時間を忘れて本物のローカル線にのんびりと長時間ゆられてみたい。そんな願望を満たす線区をいくつか絞った結果、只見線を選ぶことにした。水郡線や米坂線などもかなり食指が動いたが、一部区間を除くと長いこと乗っていない只見線の全線走破列車にタイミング良く乗れるスケジュールが組めた。但し、最後は夜になってしまうが、これは日の短い晩秋ゆえ、やむを得ない。
只見線は、沿線人口の稀薄な山間部の豪雪地帯をのんびり走る長大ローカル線であること自体、昔も今も魅力尽きない線だが、只見線を選んだ理由は他にもある。それは、この線には古きよき時代のローカル線の面影が濃く残っているからだ。最近はローカル線といえども、車輛がモダンになり、ワンマン列車となった所が多い。しかし只見線は、昔ながらの4人掛けボックスシートがメインの、国鉄時代末期に製造されたキハ40などが使われており、車掌も乗っている。ローカル線とはいえ、一昔前まで当たり前だったことだが、最近は極限なまでの合理化により、変貌してしまった。只見線は、まだその改革が及んでいない。 乗るのは小出13時17分発の会津若松行で、小出からの列車としては、何と05時30分の始発列車に続く二番列車なのである。越後湯沢方面からの普通に15分で、長岡からの普通列車に8分で接続しているが、乗り換え客は少ない。かといって始発駅とはいえ小さな町、小出からの客も多くない。要するに、期待通り、と言っては悪いが、閑散期・平日の昼下がりという時間帯、乗客は見事に少ない。私自身、それを狙ってこの時期を選んだわけでもある。青春18切符などの時期は、だいぶ様子が変わるそうだから。2輛編成のディーゼルカーの乗客は合わせて20名余りといったところだろうか。いずこも同じで中高年客が多く、他は高校生が少々。 定刻に小出を発車。魚野川に沿って長岡へ下っていく上越線とさらりと分かれると、その魚野川を鉄橋で渡る。水量は多い。目の前に迫った厳しい冬を思わせる、どんよりした寂しい天気で、いかにも寒々しい風景だ。山肌には雪が見られるが、地表にはない。稲刈りはとっくに終わっているが、キャベツ畑で収穫にいそしむ農業のおじさんを見かける。列車のスピードは遅い。上越線の普通列車から乗り換えても、かなりのギャップを感じる。新幹線からいきなり乗り換えだったらなおさらだろう。 最初の停車駅、藪神で、おばさんと女子高生が下車、次の越後広瀬でも同じくおばさんと女子高生が降りた。このあたりはまだ小出の郊外で、市内交通的に利用しているのであろうが、本数が少なく大変であろう。次の魚沼田中(写真右上)は、同じ新潟県(越後国)内の飯山線に越後田中という駅があるため、こういう駅名になっているが、乗降ゼロ、そして次は立派な駅舎がある越後須原で、委託の駅員もいる。委託の駅員は、列車に向かって深々とおじぎをするが、敬礼はしない。駅前には民宿などもあり、ちょっとした観光地にもなっているが、乗降客はなく、委託の駅員が気の毒になってくる。 あいにく雨が強くなってきた。そしてこのあたりから地平にも残雪が見られるようになった。次の上条でおばさんが一人下車し、車内が閑散としてくる。平野が果てて山が迫ってきて、ここに最初の隧道もある。次は「ようこそ山菜共和国へ」の大きな看板のある入広瀬で、ここにも委託の駅員がいて、やはり列車に向かっておじぎをする。駅付近には結構住宅が多い。ここでおばさん3名下車。それにしても、列車でこのあたりを訪れる観光客がどれだけいるのだろう。 入広瀬からは勾配がきつくなり、右手に魚野川の支流、破間川が沿う。まだ紅葉が綺麗に残っているが、すっかり雪景色になった。どんよりとした寂しい風景の中、柿ノ木に着く。ここは以前は臨時駅の扱いだった所で、山に囲まれて数軒の家があるだけの所だ。乗降客はいない。駅名と関係あるのかどうか、柿の木が2本ほどあった。そしてその次が新潟県側最後の駅、大白川(写真右上)である。ここも小さな集落だが、只見線が全通する以前は終着だった駅で、今も運転上の拠点駅なので、委託ではなくJRの正規の駅員がいる。委託の駅員と違い、列車に向かって敬礼をする。線路点検なのか、事業用列車が反対ホームに停まっていた。ここは時刻表を見ていると主要駅のようだが、実際は人家も少ない山の中の駅で、下車したのも1名だけであった。ここまでの途中駅で乗車客は全くなく、大白川発車時点での乗客数を数えてみると、私を含め13名であった。 大白川を発車すると、小さな集落を見るが、その先は人家も途絶え、列車のスピードは落ち、いかにも苦しそうに勾配を登っていく感じになる。列車と並行しているのは道路と川で、道路の方にはスノーシェッドが多い。線路と道路が川の流れに沿って狭い土地を分け合いながら国境を目指して上っていく。列車の客も少ないが、国道を行く車も少ない。何もない所を10分余りも走ると、隧道に入る。これは六十里越隧道、1971年の只見線全通時にできた、全長6,359メートルの隧道で、新幹線を中心に、長い隧道が山ほどできた今でこそ、ものの数にも入らないが、当時は全国でベスト10に入った長大隧道であった。 その長い隧道をしばらく行くと、ディーゼルカーの音がニュートラルになり、峠を越えて下り坂になったことがわかる。ここが分水嶺で、新潟県から福島県に入ったことになる。にわかに列車のスピードが増した。そして隧道を出ると、鉄橋を渡り、もう一つ小さな隧道をくぐると、スノーシェッドに覆われた半地下のような寒々しい田子倉駅に着く。手前右手に、田子倉無料休憩所というドライブインのような建物が見えたが、閉鎖されて久しいのか、窓もベニヤ板で塞がれていた。この駅周辺には人家がなく、日常生活での利用者はいない。田子倉湖への観光や釣り、登山などの客ぐらいしか利用しない駅らしい。そのため、12月からは全列車が通過する。今日はまだ停車する。あと10日で今年の営業は終わりの駅だが、いずれにしても乗降客はいない。 田子倉を出ると、右手にチラリと田子倉湖が見え、またすぐ長い隧道に入る。田子倉隧道で、3,712メートルの長さがある。下り坂のため、さほどの長さを感じずに出てしまった感じだ。そして少し行くと土地が開け、久しぶりに人家が現れ、線名にもなっている只見に着く。いかにも山村の村落という感じで、駅前に民宿なども見られる。線路の反対側はスキー場だ。ここも運転上の主要駅だが、大白川に比べると集落も大きく、小出からの客が7名ぐらい下車した。このあたりは福島県といっても、県内の主要都市である会津若松や、郡山、福島などは遠く、例えばちょっとした買い物や大きな病院なども、長岡の方が近いのであろう。そのため、県境を越えての細い日常流動があるようで、下車したのは地元の人っぽい客ばかりであった。 只見を出ると、車掌が最後尾から2輛目の前の運転台に移ってきた。ここから会津川口までの途中駅は、ホームが1輛分しかないからである。通常のローカル線では、県境越えの区間が一番本数が少ないのだが、只見線の場合、福島県側の只見と会津川口の間が一番少なく、一日3往復となる。この区間の各駅は、どこも最低限の短いホームを設けただけの簡易停留場のような造りなのだ。しかし、人家もない田子倉に比べれば、各駅とも小さな集落があり、生活の匂いも感じる。けれども列車は只見でますます空いてしまった。途中駅での乗降は、会津横田で1名の下車があったのみで、この列車だけを見ると、もう風前の灯のような印象を受けてしまう。写真左下は会津蒲生駅到着手前の車窓右側、写真右下は会津横田駅。 そんな所を小さな駅に一つ一つ停車しながら進むにつれて、地表を覆う雪がどんどん少なくなり、会津越川まで来ると殆ど雪は消えた。その次の本名という駅は、古くて立派な日本家屋が結構密集した美しい集落であった。本名を過ぎ、只見川の鉄橋を渡り、只見川にぴったり沿った形で進むと、会津川口に進入、ここが、大白川、只見に次ぐ運転上の主要駅である。ここは、只見に比べても町が大きく、運転上というだけでなく、奥会津の一つの中核をなす町である。ここから会津若松の間は本数も倍増する。そして、こんなローカル線が、といっては失礼だが、会津若松21時40分発、会津川口終着23時28分という夜遅い列車まであって、びっくりさせられる。 列車はここで10分以上停車する。僅かに残った客の殆どがここで下車するのと引き換えに、次々と高校生が乗ってくる。一般客も多少いて、俄かに活気づいた。そしてここでは小出行き下り列車とも交換する。小出から2時間にして最初の列車交換である(今日は大白川で事業用列車との交換はあったが)。その反対ホームにいる小出行きは、これから今通ってきた、一日3往復だけの閑散区間へ乗り入れるわけだが、乗客は結構いた。あちらの列車では、1輛分のホームだけの小駅でも少しずつ下車客があるに違いない。 会津中川、会津水沼と、古い駅舎の残る無人駅に停まる。各駅とも周辺に人家も見られるが、乗降客はない。その次の早戸は、川に沿った寂しい所だが、駅と駅前の道路が工事中であった。ここでは降車も乗車も1名。このあたりまで下ってくると、山肌にも殆ど雪がなくなった。次の会津宮下(写真左上)は、立派な駅舎があり駅員がいる駅で、乗降客も見られ、只見線が生活の足として利用されているなと実感できるのが嬉しい。しかも、只見線の各駅は、まだ古い木造駅舎が多数健在だなと嬉しくなったが、その先は各駅とも新築の待合所風の駅舎になっていた。会津宮下とともに主要駅の会津柳津(写真右上)は、古い駅舎であった。恐らく、無人駅の方が放置すると荒れやすいので、先に古い駅舎を壊してしまっているのであろう。会津柳津の先で、車窓にコンビニが見えたが、そういえば小出以来、初めてこういうものを見たような気がする。 晩秋の短い日がとっぷりと暮れてきた。そして殆ど夜になった会津坂下では、これまでとは比較にならないほど大勢の高校生が乗ってきて、一気に活気が出た。会津川口の高校生に比べると、良くも悪しくも現代っ子的な印象だ。会津高田でもう一度、高校生多数の乗降がある。外は真っ暗だが、まだ5時だ。 そして会津若松の市街に入った西若松、七日町とも、かなりの下車客があり、終着会津若松に定刻17時18分に着いた。小出から4時間の旅であった。その昔、上野からの「急行ばんだい」で着いた時には、みちのくを色濃く感じたが、只見線4時間の果てに着いた会津若松は、都会の駅のようだ。とはいえ、駅を出てみれば、思いのほか寂しい駅前で、活気は感じられない。もっともこの駅の場所は、会津若松の市街地とは少々離れている。会津若松の夜の町を少し歩きたかったが、中途半端な待ち時間で郡山行がある。町を歩くほどの時間はないが、かといって待つだけでは退屈な、夜更けの会津若松駅であった。 ※ この区間は、中部地方(新潟県)と東北地方(福島県)とにまたがりますが、福島県側の方が距離が長いため、便宜上、東北地方のカテゴリーに分類しました。
by railwaytrip
| 2007-11-20 13:17
| 東北地方
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