久しぶりに江ノ電に乗ってみた。腰越で降り、海沿いの道をぶらぶらと江ノ島(写真左)を眺めながら歩いているうちに、夕闇が近づいてきた。早くしなければ。というのは、ここまで来たら、未乗車の湘南モノレールで帰りたい。未乗車区間には明るいうちに乗っておきたいからである。変なこだわりだが、いつの日か日本の鉄道全線完乗を果たす日が来るかもしれず、そうなると、夜しか乗っていない区間には乗り直さなければ気がすまなくなるから。
海から内陸に入り、江ノ電の併用軌道区間を歩くとやがて江ノ電の江ノ島駅近くのアーケード商店街に至る。江ノ島というと、若者が集まるモダンな場所という先入観があるが、このあたりの商店街は、老舗観光地としての貫禄も、レトロ感もある。左手に江ノ電の江ノ島駅への大きな看板が現れるが、モノレールの駅への案内はない。どこだろう、と思う間もなく、右手に高架のビルとなっているモノレール駅が見えた。自動券売機が並んでおり、自動改札もあるが、あとは総じて古びているのが意外であった。 その昔は何度となく来たことのあるこのエリアで、小田急も江ノ電も何度も乗っているのに、何故湘南モノレールが未乗車だったか、それは運賃が高いからというのが一番の理由だと思う。今も大船まで全線乗ると300円で、安いとはいえない。 モノレールというと、羽田空港が老舗で、老舗なりにリニューアルされているし、大阪空港のなどもモダンさに溢れている。少なくともそういうイメージがある。ところが、ここ湘南モノレールは、開通当初は勿論モダンな乗り物だったのだろうが、もう開通から相当な年月を経ているのだ。後で調べてみると、全線開通は1971年だった。だからむしろレトロと呼びたくなるような乗り物ですらある。それにしても閑散としている。次の列車を待っている客は3人しかいない。6月の平日に江ノ島から都会へ戻るような人は少ないのか、観光客は江ノ電を、安さを求める人は小田急を使うからなのか。 ホームが高い所にあるので、そこから江ノ島の町が良く見える。中層のマンションも多く、住宅地としても栄えているのがわかる。線路の大船方向はすぐ隧道である。と、3輛編成の列車がやってきた。1本の線路の両側に乗車用と降車用のホームが別々にある構造だ。僅かな客を降ろし、運転手と車掌が入れ替わり、僅かな客を乗せて、発車。 そもそも来るまで、この路線が単線だということすら知らなかったが、そうなのだ。発車するとすぐ隧道をくぐり、出るとすぐにポイントが現れ、最初の駅、目白山下であった。この列車は乗降客がない。と思うと反対側から大船発の列車がやってきた。単線だからここで列車交換をするのだ。あちらは数名の下車客があったが、やはり車内はガラガラであった。湘南モノレールとは、こんなに寂れているとは思わなかった。さらに驚いたのは、ここは無人駅らしく、運転手が下車客の定期券をチェックしている。 モノレールは丘陵地帯のせいか、勾配もカーヴも多く、なかなか面白い。その次の片瀬山は、交換設備のない単線の駅で、ここで湘南江の島からの客のうちカップルの2名が降り、代わりに2、3名が乗ってきたものの、依然、寂れた印象が拭えない。 段々と外が暗くなってきた。次の西鎌倉は、また交換駅で、ここで交換した湘南江の島行は、今までと違ってかなり混んでいた。この西鎌倉でも大勢の下車客がある。けれどもやはり無人駅らしく、車掌が切符を集めているが、殆どは定期客であった。その先も各駅で同じような情景が繰り返され、大船に近いほど、反対列車は混んでいる。一方のこちらも大船近くほど乗車が多く、大船に着いた時には20人以上の客がいた。小型3輛で通勤ルートと逆方向だから、悪くない乗車率かもしれない。 終点大船も、湘南江の島と同じく、単線で両側にホームのある構造だ。進行左側が降車ホーム。反対側が乗車ホームで、そちらでは通勤客が大勢列を作っていた。ドアが開くとたちまち満席になり、立ち客も出る。なるほど、江ノ島側から乗ったので最初はあまりに閑散としており、行く末の心配すらしてしまったが、流石は首都圏、杞憂であった。江ノ島地区なら江ノ電と小田急があるので、この湘南モノレールは、それよりは、大船と途中の住宅地を結ぶ足なのだ。お客は大船でJRに乗り換えて横浜や東京などへ通っている人が大多数であろう。シーズン中の休日などは、また流れが変わるのだろうが、基本的にはここも通勤路線の一つだという、当たり前かもしれないことを再認識した。 #
by railwaytrip
| 2006-06-19 19:04
| 関東地方
日本の最北端を目指す宗谷本線。今日、本線とはいえ、実態はすっかりローカル線になってしまっている。今日は札幌から、その半ばにある天塩中川まで、特急スーパー宗谷の旅を楽しむことにした。
宗谷の発車時刻である8時30分は、札幌駅の朝ラッシュのピークだ。東京ほどではないというものの、各方面からひっきりなしに通勤列車が到着し、大勢の人を吐き出している。大都会の通勤風景がすっかり定着している。その人混みの激しいホームから、僅か4輛の特急が発車する。とはいえ、旭川までは30分間隔の都市間特急列車の役割も担うため、このスーパー宗谷は日によっては大変混雑する。今日はそれほどでもなく、普通車指定席は8割の乗りであった。早めに押さえてあった私の指定席は進行右側の窓側。隣の席にはおばさんが座った。手に滝川までの切符を持っているのが見えた。稚内行といえども、短距離利用者の方が多いのかもしれない。 江別までの沿線は、すっかり住宅に埋め尽くされてしまった。江別を過ぎて、夕張川の鉄橋が近づくあたりで、ようやく北海道らしい広々とした風景に出会う。しかしその次の豊幌は、昔は小さな無人駅だったのに、今は駅周辺に新しい住宅がかなりできている。日本の大都市近郊では、まだまだ鉄道沿線から開けていくケースも多いようだ。幌向、上幌向も、昔は札幌近郊であることを忘れるような田舎の集落だったが、今は新しい住宅が見られ、新興住宅地らしくなりつつある。けれどもそれも岩見沢までだ。 岩見沢を出れば流石に札幌郊外の雰囲気は消えうせ、広々とした空知の田園地帯を列車は快走する。検札に来た初老の車掌が、隣のおばさんの切符を一旦見た後、もう一度戻ってきて「すみません、滝川でしたか。失礼しました。滝川、深川、旭川と、川が続くので、最近はぼけてきて混乱してしまって」と、ユーモアたっぷりに詫びている。旅を楽しくさせてくれそうな車掌に出会えて嬉しい。その滝川でおばさんを含め、この車輛からも5人ほどが下車、続く深川は下車が少なかったが、旭川ではかなり下車し、代わって乗車する人もいるが、下車よりは少なく、車内は6割ぐらいの乗車率になった。旭川の高架化工事はまだこれからのようで、昔のままの駅が健在であった。 旭川を出るといよいよ宗谷本線に入る。比布までは旭川郊外で、住宅も散見されるが、その先は田舎の色が濃くなっていく。交換設備もある蘭留は、塩狩峠の手前にあり、平地の果てる所にある、雰囲気の良い駅であった。蘭留を出ると一気に峠道に入り、三浦綾子の小説でも知られる塩狩峠越えに臨む。新型の特急気動車は、急勾配をさして速度も落とさずに上っていく。その塩狩は、サミットにあり、温泉旅館があるものの、人家も稀な駅である。今度は峠を一気に下り、平地に降りて少し走るとやがて和寒。旭川を出て最初の停車駅である。下車したのは1人だけのようであった。和寒とはいかにも北海道らしい味のある駅名である。 和寒から名寄までは、概ね平地で、水田が多い。その中を小さな乗降場があるかと思えば、時にちょっとした集落の駅を通過する。剣淵や風連など、町の中心であり、人家もそれなりに多いので、加減速性能も増した新型特急列車を停車させて利用増を図れないのかと思ったが、和寒の乗降客が1名だけという現状を見てしまうと、あまり意味がないのであろう。それに対して士別はかなりまとまった人数の下車客がある。やはり町と市の差は大きいようだ。駅自体も、本線の主要駅らしい風格が感じられた。 名寄着10時44分、札幌から2時間余り。ここはかつて、名寄本線と深名線の分岐した道北の主要駅だが、今はただの途中駅だ。それでもかなりの乗客が下車する。スーツにネクタイ姿のビジネスマンもいる。逆に言うと、名寄から先は稚内まで、途中に市もなく、ローカル色が濃くなるのだ。近年、高速化改良工事が行われたのもここまでである。 名寄の街を出て次の日進まで来ると、左から天塩川が近づいてくる。ここから先の宗谷本線は、川原も作らずにひたすら滔々と流れる水量豊富な天塩川に沿って下っていく。人家はいよいよ見られなくなり、スピードも落ちた。日進の次に最近まで智東という駅があったが、乗降客がなくなったため最近廃止された。貨車を改造した駅舎はまだ残っていた。 美幸線が分岐していた美深は、名寄以北では大きな町だが、さほどの下車客はない。このあたりの中小の町は一昔前から比べても活気を失っているのだろうか。行き違う列車もなく、これが本線かというほどに交換駅も少ない。かつての交換駅の多くも単線化されてしまっており、使われなくなったホーム跡が草に覆われて朽ちかけているのも、各地のローカル線に共通の風景となった。美深の次の交換駅は豊清水で、駅は健在なものの、駅前に一つ廃牧場が見られる以外に人家は見当たらなかった。 そして音威子府。かつて天北線が分岐していたため、名寄以北では一つの鉄道の要衝で、村の規模に比して大きな駅があり、名物の駅そばがあり、鉄道員住宅もある。普通列車はこの駅止まりや長時間停車も多く、駅名も実に北海道らしく、そのため、特に観光名所がある所ではないが、立ち寄る旅行者も多いようだ。しかもここは沿線唯一の村である。それに対して、これから行く天塩中川は、村ではなく、中川町という町なのだが、駅名も平凡な単なる途中駅という感じが濃く、宗谷本線の特急停車駅の中で、一番話題に上ることの少ない駅ではないかと思う。 音威子府から天塩中川の間、特にその中間の、筬島と佐久の間は、天塩川にひたすら沿ってカーヴを繰り返しながら進む、この線の一つのハイライトだと思う。かつて途中に神路という駅があったが、利用者皆無となり廃止された。今、注意深く見ていると、駅舎があったと思われる土台だけが残っているが、あとはもう自然に帰してしまっている。 さて、定刻12時01分着、天塩中川に着いた。札幌から3時間半かかった。降りたのは私の他に3、4名であった。特急停車駅なのに無人駅で、車掌が切符を回収している。時代もここまで変わってしまったかと思う。 閑散とした町だが、町を貫く国道沿いが一応の中心街となっていて、お店もいくつもあり、スーパーもある。その先には役場などがあり、その向こうが天塩川である。ここで見る天塩川は護岸工事も行われていて、途中区間で見たような原始のままの天塩川とは違う。特にこれといって素晴らしい景色ではない。 廃集落の多い北海道の田舎にあって、中川はまだかろうじて、町としての体裁を保っているようであった。町を歩いている人は少なく、いても年寄りが多いが、入ったスーパーでは若い男女の店員が何人も働いていた。モダンな建物も多いが、開拓時代の面影を残すような木造家屋もまだ多く健在なのが嬉しい。 それに、内地は梅雨の季節だが、爽やかな夏晴れの日に当たったのも嬉しく、ちょっとした中川歩きは、思ったより面白かった。しかしやはり、寂れゆく町の一つには違いなく、一抹の寂しさも感ぜずにはいられなかった。 #
by railwaytrip
| 2006-06-15 08:30
| 北海道地方
マンチェスターからバーミンガムへ、インターシティーで2時間弱の旅。イングランドを代表する工業都市・産業都市同士、列車本数も多く、鉄道が今も交通の主要な役割を果たしている区間であろう。風景はおおむね平凡で、イギリス屈指の退屈な区間とも言えるが、鉄道発祥の国イギリスのビジネス特急は今いかに。
イギリスは普通に切符を買うと馬鹿みたいに高いので、インターネットで事前予約してある。窓口買いの片道だと22ポンドだが、私の切符は9.50ポンドと半額以下。その代わり指定された列車にしか乗れない。それが、Manchester Piccadilly 発11時24分の Virgin Train。新型車輛の4輛編成。私の座席は3輛目の進行左窓側。各座席の下にパソコン用コンセントも付いている。この列車を選んだのは、この前後では、これが一番安かったからだ。座席指定だが、殆ど意味ないぐらい空いている。外も天気は今いち、どんより曇っているが、イギリスの冬の典型的な天気で、雨が降っていないだけでも良しとせねば。 最初は高層ビルも目立つマンチェスターの街を走り、9分で最初の停車駅、Stockport。ホームの赤い柱がちょっと印象的な駅だ。(写真左は、Stockport到着の手前の車窓。)ここで少し乗車があり、客が増えた。といっても3割にも満たない乗車率だ。そこを出るとにわかに農村風景になった。曇っているためか、昼近いのに何となくうすら暗い風景の中、列車はさほどスピードも出さず、淡々と走る。 次の Macclesfield は、小さな町で乗り換えもないが停車。ここで早くも下車する客が多い。これは一応、Virgin の長距離列車であるが、別に特急料金があるわけでもないし、日本以上に短距離利用が多いようだ。この車輛の乗客は10人ぐらいになってしまった。ホームにいた女性駅員が、フライパン型の標識を恰好良く掲げて発車合図をする。 外は農村で時々牛がいる。大体平地で時々ゆるやかな起伏がある。時々家が増えてきて、駅がある。イギリスの町はまだ結構鉄道に沿って開けたところも多いのか。工場もあり、大手スーパーのテスコが突然現れたりする。全くの田舎でもないのだ。分岐駅の Kidsgrove は、乗り換えもあるし、それなりの町のように見えたのだが、通過する。続いてその次の小駅、Longport を通過、ここは町は小さく、駅も大きくはないが、構内に引込み線があり貨車がかなり留置してあった。日本でいう昔の一般駅だろう。日本でも少し前まで当たり前だったああいう駅が、イギリスも減ってはいるんだろうが、まだ健在のようだ。 次の停車駅、Stoke-on-Trent に停まると、また短距離利用者が数名降りる。イギリスの駅はどこもレンガ造りで重厚だ。さらに空いたかと思うと、ここでかなり乗ってきた。ここは郊外の田舎町という感じだが、遠くに10階建てぐらいの高層アパートが結構見えたりする。古い教会もあり、新旧渾然としている。レンガ造りの古い建物が多くて、日本の軽薄な風景に比べると重厚でいいようだが、冬はこれが逆に重苦しく感じてしまう。とはいえ、取り壊したりせず、ずっと残して欲しいとは思う。 しばらく平凡な農村地帯を走ると、突然左手に大きな Wedgwood の工場が見え、その先ですぐWedgwood という小さな駅を通過した。そんな駅があるとは知らなかった。この駅を利用して通勤している社員もいるのだろうか。その先にはStone という分岐駅もあるが、ここは通過。雑然とした住宅地や工場の散在する場所だ。うすら寒い冬のイングランドの風景が展開する。駅を出るとまた農村となり、羊もいる。女の車掌が頻繁に検札に回っている。短距離利用者が多いからこの程度の混み具合でも結構忙しそうだ。車内で切符を買っている人もいるが、別にペナルティーフェアではないのだろうか。しかしこの列車、ちょっとスピードを出したと思うとすぐ遅くなり、結構時間がかかる。平均時速もそんなに速くなさそうで、逆に言えば工夫次第でまだまだスピードアップできそうな気がする。 Norton Bridge を通過。ここも分岐駅だが、農村地帯にあって人家も少ない寂しい所にある駅だ。こんな所でもイギリスのこのあたりは線路がかなり入り組んでいる。ここで別の幹線に合流した筈なのに、またのろのろ運転でスピードがでない。これでは車との競争に勝てず、客が減ってまた運賃が上がり、世界一高い鉄道になってしまうと、心配になる。そして駅間の何もない所で停まってしまった。(写真左はそこ場所の風景。)線路のすぐ脇を小川が流れていて、フィールドが広がっていて、小さな沼があり、その向こうに家が数十軒固まっている。寒々しい風景には変わり無いが、これも夏の晴天だとまた大いに違って見えるのであろうが。動き出した。沼がいくつかあって、野鳥の保護区にでもなっているのか。犬と散歩している老夫婦らしき人がいる。イギリスの冬の典型的な寂しい風景である。情緒があって良いが、長く滞在すると気が滅入りそうである。 そこからほどなくすると、次の停車駅、Stafford に着く。だいぶ降りる人がいる。殆どが短距離利用者で、この車輛でマンチェスターから乗り通している客は、私の他には老夫婦1組だけではないかと思う。ここも大きくて重厚な駅だ。しかしどこも似ているといえば似ている。停車時間も長いが、特に遅れているわけではなさそうだ。こんなにのろい特急ではいけない。やる気がないのか、それともJR西日本じゃないけど、民営化後の混乱の反省でゆとりダイヤにしたのか。と思っていると、向こうのホームに同じ方向から別の Virgin Train がやってきて通過した。あれに抜かれるための停車だろうか?あちらは6輛で、やはり空いていた。もしかするとこの列車はのろいから、それで切符が安かったのかもしれない。だから一層短距離利用者が多いのかもしれぬ。それでもなかなか発車せず、続いて貨物にも抜かれた。これでは鈍行だ。10分以上停まってやっと発車。 Stafford を出てしばらく、やっと高速になった。隣に幹線道路が並行してくる。交通量が多い。イギリスも車社会だ。あいかわらず単調な農村で、さして素晴らしい景色でもない。時々家があったり工場があったりする。次の停車駅は Wolverhampton で、この駅名は列車の行き先としてロンドン・ユーストンでもおなじみだ。ユーストンからバーミンガム方面への列車の多くがここ行きなのである。バーミンガム郊外の街なのだろう。観光ガイドブックなどに絶対載っていない所だ。昔は鉄道の町だったに違いない。いや今も結構それなりかも。鉄道関係者が沢山住んでいそうだ。そう思っていると、工場や倉庫が目立って増えてきた。古いレンガ造りのもあるが、味気ないモダンなのも多い。ごみ捨て場もある。殺伐とした風景である。でも非常に味のある古い工場もあったりして、重厚な感じだ。取り壊し寸前の建物もある。実に重々しい。間もなく Wolverhampton というあたりまで来ると高層マンションは20階建てぐらいになる。しかし駅は意外とモダンで、重厚な駅ではない。古すぎて逆に新しくされてしまったのだろうか。これではますます降りたくなくなる。ここからバーミンガムはもう一息で、ここからは本数も増えるが、それでもこの列車に乗ってくる人がそれなりにいる。もう市内利用区間という感じだろう。停まった目の前に First class 専用待合室がある。ガラス張りなので外から中が丸見えなのだが、おじさんが一人だけ新聞を読みながらコーヒーを飲んでいる。ここも停車時間が長い。遅れているわけではなく、定刻運転だが、余裕がありすぎるようだ。 そして定刻13時11分、バーミンガムの中心駅で、シティーセンターにも近い、Birmingham New Street に着いた。谷間にあって、上をビルが覆っているため、昼間でも薄暗い駅だ。最後までこれといって快適な走りっぷりを見せてくれず、インターシティーとは名ばかりの、短距離客の多いローカル急行という風情であった。 ※ 車内から窓ガラス越しに撮った写真が多く、反射等で鮮明でない点、ご了承下さい。窓が開かないのでどうしようもありません。 #
by railwaytrip
| 2006-02-07 11:24
| イギリス
ポルトガル第二の都市、そしてポルトワインのふるさと、さらに国名の由来にもなっている、Porto(ポルト)。鉄道は海岸線沿いに幹線が走っている他、内陸にドウロ川を遡り Pocinho(ポシーニョ)まで行く線もある。この線は1988年までは、さらに先へ続いており、国境を越えてスペインに通じていたそうだが、利用者減で廃止されたらしく、今は盲腸ローカル線になっている。ローカル線にしては距離が長く、ゆったり流れるドウロ川に沿って延々と走る車窓は魅力的だ。
そのほぼ中ほどに Régua(レグア)という街がある。その Régua から Vila Real(ヴィラ・レアル)まで支線が出ている。それに乗って Vila Real を往復してみた。Régua はこの線沿線の、そしてドウロ川沿岸で最大の町。本線列車も最低3分は停車するし、ここから先は本数が半減するという所だ。そこから出ている支線は、小さなレールバスが1輛で一日5往復しており、お客も少なく、存続が心配なローカル線である。但し終点の Vila Real はそんなローカル線の終着とは思えぬ大きな街なのだそうで、ポルトとの行き来もそれなりにあるようだ。但し交通の主役は車とバスらしい。ポルトと Vila Real の間には、立派な幹線道路が通じている。 この線は本線とは線路幅の違う、ナローゲージなのである。Régua を出るとしばらくは本線と同じ線路を走る。この区間は4線軌条になっている。つまり、幅の広い本線の2本のレールの内側に、幅の狭い支線の2本のレールが敷かれている。本線の Pocinho 方面と同じ線路をしはらく走り、長い鉄橋を渡る。渡り終えた所で左へ分岐する。 分岐を終えた所に Corgo という駅がある。この駅は本線の列車から良く見える。線路幅の違う分岐点にあり、複雑なポイントがあり、それを管理するためであろうか、駅員もいる。本線の列車がこの駅の脇を通る時も、駅員が列車を見送っているから、駅員といっても信号所係員なのだろう。周囲は人家も少なく、乗降客は少ない。ここは Régua の町のはずれ、といった程度の距離で、Régua の駅から歩いても距離的には知れていると思ったのだが、道路がなさそうだ。渡ってきた鉄橋はかなり長く、深い谷を形成しており、その鉄橋以外に目に入る範囲で道路の橋はない。この駅の周囲に住んでいる人が Régua の町へ行く時は、かなり大迂回をして車で行くか、このローカル列車に乗るか、さもなければ鉄橋を歩いて渡るか。その鉄橋は保線用の歩道はあるが、日本なら絶対に一般人の歩行は許されないだろう。こういった事は国によって基準が違うので、ここがどうなのかはわからない。この駅の脇には廃車となった古い気動車がボロボロになって3輛ほど並んでいる。 さて、1輛の小さなレールバスは、Corgo を出ると細い線路を右へ左へとカーヴを繰り返しながら上って行く。直線は殆どない。谷は非常に深く、線路が敷かれているのはその崖の中腹よりちょっと上だろうか。車窓は概ね、左が谷、右が山となっている。Vila Real へ向かう時の席は左側がお勧めだ。勾配もカーヴもかなりきつく、険しい谷に沿って行く。次の Tanha は通過。リクエスト・ストップの駅で、乗降客が無ければ通過するシステムだ。実際、利用者の少なそうな閑散とした所にあった。その後も数キロごとに駅があり、乗降客が一人か二人。駅周辺は小さな村になっており、人家がいくつか固まっている。大きな道路はなく、メインの道路は川の対岸を走っている。そこと結ぶ橋も見当たらない。このあたりの家も流石の現代では車を持っているところが多いだろうが、車があっても行き来が大変そうだ。圧巻は Carrazedo 駅とその先で、この駅の左側、山の中腹の高い所を線路が通っている。そこまで、ぐるりと大カーヴを描いて上って行く。駅を出てから、再び左の車窓に駅を見下ろすまで3分ほどかかる。その後、もう一つ、リクエスト・ストップの小駅を通過し、Régua から50分余りで終着の Vila Real に着いた。 Vila Real は今は無人化されており、待合室も閉鎖されている。10人ほどの乗客は待合室の脇の細い通路から駅前へ出て、迎えの車で、あるいは徒歩で、散ってしまった。しかしこの駅舎の立派さはどうであろう。駅前広場も広く、この山峡の町にとって、かつては重要な交通機関であったことが偲ばれる。駅のそばには小型の蒸気機関車が保存されていた(写真左下)。当然その昔は蒸気機関車だったのであろう。この深い谷に沿ってカーヴの続く線を走っていた頃を見てみたかったと思う。 駅から歩いて5分ほどで深い峡谷にかかる橋を渡ると対岸が町の中心である(右上の写真はその橋からの眺め)。かなり大きな町で、これだけの町なら鉄道需要も十分ありそうだが、今やこのナローゲージのローカル鉄道は風前の灯火に見える。町には相当数の車が行き交っていて、鉄道とは別ルートで各方面へ良い道が通じているのであろう。 折り返しの列車もやはり乗客は10人ぐらいで、行きとほぼ同じであった。やはりリクエスト・ストップの2つの小駅は乗降客がなく通過したが、それ以外は各駅とも1人か2人の乗降客があった。 #
by railwaytrip
| 2006-01-28 15:10
| ポルトガル
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