいる。そんな駅前風景をゆっくり観察したいが、折り返しの発車時間が迫っている。運転手と車掌は、駅舎に入って何かやっていて、そんなにすぐ発車しそうもないが、発車時間を過ぎているのに、いつまでも写真など撮っていては、置いていかれそうだ。しかし、彼らは実にのんびりしていて、結局7分遅れでの発車となった。折り返し列車の客は私一人だけである。殆ど回送同然なのであろう。


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 発車すると、さきほどの車掌が回ってくるが、やはり切符もチェックしないし、行って戻るだけの変な東洋人にも至って無関心である。それでも駅で写真などを撮っていたので、どういう人間かはわかっているのだろう。日本ほどではないにしても、イタリアあたりでも、たまにはそういう鉄道好きの客もいるに違いない。

 折り返しは、小さい2つの駅は通過し、Sassoferrato-Arceviaだけ停車する。ここでおじさんが一人だけ乗ってきた。そして、Fabrianoでは、手前の信号で長く停車し、結局10分以上遅れての到着となった。そのため、6分の接続で乗り継ぐ予定のローマ行きは、定刻に出てしまっていて乗れなかった。
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by railwaytrip | 2008-01-07 13:45 | イタリア