羽越本線・勝木駅

 新潟県は細長くて広い。糸魚川地方だと北陸という雰囲気が濃いが、村上あたりまでくると東北のようだ。羽越本線を新潟からだいぶ走ったあたりで、まだ東北地方ではないのか、と海を見ながら思った人もいるだろう。国境は、奥州三大関所の一つ、念珠(ねず)の関所、鼠ヶ関である。この駅からが山形県だが、駅は構内南端の一部が新潟県にかかっているという国境駅でもある。

 その鼠ヶ関の2つ手前に、勝木(がつぎ)という小駅がある。勝という字を「がつ」と読ませる名前の不思議さもあり、また海の景色が素晴らしい笹川流れも終わったあたりの地味な立地ということもあり、ちょっとどんな所だろうかと降りてみた。夜行の「ムーンライト越後」から2本乗り継いで、到着はまだ早朝5時台である。

e0028292_5174869.jpg 羽越本線の村上より北は、海の眺めが素晴らしい区間で、各駅とも海辺にあるが、ここ勝木だけは、駅から海が見えない。それどころか、駅の海側に大きな病院がでんと構えており、それより先の風景を見せてくれない。改札口と駅舎を兼ねた1番ホームは山側だが、この病院のためであろう、海側にも簡易な駅への出入口がある。駅員のいた国鉄時代には作れなかった出口かもしれないが、何はともあれ、ローカル線の利用者は高校生か病院通いのお年寄りというのが定番みたいだから、その病院が駅前にあることは、多少の鉄道利用者増に結びついているには違いない。羽越本線は勿論、ローカル線ではなく、廃止の心配はないが、それでもこういう小駅に降りると、ついついそういう方向に発想が行ってしまう。

 駅の構造は、上下の相対ホームの二面二線というやつだ。間は跨線橋で結ばれている。もともとは二面三線の、国鉄の幹線標準型だったようだが、海側の待避線は使われておらず、線路も大体撤去されているようで、そこに直接外へ出られる病院側の出口が作られているというわけだ。羽越本線のこのあたりは部分的に複線化がなされており、勝木の場合、越後寒川側は複線で、府屋側は単線である。だから、交換駅というわけでもないし、普通の複線区間の途中駅とも違い、列車交換待ち合わせの停車もある。幹線だからホームは長く、長距離普通列車が行き交った時代の面影は今も十分だ。


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 駅前は静かだが、旅館が1軒ある(写真左上)。立派な店構えで、タバコ屋・雑貨屋を兼ねている。それ以外には特に店もなく、静かな集落である。そんな所にある駅前旅館とは、一体どういう人が泊まるのだろう。駅前にあっても今は車での利用者が殆どかもしれない。駅のすぐそばには切り出した材木を積んである所がある(写真右上)。海が近くても山も近く、林業も産業として活きているようだ。

 そんな観察をしながらホームへ戻り、上り新津行を待っていると、駅前に車が停まり、お母さんが高校生の息子を降ろした。続いて病院の前を女子高生が歩いてきて、下りホームに入り、跨線橋を渡って上りホームへとやってきた。その後は、高校生が、まさに続々という感じでどんどんとやってきた。車での送迎、自転車、徒歩、色々である。思ったより多い。村上への通学列車なのであろう。ここは新潟県最北端の地、山形県への越境通学が駄目となると、通う高校は必然的に村上市の高校になるのであろう。

e0028292_520184.jpg 定刻に列車がやってきた。鼠ヶ関始発で勝木6時58分発新津行、3輛編成の国鉄型ディーゼルカーである。この区間ではこれが始発列車だ。この区間は電化されているが、交直流の切り替えがあるのに、普通列車用には高価な交直両用の電車が導入されておらず、気動車でつないでいるのである。しかも多くが古い国鉄型であり、それも魅力の一つでここを訪れた。確かに昔懐かしい気動車のキハ40ではあったが、中はロングシート化されていた。しかも、勝木に着く前に既に座席の大半は埋まっていた。殆どが高校生である。先客の彼らは鼠ヶ関か府屋から乗ったのであろう。勝木での乗車も最終的には20名以上はいたか、思ったより多い。少子高齢化が進む中でも、まだこれだけの高校生が早朝から列車通学をしているわけだが、それでも昔はもっとずっと多かったのかもしれない。村上着は7時36分で、始業には少し早すぎるのだろうが、この後の普通列車は約2時間後になってしまう。やはり閑散区間ではある。だからこそ気動車で賄っているのでもあろう。
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by railwaytrip | 2008-06-27 06:58 | 中部地方


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