東京に最も近いローカル線であり、非電化路線でもあった八高線だが、残念ながら?南半分は電化されてしまい、東京都内でディーゼルカーが走る姿が拝めなくなってしまった。その時から、八高線の南半分は、一足先に電化された川越線とセットで通勤型電車による運転となり、ローカル色が薄れてしまった。今は実態としては、八王子~高麗川~川越が一つの線区で、高麗川~高崎が別の線区のようである。その昔、八王子発高崎行という長距離のディーゼル列車があった頃が懐かしいが、今さらそれを言っても仕方ない。今回は、その八高線の非電化区間である高麗川から高崎への列車に乗ってみることにする。
起点の高麗川駅は、川越線とも接する主要駅だが、駅舎は昔のままで、古びていて小さい。地下道もこれまた昔のままだ。隣の東飯能も、昔は駅舎や地下道が似たような感じだったが、すっかり変貌してしまった。高麗川もいつまでもこのままではないであろう。ともあれ今現在は、ローカル線同士の接続駅であった頃の面影をしっかり残している。趣味的に言うと、とてもいい感じの駅である。 乗るのは11時43分発の高崎行で、キハ110という新型気動車の2輛編成である。今や1輛や2輛の気動車列車など、珍しくもないが、首都圏に限って言えば、やはり破格に短い。東京の人が近場でローカル線の旅を楽しむには、一番手頃な線区かもしれない。しかも空いていて、乗車率は半分以下と思われる。ただ、首都圏だなと思えるのは、スーツ姿のビジネスマンっぽい客が散見される点だ。本当の田舎にいくと、ローカル線の客は高校生とお年寄りが殆どなのだが、ここはやや違う。 最初の停車駅は毛呂。東武越生線の東毛呂とも近く、毛呂山町の中心でもあり、駅の西側には高層の立派な大学付属病院が立つなど、全くの田舎ではないのだが、駅舎は田舎駅のたたずまいである。下車客が結構多い。次いで越生。東武越生線の乗り換え駅である。個人的なことだが、小学生の頃、黒山三滝などにハイキングに行った帰り、バスでこの駅に着いた。その時、八高線のホームには屋根すらなかったのが妙に印象的であった。東武のホームには一応屋根があり、子供心に、ここは国鉄より東武の方が主役の駅なのかと意外に思ったものだった。今は勿論、どちらにも屋根はあるし、跨線橋まであって、当時の超田舎駅の面影はない。写真右上は、越生駅停車中の車内で、向こうに東武越生線が見える。 越生を過ぎると風景はますます渋くなる。もともと地味な埼玉県の中でも特に地味な地域をゆったりと走るローカルな八高線は、やはり味わい深い。次の明覚は都幾川村の代表駅だが、首都圏に近いのに、まだ村のまま残っているのが嬉しい。そして明覚から小川町までの間は駅間距離が8キロもある。 小川町は、和紙で知られている。東武東上線が池袋と結んでいるが、流石にこのあたりは東京への通勤圏としては遠すぎるようで、まだ地方都市らしさも濃い。次回は下車してゆっくり歩いてみたい町である。ここでは下車の方が多く、乗車は僅かで、列車はますます空いてしまった。小川町から寄居までの間は、東武東上線と八高線の両方がある区間で、こんな田舎に、と言っては失礼だが、正直、2本もの路線があるのが過分な感じではある。小川町からしばらくは両線が並行し、分かれたあたりに、八高線の竹沢と、東上線の東武竹沢が至近の距離にある。そのためか、竹沢は八高線全駅で乗降客数が最も少ない駅だそうだ。それでもこの列車からは数名の下車客があった。そして無人駅の折原を過ぎ、荒川を渡ると寄居である。 この寄居という駅もなかなかだと思う。田舎町なのに3本もの異なる鉄道が集まる要衝となっている。大都市内を除いて、3社もの鉄道が集まる駅なんて、そうそうないだろう。兵庫県の粟生あたりが、大都市からの距離といい、何となく近い感じがする。寄居は粟生よりはずっと大きな町だが、それでも昔から市ではなく町なのである。ここで高校生を含め乗客が結構あった。小川町~寄居間は、東上線も使える区間だからか、八高線では輸送密度が一番低い区間らしく、列車本数にもそれが表れている。 ところで、こうして東京郊外の町や村を結び、東京からの私鉄ともちょくちょく連絡する八高線のような線は、短距離の乗客が殆どかと思っていたが、高麗川からずっと同じ席に座っているビジネスマン風の人は、寄居を過ぎても下車しない。スピードの遅い単線のローカル線には違いないが、それでも例えば八王子から高崎へ行こうと思った場合、中央線で東京へ出て新幹線に乗っても、所要時間はいくらも変わらない。それでいて運賃・料金では大差がつく。東京西部から高崎へ、ないし上越・長野新幹線沿線へ出張という場合に、八高線経由になることもありうるのだ。そういった客も多くはないが、確実に数名はいるようである。 寄居から乗ってきた高校生などは、埼玉県が終わる丹荘までの4駅で全て下車した。しかし、一般客に関しては、県境で極端に客が減るということはない。埼玉県でも最北部の児玉あたりだと、最寄りの主要な商業都市は高崎、次いで前橋である。埼玉県内でそれに相当する都市はどこかというと、熊谷や飯能あたりかと思うが、規模的に見劣りがする。あとは大宮、浦和、川越、所沢など、いずれも遠い。しかも埼玉・群馬の県境である、丹荘~群馬藤岡間には、別に険しい峠があるわけでもない。神流川という川が県境になってはいるが、恐らく昔から国境を越えての交流がそれなりにあったと思われる。 その神流川を越えて群馬県に入った最初の駅が、群馬藤岡で、ここは藤岡市の中心駅だ。八高線の埼玉県側の市としては高麗川の日高市が最後で、そこから先はここまで市がなかった。しかし、こう言っては藤岡市に悪いが、小川町や寄居と大差ない感じがする。時間帯のせいもあるのか、乗ってくる客も多くはない。 群馬藤岡の次が北藤岡で、北藤岡が近づくと右手から高崎線が寄り添ってくる。そして単線の小さな北藤岡駅は、高崎線の線路のすぐ横にある。ここはどちらかというと、高崎線に乗っていて、左から単線のローカル線が近づいてきて、ポツンと小さな駅が見えるという、その風景の方が面白い。高崎線にも北藤岡駅を造る話はあるらしいが、なかなか実現しないようだ。八高線の路線としての終点は、次の倉賀野なのだが、実際の線路は北藤岡を出ると間もなく高崎線に合流してしまう。そして複線電化で線形も良い高崎線の線路上をこれまでより高速で走ると、高崎線の駅にしては、これといって何もない倉賀野。それでも、八高線から見れば本庄・熊谷方面への乗り換え駅なので、多少の下車客があった。 そしてもう一駅、高崎線上を高速で走り、終点の高崎に着いた。高麗川から乗り通していたスーツ姿のビジネスマンが、少なくとも2人いた。高崎のホームは切り欠きの3番線で、跨線橋にも遠く、他線への乗り換えにちょっと余分に時間がかかる。高崎で見る八高線は、ここでは一番のローカル線である。最近は高崎線にグリーン車までついているから、余計に都会の電車との格差を感じてしまう。駅も立派で、八高線の途中駅では見られない自動改札もある。それでも東京では見られなくなった、115系湘南色の電車もあり、ちょっと旅情を感じる。何はともあれ、八高線は今も渋く情緒のあるローカル線であり、これはこれでいつまでも発展しないで残ってほしいと思ってしまうのである。
by railwaytrip
| 2008-07-07 11:43
| 関東地方
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