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特急いなほ・青森~新潟

 新幹線が続々と開通し、在来線の長距離特急がどんどん減ってきた。気がつけば、新潟と青森を結ぶ「特急いなほ」が、在来線最長距離を走る定期昼行列車となっている。一昔前を思えば随分短くなったものである。しかも、この区間を通して走るのは「いなほ」7往復のうち1往復だけで、その他の「いなほ」は、新潟~秋田、または新潟~酒田が運転区間である。そして、秋田~青森間には、それを補完する役割の「かもしか」という、昔はなかった特急がある。

 この最長距離列車にしても、いつまで残るかわからない。早いうちに一度乗っておきたいと思い、今回、全区間を乗ることにした。新潟発の下りだと後半のかなりの部分が日没後になるので、青森を早朝6時04分に出る上り列車に乗ることにする。11月下旬という日の短い季節ゆえ、青森はまだ真っ暗である。


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 半室グリーン車付き6輛という、一応特急らしい編成である。前3輛が自由席なので、私は3輛目の4号車に乗った。ホームを歩いて見てみても、どの車輛もガラガラだ。札幌発「はまなす」からの乗り継ぎ客が殆どのようで、あとは、早起きの青森の人だろうか。途中で混むかもしれないので、一応、海の見える右側を選んで座る。閑散としているが、ホームの売店は開いていたので、朝食を仕入れておく。発車して数えてみると、この4号車の乗客は5名であった。隣の指定席3号車をドア越しに覗いてみるが、誰もいないようである。

 奥羽本線の青森寄りは、市街地が狭い。東北新幹線の終着駅となるため、工事が進行中の新青森を通過し、津軽新城を過ぎると、早くも山にかかり、山峡の寂しい鶴ヶ坂を通過、このあたりは昔から変わっていない。そして大釈迦を過ぎると峠を越えて、弘前盆地へと下りていく。そのあたりから外が薄明るくなる。大半の特急が停まる浪岡を通過。長距離特急の貫禄というところか。右手にうっすらと岩木山が見えてくる。その次の北常盤は弘前から3駅目だが、駅周辺に新興住宅が多く、都会風に栄えてきている。県庁青森から3駅目の鶴ヶ坂とは大違いで、これだけを見ると、青森より弘前がずっと大都市なのかと思う。下り青森行を待つ通勤通学客が下りホームにいる。五能線が合流する川部は昔のままだが、その次の、難読駅として名高い撫牛子も、駅周辺は新興住宅地として開けており、下りホームにはやはり通勤通学客が列車を待っている。

e0028292_564668.jpg 最初の停車駅、弘前で、客が結構乗ってきた。といっても、ここから先は険しい山越えで、交流の多そうなところではない。発車メロディーが津軽三味線なのには苦笑してしまう。ちょっとやりすぎではないかと思う。

 弘前から大館の間は、人家も少ない矢立峠越えの険しい山中を走る。しかし弘前寄りはある程度の人家や町があり、同じ区間を走る「特急かもしか」は、大鰐温泉と碇ヶ関にも停車する。しかしこの「いなほ」はこれらを通過し、大館までノンストップで走る。長距離特急の面目躍如といったところか。もっとも時間帯からして秋田へのビジネス特急の性格が強いから、浪岡ともども、青森県内の小駅は通過して良いという判断かもしれない。

 人家もない所にポツンとある無人駅、津軽湯の沢を過ぎ、国境の隧道を抜けると秋田県に入る。最初の駅、陣場も寂しい所だが、人家はパラパラとある。陣場と白沢の間は、お互いが見えないところまで上下線が大きく離れて走る。秋田県に入ってうっすらと太陽も出てきた。そして人家が増えてくると大館に着く。

 県庁秋田への日帰り出張に便利な朝の列車だけあって、大館では大勢乗ってきた。といっても、まだ席の3分の1が埋まった程度である。ここからは米代川沿いをゆるいカーヴを繰り返しながら、徐々に下っていく。一人の男性客が多く、新聞を読んだりパソコンを広げたりしている。進むに連れ、霧が深くなってきた。米代川から立ち上る朝霧らしい。

 霧の鷹ノ巣に停車。ここからの乗車は僅かだ。その先、列車はスピードを出さなくなった。車掌が「霧のため徐行しています」と放送する。次の二ツ井を6分遅れで発車。二ツ井も乗車は少ない。二ツ井を出るとあっという間に霧が晴れ、スピードを取り戻す。しかし、通過する鶴形の手前の場内信号機で停まってしまった。2分ぐらい停まると、下り線を「特急あけぼの」が行き違う。そしてこちらもゆっくりと動き出し、鶴形通過。鶴形の先が単線のため、こうなったようだ。本来なら「あけぼの」とは東能代で行き違うダイヤである。

 東能代着は12分遅れ、8時03分に着いた。隣のホームには、7時55分発の五能線が、学生をいっぱい乗せて、この列車との接続待ちをしている。しかし4号車に関しては東能代で降りる客はない。秋田もだいぶ近いからか、乗車も少なく、すぐ発車。

 東能代からは、日本海が見えるほどではないが、海と遠くない平野部を走るので、スピードも出る。遅れ回復ということもあり、特急らしく快走する。鯉川のあたりでは右手に八郎潟を間近に眺めることができる。昔は全部が湖だったのだろうが、もう干拓されて何十年も経ち、今の風景が定着している。つまり湖と言っても川のような水路が残っているだけである。昔からここを通るたびに、鯉川で降りて、あの湖畔まで行ってみたいと思っているのだが、未だに果たせていない。

 秋田までで最後の停車駅、八郎潟も、乗車は少ない。このあたりから秋田なら普通列車でも十分なのだろう。車掌が「八郎潟の次は終点秋田です」と何度も言い、訂正もしない。

 男鹿線が合流する追分あたりから、秋田郊外っぽい風景になってくる。そして秋田の外港がある土崎は、それ自体、一つの町である。しかし土崎と次の秋田は7.1キロもあり、今の時代なら間に駅が2つぐらいできても良さそうな気がする。

 車掌が「間もなく終点、秋田です」と言ってから、やっと気がついたのか「失礼しました。間もなく秋田です」と言い直し、東京行き「こまち」などの連絡列車案内を始める。多くの客がそわそわと降りる支度を始める。といっても殆どの客は軽装で、大きな荷物をかかえた人は少ない。

 秋田へは僅か2分遅れで着いた。随分と回復力があるものだと思うが、単線区間の多い奥羽本線では、それぐらいのダイヤ設定にしておかないと、ひとたび遅れると収拾がつかなくなるのかもしれない。殆どの客が降りるなあ、と思ってみていると、本当に殆ど降りた。しかし通路の向かい側の席の、パソコンや書類を開きながら携帯電話で通話をしている若い男性は降りないらしく、電話とパソコンの両方に夢中である。やれやれ、どこまで行くんだろうと思っていると、周囲の様子に気がついて、あわててパソコンを閉じ、鞄に書類ともども無造作に突っ込むと、駆け足で下車していった。何と、4号車の客は私以外、全員秋田で降りてしまった。代わってこれまでとは雰囲気の違う、旅行者風の中年グループなどがパラパラと乗ってきた。

 車掌も交代し、車内販売も乗ってきて、全く雰囲気が変わり、秋田を定刻に発車。それにしても、車掌が秋田を「終点」と勘違いするのは、自分の乗務が秋田までだから、という以上に、何となくわかるような気がした。それほど、別の列車でも問題ないぐらいに乗客が殆ど総入れ替えになるのだ。長距離特急が減っていく理由もわかる気がする。そもそもこの「いなほ8号」は、以前は大阪行きの「白鳥」だった列車だ。今回の私も、折角全区間乗るのだから、新潟で乗り継いで大阪まで、かつての「白鳥」のスジをたどろうかとも思ったのだが、それはさすがに馬鹿らしいのでやめにした。しかし、こうして途中で分断されていく理由は、JR側の合理化という以上に、乗客の流れに沿ったものであることを実感してしまう。残念だがこれが現実だ。この「いなほ8号」も、いずれは秋田までの「かもしか」とに分断されてしまうかもしれない。そう思うと、今回乗っておいて良かったと思う。実は「白鳥」にも全区間通しで乗ってみたかったのだが、果たせぬうちになくなってしまった。「白鳥」とでは、乗りでが丸で違うが、せめてもの慰みだと思うことにしよう。

 秋田から新潟までは、延々と日本海岸を行く。距離も長いが、その間、県庁所在都市もない。県庁秋田への朝のビジネス特急だった前半区間とは色々な意味で違う。まだ8時代だが、ビジネス客が降りた後の空いた列車の中は、昼下がりのようにけだるい。だが、秋田までは乗っていなかった車内販売が乗ってくる。あまり商売っ気がなさそうで、さっさと通り過ぎる。私は青森駅で、秋田まで車内販売が無いという駅のアナウンスを聞いていたので、青森のホーム売店で買った朝食を済ませており、車内販売には用がない。秋田までの方が商売になりそうなのに、と思う。

 秋田から羽後本荘までは、35分かかる。特急なのだから30分以上の無停車など当然で、というのは、一昔前の話で、この列車で30分以上の無停車は、青森~弘前、弘前~大館と、ここと府屋~村上の4ヶ所だけで、それもいずれも40分以内である。雄物川を渡った先の、秋田から2つ目の新屋あたりで秋田郊外の風情は果て、海辺に出ると、松林の多い日本海岸を、時に海を遠く近くに見ながら、しかし大半はその間の国道を見ながら、列車は快走する。


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 ローカル幹線の主要駅という風情の羽後本荘は、晴天のため明るい雰囲気だが、時間帯のせいか乗降は殆どなし(写真上)。続いて停まる仁賀保は、駅の裏がTDKの大工場で、東京と出張のビジネスマンの行き来も多い駅だとの話だが、やはり時間帯のせいか、乗降客は殆どいない。ここでは下り貨物列車が向かいに停まっていた(写真右下)。委託駅員のおばさんが手持ち無沙汰に列車を見送っている。


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 「陸の松島」の異名を持つ象潟が近づくと、特に左手の田んぼの中に、隆起した松島がいくつも見られる(写真左下)。羽越本線の車窓の珍景を代表する一つだと思うが、昔に比べると周辺に住宅が増えたような気がする。その象潟も、乗降客は殆ど見られない。


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 象潟の先は、有耶無耶の関があったとされる国境で、人家も途絶え、青い海が美しい。そして県境を越えて最初の、信号場あがりの駅、女鹿に運転停車した。羽越本線屈指の閑散駅であり、普通列車でも通過が多い。ゆえにこれまで駅をじっくり眺める機会に恵まれなかったが、思いがけぬ停車なので、窓越しに様子をじっくり観察する(写真右上)。やがて下り普通列車が通過する。酒田方面へ通う通学生のために朝夕だけ停車する駅らしく、この時間帯は普通列車も通過してしまうのである。特急を待たせておいて通過する普通は珍しい。確かに駅のあたりは人家もなく、鬱蒼としており、降りるのを躊躇うような駅だが、ちょっと歩けばそれなりの集落があることがわかる。このあたりの集落は、屋根が黒瓦に統一されているので、朝日を浴びて輝く集落全体が美しく、一枚の絵になっている。


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 そのあたりから左手に鳥海山が見えてくる。今日は雲もなく、名山がくっきりと眺められる。山形県最初の停車駅である遊佐は、羽越本線の特急停車駅の中でも影が薄い小駅だと思っていたが、ここから数名が乗ってきた。県が変わったことで動きが出てきたのかもしれない。遊佐をすぎると海が離れ、米どころの庄内平野を快走する。そして羽越本線の中間地点の要衝、酒田に定刻に着いた。パラパラと列車を待っている客がホームに立っている。


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 4分の停車時間があるので、ホームに下りてみる。もう11月下旬で、雪の季節も間近だが、今日は暖かい。荒れ狂う冬の日本海も味わい深いが、日が短い今の季節だけに、昼間こうして晴れてくれて、青い海が堪能できるのも良いものである。

e0028292_5122446.jpg 数は少ないものの、新幹線乗り継ぎで東京方面までという雰囲気の客が乗り出したのも、このあたりからである。続く余目は、町自体は小さいが、そこでも、そしてその次の鶴岡(写真左)でも、そんな感じの客が乗ってくる。少しずつ客が増えてきたので、車内販売がもう一度回ってくるが、この販売員、あまりやる気がないのか、回る頻度が少ない気がする。青森を出て既に5時間も経つし、天気も良いので昼すぎの気分だが、まだ11時で、昼食を買うには早い。

 鶴岡から3つ目の三瀬を通過すると、列車はまた日本海岸に出る。ここから村上の手前までは、大部分が日本海沿いを走る、羽越本線屈指の絶景区間だ。大きな町もなく、特急停車駅としては、あつみ温泉と府屋の2駅がある。そのあつみ温泉では、温泉帰りの行楽客とおぼしき中年女性のグループなどが乗ってきた。新潟へ向けて少しずつ客が増えてきた。そして、山形・新潟県境にあり、奥州三大関所の一つである鼠ヶ関を通過。江戸時代には念珠関とも言ったらしい。通過後、駅構内のはずれで山形県から新潟県へと入るのは、まさに関所から発展した町ならではか。

e0028292_5125426.jpg 次の府屋でも若干の乗車があり、ここから村上まで30分が、笹川流れの景勝など、海の眺めが素晴らしい区間となる。確かに海岸美は素晴らしいが、間を国道が通っているし、それにこうしてずっと走ってきた後に見ると、人家が結構多く感じる。それでも汽車旅の良さを感じさせる、いい区間だと思う。通過する駅も桑川を除けば小さくて風情がある。桑川だけは、駅舎もモダンで立派になり、駅付近に民宿が多く、道の駅もあって、ちょっと賑やかな印象があった。
 
 間島を過ぎ、ゆるやかに海から離れると、いよいよ越後平野で、旅も終盤だと思う。今日は明るいからあまり影響ないものの、ここに交直流の電源切り替えのための、デッドセクションがあり、車掌も「電源切り替えのため、一時車内が暗くなります」と放送をする。そういえばそういうものがあったか、と思う。最近の新しい車輛は、デッドセクションでも電気が消えないで済むものが増えている。夜などは結構面白くて、これも旅の味わいのうちだと思うが、こういった情緒も鉄道技術の進歩とともに消えてゆく。

 村上は、そんな直流区間に入った所にある市で、県庁新潟までは特急を使いたくなるぐらいの距離はある。しかし、時間帯のせいか、僅かしか乗ってこなかった。ここからはほぼひたすら、米どころ新潟の田園地帯を快走するが、人家も増えるし、工場なども見られるようになる。終点まで1時間を切って、12時も回ったので、最後の車内販売から昼食を買おうと思っていたのだが、前寄りの通路でじっとしているのが見えるのに、一向に回りに来る気配がない。こちらから買いに行こうかとも思ったが、それも面倒臭くなり、結局昼食は新潟に着いてからになってしまったのだが、それにしても、ここまでやる気のない車内販売は珍しい。

 中条、新発田と、わずかな乗車がある。新発田は降車もあったが、基本的には秋田以来、圧倒的に新潟志向の客が中心の列車であった。新潟のベッドタウンとなった豊栄が最後の停車駅で、ここも動きはなく、そのあたりからは人家も増えて、久々に都市が近づいたと思う。何しろ新潟は本州の日本海側では最大の都市で、秋田より大きい。


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 車掌が新幹線などの乗換列車の案内を始めた。秋田でも「東京行きこまち」という案内はあったが、軽装の県内ビジネス客っぽい人ばかりで、あまり実感がなかった。その点こちらは、乗り継いで東京へ向かう客がそれなりにいるような雰囲気がある。新潟が近づいたこと、イコール東京が近づいたことになっている。新幹線が増えて、日本が狭くなり、どこにいても東京が近くなった。その新幹線との連絡も2度あるものの、新幹線が走らない区間だからこそ、延々と6時間43分、在来線最長の特急昼行列車はこうして何とか今も走り続けている。途中最大12分遅れたが、新潟には定刻、12時47分に着いた。ローカル長距離鈍行を乗り通したような達成感もなく、長いとも思わなかったが、昼間の列車にこんなに長く乗ったのは久しぶりではあった。

※ この区間は、東北地方(青森・秋田・山形県)と中部地方(新潟県)とにまたがりますが、東北側の方が距離が長いため、便宜上、東北地方のカテゴリーに分類しました。
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by railwaytrip | 2009-11-25 12:47 | 東北地方

特急くろしお・新大阪~太地

 紀伊半島は大きく、南紀は遠い。紀勢本線を全線乗ると、特急でもほぼ丸一日かかるので、例えば名古屋と大阪の移動の間にちょっと時間が余ったとしても、ちょっと程度では乗る時間が取れない。今日の私は夕方4時に和歌山に用事があるが、それまでは空いている。そこで、新大阪7時35分発の特急くろしお1号に乗り、ひとまず太地まで行ってみることにする。ちなみにこの時間に新幹線で名古屋へ行って紀勢本線を一回りして和歌山に行くのは、もう私の場合、無理である。

e0028292_7382155.jpg 平日だし、始発の新大阪からなら空いているだろうと思って指定券は取っていない。空いている時は、自由席で景色の見やすい席を選んだ方がいい。結果的にそれで問題なかったが、ただ自由席は2輛しかなく、しかもそのうち1輛は喫煙車であった。つまり禁煙の自由席は1輛しかないわけで、今の時代、これはいくら何でもと思うが、そこはやはり喫煙に寛容な関西だ。実際、喫煙車はガラガラで殆ど客がいない。禁煙車でも3割程度であろうか。いずれにしても、今日は空いているので問題ないが、混む時は要注意だろう。とにかく、海の見える進行右側の窓の広い席を確保した。

 列車は国鉄時代からの381系6輛編成で、これは確か振子電車のかなり初期のタイプではないかと思う。とにかく国鉄特急の面影を残す車輛はだいぶ少数派になってきた。発車すると、汽笛一斉のチャイムが鳴る。これを聞く機会もめっきり減ってきた。

 新大阪を出ると、普通に東海道本線を下り、淀川鉄橋を渡る。乗り慣れた区間である。しかし大阪が近づくと貨物線に入り、大阪駅はかすめず、阪急中津駅の近くを通る。かつて稀少価値のあったこのルートも、今は関空特急など本数が増えたので、乗ったという人も多いだろう。私も初めてではないが、それでもあまり乗る機会がないので、つい車窓をしっかり観察してしまう。そして環状線の福島駅のあたりで通常の旅客線と合流し、環状線の急行線のような感じになり、福島と野田はホームをかすめず通過する。しかし実はこの区間の貨物線は単線で、ダイヤ上の制約が大きいらしい。折から朝のラッシュ時でもあり、特急とはいえのろのろ運転が続き、環状線に抜かれたりする。こちらは空いた車内で朝食を食べながらののんびり旅行なので良いが、急いでいるからと特急券を買って乗った客の中にはイライラしている人もいるかもしれない。

 西九条では環状線外回りと平面交差して内回り線に入るのだが、案の定、手前で停まってしまった。結構長く感じられたが2分ぐらいだっただろうか。先にオレンジ色の環状線内回り電車が出てから、こちらも発車。その後を追うので相変わらずスピードが出ないが、おかげで大阪市内西部の下町の様子をゆっくり眺めることができて、悪くない。

e0028292_739710.jpg 最初の停車駅は天王寺で、ここは下の関西本線・環状線のホームに入る。7時59分着で、新大阪から24分かかっている。この区間は各駅停車だと、新大阪~大阪が5分、大阪~天王寺が19分が標準のようなので、実質はそれと同じスピードということになる。しかしそれ以上に遅く、時間がかかったような錯覚を覚える。その天王寺は、かつては紀勢本線方面への全ての列車の始発駅だった駅であり、今もここでの乗車が新大阪よりは多い。1輛だけの禁煙自由席車は、ここで8割近い乗車率になった。

 天王寺から美章園までは、下のホームから高架の阪和線に上がる連絡線を通る。この連絡線が最近複線化されたらしく、快速なども環状線へ多数直通するようになったようだ。そして昔から高架の美章園を通過。高架も古くなってくるとこうも味わいが出るのかというような駅とその周辺である。少し前までの阪和線は、高架はここだけで、この先、地上に下りると踏切の連続であったが、最近、我孫子町の先まで高架化された。その昔、一時期よく乗った区間なので、鶴ヶ丘のシャープ工場の池のほとりを走る風景など、実に懐かしいのだが、高架になると雰囲気が一変してしまう。その代わり、高いところを走るので、昔は見えなかった風景も見える。列車は阪和線に入ってもラッシュ時の過密ダイヤのため、のろのろ運転が続く。おかげでこのあたりの大阪南部の下町風景がゆっくり観察できるのは有難い。我孫子町を過ぎて地平に下り、最初の踏切があり、待避駅の杉本町で各停を追い抜く。

 各停を抜いても一向にスピードは上がらず、ゆっくりと大和川を渡り、大阪市から堺市へ。このあたりも高層マンションが増えたが、それ以外は昔と余り変わっていない感じがする。三国ヶ丘から百舌鳥の一駅間は、右手にほぼ仁徳天皇稜が続き、知っていればこれだとわかる程度だが、やはり世界最大の古墳だけあってほぼ一駅続くのは凄いと思う。次の待避駅である上野芝では追い越しがなく、結局殆どスピードが上がらないまま、2つ目の停車駅、鳳に着いた。複線の阪和線でラッシュ時とあれば、これも仕方ないのだろう。それにしても鳳は、駅こそ大きいが格別の街があるわけでもなく、昔は特急停車など考えられない駅であった。しかも乗降客は僅かである。もっとも朝ラッシュ時のダイヤであれば、もっと沢山の駅に停めてあげても所要時間は変わらないとは言えるのだが。

 鳳でも普通を抜いたが、その後もスピードは大して上がらず、やっと特急らしい速度になったのは、東岸和田で快速を抜いてからであった。この快速が天王寺からずっと前を走っていたのだろう。そしてそのあたりから徐々に農地や新興住宅が目立つようになり、関空への新線が分かれる日根野を過ぎるとやや鄙びてくる。特に山中渓の前後は、かなりの山岳区間となり、府県境のサミットを隧道で越えると左手に和歌山平野が広がる絶景がある。このあたりが阪和間のハイライトだ。

 和歌山では予想通り、ビジネスマンなどがかなり下車する。だが他方で乗ってくる客もいて、結果、多少空いたかなという程度である。一昔前なら、和歌山まで特急に乗るなど贅沢な話だったが、今は大阪市内の企業が和歌山市へ出張の場合でも、特急料金が支給されるのだろうか。

 この旅は、和歌山を境に、手前は都会、先は田舎、と言っても良い。手前はとにかく列車本数が多く、貨物線や渡り線を通ったりという鉄道自体の楽しさがあるし、阪和線には東京では見られなくなった103系などの電車がまだまだ走っているので、これまた面白い。和歌山を過ぎると、そういった面での楽しさがなくなる代わり、紀州の青い海と自然をのんびりと味わえるし、通過する駅や町も鄙びてくる。この両面をたっぷり楽しめるこの旅は、考えようによってはかなり贅沢だと思う。それでも最初の停車駅、海南は、数年前に都会的な高架駅に変わってしまった。ここでもビジネスマンが結構降りる。

 和歌山から乗り込んできた車内販売が回ってくる。ちなみに新大阪から和歌山までは、車内販売がない。そういった事は、乗る前にはわからない。私は念の為、新大阪の売店でサンドイッチとコーヒーを買って乗り込んだのだが、正解であった。そうでなければ、朝食抜き状態で和歌山の先まで待つのが辛かったかもしれない。コーヒーだけ買う。今の時代、車内販売のコーヒー300円は相対的に高いと思うが、車内販売も利用者が減ればどんどん廃止されてしまうだろうから、できれば少しでも利用してあげたい。無ければ無いで不便だし、とにかくコーヒーを飲みながらゆったりと車窓風景を眺めるのは格別の気分である。

 和歌山から御坊までの区間は、まだ普通列車の本数も多い、いわば近郊区間で、この間の特急は、ノンストップのタイプと、快速並みに停まるタイプがある。このくろしお1号はその中間で、海南だけ停まり、その後は御坊までノンストップで、箕島や湯浅は通過する。加茂郷の手前で最初の海が見え、その先、下津あたりの右手は大規模な石油化学コンビナートが続く。振子特急は揺れながらもどんどんと駅を通過し、箕島で普通列車を追い抜き、湯浅の古い町を抜け、名前に反して海の見えない新駅、広川ビーチなども過ぎ、あっという間に御坊に着いた。紀州鉄道の小さなディーゼルカーがいるかなと思ったが、見えなかった。御坊は駅と市街地が離れており、その間を連絡するミニ私鉄が紀州鉄道で、大赤字には違いないが、不動産会社の経営なので、残しているということらしい。

 沿線の風景は、これといって活気は感じられない。和歌山以南は全般には過疎化・高齢化もかなり進んでいるだろう。しかし今日のように天気が良いと、この南国は旅行者に対して、明るく平和で穏やかな印象を残ってくれる。またノンストップでひとっ走り、小駅を次々と通過して、後半は海辺を走る所もあり、そして次が紀伊田辺。観光駅としては、白浜、串本、紀伊勝浦などが著名だが、都市としてはここが南紀最大で、ビジネスや所用と思われる客がかなり下車し、空いてくる。

 紀伊田辺からは普通電車の本数も減り、単線になる。しかし特急には最終の1本を除いて紀伊田辺止まりはなく、少なくとももうあと10分の次の白浜までは足を伸ばす。その白浜だが、季節外れなのか、乗降客は少なかったし、降りた客も観光客っぽくなかった。駅自体、内陸にあって海は見えない。著名観光地の凋落が言われて久しいが、昔を知らないので何とも言えないものの、車窓から見る限りの白浜駅前は、そこそこ活気は残っているように思われた。

 白浜から先はカーヴも多く、海に山が迫ってきて、高速走行には不適な線形だ。それだけにいちはやく振子電車が導入された区間でもある。海が見えたと思うとすぐ隧道に入る。列車のスピードが遅くないことも相まって、たっぷりと海を眺めさせてくれる区間は少ない。左手は概ね山で、時に農地が開けたり蜜柑畑があったりする。特に周参見から串本までは、大体そんな感じであった。

e0028292_7401998.jpg 本州最南端の駅が串本である。串本の手前でぐるりとカーヴをし、北東へと進路を変えるので、そのカーヴのあたりが本州最南端の線路ということになる。串本を出ると、右手に海に面した串本の街を眺めながら走り、街を抜けたかと思う頃に、海の上に沢山の岩がにょきにょきと見えてくる。これが串本名物の橋杭岩で、観光地になっているが、間には国道があり、ガソリンスタンドなどもあって、車窓からの風景としては超一級とは言えない。その向こうに見える陸地は大島であろう。だが紀勢本線の魅力は、そういった点の観光名所よりも、複雑な地形の海岸線に沿って海をちらりと見てはすぐ隧道に入る、その繰り返しの車窓風情ではないかと思う。そうしているうちに、今は合併で串本町の一部になった、旧古座町の中心駅、古座に停車する。小さな駅で、下車客も殆どいない。新大阪行のスーパーくろしお16号と行き違う(写真左上)。あちらもガラガラである。和歌山に向かって段々乗客が増えるので、このあたりでは仕方ないであろう。


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 その先も一ヶ所、かなりの長さで海に沿う景色の良い所がある。そして次が下車駅の太地である。新大阪から3時間54分、結構な乗車時間であった。駅は町の中心からかなり離れた寂しい所にあり、特急停車駅なのに単線である。乗ってきた列車は数名の客を降ろすとすぐ発車し、カーヴの先の隧道に消えていった。それを見送ってから階段を下りて改札へ向かったが、無人駅であった。


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 太地といえば、言うまでもなく捕鯨で有名である。合併を免れて太地町として残った結果、和歌山県で最小面積の自治体なのだそうだ。駅が町外れにある証拠に、駅前の国道を歩いて2分も行くと、紀伊勝浦町に入ってしまう。折角の鯨の町だが、駅のあたりは海の香りもしない。しかし流石に南紀で、11月とは思えない強い日差しで、ポカポカと暖かかった。駅舎は特に風情もない平凡なもので、売店もなく、自動券売機が一台だけある。勿論かつては駅員がいたのであろうが、今やこのあたりの普通列車はワンマンが主流だし、これで十分な程度の乗降客数なのであろう。ホームへ戻り、下里方向を見ると、線路際にススキが沢山、風に揺れており、日差しはまだ強くとも秋も深いのだということが実感できた。
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by railwaytrip | 2008-11-16 11:29 | 近畿地方

特急しなの・長野~名古屋

 東京から名古屋へ行く。珍しくも何ともない。毎日大勢の人が利用している。ここは鉄道斜陽の時代といえども、鉄道のシェアが非常に高い区間であろう。もとよりその殆どが東海道新幹線利用である。

 私は夕方までに名古屋に着けばよかったので、東京11時16分発の長野新幹線あさま519号に乗った。長野着12時49分。11分の連絡で、13時ちょうど発の特急しなの14号名古屋行がある。名古屋着15時59分。最新のN700系のぞみ号なら1時間41分のところ、所要時間は乗り継ぎを含め4時間43分。およそ鉄道を移動の手段としか考えられない人からみれば、狂気の沙汰だろうが、移動を楽しむと考えれば、東海道新幹線の何倍も楽しい。難しい議論はさておいて、とにかく旅をした気分になれるのは間違いない。それに、碓氷峠の機関車付け替え時代を知る者としては、この所要時間にも隔世の感がある。

e0028292_19483439.jpg 長野は小雨だった。日曜だが、観光シーズンでもなく、聖火リレー騒ぎから一段落して静かに落ち着いていた。特急しなのは383系というステンレス車体の6輛編成。乗車率は全体では半分以下かと思われる。

 定刻に発車。まずは信越本線を東京方面へ逆戻りし、郊外の篠ノ井に停車する。ここで東京方面へ向かう信越本線と分岐し、と書きたいところだが、今はあちらは軽井沢までの第三セクター、しなの鉄道だ。だが、往年の鉄道網では、そういうことになる。このルートは、篠ノ井~松本間、塩尻~名古屋間とも、東京を中心に考えると、三角形の底辺に当たる。つまり、東京に住んでいるとあまり乗る機会がない区間である。しかもその両区間とも景色が素晴らしい。

e0028292_19491661.jpg 篠ノ井を出た篠ノ井線は、早速勾配を上り始める。最初の通過駅、稲荷山は、まだ盆地の中という感じではあるが、長野市郊外の住宅地駅という感じではなく、早くも田舎の駅らしい雰囲気だ。そしてここからぐんぐんと上るにつれ、左に千曲川沿岸に開けた善光寺平の眺めが広がってくる。下界はそれなりに建物も目立つ。昔より増えたような気もする。長野新幹線ができて東京が近くなったせいかもしれない。そしてスウィッチバックの姨捨駅は通過なので、右手にあるはずのホームなどは見えないが、ポイントをがたがたと渡る音でそれとわかる。このあたりからの眺めが特に素晴らしく、日本三大車窓の一つとされている。それも姨捨から1分ほどで、やがて長い冠着隧道に入る。

e0028292_19495914.jpg 出るともはや善光寺平の眺めはなく、寂しい山の中の駅、冠着を通過し、続いて聖高原に運転停車する。ここはその昔、麻績(おみ)という実に味のある難読駅であったし、今も所在地は麻績村である。左手に長野高速道の麻績インターチェンジが見える。新しくできたインターチェンジ名の方に昔ながらの村名が使われているのは皮肉だ。あちらは観光改名をして客寄せをする必要がないからだろうが、願わくばJRの駅も麻績に戻してもらいたいものだ。

 坂北村を抜け、また長い隧道で目まぐるしく複雑な地形を抜けると人家が増えて明科を通過する。松本まであと2駅で、完全に松本圏に入ったが、駅間距離は長い。大糸線が右から寄り添ってきて、大糸線だけにホームのある北松本をかすめて松本。長野県の二大都市で、仲が悪いことでも知られる両都市であるが、この区間だけ特急に乗る県内利用者は結構多く、乗客がある程度入れ替わる。

e0028292_19502454.jpg 松本から塩尻までは、一転して建物の目立つ松本盆地の複線区間となる。線名は篠ノ井線ではあるが、実態は中央東線と中央西線が線路を共用していると言った方いい区間だ。そこを塩尻まで、特急しなのは僅か9分で快走する。かつてスウィッチバックを要した塩尻だが、今は駅の移転によりその必要もない。昔の塩尻駅は、駅全体も駅前も汽車駅そのままであった。そんな面影もどこへやら、今の塩尻駅(写真左)はモダンな都会の郊外駅と変わらない。それでも既に移転してだいぶ日が経ち、年季も出て来たようである。ここは何とホームに葡萄の木が植わっている。

 塩尻で中央東線が左へ分かれ、今は恐らく貨物や回送のための短絡線(かつては本線だった)が合流してくると、今度は木曽谷へ入る。篠ノ井線とは違った意味での山岳路線であり、中仙道に沿った歴史のある道でもある。その宿場の殆どに駅があるが、特急は停車しない。奈良井など、駅のすぐそばに古くからの宿場の街並みが時代を超えて残っているが、高速の特急列車からでは観察する間もない。木曾漆器の看板がやたら目立つぐらいで、ひたすら渋いを木曽谷を、木曽川に沿って高速で下っていく。私の席は進行左側なので、残念ながら、寝覚ノ床を含む木曽谷の渓谷は見えない。姨捨の絶景を見た代償と思って諦める。

e0028292_19505588.jpg 木曽谷の停車駅は木曽福島と南木曽の2つだが、乗降客はさほど多くない。南木曽(写真左)は駅の横が木材の集散地となっていた。南木曽を出ると木曽路も終わりをつげ、木曽川の幅もだいぶ広くなり、ほどなく岐阜県に入る。そのあたりから雨がひどくなってきた。大雨なので木曽川の流れにも迫力がある。不通にならないかと心配になるぐらいの降り方だと心配しているうちに、久しぶりに平地が広がり、家が増えると中津川に着く。名古屋都市圏の終点のような駅だが、大都市郊外というより地方都市である。

e0028292_19511634.jpg 中津川からは木曽川と離れ、東濃の盆地の渋い風景の中をスピードを上げて走る。多治見まで来ても土砂降りの雨は勢い衰えないが、列車は僅かな停車時間で定刻に発車した。多治見を出ると、名古屋が近いのに、再び今度は土岐川の渓谷に沿った眺めの良い区間になる。今度は川が左手なので、豪雨に煙った川の眺めが満喫できるが、隧道が多い。古虎渓、定光寺という2つの寂しい無人駅を過ぎ、少しすると急に景色が変わり、住宅が激増し、完全に名古屋のベッドタウンという感じの高蔵寺を通過。今しがたまで木曽谷の寂しい風景の中にいたのが嘘のような変わりようで、都市近郊の平野の風景となる。そういう地形の変化とも関係あるのか、雨も小降りになってきた。副都心の千種で多少の客を降ろし、名古屋市街の東部をぐるりと半周するような形で東海道本線と合流する金山を過ぎ、定刻15時59分、名古屋駅に滑り込んだ。雨はすっかり小降りになっていた。

 後で知ったのだが、この特急が通過した直後、中央西線は雨量が規定値を上回り、不通になったらしい。この1本後の特急は、名古屋に相当遅れて着いた筈である。危ないところであった。
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by railwaytrip | 2008-06-29 13:00 | 中部地方

特急はまかぜ・大阪~浜坂

 特急「はまかぜ」は、阪神地方と、蟹の名産地、日本海側の北但地方とを結ぶ特急の一つだ。京阪神からこの地方へのメインルートは山陰本線か福知山線であろうが、はまかぜは、姫路から播但線というローカル線を経由する特急だ。播但線の北半分が非電化ということもあり、キハ181という一昔前の国鉄型のディーゼル特急が未だに活躍している。同じく関西と山陰地方を結ぶディーゼル特急としては、第三セクターの智頭急行経由もある。あちらはモダンな新型特急が活躍している。このような一時代前の車輛による特急列車が今も頑張って走っていると、乗ってみたくなる。いつまで持つか、という気持ちもあり、早く乗っておかねばと、気も焦る。

 福知山線や智頭急行の特急は、新幹線連絡等の理由でか、京都や新大阪が始発だが、このはまかぜは、大阪始発である。姫路まで在来線を山陽新幹線と並行して走るので、新幹線からの乗り継ぎ客は姫路で拾えばいいという考えなのだろうか。ともあれ大阪始発の特急というのが、新幹線以前の時代を連想させてくれる。

 大阪駅の発車は、環状線の隣の3・4番ホームである。昔はここが1・2番ホームで、環状線には番線がなかった。発車20分前に行ってみると、4番線には大阪始発の篠山口行き快速が発車を待っていた。はまかぜはこの列車が出た後に入る。自由席の乗車位置にはごく短い列ができているものの、混雑とは程遠いと思われる。これなら並ぶ必要もないかなと思っていると、3番線に京都始発の特急「スーパーはくと」が入ってきて、僅かな停車時間で慌しく発車していった。あの列車ははまかぜが浜坂に着くよりもずっと早く、それより遠い倉吉に着く。続いて篠山口行も発車。


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 それからほどなく、4番線に、気動車独特の重いうなりとともに、181系気動車5輛の特急「はまかぜ1号」が入線。始発駅なので、発車10分前には乗車できる。今や新幹線の東京駅など、始発でも3分前ぐらいにならないと乗車できない列車も多いので、10分も前から乗り込んで発車を待つ機会は案外珍しい。こういう始発駅での発車待ちは、段々混んでくるのが落ち着かない気分にさせるものだが、今日のはまかぜは空いていて、この10分に乗り込んでくる客も僅か。定刻9時36分に発車した時点で自由席の乗車率は2割にも満たない。閑散期の平日ではあるが、蟹の季節だし、もう少しお客がいるかと思ったが、思いのほか寂しい。

 発車するとすぐ、これまた昔懐かしい国鉄時代のオルゴールが鳴り、車掌が停車駅などの案内放送を始めた。しかし少ししゃべったかと思うと「鉄橋を渡りますので、案内を一時中断させていただきます」と放送があり、列車は淀川鉄橋を渡る。この気動車は騒音が大きいので、鉄橋を渡る時は放送をしても聞こえないから中断するということらしいが、こんな経験は初めてだ。国鉄時代はもっとうるさい列車が山ほど走っていたが、こんなことはなかった。

 鉄橋を渡り終わると車内放送が再開され、塚本を通過するあたりでそれも終わり、またオルゴールが鳴る。次に神崎川を渡る。大阪からここまで、5分程度だが、この川を渡ると早くも兵庫県に入る。そしてこの特急はまかぜ1号は、ここから先、終着までの3時間半、ずっと兵庫県内を走るのである。そうか、大阪発車時の乗車率が低いことは、問題ではないのかもしれない、と思い直す。蟹を食べに行くグルメ大阪人だけがこの列車の乗客ではない。これは兵庫県内のビジネス特急でもあり、兵庫県北部の人にとっては、県庁所在地神戸と乗り換えなしに行き来できる貴重な列車でもあるのだ。

 この列車は、大阪から姫路まで、三ノ宮、神戸、明石、加古川に停車して、1時間4分かかる。同じ区間を新快速は、加えて尼崎、芦屋、西明石にも停車して、日中は1時間1分で走る。さきほどのスーパーはくとは、同じ気動車ながら、三ノ宮と明石だけの停車で59分と、かろうじて特急の面目躍如だが、国鉄型気動車のはまかぜは、残念ながらそれらに負けている。新快速が頻繁に走っているのだから、この列車も神戸や加古川に停車する必要はないように思うが、もしかするとここが、兵庫県内ビジネス特急としての役割が濃いはまかぜならではの、「スーパーはくと」と異なる需要を押さえているのかもしれない。

 そんな事を考えながら、乗り慣れた阪神間の景色をぼんやり眺める。同じ区間でも、新快速とは気分が違い、車窓の景色まで違ってみえる。列車の走りっぷりは思ったよりも軽快だ。この区間は他の新型の車輛と競うべく、全速力で走らないといけないので、老兵キハ181は、もっと必死でうなりながら走ってくれるかと思ったが、さほどでもない。加速時以外は案外静かだし、乗り心地も悪くない。

 三ノ宮である程度の乗客があり、神戸、明石でも少しずつ乗車する人がいるが、明石では早くも降りる人がいる。この時間、新快速は混んでいるので、所要時間のメリットがなくても、特急料金を払ってガラガラの特急で楽をする人がいるのだろう。加古川は殆ど動きなし、そして高架化工事の進む姫路に着く。姫路は山陽線は既に高架化が完了しているが、播但線ホームはまだ地平である。この列車は一旦山陽線の高架に上がったあと、姫路の手前でガタガタとポイントを渡って、地平の播但線用31番ホームに下りていって停まる。

e0028292_2241995.jpg 姫路では列車の進行方向が変わることもあって、8分も停車する。ここでの乗車が案外多く、姫路発車時点での自由席の乗車率は7割ぐらいになった。

 姫路を出ると、単線の播但線に入り、スピードが落ちたのに揺れは激しくなる。けれども沿線は住宅などが建て込んでおり、なかなか田舎の景色にならない。その昔、このはまかぜは、播但線内はノンストップだったと思うが、今はいくつもの駅に停まる。けれども線内の乗降客は少ない。乗客層は、観光客と用務客が半々といったところだろうか。若いグループも、多くはないが、散見される。

 電化区間が終わる寺前を過ぎると、住宅が途絶え、山深くなる。路線図だけを見ていると、和田山まであとわずかの駅数なのに、何故全線電化しなかったのかと思ってしまうが、乗ってみると、寺前を境に姫路寄りは都市近郊路線、和田山寄りはローカル線であることが、車窓風景に感じられる。けれども、寺前以北の沿線には、全線電化を請願する看板が目立つようになる。「複線電化」「播但線高速化」「全線電化は但馬の願い」などに混じって、「播但線を乗って守ろう」というのもあり、驚かされる。電化区間から漏れた北半分の区間では廃止の危惧があるのだろうか。

e0028292_2245311.jpg 銀山で知られる生野を過ぎ、竹田城址を見ながら山峡を進むと、土地が開け、右から山陰線が合流してきて和田山に着き、多少の下車客がある。煉瓦造りの古い扇形機関庫が見える。大阪からここまで、153.6キロ。これが福知山線経由だと、144.7キロなので、若干遠回りだが、極端な差ではない。ここから山陰線に入り、八鹿、江原(写真左)と、中小の町に停まるたびに用務客が少しずつ下車していく。神戸や姫路からの客と思われ、まさに兵庫県内ビジネス特急である。そして但馬最大の町、豊岡では、まとまった数の下車客があり、車内は再び寂しくなった。自動改札などなく、列車到着に合わせて改札口に駅員が立ち、下車客を迎える。地方にも自動改札が広がりつつある今日、一昔前までどこでも見られたこの光景も、新鮮に見えてくる。

e0028292_2252576.jpg 右手に円山川の豊かな流れを見ながら、列車は続いて城崎温泉に停まる。今度は観光客を中心に、また多くの下車客がある。この駅はつい最近まで、ただの「城崎」であった。駅名に温泉をつける改称は、ブームの如く全国で見られるが、あくまで知名度の低い二流の温泉地がやることと思っていた。有名な温泉地、例えば登別、熱海、別府などは、決してこういう改称をしない。城崎も著名な温泉だから、まさかと思っていたが、最近改称されてしまった。

 山陰本線の東側の電化区間はここまでである。そのため、京都や大阪からの電車特急は、ここが終点で、この先は一部のディーゼル特急のみとなり、本数が減り、ローカル線らしくなる。竹野停車に続いて、日本海が見えてきた次の佐津という小駅にも、今の時期のみ停車して、指定席車から蟹ツアーの団体客らしき人々を下ろす。


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 晩秋の日本海側らしく、今にも降り出しそうな厚い雲の下、荒々しい日本海の海岸美を見ながら、はまかぜは終着を目指し、ゆっくり走る。山陽本線を快走したのと同じ列車とは思えない。時折現れる家々は、黒い瓦をどっしりと載せた、重厚な純日本家屋も多い。香住でまた客を降ろすと、次が終着駅、浜坂である。残っている乗客は僅かだが、ここにこの列車最大のハイライトである余部鉄橋が現れる。架け替えが決まってから、毎日大勢の人がカメラを持って餘部駅に降りるという。そのため、時期と列車によっては、単線の無人駅である餘部に、特急はまかぜも一部停車する。この列車は停車しないが、鉄橋の袂である餘部駅には、カメラを構えた人がいた。流石に11月下旬の平日だけあって、1人だけだったようである。


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 そして、最後の通過駅、山峡の寂しい久谷を通過すると、列車は終着浜坂だ。兵庫県内を3時間半も走ってきたのだから、兵庫県も広い。事実広い県であり、両端の青森と山口を別にすると、本州で唯一、二つの海を持っている。浜坂まで乗ってきた客は、大部分が地下道をくぐって改札口へ向かい、一部が反対ホームに1輛っきりで停まっていた、鳥取行の普通列車に乗り換える。姫路以東から鳥取へ行く客は、「スーパーはくと」を選ぶ筈なので、乗り継ぐ客は少ない。そして改札口を出れば、そこには同じ兵庫県でも、神戸とは全く異なる田舎町の鄙びた駅前風景が広がっている。
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by railwaytrip | 2007-11-27 09:36 | 近畿地方

九州横断特急・別府~人吉

 今の時代、一つの列車に5時間も10時間も乗る行為自体、尋常とは思われていない。そういうことをするのは鉄道マニアぐらいで、用事があって移動の手段として鉄道を利用する場合、3~4時間が限度で、それ以上だと飛行機が使われる。数少ない夜行列車を除くと、特急列車といえども、全国的に、4時間以上に渡って走行する列車そのものが数少なくなった。新幹線ができる前は、首都圏と東北地方の間など、東京~青森を始めとして数多くの長時間運転列車が当たり前のように走っていたが、時代はあっという間に変わってしまった。新幹線のない北陸~羽越ルートでも、少し前まであった大阪~青森の白鳥が廃止されたかと思うと、続いて大阪~新潟間でさえ、夜行以外は直通列車がなくなってしまった。大阪からは富山あたりが限度で、新潟行は金沢始発というように、運転区間が分断されてしまった。そうなると、例えば福井から直江津へ行く場合は、乗換えを余儀なくされるなどの弊害もあるが、そういう客自体が少ないのであろう。

 そういう全国的な流れの中で、最近、運転区間が延びた珍しい例がある。別府~人吉間を走る「九州横断特急」である。別府~熊本間は、その昔は「急行火の山」が、その後、格上げで「特急あそ」が、毎日数往復走っていた。そして熊本と人吉の間は、「急行くまがわ」が、最後まで急行の貫禄を保って走っていた。人吉は、熊本県南西部の地方都市であり、県庁との間もそれなりの距離があるため、ビジネス、用務、観光など様々な需要にこたえるべく、急行として長く生き残ることができた。勿論、熊本乗換えで博多へ、さらに新幹線で本州方面へと乗り継ぐ人もある程度はいたと思われる。しかし、急行廃止の流れはここにも及び、特急格上げとなるにあたり、別府~熊本の特急と直通化され、その名も「九州横断特急」として生まれ変わったのである。別府~人吉の全区間を乗り通すと、所要時間は4時間半余り。この程度でも、今の時代、相当長時間を走る列車の部類なのである。

 というわけで、別府14時43分発の「九州横断特急5号」に、人吉までの全区間を乗ってみることにした。勿論、熊本で殆どの客が入れ替わるであろうことなどは承知の上である。それでも私自身、一つの列車に4時間半も乗り続けること自体、最近は殆どなくなってしまったなあと、改めて思うのである。


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 別府は言うまでもなく、日本有数の温泉地である。その割と駅は昔から素っ気ない高架駅で、格別の情緒も感じられない。しかも別府は県庁大分と近く、ベッドタウンとしての役割もある。しかしいずれにしても、需要の大きい駅なので、大分から先、この豊肥本線だけでなく、久大本線や日豊本線に行く列車も、優等列車は大分ではなく別府始発というのが昔からのパターンだ。

 あいにくの天気だが、連休ということもあるのか、駅は活気に満ちていた。3輛編成の「九州横断特急」も、そこそこの乗車率である。しかも、短編成ローカル特急にもかかわらず、車内販売がある。JR九州が新生の特急に力を入れていることの証である。下は別府発車時の車内。

e0028292_0264547.jpg 別府から大分までは、複線電化の日豊本線を走る。都市近郊ではあるが、左手は別府湾が広がり、景色は良い。しかもこの列車の全区間を通して海が見えるのは、ここが最初で最後である。

 大分は、別府より人口も断然多く、県庁所在地でもある。けれども乗ってくる客は案外少なく、始発の別府からの客がはるかに多かった。ここは古くからの地平駅だが、今、高架化工事が始まっている。やがて個性のない平凡な駅になってしまうのであろう。

 大分から豊肥本線に入る。しばらく市街地を、そして田畑が混じる郊外の住宅地へと進むが、ほどなく中判田に停車する。この駅、昔は急行ですら停まらなかったと思う。大分に近すぎて下車客はないが、2名の乗車があった。大分行普通列車と交換する。次の通過駅の竹中でも大分行普通列車と行き違う。このあたりはローカル線とはいえ、大分のベッドタウンなので、普通列車の本数が多い。これだけ普通列車があるのだから、2名乗車のために特急を中判田なぞに停めるのもどうかと思うのだが、一度だけの体験ではわからない理由があるのかもしれない。

 菅尾通過、また大分行の1輛の普通列車と交換、このあたりの車窓は田園地帯で、格別ではない。それにしても、この列車は中年男性の車掌の他に、若い女性の販売員が2名も乗っていて、別府や大分ではドアの前に立って乗客を迎えるし、販売物もただのワゴンだけでなく、阿蘇のどこかの牧場のアイスクリームなどの特産品も売りにくる。いかにも観光特急として力を入れているさまが窺えるのだが、たった3輛の特急で、アイスクリームだけを売り歩いて、どれだけ売れるのだろうと心配してしまう。実際、冷房が十分効いているので、私はアイスクリームよりは温かいコーヒーが欲しい。

 昔からの急行停車駅、三重町を発車。乗降は殆どない。次は豊後竹田かと思ったら緒方に停まるそうだ。ここも昔の急行は停まらなかった気がする。右手に水量豊かな川が沿っている。台風でだいぶ降ったし、今日もさっきまでにわか雨が凄かったので、とうとうと流れている。ここまで来ると、人家も途切れて深い山に入っていくような風景になりつつある。超古い民家もあり、日本の田舎が健在だ。そして上り勾配が感じられる。

 駅前の総合病院が目立ち、人家も多い緒方に停車し、だいぶ山峡らしくなってくると、やがて豊後竹田到着のアナウンスが入る。滝廉太郎の出身地で、昔から、列車が着くと荒城の月のメロディーが流れた駅だ。主要駅だからそれなりの乗降客があるだろうと期待する。この駅は竹田の町はずれにあり、右手は岩山という険しい地形にある。町は駅の左手に広がる。ここが意外なことに、乗降客が殆どなかった。荒城の月の音楽も、少なくとも車内には聞こえてこない。豊後竹田も寂れてしまったのか、たまたまなのか。

 豊後竹田を出ると、鉄橋で川を渡る。水量多し。またしてもぐんぐんと勾配を上る感じがわかる。いよいよ阿蘇へ向かって、と思ったら、妙に開けた場所に出た。国道沿いに色々な店もある。ドコモショップとかもあり、新しい家も多い。竹田とはこんなところか、と、これだけを見て思ってはいけないだろうが、車時代の新市街地だろう。玉来通過。単線の無人駅で、駅前に鳥居があった。玉来を過ぎると竹田の町も果て、いよいよ阿蘇へ向けてという感じになり、上り勾配もきつくなるが、車窓は両側とも森ばかりで、格別の風景ではない。車内は静かで、寝ている人が多い。これでは車内販売の商売も大変だろう。

 駅間が長く、4分停車の豊後荻に着く。構内踏切のある昔ながらの駅で、紫陽花が咲いている。大分行のホームでおじさんが2人、列車を待っている。駅裏は倉庫。ここから阿蘇の外輪山を越えて、阿蘇に入るのだが、あいにくのどんよりとした天候で、あまり強い印象が残らないのが残念だ。しかも眠くなってきた。外輪山を隧道で越えた次の波野が、九州で一番標高の高い駅である。

e0028292_0272172.jpg ぼんやりと過ごすうちに、阿蘇観光の拠点駅の一つ、宮地に着く。観光客とおぼしき人が多少乗ってくる。続く阿蘇も同じで、他方、大分方面からの客は殆ど降りない。別府・大分からの客は殆ど熊本まで乗り通すのだろうか。このあたり、阿蘇外輪山の内側は、思いのほか広々とした田園地帯で、険しさはない。遠くに山が見えるものの、線路の周囲は平坦な盆地という感じがする。続いて停車した赤水も、駅の右手は広々とした田園が広がっている。それが変わってくるのは立野で、ここは有名なスウィッチバック駅だ。何もない所で停車し、後退してホームに入る。ここも多少の乗車客がある。再び前進して発車。

e0028292_0273943.jpg 立野からぐんぐんと勾配を下って、次の停車駅は肥後大津。ここは熊本の通勤通学圏の限界点にあたる駅だ。熊本空港にも近い。ここから電化区間となり、熊本との間は列車本数も多い。にわかに都市圏に入った感じとなり、阿蘇の田舎の風情も消えうせた。しかもこの区間には、武蔵塚とか、さらには光の森などという新しい変な名前の駅があり、新しい駅のくせに、昔からの駅を差し置いて特急が停車する。さらに、熊本市街に近い水前寺、そこから僅かの距離の新水前寺と、特急ともあろうもの、連続停車する。多少の下車客があったが、殆どはそのままで、次が熊本である。それぞれの駅に特急が停まるべき理由があるのはわからぬでもないが、全体として停車駅が多すぎると思う。

e0028292_02806.jpg 熊本では流石に殆ど全てといっていいほどの客が降りた。この列車に限って言えば、別府か大分から熊本までの通し利用者はかなり多かったことになるが、熊本をまたいで先へ行く客は殆どいない。夕方でもあり、代わって熊本から人吉へ帰る客がどっと乗ってくるのかと思ったが、僅かしか乗ってこなかった。よってガラガラとなった特急は、夕方の気配が漂い始めた鹿児島本線を南下する。同じ車輛だが、複線電化の幹線だけあって、スピードも出る。けれどもこの列車は松橋に停まる。それなりに利用者もある熊本郊外の駅だが、一昔前の常識では、特急が停まるような駅ではない。現に乗降客は殆どなかった。そして次は新八代。昔は熊本と八代は特急なら一駅ノンストップだが、色々な事情で今は違う。この新八代は、新幹線への乗り継ぎ駅だが、この列車から降りる人は殆どない。それも当然で、この列車が熊本で5分停車している間に、博多からのリレーつばめが先に発車しており、この列車のすぐ前を走っているのである。この列車で大分方面から鹿児島方面へ行く場合、この列車を熊本で降り、急いでリレーつばめに乗り換え、新八代でもう一度乗り換えるのが一番早い。それをせず、新八代までこの列車で来てしまうと、新幹線が1本後になる上、新八代では同じホームでの乗り換えもできず、何もない退屈な新八代で待たなければならない。ともあれ、新幹線の開通によって、大分~鹿児島の鉄道での最短時間ルートは、熊本経由になった。日豊本線宮崎経由と所要時間を比べると、随分と差が大きい。今さらながら、新幹線とは凄いものだと思う。

 新八代を出ると、すぐ八代。新幹線ができたがためにローカル駅に成り下がった駅は多く、ここもその一つだろう。それでも肥薩線のおかげで、こうしてまだ特急が発着しているのがせめてもの救いかもしれない。若干の乗降客がある。

e0028292_0282225.jpg 八代から人吉までの最後の区間は、ひたすら球磨川に沿う景色の良い区間だ。球磨川は、日本三大急流の一つとして知られ、沿線の中上流地域は球磨焼酎の産地としても名高い。けれども、山と急流に挟まれ、耕地も少なく、人口も稀薄なエリアである。特急は、坂本、一勝地、渡と3つ停車するが、どこも乗降客は少ない。それ以外の普通列車しか停まらない駅はさらに利用者が少ないことだろう。

 そんな区間を、夕闇迫るガラガラの特急列車でゆったりと景色を眺めながら行くのは、汽車旅の醍醐味とも言うべきであるが、列車が空いており、沿線も思いのほか寂しいのが気になる。折角できた九州横断特急も、人吉の経済次第では、先行きどうなるかわからないのではないか、と思うと、暗澹たる気分になった。


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 定刻19時28分に人吉着、それでも3輌の車内からはそれなりの客が降りてきたので、とりあえずはホッとする。ここは人口3万7千、駅付近に温泉も湧く、古くからの盆地であり、球磨焼酎生産地の中心都市でもある。夏至に近い夏の九州、この時間でもまだ明るさが残っているのも嬉しかった。
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by railwaytrip | 2007-07-16 14:43 | 九州・沖縄地方

函館本線/宗谷本線・札幌~天塩中川

 日本の最北端を目指す宗谷本線。今日、本線とはいえ、実態はすっかりローカル線になってしまっている。今日は札幌から、その半ばにある天塩中川まで、特急スーパー宗谷の旅を楽しむことにした。


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 宗谷の発車時刻である8時30分は、札幌駅の朝ラッシュのピークだ。東京ほどではないというものの、札幌駅には各方面からひっきりなしに通勤列車が到着し、大勢の人を吐き出している。大都会の通勤風景がすっかり定着している。その人混みの激しいホームから、僅か4輛の特急が発車する。とはいえ、旭川までは30分間隔の都市間特急列車の役割も担うため、このスーパー宗谷は日によっては大変混雑する。今日はそれほどでもなく、普通車指定席は8割の乗りであった。早めに押さえてあった私の指定席は進行右側の窓側。隣の席にはおばさんが座った。手に滝川までの切符を持っているのが見えた。稚内行といえども、短距離利用者の方が多いのかもしれない。

 江別までの沿線は、すっかり住宅に埋め尽くされてしまった。江別を過ぎて、夕張川の鉄橋が近づくあたりで、ようやく北海道らしい広々とした風景に出会う。しかしその次の豊幌は、昔は小さな無人駅だったのに、今は駅周辺に新しい住宅がかなりできている。日本の大都市近郊では、まだまだ鉄道沿線から開けていくケースも多いようだ。幌向、上幌向も、昔は札幌近郊であることを忘れるような田舎の集落だったが、今は新しい住宅が見られ、新興住宅地らしくなりつつある。けれどもそれも岩見沢までだ。

 岩見沢を出れば流石に札幌郊外の雰囲気は消えうせ、広々とした空知の田園地帯を列車は快走する。検札に来た初老の車掌が、隣のおばさんの切符を一旦見た後、もう一度戻ってきて「すみません、滝川でしたか。失礼しました。滝川、深川、旭川と、川が続くので、最近はぼけてきて混乱してしまって」と、ユーモアたっぷりに詫びている。旅を楽しくさせてくれそうな車掌に出会えて嬉しい。その滝川でおばさんを含め、この車輛からも5人ほどが下車、続く深川は下車が少なかったが、旭川ではかなり下車し、代わって乗車する人もいるが、下車よりは少なく、車内は6割ぐらいの乗車率になった。旭川の高架化工事はまだこれからのようで、昔からの駅が健在であった。

 旭川を出るといよいよ宗谷本線に入る。比布までは旭川郊外で、住宅も散見されるが、その先は田舎の色が濃くなっていく。交換設備もある蘭留は、塩狩峠の手前にあり、平地の果てる所にある、雰囲気の良い駅であった。蘭留を出ると一気に峠道に入り、三浦綾子の小説でも知られる塩狩峠越えに臨む。新型の特急気動車は、急勾配をさして速度も落とさずに上っていく。その塩狩は、サミットにあり、温泉旅館があるものの、人家も稀な駅である。今度は峠を一気に下り、平地に降りて少し走るとやがて和寒。旭川を出て最初の停車駅である。下車したのは1人だけのようであった。和寒とはいかにも北海道らしい味のある駅名である。

 和寒から名寄までは、概ね平地で、水田が多い。その中を小さな乗降場があるかと思えば、時にちょっとした集落の駅を通過する。剣淵や風連など、町の中心であり、人家もそれなりに多いので、加減速性能も増した新型特急列車を停車させて利用増を図れないのかと思ったが、和寒の乗降客が1名だけという現状を見てしまうと、あまり意味がないのであろう。それに対して士別はかなりまとまった人数の下車客がある。やはり町と市の差は大きいようだ。駅自体も、本線の主要駅らしい風格が感じられた。

e0028292_1271257.jpg 名寄着10時44分、札幌から2時間余り。ここはかつて、名寄本線と深名線の分岐した道北の主要駅だが、今はただの途中駅だ。それでもかなりの乗客が下車する。スーツにネクタイ姿のビジネスマンもいる。逆に言うと、名寄から先は稚内まで、途中に市もなく、ローカル色が濃くなるのだ。近年、高速化改良工事が行われたのもここまでである。

 名寄の街を出て次の日進まで来ると、左から天塩川が近づいてくる。ここから先の宗谷本線は、川原も作らずにひたすら滔々と流れる水量豊富な天塩川に沿って下っていく。人家はいよいよ見られなくなり、スピードも落ちた。日進の次に最近まで智東という駅があったが、乗降客がなくなったため最近廃止された。貨車を改造した駅舎はまだ残っていた。

 美幸線が分岐していた美深は、名寄以北では大きな町だが、さほどの下車客はない。やはりこのあたりの中小の町は一昔前から比べても活気を失っているのだろうか。行き違う列車もなく、これが本線かというほどに交換駅も少ない。かつての交換駅の多くも単線化されてしまっており、使われなくなったホーム跡が草に覆われて朽ちかけているのも、各地のローカル線に共通の風景となった。美深の次の交換駅は豊清水で、駅は健在なものの、駅前に一つ廃牧場が見られる以外に人家は見当たらなかった。

e0028292_1282056.jpg そして音威子府。かつて天北線が分岐していたため、名寄以北では一つの鉄道の要衝で、村の規模に比して大きな駅があり、名物の駅そばがあり、鉄道員住宅もある。普通列車はこの駅止りや長時間停車も多く、駅名も実に北海道らしく、そのため、特に観光名所がある所ではないが、立ち寄る旅行者も多いようだ。しかしここは沿線唯一の村である。それに対して、これから行く天塩中川は、村ではなく、中川町という町なのだが、駅名も平凡な単なる途中駅という感じが濃く、宗谷本線の特急停車駅の中で、一番話題に上ることの少ない駅ではないかと思う。

 音威子府から天塩中川の間、特にその中間の、筬島と佐久の間は、天塩川にひたすら沿ってカーヴを繰り返しながら進む、この線の一つのハイライトだと思う。かつて途中に神路という駅があったが、利用者皆無となり廃止された。今、注意深く見ていると、駅舎があったと思われる土台だけが残っているが、あとはもう自然に帰してしまっている。

 さて、定刻12時01分着、天塩中川に着いた。札幌から3時間半かかった。降りたのは私の他に3、4名であった。特急停車駅なのに無人駅で、車掌が切符を回収している。時代もここまで変わってしまったかと思う。


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 閑散とした町だが、町を貫く国道沿いが一応の中心街となっていて、お店もいくつもあり、スーパーもある。その先には役場などがあり、その向こうが天塩川である。ここで見る天塩川は護岸工事も行われていて、途中区間で見たような原始のままの天塩川とは違う。特にこれといって素晴らしい景色ではない。


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 廃集落の多い北海道の田舎にあって、中川はまだかろうじて、町としての体裁を保っているようであった。町を歩いている人は少なく、いても年寄りが多いが、入ったスーパーでは若い男女の店員が何人も働いていた。モダンな建物も多いが、開拓時代の面影を残すような木造家屋もまだ多く健在なのが嬉しい。


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それに、内地は梅雨の季節だが、爽やかな夏晴れの日に当たったのも嬉しく、ちょっとした中川歩きは、思ったより面白かった。しかしやはり、寂れゆく町の一つには違いなく、一抹の寂しさも感ぜずにはいられなかった。
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by railwaytrip | 2006-06-15 08:30 | 北海道地方

Manchester ~ Birmingham

 マンチェスターからバーミンガムへ、インターシティーで2時間弱の旅。イングランドを代表する工業都市・産業都市同士、列車本数も多く、鉄道が今も交通の主要な役割を果たしている区間であろう。風景はおおむね平凡で、イギリス屈指の退屈な区間であるが、鉄道発祥の国イギリスのビジネス特急は今いかに。

 イギリスは普通に切符を買うと馬鹿みたいに高いので、インターネットで事前予約してある。窓口買いの片道だと22ポンドだが、私の切符は9.50ポンドと半額以下。その代わり指定された列車にしか乗れない。それが、Manchester Piccadilly 発11時24分の Virgin Train。新型車輛の4輛編成。私の座席は3輛目の進行左窓側。各座席の下にパソコン用コンセントも付いている。この列車を選んだのは、この前後では、これが一番安かったからだ。座席指定だが、殆ど意味ないぐらい空いている。外も天気は今いち、どんより曇っているが、イギリスの冬の典型的な天気で、雨が降っていないだけでも良しとせねば。


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e0028292_22384072.jpg 最初は高層ビルも目立つマンチェスターの街を走り、9分で最初の停車駅、Stockport。ホームの赤い柱がちょっと印象的な駅だ。(写真左は、Stockport到着の手前の車窓。)ここで少し乗車があり、客が増えた。といっても3割にも満たない乗車率だ。そこを出るとにわかに農村風景になった。曇っているためか、昼近いのに何となくうすら暗い風景の中、列車はさほどスピードも出さず、淡々と走る。

e0028292_2239285.jpg 次の Macclesfield は、小さな町で乗り換えもないが停車。ここで早くも下車する客が多い。これは一応、Virgin の長距離列車であるが、別に特急料金があるわけでもないし、日本以上に短距離利用が多いようだ。この車輛の乗客は10人ぐらいになってしまった。ホームにいた女性駅員が、フライパン型の標識を恰好良く掲げて発車合図をする。

 外は農村で時々牛がいる。大体平地で時々ゆるやかな起伏がある。時々家が増えてきて、駅がある。イギリスの町はまだ結構鉄道に沿って開けたところも多いのか。工場もあり、大手スーパーのテスコが突然現れたりする。全くの田舎でもないのだ。分岐駅の Kidsgrove は、乗り換えもあるし、それなりの町のように見えたのだが、通過する。続いてその次の小駅、Longport を通過、ここは町は小さく、駅も大きくはないが、構内に引込み線があり貨車がかなり留置してあった。日本でいう昔の一般駅だろう。日本でも少し前まで当たり前だったああいう駅が、イギリスも減ってはいるんだろうが、まだ健在のようだ。

e0028292_22394168.jpg 次の停車駅、Stoke-on-Trent に停まると、また短距離利用者が数名降りる。イギリスの駅はどこもレンガ造りで重厚だ。さらに空いたかと思うと、ここでかなり乗ってきた。ここは郊外の田舎町という感じだが、遠くに10階建てぐらいの高層アパートが結構見えたりする。古い教会もあり、新旧渾然としている。レンガ造りの古い建物が多くて、日本の軽薄な風景に比べると重厚でいいようだが、冬はこれが逆に重苦しく感じてしまう。とはいえ、取り壊したりせず、ずっと残して欲しいとは思う。

 しばらく平凡な農村地帯を走ると、突然左手に大きな Wedgwood の工場が見え、その先ですぐWedgwood という小さな駅を通過した。そんな駅があるとは知らなかった。この駅を利用して通勤している工員もいるのだろうか。その先にはStone という分岐駅もあるが、ここは通過。雑然とした住宅地や工場の散在する場所だ。うすら寒い冬のイングランドの風景が展開する。駅を出るとまた農村となり、羊もいる。女の車掌が頻繁に検札に回っている。短距離利用者が多いからこの程度の混み具合でも結構忙しそうだ。車内で切符を買っている人もいるが、別にペナルティーフェアではないのだろうか。しかしこの列車、ちょっとスピードを出したと思うとすぐ遅くなり、結構時間がかかる。平均時速もそんなに速くなさそうで、逆に言えば工夫次第でまだまだスピードアップできそうな気がする。

e0028292_2240211.jpg Norton Bridge を通過。ここも分岐駅だが、農村地帯にあって人家も少ない寂しい所にある駅だ。こんな所でもイギリスのこのあたりは線路がかなり入り組んでいる。ここで別の幹線に合流した筈なのに、またのろのろ運転でスピードがでない。これでは車との競争に勝てず、客が減ってまた運賃が上がり、世界一高い鉄道になってしまうと、心配になる。そして駅間の何もない所で停まってしまった。(写真左はそこ場所の風景。)線路のすぐ脇を小川が流れていて、フィールドが広がっていて、小さな沼があり、その向こうに家が数十軒固まっている。寒々しい風景には変わり無いが、これも夏の晴天だとまた大いに違って見えるのであろうが。動き出した。沼がいくつかあって、野鳥の保護区にでもなっているのか。犬と散歩している老夫婦らしき人がいる。イギリスの冬の典型的な寂しい風景である。情緒があって良いが、長く滞在すると気が滅入りそうである。

 そこからほどなくすると、次の停車駅、Stafford に着く。だいぶ降りる人がいる。殆どが短距離利用者で、この車輛でマンチェスターから乗り通している客は、私の他には老夫婦1組だけではないかと思う。ここも大きくて重厚な駅だ。しかしどこも似ているといえば似ている。停車時間も長いが、特に遅れているわけではなさそうだ。こんなにのろい特急ではいけない。やる気がないのか、それともJR西日本じゃないけど、民営化後の混乱の反省でゆとりダイヤにしたのか。と思っていると、向こうのホームに同じ方向から別の Virgin Train がやってきて通過した。あれに抜かれるための停車か?あちらは6輛で、やはり空いていた。もしかするとこの列車はのろいから、それで切符が安かったのかもしれない。だから一層短距離利用者が多いのかもしれぬ。それでもなかなか発車せず、続いて貨物にも抜かれた。これでは鈍行だ。10分以上停まってやっと発車。

 Stafford を出てしばらく、やっと高速になった。隣に幹線道路が並行してくる。交通量が多い。イギリスも車社会だ。あいかわらず単調な農村で、さして素晴らしい景色でもない。時々家があったり工場があったりする。次の停車駅は Wolverhampton で、この駅名は列車の行き先としてロンドン・ユーストンでもおなじみだ。ユーストンからバーミンガム方面への列車の多くがここ行きなのである。バーミンガム郊外の街なのだろう。観光ガイドブックなどに絶対載っていない所だ。昔は鉄道の町だったに違いない。いや今も結構それなりかも。鉄道関係者が沢山住んでいそうだ。そう思っていると、工場や倉庫が目立って増えてきた。古いレンガ造りのもあるが、味気ないモダンなのも多い。ごみ捨て場もある。殺伐とした風景である。でも非常に味のある古い工場もあったりして、重厚な感じだ。取り壊し寸前の建物もある。実に重々しい。間もなく Wolverhampton というあたりまで来ると高層マンションは20階建てぐらいになる。しかし駅は意外とモダンで、重厚な駅ではない。古すぎて逆に新しくされてしまったのだろうか。これではますます降りたくなくなる。ここからバーミンガムはもう一息で、ここからは本数も増えるが、それでもこの列車に乗ってくる人がそれなりにいる。もう市内利用区間って感じだろう。停まった目の前に First class 専用待合室がある。ガラス張りなので外から中が丸見えなのだが、おじさんが一人だけ新聞を読みながらコーヒーを飲んでいる。ここも停車時間が長い。遅れているわけではなく、定刻運転だが、余裕がありすぎるようだ。

e0028292_2240476.jpg そして定刻13時11分、バーミンガムの中心駅で、シティーセンターにも近い、Birmingham New Street に着いた。谷間にあって、上をビルが覆っているため、昼間でも薄暗い駅だ。最後までこれといって快適な走りっぷりを見せてくれず、インターシティーとは名ばかりの、短距離客の多いローカル急行という風情であった。

※ 車内から窓ガラス越しに撮った写真が多く、反射等で鮮明でない点、ご了承下さい。窓が開かないのでどうしようもありません。
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by railwaytrip | 2006-02-07 11:24 | イギリス