スペイン国鉄Renfeが誇る高速列車、AVEに長距離で乗ってみた。スペイン東部にある第二の都市バルセロナから、南部の内陸にあるコルドバ(Cordoba)まで、941キロを4時間38分で走る。この区間の表定速度は203キロである。
スペインという広大な国は、鉄道網でも最大都市マドリードが完全に中心になっている。バルセロナから鉄道でコルドバなどの南部へ行くなら、マドリードで乗り換えれば良くて、それならどちらの区間にも1時間に1~2本のAVEが走っている。しかし、マドリードのすぐ近くを通りながらもマドリードに寄らない直行列車も日に数本は走っている。その数少ない貴重な列車、バルセロナ発15時50分発のセビージャ(Sevilla)・マラガ(Malaga)行きの指定券を、今朝のうちに買っておいた。 始発のBarcelona Sants(バルセロナ・サンツ)駅は、無機質で風情もない近代的な地下駅である。スペインでは高速列車に乗るには飛行機のようなX線の荷物検査がある。そこで切符のチェックもあるから、乗車手続きには少々時間がかかり、日本の新幹線の感覚でのかけこみ乗車はできない。実際、発車5分前には改札を打ち切るらしい。 指定された車輛は、一番前で、何と32号車である。客車12輛+動力車2輌の14輌固定編成を2編成つないだ長大列車で、どうやらセビージャ行きが先頭32号車から21号車まで、マラガ行きが12号車から1号車までのようだ。客車だけで24輌もあるが、日本の新幹線よりずっと短い車輛なので、座席定員は日本の16輛編成新幹線の半分以下である。 乗り込んでみるとガラガラで、発車後に数えてところ、座席定員36名に対して、乗客は私を含めて4名であった。発車は定刻ピッタリの15時50分。スペインの人には悪いが、スペインと言えばヨーロッパの中でも時間に大雑把で適当な印象を持つ人が多いと思う。ここにはもはやそのイメージはない。 ほどなく飛行機の客室乗務員のような女性係員が回ってきて、イヤフォンを配り始めた。座席横にあるオーディオ機器で音楽が聴けるというわけだ。設備はその程度で、車内は静寂そのものだ。地下から地上へ出て数分も走ると早くも郊外のとりとめのない景色となり、そのあたりからスピードが上がる。写真左下は発車9分後の車窓。 ヨーロッパの高速鉄道の多くは、都市部では在来線に乗り入れるのだが、スペインは異なる。このAVEは、欧州標準軌の1435ミリゲージで建設されたが、スペインの在来線は広軌のイベリアゲージ(1668ミリ)である。日本の在来線と新幹線の関係と逆だが、ともかく在来線に乗り入れできないので、最初から専用線を走っている。それでも地図を見ると在来線とそれほど離れていない所を通っているのだが、バルセロナをちょっと出れば平凡で単調な田舎の風景になった。土地勘がないから余計かもしれないが、目を見張るような風景は何もない。 16時23分、最初の停車駅Camp de Tarragona(カンプ・ダ・タラゴナ)に停まる。バルセロナから95キロもあり、途中には駅がない。日本の新幹線以上に設置駅が絞られている。タラゴナは海辺の町だが、この内陸の新駅は市街地から8キロほど離れている。まだ開駅5年目で、車内から見る限り何もない所だ。 マドリードの手前まで、列車はあと2つ、Lieida Pirineus(リェイダ・ピリネウス)とZaragoza Delicias(サラゴサ・デリシアス)に停まる。これらはタラゴナと違い、市街地に近い昔からの駅なのだが、車窓からは特に目を見張るものもなかった。乗降客も少ない。途中は日本の箱庭的風景と違い、大柄で変化に乏しく、土地勘がないこともあり余計に単調に見える。これではどうしても眠くなってくるので、コーヒーを買いに行く。車内販売はなく、自分で行かないといけない。1.50ユーロ。日本の新幹線よりは安い。 次に気になるのがマドリードの市街を避ける短絡線である。まっすぐマドリードへ向かう12キロほど手前らしいのだが、マドリードという大都市に近づいた雰囲気もないうちに、ここかな、と思ううちに終わってしまった。それでも列車はマドリードから南部のアンダルシア方面へ向かう路線へと入った筈なのである。 次の停車駅は、マドリードから171キロに位置するCiudad Real(シウダード・レアル)で、その次がもう下車駅のコルドバである。つまり途中停車駅は4駅だけだから、平均駅間距離188キロ。日本の新幹線最速列車で、これ以上の距離の無停車は、おそらく新横浜~名古屋と大宮~仙台ぐらいだろう。人口密度も違うからだが、スペインの方が高速列車を、より飛行機に近い輸送機関として考えているように思える。 コルドバには20時28分、ピッタリ定刻に着いた。ある程度の下車客はあるが、出迎えの人もおらず、長距離列車が主要駅に着いた時の独特の賑わいはない。ここもまた、無色無機質の近代的な駅であった。列車はここでセビージャ行きとマラガ行きに分割されるため、しばらく停車する。 まだ4月上旬だが、このあたりは欧州標準時でもかなり西に位置する上、サマータイムもあって、この時間でも外は明るい。近代的な駅からは、いわゆる汽車旅の旅情のようなものは全く感じられなかったが、一歩町へ入れば対照的に、そこはスペインの風情溢れる都市であった。都市がどんどん近代化され、駅だけが古びて残っている所も多いが、スペインの場合、全く逆の印象を持つところが増えている。良いとか悪いではなく、これが今のスペインの鉄道の現実である。空いた列車の快適な高速列車の旅は、それはそれで良かったが、今後、鉄道の旅を楽しむのを主目的にどこへ行こうかと考えた場合は、スペインはあまり候補にならないなあ、と感じた体験であった。 #
by railwaytrip
| 2011-04-03 15:50
| スペイン
スロヴェニアは、旧ユーゴスラヴィアが分裂してできた国の一つである。その中で一番に安定・発展し、いちはやくEU入りを果たした。小さくて地味な国だとは思うが、意外と面白い。
スロヴェニアに詳しい方はそんなに多くないと思うので、改めてこの国の地図を眺めていただきたいのだが、そもそも地図を見る以前に、スロヴェニアには海があるかどうか、という質問に即座に答えられるであろうか。地図を見れば、一応あることがわかる。しかし海岸線の距離は極めて短い。イタリアとクロアチアが海岸線を沢山取ってしまって、スロヴェニアは僅かしかもらえなかった、とでも言いたくなるような恰好になっている。 その貴重なスロヴェニアの海岸線沿いには、町が3つほどある。中でも一番大きく、唯一鉄道もあるのが、Koper(コペル)で、スロヴェニアにとっての重要な貿易港になっている。EUになってEU内の物の移動には通関も必要なくなったのだから、自国に海がなければ隣のイタリアの港でも借りれば特に支障ないのでは、なんて考えたくなるが、無論そう単純には行かないだろう。スロヴェニアにとってコペルへの陸路は、道路であれ鉄道であれ、物資の輸送路として重要な生命線なのではないだろうか。 というのは、実は私も後から気づいたことで、私がKoperに行きたいと思った理由は、もっとずっと単純である。それは、途中区間の細かな鉄道路線図を見たからである。そこには行って戻るようにぐるりと大回りする大カーヴがある。地図で見つけた時は、釜石線の陸中大橋をさらに大規模にしたような感じだなと思った。こういう線路の敷き方は、決して稀とは言えないし、勾配緩和目的であることも想像はつく。だが例えば磐越西線にしても狩勝峠にしても、もっと左へ右へとカーヴを何度も繰り返しながら標高差を稼いでいっている。その点ここは、まっすぐ行って、まっすぐ戻る、それだけである。地図以外の情報もほとんどなく、絶景路線を紹介するような書物にも出てこない。そうなると、どんな所か想像がつかないので、余計に行きたくなる。 首都Ljubljana(リュブリャーナ)から南西へ、イタリアへとつながる幹線を104キロほど行くと、Divača(ディヴァーチャ)という駅がある。そのまままっすぐ行くと、スロヴェニアの最後の駅はSežana(セジャーナ)で、Sežanaを出ると線路はすぐイタリアに入り、トリエステ方面へと至る。Divačaから南へ分岐する支線は、さらに少し先で二つにわかれ、一つは南へ、国境を越えてクロアチアのPula(プラ)まで行く。もう一つは西へ分かれる。これがKoperへ行く線である。この分岐点とKoperの間に「スロヴェニアの陸中大橋」の大カーヴがある。 先にSežanaを訪問してから、戻りのLjubljana行きに乗り、Divačaで下車した。Divačaは大きな駅舎を持った駅だ(写真左下)。その割と町は小さそうである。それでも一応の町であり、ちょっと高台にある駅前から眺めると、そこそこ住宅がある。駅前には保存蒸気機関車が展示してあるので、鉄道の町だったのかもしれない。 少し待った後、Ljubljana方面からやってきたIC503列車は、日本の旧国鉄なら急行ぐらいに相当するインターシティーの長距離列車で、嬉しいことに、機関車が牽く5輛編成の客車列車であった(写真右上)。一等車はもちろん、食堂車までついている。二等車は普通の座席車とコンパートメントが混在している。空いたコンパートメントもいくつかあったので、その一つに入り、座った。 この列車は、オーストリア国境に近いMaribor(マリボール)を朝の6時50分に出て、首都Ljubljanaを通ってさらに南下してきたという、国内南北貫通列車である。Ljubljanaで運転系統を分けず、所要5時間の直通列車として運転されている。Divača発は11時01分で、終着Koperまで49キロを49分で走るから、表定速度60キロで、わかりやすい。途中停車駅1つ、通過駅4つ。 Divačaを出ると、Sežanaを経てイタリアへと西へ向かう本線と分かれ。ほぼ90度のカーヴを描き、南へと針路を取る。電化はされているが、単線になった。するとこれまでより景色が荒涼としてきた。小駅を1つ通過し、次に停まるのが、Hrpelje-Kozinaという駅で、大きな駅舎があり、駅員がいる(写真左下)。しかし、下車した人は僅かのようであった。 Hrpelje-Kozinaの次が、Prešnicaという駅で、ここが、このまま南下してクロアチアへと向かう線と、西へ分かれてKoperへ向かう線との分岐駅である。しかしここは小さな単線の無人駅で、この列車も停車しない。駅周辺も人家は散在しているものの、まとまった町など無さそうな所であった。 分岐後も、カーヴを繰り返しながら荒涼とした山の中を走る。ブドウ畑が多い。スロヴェニアのこのあたりは隠れたワインの産地だそうだ。次のCrnotičeは、交換設備はあるが、小さなホームと待合所があるだけの駅であった(写真右下)。通過駅だが停車して貨物列車と行き違う。時刻表によれば、この駅に停車する列車は、下りKoper行きは、朝6時41分の1本だけで、上りは14時02分と19時39分の2本だけである。その14時02分の方は、私がこれから帰りに乗る予定の列車である。こんな駅の乗降客がいるのだろうか。そんなことが今から楽しみになってくる。 Crnotičeを出ると、いよいよ大迂回区間に入る。地図によれば、CrnotičeからRižaraという信号場と思われる所まで、直線距離では3キロぐらいしかない。そこを鉄道は、約17キロほど大迂回して走るのである。 まずはぐるりと左へほぼ180度、向きを変える。すると右手に谷の風景が広がる。その向こうに、これから先に通る線路だろうと思われるものが見える。そこまでの高低差もなく、そんなに大迂回しないといけないほどの地形とも思えないが、線路はその昔、蒸気機関車が難なく登れるようにと考えて敷かれたのであろう。 そんな所を時に森の中を、時に荒地を、時に小さな集落を、そして時にブドウ畑を見ながら快適に進む。勾配はゆるいが、それでも徐々に下っていっているのがわかる。Hrastovljeの手前では、この後通過する線路が本当にすぐ真下に見える所がある。それを過ぎるとまた少し下の線路が離れていき、向こうに小さな駅が見える(写真左下)。Hrastovljeである。その先で線路はぐるりと180度回り、列車はHrastovljeを通過、ここもCrnotičeと同様、下り1本、上り2本しか停車しない駅である。 今度は右手上方に、今通ってきたばかりの線路を見ながら、列車はさらに高度を下げていく。そしてようやく左へゆるやかなカーヴを描き、通ってきた線路が見える風景も終わる。その先に信号場があり、列車は停まった。反対には貨物列車が停車している。ここがRižaraであろう。来る前にグーグルマップで調べてきたところ、ここも駅として描かれているが、現地の駅でもらった列車時刻表には掲載されていないし、実際に来てみると、ホームもないので、列車行き違いのための信号場に違いない。 貨物列車とすれ違うだけですぐ発車するのかと思ったら、機関士が降りてきて、客車の下を点検している。ブレーキの具合でも悪いのだろうか。それで5分ほど停まった。このまま動かなくなったら困るなと思っていたが、何とかなったらしく、発車。そこから先は徐々に平地が広がり、いかにも山から町に下りてきたという風景になり、人家も増えてきて、終着Koperに定刻より5分ほど遅れて到着した。 Koperは、ホーム2面の行き止まりの終着駅であった。空いているとは思っていたが、5輛の列車からはそれなりの数の乗客が降りてきた。大きな荷物を持った人も多い。建設中なのか、ガラス張りのモダンな新駅舎が一部だけで営業中で、駅周辺も新開発地のような雰囲気で、格別の風情はない。 ここはスロヴェニア唯一の、海に面した駅である。駅自体から海は見えないが、西へ歩けばすぐ港で、その雰囲気が駅付近でも感じられる。はるばるたどりついた終着駅、という感慨もあるが、実はイタリアのトリエステまで、直線距離では12キロしかない。旧市街は駅から北へ数分歩いたあたりから始まる。大きな道路を1本渡って旧市街へ入ると、それまでと雰囲気は一変した。 イタリアっぽいと言えばそんな感じの、細い路地の続く古い家並み。教会があり、小さな広場があり、昔から営業していると思われる小さな家族経営のお店が並んでいる。特に著名な観光施設はなさそうだが、旧市街全体がいい雰囲気で歩き回れる。列車に乗っている間は今ひとつパッとしないどんよりした天候だったが、歩いているうちに薄日が差してきて暖かくなってきた。春が来た、そんな言葉がピッタリのひとときであった。1時間半という滞在時間も、長すぎず短すぎず、ちょうど良かった。 駅へ戻り、13時29分発Divača行きの客となる。さきほど降りた時に、隣のホームに2輛の古びた気動車が停まっていたのを確認しているが、やはりその列車であった。行きと帰りで全く違う雰囲気の車輛に乗れるのが、これまた嬉しい。このDivača行きは、Divačaまでの途中5駅の全てに停車する。中途半端な時間帯の鈍行だからか、乗客は少ないが、Divačaで、Sežana始発のLjubljana行きに接続しているので、大きな荷物を持った長距離客っぽい人も多少乗っている。発車時に数えてみると、乗客は私を含め8名で、全員が一人客であった。意外にも若い人が多い。 気動車らしい重々しい唸りをあげて定刻に発車。今通ってきた所をエンジンをふかして上っていく。坂を下る往路が客車で、坂を上る復路が気動車というのも、鉄道らしい旅を味わうのに最高の組み合わせだったなと思う。偶然組めたスケジュールだが、良かったと思わずにいられない。 町並みが途絶え、山へと分け入っていき、左手奥にこれから上って行く線路らしいものが見えてくると、最初の停車駅、Hrastovljeである。案の定、誰も乗降しない。もはや駅としての機能は終えているとしか思えないが、朝夕は利用者がいるのだろうか。この駅を定期的に使う人がいるとすれば、朝は6時49分発でKoperへ行き、帰りはKoper発19時12分発で帰ってくる。たまに早く帰れる日はこの列車で帰る。そんな風になるわけだが、普通の通勤通学の時間帯としてはKoperでの滞在時間が長すぎるように思う。恐らく定期的な利用者はおらず、たまにHrastovljeの住人が思いついたように利用する程度なのではないか。信号場としての機能は必要だから、信号場に降格させるほどのこともなく、何となく温存している、そんな気がする。駅間距離も長いので、一部が不通になった時のバス代行機能のためにも、駅として残す必要があるのかもしれない。 そんな事を考えながら発車を待っていると、谷の向こうの線路に機関車の警笛が聞こえ、何と赤い電気機関車の三重連がこちらへ向かって下ってくるではないか。貨車はつながっておらず、機関車だけの回送列車である。臨時なのか、遅れているのか、それとの行き違いを待って発車したので、こちらの発車も時刻表より3分ほど遅れた。 そしてぐるりとカーヴを回り、Hrastovljeの駅を左下へ見下ろしながら、気動車はエンジン全開で、今通ってきた線路を左へと見ながら坂を登っていく。次のCrnotičeも乗降ゼロ。ここでもKoper行きの三重連機関車に牽かれた貨物列車と交換する。Koperへのこの路線が貨物のためにあることは、乗ってみて良くわかったし、だからこそ勾配緩和が優先で、線路がここまで大回りして敷かれているというのも、納得はできた。しかしそれも蒸気機関車時代の設計には違いなく、今なら強力な電気機関車があるから、もう少し路線を短縮したいところではないか、なんて思える。無論、今さらお金をかけて線路を敷き直してまで短縮する必要もないのだろう。この路線はこれからも、スロヴェニアの貨物の動脈として、旅客列車ともども、生き残っていくであろうと思われる。 #
by railwaytrip
| 2011-03-18 11:01
| スロヴェニア
フランスは日本より面積が広い国だが、細長い日本と違って、割と丸いので、日本ほど南北の長さは感じない。それでも北と南、東と西では、気候風土も気質も違いが大きいとは感ずる。それでいてどこに行っても、いかにもフランス。このフランスならではのアイデンティティーは、言葉では説明できない独特の雰囲気を持っている。少なくとも私はフランスに行くたびに、強く感じる。
今回行ったのは、ノルマンディー地方である。パリの西北西にあたり、パリを流れるセーヌ川の下流地域である。また、海を隔てているが、ロンドンのほぼ真南にあたる。 前の晩にパリからの列車で Rouen(ルーアン)に着き1泊した私は、この朝、Rouen からさらに西へ、Le Havre(ル・アーブル)行きの列車に乗った。パリから Rouen までは、ノンストップで1時間10分である。Rouen はセーヌ川下流域にある、大聖堂が有名な古都で、Le Havre は、セーヌ川河口に開けた港町である。少しフランスに詳しい人なら、多分これらの街は知っているだろう。 私はその途中、Bréauté-Beuzeville(ブレオテ・ビューズヴィル)という駅で降りた。ここで分岐する Fécamp(フェカン)行きの支線に乗り換え、Fécamp という所に行ってみることにしたからである。理由は特にない。Le Havre も行ったことはないので行きたいが、それよりは、この支線が何となく気になった。 Le Havre 行きの列車はパリからの直通で、編成も長く乗客も多い。Bréauté-Beuzeville は分岐点にあるというだけの小さな駅だが、下車客は結構多かった。Fécamp への乗り換え以外には特に何もない。このあたりはセーヌ川とも離れており、駅は平凡な田園地帯にポツンとあって、大きな特徴もない。Fécamp への支線は、ここからひたすら北へと走り、イギリス海峡に面した北海岸の町Fécamp で終着となる。Fécamp はそこそこの規模の港町らしいので、鉄道が残っているのは何となくわかる。ただ、その起点の Bréauté-Beuzeville は、何故ここが分岐点になっているのだろう、と思わせるような所にある。 Le Havre 行きで下車した人の多くは、駅前から徒歩、バス、迎えの車などで散ってしまったようだ。Fécamp 行きを待つらしき人もいるが、多くはない。10分ほどの接続で悪くないのだが、ホームに列車は入っていない。と思ったら、ここ始発ではなく、Le Havre からやってくるのだった。何と1輛の新型ディーゼルカーであった。ガラガラでやってきて、ここで10名弱が乗り込むが、それでも空いている。 発車するとあっさりと本線と分かれてカーヴをし、北へと進路を取る。あとはもう、黙々と淡々と、ひたすら田園地帯を走る。特に目を惹くような車窓ポイントもない。しかもこの季節の北ヨーロッパらしいどんよりとした天候のため、風景に陰影も乏しい。Fécamp まで19.7キロあり、途中駅はない。所要22分。もっともかつては途中駅があったようで、今その廃駅らしき所は廃車輛の墓場のようになっていた。 スピードは速くもないが、のろのろでもない。本線のような快適さはないが、乗り心地も悪くない。しかしフランスはこういった支線はどんどんバスへと置き換えているようで、先行き心配である。 終着 Fécamp は、ホーム1面だけだが、錆びた引込み線が何本もあり、かつては活況を呈した終着駅だったと思われる。今の駅舎は小さい。ホームは長く、そこにポツンと1輛の新型気動車が停車した風情は何となく寂しい。 駅から錆びた線路に沿って先へ行ってみる。すぐ先が港であり、恐らくかつては貨物が港まで来ていて、ここから船積みもしていたのではないだろうか。そして坂道を丘の上に進めば市街地がある。思ったより大きな街である。 街を歩いてみた。ノルマンディーの港町、と思えばそんな気がするし、他のフランスとは違うような気はする。折から街の広場では、小さな音楽隊が演奏をしていた。小さなお祭りという感じであった。スコットランドのバグパイプ楽団とはまた少し違うのだが、いくぶん近い雰囲気であり、音楽もケルト系のようであった。詳しいことはわからないが、そちら方面とのつながりを感じる雰囲気の音楽に、ノルマンディーにいることを実感した次第であった。 #
by railwaytrip
| 2011-02-05 10:47
| フランス
EU内の国境審査を廃止して人の流れを円滑にするための協定により、世界的に名が知られるに至った、ルクセンブルク南東端の村、Schengen(シェンゲン)。ここは首都ルクセンブルク市から見ると、はずれのはずれである。と言っても、もともと小さな国の中での話。直線距離では23キロ程度である。鉄道はなく、ルクセンブルク市から行くには、バスを2本乗り継いで行かなければならない。
Schengen は、ライン川の支流、モーゼル川沿いの長閑で小さな村である。モーゼル川流域は良質な白ワインの産地として知られる。Schengen もその一つで、周囲のなだらかな丘の多くがブドウ畑になっている。 この村はモーゼル川の左岸にある。村の中心に橋があり、渡るとドイツの Perl(ペルル)である。そしてここからモーゼル川をちょっと遡ると、そこはもうフランスである。Schengen は、これら3つの国の境界にある村であるゆえに、協定の締結地に選ばれた。実際の調印は、モーゼル川に浮かぶ船上でなされたというから、象徴的である。 Schengen には鉄道はない。けれども対岸のドイツ・ペルルには、ペルル駅がある。Schengen の村の中心から5分も歩けばたどりつける。こことTrier(トリアー)の間に、ドイツ国鉄DBが平日日中は1時間に1本の普通列車を走らせている。モーゼル川右岸をゆく長閑な路線で、モーゼル川の風情を楽しませてくれる、地味ながら好ましい路線である。 線路は Perl から南へも続いている。ほどなくフランスに入り、入って間もなく、Apach(アパック)という駅がある。Perl から2キロ弱で、並行道路もあるので、歩いても30分弱という近さである。そのApachからはフランス国鉄が、モーゼル川上流のThionville(ティオンヴィル)まで、ローカル列車を一日数本、走らせている。 つまりこの路線は、ドイツの Trier とフランスの Thionville を結ぶ、2ヶ国にまたがる国際路線である。にもかかわらず、国境の僅か2キロの区間、Perl~Apach 間の一駅だけは、列車がほとんど走っていない。ほとんど走っていないが、皆無ではない。それが面白いというか不思議である。 具体的に言うと、平日は国境を越える旅客列車は1本もない。しかし土日のみ、Trier~Perl~Thionville~Metz という快速列車が1日2往復、走っている。Perl から Thionville の間には、駅が5つあるが、この国際快速は1つを除いて通過する。フランスの国境駅 Apach にも停まらない。 この不思議な列車に乗るため、前日からルクセンブルクに泊まっていた私は、土曜の朝、ルクセンブルク駅前9時10分発のバスに乗った。約25分、Mondolf(モンドルフ)という所で別のローカルバスに乗り換える。そして約20分、Schengen にやってきた。10年ほど前にも来たことはあるが、今回もまた時間が止まったようなのんびりした田舎の静かな村である。変わったと言えば、前回は無かった高速道路が山の上のはるか高い所でモーゼル川を跨いでいる。 モーゼルの河畔に、Schengen 協定締結の記念碑があり、ドイツ語、フランス語、英語で解説がある。上にはEUの旗がたなびいている(写真左下)。対岸はドイツの Perl の村である。そのすぐ脇に、ドイツへ渡る国境の橋がある。橋の手前に、フランス2キロ、ドイツ1キロ、という道路標識がある(写真右下)。最近、大雨が続いていたので、モーゼル川は氾濫寸前というまでに水かさが増していた。 冬の土曜の朝だからか、車は結構通るが、歩行者は全く見かけない。ましてや観光客など皆無である。歩いて橋を渡り、ルクセンブルクからドイツへ入る。橋から見下ろせる位置に Perl 駅がある。以前と特に変わった様子はないが、駅前は何やら工事をしている。駅へ行くなら、橋を渡り終わったところで歩行者専用の階段を下りていくのが早い。 ドイツ側の終着駅で、Trier からのほぼ全ての列車がここで折り返す。折り返し前提の駅だからか、複線だが、ホームは片面しかない。古いながらも立派な堂々たる駅舎だが、今は無人化されており、駅舎の一部はパブになっている。切符はホームに自動券売機がある。 ドイツという国は無賃乗車に厳しいというか、容赦ない国で、切符を持たずに乗ると理由を問わず、否応なしに高額の罰金を取られるという。全ての駅に自動券売機があるので、無人駅から乗ったというのは理由にならないそうだ。 私はルクセンブルク国内限定の乗り放題切符を買ってあるので、ここドイツの Perl からフランスの Thionville を経由して、ルクセンブルクに入った最初の駅 Bettemburg(ベッタンブール)までは、別途切符を買わなければならない。自動券売機の表示を英語に変えて、あれやこれやと試してみたが、Bettemburg までの切符は買えない。それどころか、乗換えなしの Thionville すら買えない。壊れているのかと思って、試しに Trier を入力してみると、すぐに切符の種類や値段が出てきたので、壊れているわけではない。ドイツ国内専用なのかと思って、ルクセンブルクと入れてみると、これも値段が出てきた。しかし、私の乗るルートではなく、何と遠回りの Trier 経由での運賃が出てきた。ここからルクセンブルクへ、わざわざ Trier 経由の列車で大回りして行く人がいるとは思えないが、とにかくそういうことになっている。結局、土日に2本しか運行されないこのルートを通る切符は、データが入っていないため、買えないということのようである。 そうこうするうちに発車時刻が近付いてきたのだが、列車は現れないし、人の姿も全くない。本当に列車が来るのだろうかと心配になったが、3分遅れで、トリアー方面から赤い車輛の列車が見えてきた。 それはフランス国鉄の車輛であった。僅か1輛だが、真新しい車輛である。Perl では2人の下車客があった。Trier から Perl までの区間は日常的な利用者がいるので、たまたまこの列車があったから乗ったという人だろう。乗車は私だけで、車内に入ると、空いてはいるが、一応席の半分弱が埋まるぐらいの客は乗っていて、大きな荷物を持った人も多い。観光客でもなさそうで、用事があってある程度の距離を移動する人が、たまたまこの列車があるから利用したという感じに思われる。 Perl を発車し、今渡って来た道路橋の下をくぐる。どこが国境かは定かではないが、すぐに国境を越えてドイツからフランスへ入った筈である。そのあたりはゆっくりと走る。やがて右手、モーゼル川との間に沢山の線路が広がってくる。国境駅独特の風景で、貨車がいくらかは停まっていたが、広大な敷地のほとんどはガランとしている。そんな所にある国境駅 Apach を通過。ここから先は、フランス国鉄の区間列車が平日4往復、休日2往復ある。この運転本数は究極のローカル線である。だがとにかく、毎日列車が走っている区間に入ったからか、新型気動車はスピードを上げた。 乗客は中高年のお客が多く、新聞を読んだりおしゃべりしたりしている。景色を眺める人はほとんどいない。土日に2往復しかない列車だから、たまたま乗り合わせたというよりは、この列車に合わせて乗っている人であろうが、この列車が無ければ別のルートで移動するのであろう。私のように、こんな珍しい不思議な列車があるからと意識して乗っている人は誰もいないようであった(写真左下)。 Apach の次が、停車駅の Sierck-les-Bains(シエルク・レ・バン)で、古いが立派な駅舎がある(写真右上)。下車はなく、おばさんが一人だけ乗ってきた。切符を買っていないので心配という風情で右往左往している。ホームに降り立った車掌が、いいから乗れ、と合図をしている。 発車後、その車掌が回ってきて、まずそのおばさんに切符を売る。次いで私の前にもやってきた。私が Perl で乗ったのもお見通しのようである。フランスの車掌で、言葉もフランス語であった。恐らくドイツ語もできるのであろうが、既にフランスに入っているし、ルクセンブルクでもそうだが、一般に仏独両国圏の人は、外国人に対してはフランス語を使う。実際、ドイツ語よりフランス語の方が国際語としては上であろうが、こちらはフランス語もカタコトしか理解できない。 その車掌が携帯発券機で、Bettembourg までの切符を出そうとするのだが、いくらやっても出てこないようである。Perl の自動券売機同様なのか、困ったものである。そしてしまいには何やらフランス語で長々と説明をしつつ、切符を売って料金を徴収した。あまり理解できなかったのだが、切符を見ると、この列車の終着、Metz までとなっている。どうやら同じ料金だからこの切符でBettembourg まで乗っていい、と言っていたようである。しかし次の列車で検札が来たら、すんなりと通るのであろうか。ちょっと不安ではある。 列車は相変わらず右手にモーゼル川のおっとりした流れを見ながら、流れに沿ってカーヴを繰り返しながら走る。それでも Thionville が近づいてくると人家が増えてくる。さらにはモーゼル川の対岸に大規模な施設が見えてくる。火力発電所かと思ったが、後で調べると原子力発電所であった。フランス第三の規模で、相当なものらしい。 そうしているうちに、モーゼル川とも離れ、列車は Thionville 駅に滑り込んだ。Thionville は中規模の街で、ルクセンブルクに近いので、ルクセンブルクへ通勤する人も多いらしい。ロレーヌ北部の代表的な都市はこの列車の終点 Metz だが、ここもそれに次ぐぐらいの規模がある。 Thionville では乗っていた客の3割ぐらいが下車した。代わりに乗り込む人が何倍も多く、僅か1輛の列車はほぼ満席になったようである。ここから先は1時間に1本以上の列車が走る高頻度区間である。そういう区間だけ利用する人は、たまたまこの列車が来たから乗っただけであって、この列車が土日しか走らない Trier からの珍しい列車であることなど、意識にもないであろう。 ※ この区間は、ドイツとフランスとにまたがりますが、フランス側の方が距離が圧倒的に長いため、便宜上、フランスのカテゴリーに分類しました。 #
by railwaytrip
| 2011-01-08 10:42
| フランス
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