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Wroclaw Glouny ~ Szklarska Poreba Gorna

 ポーランドは大きな国である。広いばかりで平坦地が多いイメージがあり、こう言っては悪いが、ヨーロッパの中では、あまり真っ先に旅行をしようと思わない国ではないか。そもそも平均的な日本人に、ポーランドの都市名を知っているだけ挙げよと聞いたとして、首都ワルシャワ以外にどこか答えられる人がどれだけいるだろう。

 こう書いている私も、ポーランド訪問は初めてである。数えてみると、ヨーロッパで27ヶ国目であるから、やはり優先順位が低いというのか、あまり積極的に行こうと思わないで今日に至ってきた。いや、実は今回もそこまで気乗りがしなかったのだ。理由は、何もよりによって冬至の日に、ヨーロッパ標準時(グリニッジ+1)を使っている国々の中でもとりわけ東に位置するポーランドにわざわざ行かなくても、と思ってしまうのだ。東ということは、夜明けも日没も早いことになる。

e0028292_5172476.gif けれどもひょんなことから、Wroclaw(ヴロツワフ)というポーランド第四の都市に泊まることになったので、冬至の日は丸々一日、ポーランドの鉄道に乗る時間に当てることにした。どこへ行こうか色々迷った挙句、Szklarska Poreba Gorna(シュクラルスカ・ポレンバ・ゴルナ)という所まで往復することにした。といっても、どんな所か想像すらつかない。トーマス・クックの鉄道地図に、その方面に景勝路線の黄緑色が塗られていたのがきっかけで、それでインターネットでポーランド国鉄の時刻表を調べたら、Wroclaw から延々かけて、ここまで直通の長距離鈍行があることがわかったのだ。Szklarska Poreba Gorna はチェコの国境に近い辺境らしき所にある盲腸線の終着駅で、その手前には、Jelenia Gona という分岐駅がある。ここはある程度の町らしい。ちなみにトーマス・クックの時刻表にも、ここまでは掲載されているが、その先の盲腸区間は載っていない。だから、Jelenia Gona まで行って、そこから区間運転の盲腸ローカル線に乗り換えるのだろうと思って調べているうちに、Wroclaw からの列車がそのまま直通していることがわかり、それなら全区間乗ってみようか、ということで、決めた。列車本数は少なく、朝は9時10分発に乗るしかない。これが終着までの158キロを4時間20分かけて走る。表定速度は36.5キロに過ぎない。途中停車駅は26駅なので、平均駅間距離は、5.9キロで、これは日本の国鉄時代の幹線の平均値といったところだろう。鈍足なので、途中で長時間停車などが沢山あるかというと、意外にも全くなく、途中は主要駅のJelenia Gona のみ2分停車、あとは1分ないし30秒の停車らしい。今はこういった細かな事まで、ポーランド国鉄のウェブサイトでわかるので、私はこの列車の各駅の着発時刻が掲載されたページをプリントアウトして持ってきている。


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 9時10分発に乗るために、ホテルを8時半に出る。北国の冬らしく、陰々鬱々としているが、中央駅にあたるWroclaw Glowny の駅前は、トラムが次々と発着し、なかなか活気がある。駅構内は古びているが、規模も大きく立派で風格がある。今日は土曜である。しかもクリスマス直前なので、昨日が仕事納めで今日実家へ帰る、といった人も多いと思われる。そのせいか、Szklarska Poreba Gorna 行きの列車が出るホームは大勢の人で賑わっていた。けれども発車5分前になってもまだ列車は現われず、ホームの行先案内板には別の列車が表示されていて、早速もって不安になる。発車時刻の9時10分を過ぎて、アナウンスが何やら告げると、ホームで待っていた人が移動を始める。勿論ポーランド語だけで、何やらさっぱりわからない。駅員をつかまえて聞くが、英語が通じないので、Jelenia Gona と書いたメモを見せると、あちらへ行け、と、ホームの前方を指さす。

e0028292_519302.jpg 9時20分過ぎ、長い編成の客車列車が入ってきた。わかったことは、この列車はここで半分に切り離し、一方がSzklarska Poreba Gorna 行きとなり、他方は別の所へ行くのだ。ホームの案内板は、その別の方しか出ていない。複数の行先表示ができない旧式のためらしいが、とにかくわかりにくい。もっともこのように遅れてきたので、今日だけの特例なのかもしれない。それよりも、乗客がかなり多いようである。鈍行ではあるが、車輛はコンパートメント車である。そのため、大きな荷物を持った人が狭い通路を行き来して空席を探している。大都市の主要駅を朝の9時10分に出る鈍行といえば、普通は通勤列車の折り返しなどで空いているもので、半ばそれを期待していたのだが、とんでもなかった。もっとも編成も客車3輛と、短い。機関車の次の車輛で、ようやく1人分の空席を見つけ、他の客に、空いているかと指さすと、頷いたので、そこに座る。ちなみにこのコンパートメントは東欧のスタンダードで、1室8人である。西欧では2等車でも1室6人が普通なので、やはりちょっと窮屈な感じがする。しかも乗客の荷物がかなり多いようである。のんびりした汽車旅を期待していたので、ちょっと残念だが、座れただけでも良しとしよう。

 既に遅れているので、乗客が乗り終わったらすぐ発車すればいいのだが、なかなか動かず、19分遅れの9時29分にようやく発車した。見事に満席で、通路にも客がいる。盛況である。薄暗い駅から出ると、朝靄に包まれた街も徐々に明るさを増してきている。ある所では路面電車と並行し、ある所では路面電車の走る道路を跨ぐ。ヴロツワフは路面電車がかなり発達した都市だ。そんな所をしばらく走ると、最初の駅、Wroclaw Zachodni に着く。駅名に Wroclaw が含まれているところから、市の郊外のターミナル的な要素があって、さらに大勢の客が乗ってくるか、と思ったが、その予想ははずれて、乗降とも殆どなかった。既に市街地は出たようだ。時刻表では、ここは9時18分着の19分発だが、実際の発車は40分。遅れが2分増幅している。以後、折角各駅の着発時刻のわかる時刻表をプリントアウトしてきたので、私は実際の発車時刻を書き込んでいくことにした。

 Wroclaw Zachodni を出ると、列車はそこそこのスピードで快走する。遅れを取り戻すべく頑張って走っているに違いないと思ったのだが、その次の駅、Katy Wroclawskie は、定刻9時30分発のところ、55分発で、遅れはまた4分増えて25分となった。列車が混んでいるとはいえ、乗降客は僅かで、乗降に手間取っているようには思えない。その次のImbramowice は、定刻9時48分発が、実際は10時13分発で、遅れ25分のままだ。そして、この駅を出ると、列車はスピードを出さなくなった。のろのろ運転である。工事か災害での徐行かと思うほどだが、そんな様子も見受けられない。このあたりまで来ると、車窓はかなりの農村となる。樹木は全て、白い霧氷に覆われている。ホームの屋根が見事に古くて今にも朽ち果てそうなZarow も、殆ど乗降客はない。やはりそれなりの長距離客が多そうだ。混んではいるが、コンパートメントの中は静かで、窓側の2人の老夫婦が連れである他は、全て一人客だということもわかってきた。その次の駅で、反対列車と行き違うが、あちらは見事にガラガラであった。

 それにしてものろい。車窓の風景も大柄で、そう変化もないので、こういう区間はもう少し高速な列車が景色を眺めるにもちょうど良いのだが、仕方ない。しかも、駅ごとに少しずつ遅れを増幅していっている。

e0028292_520928.jpg そして列車はWalbrizych という街を通る。地図によれば、それなりに大きな街のようだ。Walbrizych で始まる駅が4つ続き、4つ目が中央駅なので、そのあたりである程度下車する人がいるかもしれない。そう思っていると、2つ目のWalbrizych Miasto が近づき、車内が初めてざわつく。通路に立っていた人も、コンパートメントに座っていた人も、下車の支度を始める。ここは結構まとまった数の下車客がいる(写真左)。8人で満室だった私のコンパートメントからも3名が下車し、その後で通路に立っていた人が一人入ってきた。ヴロツワフからは1時間半かかっているので、毎日通うにはちょっと遠い。そこで、普段はヴロツワフにアパートを借りて住んで、週末だけ実家に帰る、という人も多いに違いない。

 その後も、駅ごとに下車が目立つようになった。Walbrizych Glowny は、中央駅であり、駅は大きく、構内も広く、かつて栄えた鉄道の要衝と思われたが、下車客はさほどではなかった。機関庫の片隅に蒸気機関車が保存されている。

 列車も空いてきたので、私もカメラを出して風景を撮ったりできるようになる。ただ、気がかりなのは、やはり駅ごとに遅れが増幅していることで、Walbrizych Glowny 発車時点で、遅れは40分にまでなっていた。この調子で平気で遅れられると、ちょっと困ることがある。それは、帰りである。終着のSzklarska Poreba Gorna での折り返し時間は、定時ならば1時間14分あるので、40分遅れで着いても、何とかなるが、帰りの列車もこんな調子でどんどん遅れてくれると、ちょっと困るのだ。というのは、私は戻ってWroclaw では53分の接続で別の列車に乗り換えなければならない。それは、その後の夜行列車のスケジュール上、是非とも乗る必要がある。だが、こんないい加減なダイヤでどんどん遅れるのが日常茶飯事となると、ちょっと不安になってくる。

 車内を歩いてみる。一番端、機関車寄りのコンパートメントは、車掌室代わりになっており、2人の車掌がお茶を飲んでいるところであった。さっきまでの混雑していた時は、一般客が乗っていたのか、その時から車掌専用だったのか、それはわからないが、とにかく、ノックをして入っていき、英語が話せるかと聞いてみた。遅れのことを聞きたかったからである。しかし残念ながら、答えはノーであった。(余談だが、ヨーロッパで、Do you speak English?と質問して、その質問の意味すらわからないという顔をされたことは、殆どない。英語ができない人でも、この英語はわかるらしく、即座にノーと答える人が多い。)しかし、若い方の車掌が立ち上がり、隣のコンパートメントへ行った。そこには4人ほど客がいた。車掌がお客に向かって何かポーランド語で質問する。誰か英語ができる人がいないか、と聞いているようだった。すると窓側の席に座っていた中年の女性が応答した。その女性が私に向かって、英語で「何を聞きたいのか」と言う。そこで、私はこの列車で終点まで行って、Wroclaw まで戻り、そこで乗り継ぎがあるのだが、この列車の遅れを見ていると、それが心配だ。Wroclaw を出る時は20分の遅れだったのが、今は40分以上遅れている。今日は工事か何かがあるのか、戻りの列車もこういう風に遅れる可能性が高いのか、というような質問をした。するとその女性は、車掌に翻訳して伝える前に、私に向かって「そんなのはいつものことよ。この線は設備も車輛も古くて、時刻通り走ることなんか滅多にないんだから」と、自分の知識と経験から言うのである。それでも、その後に車掌に私の質問を訳してくれた。その回答としては、折り返しは定時に出る予定で、そんなに大幅に遅れることはないので大丈夫だろう、という感じであった。

 お礼を言って自分の席に戻り、車窓を眺めたりしていると、しばらくして、さっきの車掌と女性が私のコンパートメントにやってきた。女性が英語で私に話しかける。「この列車は、Szklarska Poreba Gorna には遅れて到着するが、折り返しは定刻に出る予定だ。ということは、Szklarska Poreba Gorna での滞在時間は30分弱しかない。あなたはSzklarska Poreba Gorna に何か目的があって行くのでしょう。人と会うのか、重要なビジネスがあるのか、その時間が十分取れないかもしれないけれども大丈夫か。」と。考えてみれば実にまっとうな懸念である。これが日本ならば、この人は汽車に乗るだけが目的で、というのも珍しくないが、外国ではそういう概念が通じないことの方が多い。そちらの方が正常だとも思う。そこで私は、いや別にSzklarska Poreba Gorna に特にこれといった用事はないので、30分でも大丈夫だ、と言ったが、車掌が、それなら何故乗っているのか、というような顔をするので、トーマス・クックの地図を広げて、ほら、この区間が景色のいいルートとして色付きになっているでしょう、今日の私はホリデーで、この景色を車窓から楽しもうと思って乗っているんですよ、と説明してみた。これはどうにか理解されたらしく、彼らは自分の席に戻っていった。

e0028292_521726.jpg Walbrzych から先は、トーマス・クックの地図ではずっと景勝路線の色がついている。確かにそれまでの平坦で平凡な風景に比べれば、起伏も出てきたし、悪くはない。けれども格別というほどのこともない、というか、欧州にこの程度の風景はいくらでもあるような気がする。写真左はそんな区間にある、Sedzislaw という駅で、乗換駅でもないが、このように立派な駅舎がある。多少退屈ではあるが、爽やかな冬晴れで、青空が広がってきたので、気持ち良い。鬱々とした薄暗い天気に満員の列車という朝の気分もどこかへ吹き飛び、来て良かったという気持ちになってきた。

 主要駅のJelenia Gora には、41分遅れの13時03分に着いた(写真左下)。ここから先は、トーマス・クックの地図でも細線のローカル盲腸線である。ここで残っていた客の大半が下車する。乗車も少なく、車内はガラガラになった。私のコンパートメントも、窓側の席の老夫婦のみとなった。他のコンパートメントは、空になった所もいくつもある。老夫婦は人柄も良さそうで、別に一緒にいるのがいやではないが、英語も通じないし、窓側の席に座りたいというのもあり、私は別のコンパートメントに移動した。

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 ここからいよいよ盲腸ローカル線に入る。実際、ここからは単線で、出てほどなく田舎の景色になり、深い谷を鉄橋で渡った。しかし、その先は平地が開けており、住宅が増えてきて、工場なども現われるようになる。そして駅間距離も短くなり、町の郊外の駅にちょこっと走っては停まる。そのたびに数名の客が下車する。写真右上は、その一つで、Jelenia Gora Sobieszow という駅である。そんな所をしばらく行き、6つ目のPiechowice という構内の広い駅を過ぎると、ようやくそういう都市郊外の風景が消え、列車は勾配を上り始める。再び駅間距離も長くなる。次のGoreynec という単線の無人駅は、小さな待合所があるだけで駅舎もなく、どこまでがホームでどこまでがその他の土地なのかもはっきりしない。だいぶローカル線っぽくなってきた。この駅では乗降客はいなかった。


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 Goreynec から先、線路は右へ左へとカーヴが続き、上り勾配もきつくなる(写真左上)。進行左側は谷で、時に美しい山村集落が見られる。右手は山である。沿線の雪も徐々に深くなっていく。ここは次の駅まで20分かかる。ぐるりと半周以上のカーヴを描く所もある。景色は田舎だが、時々リゾートホテルともお城ともつかないような建物があったりする。その一つでとりわけ目立つ建物の下を通るが、駅はない。大きなカーヴを描いて、2分後、その建物が谷の向かいに見える(写真右上)。そうしてのんびりしばらく走って着いた駅は、Szklarska Poreba Dolna という駅で、3語のうち2語は、終着駅と同じだ。要するに終着駅と同じ村の駅ということだが、とにかく駅名が長い。ここは交換設備が撤去された跡がある。日本のローカル線でもおなじみの光景だ。山の中の高台にある駅で、人家も僅かだ。もう終着も近そうだが、遅い列車はさらに10分走って、Szklarska Poreba Siednlaという、もう一つの長い名前の駅に停まる。そして、その先では小さなスキー場の脇も通る。そして、俄かに洒落た山小屋風の家がいくつも現われて、列車はようやく終着駅、Szklarska Poreba Gorna に着いた。14時14分着で、44分遅れであった。


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 それほど大きな駅ではないが、一日数本のローカル盲腸線の終着駅としては十分立派である。他に2編成の列車が停留している。駅舎は古いが、大きく立派だ。かつての繁栄が偲ばれる。中に入ってみると、ガランとはしていたが、窓口が一つ開いており、切符を売る係員がいる。駅前には迎えの車が2、3台とタクシーが2台いて、今の列車で降りた客を拾って去った。駅前には店の1軒もない。というか、とても静かそうな所だ。果たして30分の間に店が見つかるだろうか。というのも、私は昼食を持ってきていない。ここで買えないとなると、完全な昼抜きになる。これはかなり辛い。


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 駅前から雪で滑りやすくなっている坂道を下りてみる。別荘風の瀟洒な建物が散在し、森に囲まれた、いかにも避暑地風の場所である。夏は避暑、冬はスキーという場所らしい。そんな坂道を2分ほど下ると、幸い、1軒の、古いが立派な建物の商店があり、店も開いていた(写真左上)。何とかパンとジュースが手に入るのでホッとする。パンを二つ、これとこれ、と指さすと、おばさんがドイツ語で「ツヴァイ?」(2つか。?)と聞き返す。EUになってもやはりここは東欧だ。おばさんの学生時代は、第一外国語がドイツ語という時代だったのだろう。相手が外国人の時はドイツ語が自然に出てくる。次の世代では、このあたりでもこれが英語に取って代わるかもしれない。便利だけど味気なくなるなあと思う。ともあれ、私も数字ぐらいは何とかわかるので、無事ドイツ語で支払いも済ませ、発車まで駅と駅周辺を歩き回ってみた。天気が良いので散歩に出てきている風な人もいるが、静かな山村である。地図で見ると、チェコの国境まで5キロ足らずしかない。後で調べると、森林やら滝やら、自然の景勝地も多く、ポーランドではそれなりに知られたリゾート観光地らしかった。

e0028292_5274942.jpg 駅に戻ると、さきほどの車掌がにこやかに迎えてくれた。駅や車輛の写真などをたくさん撮っていたので、車掌も十分理解したと思われる。そして、私の懸念を振り払うかのように、今度はピッタリ定刻に発車した。この車掌は、Jelenia Gora までが今日の勤務らしく、そこで下車していった。帰りは最後までガラガラで、コンパートメントを一人独占して、飽きるほどの鈍行の旅を楽しんだ。途中で冬の短い日も暮れた。やはり日没の早い冬の旅は寂しい。最後の区間を除くとやや平板な車窓だったし、そんな汽車旅で丸一日をつぶしてしまったが、それでも楽しかった。Wroclaw Glowny には、10分程度の遅れで到着した。この鈍行はここが終着ではなく、ここからまた2時間半ほど走り、Poznan まで行くのであった。日本ではすっかり消えてしまった客車の長距離鈍行がまだまだ健在なのは、かなり羨ましい。
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by railwaytrip | 2007-12-22 09:29 | ポーランド

只見線・小出~会津若松

 時間を忘れて本物のローカル線にのんびりと長時間ゆられてみたい。そんな願望を満たす線区をいくつか絞った結果、只見線を選ぶことにした。水郡線や米坂線などもかなり食指が動いたが、一部区間を除くと長いこと乗っていない只見線の全線走破列車にタイミング良く乗れるスケジュールが組めた。但し、最後は夜になってしまうが、これは日の短い晩秋ゆえ、やむを得ない。

 只見線は、沿線人口の稀薄な山間部の豪雪地帯をのんびり走る長大ローカル線であること自体、昔も今も魅力尽きない線だが、只見線を選んだ理由は他にもある。それは、この線が古きよき時代のローカル線の面影が濃く残っているからだ。最近はローカル線といえども、車輛がモダンになり、ワンマン列車となった所が多い。しかし只見線は、昔ながらの4人掛けボックスシートがメインの、国鉄時代末期に製造されたキハ40などが使われており、車掌も乗っている。ローカル線とはいえ、一昔前まで当たり前だったことだが、最近は極限なまでの合理化により、変貌してしまった。只見線は、まだその改革が及んでいない。

e0028292_1165935.jpg 乗るのは小出13時17分発の会津若松行で、小出からの列車としては、何と05時30分の始発列車に続く二番列車なのである。越後湯沢方面からの普通に15分で、長岡からの普通列車に8分で接続しているが、乗り換え客は少ない。かといって始発駅とはいえ小さな町、小出からの客も多くない。要するに、期待通り、といっては悪いが、閑散期・平日の昼下がりという時間帯、乗客は見事に少ない。私自身、それを狙ってこの時期を選んだわけでもある。青春18切符などの時期は、だいぶ様子が変わるそうだから。2輛編成のディーゼルカーの乗客は合わせて20名余りといったところだろうか。いずこも同じで中高年客が多く、他は高校生が少々。

 定刻に小出を発車。魚野川に沿って長岡へ下っていく上越線とさらりと分かれると、その魚野川を鉄橋で渡る。水量は多い。目の前に迫った厳しい冬を思わせる、どんよりした寂しい天気で、いかにも寒々しい風景だ。山肌には雪が見られるが、地表にはない。稲刈りはとっくに終わっているが、キャベツ畑で収穫にいそしむ農業のおじさんを見かける。列車のスピードは遅い。上越線の普通列車から乗り換えても、かなりのギャップを感じる。新幹線からいきなり乗り換えだったらなおさらだろう。


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 最初の停車駅、藪神で、おばさんと女子高生が下車、次の越後広瀬でも同じくおばさんと女子高生が降りた。このあたりはまだ小出の郊外で、市内交通的に利用しているのであろうが、本数が少なく大変であろう。次の魚沼田中(写真右上)は、同じ新潟県(越後国)内の飯山線に越後田中という駅があるため、こういう駅名になっているが、乗降ゼロ、そして次は立派な駅舎がある越後須原で、委託の駅員もいる。委託の駅員は、列車に向かって深々とおじぎをするが、敬礼はしない。駅前には民宿などもあり、ちょっとした観光地にもなっているが、乗降客はなく、委託の駅員が気の毒になってくる。

 あいにく雨が強くなってきた。そしてこのあたりから地平にも残雪が見られるようになった。次の上条でおばさんが一人下車し、車内が閑散としてくる。平野が果てて山が迫ってきて、ここに最初の隧道もある。次は「ようこそ山菜共和国へ」の大きな看板のある入広瀬で、ここにも委託の駅員がいて、やはり列車に向かっておじぎをする。駅付近には結構住宅が多い。ここでおばさんが3名下車。それにしても、列車でこのあたりを訪れる観光客がどれだけいるのだろう。


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 入広瀬からは勾配がきつくなり、右手に魚野川の支流、破間川が沿う。まだ紅葉が綺麗に残っているが、すっかり雪景色になった。どんよりとした寂しい風景の中、柿ノ木に着く。ここは以前は臨時駅の扱いだった所で、山に囲まれて数軒の家があるだけの所だ。乗降客はいない。駅名と関係あるのかどうか、柿の木が2本ほどあった。そしてその次が新潟県側最後の駅、大白川(写真右上)である。ここも小さな集落だが、只見線が全通する以前は終着だった駅で、今も運転上の拠点駅なので、委託ではなくJRの正規の駅員がいる。委託の駅員と違い、列車に向かって敬礼をする。線路点検なのか、事業用列車が反対ホームに停まっていた。ここは時刻表を見ていると主要駅のようだが、実際は人家も少ない山の中の駅で、下車したのも1名だけであった。ここまでの途中駅で乗車客は全くなく、大白川発車時点での乗客数を数えてみると、私を含め13名であった。

 大白川を発車すると、小さな集落を見るが、その先は人家も途絶え、列車のスピードは落ち、いかにも苦しそうに勾配を登っていく感じになる。列車と並行しているのは道路と川で、道路の方にはスノーシェッドが多い。線路と道路が川の流れに沿って狭い土地を分け合いながら国境を目指して上っていく。列車の客も少ないが、国道を行く車も少ない。何もない所を10分余りも走ると、隧道に入る。これは六十里越隧道、1971年の只見線全通時にできた、全長6,359メートルの隧道で、新幹線を中心に、長い隧道が山ほどできた今でこそ、ものの数にも入らないが、当時は全国でベスト10に入った長大隧道であった。

e0028292_1204490.jpg その長い隧道をしばらく行くと、ディーゼルカーの音がニュートラルになり、峠を越えて下り坂になったことがわかる。ここが分水嶺で、新潟県から福島県に入ったことになる。にわかに列車のスピードが増した。そして隧道を出ると、鉄橋を渡り、もう一つ小さな隧道をくぐると、スノーシェッドに覆われた半地下のような寒々しい田子倉駅に着く。手前右手に、田子倉無料休憩所というドライブインのような建物が見えたが、閉鎖されて久しいのか、窓もベニヤ板で塞がれていた。この駅周辺には人家がなく、日常生活での利用者はいない。田子倉湖への観光や釣り、登山などの客ぐらいしか利用しない駅らしい。そのため、12月からは全列車が通過する。今日はまだ停車する。あと10日で今年の営業は終わりの駅だが、いずれにしても乗降客はいない。

e0028292_1211194.jpg 田子倉を出ると、右手にチラリと田子倉湖が見え、またすぐ長い隧道に入る。田子倉隧道で、3,712メートルの長さがある。下り坂のため、さほどの長さを感じずに出てしまった感じだ。そして少し行くと土地が開け、久しぶりに人家が現れ、線名にもなっている只見に着く。いかにも山村の村落という感じで、駅前に民宿なども見られる。線路の反対側はスキー場だ。ここも運転上の主要駅だが、大白川に比べると集落も大きく、小出からの客が7名ぐらい下車した。このあたりは福島県といっても、県内の主要都市である会津若松や、郡山、福島などは遠く、例えばちょっとした買い物や大きな病院なども、長岡の方が近いのであろう。そのため、県境を越えての細い日常流動があるようで、下車したのは地元の人っぽい客ばかりであった。

 只見を出ると、車掌が最後尾から2輛目の前の運転台に移ってきた。ここから会津川口までの途中駅は、ホームが1輛分しかないからである。通常のローカル線では、県境越えの区間が一番本数が少ないのだが、只見線の場合、福島県側の只見と会津川口の間が一番少なく、一日3往復となる。この区間の各駅は、どこも最低限の短いホームを設けただけの簡易停留場のような造りなのだ。しかし、人家もない田子倉に比べれば、各駅とも小さな集落があり、生活の匂いも感じる。けれども列車は只見でますます空いてしまった。途中駅での乗降は、会津横田で1名の下車があったのみで、この列車だけを見ると、もう風前の灯のような印象を受けてしまう。写真左下は会津蒲生駅到着手前の車窓右側、写真右下は会津横田駅。


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 そんな所を小さな駅に一つ一つ停車しながら進むにつれて、地表を覆う雪がどんどん少なくなり、会津越川まで来ると殆ど雪は消えた。その次の本名という駅は、古くて立派な日本家屋が結構密集した美しい集落であった。本名を過ぎ、只見川の鉄橋を渡り、只見川にぴったり沿った形で進むと、会津川口に進入、ここが、大白川、只見に次ぐ運転上の主要駅である。ここは、只見に比べても町が大きく、運転上というだけでなく、奥会津の一つの中核をなす町である。ここから会津若松の間は本数も倍増する。そして、こんなローカル線が、といっては失礼だが、会津若松21時40分発、会津川口終着23時28分という夜遅い列車まであって、びっくりさせられる。


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 列車はここで10分以上停車する。僅かに残った客の殆どがここで下車するのと引き換えに、次々と高校生が乗ってくる。一般客も多少いて、俄かに活気づいた。そしてここでは小出行き下り列車とも交換する。小出から2時間にして最初の列車交換である(今日は大白川で事業用列車との交換はあったが)。その反対ホームにいる小出行きは、これから今通ってきた、一日3往復だけの閑散区間へ乗り入れるわけだが、乗客は結構いた。あちらの列車では、1輛分のホームだけの小駅でも少しずつ下車客があるに違いない。


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 会津中川、会津水沼と、古い駅舎の残る無人駅に停まる。各駅とも周辺に人家も見られるが、乗降客はない。その次の早戸は、川に沿った寂しい所だが、駅と駅前の道路が工事中であった。ここでは降車も乗車も1名。このあたりまで下ってくると、山肌にも殆ど雪がなくなった。次の会津宮下(写真左上)は、立派な駅舎があり駅員がいる駅で、乗降客も見られ、只見線が生活の足として利用されているなと実感できるのが嬉しい。しかも、只見線の各駅は、まだ古い木造駅舎が多数健在だなと嬉しくなったが、その先は各駅とも新築の待合所風の駅舎になっていた。会津宮下とともに主要駅の会津柳津(写真右上)は、古い駅舎であった。恐らく、無人駅の方が放置すると荒れやすいので、先に古い駅舎を壊してしまっているのであろう。会津柳津の先で、車窓にコンビニが見えたが、そういえば小出以来、初めてこういうものを見たような気がする。

 晩秋の短い日がとっぷりと暮れてきた。そして殆ど夜になった会津坂下では、これまでとは比較にならないほど大勢の高校生が乗ってきて、一気に活気が出た。会津川口の高校生に比べると、良くも悪しくも現代っ子的な印象だ。会津高田でもう一度、高校生多数の乗降がある。外は真っ暗だが、まだ5時だ。

e0028292_124440.jpg そして会津若松の市街に入った西若松、七日町とも、かなりの下車客があり、終着会津若松に定刻17時18分に着いた。小出から4時間の旅であった。その昔、上野からの「急行ばんだい」で着いた時には、みちのくを色濃く感じたが、只見線4時間の果てに着いた会津若松は、都会の駅のようだ。とはいえ、駅を出てみれば、思いのほか寂しい駅前で、活気は感じられない。もっともこの駅の場所は、会津若松の市街地とは少々離れている。会津若松の夜の町を少し歩きたかったが、中途半端な待ち時間で郡山行がある。町を歩くほどの時間はないが、かといって待つだけでは退屈な、夜更けの会津若松駅であった。

※ この区間は、中部地方(新潟県)と東北地方(福島県)とにまたがりますが、福島県側の方が距離が長いため、便宜上、東北地方のカテゴリーに分類しました。
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by railwaytrip | 2007-11-20 13:17 | 東北地方

奥羽本線・弘前~東能代

e0028292_20265894.jpg 最近モダンな駅に改装された弘前。ここが始発で秋田までの約150キロを2時間半かけて走破する普通列車は、3輛編成の交流電車である。それなりに長距離を走るにもかかわらず、全てロングシートの、東京近郊と変わらぬ電車であるのは、誠にいただけない。これでは折角鉄道の旅を楽しもうという人どころか、用務客でさえ鉄道離れを起こす恐れがあるということを、JRの当局は考えていないのであろうか。私自身、これは二度と乗りたくないと思ってしまった。実際、発車数分前に、大きな荷物をかかえたおじいさんが「秋田はこれでいいんかいな」と車掌に尋ねながら乗ってきた。特急の本数もさほど多くないこの地方では、今の時代でも、ある程度の長距離客が普通列車に乗り合わせることも、ままあるのである。特急が30分毎に走る鹿児島本線などとは事情が異なる。

 何はともあれ、乗客は3輛合わせて30~40人ぐらいであろうか、昼間の閑散時間帯にしては悪くない人数だが、大鰐温泉と碇ヶ関で近距離客が下車し、だいぶ減ったようである。碇ヶ関までが弘前郊外と言える区間で、ここからは、険しい矢立峠の国境越え区間となり、日常的な流動は少ない筈である。その区間にある人跡稀なる山奥の駅、津軽湯の沢で、おばさんが一人下車した。左下の写真は津軽湯の沢停車中の車内風景。


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 秋田県に入った最初の駅、陣場(写真右上)では、一人の乗車がある。人口が少なくてもこうして普通列車が通れば利用者が僅かでもある。ほっとする光景である。というのも、今やそうではない所も少なくないからである。それにしても、さきほどの秋田までのおじいさんは、このロングシートにあぐらをかいて、所在なさそうに座っている。繰り返すが、これは長距離客にあまりに気の毒な座席である。

e0028292_2032186.jpg とはいえ、全体に占める長距離客の割合は少なく、大館では大半の客が入れ替わる。大館は昔ながらの鉄道主要駅の風格が今も十分の、重厚な駅だ。ここで車掌も交代する。今度は若い車掌で、マニュアル通りなのか、東京の電車と変わらない口調で案内放送を入れる。もとより方言もなく、一層旅情が薄らぐ。その放送の最後に「なお、途中の糠沢には停まりませんからご注意下さい。」と付け加えた。

 その糠沢という駅は、大館から3つ目、鷹ノ巣の一つ手前の駅である。いつの頃からか、時刻表を見ると、この駅だけ通過する普通列車が多いことに気づいてはいた。汽車時代には乗降場並みの小駅を通過する列車があったが、この糠沢はそれとは違う。その時代、秋田に近い上飯島を通過する列車はあったが、糠沢だけを通過する列車はなかった筈だ。逆に上飯島は、秋田に近いので、今は都市圏としての利用が伸びているのか、全ての普通列車が停車する駅に変わっている。それはともかく、糠沢とはどんな駅か、どうしても気になってしまう。


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 早口を出てしばらくすると、電車は田園地帯を快走する。ローカル鈍行でも、幹線を走る新型電車だから、スピードは速い。客車列車でのんびり行った時代は、それはそれで懐かしいし、何よりも旅情があったが、輸送機関としては、あのままでは駄目なことは私でもわかる。写真左上は糠沢手前の車窓。そして糠沢を高速で通過(写真右上)。確かに閑散とした場所にある駅だが、人家もパラパラと見られ、ここだけを通過するほど、明らかに差があるとは感じられなかった。昔の印象では、むしろ鷹ノ巣の次の前山の方が、米代川に沿った小駅というイメージが強かったのだが、さてどうだろう。

 糠沢通過の後数分で、次の鷹ノ巣に停車。元国鉄阿仁合線で、第三セクター化された、秋田内陸縦貫鉄道の乗換駅だが、この列車からは接続がないので、ここでの乗降客は僅か。律儀な若い車掌も、この線の乗り換えについては、接続列車の案内もしない。JRではないからなのだろうが、元国鉄の路線だし、気の毒な気がする。

 鷹ノ巣の次の前山は、この区間をその昔、客車の鈍行で通った際、私がもっとも印象強く感じた駅であった。駅の裏手を米代川が線路に寄り添ってくる所にある閑散とした駅で、その川の風景が印象に残っている。しかし、今日見ると、川は護岸工事によって様変わりしており、堤防が築かれ、車窓からでは水面は見えない。反対側を見れば駅前は閑散としており、糠沢と大差ない感じがする。この駅での乗降客はいなかった。ここもやがて糠沢同様、昼間は普通列車が通過するようになるのか、それとも車窓からだけではわからない所に糠沢よりは利用客がいる要素があるのか、それはこういう通りすがりの旅だけではわからない。

e0028292_203457.jpg 次の二ツ井は、木材の集散地でもあり、世界遺産・白神山地への入口の一つでもある。それと多分無関係に、一般の利用者、特に乗車客が多く、活気が感じられた。二ツ井から3駅目が東能代、私はここで降りる。

 東能代は、能代の町からはずれ、閑散とした所にある駅だが、奥羽本線としては主要駅であり、ここは下車より乗車客がずっと多かった。一応ここから秋田までは、秋田都市圏ということで、本数も増えるし、多分この先、各駅で利用者を拾いながら秋田へと向かうのであろう。ともあれ、弘前から東能代までの間は、始終、空席の目立つ列車であった。ロングシートだから余計そう感じたのかもしれない。乗客の殆どいないローカル線とも違うのだが、やはり日中のこの時間帯のこういう列車は、せめてセミクロスシートぐらいの車輛を使って欲しいと強く望む次第である。
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by railwaytrip | 2007-04-05 11:17 | 東北地方